2012年3月31日土曜日

ピス田助手の手記 4: やってきたふたりの客人


ピス田助手の手記 1: 部屋に扉のない理由
ピス田助手の手記 2: 男の様子についての補足
ピス田助手の手記 3: アンジェリカの部屋



今おもえば、ここでわたしがとることのできた行動は3つあった。

1)来客にかまわず、110番をする
2)考えなしにのこのことイゴールについていく
3)何も見なかったことにして帰る
4)筆を置く

いや、4つだ。4つあった。しかし直面したことのない事態の渦中にあって、冷静にまわりを見わたすことなどできるものだろうか?低きへと流れる水にぷかぷか浮かんで、同じように下ることのどこに問題があるというのか?わたしは傍観者であり、名探偵ではなかった。ワトソンであり、ホームズではなかった。ヘイスティングズであり、ポアロではなかった。思うにこれはワトソンしか登場しない物語なのだ。

奥さまと呼ばれた貴婦人はすでに屋敷に足を踏み入れて待っていた。まるでヴィクトリア朝に戻ったかのようなドレスをまとい、頭のてっぺんからつま先まで黒尽くめだった。凛とした立ち姿は、客というよりもむしろこの屋敷の正当な所有者であるとでも言いたげな威厳と風格に満ちていて、わたしをひるませた。

しかしそれ以上にわたしの気を引いたのは、彼女がかたわらに従えるちいさな女の子のほうだった。マイヤ・イソラみたいに艶やかな柄の、みごとなまでに和洋折衷な銘仙を着込んでいる。この思い切りのいい着物ひとつ見ても、何となくアンジェリカを連想させるものがあった。やわらかく波打つ黒髪はとてもうつくしく、手にはなぜか立派な脇差しを持っていた。

「アンジェリカはどこです?」と貴婦人は言った。よくしなる鞭のような声だった。
「お嬢さまはお出かけになりました」とイゴールはかろうじて答えた。
「死神の田村からクレームが来ていますよ」と貴婦人はふたたび声の鞭をぴしりとくれた。「アンジェリカはどこへ?」
「じきにお戻りかと…」
「イゴール」と三度目の鞭がしなった。「わたしは、どこへ、と聞いたんです」
イゴールは言い淀んだ。アンジェリカの部屋に死体がひとつ転がったままなのを忘れたわけではないにせよ、よもやこのまま押し通すつもりなのではないかとおもって、わたしはハラハラした。
「いいわ」と貴婦人は鞭を慎み深いくちびるにおさめて言った。「待たせてもらいます。みふゆがいつものクリームソーダを飲みたがってるの。いいわね?」
「かしこまりました」
大小ふたりの客人が勝手知ったる様子ですたすたと応接室へ向かうのをよそに、イゴールは硬直したまま、しばらくそこを動くことができなかった。

そういうわけで、わたしが選んだのは先の選択肢で言うと(2)だった。イゴールが飲みものをこしらえるためにキッチンへと下がったので、これにもやはりのこのことついていった。缶詰があるとおもったのだ。気づけばわたしの頭には缶詰のラベルがずらずらと並び、今や無視できないくらいの部分を占めていた。



<ピス田助手の手記 5: キッチンにて>につづく!

2012年3月28日水曜日

ピス田助手の手記 3: アンジェリカの部屋


それは博物館と図書館とショーウィンドウと夢を鍋にぶちこんでグツグツ煮たような、混沌とした部屋だった。雑多な所有物を観客に見立てた円形劇場みたいだと言ってもいい。その中心にスポットライトが当たるようなかたちで、短剣の刺さった男が倒れている。広さはすくなくとも30畳もありそうに思えた。

四方にはゾエトロープみたいな壁紙を巡らし、壁自体に埋めこまれて本棚があった。棚からはみ出して床に積まれた古めかしい絵本や写真集の山は、堆くそびえるシロアリの巣に見えた。鹿とも牛ともつかない頭蓋骨があれば、見たことのない大きくてムクムクした鳥の剥製もある(ドードー?)。見上げると色鮮やかな蝶の標本が高い天井をタイルのように埋め尽くしている。同じく壁に埋めこまれた薬棚にはあまりふかく考えたくない薬品のビンがずらずらと並んでいた。

そうかとおもえば60年代風の(あるいは実際にその時代の)キッチュなワンピースが古い衣紋掛けにハンガーで吊るされてある。スペースエイジなテレビや時計といったこまごました雑貨たちが所狭しとあちこちに転がっている。よく見ると地球儀の主要部分がミラーボールに置き換えられているし、緯度尺のフレームから取り外された地球はそのとばっちりを受けて仕方なく天井からぶら下がっている。どこへ目をやっても常にこんな調子で、問答無用の一点張りというほかなかった。短剣の刺さった男がこれらの一部であってもおかしくないという気さえしてくる。カラフルなはらわたを持った人体標本にいたってはお洒落な帽子をかぶり、あまつさえ耳に大きなピアスをつけていた。

その他目についたもの
・ハンモック
・トルソーに防弾チョッキ
・ガンラックに水鉄砲と散弾銃
・乳鉢、ピペット、天秤、アルコールランプ、試験管
・木魚
・電話ボックス(なぜ?)
・マリオネット
・鳥籠
・黒ヒゲ危機一髪みたいな木樽もいくつか
・官能的な拘束器具

イゴールがハンマーで叩き壊したのはそんな部屋の扉であり、わたしたちが立ちすくんでいるのはつまりそんな部屋の入り口だった。わかってもらえる自信はない。書けば書くほど手に余る。ちょっとした宇宙がここにはあった。

足下に飛び散った扉の木片にまぎれて、缶切りがひとつ落ちていた。金属片をねじっただけの、原始的なタイプだ。今しがた目にしたものから比べると、だいぶ日常寄りで好感が持てる。朴訥とした佇まいとその美しさに、わたしはみとれた。拾い上げてためつすがめつしていると、何でもいいから手頃な缶詰を片っ端からこじ開けていきたいようなきもちに駆られた。

「気の毒な男のために、警察を呼ぼう」とわたしは缶切りをもてあそびながら言った。
「そうしたいのは山々ですが」とイゴールはためらいがちに答えた。「このままいくとお嬢さまに累が及んでしまいます」
「だからってうっちゃってはおかれないよ」
「しかし…」
「隠すと後がめんどくさいぜ」
「闇に葬っては?」
「イゴールと話してるとそれもありかなって気がしてくるから困るよ」
「恐れ入ります」
「しかたない、わたしが電話しよう。あと、欲しいのは…」
「何でございましょう」
「缶詰だな」

そこへ突然、尻尾を踏まれた怪獣の鳴き声みたいな気味の悪い音が、屋敷中に響きわたった。悲鳴かとおもって身構えるわたしに、呼び鈴ですとイゴールは言った。来客らしい。控えめにも好ましいとは言いがたいタイミングで誰かが訪ねてきたことよりも、形容しがたいその音にわたしは驚いて言った。「こんな音だったっけ?」

「いえ、この音色は…」とイゴールが青い顔をして立ちすくんだ。「奥さまです」
「奥さま?」
「お嬢さまのご母堂にあたる方です」
「アンジェリカのお母さん?」
「そうです。正確には…いえ、ひとまず参りましょう」
扉のない部屋を背に、玄関へと早足で向かうイゴールは、部屋に死体をみたときよりもはるかに緊張しているようだった。その後を追いながらわたしは、押す人によって音色が変わるふしぎな呼び鈴について考えていた。じぶんの音色が気になって仕方なかったのだ。


<ピス田助手の手記 4:やってきたふたりの客人>につづく!

2012年3月25日日曜日

ピス田助手の手記 2: 男の様子についての補足




ピス田助手 近影

日々においてはありとあらゆるニュースが工場の缶詰みたいに次々と無表情で送り出されていく。イナゴが大量発生する日があれば、ツングースカの上空で大爆発が起きる日もある。背中に短剣を刺した男が部屋にたおれている日もあるだろう。缶切りがほしいとわたしはおもった。いちばんいいのはクリネア社の「自動缶切り(One Touch Can Opener)」だ。ずんぐりとして缶切りらしからぬ形には目をつぶってもいい。葉を食む芋虫よろしくキリキリと缶を切りひらいていくその奇妙な動きは、誰であれ一度見たら忘れることはできない……

「お嬢さまがこんなことをなさるはずがありません」イゴールは青ざめながらも毅然として言い切った。「これには何か仔細があるはずです」
「そうおもうよ」とわたしは頭の中の缶切りを振り払うようにして言った。「しかしこれ、誰なんだろう」
「存じません」
「客ではない?」
「今日ご案内したのはピス田さまおひとりです」
「泥棒ってことかな」
「その可能性はあります」
「アンジェリカと揉み合った勢いで、こう…?」
「お嬢さまが?」と驚いてイゴールは即座にかぶりをふった。「考えられません」
「彼女らしくないね、たしかに」
「お嬢さまでしたらもっとスマートに始末なさるはずです」
「あ、そういう意味?」
「こんなベタな手口は許容できません」
「第一、アンジェリカはどこに行ったんだ?」
「わたくしとしてはそれがいちばん気がかりです」
「何にしても歓迎すべき状況じゃなさそうだ」とわたしはため息をつきながら倒れている男に目をやった。「手に何か持ってるな」
「おや」イゴールは驚いたようだった。「あれは…」
「本?いや、ノートかな」わたしはイゴールの様子に気を留めずに一歩近づいてみた。もし男がこのノートを奪おうとして殺されたのだとすると、手につかんだままなのは妙だという気がしたからだ。なぜ男を襲った人物はそれを奪い返さなかったのか?
「あのノートは?」
「あれはお嬢さまのノートです」
「アンジェリカの?」
「はい、あれは…」
イゴールが重要な事実を口にしかけたところで、わたしはふとあることに気がついてそれを遮ってしまった。「おや…」
「どうかなさいましたか」
「小指がないぞ」
このときイゴールの言葉を途中で止めてしまったのはまったく失敗だったと言うほかない。男は左手に厚いノートのようなものをつかんでいた。小指がないのは、その手だった。

イゴールは黙っていた。思い当たるふしがあるというよりは、どちらかというと混乱に拍車がかかっているように見えた。何かを知っているから混乱するのか、何も知らないから混乱するのか、わたしにはどちらとも判断できなかった。

「何から何まで、ちんぷんかんぷんだ」とわたしは匙を投げた。「おまけにこの部屋じゃ荒らされてるのかどうかもわからない」



<ピス田助手の手記 その3>につづく!

2012年3月22日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その107


塩化ナトリウム光線さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)ウルトラマンが怪獣を倒したあとにまく塩のことですね。



Q: アンジェリカの近況を教えて欲しいです。彼女のファンです。



------------------------<ピス田助手の手記>------------------------


結論から言うと、アンジェリカはそこにいなかった。

彼女の屋敷をたずねるのは久しぶりだった。使用人のイゴールがでてきて部屋まで案内してくれた。イゴールとはもうかれこれ5年の付き合いになる。わたしに対する応対もすっかり心得ていた。他愛のない世間話をしながらアンジェリカの部屋までくると、彼は扉をノックした。

返事はなかった。しばらく待ってみたけれど、静まり返って物音ひとつ聞こえない。三度くりかえしてみても同じだった。「留守ならまたくるよ」とわたしは言った。用があるというよりは、たまには顔を見ようと気まぐれに足を運んだだけだった。ひょっとしたら調子をくずして寝てるかもしれないじゃないか?

「そうですね」とイゴールは首をかしげた。今日はいらっしゃるはずですが、お体のぐあいが良くないとなると、それはそれでいけません。そう言ってどこからか大きなハンマーを持ち出してきた。「ノックも三度したし、ぶち破りましょう」

「ちょっと待ってくれ、カギはどうなんだ」とわたしはびっくりして彼を止めた。「もしカギが開いてたら、扉をこわす必要はないだろう」
「扉にカギはついていません」とイゴールはまたびっくりするようなことを言った。「初めからついていないんです」
「じゃなおさらこわさなくたっていいじゃないか!」
「ピス田さん、これは礼儀の問題なんです」
「そりゃこっちのせりふだよ」
「もしそっと扉を開けてお嬢さまがいらしたらどうするんです」
「むむ」とわたしは彼の神妙な面持ちに気後れしながら言い返した。「何の問題もなさそうだけど」
「大ありです」イゴールは振り上げたハンマーを足元にどすんと下ろした。「いらっしゃるのにお返事をなさらないということは、少なくともノックをお聞きになっていないということなんですよ」
「ふむ。そういうことになるね」
「つまりお嬢さまにとっては『ノックをせずに部屋に入ってきた』のと同じことなんです」
「でも、ノックはしたぜ」
「しましたとも」
「しかも三回」
「おっしゃるとおり」
「何が問題なのかさっぱりわからないよ」
「ノックをしたかどうかではなくて、『お嬢さまがノックをお聞きになったかどうか』が大事なんですよ。お聞きにならなかったとしたら、それは初めからノックをしていないのと同じなんです」
「わたしが証言しても?」
「ノックをしたという証拠にはなりますまい」
「それが扉をこわすことにどうつながってくるんだ?」
「扉をこわせば、よんどころない事情があったのだという証になります」
「なるほど」
「カギがないのに扉をこわすよんどころない事情があるとすれば、ノックに対して返事がなかったということ以外に考えられません」
「ふーむ」とわたしは絶句した。「しかしもし単なる留守だったらどうするんだい」
「お嬢さまが行き先を告げずに屋敷を空けることはありません」
「わかったよ」とついにわたしは同意した。「扉を壊そう」

イゴールはふたたびおもむろにハンマーを振り上げて、扉をたたき壊した。渾身の力をこめた彼の手慣れた一撃に、扉は景気よく砕け散った。そして初めにも言ったとおり、アンジェリカはそこにいなかった。しかしその代わりに、予想もしていなかった光景をわたしたちは見た。部屋の中央には男がひとり、倒れていた。

男の背中には短剣が垂直に突き刺さっていた。床には血だまりがあった。部屋にいるはずのアンジェリカが見当たらず、代わりに男が死んでいる。誰がどう見てもじつにわかりやすい構図で、つまりこれは名探偵の登場を必要とするたぐいの事件だった。よりにもよってこんな日に、用もなく屋敷を訪ねたことをわたしは悔やんだ。



A: 何かめんどうな事件の渦中にあるようです。





<ピス田助手の手記 その2>につづく!


2012年3月19日月曜日

それは3年かけて浜辺に流れ着く空き瓶のごとく


ある日、電気的な郵便受けをのぞくと1通のメールが投函されているのです。飾り気のないシンプルな便りで、差出人の署名はありません。ハテナと首をかしげてぺりぺり封を切ってみたところ、「唐突でなんですが私にも名前をつけてください。」とあってひざをうちました。名前がないのだから、署名がないのも当然です。

読み進めてみると、「2010年6月19日の質問箱でマーシャルアーツについて質問した私です。」とあります。2年も前の話ですが、そもそもこの回答からして「質問から1年後」だというのだから、トータルじつに3年越しの結実であって、まことに気の長い話です。メールの返信が数時間後というだけで「遅れてゴメン」と謝ったりするらしい(!)油断のならないご時世にあって、太平洋へ流した手紙入りの空きビンが海向こうの大陸に辿りつくのにも似たこの隔世感…。ラブレターだったらこの間に交際相手が数人入れ替わっていてもおかしくない年月です。上がり框に三つ指をついて「お帰りなさい」とひれ伏したい。

それにしてもなぜ質問に回答していながらペンネームをつけていないのかがわからない。そうおもって読み返してみたら、たしかにおつけしてませんでした。行きがかり上、機を逸したまま話を結んでしまったようです。質問に対する回答といったら、投げられたものを打ち返すだけなのだから本来なら行きがかりもへったくれもないはずだけれど、ここでは往々にしてそういう事態がありうるのでしかたがありません。言われてみればうっかりしていた。

そういうわけで急遽博士宛に雲の上から電報を打ち、たいへんてきとうなペンネームを賜ってまいりました。


命名:「ルージュの天丼


浮気な恋をしてバスルームで食べる天丼のことです。食べ終わるとママから電話で叱られることになっています。

ルージュの天丼さん、いつもありがとう!おわびといっては何ですが、「い・け・な・いルージュケチャップ」もおまけにおつけします。メイド喫茶のオムライスに使われてそうですね、何だか。

2012年3月16日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その106


バウハウス(犬小屋)さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)白くて四角い豆腐みたいな小屋ですね、たぶん。


Q: 紅しょうがの活用法を教えてください。


大葉といっしょにこまかく刻んだものをジャコと和えて炊きたてのごはんへホカホカとまぜこんだり、魚のすり身にねりこんで丸くととのえた団子をあっさりした汁に仕立てたり、あるいはそのまま天ぷらにしてみたり、彩りや味わいを添える客演としては引く手数多だけれど、毎日付き合うとなるといささかアクのつよい食材です。いちどに使う量と言ったらたかが知れているし、ましてやどっさりあったりすると始末に困ります。客演のはずが、どうかすると「紅しょうがのための献立」になりかねません。かといっていつまでも冷蔵庫の隅で寝かせておくのも後生がわるい。ごはんをおかずに紅しょうがをかきこむ、という非常なる事態も場合によっては覚悟せねばなりますまい。

ふつうの一般家庭ならまだよろしい。これがたとえば中元や歳暮に紅しょうがをどっさり贈られたサンタクロース宅の話だとしてご覧なさい。いかに温厚なサンタクロースといえども、居間にそびえ立つピンクの山には閉口するにちがいありません。ひとまずせっせと消化につとめようとはしても、一向に減る気配がないとなれば思い余って乱心することもありましょう。おもちゃを詰め込んで12月24日の夜にかつぐあの大きな白い袋が、はちきれんばかりの紅しょうがでピンクに染まるクリスマスも来ないとはかぎらないのです。クリスマスの朝、枕元に置かれたひとつかみの紅しょうがに絶望するこどもたちの、青ざめた顔がありありと目に浮かびます。

無償の贈り物である以上、クーリングオフのような法的救済措置に期待することはできません。こどもたちにできるのはただ、枕元に置かれたひとつかみの紅しょうがをサンタクロースの顔めがけて投げつけることだけです。紅しょうがを夢のひとつとして数えるには、こどもたちはあまりに幼すぎます。当然、親としてもその姿勢を支持することになるでしょう。だいたい、贈り物のはずがなぜ逆に代償を払うような羽目になっているのか?

しかしサンタクロースにも言い分があります。「紅しょうがの何がいけないっていうんだ?」と真っ向から反論してくるのは必定です。「クリスマスプレゼントに紅しょうがを贈ってはいけないという法がどこにある?」

こどもたちは何も言いません。無言のまま紅しょうがを投げつけ、中指を立て、おもむろに踵を返します。一夜にして夢からさめたばかりか、いっしょに愛想も尽きたのです。紅しょうがひとつで長年の功績と愛情をなかったことにしてしまうのはいささか勇み足にすぎる気もしますが、裏を返せばそれだけ絶望が深かったとも言えるし、その深さといったらじっさい底なしです。

手痛いしっぺ返しを食らって悲しみに沈んでいたサンタクロースは、顔にはりついた紅しょうがを一本一本はがしながら、世界中にちらばる仲間たちに一斉メールを送り、交渉の決裂を知らせます。この上はもはや是非もありません。決起のときが来たのです。サンタクロース対こどもたちの仁義なき争い…のちに「薄紅色の戦い」として歴史に刻まれることになる戦争がここに勃発します。

ミサイルの代わりに紅しょうがを撃ちこみ、手榴弾の代わりに紅しょうがを投げつけ、枯れ葉剤の代わりに紅しょうがをばら撒き、地雷の代わりに紅しょうがを敷き詰めます。最後のひとりに至るまで必ずプレゼントを送り届けるサンタの徹底した仕事ぶりが、これほど裏目に出た事例は他にないと言ってよいでしょう。

こどもたちも負けじと応戦です。飛んできた紅しょうがを長めの菜箸でつかめるだけつかんで投げ返します。つかみそこねたぶんをパクパクと口で受け止めるのは「ブラックホール」の二つ名をもつ大飯食らいの太田兄弟です。彼らが後方で援護する以上、一本たりともムダにはしません。

つかんでは投げ、くわえては食べ、めまぐるしく飛び交う紅しょうがの応酬はやがて、消耗戦の様相を呈してきます。何しろ紅しょうがです。おいしくいただくにも限度があります。どうにかして味に変化をつけないといけません。このままでは参ってしまうと誰かが鉄板と専用の器材を持ち出して、その場でお好み焼きとたこ焼きをこしらえ始めました。

じゅうじゅう焼ける気持ちのよい音とともに、えもいわれぬ香りとほかほかした湯気が戦場にたちこめます。おなかが空いているのはサンタクロース軍もいっしょです。誰ともなく鉄板をもちだして、同じように調理を始めたのも当然と言えましょう。いまだ間断なく飛び交う紅しょうがの乱舞に、いつしかお好み焼きの切れ端が混ざります。どうやら関西風のようです。それならこっちは広島風だと焼きそばが加わります。一方がたこ焼きを撃てば、片方からは明石焼が飛んできます。「くたばれ!」という怒号が「うまい!」という賞賛に変わり、「やっちまえ!」という発破が「ごちそうさま!」という感謝に変わり、気づけば戦場が響宴に様変わりです。

白いひげを青のりまみれにしたサンタクロースがやってきて、「なかなかやるじゃないか」と敬意を表せば、こどもたちも口のまわりをソースでべたべたにして「あんたらもな」と屈託がありません。長きにわたる戦いは、双方痛み分けのかたちでとうとうここに終結したのです。



A: …という具合に武器としての平和利用はいかがですか。






ダイゴくん不在のいまも質問は24時間受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その107につづく!

2012年3月12日月曜日

「毎度ご足労をおかけして申し訳がありません」




隣家の庭では柴犬が木漏れ日を浴びながら、ふかふかと苔むした地面を布団にしてまどろんでいるのです。朝日に温む色あざやかな苔ほどあくびのでる景色はありません。さんざん寝過ごしたことなどすっかり忘れて、そろそろ寝るかというきもちになります。おもいきって外に出れば、ぼんのくぼにできる日だまりが蜂蜜のようです。いちめんに春がたちこめている。

だれが決めたか知らないけれど、何であれ始めるのにうってつけの季節です。あれだけしめつけていた寒さはゆるむし、ゆかしく控えていた蕾はいっせいにほころびるし、そうすると今度は心なしか鳥のさえずりまでふだんより耳につくようにおもわれます。次のページをめくるお膳立てとしてはちょっとできすぎです。こんな具合に世界をあかるくととのえた上で「じゃあ行こうか」と春に言われたら、そりゃそうそうつれなくもできません。生返事でもやがては身支度をすることになりましょう。巡る季節に背中をおされて、そろえる歩みの軽いこと。とりわけ春にはどんなつむじ曲がりでもまるめこむ、ふところの広さがあります。

きもちをあらたに、と言うつもりはありません。去年も来たのが、また来ただけです。でも僕らに何があろうとおかまいなしで欠かさずしれっと訪れる自然のならいには、やっぱり頭がさがります。かつて形ある神をもたなかった僕らにとって、敬虔とはこういうきもちだとつくづくおもう。花には花の、道には道の、家には家の、姿なき管理人があってそれをおそれ、うやまい、また親しむ心も、なんとなくわかるような気がしてくるのです。彼らは世界の変化に何ひとつ関与しないかわりに、僕らがいなくなるまでずっとそこにいます。ひとつひとつのよろこびやかなしみにいちいちかまってくれないかわりに、明日も必ず日が昇ります。いるものといらないものを突き詰めたら、これ以上に望むものが他にあるだろうか?

拒否することはできません。こちらにその気があろうとなかろうと、どすどすやってきてはガラリと戸をあけ、「おい、よろこべ」とのたまうのだから、考えようによっては無粋な上にひどくジャイアン的なやりくちです。でも日ごろからあれこれに心囚われて暮らす僕らにとっては、これくらい強引で塩梅がいいようにもおもわれます。事前にお伺いを立てるとなったら、春なんか金輪際やってはきますまい。

来ては去り、約束をしたわけでもないのにやがてまた来ることを、僕らは知っています。来ない春はありません。昇らない日もありません。募る思いで待ち焦がれても決して反故にはされない唯一の、と言って然るべきこれは決まりごとです。

そう知るからこそなおのこと今年は、春を招くにあたっていつもより食卓におかずを1品多く並べてもいいというようなきもちがあります。たまには神妙になるのもよいし、なるとするなら今年だなというくらいのことではあるけれど、おいそれと言葉にはしづらい心が振り返れば僕にもやはりあるのです。


ガラリ

「や、いらしたぞ」

ドスドスドス

「おい、よろこべ」
「ようこそいらっしゃいました」
「うむ?」
「毎度ご足労をおかけして申し訳がありません」
「なんだ、馬鹿にしおらしいじゃねえか」
「菜の花のおひたしをたんとご用意しておきました」
「罠か?」
「めっそうもない!」
「気味がわりいな」
「あっちょっと」
「また来ることにする」
「帰っちゃイヤですよ!」


2012年3月9日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その105



バッテンロボ丸さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)ふた昔以上前に放映していた子供向け特撮コメディの主人公ですね。特撮…?



Q: 本棚をつくったことはありますか



これまた妙ちきりんな質問です。ほどよくどうでもいい、その塩梅に好感が持てます。メールをくださったときにちょうど本棚を製作中だったんだとおもいますが、どうでしょうね?すてきな本棚、できましたか?

ハテそんな経験あったかしら、と過去を振り返りながらつらつら考えてみるうちに、思いもよらなかった事実にぶち当たってわたくし困惑しております。とまずはこう申し上げねばなりますまい。何しろつくるつくらない以前に、本棚というものをかつて部屋に置いた記憶がまったくないのです。それに気づいたときの驚きといったらとても言葉には尽くせません。そんなバカなことがあるものかと記憶をせっせと手繰ってみても、やっぱりない。ひさしぶりに自分に呆れました。本棚くらい置いとけよと言いたい。何故ないのだ。ないからには何か仔細があるのか。ないのか。何故ないのだ。

読み終えるそばから処分していれば別だけれど、そんなこともありません。むしろ僕は昔から読み返すこと前提で本を手に取る傾向があります。一読で済むようにおもわれれば、いかに読む価値があろうともそれは僕にとってその一冊から手を引く十分な理由になるのです。読み捨てることができないというか、了見がせまいというか、とにかくまあそんなことになっていて、だからそもそも、売り払うということを全然しません。ひたすら積もって、根雪になるばかりです。

ただそういう前提がまずあって、かくべつ活字に対する中毒もないから、数はそう多くありません。見えないところへ追いやっていることもあるけれど、御大・古川耕がうちにきて「本が少ねえ!」と驚いたくらいです。実際これまでに拾った字面の数で格付けされるとしたら、星なんかひとつも望めないとおもう。1000冊の本をランダムにもらうより、読みたい本を10冊もらえるほうがずっとうれしい。

といって本がないわけではないのだから、じゃあそれはどうしているのかといえば、ひたすら床とそれに準ずる平らなどこかに積み重ねているのです。大半は押し入れにそのままどすどすと積んであります。なぜか服を収納するためのクリアボックスにもぎゅうぎゅう詰め込んであったりする。あらためて考えるとこれもほめられた話じゃないですね。でもずっとこうです。何をやってるんだ一体?

けっきょくのところは頓着しないという一言に尽きるとおもいます。あったらいいなァとぼんやりおもう日もあるけれど、ないならないで別にいいやとうっちゃっている…と書けば急に大人としてマズいようなきもちになってくるじゃないですか。困るなあ。



A: そもそも本棚がないのです。



そういえば「本を探しづらい」とは前々から思ってはいたのです。その都度いちいち積み直していた。それが本棚の欠如によるものだというシンプルな事実に思い至らなかったのは、それこそ今まで一度も置いたことがなかったからにちがいありません。そうか、本棚か…それはべんりだ…。





ダイゴくん不在のいまも質問は24時間受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その106につづく!

2012年3月6日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その104


コインを入れると一定時間のぞける観光地的望遠鏡で雲の上から下界をのぞいていたら、大通りを行く黄色いクレーン車のアーム部分に黒字で大きく「エロカワ」と書いてあるのです。文字の下部が車の部品にかくれて見えなかったとはいえ、唖然として写真を撮り損ねたことが悔やまれます。

ホントのところはたぶん「モロカワ」あたりと見当をつけてるんだけど、しかしまあなかなかエキサイティングな光景ではあるし、こうなるとべつに真相は薮の中でもぜんぜんかまわないとおもう。



月とスッピンさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。いつもありがとう!



Q: 大吾さんの好きな家事と苦手な家事はなんですか?いや、大吾さんとても料理上手みたいだし(普通家に餅米もなければ、とりあえず中華ちまきは作らないですよ!)家事力高そうだなあ…と思っていたんです。ちなみに私は、比較的好きなのは料理で、キライなのは掃除です。



よく言われることではあるのだけれど、僕はとくべつ料理が上手というわけでもありません。基本的なことならどうにかなるにしても、そこからいろいろの工夫をかさねて「よりおいしく」という段階まで手を伸ばす意欲となると、むしろほとんどないのです。だから好きかと問われればいっしゅん躊躇するとおもいます。嫌いではないです、もちろん。

要は「生きていくために必要な最低限のスキル」という位置づけなのですね。生存率をすこしでも上げるために、できそうなことはとりあえず身につけておきたいという魂胆がまず先にあります。

一例を挙げましょう。お金がなくて、一日をカップラーメン1個で暮らしている青年がいるとします。カップラーメンは1個100円ならわりとあちこちで見つけることができるはずです。一般的にみてこれがギリギリ、あるいはほぼアウトな暮らしであることは言うまでもありません。でも僕はここで首をかしげます。

食費が一日100円だとすれば単純計算でひと月3,000円です。ひと月に米が5kgあればこれも単純計算で一日に少なくともお茶碗1杯ぶんは余裕で炊くことができます。米の質にこだわらなければ、5kgを買うのに1,500円あればじゅうぶんです。3,000円から引いてのこったお金で、1週間に300円〜400円ぶんの食材を買うことができます。卵1パックに、りっぱな葉のついた大根を1本、それにもうひとつくらいは何か野菜が買えそうだし、調味料を買ってもよろしい。


生き延びるためのヒント→茶碗1杯分の米を粥にすると、ものすごい量になるよ!


したがって、「よし、何とかなる」というのが僕の結論です。豊かではまったくないし、赤貧であることにも変わりはないし、やっぱりお腹は空くけれど、すくなくとも毎日1個のカップラーメンよりははるかに滋養を含んだ食事であることに疑いはありません。何より、1週間ごとに選択肢があるという事実に留意していただきたい。「選択」というアクションは豊かさの指標のひとつです。

またここには、金銭とちがって食材なら意外と人から恵んでもらいやすいという、したたかにして究極的な打算が含まれていることも見逃してはいけません。ひいては食材を提供してもらう代わりに料理を担当するといった交換条件にも有効です。いやはやまったく、いいことづくめじゃないか!

とまあ極端ではあるものの、原則的にはこういう理由で僕は料理をしています。言うなれば、いつでも落ちぶれる準備はできているのです。


声を大にして言うようなことではない。


ただまあ、「金を稼げばいいじゃないか」と言われれば、それはまったくそのとおりです。じっさいそうなったら今とは真逆の理論を展開するにちがいないし、来世はぜひその方向でおねがいしたいとは僕もおもいます。

この考え方からするとたしかに、中華ちまきをつくるというのは基本からちょっとはみ出ているかもしれませんが、これは祖母がのこしてくれた唯一の、形見とも言うべきレシピだからです。あと、想像以上にカンタンで、つくりかた聞いたらびっくりしますよ、たぶん。




さて、本題に(今ごろ)戻りましょう。家事というのは僕にとってここでときどき引き合いに出す「キープレフト」に近いものなので、好き嫌いという感覚があまりありません。ただひととおりこなしはするものの、「苦手の度合い」があるにはあるので、そこから順位をつけるとするなら

1. 食器洗い
2. 洗濯(主に干すほう)
3. 料理
4. 掃除

という感じになります。じつは洗い物、好きなんです。



A: 食器洗いが好きです。



もし水を際限なく使っていいと言われたら、にこにこしながらいつまでもカチャカチャやってるとおもいます。食べたあとそれほど時間を置かずに洗えば、洗剤もほとんど使わずに済むから、わりとてきぱきやるほうです。

掃除もべつにキライじゃないけど、「ヤッホー!」というほどではないですよね。やっぱり。気にしだすとキリないし。





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その105につづく!


2012年3月3日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その103


ふと気がついてみれば我ながら順調に大人の階段をのぼっているらしくて、「忘れっぽくなってきたからメモをする」という初期段階(phase 1)から「メモをどこに置いたか忘れる」(phase 2)を経て、「メモしたことを忘れる」驚異の第3段階(phase 3)まで知らぬ間に辿り着いているのです。以前はピンと引き締まっていたニューロンも、今やしなびたえのき茸みたいになってるんじゃないかとおもう。

次に待つのはおそらく「忘れたことを忘れる」(phase4)というたいへんポジティブな忘我の境地であり、行き着くその先は「忘れるという概念が消失する」(phase5)輝かしい無我の境地です。それを涅槃と呼ぶのだとすれば、なんとなく老化上等という気がしてこないでもありません。そういえば父方の祖母も最期は神様みたいにしずしずと旅立っていた。

涅槃とはつまり、人生における減価償却の終了を意味するものらしい。


ソビエ子さんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。慈愛に満ちた命名ですね。ゆくゆくはそびえ立つような大人物に、と願ってやまない無尽の親心がひしひしと伝わってきます。



Q: ご趣味は?



ししおどしがカポーンと鳴るような料亭の一室に緊張の面持ちで正座しながら「ええい、これではまるでお見合いではござらぬか!」と豪勢な料理ごと卓子をひっくり返したいきもちでいっぱいですが、しかしそこまでリアルに想像すると却ってどことなく慎ましいような、控えめでおしとやかなニュアンスが漂い始めるからふしぎです。しわぶきのひとつもして、誠実にお答えせねばバチがあたります。翌日になって先方から「今回はご縁がなかったということで…」と電話で丁重にお断りされてもつまらないし、こうなれば是が非でも好印象をお持ち帰りいただきたい。趣味なんてべつに本気で知りたがっているとはとてもおもえないけれど、しかしまあ馴れ初めの第一歩とはえてしてそういうものです。「ええと、そうですね、麻薬を少々…」とか両足でどしんと地雷を踏み抜くような発言さえ控えれば、とりあえずその場を切り抜けることはできましょう。

「え、まや…?」
「いえ、あの、マヤコフスキーです
「まやこふ?」
「ソ連を代表する詩人のひとりで…」
「ソ連…」
「ごぞんじですか」
「いえ、その方は存じ上げませんけれど…」
「あ、ソビエトですか」
「ええ、ソビエトは何かしら他人とは思えませんで…」
「ソビエ子さんというお名前はもしやかの地から…?」
「いえ、それは父の知り合いのお偉い先生がつけてくださったんです」
「では偶然…?」
「偶然です。ですけど、偶然にしてはあまりにといいますか…」
「ははは、たしかに。そうですね、わかります」
「ただ何しろわたくしが生まれましたころには解体しておりまして…」
「あ、ソ連がですね。そうですよね」
「恥ずかしながら今ごろすこしずつ勉強をしております次第で…」
「というと書物やインターネットで…?」
「そうですね、あの、今も1冊、読んでいるところなんです」
「やあ、たいへんな勉強家だ」
「文庫本なんですけれど」
「なんという本ですか」
落合信彦の『ゴルバチョフ暗殺』です
「ゴッ…」
「ご存知でらっしゃる?」
「あの、名著ですよね」
「ええ、それはもう。すごくおもしろくて」
「僕も中学のときに父親から借りて読みました」
「まあ。他にはどんなご本を?」
「そのころのですか?」
「ええ、昔のお話、ききたいわ」
「いや、何しろ手にできる本が限られてたもんですから…」
「たとえばどんな?」
「勝目梓とか…」
「官能的ハードバイオレンスの大家ですわね」
「あ、ご存知で」
「いえ!あの…お名前だけは…」
「あ、そうですよね。ははは。失礼しました」
「ほほほ」
「ははは」
「あの、マヤコフスキーというのは…」
「はい」
「詩人…詩集をお読みになる?」
「あ、いえ、本ではないんです」
「というと…」
「その名を冠したスポーツと言いますか…」
「あ、ひょっとしてウィンタースポーツ…?」
「いえ、スキーではなくてですね…」
「やだ、すみません」
「山手の旧家に代々伝わる競技でして…」
「旧家…」
「かんたんに言うとカバディみたいな…」
「まあ、スポーツマンでらっしゃるのね」
「じつは来週、練習試合があるんです」
「行ってみたいわ」
「よろしければ、あの、ご一緒に…」
「ええ、ぜひ!」



A: マヤコフスキーを少々…



ジリリリリン

「はい、もしもし」
「あの、先日のお見合いの件でお電話差し上げたんですけども」
「あ、はい。その節はありがとうございました」
「こちらこそ…あの、それでたいへん恐縮なんですが」
「はい」
「今回はご縁がなかったということで…」
「あ、そうですか」
「もうしわけありません」
「いえ、とんでもないです」


チン



ひょっとするとソビエ子さん、このブログももうお読みじゃないかもしれないですね…。



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その104につづく…