2023年3月31日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その387


普段はじっくりコトコト煮込むように数時間かけて大事に大事に書いていますが、アグロー案内用の新しいテキストが今まさにまとまりかけているところなので時間をかけずにサクッと参りましょう。


天国と事後報告さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. クライミングが趣味なのですが、周りの知人が興味を持ってくれません。どうしたら巻き込んでクライミング好きにすることができるでしょうか。


クライミング、いいですね。僕なんかは目の前に木や岩山があるとすぐ登ろうとする習性があるのですごくそそられますが、しかし普通はそううまくいきません。多くの人にとって岩壁は単なる大きめの壁であって、そのへんのコピー用紙を眺めるのと大差ないのです。

したがっていきなり魅力を伝えようとするよりも、気づいたら断崖や絶壁に親しみを感じる、というところまですこしずつ無意識下に刷り込んでいくほうがむしろ有効であると思われます。

具体的にはたとえば、断崖に住居を吊るして、そこに引っ越すことです。いわゆるポータレッジの拡張版ですね。その上で「引っ越したから遊びにおいでよ!」と友人を気楽に誘います。引っ越した部屋が崖にぶら下がっていることはとりあえず黙っておきましょう。もちろん崖の下から部屋までたどり着くにはちょっとコツがいるので、どこに手を伸ばし、どこに足を置いたらよいかを手取り足取り教えます。クライミングをしているわけではありません。ただ部屋に誘導しているだけです。階段が急だから気をつけてね、くらいのイメージです。

最初は地上2メートルから始めて、部屋へ誘うたびに1メートルくらいずつ上げていきます。これを繰り返していけばいずれ数十メートルの崖も難なく登れるようになるでしょう。部屋に遊びに来ただけの友人たちもまさか自分がクライミングをしていたとは、夢にもおもわないはずです。

あるいはまた、貴婦人がハンカチを落として目当ての紳士に拾わせる恋のテクニックを応用してもよいでしょう。この場合、落とすのはクライミングで使われるカラフルな突起物、いわゆるホールドです。幾度となく目の前で落とし、幾度となく拾ってもらっているうちに、「ところでこれは何?」と興味を示してきますが、ここではまだ明かしません。恋する相手の気を引くように、「ちょっとね」とお茶を濁しておきます。頃合いを見計らってオフィスとか部屋とかの手近な壁にホールドをいくつか固定しておけば、「あれ?これ見たことあるな」と触れる気になり、触れればこれまでも拾うときに掴んでいるので、手に馴染むことが瞬時に理解できるはずだし、何ならそこでちょっと登り始めるかもしれません。あとは映画でも観に行くようにさりげなく断崖へ誘うだけです。


A. ハンカチを落として目当ての紳士に拾わせる恋のテクニックを使いましょう。


ただ、個人的にはすでに親しい人を巻き込むよりも、むしろクライミング側で知人を増やすことに労力を割いたほうが、人生の後半では圧倒的に大きな意味を持ってくると思います。ほんとに。




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その388につづく! 

2023年3月24日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その386


すっぱいファミリーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 「プランAでもプランBでも私はそれほど興味がないのでお好きにしてくださいな」をやわらかい言葉に置き換えられずにいます。身の回りに手頃な道具もないときどうやって意思表示をしたらいいですか?


ふむふむ。身の回りに手頃な道具がないとき、というのはおそらくバールとか、振り下ろして意識を失わせるのにちょうどいい鈍器がないとき、ということですね。

できればあまりそこに時間を割きたくないけれども、かといって失せろこのクソボケサルと吐き捨てるわけにもいかない大人としての苦悩がひしひしと伝わってきます。

お気持ちはすごくよくわかりますが、しかしいくら角が立たないようにやわらかく言い換えたところで、求められた意見を放棄するという意味ではまったく同じである点に注意しましょう。そして意見の放棄は印象が悪くなることはあっても、良くなることはまずないというリスクを常に孕みます。ほっといてくれるだけでいいのに、人生の不条理まさしくここに極まれりです。

逆に「AでもBでもいい」のだとしたら、興味がなかろうと何も考えずにAもしくはBを選んでしまうほうが手っ取り早い上に印象もめちゃ良いのではないか、と僕なんかは思います。一瞬でも迷いたくないのであれば、常に先に示されたほうを選べばよろしい。比較も検証も必要ないし、極端な話AとBが何なのかを知る必要さえありません。AとBならA、右と左なら右、1と2なら1、罪と罰なら罪、千と千尋なら千、ヘンゼルとグレーテルならヘンゼル、みきおとミキオならみきお、ハリー・ポッターとアズカバンの囚人ならハリー・ポッターです。理由を聞かれたら「ピンときました」の一言で事足ります。

どっちでもいいけど決めることだけはどうしても避けたいというのであれば、そうですね、これはできれば使いたくなかった奥の手になりますが、深紅の口紅を塗り、妖艶な笑みを浮かべながらねっとりとした口調で ”As you like it.” と甘ったるく伝えましょう。ばちーんと音がしそうなウィンクからの舌なめずりに投げキッスで試合終了です。


A. こんなことにならないためにも、手頃な鈍器を近くに常備しておきましょう。




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2023年3月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その385


荷重100%さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. お風呂場のお湯と水が蛇口を閉めても止まりません。漏れ続ける水の利用方法を教えてください。


よい心がけです。あるがままに欠陥を受け止め、それを慈しむばかりか、さらなる高みへと誘う高僧のような姿勢には、わたしたちも大いに学ぶべきものがあります。質問でありながらそれ自体が答えとして完成しているなんて禅問答みたいな話です。個人的には「早く修理しなよ」と思わないでもないですが、考えてみれば徳の高い僧は自分で蛇口の修理なんかしなさそうな気もするし、功徳を積むつもりですこし向き合ってみましょう。

手塚治虫による不朽の名作に「火の鳥」という壮大なシリーズがあります。中でも最高傑作との呼び声も高い一編が、「鳳凰編」です。ここでは隻腕にして隻眼の賊である我王と仏師である茜丸の交錯する人生が圧倒的な筆致で描かれています。

どちらかというと作中で比重が大きいのは我王のほうかもしれませんが、ここで取り上げたいのは茜丸のエピソードです。

一流の仏師となるべく研鑽を重ねていた茜丸はある時、ただ気に入らないという理由で我王に右腕を斬られます。彫刻を生業とする者にとって利き腕の自由を失うことは、死にも等しい悲劇です。

その傷を介抱した寺の住職は、もう仏師ではいられないと絶望する茜丸にある彫刻を見せます。今にも動き出して飛び跳ねそうな、鹿や猿の像です。あまりの出来栄えに驚嘆する茜丸が彫り手の名を尋ねると、住職は境内にある鹿威しを指します。斜めに切った竹が水の重みで石に当たってカコーンと鳴る、アレですね。

要はしたたる水の下に石を置き、長い年月をかけてすこしずつ位置をずらしながら滴の弱々しい力だけで動物の形に仕立てていたのです。

ちなみに僕は鳳凰編を小学生のころ読んでいたので、「雨垂れ石を穿つ」という諺には故事があってそれがこれだとかなり長いこと思いこんでいました。それくらい説得力のあるエピソードです。

もうおわかりですね。漏れつづける水の利用法はいろいろあると思いますが、いただいた質問に対する答えという意味ではおそらくこれしかありません。


A. 何らかの像を彫りましょう。


ちなみにひとつ彫るのに7年くらいかかるそうです。必要ならそれとは別の新しい蛇口を取り付けてください。




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その386につづく! 

2023年3月10日金曜日

鮮やかな色彩と共に命を吹きこまれた化石のような


よくぞはるばるここに辿り着きなさった、と時々は言わねばなりますまい。

ところ狭しと生い茂る背の高い雑草をかき分け、山と積まれた古タイヤとか洗濯機、座椅子なんかの粗大ゴミを乗り越えた先にある朽ちかけた扉はペンキが剥がれ、蝶番も外れて立てかけた板も同然の有様、これを蹴り破るも薄暗くて蜘蛛の巣を払いながらでは足を踏み入れるのにも勇気がいるけれども、そうでもしなければ辿り着くはずもない一部屋が、つまりここです。

よくぞはるばる……と目頭を抑えながらやはり言わねばなりますまい。

浜辺に打ち上げられた栄螺の貝殻のようにポツンと異彩を放ち、たまたま散歩あそばしていた貴族の令嬢の目に留まり、その白魚のような指で拾われたのちは末永く愛でられたと今もまことしやかに語り継がれるアグロー案内 VOL.4についてはおおむね語り尽くした気もしますが、最後に異彩中の異彩ともいうべき「すきまから滴る夜に/underground astrologia」についてすこし触れておきましょう。



なぜ異彩かと言えばまずその由来が書いた当人にもよくわかっていないからです。いつ、そしてなぜこれが書かれたのか、今もってさっぱり思い出せません。ただテキストだけがハードディスクにぽつねんと残されており、おそらくこう読まれたに違いないという推測のもとに再現しています。化石から復元された恐竜みたいな一遍です。

ざっくり復元図を描いたのが僕だとしたら、化石からDNAを抽出し、鮮やかな色彩と共に新たな生命として蘇らせた、ジュラシックパークさながらのマッドサイエンティストがタケウチカズタケです。ここには御大の卓越したセンスとその超絶技巧が惜しみなくぶちこまれています。

何しろこれ、トラックが後なのです。トラックに合わせてリーディングをしたわけではない。というか何ならリーディングをどこにどう当てるかを決めたのも僕ではないのです。かなりハードな音韻がこう乗るとは正直思ってもみなかったし、それでいてこの乗せ方こそが全体のファンク度をより高めているあたり、おそるべしと感嘆するほかありません。

肝心のテキストとリーディングがそのクオリティに見合っているのかすこし心もとない気もするけれど、じつはとんでもない音楽的スキルに基づいて完成した作品であることを念頭において、ぜひ聴き返してみてください。

2023年3月3日金曜日

「アグロー案内」の奥行きが変わる細部について、その3


世界各国のウィークリーチャートを瞬く間に席巻してトレンドに上がらぬ時とてなく、取材やらオファーやら次から次へとひっきりなしで片っ端からお断りせざるを得ないような状況のイメトレに余念がないアグロー案内 VOL.4、今回は山本和男待望の新作である「推理の時間/tilting at windmills」についてお話しいたしましょう。

年末に人知れず開催されたライブイベント「アグローと夜(AGLOE AND NIGHT)」では宿敵である森脇(もりわーきー)教授との最後の対決にいよいよスポットが当てられるとお伝えしたような気がしないでもないので「あれ?」と思われた方も数人はいらっしゃるかもしれません。対決ではなかったのか?その気持ちはよくわかります。しかし名探偵といえば何と言っても鮮やかな推理です。推理をしない名探偵など開かないパラシュートみたいなものであって、それはただ地面に激突するだけの落下物にすぎません。パラシュートである以上は開かなければ始まらないし、だとすれば名探偵もまた推理をしなければ始まらないのです。

この曲のイントロではいかにも古めかしい、時計の金属音が使われています。デジタル中心で秒針という概念すら希薄な今となってはカチコチという擬音も何を意味しているのかちょっとわかりづらくなっていますが、これは実際に今もウチでふつうに使っている振り子時計です。昭和初期のものなので、かれこれ100年近く現役ということになります。良い音だからと使うあてもないのに録音しておいた甲斐がありました。実際これほど完璧な使いどころはこの先絶対にないと思う。古時計も、持っておくもんですね。



今回の英題 "tilting at windmills" についても触れておきましょう。tiltは「突撃」、windmillsは「風車(ふうしゃ)」です。これはかのドン・キホーテが風車を敵と思いこみ、大立ち回りというか盛大な空回りをした有名なエピソードを元にした慣用句で、ありもしない敵に戦いを挑むこと、つまり「独り相撲」を意味しています。

名探偵山本和男がいったい何を相手に勝利を収めようとしているのかを露骨に示唆する、何ならこのタイトルが「事件の謎を解く山本和男」というさらに大きな謎を解く手がかりでもあったわけですね。

それにしても、タケウチカズタケと小林大吾のどちらか一人が欠けたら成立しない表現がまさかこういう形で結実するなんてまったく、しみじみと感慨深いものがあります。

気づいたらシリーズを継続しなくてはならない最大の理由になっているところが最高じゃないですか?