2011年2月26日土曜日

その爆弾はどこに仕掛けられているのか?




ある朝、ごはんを食べようとしたらどこからともなく、奇妙な音が聞こえてくるのです。かすかにではあるけれど、どこか切迫したかんじの非日常的な音が耳に忍びこんできて居心地が悪いというか、落ち着かない。

何の音だろうとおもって食卓からあちこちに耳をちかづけてみるんだけれど、どうも判然としません。ひょっとして外かなとおもって窓を開けると、春を間近に控えた穏やかな日和で却ってしずかなくらいです。外ではない。不穏な空気は、部屋に満ちている。

不穏というのは、僕にはそれが時限爆弾のカウントダウンみたいな音に聞こえるからです。まったく不条理きわまりない。不憫なほどつつましく暮らす男の部屋にいきなり爆発物を持ちこむなんて横暴にもほどがあります。卵かけご飯に揚げ玉(天かす)をふりかけて食べることが数少ない贅沢のひとつであるような男の暮らしぶりが、つつましくないとでもいうのか?

たしかに善行と悪行を秤にかけられたら、微妙なバランスで揺れ動くだろうとは僕もおもいます。でもそれにしたって問答無用でバラバラに吹っ飛ばされる覚えはさすがにない。

気味がわるいし埒もあかないので、先入観を捨ててとにかくありとあらゆるものに耳をあて始めると、一瞬だけ音に近づいてハッとしたりもするのです。まちがいなく、手の届く範囲にその音はある。いったいどこから、そして何が何のために何を発信しつづけているのか?

何より、僕は朝ごはんをぶじ食べることができるのか?

これでもない、あれでもない、とひとつずつ可能性をつぶしていく消去法は、犯人を袋小路に追いつめていくような緊張感があります。だってもう、このへんにあるとわかっていて、そうでない無実のものを一個一個除外していくんだもの。真実が白日の下に曝け出されるのも時間の問題です。

そうして実際、辿り着いた真実はじつに驚くべきものだったと言わねばなりますまい。意外というなら、かの有名なモルグ街における殺人犯よりも意外です。ブルータスを呪ったカエサルのきもちがこの日ほど身にしみたことはありません。


(予想だにしていなかった音の出所に絶句しています)



豊島区在住Dさんからのご相談:
「うちの味噌汁から『チッチッチッチ…』という爆発前のそわそわした時限爆弾みたいな音がしてるんですけど、これはどうしたらいいですか?」



良識ある人なら「気にせずにお食べなさい」とか何とか言うでしょう。もうすこしつめたく「放っておきなさい」と言うかもしれない。真面目な人なら怒りだすかもしれません。僕だって人に突飛なことを言えばそれに見合った氷点下な反応が返ってくるくらい、何となく想像がつきます。そして、味噌汁から時限爆弾みたいな音がする、という話は実際たしかに突飛です。しかし今やありとあらゆる道が舗装されているこの文明社会で、「出口はあちら」みたいな選択肢しか示されないなんてちょっと信じられないし、第一あまりにも世知辛い。だれか救いの手を、もしくは(味噌汁だけに)掬いの手を差し伸べてくれたっていいじゃないですか?

問題は、数分後にこの味噌汁から未曾有の大爆発が起きて僕の身体が黒ヒゲ危機一髪みたいに吹っ飛んだら、いったい誰がその責任をとってくれるのか、ということです。どう考えたって味噌汁に爆弾がしかけられていることはないようにおもえるけれど、だからといってそれが爆弾でないという保証になるだろうか?いいえ、断じてなりません!だってすごく爆弾ぽい音がしてるし、すくなくともこの点だけは厳然として動かしがたい事実なのだから。大丈夫だと根拠もなしに請け負うなら今すぐここにきてこの味噌汁をひと息に飲み干していただきたい。そうして、飲んだら早急に、そして遠くに立ち去っていただきたい。この得体の知れない不安から逃れる術はもはやそれしかないのです。


ズズー


カタン(箸を置く音)


ふー


カチャカチャ(食器を片づける音)


ジャー(水を流す音)


ゴシゴシ(食器を洗う音)


ジャー

2011年2月23日水曜日

「オーディオビジュアル」の原材料を探る旅



折よく話の種をポイと投げてもらったので、御大タケウチカズタケのブログに取り上げられていた件についてお答えしておきましょう。僕もこの曲については当然、アルバムに先駆けて公開されていた去年の12月時点で鼻をぷーとふくらませていたのです。



ピンとこない方のために念のため書き添えておくと、今しようとしているのは「詩人の刻印」の最後に収められた「響宴/eureka」という一遍についての話です。もともとこれはこしらえたときからGhostfaceを意識していたトラックなので、驚きよりはむしろさもありなんというか、うまく的を射たような感慨のほうが大きいかもしれません。「しめしめ」というかね。

言われてみれば古川さんにさえあまり話したことがなかったような気もするけれど、3枚目の「オーディオビジュアル」になってようやく自分なりに「うーん、そうだな、だいたいこんなかんじだ」と嚥下できるようになった今の僕の方向性は、この「響宴」から始まっています。

そこから遡ること数年前にリリースされたGhostfaceの "Pretty Toney" は、僕にちょっとした閃きを、でなければ開き直りとも言えるちいさな確信を与えてくれたアルバムです。サンプリングどころかほぼ原曲そのままで歌も入ったまま上から強引にラップをかぶせた "Holla" や "Save Me Dear" の自由なこと!こんな荒技がまかりとおるなんてこれこそ Sugarhill Gang の "Rapper's delight" を想起させるヒップホップの真骨頂というものだし、それは目からウロコもぱらぱら落ちようというものです。

この "Pretty Toney" が僕にとって何より大きかったのは、アルバムそれ自体のキラキラした魅力とはまたべつの観点で、音楽というフォーマットに対する変な気負いや付け焼き刃の義務感みたいなものを取っ払ってくれた点にあります。それはもちろん、音楽的にすぐれたものを緻密に組み上げることができればいちばんだけれど、でも向き不向きということもあって僕にはやっぱり荷が勝ちすぎていたし、要は「無理をしない」ということですね。

こう書いてしまうと簡単なことのようにおもえるけれど、ものをつくる上で「無理をしない」というのはなかなか全身で理解できるものではないのです。どうしたって理想が先に立ってしまうし、第一それはともすれば全体の出来映えに直結して台無しになるようなことでもあります。ですよね?音楽に対する引け目みたいなものはこの際しれっと棚に上げておくとして、じぶんでせっせと用意しておきながらトラックメイカーを標榜することがないのも、そういう割り切りによるところが大きい。

ともあれ「響宴」のきっかけが "Pretty Toney" だとすれば(大胆な物言いだな)、「詩人の刻印」に収められている曲のなかでいちばん早くできたばかりか(2006年の最初です)、実際あれからビートとの向き合い方がはっきりと定まっていったわけだから、ひょっとするとじぶんで意識していた以上に意味のある邂逅だったのかもしれません。「あ、そうかこれでもいいんだ!」とたちこめていた霧がするすると晴れていくかんじ…1枚目と2枚目とでアルバムの雰囲気ががらっと変わったのもおそらくこのへんに理由のひとつがあるのです。(もちろんそれだけではないけれど)


 *


「響宴」ができてはじめてフラインスピンのボスに聴かせたとき、「ゴーストフェイスっぽいでしょ!」とふたりでキャッキャはしゃいだことをよくおぼえています。何しろ彼ときたら大のGhostface好きで、もっと言えば超のつくWu-Tang Clan好きで、さらに言うと狂のつくOl' Dirty Bastard好きで、いまだに冬になるといやにデカいウータンクラン仕様のダウンジャケットをもこもこと羽織っているくらいだから、僕としてもこのトラックはきっとよろこんでくれるはずと踏んでいたのです。(Flying Booksの3周年記念パーティーで初めて披露したときの店主の感想がまだここに残ってるんだけど、このときすでにGhostfaceについて触れています)

だから今回ゴーストの "2getha baby" が公開されたとき真っ先に話した相手もフラインスピンのボスでした。こんなに愉快なことはない、とふたりで悪そうな顔に微笑を浮かべたものです。


 *


しかしゴーストフェイスもまさか太平洋を隔てたちいさな島国のちいさな町でこんなふうにキャッキャ言われてるとは夢にもおもわないだろうな!


 *


そしてふと気づけばもうすこしでアルバムリリースから1年たってしまうというのに、この浦島気分はどういうことだろう。こないだ出たばっかじゃなかったのか?

2011年2月20日日曜日

僕がいかにブログを愛しているかということについて




どうやらブログの最長放置記録を更新したようです。

今さら何を切り出せばよいのだ、と投げ出した匙を数えるのもおっくうになってきました。アクセスもちゃくちゃくとゼロに近づいているのだから、何を期待されているわけでもないとはおもうけれども、そうなるとなおさら向こうが透けて見えるくらい動機がうすれてぺらぺらになり、鼻息でぴゅーと飛ばされたきり、戻ってこないということになります。


おもえば、こうして戻ってこなくなってしまったもののいかに多いことか…


(ためいき)


とりあえず山積みになったスプーンを洗って、それからえーと、カレーでもつくろう。


 *


誤解のないように申し添えておきますけれど、ブログがきらいなわけでは決してありません。それどころかブログを心から愛しているし、いっそ食べてしまいたいくらいだし、それなしで生きることなどかなわないときっぱり断言してもいい。むしろ好きすぎて手をふれることさえためらわれるから、うっかり汚してしまわないようにブログをていねいに折り畳んで、袱紗に包み、箪笥の奥へとだいじにしまって今やハレの日にしか取り出すことがないくらい、家宝級の扱いです。

これ以上わたくしに何ができましょう。


 *


ちなみに上の写真は女子大生がつくるLife Style Magazine 「VENUS」なのですが、これを読むとどういうわけか娘の言動に振り回される父親のようなきもちに苛まれます。


もくじ
・恋愛タイプ別診断
・全国のお鍋を知ろう!
・ケーキ屋さんとのコラボ
・冬のファッションはおまかせ!
・イケメン大図鑑


基本的には一昨年に惜しまれつつも休刊となった「小学六年生」の女子ページとつくりがだいたい同じなので、ちょっと背伸びをしたいローティーン女子はこれをお手本にするといいよ!


※参考資料