2021年9月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その343


二本チョキさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)奈良時代に成立した、日本に伝存する最古のチョキですね。


Q. ずっと仲が悪かった人と友好的な関係を築く方法はありますか?


これはなかなか、考えさせられる質問です。仲が悪いということは一方だけでなく、互いに忌々しいと感じているわけだから、ある意味では緊密な関係とも言えましょう。少なくとも僕自身は、苦手な印象を抱くことはあっても仲が悪いとまで言える人は思い浮かびません。その関係をキープしつづけるのはなかなかタフなことだとおもう。

そう考えると「仲が悪い」というのは、気が合わないと互いに自覚しているにもかかわらず接触が断たれずにぶつかり続けてどっちも引かない点で、かなり興味深い関係である気もしてきます。仕事上とか同好の会とか、一方的に断つことが難しい関係はままありそうだし、おそらくそういうことなんだろうな、と勝手に想像していますが、そうであろうとなかろうと、いちばん手っ取り早いのはじぶんにとって適切な距離をとることと、相手を受け入れることです。

相手を受け入れるというのは必ずしも同意と共感を意味しません。正面から受け止めるのではなく、それはもうそういうものとして受け流す、という意味です。いけすかないとか忌々しいという感情はじぶんがおもうよりも人に伝わっている可能性があるし、それを表に出せば相手も同じ印象を抱くことになるので、当然関係は悪化の一途を辿ります。

こちらが適切な距離をとって悪印象を与えさえしなければ、仲が悪いことにはなりません。ただこちらが苦手だなとおもうだけだし、向こうもしいて悪印象を抱くことはないでしょう。向こうが変わるわけではないのでひょっとするといけすかないのはそのままかもしれませんが、すくなくとも仲が悪いという呪縛からは逃れることができます。

譲れそうなら譲っておく、というのは僕がおもうにゆるがせにできない人生訓のひとつです。意見だけでなく、車の運転時や電車の座席にしてもそうだけれど、譲るときに敗北感を抱くと人は衝突しがちです。

でも実際のところ、その敗北は人生において大した意味をもちません。譲ったからといってそれは何かを失ったわけではなく、ただ手に入ったかもしれないものを手に入れることができなかった、というだけです。もちろん譲れないときもあるけど、本当に譲れないものってそんなに多くないんじゃないだろうか?

物事を大らかに受け止めることに対して、峻烈な敵意を抱かれることはまずありません。そう簡単に大らかにはなれないからこそ人生はハードなんだけど、そう心がけるだけでも世界はすこし変わります。もし大らかに譲ることができたらそれはもう確実に相手にはない「徳」と言っていいし、徳を得たなら堂々と胸を張ってお天道さまに誇れるし、そうおもうと気分もすこし和らぎます。

僕もつねづね心がけていることだけれど、何か状況を変えたいとおもうときは、まずじぶんが変わることです。たとえ相手が変わらなかったとしても、こちらが変わることで状況は目に見えて変わります。

そしてそれはまた、結果として人との関係も友好的に変えてくれるでしょう。なんとなれば相手にはもう、こちらを忌々しく感じる要素がなくなってしまうからです。

こう話す僕自身にそれができているかといえば、今も全然できていません。できてないけど、そう心がけることでときどきうまくできることもあって、それは僕の誇りや自信、よろこびにつながっています。ヒュー!やるじゃないか!よく踏みとどまった!ともう1人の自分が僕を肘でつつくようなイメージです。うまくできたじぶんを労う、というのもだいじなことのひとつかもしれないですね。

人生とはこういう本当に小さなことの積み重ねです。うまくやれるときが100%では全然なく、がんばっても10%だったとしても、その10%にはものすごく大きな意味があると僕はおもいます。


A. 適切な距離をとること、相手を受け入れること、何より自ら変わろうとすることです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その344につづく! 


2021年9月10日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その342


支那そばみたいな恋をしたさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 最近、Hip Hopの流れから、少しずつSoulやFunk、Jazzを聞き始めるようになったのですが、初心者におすすめの一枚(もっと言うなれば、これだけは避けて通るな!な一枚)を教えて下さい。もしよろしければ、なぜそうなのかという解説付きで、是非!


これはときどきいただく質問のひとつなので、ひょっとしたら以前にもお答えしているかもしれません。ただ、僕自身が以前とはちょっと受け止め方が変わった気もするので、改めて考えてみましょう。

好きなアーティストが影響を受けたものや、たとえばヒップホップでサンプリングされた楽曲からソウルやジャズに興味が湧くのは僕もそうだったし、すごく自然なことですよね。

今が以前と決定的にちがうのは、ネットによって情報の収集がしやすく、かつ音楽の聴き方がサブスク中心である、という点です。

たとえば僕のケースで言うと、10代のころよく聴いていた Digable Planets の "Rebirth of Slick (Cool Like Dat)" という曲があります。


ここで聴かれる印象的なホーンのサンプルがジェイムス・ウィリアムズもしくはアート・ブレイキーの "Stretchin" という曲から取られている、ということまではアルバムのクレジットでわかるんだけど、そこから実際にその音源に辿り着くまでたぶん数年かかっています。

というのも、"Stretchin" という曲が彼らのどのアルバムに収録されているのか、まったくわからなかったからです。とくにアート・ブレイキーはぜんぶで一体何枚あるのか今でもわからないくらいとにかく大量のアルバムがあるので、なんというか、その時点であきらめるには十分だったんですよね。

もちろん今はちがいます。ちょっとググればどのアルバムに収録されているかなんてすぐにわかるし、なんなら Apple Music なんかで Digable Planets を聴くだけでオススメとして出てくる可能性もあるでしょう。もちろん YouTube も同様です。

かつての僕のように、まず何から聴いたらいいのか、しかもその手がかりがろくすっぽなかった時代には「初心者にオススメの一枚」がすごく重宝したものですが、今は実際のところその必要があまりありません。なんとなればソウルとかジャズをヒップホップと絡めて検索すればそれに準ずるプレイリストが山のように出てくるからです。

そして(ここがまた重要ですが)そこでオススメされるアルバム、もしくは楽曲は、おそらく僕個人がオススメするものとそう大きくは違いません。あるジャンルにおける名盤は、その筋の人に訊けば誰でも挙げるし、誰が聴いても良いとおもえるはずだからこそ名盤なわけです。

だとすると僕がここでたとえばカーティス・メイフィールドやドナルド・バードの1枚を挙げたりする意味は果たしてあるだろうか?いや、ないだろう、じゃ他ではあまり挙げられないような1枚を取り上げるべきだろうか?いや、それじゃそもそもの主旨とちょっとズレてしまうしな……という葛藤が生まれてしまうのですね。

再び僕個人のケースをお話しするなら、僕がソウルの沼に沈んで溺死するきっかけとなった1枚は、1977年にリリースされた Joneses のLPです。

同じように、ジャズの沼に爪先をちょっとだけ浸すきっかけとなったのは1956年にリリースされた Horace Silver And The Jazz Messengers のLPです。色が違うだけで同じジャケのLPがあるので一応補足しておくと、最初に出会ったのは水色のほうです。今の僕が好きなのはオレンジのほうなんですけども。

はっきりしているのは、興味がある方向でいろんなものを手当り次第に聴いていたらすごくしっくりくる1枚に出会った、ということです。そして今の時代は以前とちがって、それがもっと手軽にできる環境も過剰なほどに整っています。少なくとも以前のようにアルバム1枚だけのために対価を支払う必要はない…ですよね?

なので、今の僕に言えそうなのはとにかくその環境を最大限利用して、片っ端から聴いてみること、ということになります。聴けば聴くほどオススメの範囲も広がっていくし、とにかく何だかわからないなりに再生してみることがいちばんです。

その上でもうひとつ付け加えておくと、サブスクは無限にもおもえる音楽を楽しめるように見えるし、実際そうなんだけれども、過去にリリースされたすべての音源が配信されているわけではありません。これは何気にすごく重要なことで、権利関係とかアーティスト自身の意向といったもろもろの事情から、配信されていない音楽がこれも無限のように存在します。なぜこれが重要かというと、サブスクがデフォルトになるとそこに含まれない音楽が存在することに気づきにくいからです。

たとえば僕は Ledisi というアーティストの "Feeling Orange But Sometimes Blue" というアルバムが大好きだったのだけれど、たしかこれはApple Musicでは配信されていません。でもそれ以降のアルバムは配信されていたはずなので、新たに聴き始める人にとってはそれが何枚目のアルバムなのかという点でおそらく食い違いが生じます。実際僕が好きだったアルバムは、再生機器が消失しつつある今でも、CDやLPでしか聴く方法がないのです。

たかだか20年くらい前の音楽ですらそうなのだから、それ以前となればなおさらです。

この点に意識が向くと、音楽の世界は劇的に広がります。

なのでその前にまずはネットなりサブスクなりでオススメされるものを片っ端から聴いていきましょう。聴きまくれば聴きまくるほど、最初はあまりピンとこなかったものがピンとくるようになります。僕にとってはジャッキー・ウィルソンとかインプレッションズがそんな感じでした。

ソウルミュージックで検索のヒントになりそうなサブカテゴリを挙げるなら、ニューソウル、ノーザンソウル、ディープソウル、フィリーソウル、シカゴソウル、モダンソウル、グループソウル、クロスオーバーソウル、アーリーソウル、アーリーフィリー、ダンスクラシックス、Pファンク、エレガントファンク、ディープファンク、ブラコン、モータウン、スタックス、ブランズウィック、ソーラー、サルソウル、あたりでしょうか。

ちなみにこのサブカテゴリの半分以上を網羅してしまう、おそらく唯一といっても過言ではない空前絶後のスーパーグループが、Isley Brothers です。なので、アイズレーの60年代、モータウン時代(!)から70年代のファンク、80年代のメロウを通じて今の今に至るまで、数十枚のアルバムをひと通り聴いてみる、というのはソウルミュージックとサウンドの変遷を知る上で意外とアリな手のひとつかもしれません。初期と後期では本当に印象がまったく違うのでたぶん耳を疑います。もちろん僕はぜんぶ好きだし、サブスクでもぜんぶ配信されている…はずです、おそらく!


A. とりあえずソウルに関しては Isley Brothers のアルバムをぜんぶ聴いてみるのがオススメです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その343につづく! 

2021年9月3日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その341


たけのこの佐藤さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 地域によって鎌だとか鍬だとか農具の形が少しづつ違うことを最近知ったのですが、身の回りのものでこれちょっと普通じゃないなという形のものはありますか。


これまでもツイッターで何度かふれてきましたが、僕の身の回りでちょっと普通じゃなさそうな形といったら、何はさておき文化鍋です。少なくともこの数十年、僕の身近で使っている人に出会ったことはありません。


どことなくおっぱいに見えなくもないのは把っ手がなくなってしまったからです。

ウィキペディアにもあるように、文化鍋とは主に炊飯用の鍋です。僕が生まれたころにはもう炊飯器が一般的だったとおもうけど、どういうわけかうちは炊飯器ではなくずっとこの鍋で米を炊いていました。実家が炊飯器に切り替えたのち、僕がそれを引き継いだのでたぶん40年以上は現役で使っていることになるとおもいます。

使い方はすごく簡単です。米を研ぎ、水を張り、30分くらい浸したら強火にかけ、沸騰したら弱火にして、15分くらいで火を止めます。10分蒸らせば炊き上がりです。コツもへったくれもありません。炊き込みご飯とか、ちょっとお焦げができたらうれしいな、というようなときに調整できるのはちょっとした強みですね。


最大の難点は保温ができないことで、僕もかつては米を保温するためだけの「保温ジャー」を持っていましたが、保温する必要を感じなくなった時点で処分しています。米を保温するためだけの家電なんだから、そういえばこれも家庭ではあんまり普通じゃないもののひとつですね。保温しかできないジャーを置くくらいなら炊飯器にしなよと今ならおもいますが、当時その発想は全然なかったです。なんかもう、そういうもんだとおもってごはんをせっせと鍋から移し替えてました。

もちろん、というか何というか、ふつうに炊飯器を使っていた時期もあります。誰からだったか「炊飯器もらったんだけど、よかったら持ってく?」みたいな流れでありがたくいただいたのです。そもそもがこだわりというよりこれで炊けるなら別にこれでいいじゃないかくらいの気持ちで使っていたから、とうとううちにも文明の利器がやってきたと心躍ったことを覚えています。何と言ってもいちばんテンションが上がったのはタイマー機能で、朝起きたら自動でごはんが炊けてるとかすごい、まじすごいと感動してました。念のため申し添えておくと、この時点で昭和ではなくとっくに平成です。

そこからなぜまた文化鍋に戻ってしまったのかは、いまいちよく覚えていません。ただ文化鍋はもともと炊飯用ではあるけれど、パスタを茹でたり豆を煮たり、ふつうに鍋としてもばりばり重宝するので、別に炊飯器なくても困らないというか、これもあんまり必要性を感じなくなっちゃったんですよね。

あと、何と言っても文化鍋の強みは「とにかく頑丈であること」です。一応把っ手はプラスチックだったとおもうので消耗するというか割れたり溶けたりして、うちのも今や跡形もありません。でも雪平鍋なんかとちがって、なくてもふつうに使えるというか、本体はアルミ鋳物だからどんなに乱暴に扱っても本当に、まじで、全然、壊れない。電気も不要だし、世界が滅亡したのちのサバイバル中に背後から何者かに襲われた時なんかは鈍器や防具にもなります。

じつはもうひとつ、祖母が亡くなったときにストックしてあった新品の文化鍋を引き取って持っているのだけれど、何しろ現役の鍋が一向に壊れないので今も新品のまましまってあります。この分だとたぶん死ぬまで開封できないんじゃないかとおもう。

シンプルにして頑丈きわまりない、実用的な美があるとしたら、まちがいなくこれがそのひとつです。土鍋でごはんの美味しさを極めるのもいいけど、僕なら同じ直火でしかも圧倒的に汎用性が高い文化鍋のほうをぐいぐい薦めます。

一見めんどくさそうにおもえて、炊飯器もけっきょく内釜を洗わなきゃいけないこと考えたらそんなに大差ないとおもうんだよな。

土地によって形が変わるもの、では全然ないですけども。


A. 文化鍋です。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その342につづく! 


2021年8月27日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その340


おむすびキャロラインさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 私は廃墟好きです。廃墟のノスタルジックな雰囲気が好きでいつか行ってみたいと思っているのですが、何かあったらと怖くて行けないので、いつか死んだ後に自由気ままにあちこち廃墟を巡ってみたいと楽しみにしています。(マイナスな感情ではなく、ただそう出来たら楽しそうだな〜という感じで。)そういった生きてる時は行けないけれど、死んだ後だったら行ってみたい。という場所はありますか?


これはいい視点です。すくなくとも僕は「いつか行ってみたい」ではなく「死後なら行ってみたい」という視点を持ったことがなかったので目からウロコがぽろぽろ落ちました。たしかに生きていても行けない可能性がふつうにあるなら、夢として思い描く範囲を生前に限定する意味はさほどありません。脳内から死というリミッターをはずすだけで眼前に果てしない自由が広がるというのに、なぜ今までたかだか数十年の視野しか持っていなかったのか、どすどすと地団駄を踏むばかりです。廃墟は僕も大好きなので、世界中の、誰にも気づかれていないような廃墟を心ゆくまで巡りながら恍惚に浸りたいですよね。想像したら本当に生死はどうでもいいような気がしてきます。

他に思い浮かぶのはまず宇宙です。はしっこも気になるし、ブラックホールの中とか、よくわかってないけど事象の地平面もそそられます。地球よりはるかに大きい太陽よりはるかに大きい、とにかく宇宙でいちばん大きな星の、実際どれくらい大きいのか、というかそもそもその大きさを実感できるものなのかを確かめてみたいし、何しろ死後なので気の済むまで宇宙空間をクリオネのように漂いたいです。時空をスルーして好きなところへほいほい飛んでいけるならなおいいですね。なんなら過去や未来へも行けるかもしれないし、そうなるともう一生、というか死んでるので一生というのはつまり永遠ですが、飽きることはなさ…

待てよ、でもたぶんこれそういう話じゃないよな、とここまで書いて気づいたのでそそくさと地球に戻って考えると、真っ先に思い浮かぶのは(さっきのはノーカウントです)、イエメンにある直径30メートルのバカでかい穴、通称「バラフートの井戸」です。

Well of Barhout」でググると画像がいっぱい出てきます。要するに「地上に空いているバカでかい穴」です。バラフートの井戸に限らず、地球上にはこうした、とにかく巨大で、しかも何だかよくわからない穴がいくつもあります。

去年ニュースになっていた、シベリアのバカでかい穴もそのひとつですね。



今ならひょっとするとドローンとかで調査できるのかもしれませんが、今のところこうした地上のバカでかい穴の底に何があるのかは基本的にはっきりしていません。数十メートルから場合によっては百メートル以上の深さがあることもあって、21世紀の科学力を惜しみなく注がないとムリという超高難度なので、今でも「なんかクソでかい穴がある」という認識しか得られずにいるのです。その底にふわーっと降りたい。

バラフートの井戸はすごい悪臭が漂っていて、そのために「悪魔の牢獄」と呼ばれているらしいし、万が一降り立つことができたとしても底に何があるのかわかったものではありません。ガス、毒、未知の生物…そういうものをまったく気にせず鼻歌まじりに探索できるのだから、これは確実に死後のおたのしみ案件です。

それからメキシコの水中洞窟(そこにしかないというよりそこがいちばん有名だからですが)にある、海水と淡水が水中でぱっきりと分かれたその界面を見てみたいです。塩分躍層(halocline)と言って塩分濃度のちがいによって海水と淡水が混ざることなく隣り合っているので、水中に川が流れているように見えると言います。何を言っているのかわからないかもしれませんが、じっさい水中に川が流れているとしか言いようがないのです。




以前BBCの「Planet Earth」で観たその一部がYouTubeにもあったのでちょっと借りてきましたが、特にこの動画の30秒あたり、よく見ると水の中に別の水があります。何を言っているのかわからないかもしれませんが、本当に水の中に水があるのです。これなんかは地上に空いたバカでかい穴とちがって映像を見ることはできるし、専門的なダイバーによって今も解明が進んでいる世界ではあるけれど、仮に潜ってみる機会が与えられたとしても生きて地上に戻れないかもしれないという恐怖に打ち克つ自信がまったくないので、やっぱり死後のおたのしみ案件ですね。

バラフートの井戸と水中洞窟の塩分躍層、どっちにすると言われたら、うーん…どう考えても死ぬしかないという点で、前者が勝つかなあ。すくなくとも水中洞窟を探索したダイバーはちゃんと生還してるし、その記録も多く残されてるけど、超でかい穴はほんとにただ超でかい穴として今もそこにあるだけですからね。バラフートの井戸にします。そもそも水中が大好きなので、それだけでも水中洞窟はかなりポイント高いんですけども。


A. バラフートの井戸の底に降りたいです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その341につづく! 

2021年8月20日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その339


コンデンス弥勒さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. コロナの流行により不要不急の行動は控えろとのお上からのお達しにより観光に限らず様々な職種の方が苦労された一年でしたが、仕事においては出張がなくなった程度で私生活においてもあまり変化がありませんでした。何か自分自身がそもそも不要不急に対し不要不急の気がしてきて今年を振り返ったとき悲しくなりました。何か良いアドバイスを下さい。


お気づきかとはおもいますが、これは最近いただいた質問ではありません。去年の年末の話です。

パンドラ的質問箱では待てど暮らせど誰からも質問がこないという、ほっとけば確実にそうなる事態を避けるため、年賀状と引き換えに質問を徴収する非常に画期的なシステムを採用しています。したがって満を持してお答えするころにはすでに数年が経過していたり、なんなら質問をくださった方がすでに遠く離れて戻らないことも往々にしてあるわけですが、かれこれ8ヶ月が過ぎてもなお禍中、もとい渦中にあり、近未来からまだマシだった過去へのメッセージみたいなことになるケースはおそらくこれが初めてです。

去年の12月といえば、「かつてない大きさの第3波がきていてとにかくヤバい」という状況です。東京では新規感染者数が初めて1000人を超えた月であり、月単位では約2万人と前月の倍近い増加でした。1000人を超えるとさすがにそれまでとは一線を画すような印象があったので、僕も身が引きしまるような思いだったことを覚えています。

さてその8ヶ月後はどうなっているかというと、「せめて1000人くらいまで減ったら少しは息がつけるのになあ」とたぶんみんな思っています。第4波どころか、これまでとは比較にならない第5波です。東京は一日の感染者数が5000人くらいなので、去年の12月分は今の4日分くらいになります。去年の危機感を基準にするなら今ごろみんな発狂していてもおかしくないですが、ワクチンの接種が進んだこともあってか、実際のところそうでもありません。

近未来人として過去の僕らに語りかけるなら、かつてない危機を訴える緊急事態宣言の真っ只中に東京五輪が安心と安全を掲げて晴々しく開催され、日本は史上最多のメダル数を獲得し、無観客ではあるもののたいへんな盛り上がりで「感動をありがとう!」と多くの国民が涙したことも特筆しておくべきでしょう。

ただ残念ながら「緊急事態(超ネガティブ)」「安心・安全(超ポジティブ)」を同時に展開するアンビバレントな状況に陥ったため、緊急事態って何がどう緊急なんだっけ?という空気になってしまったことは否めず、気がついたらかつてない規模の感染爆発が起きて今に至ります。因果関係はまったくないらしいので、パラリンピックも数日後に滞りなく開催される予定です。

言うまでもなく、収束の見通しは立っていません。8ヶ月後の未来から送るアドバイスとしては「いずれ不要不急どころじゃなくなるし、まだ大丈夫!」ということになるでしょう。

率直に言って、8ヶ月後の僕らは疲れ果てています。もちろん危機感はずっと抱いているけれど、去年の12月とたぶん同じではありません。医療は逼迫どころか崩壊し始めているので、とにかく体調を崩してはいけないとじぶんに言い聞かせる日々です。ただ風邪が悪化するだけでも、診てもらえそうな病院はありません。何しろ原付でちょっと走ればかなりの確率で救急車とすれ違うのです。

ワクチンの効果はまちがいなくあって今では不可欠だけれど、ウィルスの変異と猛威はそれを凌駕するほど激しくて厳しい、ということですね。

質問に戻りましょう。もし去年の12月の時点で、今の僕らが経験している8ヶ月後とはちがう未来に分岐するなら、まだ間に合うしどうにでもなると今の僕は請け合います。なんとなれば不要不急とはまだそれほどではないからこそ出てくる考え方だからです。

自分自身が不要不急なのではないかと苛まれてしまうのもすごくよくわかるし、実際のところ僕もそうだったとおもいますが、そもそも地球にとって人類の存在が不可欠なわけでもありません。ありとあらゆる生物に意志があって多数決をとれるなら真っ先に排除されそうなのはどう考えても人類だし、彼らからしたら今この状況はむしろ「人類との戦い」という構図なのかもしれないのです。

だとすれば個人どころか種としての僕らすべてが不要です。地球レベルで見れば人類みな等しく不要なのだから、気に病むことはありません。

地球に生息しているのは僕らだけではないこと、そして今アリの巣を突ついたような騒ぎになっているのはあくまで僕らホモサピエンスだけであることを改めて思い返しましょう。

自身が生み出す内的ブラックホールに落ち込みそうなときは夜空を見上げて広大無辺な外的宇宙に思いを馳せ、じぶんを砂ひと粒以下まで縮小するのがいちばんです。僕は今でもこういうとき、チャールズ&レイ・イームズ夫妻による1968年の映画「Powers of Ten」を思い出します。シンプルかつ壮大でめちゃオススメですよ!




A. 「Powers of Ten」を観ましょう。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その340につづく! 

2021年8月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その338


マリトッツァンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)生クリームがたっぷり詰まったお父っつぁんですね。


Q. 家の鳩時計の鳩がいつからか出てこなくなりました。どうすればまた出てきて鳴いてくれますか?


これはあれですね、それまでしーんとしてたのに閉店するとなったら途端に人々が声を上げて惜しみ始める、いわゆる閉店ラブコール問題の亜種ですね。

ひとつ想像してみましょう。

あなたは今、どこからも光が漏れることのない真っ暗な部屋の中で、膝を抱えながらひとりその時を待っています。部屋には扉があって、一定の時間ごとに数秒間、外に向けて開かれることになっています。外界から完全に遮断され、闇に閉ざされたあなたの役割は、扉がひらくその数秒間だけ外に顔を出し、「ジャジャーン!」と力いっぱい叫ぶことです。それ以外の役割は与えられていません。叫び終われば扉は無慈悲に閉まります。

おわかりかとおもいますが、これは賽の河原シーシュポスの岩と大差ない苦行です。何ならもっと直接的に、刑罰や拷問であると言い換えてもよいでしょう。僕がその立場なら何が何だかわからないまま「僕がやりました」とありもしない罪を自白すること必至です。

とりわけつらいのは、明るく朗らかに笑顔で「ジャジャーン!」と飛び出したその先に誰もいないことです。埋め尽くされた観衆の前ならまだしも、無観客で「ジャジャーン!」を永遠に繰り返させられることほど胸つぶれることはありません。

苦しいし、泣きたいし、いっそ殺してくれ!と心の内で叫びながらも、そのときが来ればいつでも血走った目でムリヤリ笑みを浮かべて「ジャジャーン!」とやらなくてはいけないのです。涙をこらえて屈辱に震えるハトのなで肩をそっと抱き寄せながら「もういい、十分だ。お前はよくやった」といっしょに泣くしかないじゃないですか?

ハトの身になれば、また出てきてほしいと言うことはとてもできません。十分すぎるほど、その務めは果たしてきたはずです。むしろ時計を止めて扉をひらき、自由しかない大空へと解き放ってもいいのではないかとさえおもわれます。

それでもなお、ここにいてほしいと今も心から望むのであれば、するべきことはひとつです。外界に暮らす僕らはそれが1日に24回あることを知っていますが、そのときが来たら家族総出で時計の前に座し、扉がひらいた瞬間、立ち上がって万雷の拍手を送りましょう。

重罪人の立場を一瞬にしてスーパースターへと反転する、これこそが唯一にして無二の解決策です。心身ともに深い傷を負ったハトも、戸惑いながらもすこしずつ自信を取り戻し、いずれは威厳に満ちた堂々たるステージングを披露してくれるでしょう。めんどくせえなとお思いでしょうし、実際のところ僕もそう思いますが、しかたがありません。がんばってください。


A. スタンディングオベーションが必要です。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その339につづく!