2013年8月31日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その172


マン・オブ・スティール」くらい日本語にしたらいいのにとおもったのだけれど、たとえば「その男、鋼鉄につき」と訳したらたしかに客なんか来ないだろうと考え直しました。大事なのは意味ではなく雰囲気なのかもしれない。

「父ちゃん、スティールって何?」
盗むってことだよ
「泥棒の話?」
「まあそうだろう」
「でもヒーローなんでしょ」
「パッと見はな」
「ヒーローは盗んだりしないよ」
「そんなことはない」
「そんなことあるよ」
「いや、とんでもないものを盗むこともある」
「なに?」
「あなたの心です」






電池にラブソングを2さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)ロウデン・ヒルが一躍その名を知られることになった大ヒット映画のことですね。


Q. 叶わない片想いに対する妙薬があると聞いたのですが、御存知ですか?


片想いだけならともかく、「叶わない」と断定的な但し書きまでついているのだから、たとえば相手に惚れ薬をのませて都合よく事を運んでしまおうとかそんな段階はとうにすぎたお話とみてよいのでしょう。じっさい恋い慕う相手が石灰岩だったり、ブルドーザーだったり、二次元だったり、自分だったりしたら、たしかに添い遂げるのは至難の業と言わねばなりません。当事者同士がよくても役所が受け付けてくれないこと必定です。今や「そうだ、火星いこう」のキャッチコピーがあながち冗談でもないところまで来ているとはいえ、婚姻に対する固定概念が覆されるまでには残念ながらまだ至っていないのです。ゼロではないかもしれないけれど、その成功率はいちじるしく低い。

そうかといって、じゃあ身を引くことができるかといえば、全然、まったく、決して、ちっともできない上に頑としてする気もないのが恋です。それが何かしらの道にそむくものであればあるほど、却ってバックドラフトのごとく火を噴くのもまた恋です。こうなると手に負えません。うかつに鎮火しようとすると文字通り煙に巻かれます。

そんな苦痛をいくらかでも和らげることのできる薬があるとすれば、ゴルゴン印の超即効性スーパー劇薬「きよ姫」を置いて他にはありません。世界にその名をあまねく知られた毒物の最高にして比類なき権威、ゴルゴン姉妹についてはここここを参照してもらえればわかるとおもいますが、何しろ効果は覿面です。この世に生を受けたことなど初めから夢であったかのように、すやすやと安らかな境地へ誘われるでしょう。もう何も心配はいりません。あとは三途の川を渡りながら来世の恋に胸をふくらませていればよいのです。今なら夏のキャンペーン中につき20%OFF!とたいへんお買い得ですので、お申し込みはお早めに!


A. これで大抵イチコロです(墓的な意味で)。


でも僕はおもうんだけれど、恋とはそもそも、片想いが基本です。こっちは名指しでも向こうの選択肢は極端な話70億(同性含む)近くあるのだから、うまくいくほうが奇跡であると考えなくてはいけません。逆に言うと70億もいるからにはタイプの相手だって相当な数いるはずです。とするとそのうち30人くらいから熱烈に求愛されたって全然おかしくないし、そのなかから好きに選べるとしたらちょっと王様気分じゃないですか?しかもそれだってパーセンテージにしたらせいぜい、えーと0.000000……いや、もっといてもいい!30人じゃ控えめすぎた!ああもう、体が3つあっても足りないよ!

というようなことを僕なんかけっこういい年になった今でもときどき考えます。夢があるとおもう。

薬にたよってたらキリないですよ。うんこして寝るのが得策です。




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その173につづく!


2013年8月28日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その171




キューティーハニーローストピーナッツさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 案外大多数の人が経験済みなんではないかと思うんですけど、桃なんですけど、可愛らしい容姿と気持ちいい触り心地に、つい、ほおずりしてしまった事がありました。後の惨事については、桃、と始めに出た時点で想像が付く事だとは思われますが、 ちくちくしてとても痛くて、後処理が大変でした。あの産毛は、何故あるんですか。桃の産毛は、毛虫の毛的な感じですか、バラの棘的な感じですか。


旬ですね。水菓子といったら、とりわけ夏は真っ先に桃が思い浮かびます。みずみずしく甘やか、繊細かつやわらか、木に生る月とでもいうような肌の白さは目もあやで、いとけないなりとうらはらの色っぽさにも品があり、おまけにすこし冷やしたのをつるりとすべりこませるあののどごしときたら死んでもないのによみがえる涼しさ、いやまったく、他に比べるものがありません。






むかし読んだ西遊記で、溺れた人を助けるために八戒が人工呼吸をしようとしたら三蔵に「いけない」と止められる場面がありました。「おまえは肉を食うから息が穢れている。悟空は桃や木の実を食うから息が清らかだ。悟空にやらせなさい」と言うのです。

桃や木の実がどうこうというより、肉を食わないから清らかといういかにも坊さんらしい言い草なんだけれど、以来ずっと僕の脳裏には「桃は清らか」というイメージが刻みこまれています。

そんな個人的な印象はさておき、桃の産毛によるごくごく小規模な惨事については、たしかに大多数の人が一度は必ず通る道といってよいでしょう。もちろん僕にもおぼえがあります。ともすると今もうっかりためいきまじりに「ういやつじゃ」と頬を寄せそうになるくらいです。

しかしこれがたとえば似て非なる果実であるスモモだったりすると、こうはなりません。初孫に対する祖父母のようにメロメロのデレデレでいないいないばあ的なことはまずないし、どちらかといえば毅然とした態度で「うむ、そうか。精進するがいい」ときっぱり一線を引くことができます。桃とちがってスモモにはつい多めにお小遣いをあげてしまうこともないでしょう。

桃とスモモでは大きさがだいぶちがいますが、仮にスモモが桃と同じサイズに育ったとしたらどうだろうか?態度は変わるだろうか?

いや、変わりますまい。中島みゆきの言葉を借りるなら、カモメはカモメであり、スモモはスモモです。桃にはなれない。

してみると桃を桃たらしめているところのものは、やはりあの産毛ということに相成りましょう。無垢な愛らしさを演出するのが産毛なら、人心を惑わし、メロメロに堕せしめるのも、産毛です。裏を返せば、この産毛にこそ僕らの目は眩まされているのです。

バラとはこの点ではっきりと異なります。かの花においてトゲはあくまで花を引き立てるものであり、抜いてもその美しさが劇的に損なわれることはありません。しかし桃から産毛をとりのぞけばその愛らしさが半減するのは誰の目にも明らかです。またバラのトゲとはちがい、ほおずり程度であっさり抜けてしまうことにも注意してください。

もうおわかりですね?僕らの心を鷲掴みにしながら、甘くみると痛い目に遭い、はがれてしまえばそれまでの熱もさめる……秘め事を引ん剥くようでどうも気が引けますが、言うなれば


A. あれは化けの皮なのです。


ちくちくして後処理が大変なのもむべなるかなと言わねばなりますまい。




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その172につづく!



2013年8月24日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その170



「バレないかな、兄ちゃん」
「しッ!大丈夫だ、見つかるもんか」




数日の間にどかんと跳ね上がったアクセス数を目にして、世のブログに「今日のランチ」とか手料理の話があふれている理由がよくわかりました。他の日とくらべて反応が俄然良ければ、そりゃ誰だってその気になるというものです。「今日食ったメシなんか知ったことか!」とそれまでかたくなにこの類いの話題を避けていた僕も、たった2日で歴代5番目のアクセスを記録したとなったら、さすがにそわそわしてきます。いっそブログまるごとレシピ集とかにしたらいいんじゃないかな、だってなんかすごくちやほやされている気になるもの。ちやほやされたらきもちいいもの!

という邪念にははらわたがちぎれるほどの思いでそっとふたをしつつ、通常運行とまいりましょう。手軽で美味い日々の彩りレシピを期待して方々からお訪ねいただいたみなさまにはたいへん心苦しいかぎりですが、ここはもともと世のならいに背を向けて、足しにならない無益ばかりを嬉々として書き連ねる当代きっての吹きだまり、待てども決して明く埒のない、けちなブログでございます。回せば音の鳴る銀盤を都合3枚も世間に送り出しながら、音楽の話題といってはしらすに混じるちいさなタコほどの果敢ない割合、そしてまたその理由が当の本人にもなぜだかさっぱりわからないといった塩梅の、いと放埒なブログでございます。ついでながら「ムール貝」で検索して辿り着かれる多くの方々にもひとつここでお断り申し上げますならば、こちらに地中海原産の二枚貝についての記述は一切ございません。そこらへんをどうかよくよくご勘案の上、ひとときおくつろぎくださいませ。

しかしまあ、秘密ともったいぶるだけの甲斐はあったみたいだし、何よりです。僕としてもうまいことお茶を濁せて、言うことありません。

キープレフト、キープレフト




ウサギと写メさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. パン派ですか?ライス派ですか?


なんとなくタイミングのいいような、そうでもないような、あるいはお見合いの席で間を持たせるためにしかたなく投げかけるような、総じて質問する側もべつに本気で知りたいとおもっているわけではないだろうことがひしひしと伝わってくる質問です。他に「犬と猫」「海と山」「インドアとアウトドア」「つぶあんとこしあん」「ヤン坊とマー坊」「バガボンドとリアル」「罪と罰」といったバリエーションがあります。最後のはちがうな。

「罪派ですか?罰派ですか?」という質問は、それはそれでちょっと考えこむだけの奥行きがありそうですけど。

それはともかく、焼きたてだったり、すごくおいしいことが期待できそうなときは迷わずパンですが、どちらかといえばライス派ですかね…。でもビーフシチューとかだとパンのほうが食べたいような気もするし、献立にもよるところもあります。ただ献立によらず毎日の食卓で、となるとやはり…あれ?

そういえばまいにち米を食らう人のことをわざわざライス派と英語で呼んだりはしないですね。しいて言うなら米党です。また金目鯛の煮付けにパンという取り合わせもよほどのことがないかぎりありません。今晩のおかずがハンバーグだからといって「パンにする?ライスにする?」とおうちで聞かれることもおそらくそんなにはありますまい。とすると洋食、しかも外食、さらにご時世を考えればそんな選択を迫られるのはかなりの確率でファミレスとおもいきって絞りこんでもよいのではないか?

だとするとこの質問はつまり「ファミレスで洋食を注文するとき」という相当に限られたシチュエーションを前提にしているのではないか?

とうすっぺらいドヤ顔でプロファイリングみたいな演繹を展開してはみたものの、それによって結論が大きく左右されるかと言えばべつにそうでもないのであった。


A. 往々にしてライス派です。




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その171につづく!


2013年8月21日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その169、あるいはコロンブスの目玉焼き



かぼちゃの煮つけ、茄子の揚げびたし(に生姜)、枝豆のしょうゆ漬け、だし巻き、納豆(に葱)、韓国海苔、大葉とじゃこのおろし和え、ごはん、わかめと茗荷の味噌汁、ヨーグルト、梨(幸水)

というある朝の献立(これが毎日ぜんぶ入れ替わるわけではないけれど)をつらつら眺めていたら、なんだかずいぶん遠くまで来たようにおもわれて、しんみりさせられました。最初はおむすび2つくらいから始めて、ときどき手間のかからなそうな常備菜をひと皿添えたりしながら、あせらず、ムリをせず、足掛け10年くらいかけた結果がこれだから、千里の道も一歩からだとつくづくおもう。

今ではほとんどの動作がルーチンなので、よしやるぞ!と腕まくりをしなくても、起きてムニャムニャしているうちに自然と食卓ができあがります。時間がないときめつけてコーヒー1杯で済ませていたころが遠い夢のようです。そのかわり昼と夜はいまだに食べたり食べなかったりとものすごく適当ですけど。

ちなみに上の献立にはどう考えても季節にそわない不自然な一皿がしれっとまぎれこんでいます。

どれかわかりますか?



七人のさむがりさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. なんでもいいので1つ秘密を知りたいです。


ふむふむ。本来ならばこれはおそらく小林大吾かでなければムール貝博士の、という意味だとおもわれますが、しかしよくよく見るとそうは書いてないことだし、ここはひとつ目玉焼きの秘密を開陳するといたしましょう。

そんな秘密はお呼びでない、とここでブラウザを閉じてしまうのは大きなまちがいです。何しろこれから僕がしたためるのは秘伝中の秘伝であり、これを知っているのとそうでないのとではキャベツと芽キャベツくらいの開きがあると言わねばなりません。ぜんぜん関係ないけど僕は芽キャベツの、スーパーでみかける愛らしい姿からはとても想像がつかない、ほとんどモンスターのような畑での異形ぶりを知って、心底ぶったまげました。まるでぶどうだよ!

それはそれとして、いいですか。目玉焼きと言えば物心ついたちびっこでも容易にチャレンジできる、あるいは道具がなくとも炎天下のボンネットさえあれば代用できる、初等ともいうべき料理のひとつです。わざわざ語るまでもないようなそんなひと皿が、ちょっとしたつくりかたひとつでメインディッシュとしてもひけをとらない輝きをキラキラ持ち始めると想像してご覧なさい!彼氏彼女の見る目だってそりゃあ劇的に変わろうというものじゃありませんか。それでなくとも目玉焼きなんて誰がつくっても同じだとおもいこんでいるだろうし、「これくらいしかつくれないけど…」とか言いながら差し出したりすれば、もろもろのギャップが掛け合わさるその効果はまったく計り知れません。得意料理と言うにはあまりにシンプルすぎる、しかしその控えめな立ち位置こそがこのひと皿ではなんといっても最大の武器になるのです。ざっくり言ったらモテるってことだぞ!



オホン。



(調子に乗って風呂敷を広げすぎたことの当惑を咳で散らしています)


最上の目玉焼きにおけるポイントは2つです。
1. 油をたっぷり引くこと。
2. とろ火で気長に焼くこと。

たっぷりの油というのは、焼き上がったあとオイルポットに戻すくらいの量です。フライパンもあらかじめ温めておく必要はありません。フライパンを取り出したら「いちばんちいさな火」にかけ、油をたっぷり引き、冷蔵庫から出した卵をぽとんと落とす、それでおしまいです。その上に胡椒と塩をてきとうにふりかけておきます。とにかくゆっくり焼くことが肝心なので、熱が回りやすくなるふたはしないでおきましょう。じぶんの好みまで黄身が固まればできあがりです。

え、ふつうじゃね?

とおもいますね?でもふつうは油をそんなに引きません。それに中火でわりと手早く焼いてしまうはずです。

ところが「たっぷりの油」と「初めから最後までひたすら弱火」をきちんと守ると、得られる結果がぜんぜん変わってきます。いちばんはっきりとちがいが出るのは、白身です。白身は熱しすぎると端からキツネ色にパリパリとゴム化してきますが、まずこれが全然ありません。端っこまでずっとまっ白なままです。だからなのかどうか、焼き上がっても白身はふわりとやわらかく、舌ざわりもいたいけなほどぷるんとしています。じっさい、最上の目玉焼きにおいてむしろ黄身は脇役になると言っても過言ではありません。それくらい、今まで知らずにいた白身本来の魅力に目をみはるはずです。

せっかくなのでアレンジも加えてみましょう。用意するのは一切れのベーコンと葱を1/3本です。どちらもこまかく刻んでください。これを卵の下に敷いて同じようにじわじわ焼きます。それだけです。葱は油で熱して「葱油」をつくるくらい香りの豊かな野菜だし、ベーコンの脂にはもちろんこってりとした味わいがあるから、相乗効果でえも言われぬおいしさになります。

さらにゴハンを用意しましょう。ゴハンにしょうゆをちょいちょいとふりかけて、もみ海苔かアオサをばらばらと撒き、その上に先の目玉焼きを乗せます。黄身をつぶして、よく混ぜながらいただきましょう。うそいつわりなく、これだけで店が出せるくらいの美味さです。

ためしてみてね。


A. 目玉焼きは弱火でゆっくりゆっくり焼きましょう。


どうでもいいけど今日ゴハンのことしか書いてないな。




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その170につづく!


2013年8月17日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その168、あるいはトンカチで叩いて直す心の話



僕はメダルゲームが好きです。

かつて仕事が終わるとゲームセンターに向かい、日暮れから真夜中の閉店まで、煙草と缶コーヒーとカップ1杯のメダルを手元に置いて、勝つでもなく負けるでもなくただ無為にチャリンチャリンとひとりゲームに興じた、あのしょうもない日々がなつかしくおもいだされます。なんとなくお天道様に顔向けできないような後ろめたさをのぞけば、湖面に釣り糸を垂らすのに似ているかもしれません。パチンコはひと月の負けが10万ちかくなったときふと我に返ってすっぱり足を洗ったけれど、メダルはそんなことになりようがなかったから、とにかくしょっちゅう入り浸ってはひたすら時間を浪費していたものです。身を持ち崩すことがない代わりに、のちのち糧になりそうな教訓を得ることもない、したがって精神的にもすっからかんで何ひとつ身につかない、あの背徳的な心地よさといったらなかった。

今はもう通いません。通うどころか、足を運ぶこともなくなりました。なぜといって考えたこともないけれど、おそらくこの年になるとさすがにシャレでは済まなくなるからです。ひとりではもう10年以上行ってないとおもう。

それが先日、どういうわけか通りがかりにふと魔が差しました。池袋には見上げるくらい大きなゲームセンターがいくつかあって、その前を行き過ぎようとしていたのです。あのぐずぐずとして煮え切らない、それでいてガムシロップみたいに甘やかな日々がふわりと胸をよぎります。

しかしこんな僕にも面目はあって、やはり一瞬は立ち止まらないわけにはいきません。いい年したおっさんが平日の真っ昼間からゲーセンでぐだぐだするさまを想像してご覧なさい。と、じぶんをたしなめるつもりで脳内シミュレーションをしてみると、ふしぎなことにちっとも違和感がない。むしろその姿が自然にさえおもわれます。すこしは大人になったかとおもったら、別段そうでもなかったらしい。

そんなわけですっかりその気になり、意気揚々と足を踏み入れたのです。薄暗い店内に派手な蛍光色が氾濫する、この疑似近未来感!ポーカーにスロット、競馬にビンゴ、それにメダル落としと品揃えも昔とほぼ同じラインナップです。変わったのは機種くらいで、何年もこの淀んだ空気にずぶずぶ浸かっていた身からすれば、何もかもがなつかしい。

とおもったらここで、あることに気づきました。全体としてはかなりのにぎわいを見せているにもかかわらず、独り身が見当たらないのです。店内をくまなく見て歩いても、腰掛けているのはうら若き男女のつがいばかりで、どいつもこいつも肩を並べてウフフと顔をほころばせながらメダルを投入しています。

誤解のなきよう申し上げておくと、仲睦まじいふたりに目くじらを立てる年でもありません。どちらかといえば僕はこうした光景に目を細めて温かく見守るタイプです。誰かが楽しそうにしているのを見るのは、僕も楽しい。考えてみれば夏休みなのだし、そりゃそうかという気もする。けっこう、けっこう。気の済むまで愛を育んだらよろしい。おじちゃんはそんなこと一向意に介さない。

問題は僕と似た境遇のご同輩がひとりもいないということです。言い方を変えれば、そんな了見で来ている馬鹿は僕ひとりしかない、ということです。

誰が気にするわけでなし、かまわず堂々と乗りこめばいいようなものだけれど、それまでまったく心に留めていなかった、あるいは意図的に目を背けていた落伍感というか社会のつまはじき感みたいなものが、ここにきてゆくりなく頭をもたげます。背徳という意味ではいっそ望むところであると鼻息を荒くしてもおかしくないのに、どうも気後れして踏み出せない。というか、このためらいをうっちゃってしまったら、二度と現実には帰れなくなってしまう気がする。

けっきょく、蛍光色あふれるこの花園には入れないとあきらめて、踵を返しました。結果としてみれば開けなくていいパンドラの箱に手をふれずにすんだわけだし、どう考えても正しい決断を下して帰還したはずなのに、なぜこんなに打ちのめされたようなきもちになっているのか、よくわからない。

まさかこの年になってこんな折られかたをするとは思わなかった心をトンカチで叩いて直しながら、じりじりとベランダで日焼けする夏です。



胞子の王子様さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. おせち料理の黒豆と白豆、どちらがお好きですか。


A. 黒豆です。




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その169につづく!


2013年8月13日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その167



続・猿の剥製さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)続というからには1匹目がヒットしたんでしょうね。


Q. 私はとても汗かきです、夏場に外出でもしようものなら大惨事になってしまいます。10代のころはそんな自分が嫌で周りの目を気にして、余計汗をかいていたのですが、20代も半ば近くになり、それも個性だと、匂いさえ気をつければいいか、とあまり気にしなくなってきました。ですが、それでも汗なんてものは必要以上にかかない方が良いに決まっております(服屋で服が試着できない…。)少しでも減ってくれればいいんですが…、どうしたらいいでしょうか?


僕も先日滝のような汗を流しておもいましたが、この状態が日ごろからさほど珍しくないのだとしたら、その難儀は察するに余りあります。ふつうの夏でもそうなのに、とくに今年のような歴史を塗り替える超暑となったらまったくやりきれますまい。

これがもし体質とバッサリ縁を切りたいといった主旨の法外なお話ならば、切り捨て御免でうっちゃっておいてもよさそうなところなのですが、さにあらず、何しろ大部分はご自身できちんと折り合いをつけておられます。受け入れた上でほんの少しの改善を願うささやかなきもちを、いったいどうして無碍にできましょう?いくらかでも力になれるものならば、よろこんで力になりたい。

僕はあまり汗をかかないと前に書きましたが、生まれつきかというとじつはそうではありません。十代のころはわりとかいてました。ではなぜそれほどかかなくなったかというと、さすがにそれが直接の原因ではないにせよ、ひとつ思い当たることがあります。暑い暑いとおもいながら溶け出しそうな顔でうだうだと歩いていたあるとき、ひとりのご婦人をみかけたのです。

着物をきっちりと身につけ、右手に日傘、左手に扇子で、じつにすずやかな顔をしています。どう考えても僕なんかより断然、厚着です。暑くないわけがない。でもぜんぜん、そんなふうに見えない。すくなくとも、顔に出ていない。

そのぱりっとして乱れのない立ち居振る舞いには、ハッとさせられるものがありました。ひょっとして僕は暑いというきもちを辺りかまわず撒き散らしすぎていたのではないか?それで涼しくなるなら格別、却って暑さをみずから増長させてしまっていたのではないのか?四六時中真夏日に対する非難を垂れ流す自分のような人のそばにいるより、あのご婦人のそばにいるほうが同じ暑さでもよほど涼しく感じられそうじゃないか!

そうおもったら今にもでろでろと溶け出しそうなじぶんの顔が途端に恥ずかしくなってきたのです。どのみち暑さが変わらないのなら、そんな顔はしてもしなくても同じです。それならあのご婦人のように何でもない顔をしているほうがずっとさわやかでうつくしい。要は気の持ちようで顔に出さなければいいのだから、真似してできないようなことでは全然ありません。猿真似だろうとなんだろうと、あのたたずまいに近づけるものならちょっとでも近づきたい。

それ以来、僕はなるべく暑さを口にしないようにしています。たとえどんなに厳しくてもです。いえもちろん、さすがにこりゃ参るなとおもうときはあります。とりわけ今年はその頻度が異常に高い。でも顔には出しません。出そうとするとあのご婦人の姿が脳裏をよぎります。

見よう見まねで実践してみてわかったのは、顔と口に出さないだけで、感じる暑さはがらりと変わる、ということです。そして感じかたが変わると、汗のかきかたも変わります。こんなことで汗をかかなくなるなら世話はないし、実際かくにはかくんだけど、身体が意に反して暴走しないよう手綱をしっかりにぎっているような印象があるのです。

……


これ…

僕はそのとおりにしてびっくりするくらい効果があったし、たしかにあると信じてるんだけれど、冷静に読み返してみるとマジかよという気になってくるのはなぜでしょうね?書き方がマズいのか?

まあよろしい。こんな向き合いかたも時としてばっちり功を奏することがある、くらいに受け止めてください。


A. 「待て。待て。まだ汗の出る幕じゃねえ」と啖呵を切れば、汗もそのうち「そういうものかな」という気になってくるとおもいます。


そしてまあそれはそれとして、年を取ったり、赤ん坊が泣くのと同じで、汗はやはりかくものです。その程度が甚だしいからやりきれなくもなるわけですが、でもそんなご自身の性質を否定せず、どうにかこうにか折り合いをつけながら前を向く続・猿の剥製さんが、僕は好きです。その上でできればもうちょっとお手柔らかに、と願うのも当然ゆるされて然るべきだとおもうし、またその控えめな姿勢が、いかに気立ての良さや信頼できる人物であることを表しているかも、僕にはしみじみと伝わってきます。同じきもちを抱える人にとっては、続・猿の剥製さんほど正面から受け止めてくれる心強い味方は他にありません。

それもひとつの器量だとおもいませんか?




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その168につづく!


2013年8月10日土曜日

人体の神秘と真夏の夜の夢であってほしい話



エアコンのない密室で半裸になりながら、死を覚悟でレコーディングしていたのです。僕はもともと汗をかきにくくて、あまり代謝が良くないほうなのだけれど、この日はさすがに大汗をかきました。頭のてっぺんから爪先まで、大げさでも何でもなくバケツの水をかぶったような状態で、腕を下ろすと指からぽとぽと滴る始末です。肉体労働に明け暮れていたころを思い返しても、これほどずぶ濡れになった記憶はないから、さすがにこれは尋常ならざる事態と言わねばなりますまい。ふだんの汗腺が森田童子の「ぼくたちの失敗」だとすると、この日の汗腺はスチャダラパーの「ジゴロ7」です。何もムリにそんなたとえかたをしなくたっていいようなものだけど、ギャップの大きさはわかってもらえるだろうか?

でもつらいかと言ったらこれが逆で、ぜんぜん暑くない。というのは言いすぎですが、でもどちらかといえばさわやかです。きもちがいい、と言ってもいい。何しろ全身ずぶ濡れだから、ただ動くだけでもずいぶんすずしく感じられます。たぶん、サウナみたいな状態になってたんだとおもう。人体の神秘ここに極まれりです。死ぬどころか、かえって生き返ってしまった。アルバムの進捗状況については目をそらしておきましょう。


それでおもいだした怖い話がひとつあります。つい最近のできごとです。

夜中の2時だか3時だったとおもうけど、マンションの屋上で一服していたのです。丑三つ時もとうにすぎて、街はしずまり返っています。睡魔もひと仕事終えて、ヒマになるような時間帯です。

そこへとつぜん、バフンバフンと何かをはたくような音がひびきます。座布団とか、そんなものかもしれません。昼間にベランダから聞こえるような、そんな音ですがしかし真夜中であることを考えるといささか胡散です。しかも遠慮がちというより、八つ当たりにちかいような激しさが感じられます。おまけに始まったとおもったら延々つづいて、一向にやむ気配がない。

夜にしか家事のできない人もいるから、多少の物音に首をかしげるつもりはありません。でもそれにしては長いし、聞いていてつい「大丈夫ですか?」と声をかけたくなるくらい、勢いというか雰囲気が剣呑です。すくなくとも夜中の3時というのは全力で布団をはたく時間帯ではない。

音はマンションの東側から聞こえてきます。東側にはベランダがあって、隣接したらせん状の外階段を降りると部分的にその様子をうかがえる角度があります。この階段をいけば音にも近づきそうだし、ひょっとしたら何かわかるかもしれない。

そうおもって外階段に通じる扉をあけると、いきなり音が大きくなりました。じっさいに大きくなったというより、音にぐっと近づいたらしい。疑う余地はありません。音の出所はひとつ階下のベランダです。しかし最初に気づいてからもうだいぶたつというのに、まだはたきつづけているのだから根気のいいことだとおもう。

そしてよくよく考えてみたら、この階の住人は顔を知っています。名前までは知らないけど、日ごろから挨拶を交わすことはある男性です。ああなんだ、あの人が座布団を、そうか、そんならべつに気にすることもないか。真夜中だけど。とそれまで何だかよくわからなかった不安の解消に胸を撫で下ろし、階段からなにげなくベランダのほうに目をやると、思いもよらない光景が目に飛びこんできて心臓が止まりそうになりました。一瞬気がゆるんだぶん、却ってダメージが大きくなったんだとおもう。あんまりびっくりして僕もいきおい階段に伏せるような格好になりました。

何しろ、彼は全裸だったのです。

たまたまこっちに尻を向けていたから鉢合わせという最悪の結果はまぬがれたけれども、それにしてもこんなにばつの悪い思いをしたのはかつて覚えがありません。トカゲのように這いつくばったまま、息を止めてこっそりと外階段からマンションの屋内へと逃げ戻るわたくしをよそに、バフンバフンという例の物音はまだあたりに響いています。はたいていたのが何だったのかも結局わからずじまいです。とにかく見てはいけないものを見てしまった後ろめたさと、情けなさと申し訳なさみたいなきもちが渾然としてそれどころではありません。

怖くない?

ふむ、たしかにおっしゃるとおりです。でもちょっと視点を切り替えてみてください。とっぷりと更けた夜中の3時、だれもいないと安心して全裸のままベランダに出ているとき、それをすぐそばで見ているふたつの目があったとしたら?


ギャアアア!


いや、そのふたつの目は僕なんですけども。

もし彼が気づいていたら叫び出さずにはいられないくらい怖かっただろう、という話です。


教訓:真夜中に布団をはたくときはなるべく控えめに、かつ短時間ですませましょう。そして全裸は部屋のなか限定でおねがいします。


それにしてもなんか全体的にいろいろとギリギリな話だとおもう。


2013年8月3日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その166と1/2


「えー、相州は大磯の定吉さんから質問です」
「ちょっと待て。いろいろ待て」
「なんですか博士」
「これは何だ」
「今夜のゲストはムール貝博士です」
「おい」
「なんですか。うるさいな
「今うるさいと言ったな」
「言ってません。なんですか」
「これは何だ」
「マイクですよ」
「この耳に当ててるのは」
「ヘッドホンですね」
「この部屋は何だ」
「ラジオブースです」
「うむ、いちばん解せないのはそこだ」
「何ですか」
「なぜラジオ形式なんだ」
「なぜってそりゃ自作自演ですから」
「いつもそうだろ」
「いつものはちがいますよ!」
「まあいい」
「あらぬ疑いをかけたまま投げっぱなしはやめてください」
「よし、ここでCMだ」
「まだ質問も読んでないのに!」
「だいたいわかった」
「わかるんですか?読まなくても?」
「まあ、あまり気にしないことだ」
「もう答えてる!」
「CMいこう」
「どんな質問だったかわかるんですか」
「何か気になることがあるんだろう」
「そうですね…」
「だから気にしないことだ」
「そう言われるとぐうの音も出ないですけど…」
「じゃあまた来週」
「まだ質問も読んでないのに!」
「解決しただろ」
「解決がすべてだとおもったらおおまちがいです」
「どう考えたって解決がすべてだよ」
「犯人はお前だ!って先に言ったら意味ないでしょ」
「なんだ、犯罪なのかこれは」
「もののたとえです!」
「意味はある」
「だって事のあらましもまだ出てないのに」
だから聞かなくて済むだろ、それを
「ペンネームについての質問です」
「ふん、場慣れしおって」


Q. パンドラ的質問箱 その165でムール貝博士は質問者さんに「そして誰もいらなくなった」というペンネームを付与されましたが、その136でもそれに似た「そして誰もいななかなくなった」というペンネームを付与されています。


「ぎくり」
「これは由々しき事態ですよ」
「なにが由々しいんだ」
「だってほとんど重複ですよ」
「重複はしてない」
「元ネタは同じです」
「にもかかわらず重複してないからいいんだ」
「だって、いいんですか?」
「何がだ」
「底が知れますよ」
「一向にかまわんね」
「海のように深くて広い知識をお持ちだとおもっていたのに」
「深いとおもうのはそっちの勝手だ」
「そのじつ意外と遠浅だったなんて」
「潮干狩りにはうってつけだろ」
「アサリでもほじくるって言うんですか?」
「そうとも。アサリ、けっこうじゃないか」
ムール貝のくせに!


ピー

しばらくお待ちください


「失言でした」
「わかればいいんだ」
「じつはまだつづきがあるんです」
「何の?」
「質問のです」
「ああ、与太吉のな」
「定吉です」
「どっちでもいい」
「質問はこうです」


Q. 元ネタは言うまでもなくアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」ですが、これが2回も出てくるということはやはり女史の作品が相当お好きなんでしょうか?


「なるほど」
「どうですか」
「好きだよ」
「あ、やっぱり」
「ポアロ物以外」
「ほう……え?
とりわけ小煩いおばちゃんの描写で女史にかなう人はいまい
「ちょっと待ってください」
「なんだ」
「ポアロ物以外って言いました?」
「言ったよ」
アガサ・クリスティの作品は大半がポアロ物ですよ!
「ポアロときくとなぜかテリー・ジョーンズの顔が思い浮かぶんだ」
「それはモンティ・パイソンです」
「そんなことはわかっとる」
「女史の作品の半分は読んでないってことですよね?」
「ちがう。半分は読んでるってことだ」
「同じじゃないですか」
「ぜんぜんちがう。たわけたことを言うな」
「でも半分ですよ」
「そうとも。だからなんだ」
「それは好きと言えるんですか?」
「スティーヴィー・ワンダーのファンはこれまでにリリースされた30枚のアルバムをぜんぶ持ってるべきだって言いたいのか?」
「むむ」
「カボチャを好きなやつはその調理法を何十も知ってなくちゃいけないのか?」
「そんなことは…ないですね」
愛するとなったら何もかも知ってなくちゃならんのか!
「ガーン!」
「まったく、ばかばかしい」
博士に愛を説かれた!
「造詣の深さで愛情を計るなんてつまらんことだ」
「さっきの遠浅の話が急に説得力を帯びてきますね」
「海水浴と潮干狩りができてその上何を望むと言うんだ」
「こんな真っ当なことを言う博士はじめて見た」
「まず足下のアサリをよく味わえ」
ムール貝なのに…


ピー

しばらくお待ちください




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その167につづく!