2020年11月26日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その305



きもちのやりば(無限列車編)さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q. あれからもう9年近くも経つのですね。そう考えると、せっかくなので あと13ヶ月待って『ちょうど10年経ちましたが…』と切り出したい気もしますが『気づいたら11年目でまたもや中途半端!』なんて事になりかねないので お伺いします。

【重くて固い上に、表面もゴツゴツしていて岩みたいな、たぶん乾燥した無花果を押し固めたようなもの】通称『鈍器のようなモノ』は もう召し上がりましたか?できれば硬さや味の感想などお教えください。ヨロシクお願いします。



たしかに気が遠くなるような、長い年月が過ぎました。「鈍器のようなもの」からさえもう9年、このブログにおける最後の更新からも5ヶ月、そもそもこのブログを立ち上げてから十数年……今こそ問い直さなくてはならない時がきているようにおもうのです。このブログは一体何のために存在するのか?

しかしこれは「人はどこから来て、どこへ行くのか」と問うのにも似た、哲学的な問題です。ひょっとすると太古の昔にははっきりとした意図や目的があったかもしれませんが、今となっては知る由もありません。おそらく答えは永遠に見つからない。人はただ、どこからかやってきて、またどこかへ去るのみです。ここにこのブログがぽつねんと残されている意味など、世界にただ1人の管理人である僕が知らないのだから他の誰が知りましょう。

振り返ってみればこのブログは放置していたことへの弁解が大半を占めています。まず初めに放置があり、次に弁解がつづき、そしてまた放置という、非常に安定したサイクルです。ごくたまにそうでない時期もありますが、言ってみればそれは雨期みたいなものであって、全体としてみれば砂嵐がないだけマシの、おおむね砂漠です。かつて栄華を誇り、今でもときどきアクセスのある(らしい)目玉焼きの記事なんかはこの広大な砂漠にかろうじて残されたピラミッド、もしくはスフィンクスであると申せましょう。どう考えても目玉焼きのために立ち上げたブログではなかったとおもいますが、歴史においてはどうあれ結果がすべてです。

放置と弁解を繰り返しながら縁切りを免れているのも、これがブログだからこそです。相手が人で僕がその恋人なら、とっくに愛想を尽かされています。また仮に僕が第三者であっても「別れなよ」と言うでしょう。こんなことならいっそ捨ててもらいたいとさえおもわれてきます。こちらから別れを切り出すことができないのだから、ブログのほうから見切りをつけてもらうほかないじゃないか?

しかしまあ、そんなことを言っても始まりません。何かが始まるという目映い期待を抱いてかれこれ小学生が社会人になるくらいの月日が経過した今も何かが始まった印象は特にないわけですけれども、とにかくキーを差し込んでエンジンをかけないことには発進もできないのだから、進むにせよ進まないにせよせめてエンジンだけはときどきかけてみなくてはなりません。

そうおもって数ヶ月ぶりにブログにアクセスしたのです。


アクセスできなくなっていた。

そんなわけで僕は今、未練がましくも共通の知人に間を取り持ってもらうような形でこれを書いています。真夏の浜辺できらめく波と戯れるような、美しい思い出に彩られていた気がしないでもないあの日々を、このブログが思い出してくれることはあるだろうか……?


さて肝心の質問ですが、これは僕もよく覚えています。9年もたったなんてとても信じられないし、信じたくないし、なんなら信じません。受け入れたくないことを受け入れる必要はまったくないとトランプ大統領やその支持者たちも教えてくれています。

ただし覚えているのは「重くて固い上に、表面もゴツゴツしていて岩みたいな、たぶん乾燥した無花果を押し固めたようなものがかつて家にあったこと」であり、その先はまったく記憶にありません。ひょっとすると僕自身、「重くて固い上に、表面もゴツゴツしていて岩みたいな、たぶん乾燥した無花果を押し固めたようなもの」のことをこのブログで知ったのではないかと思われるほどです。

なんとなくこう、薄く切って食べたような気もするんだけど、「こういうのは薄く切って食べるものだろう」という経験的な想像が生み出した偽りの記憶である可能性も否定できません。何しろ切った記憶がない。

現時点ではっきりしていることがあるとすれば、この鈍器のようなものがすでに手元にはないこと、それ以上に重要なのが僕はまだ逮捕されたことがないという事実です。

逮捕されていないというのはつまりこの鈍器のようなもので誰かを死に至らしめたりはしていないことを意味しています。そして人を死に至らしめたか否かという問題に比べれば、味なんかはもう、これは誰がどう考えたって二の次です。ですよね?

実際のところ、ほぼ鈍器であると言わねばならないこの不可解な食物への問いに対して、これ以上安心できる回答はまず他にありません。何しろ誰も死んではいないのです。殴りつけるくらいはしたかもしれないですけど。


A. 誰も死んでいないので大丈夫です。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



その306につづく!