2022年12月31日土曜日

1本1本、地道に心の草むしりをする話

ロゴを微妙に間違える主任

以前からそういう意識がないではなかったけれど、ここ数年はとくに「こうあって然るべきだし、そうあって当たり前」を心からなるべく減らすように努めています。

たとえば眠ること、歩くこと、食べること、笑うこと。本を読んだり、熱い湯につかること。言ってしまえば何でもないようなことです。実際のところいちいち立ち止まるようなことでもない。その上で、あんまり当たり前だとおもわないようにしているのです。

減らすと言っても気づかないうちに長い年月をかけて蔓延ってきたものだから、火炎放射器で焼き払うようにはいきません。焼き払えたように思えてもたぶん根が残ります。本当に1本1本、地道に草むしりをするような向き合い方です。

最近やっとわかるようになってきたけれど、世界はいつもすこしずつ変わります。たまに激変するように見えても、基本的にはやっぱりすこしずつです。いっぺんに変わることはまずありません。気づかないだけで、確実に助走がある。跳躍が大きければ大きいほど、それに見合った長い助走がある。

「当たり前」という感覚は跳躍前のありとあらゆる助走から意識を遠ざけてしまいがちです。だから突然現れたようにしか見えない変化につい身構えてしまう。受け入れられないことに尤もらしい理由をつけて正当化してしまうこともある。

ご多分にもれず僕も変化にあまり敏感ではないので、ときどき意識的に立ち止まる必要があります。あれ、まだここにいていいんだっけ?というふうにです。心の草むしりはまた、そう自問することでもあります。

実際今年はパンデミック以上に、多くの人がそうあって当然と認識することを根底から揺さぶられるような、それでいて本当のところ何が揺さぶられたのかピンときていないような、そんな年だったと言えるかもしれません。良し悪しや正しさはさておき、僕の価値観もゆっくりと変わりつつある。


一方で、こうしてささやかに発信することも、たとえば音源を発表することも、ライブをすることも、同じように草むしりの対象です。それでなくとも僕は昔から活動時の体温が異常に低いので、アクションを起こすときはいつも探り探りになります。明日が昨日と同じ世界とはかぎらないじゃないか?ということですね。

年賀状キャンペーンなんかはまさにその最たるもので、いつ静かに幕を引いてもいいような心算でいるのだけれど、どういうわけか今よりよっぽど活動していた時期よりもずっと多くの応募があって毎年ポロリと落涙しています。本当に本当にありがとう。

そして今年は去年の年末にも書いた音源をぶじ「アグロー案内」としてリリースすることができました。


あんな形で結実するとは正直思ってもみなかったし、当初は本当にリメイク集のイメージだったはずが、蓋を開けてみたら他に類を見ない無二の世界に仕上がって感無量です。特に山本和男がよかった。


amazonデジタルミュージックの「バラエティ・効果音部門」でNHKラジオ英会話を抑えて1位に輝いたあの瞬間最大風速は一生忘れません。履歴書に書きたい。


きわめつけは超久しぶりのライブです。2週間が過ぎた今も達成感より安堵感のほうが大きいけれど、どうにかこうにか果たせて本当によかった。それもこれも目をかけてくれるみなさまと、御大タケウチカズタケのおかげです。どうあれやると決めたら足を運んでもらうだけの甲斐がなければ意味はないのだし、やらないにしてもそのまま錆びつかせるのではなく、常に油を差していつでもきちんと始動できるように心がけたい。


手のひらで包めてしまうくらいささやかなこんな規模だからこそ、咲く花もあります。願わくばどうか来年も、地面すれすれの低空飛行にお付き合いくださいますように。

よいお年を!今年もありがとう!

2022年12月26日月曜日

安田タイル工業のクリスマス慰安旅行2022、その後


 世界に向けて遠吠えを!


いつまでたっても赤字にしかならない肥大化した会社を世界有数の大富豪にみごと売り渡し、晴れて自由の身となった旧ツイッター経営陣を見習うべく日々研鑽を重ねるおいしいヤミー感謝感謝またいっぱい食べたいなデリシャッシャッシャッシャッシャッシャッハッピースマイルカンパニー、安田タイル工業のいつものやつが今年もつつがなく開催され、2021年12月以来となる今回も専務と社員、総勢2名の大所帯で意気揚々と繰り出したことは先だってお伝えした通りです。

※これまでの年末興行については以下をご参照ください。
2010年
2011年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年 前編
2018年 後編
2019年
2020年

そしてまあ例によってあんなことやこんなことがあり、笑いあり涙あり、スリル、サスペンス、度重なる脱獄と忘れられた大量破壊兵器、果てはフードロス問題から一夜かぎりの甘いロマンスまで、息つく間もない波瀾の展開に巻き込まれた挙句ぶじに生きて帰ってこれたのが本当に奇跡だったわけですが、さらに今年はスペシャル企画としてその後日談をポッドキャストでお届けします。

弊社の全社員が命を賭して立ち向かった熱い冒険の一部始終、ぜひ大音量でお楽しみください。



♪パ〜パラララ〜(エンディングテーマ)


飽くなき探究心と情熱を胸に、安田タイル工業は今後も逆風に向かって力強く邁進してまいります。ご期待ください。

安田タイル工業プレゼンツ「3つ並んだデカい階段みたいなものを見てきた話」 終わり

2022年12月25日日曜日

ある年のクリスマスがその後の人生を決定づけた話


たまにはクリスマスの話でもいたしましょう。

僕がまだ小学1年生だったころのことです。その年のダイゴ少年はクリスマスプレゼントに以前から欲しかったラジコンを希望していたのだけれど、クリスマス前に悪事が露見してしまい、サンタは来ないことを宣告されました。

悪事といっても7歳くらいのことなので、詐欺とか殺人とかインサイダー取引とかではもちろんなく、タチの悪い万引きだったようにおもいますがよくおぼえていません。ただ子どもにとってはすごく楽しみにしていたプレゼントを撤回されることほどダメージを負う懲罰もないから、少なくともそれに値するだけの悪さだったことだけは確かです。サンタなんか来るわけもない。イブの晩もしょんぼりして寝ただけです。

翌朝、というのはつまりクリスマス当日の朝ですが、目を覚ましたダイゴ少年は枕元に大きな平べったい箱が置いてあることに気がつきます。えっサンタは来ないはずだったのに…まさかこれは…でもこんな平べったい箱にラジコンが入るはずもないし…と困惑と期待が入り混じった気持ちで包みをガサガサと開けたら出てきたのがつまり


塗料です。

しかも30色(!)近くあって、筆も皿も、そして溶剤系塗料なのでそれを洗うためのうすめ液(要はシンナーです)が一式ぜんぶ揃っています。水性塗料とちがって薄めるのも洗うのにもうすめ液が必要な上に部屋にシンナー臭が充満するため、どう考えても小学校低学年向けとは言い難いことを除けば、プラモデルに色を塗りたいとなったときに必要なものがすべてそこにありました。

シンナー臭もどうかとおもうけど、最大の問題はうちにプラモデルなんかなかったことです。

何かプレゼントしてやりたいが、といって容認できない悪さをしでかした以上、純粋に喜んでしまうようでは困る、というややこしい条件を見事にクリアしていて驚かされますが、しかし塗るものがないのになぜ塗料なのか、そしてなぜ水性塗料ではなくよりによってシンナーまみれの溶剤系塗料なのか、当の両親が今も昔もホビー系に詳しいどころか完全に無知(だから謎なのです)な上にこの時のことをまったく覚えていないため、その理由は今もわかりません。

いずれにしてもダイゴ少年はここからこの溶剤系塗料「Mr.カラー」にどっぷりとハマっていきます。何しろそれまでは色を塗るといったら画用紙に絵の具とか色鉛筆くらいしか知らなかったのに、この塗料はゴムにも鉄にもプラスチックにもガラスにも塗ることができるのです。

先にも書いたように、プラモデルはありません。しかし当時、この塗料を使うのにうってつけのあるものがちょうど一世を風靡していました。それがガシャポンの「SDガンダム」です。3センチくらいの大きさで手のひらにちょこんと乗る、デフォルメされたガンダム人形ですね。

絵の具や色鉛筆では塗れなかったものが、この塗料なら好きに塗ることができる、というのはダイゴ少年に爆発的な刺激と興奮を与えました。想像力の可動域を飛躍的に広げてくれた点で、これがおそらく僕にとってものをつくることの原点です。何しろその後、小学校を卒業するまでの6年間ずっとこの「Mr.カラー」でひたすらSDガンダムとプラモデルに色を塗り続けています。しまいには法事の帰りの車の中でちまちま塗ってそのシンナーくささにひどく叱られたくらいです。無色の世界が彩られるのはそれだけで想像力に翼が生えるようなものであって、その楽しさといったらなかった。色それ自体というより、それまで存在しなかった何かを自らの手が生み出す喜びですね。

もしあのとき欲しがるどころかその存在も知らなかった謎の塗料セット一式を両親が用意していなかったら、今の僕にはなっていないはずです。それが良いことだったのかどうか、何ならもうちょいましな人生だった可能性のほうが圧倒的に高いとおもうけれども、どうあれ「Mr.カラー」がその後の歩みを決定づけてしまったのは間違いありません。

ここから導き出される教訓はひとつです。子どもに何だかよくわからないものを何だかよくわからないまま与えてはいけない。いつどこで何がその後の人生を決定づけてしまうかわかりません。良い結果を生むこともあるでしょうが、僕のような大人に育ってしまう取り返しのつかない危険性もあるのです。子を持つ親御さんはどうか気をつけてください。

2022年12月23日金曜日

博愛の超強力接着剤「モチダイン」のこと


さて、餅です。

今でこそ餅は日本を代表する白くて美味くてやわらかいもののひとつですが、昔はその如何ともしがたい凶暴性から人々にとって名状し難い畏怖の対象でもありました。

何しろその肌、その白さ、その味わい、温もり、やわらかさはまさしく天使のようでありながら、ぺたぺたくっついて取りづらいというたったひとつの小さな事実によって毎年必ず、人が死にます。人を死に至らしめるほどの粘着力となるとさすがに只事ではありません。天使は天使でもショットガンを小脇に抱えた天使と言うべきでしょう。

いつ牙を剥くとも知れぬ恐ろしさに打ち震えるほかなかった20世紀初頭、その圧倒的な粘着力に目をつけた一人の人物がいました。今ではぺたぺたくっついて取りづらいものの先駆的権威として世界にその名を知られる、宇佐木バニ一郎(うさぎ・ばにいちろう)です。

病弱だったバニ一郎は幼少時からどういうわけか正月の餅にひどく嫌われ、またしても死線をさまよっていたある年の三が日、夢に出てきた見上げるほど巨大な餅からこう告げられたと言います。

「お前は餅に嫌われていると信じているがそうではない。むしろその逆で、餅に愛されているのだ。ぺたっとくっついて離れぬとすればそれが愛でなくて何であろう。愛という名のこの類まれな粘着力を世のため人のために活かしなさい。」

天啓に打たれたバニ一郎は目が覚めるとすぐさまありったけの餅米を蒸し、病弱だったことも忘れてリズミカルに餅を搗きつつ粘着力の研究に取り掛かります。ぺたぺたくっついて取りづらい餅とはすなわち、人々の心を結びつける愛そのものであるという彼の、生涯揺らぐことがなかった信念はこのときに発露したものです。

一度くっついたら二度と引き剥がせない博愛の超強力接着剤、「モチダイン」はこうして誕生しました。その圧倒的な粘着力と汎用性は今なお他の追随を許さず、気づけば各国の軍事衛星から結婚式の引き出物まで、世界中のあらゆるシーンで活用されています。また餅なのでその安全性は言うに及ばず、チューブから吸い出せばそのまま宇宙食や非常食にもなることから、一触即発の剣呑な国際情勢にある現代ではその需要がより高まっていると言っても過言ではないでしょう。


そんなモチダインが誕生から今年で88周年を迎え、「世界を変えた発明1001」の1001位に見事ランクインしたことを記念して、若干名の方にプレゼントいたします。「搗き」「付き」「月」をかけたトリプルミーニングです。


ご希望のかたは件名に「博愛の超強力接着剤モチダイン」と記入し、

1. 氏名
2. 住所
3. わりとどうでもいい質問をひとつ

上記の3点をもれなくお書き添えの上、dr.moulegmail.com(*を@に替えてね)までメールでご応募ください。

締め切りは12月29日木曜日です。

応募多数の場合は抽選となります。とは言っても用意した分より1人でも多かったらという意味であって、実際のところてんやわんやの大多数だったためしはこの15年まったくありません。あえて抽選と釘を刺すことで応募が殺到するかのような印象をでっちあげる立つ瀬のなさを察しつつ、ふるってご応募くださいませ。

今年もありがとうー! 

2022年12月16日金曜日

アグローと夜、または「山本和男 THE MOVIE 完結編」試写会のこと


そんなわけで過日の「山本和男 THE MOVIE 完結編」試写会@元住吉POWERS2は鳴り止まぬ万雷の拍手とともにぶじ幕を閉じました。かねてから噂されていた、山本和男があの宿敵と対峙する大瀑布のシーンでは超弩級の没入感に館内のどよめきも凄まじく、文字どおり急転直下の展開に観客のみなさんも「これは絶対にIMAXで観たい…!」との思いを新たにされたのではないでしょうか。さらにこれまで延々と張り巡らされてきた伏線と謎のすべてが回収されて大団円かと思いきや、大して回収されない上に謎が深まるという解決編にあるまじき着地ぶりで早くもSNS上では賛否が渦巻いているようです。

かつて誰も想像したことがない、驚天動地の一大スペクタクル…ぜひ劇場で体験してください。鑑賞後の熱い感想にはハッシュタグ #山本和男 を添えて!



 





 



上映後のパネルディスカッション

…とまあ、「アグローと夜/AGLOE AND NIGHT」はまさしくこんな夜でございました。今回も僕が知るかぎりでは宮城、山形、福井、長野、静岡、京都、兵庫、奈良、福岡からわざわざ足を運んでもらって本当に面目ありません。ありがとうありがとうありがとう。

3年ぶりというのは、英気を養うために休養していた著名なミュージシャンでないかぎり、忘れ去られていてもおかしくないほどの年月です。僕がそんな人では初めから全然ない以上、初めましてレベルで改めて一から向き合う必要があります。であるならば、リーディングをする人がいて、演奏する人がいる、というだけでなく、兎にも角にも絶対にこの二人でないといけないという必然性のある形にしたい。そういう意味では見事にその通りの夜だったような気がします。

何しろ冒頭から挨拶抜きでいきなり延々と15分、紙芝居について語りだしたわけだし、音楽のライブを観にきてあんなものを体験させられるとは誰も思っていなかったはずです。お客さんが何を楽しみに来ているのか、なんとなくわかっていたので言わずにいましたが、ライブ前の1ヶ月はほとんど紙芝居に費やしていたと言っても過言ではありません。僕自身にとっても、そしてまたあるかどうかも定かではない今後にとっても、絶対にやらなければいけないことのひとつだったと、今ならしれっと申せましょう。

そして未だに謎しかない、山本和男です。中には「アグロー案内」の箸休め的なシリーズと受け止めている人もいるかもしれませんが、さにあらず、むしろこれなくして今後のアグロー案内は語れないことを周知する絶好の機会でもあって、それはもう本当に、カズタケさんが見事に知らしめてくれたとおもいます。多くの一流ミュージシャンと日々共演し続ける彼が素でしょうもないことをできるのはどう考えてもここしかないはずなので、それがピタリと嵌ったのはまさしく感無量と言うほかありません。

あと僕はそのスタイル上わりとこう、ピンと張った空気になりがちなので、せっかくだしできればいっぱい笑ってほしいといつもひそかに願ってきたのだけれど、それもカズタケさんのおかげでばっちりそのとおりになったような気がします。

人前に出ずに済むならそれに越したことはない性分は今も昔も変わらずです。一方で、もし出るならまた観たいと思ってもらわなくては意味がないという向き合い方もまた、「オントローロ」の頃から変わりません。なので今回は僕にとってもやはり、大事なマイルストーンのひとつです。いずれまたこんな機会が巡ってきたときには、やっぱり笑顔になってもらいたいと改めて思う夜でした。

本当にありがとう!



2022年12月9日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その384


かれこれ2ヶ月以上、あの手この手を駆使しながらただでさえ薄いスープをさらに薄めるようにしてどうにかこうにかこのブログを取り繕ってきたわけですが、月曜にあった数年ぶりのアトロク出演をぶじ楽しく終えた以上、さすがにもうすっからかんで何もありません。あの懐かしい、これと言って特に得るもののない通常運行に戻りましょう。

ちなみに4曲を披露したタケウチカズタケとのライブ@アトロク、radikoのタイムフリーならまだ間に合います。もしまだならお急ぎあそばせ!


ローマの振替休日さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q. 世の中には奇妙なコレクションをしてる方がいらっしゃいますが(爪や鼻のゴミや猫のヒゲなど)、何か変なコレクションをしてる、あるいは過去にしていた、または未来集めてみたいなどお聞かせ頂けると幸いです。


しいて言うならタバスコの瓶ですね。何を言っているのかさっぱりわからないとおもうし、今となっては僕もさっぱりわからないのだけれど、わりと最近になって倉庫から大量のタバスコの瓶が出てきたのでまちがいありません。思い返してみれば20年ほど前の僕は確かに、タバスコの瓶を集めていました。

何しろまだスマホなどなかった時代の、画素数が異様に少ないしょぼいデジカメでその様子を撮っていたくらいだし


ポラロイドみたいなトイカメラでもわざわざオシャレな1枚を撮って悦に入っていたくらいなので、その思い入れの深さが窺えようというものです。


これには一応順番というかちゃんと成り行きがあって、初めから瓶だけを集めていたわけではもちろんありません。これは断言できるけど、中身も1滴残らず消費しています。むしろある理由から大量のタバスコを消費した結果として、残った瓶に愛着が湧いてしまったと言うほうが正しい。

1本を使い切り、きれいに洗ったら瓶が可愛く見えて、なんとなく捨てそびれているうちにまた1本が空になり、また洗い、可愛いから捨てそびれ、いつしかだんだん増えていくのが楽しみになり、サイズ違いがあれば買い、新しいフレーバーが発売になれば買い、気がついたらタバスコを買うときの目的と結果が逆になっていたのです。

これが単なる大量消費の結果ではなくれっきとしたコレクションであったと言い切れるのは、先にも書いたようについ最近まで手元にあったからです。必要なもの以外持っていかないはずの引っ越し先にまで大量のタバスコの瓶を持っていくというのは、さすがに常軌を逸しています。蒐集家の心理とその闇がいかにして醸成されていくのかを示した、愛らしくも端的な例であると申せましょう。


A. タバスコの瓶です。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その385につづく! 


2022年12月2日金曜日

「アグロー案内」を公共の電波に乗せてよいのか問題

うまく描けた

お話しできることと言ったらあとはもう今月に控えたライブくらいしかないし、ひとまず通常運行でパンドラ的質問箱に戻るか…と先週と寸分違わぬことを考えていましたが、そういえばひとつお知らせできることがありました。

来週5日(月)の夜は、御大タケウチカズタケとTBSラジオ「アフター6ジャンクション」のコーナー「LIVE & DIRECT」にお邪魔して、「アグロー案内」のライブバージョンをひと足お先にお届けします。


すでに「アグロー案内」を楽しんでくれているごく少数のみなさまには、まず確実に朗報であるとあえて申しましょう。

たとえば「間奏者たち/interluders」です。これはもともとリーディングの音声が先にあり、そこにトラックを当てたのち、さらに音声の配置を調整するという、通常とは真逆の工程で作られた曲なので、トラックに合わせてリーディングをするのはラジオで披露するこれが初めての機会ということになります。

また「アグロー案内」を象徴するあの作品も無茶なエディットが施されていたり、VOL.4に収録予定であるあの曲の別バージョンがあったりと、ライブであること以上に聴きどころの多いセットになっているはずです。何なら録音しておくべきなんじゃないかとおもう。

とはいえ実際のところ、てっきり歌や音楽が流れてくるとばかり思っているところに、歌どころかかつて聴いたことのない何かが流れてくるわけだから、その異物感は想像に難くありません。果たして本当にこれを公共の電波で不特定多数に聴かせてしまってよいのか、罪になるとしたら何罪になるんだという疑念と不安が募ります。うっかり耳にしてしまったリスナーのみなさんが健康を害さないことを心から祈るばかりです。

もし物議を醸すようなことになったら、ダイゴくんはわるくない!と擁護してあげてください。

2022年11月25日金曜日

数年ぶりのライブイベント「アグローと夜」完売のお知らせ


お話しできることと言ったらあとはもう来月に控えたライブくらいしかないし、つい数時間前までひとまず通常運行でパンドラ的質問箱に戻るか…と思っていたら、このタイミングで「アグローと夜」が完売と相成りました……。まじか……。正直、当日を迎える前にぜんぶ捌けてしまうとは思いもよりませなんだ…。まだ3週間あるのに…。ありがとうありがとうありがとう!わ〜!

しかし一方で…何しろ平日、それも火曜なので、当日までに都合がついたら…という人もひょっとしたら3人くらいはいたかもしれない…とおもうといたたまれないものがあります…。いないかもしれないけど、もしいたら本当に本当に申し訳ない…。完売ということはつまり、当日券はない、ということになります…。

タケウチカズタケはともかく、僕にそれほどの需要があるわけではありません。もし日ごろから1ヶ月に1度くらいライブをしていて、その都度2人くらいお客さんがいたとしたら、その数年分がいっぺんに来てくれる計算です。したがってもう一度この人数を集めるにはまた数年かかります。僕が気にしているのは、もし仮に1人か2人、予約しそびれてしまったとしたらもう数年、お待たせすることになるかもしれないからです。

でも、ひょっとしたらちょうどこれでぜんぶかもしれない。きっとそうだし、そうに違いない。だとすればこれが今生における最後の機会のつもりで目いっぱいやるほかありません。

本当に本当にいつもありがとう。ライブについてはもう話そうにも話しようがないし、じゃあ他にと言ってお知らせできることも特にないので、来週からはたぶん、パンドラ的質問箱に戻ります。

がんばろう……!


2022年11月18日金曜日

「アグロー案内」の奥行きが変わる細部について、その2


とまあそんなわけで先週はものすごく久しぶりに「バニーズへようこそ!」に触れたわけですけれども、そういえばこのときふと「バニーズ」のテキストファイルを読み返してひとつ小さなことを思い出しました。

完成したブックレットはこうです。



でも直前のデータではこうなっています。



自分でもすっかり忘れていたけれど、最初のテキストは日本語表記で、ここに「バニーズ」とルビを振る予定だったのです。

最終的にこれを採用しなかった理由はぜんぜん覚えていません。たぶんこれだと昭和の喫茶店とかスナックみたいな印象が強くなるからで、それはそれでわるくないけど自分ではもうちょいこう、廃れたダイナーのイメージだったからじゃないかな…とおもうけど、何しろ覚えていないのでわからない。いずれにせよブックレットも自分でこつこつ作っていたので、聴く分には何の影響もない言葉の表記にまで心を砕いていたという、格好の例ですね。


聴く分には何の影響もない言葉のことで言うと、アグロー案内 VOL.3に収録された「名探偵、走る/jump the gun」にもそんな裏話があります。しかもこの曲の場合は、できた曲に付与した言葉が再度曲へとフィードバックされる、ちょっと珍しいケースでした。

お聴きのとおり、この曲からなんとなくわかるのは何か事件らしきものが発生し、山本和男が自転車(たぶんママチャリ)にまたがって捜査を開始する、という状況です。まず僕が「追跡」とか「行動開始」みたいなテーマを挙げ、それを受けてタケウチカズタケが曲をつくり、要望のあったセリフを僕が吹きこんでいます。

タイトルをつけたのはその後です。

英題の「jump the gun」とはピストルが鳴る前に飛び出すこと、つまりフライングとか早まるとか勇み足、という意味ですが、このタイトル、1フレーズによって全体の印象が反転します。なんとなれば「事件の始まり」を描いているように見えて、実は何も始まっていないかもしれないことになるからです。空騒ぎと言ってもよろしい。

名探偵と銘打たれながらどのへんが名探偵なのかいまいちよくわからない山本和男にとって、これほどしっくりくるタイトルもありません。めちゃめちゃクールで颯爽と駆け出すイメージだけがそこにあるなら、なおさらです。言葉の印象と意味の落差がすごくいい。

となるとこれは曲中にもフレーズとしてぶちこむべきではないのか…

ということでどんな形でもいいからぜひ入れてほしい…!とお願いした結果、完成したのがこれです。jump the gunという成句が、この曲にとっての画竜点睛だったわけですね。

こう書くとまるでじぶんが作ったみたいな気がしてくるけど、もちろんぜんぜん違います。作ったのはタケウチカズタケです!僕は曲中で「加藤くん…」とか言ってるだけの人です。いつもすみません。

2022年11月11日金曜日

「アグロー案内」の奥行きが変わる細部について少し


さて全世界、正確には関東甲信越を中心に100万(人中3)人くらいいると言われる熱狂的なフォロワーにとってはよく知られた事実ですが、KBDGの描く世界はそれぞれ完全に独立した別の作品でありながら、あっちに出てきたアレがこっちにも出てくるみたいなことがよくあります。具体的に例を挙げるなら「角の店で見たカッコいい靴」なんかもそのひとつです。これは「手漕ぎボート/helmsman says」「象を一撃で倒す文章の書き方/giant leap method」「ダイヤモンド鉱/hot water pressure washer」の3作に出てきます。ライブでしか話したことなかったかもだけどこれが「カッコいい靴三部作」です。

そしてこのアプローチはアグローという未知の土地を舞台にしているはずの「アグロー案内」にも、しれっと引き継がれています。何となればアグローもまた、MARVELで言うところのマルチバースの一部だからです。だいたい当事者のひとりが僕なのでそれは仕方がありません。

アグロー案内における新たなモチーフは「ラストノート/quod erat demonstrandum」に登場する「遠吠えの途中でむせて咳きこむ犬」です。これは「間奏者たち/interluders」に出てきた「大昔に絶滅した野良犬」のことであり、この犬によって導かれるその先にアグローはあります。

過去作からの連続性で言うと、わかりやすいのは「ラストノート/quod erat demonstrandum」に出てくる「国道15と7/10号線」です。これはアルバム「小数点花手鑑」に収録された「バニーズへようこそ!/storm in a coffee cup」でバニーズの所在地を説明する際に出てきます。

「ラストノート/quod erat demonstrandum」ではコーヒーを飲みながらノートを広げて四苦八苦する様子を描いていますが、この語り手がどこにいるかと言ったら、バニーズです。したがって、これは「バニーズへようこそ!」の続編ということになります。もっと言うとバニーズを思い浮かべながら書いた短い詩をインスタグラムに載せてあるので、今のところこれも三部作です。われながらどうでもいいことこの上ない。

今ひとつピンとこない例では「足元で喉を鳴らす招かれざる客人」もあります。足元にいるとすれば客人と言えどそれは人ではなく、喉を鳴らす生き物と言ったらそれはネコ科しかなく、KBDG作品における猫と言ったら一匹しかいません。重箱の隅をつつくように掘り返さないとわからない言い回しになっていますが、わからなくても一向に支障はないし、と言って僕が言わなかったら誰も気づかないと思うので、遺言のひとつとしてここに記しておく次第です。いろいろすみません。
 
つくづく野暮なことだとわれながらおもうけど、奥行きが少しでも違って見えたらいいな。

2022年11月4日金曜日

ラストノート/Quod Erat Demonstrandum


とにかく書き残しておけと教わった
その一切合切が日々の証明になる
見たこと、聞いたこと、かいだこと、ふれたこと
考えたことと考えなかったこと
あんたは誰だと訊かれたらそれを見せる
提出を求められたら速やかに手渡す

例えば警官が二人目の前に立ちはだかって
「ちょっといいかな」とやさしく声をかけてくる
それからいかにも任務に忠実って顔と声で
「そのポケットは?」とか「あんたは誰だ」とか訊く 
油断するな、用心しろ、不意打ちにそなえろ
それはナイフみたいな一言で下手をすると斬られる
「あんたは誰だ?」

そのへんに転がってる缶詰でさえ
それが何なのかぜんぶ丁寧に書いてある
原材料、内容量、賞味期限、保存方法、
100gあたりの栄養と使用上の注意
何者だと訊かれたら缶詰はそれを見せる
警官は脱帽して礼儀正しく去るだろう

見たこと、聞いたこと、かいだこと、ふれたこと
考えたことと考えなかったこと
余すところなく書くのは思うよりも難しい
書いては消し気がつくと白紙に立ち戻る
記した文字列がむしろ何者でもないことを
示してたらどうなる?(Q.E.D.)

また取り出すノートの上をすべる鉛筆の音
省みる昨日と今日、明日もYES or NOと
置かれた珈琲が飛び散って半分に減ろうと
まだあると受け止めて飲むその道の玄人
足元で喉を鳴らす招かれざる客人が言う
袋小路の突き当たりもまたオンザロード

ひらめくサイレンが国道15と7/10号線を走る
細く消え残る
不意の雨が降り注いで冷ますまだ熱いアスファルトから
立ちのぼる湯気は白く
遠吠えの途中で咽せて咳きこんだ犬の
これ以上はどうしようもないとでも言いたげな歌を
風がぶつくさと運んでくる

Now it's been said, a grown man ain't supposed to cry
(男は泣いたりしないって言うよな)
So why, are there tears inside my eyes?
(だとしたら何でおれは涙ぐんでるんだ?)
I wake up in the morning, get some new problem
(朝起きたらまた厄介なことが増えてる)
I just can't solve 'em
(無理)

流れるはずの日々が岩陰に淀む
そこにジェットストリームを持ったオフィーリアが浮いてる
欠けてなお美しい三日月を眺めながら
あれは問いだろうか?
それとも答えだろうか?
よせばいいのに懲りない犬がまた
たよりない遠吠えの途中でむせて咳き込む

書いては消し気がつくと白紙に立ち戻る
行き詰まったら放り出してジョン・ウィックを観てる
なんならエンドロールのどこかには自分の名前も
ありそうな気がして探してる
油断するな、用心しろ、不意打ちにそなえろ
それはナイフみたいな一言で下手をすると斬られる
「あんたは誰だ?」

また取り出すノートの上をすべる鉛筆の音
省みる昨日と今日、明日もYES or NOと
置かれた珈琲が飛び散って半分に減ろうと
まだあると受け止めて飲むその道の玄人
足元で喉を鳴らす招かれざる客人が言う
“Quod Erat Demonstrandum.”


2022年10月28日金曜日

アグローと夜(AGLOE AND NIGHT)のお知らせ


さて、彼の地アグローでは早くも話題沸騰な気がしないでもないという、アグロー案内 VOL.3があと数時間で配信となります。

今後もまた折を見つけてはぽろぽろと更新されていくはずですけれども、まずは出る出る詐欺になることもなく無事にVOL.3までお届けできたことを祝して、ライブを催すことになりました。2人でひとつのプロジェクトなので、実質ワンマンです。


アグローと夜…
AGLOE AND NIGHT…
アグロー・アンド・ナイト…
アグロー・アン・ナイ…
アグローあんない…


平日ど真ん中で心苦しいかぎりですが、これは「やる?」という話になったのが本当についこないだのことであり、どう考えても今からでは12月の週末などどこも空いていないためです。ホントにすみません。もし誰も人が集まらなかったらふたりで忘年会をして帰ります。

場所は3年前のSoloSoloSoloTourでもお世話になった、元住吉のPOWERS2です。そして確か、僕が最後にライブをしたのも3年前のこのツアーだったんじゃないかとおもう。厳密にはアフター6ジャンクション@TBSラジオでの遠隔スタジオライブが最後だった気もするけど、それだって2年前の話です。僕がミュージシャンを標榜しない所以がこんなところにもよく表れています。

しかしそんな僕とは正反対に、今も第一線で活躍しない日はない生粋の弩級ミュージシャンである御大タケウチカズタケと共同でこのプロジェクトを始めてしまった以上、こんな日が来ることは容易に予測できたし、覚悟していたし、実際やると決まったらやるしかありません。何より、音源だけでは5割も伝えられないタケウチカズタケの狂った演奏っぷりをなるべく多くの人に堪能してもらいたい。そして普段は話し上手でめちゃめちゃおもしろいのにライブのMCになるとそうでもない彼の本領をこの機会にずるっと引き出して知らしめたい。僕としてはそんな思いで立ち向かうライブです。あといつものことではあるけど僕自身、次のライブが本当にいつになるかわかったもんじゃないので(何しろ最後が3年前です)、もし少しでも興味があって無理のない範囲であればぜひ足をお運びいただきたいと心から願う次第です。

それからこれは以前のツアー時にも言ったような、もしくは全然言ってない気もするけど、POWERS2はごはんがめちゃめちゃ美味いです。ここに来たら誰でも、否でも応でも何か食わねばならないし、食わなくては何も始まらないくらいなので、どうかどうか、そのつもりでいらしてください。

12月13日(火)の18:00オープンです。ライブ開始までたっぷりあるのでまずは美味しいごはんを食べよう!


タケウチカズタケ+小林大吾〜「アグローと夜(AGLOE AND NIGHT)」
2022/12/13(火)@元住吉POWERS2
OPEN 18:00/START 19:30 
ADV¥3000/DOOR¥3500 
※1ドリンク+1フードのオーダーをお願いします。

■LIVE
Key.及びtalk:タケウチカズタケ
Reading及びtalk:小林大吾

2022年、突然リリースされ始めた共同名義の新プロジェクト「アグロー案内」
既に3作品が世に放たれたとあって、2人のライブ&トークで、その真意が解き明かされる、かもしれない。
途中休憩を挟み、45分目処のステージ×2回、で開催する予定です。
素敵なお食事を楽しみながら、のんびりした気分で御参加下さい。

■TICKET&INFO
下記予約フォームから御予約可能(前売のご予約は前日の23時迄となります)
注)24時間以内に返信メールが届かない場合はお電話にて確認お願い致します。

〒211-0021
川崎市中原区 木月住吉町21-5
東急東横線元住吉駅より徒歩約8分
元住吉POWERS2
TEL 044-455-0007 

※席は御来場順となります。
※ライブチャージのカード決済には対応しておりません。
※お車でお越しの際は近隣のコインパーキングを御利用下さい。
営業時間 11:30-14:00/18:00-24:00

2022年10月21日金曜日

謎めく探偵についての補足をほんの少し

ヒモ解かれる

配信日とトラックリストを同時に公開してしまったので、あとはもうこれと言ってとくにお話しすることがない配信1週間前ですが、せっかくなので収録曲についてすこし言及しておきましょう。取り上げたいのは3曲目の「名探偵、走る/jump the gun」です。


実際に聴いてもらってから伝えたいこともあるのでそれはまだ控えておきますが、ここで言う「名探偵」とはもちろん、アグロー案内 VOL.2に登場した山本和男のことです。

山本和男については以前もすこし触れましたが、アグロー案内 VOL.1の制作時には全然、まったく、微塵も想定していませんでした。それもこれもすべて、僕がアグロー案内のために思いつきで適当にこしらえた告知画像、そしてそれを思いのほか喜んでくれたカズタケさんに勢いで「山本和男をモチーフにしたサントラみたいな曲があってもよくないですか?」と畳み掛けた僕の無責任な提案から始まっています。


そこに全力で乗っかってくれたカズタケさんの超絶スキルによってぽろりと生まれてしまったのがつまり、VOL.2収録の「名探偵山本和男 THE MOVIE(予告編)/the yamamoto kazuo movie (official teaser)」だったわけですね。

これがリリース前から全宇宙で大好評だったため、これはもうシリーズ化不可避ということで、急遽VOL.3にも1篇ねじ込んでもらった次第です。

そうなると実際にこうした映画が存在する体で進めるほかありません。満を持しての映画化みたいなことになっている以上、それに先んじてドラマなり何なりが存在している必要があります。またそれは当然、国民的支持を得ていなければならないはずだし、大人気であるならばテーマ曲もまた多くの人が口ずさんでいるはずです。

だとすれば劇中に挿入されるお馴染みのBGMもあるだろうし、名探偵である以上は事件が起きないわけはない、とまあそんな流れで今回は「行動開始」もしくは「追跡」がテーマになっています。


ところが無事めちゃめちゃカッコいい曲も仕上がり、あとはリリースを待つばかりとなったある日、山本和男について書かれた歴史的にも貴重な資料が唐突に発掘されたのです。え、何これ初めて見たんだけど…。


2008年とあるから、14年前です。すでにこの時点で「THE MOVIE」「走る」もはっきりと記されています。

この広告が発掘されるまで、僕はその存在をまったく知りませんでした。慌てて作者であるタケウチカズタケに確認したところ、描いた記憶もないと言います。何から何までここに予言されていたばかりか、なぜか作者の欄に小学校当時のクラスまで明記されているなんて、そんな不可解なことがあり得るものだろうか?


山本和男の人となりとその名探偵ぶりは、曲中にねじ込まれるセリフ(CV:小林大吾)によっても追々明らかになっていくでしょう。これまでに彼が一体どれほど多くの難事件を解決してきたのか、というかそもそも本当に事件は起きていたのか、何だかわからないなりに想像を膨らませながら、非実在コンテンツの超絶クールなBGMとして楽しんでもらえればとおもいます。

山本和男に関係すると思われる謎の怪人

そんなアグロー案内 VOL.3の配信開始はいよいよ来週末、10月29日(土)の0時です。

と同時に、もし間に合えばもうひとつ、これまたかれこれ数年ぶりのささやかなお知らせをします。する予定です。できたらいいな。

2022年10月14日金曜日

そして来る「アグロー案内 VOL.3」のこと

いつものように30行くらい書き連ねていた前置きを一刀両断で全削除して単刀直入に申しあげましょう。全宇宙が待ちあぐねた、仮にそうでなくとも僕という宇宙における全細胞37兆は確実に待ちあぐねたアグロー案内 VOL.3が、いよいよ今月末に配信です。


配信開始は10月29日(土)の午前0時です。

小分けにするほどのものでなし、ついでにトラックリストも置いておきましょう。


アグロー案内 VOL.3だと言っているのに、なぜかトラックリストに「アグロー案内 VOL.1」がしれっと紛れ込んでいます。ふつうは音楽作品でこんなフラクタル構造は発生しません。それもこれも小まめな配信リリースだからこそ、そして何よりアグロー案内 VOL.1があんなんであったればこそ、成せる技です。

VOL.2に収録されていた「間奏者たち/interluders」は、新作とはいえ元々ライブで披露したこともあったので、ご記憶の方も数人おられたと思いますが、今回の1曲目「ラストノート/quod erat demonstrandum」は100%このプロジェクトのために書き下ろしたものです。したがって「化野/ADASHINO of the dead」以来およそ2年半ぶり、シリーズ3作目にしてやっとこさ新作のお披露目となります。

これまでの世界観の延長線上にありつつ、一方では原点に回帰するような印象もある、そんな一編です。


そしてこれも一度ツイートしましたが、VOL.1のリリース前にこしらえた数ヶ月前の広告を、ここで再び思い出してください。この時点ですでにVOL.3の収録曲に関係する文言がねじ込まれています。


ちなみにプロジェクトの主体である肝心のタケウチカズタケはいまだにどれかわからないそうです。なんでよ!

とまあお話できそうなことはだいたい全部してしまったので、これから配信までの2週間をいったいどう過ごしたらよいのか、基本的にいつでも慢性的に告知が不足している僕には皆目見当がつきませんが、ともあれ今月、29日の配信を刮目してお待ちあそばせ。

2022年10月7日金曜日

間奏者たち/interluders


1

細い煙が白くたなびいている
その煙の行く先を見つめている
煙はちいさなドラマをいくつもからめて
せせらぎのように静かに流れる
ちいさなドラマにはちいさなブリッジと
ちいさなフックとちいさなコーラスがあった
おひらきになればそれもこれもぜんぶ
たなびく煙がどこかへ連れていく

ちいさなドラマはサーカスの一団にも似て
かなしみをすこしだけうすめてくれる
うすめたかなしみはかすかに甘くて
いつもどこかなつかしい味がする
もっとうすめたらたぶん水になるだろう
かなしみの欠片もない水はただの水で
コップに溜めた雨のほうがずっといい
酸性雨で喉の奥を灼かれたとしても

ここは通過点で
すべてが通り過ぎる
すべてが通過点で
つなぐと世界になる
世界にハッピーエンドが来ることはないが
そのかわり通過点にはときどき訪れる
ドラマとドラマの幕間にあって
ブリッジもフックもコーラスもない
in·​ter·​lude [ˈɪn.tə.luːd]と辞書には書いてある
誰もが幕間interludeに暮らしている

2

きけば眠れるようになると言って
やってきた医者がラジオを置いていった
言葉は毒にも薬にもなる
違いは効き目が長いか短いかだけで
すくなくともそれが必要なときには
眠りほど大事なものなどありはしない
ラジオからは大量の薬が流れてきた
過剰摂取overdoseで安らかに眠った

ここは通過点で
すべてが通り過ぎる
すべてが通過点で
つなぐと世界になる
世界にハッピーエンドが来ることはないが
そのかわり通過点にはときどき訪れる
ドラマとドラマの幕間にあって
ブリッジもフックもコーラスもない
in·​ter·​lude [ˈɪn.tə.luːd]と辞書には書いてある
誰もが幕間interludeに暮らしている

3

今このときが永遠になればいいのにと
やけに回り道をして帰る夜もある
そういう夜には孤独もほだされる
なんならまたあとで会おうと言って立ち去りもする
見ろ、入り組んだ路地が迷宮に変わる
誰もついてきてはならぬと厳かに命じて
大昔に絶滅した野良犬のあとを
帰還した王みたいな顔でついていく

ここは通過点で
すべてが通り過ぎる
すべてが通過点で
つなぐと世界になる
世界にハッピーエンドが来ることはないが
そのかわり通過点にはときどき訪れる
ドラマとドラマの幕間にあって
ブリッジもフックもコーラスもない
in·​ter·​lude [ˈɪn.tə.luːd]と辞書には書いてある
誰もが幕間interludeに暮らしている


2022年9月30日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その383


とある科学の正露丸さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 私にはかれこれ10年以上の付き合いになる友達がいます。彼女は待ち合わせの時間を一度も守ったことがありません。私はもう慣れてしまって彼女を待つのは全く苦ではないのですが、1度でいいので彼女が時間どおりに待ち合わせ場所にくるのを見てみたいです。何かいい方法はありますか?


わかります。僕も昔からわりと時間にぴったり派です。

一方、常に遅刻する人というのは僕らが時間にきっちり合わせて来るのと同じくらい、きっちり遅れてきます。こちらからすると、たとえば毎回遅れてしまうなら、そのぶん早く行動すれば常にオンタイムになるじゃないか、と思うのだけれど、なぜかそうはなりません。ふしぎですね。

ただ僕自身は積年の経験から、時間を守る、もしくは守らないという認識をすこし改めるようになりました。具体的に言うと、僕らは決められた時間を守るべく意識的に行動しているつもりでいるけれど、じつは単に「時間を合わせることが苦にならない」だけなのではないのか、ということです。すくなくとも日ごろからそれほどの労なく時間を合わせることのできる僕らは、それをストレスに感じることはほとんどありません。

しかし時間を合わせることが苦手な人にとっては違います。自覚があろうとなかろうと、その必要があるたびにストレスが生じているはずです。

たとえば始業時間までにタイムカードを押す必要がある場合、彼らが毎日きっちり判を押したように遅刻するかと言ったら、意外とそうはなりません。そうはならないからこそ、じゃあ何で仕事以外ではいつも遅れてくるんだという話になるわけだけれど、そこはそれ、要は時間を合わせることが苦ではない人が普段まったく費やす必要のない労力を、毎朝せっせと費やしているだけのことなのです。

遅刻してもいいじゃないか、と擁護したいわけではありません。お互い同意の上で時間を決めているわけだから、僕としてもできればオンタイムであってほしい。ただここでは、「苦もなくできることをできて当たり前だと思いこみすぎてはいないか」と立ち止まってみたいのです。

もちろん僕らにとっては、待たされることがストレスになります。しかし相手が誰であろうと時間を決めるたびに無意識下でストレスが蓄積されることに比べたら、ぶっちゃけ大したことではありません。何となれば、すべての人が時間に遅れてくるわけでは全然ないからです。


とはいえ、もし本当に一度でいいというのであれば、考えられる方法がひとつあります。いくつかの手順を踏む必要はありますが、うまくいけば以前よりも友情が深まるはずです。

まず、約束の3日くらい前までに悪い王様を1人用意しましょう。適役なのは「走れメロス」で知られるディオニスですが、悪ければ誰でもかまいません。とにかく悪い王なので、暗殺する必要があります。その暗殺の役目を、友人に負わせましょう。慣れていないので、暗殺は失敗します。言うまでもなく、結果は死刑です。

しかし友人には妹がいて、彼女は結婚を控えています。もし妹がいなかったら妹になりそうな人を用意しましょう。結婚式を執り行うために、処刑を3日後まで猶予してもらう必要があります。そこでとある科学の正露丸さんの出番です。

気の毒な友人のために、結婚式を終えて帰ってくるまでの身代わりを申し出ましょう。磔になって友人の帰りを待ちます。その期限こそがたとえば映画を観に行こうと約束した日であり、約束の時間です。

おそらく友人はぶじ結婚式を終えた帰途、待ち合わせ場所にたどり着くまで散々な目に遭います。向こう岸へ渡るための橋が流されていたり山賊に襲われたりして、なんなら一瞬はあきらめもするでしょう。しかしやはり気を取り直し、最後まで駆け抜け、あわや処刑というまさにその瞬間、ボロ雑巾のような姿で待ち合わせ場所に現れます。時計を見ればぴったり約束の時間どおりです。とある科学の正露丸さんは解放され、悪い王様は改心し、処刑そのものがなくなります。絆も深まること請け合いだし、これ以上ない大団円です。あとは気兼ねなく王様と3人で約束の映画を観に行けばよろしい。

幸運を祈ります。よかったら僕も山賊役で呼んでください。


A. 友人をうまいことメロスに仕立て上げることです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その384につづく! 

2022年9月23日金曜日

「間奏者たち/interluders」の制作における、通常ではあり得ない工程のこと


僕のスタイルは昔から今に至るまで一貫して、一定量の言葉をビートに乗せて朗読する、というものですけれども、朗読にムードとしてのBGMを添えるのとは違って、かなり厳密に言葉の位置が決まっています。方法論としては単なる朗読よりもやっぱりラップに近くて、リズムのほうに言葉を寄せていくイメージです。

その事実と想定外の形で向き合うことになった、おそらく最初で最後の一編が、アグロー案内 VOL.2に収録された「間奏者たち/interluders」でした。

この一編はもともと、タケウチカズタケ、椎名純平、そしてなぜか小林大吾という風変わりな組み合わせで巡った僕にとっては尊いこと極まりないツアー ”SoloSoloSoloTOUR 2019” のために書き下ろしたものです。完全に忘れていたけれど、ブログを遡ったらそう書いてあったので間違いありません。

僕が覚えているのはこれを音源にするつもりが毛頭なかったこと、その代わりにライブを重ねるごとに言葉を少しずつ入れ替えていく、何なら時間をかけて育てるような心算であったことくらいです。ライブなんかしないくせによくもまあ抜け抜けとそんな厚かましいことを考えたものだと僕もおもいます。

音源にするつもりがなかったのは、そもそもそういう積極性に欠けるところがある性分のせいでもあるけれど、最大の理由はトラックがレコードからサンプリングした大好きなフレーズを単純にただループしただけのものだったからです。”Rapper’s Delight”の時代じゃあるまいし、そんなものを今オリジナル作品として公にリリースするわけにはいきません。



それはまあそれとして僕の手元には、サンプリングをループしただけのそのトラックに、タイトルもまだ決まっていない詩のリーディングを乗せて録音したものがありました。つまりこの録音を元に、同じBPMで、カズタケさんが新たなトラックに作り換えてくれたわけですね。

完成した至高のトラックにはもちろん、先に僕が録音したリーディングが乗っていました。しかしそこに思わぬ落とし穴があったのです。

サンプリングをループしただけのトラックは、その元が生演奏であり、さらにそれを落とし込んだメディアがレコードであるという2つの特性上、BPMが厳密には一定になり得ません。サンプリングしたひとつのフレーズにおけるリズムの揺らぎが微小で感知できなくても、ループを繰り返せば繰り返すほど正しいBPMとのズレが大きくなっていきます。

要はサンプリングから抽出したBPMでトラックを作ったにもかかわらず、そのトラックとリーディングがきちんと合致していなかったのです。

言い換えるなら、基準となるBPMが同一であるにもかかわらず、もしこのトラックに合わせてリーディングをするとしたらこの言葉はこの位置に来ないという奇妙な状況が発生してしまったわけですね。

言うまでもなくこれは、新たなトラックに合わせてリーディングを新規に録り直せばそれで済む話です。 

しかしそれ以上に、「このリーディングをちょきちょき編集して、じぶんが思う正しい位置に置き直したらどうなるだろう」という、本来ならまず生じ得ない工程への好奇心がむくむくと頭をもたげました。

最低限不可欠な部分はかっちり合わせるので全体としては当然、違和感なく収まります。とはいえ1音ずつ配置するわけにはいかないのでそれ以外の数秒における揺らぎは保持されたままになる……裏を返せばそれは真っ当にリーディングをしたら決してそうはならない形に着地するということであり、自らの意志で再現することはできない仕上がりになるのです。

(ちょきちょき)
(ペタッ)
(ちょきちょき)
(ペタッ)

そうして自ら音声の編集をし、それをカズタケさんに再度パスして完成したのが、件の「間奏者たち/interluders」です。いま述べたような理由によって、もはやライブで忠実に再現することはできない小さな揺らぎが、ここにはそのままパッケージされています。

かれこれ20年以上、音楽家として第一線で活躍してきたタケウチカズタケでさえ経験したことのない(!)、稀有な道筋で完成に至った作品です。

一聴して特に違和感のないリーディングの一体どこがどう再現不能なのか、気が向いたら詮索してみてください。

2022年9月16日金曜日

「間奏者たち/interluders」について語るはずがフィル・コリンズに終始する話


もういいかげん書けそうなことが何もないので、かくなる上は腹掻っ捌いて浮世におさらばを…と白装束に正座で短刀を腹に翳したちょうどその折、カズタケさんが「間奏者たち/interluders」のことをブログに書いてくれたので、僕からもすこし補足をいたしましょう。切腹せずに済んでよかった。


「大吾と2人でしか出来ない、2人で作るソウルミュージックをやろう」とカズタケさんのブログにはあって、それは実際そのとおりです。ただ、そこで引き合いに出されたフィル・コリンズ(Phil Collins)はわりとストレートなポップ・ミュージシャンで、ソウル、R&B、ヒップホップと言ったブラックミュージック界隈のアーティストでは全然ありません

元々はジェネシスというこれまた超有名なロックバンドに途中で加入したドラマーだったのに気づいたらバンドのキーマンになり、並行してソロとしても活動し、シンガーソングライターとしてスターダムにのし上がっていくその過程で80年代を象徴するようなサウンドを生み出したとまで言われる、今となっては伝説的なアーティストの一人です。背景をろくすっぽ知らずに聴いていた子どものころ、エリック・クラプトンの後ろでフィル・コリンズがドラムを叩いているライブ映像を見たときは頭が混乱したものでした。

ちょっとややこしいけど、要は80年代の洋楽を語る上で絶対に欠かすことのできないスーパースターのひとり、ということです。

リアルタイムで聴いてたアルバム

ではなぜ「ソウル・ミュージックをつくろう」から偉大なポップ・スターであるフィル・コリンズが連想されるのかというと、彼の幼少期から愛してやまない最も馴染みのある音楽がソウル・ミュージックだったからです。僕はその事実に、いろいろあって彼が第一線から退き、もう二度とアルバムを作ることはないだろうと思われていた2010年に突如リリースされた、古き良きソウルのカバーアルバム("Going Back")でやっと気づきました。え!?あ、そうか、言われてみればあれも、そうだあれも、うわああ考えたこともなかった…!と30代も半ばになってひっくり返るんだから、われながら遅い。

このリリース自体も本当に驚きだったけど、それ以上に僕も大大大大大好きなマーサ・アンド・ザ・ヴァンデラス(Martha & the Vandellas)の大名曲 "Heatwave" のカバーがMVで公開されたときはちょっと信じられなくてじぶんの目と耳を疑ったし、息が止まるほどうれしくて涙が止まらなくなったことを覚えています。ここに至るまでの道のりとか、ファットなヴィンテージサウンドからひしひしと伝わる偏愛とか、そもそもこの曲がエモすぎるとか、とにかくいろんな感情がないまぜになって、いま観ても滂沱の涙を流してしまう。


カズタケさんのブログにもあったように、僕がフィル・コリンズを聴くようになったのは母親の影響で、今みたいにブラックミュージック一辺倒になるずっとずっと前です。あの頃はラップと言えばヴァニラ・アイスの "Ice Ice Baby"を思い浮かべるくらい、ヒップホップとも縁がなかった。

フィル・コリンズのソロキャリア初期におけるヒットのひとつ "You Can't Hurry Love(恋はあせらず)"シュープリームスのカバーとは知らずに聴いていたし、何ならだいぶ長いこと彼のオリジナルと勘違いしていたくらいです。(実際今でもこっちに反応してしまう…)


それから僕が彼のヒット曲で特に好きなのをいくつか挙げろと言われたら絶対にピックアップする "Two Hearts" も、今にしてみたら完全にモータウン愛丸出しの曲なんですよね。映画の主題歌だったからスタジオアルバムには収録されていなくて、そのためだけにサントラを探して買ったものです。


つまり僕にとっては、子どものころから大人になるまでいろいろな音楽に触れてきた長い遍歴の果てに、ソウル・ミュージックという安住の地にたどり着いたら、そこにまさかのフィル・コリンズがいた、ということなのです。え!?なんでここにいるの!?みたいな驚きですね。アース・ウィンド&ファイア(EWF)のフィリップ・ベイリーとのデュオ曲 "Easy Lover" もある意味では自然な組み合わせだったと今ならすごくよくわかる。


したがって、ソウル・ミュージックを作るのにフィル・コリンズをモチーフにするというアイデアは、おそらくカズタケさんが思うよりもはるかに深く、僕のアイデンティティに通じることだったと申せましょう。

とはいえ、そんな僕のバックグラウンドを知って「おれはフィル・コリンズと言ったらこれかなあ」とじぶんの引き出しから "One More Night" を取り出してくるのも、それはそれでちょっとしたことだと思うんですよね…。知り合ってもうだいぶ経っていた10年前ですらそういう話はほとんどしてなかった気がするから、今になってしみじみと縁を感じます。


そういう意味で「間奏者たち/interluders」は、長い年月をかけてゆっくりと発酵したこの関係性があったからこそ生まれた作品である、と言えるかもしれません。



本当はこの流れで、もともとあったオリジナルバージョンのために普通ならまずないような、音楽としてはちょっと変わった工程があった話をするつもりだったんだけど、もうフィル・コリンズでお腹いっぱいなので次回にいたしましょう。

どれくらいの人が興味を持ってくれるのか、ちょっとわからないですけど。
 

2022年9月9日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その382


アグロー案内 VOL.2の配信からぶじ2週間がすぎ、ふと、そういえば小数点花手鑑のリリース直後はどんなだったかなあとブログを遡ってみたら、CDショップ行脚であちこちに大きなPOPが設置されてたとか、ラジオでインストアライブに臨んだとか、インストアライブでフロアが埋まってえらいことになったとか、サイン会(!)をしましたとかまるでいっぱしのミュージシャンのようでひっくり返りました。

そうだったっけ……?

しかしまあ、今となっては特にそんなこともなく、これ以上お話しできそうなことも思い当たらないし、と困り果てていたところにちょうどタイミング良く質問をいただいたので、またいつもの調子に戻りましょう。アグロー案内 VOL.3も今年中にはやってくるはずなので気長にお待ちあそばせ!


ドリームズ・パス・スルーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 最近たまに見る表現で「あらためて驚嘆」という表現がありますが、この言葉が使われるであろう場面が想像できず、すごく居心地が悪いです。もし「あらためて驚嘆」を使うとすればどのような場面で使いますか?


かれこれふた月ぶりの質問箱としては、なかなか向き合い甲斐のある質問です。実際に目にしているのだからそもそも絵に描いたような例文がそこにあるわけだし、それも複数回見ている以上もはや疑問の余地などなさそうに思われるところをあえて真剣に考えてみる、これこそパンドラ的質問箱のレゾンデートルであり、面目躍如と申せましょう。

僕自身はまったく見かけた記憶がなかったのでググってみたところ、たしかにギョッとするほどの検索結果が表示されたことから、今ではある種の定型、慣用句として定着しつつあるのかもしれません。半世紀くらい前にはほとんど誰も使っていなかったかもしれないことを考えると、ちょっとワクワクさせられるものがあります。誰かが最初に用いて、使い勝手の良さから広まっていったのなら、日本における言語的ミームのひとつと言ってよさそうです。

とはいえ個人的にはそれほどの不思議はありません。おもうにこれがミームとして広まるのは、「やっぱりすごい」よりも「知っているはずなのに驚いてしまう」のほうが対象への賛辞として上位に感じられるからです。料理において本来これだけで事足りる賛辞であったはずの「うまい」「おいしい」があまりに使い古されてピンと来なくなった結果、さらに上位の表現として「箸が止まらない」とか「無限に食べられる」が生み出されたのと似たようなことですね。

となるとこれは結局のところ「すごい」とか「やばい」をそれっぽく言い換えたにすぎません。多くの人が共有しているような事柄であれば、何にでも適用できます。最終的には「だよね」とか「わかる」に着地すればいいわけだから、「カップヌードルやっぱ美味い」も「カップヌードルの美味さにあらためて驚嘆した」に置き換えられるし、そもそも既知とされる事実を刺激する分、より多くの同意を得られるはずです。

僕自身が「あらためて驚嘆」した例を挙げるなら、大人になってから全速力で走ったときですね。それまで長いことぜんぜんまともに走っていなかったから、歩くより走るほうが速いとわかっていても、その速さに本気で驚いた記憶があります。とっくに知っているつもりでいたわけだから、それこそあらためて驚嘆というほかありません。

したがってこれをそれっぽくまとめると、こうなります。


A. 「人が全力で走るときの速さにあらためて驚嘆した」




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その383につづく!