2020年3月1日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その303


新鮮グミさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)幕末に大暴れした浪士たちのおやつですね。


Q. 先日、バーで初めてお会いした男性とお話しした内容です。
しっくりくる表現を探し求めて私や友だち、バーテンダーも巻き込んで4人で考え込んだのですが、お力添えをいただきたくメールしました。

その男性自身も飲食店店主をされていて、そのお店に元交際相手の女性が男性を伴って来店するそうです。
私は女性は見せつけたい気持ちで来店していると思ったのですが、連れの男性も顔見知りで男女の仲を見せつけるようなことでは無いそうです。
店主は最初『なめくじに塩を振るような女性だな』と思ったそうです。意味としては“する必要のない事をする“だそうです。
でも、なめくじは塩をかけないと流しに流しただけではゴミ受けから這い出してくるので“必要のない事”ではないのです。それを言うなら『蟻の巣に砂を入れる小学生』じゃないですかと返すと。
「んー。もっと女性は良かれと思ってやってる感じ」と。

『雨の日に両手とも荷物持ってて、口に駐車券まで咥えてるのに傘を貸してくれる人』
『珍しくて喜ぶだろうと6千円のお釣りを二千円札3枚でくれる店員』
『居酒屋で同席者に聞かずに唐揚げにレモンを絞る女』
という例えが出たところで、時間も時間でお開きになりました。
当の店主は帰宅してしまったので、結局のところこれ以上しっくりくる表現の正解は分からないのですが、この表現を考えるのが楽しくなってしまいました。
長くなりましたが質問です。
他に何かありますか?


あまりにおもしろい話だったので、最後の一行までこれが質問箱宛であることに気づきませんでした。ちょっとした集まりでいっしょに考えてみたくなる、こういう話はいいですね。びっくり箱みたいにたのしい質問をありがとう!

いい具合に焦点がシフトしていく話の流れもさることながら、僕としてはなぜそこがそんなに気になるのか、という点にもそそられます。そこが、というのはつまり、元カノである女性の行動が、ですね。

意図が込められている可能性はもちろん、大いにあります。ありますが、じつは全然ない可能性もあるのです。ただ単に近しい人が営む気安い店をときどき訪ねているだけかもしれません。

連れの男性も店主の知人である点も見逃せません。というのも、とくに何の意図もないことを示すのにこれ以上最適な相手もないからです。考えられる他の連れとしては知人女性、初見の女性、初見の男性の3パターンになるとおもいますが、これらはどれも知人男性とくらべて何らかの意図を勘ぐられる余地が明らかに広くなります。なりませんか?

そして単なる友人として馴染みの店を訪ねているだけの場合、なぜという疑問はそのまま店主に跳ね返ります。なんとなれば、彼らがれっきとした客である以上、する必要も何も店にとっては明らかにプラスで意味があるはずだからです。その点からすると「良かれとおもってるかんじ」もそりゃそうだろうと言わざるを得ません。だってお客さんなんだもの。

したがって僕としては、ある種ウィンウィンの関係と言えなくもないにもかかわらず「する必要がない」と感じてしまう店主のナイーブな心の動きにむしろ興味が湧きます。湧きますが、客観的には僕みたいな人がその場にいなくてよかったです。ほんとに。

*前置きおわり*

さて回答ですが、そういえば僕は「する必要のないことをする」にかけては右に出る者のない権威中の権威を1人知っています。日ごろから返しようのない一言や返しようのない画像を良かれとムダに送りつけてくる安田タイル工業の専務です。

事例1

事例2


事例3

「安田タイル工業の専務みたいなやつ」はもう、これ以上ないくらいぴったりだと僕自身はおもいますが、しかしそれに腹を抱えて笑うのも僕ひとりなので、断腸の思いで別の表現を考えるなら、そうですね、「用を足したあとトイレットペーパーを三角に折る人」あたりになるでしょうか。

「清掃済」であることを示すしるしをなぜわざわざ偽装するのか、そしてなぜ手を洗う前にそれをするのか、さっぱりわかりませんが、こんなときにはうってつけの例だとおもいます。うちの専務ほどじゃないですけど。


A. 「用を足したあとトイレットペーパーを三角に折るような人」です。




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その304につづく!

2020年2月25日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その302


心頭滅却すれば火もまた吹雪さんからの質問です。(ペンネームはご本人によるものです)


Q. オートロックの賃貸に住んでいるのですが、鍵を持たずにふらりと出かけては締め出しをくらうことが頻繁にあります。何か妙案はないものでしょうか…?



質問をいただいてそういえばと改めて思い出しましたが、僕には以前からずっと不思議に感じていたことがあるのです。そもそも解錠に物理的な鍵が必要なオートロックシステムは本当に意味があるんだろうか?

施錠機能はもちろん完璧です。かけ忘れるということがまず絶対にありません。扉が閉まればすなわちロックです。うむ、たしかにそのとおりだ、しかしだから何なんだという、あまり大きな声では言えそうもない印象を僕は常々抱いています。だって、出るときも入ったあとも、じぶんで鍵をかけたらいいじゃないですか?

というか、少なくとも僕はかつて一度も「ああ、鍵が自動でかかってくれたらいいのになあ」と思ったことがないし、ホテルなんかでお目にかかっても「うおおすげえめっちゃべんりだ!」と感動したこともありません。むしろ部屋を出てから「あっ鍵わすれた」「入れねえ!」という経験とその不便さのほうが確実に身にしみています。質問で仰っている状況もつまり、こういうことですよね?

オートロックなんか不要だ、と言いたいわけではありません。たとえば指紋とか虹彩による認証といった、物理的な鍵を必要とせずに解錠できるのなら、こんなに便利なことはないと僕もおもいます。なんとなればそれは施錠という概念を日常から完全に取り払うことにもなるからです。僕らが意識するのは常に解錠だけということになる。革命と言ってもいいでしょう。やぶさかではない。まったくもってやぶさかではない。

それはまあそれとして、しかし家を出るときに鍵をかける、というのは現在のところごくごく当然の日常的行為だし、ぼーっとしていても無意識に手が動くくらいにはかかるエネルギーも極めて微々たる動作です。そして多くの人にとっては習慣でもあります。たったこれだけのことをわざわざ省くだけの甲斐が一体どこにあるというのだろう?

言うまでもなく、締め忘れの可能性はあります。その点をカバーしてくれるのは確かにありがたいと言えるかもしれない。でもですね、締め忘れる可能性について言うのなら、そこには当然鍵そのものを家に置き忘れる可能性だって同じくらいの確率で厳然とあるわけですよ。

物忘れというのはある限られた状況下においてのみ起こるものではありません。ありとあらゆる方面にそれはもう見事なまでに平等に作用するオールラウンダーであって、忘れるときは何であれスコンと忘れるようにできています。

だいたい、「鍵を家に置き忘れないように」と言うのであれば、それは「鍵をかけ忘れないように」と言うのと同じことです。置き忘れずにいられるのであれば、鍵をかけ忘れずにいられるはずです。そして忘れるとすれば、どちらも公平に忘れる可能性があります。じぶんで書きながらなんでこんな当たり前のことを強調しなくちゃならんのだとおもわずにいられません。

然るに、鍵を家に置き忘れることはないけれども、鍵をかけ忘れることはある、という極めて都合のいい環境下においてのみ役に立つ、そんなシステムに意味はあるのか?そこで謳われる安心と安全は、本当に確かなものなのか?ひょっとするとそう思いこんでいるだけで、あるとないの間に実質的な差などないのではないか?

ない、というのが僕の結論です。改めて質問を読み返してみてそういう話じゃなかったことを思い出しましたが、せっかく結論が出たので書き留めておくと、物理的な鍵を必要とするオートロックに意味はありません。かりにあったとしても、大した意味はありません。安心は得られるかもしれませんが、奇妙なことにそれはオートロックでなかったとき以上の安全とセットになっているわけではないのです。

では前置きをおしまいにして回答にまいりましょう。

僕がおもうに、外出に欠かせないものと常にいっしょにしておくのがいちばんです。財布だろうか?外出には大抵のばあい財布が伴います。でも財布はうっかりどこかに置き忘れないとも限らないし、他人の手に渡るリスクも発生するので、と言っても拾ったところでそれがどこの鍵だかわかりゃしないとおもいますが、何となく躊躇われるものがあります。

では靴はどうだろう?靴をどこかに忘れてくることはまずありません。ときどき道に片方だけ落ちている現実もありますが、これはもうどう考えたって落ちているほうがおかしい。人の履いている靴だけを狙う物取りもないだろうし、失くすこともないでしょう。そのときどきで履く靴はちがうとおもいますが、サンダルだろうと革靴だろうとスニーカーだろうとパンプスだろうと、所有する履物すべてに埋めこんでおけば問題ありません。


A. 所有する履物すべてに合鍵を埋めこんでおきましょう。




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その303につづく!

2020年2月9日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その301

猥雑な銀座


ずいずいずっころマシンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. おみくじに書かれていたコメントで印象に残っている言葉ってありますか?(私は友達とケンカした直後にたまたま立ち寄った花園神社でひいた「短気をなおしましょう」です。)


こうきれいに見透かされると、おみくじを引く甲斐もあっていいですね。

僕は毎度「ふむふむ」というかんじでほとんど印象にのこっていませんが、単純な結果だけなら昔ミス・スパンコールの引いた「半吉」が今も脳裏に深く刻みこまれています。

 半吉 

凶なら結んで厄払いもできそうだけど、半吉なんかどうしたらいいんだ、むしろ凶のほうが執り成しようもあったじゃないか、どういうきもちで向き合えというんだ、まさか「微吉」とか「塵吉」とか「弱吉」もぶっ込んであるんじゃないだろうな?

と、足下に抛られる小銭めいた忌々しい善意に当時は騒然としたものです。どこの神社だったかなあ、今なら絶対画像にのこしてSNSでシェアしてぶんぶんバズらせもしたのに、もったいないことだとおもいます。僕が引いたわけじゃないのに。



A. コメントじゃないけど、「半吉」です。




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その302につづく!

2020年2月6日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その300


満を持しての300回です。足かけ10年以上、通算300回という大台に乗りながら、結局のところ今も僕がどこかで生存しているくらいの意味しかないことを考え合わせると、その巨大な蜃気楼ぶりがしみじみと胸にしみ入ります。

それもこれもキャンペーンと称して年賀状と引き換えに質問を取り立てる僕のあこぎなやり方のおかげです。本当にありがとう!

そして栄えある300回目の質問は……ダラララララ(ドラムロール)、これだ!


ヒポポポポポポタマスさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)途中でバーストを挟んでしまったカバのことですね。


Q. 好きな四字熟語、ことわざがあれば、教えていただきたいです。


ことわざなら「泥棒を捕らえて縄を綯う」、略して泥縄が好きです。手遅れというその意味がではなく、捕まえた泥棒のそばで「待って、待ってて!」とか言いながらもたもたと縄をなう、その絵面が心に残ります。そんでその捕まえた人がまた不器用で、ちっともうまくいかずに途中でやり直したりして時間ばかりがムダに過ぎ、イライラしてきた泥棒が「じれってえな、ちょっと貸してみろ」とか言って器用にささっと縄を仕上げちゃったりする、そんなイメージが好きです。

ただ個人的には捕まえたあとではなく、今まさに逃亡中の泥棒を捕まえるための縄をもたもた綯うような意味合いで使っているところがあります。なんとなれば僕がそういう人生を送っているからです。

四字熟語なら「青椒肉絲」ですね。


A. 青椒肉絲です。




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その301につづく!


2020年2月1日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その299


更新する段になってあったいへんだとうとう300回の大台じゃないか、しまった何もしてなかった、せめて、せめて心のこもった祝福的なイラストだけでも!とあわてて描いたらまだ299回でした。

心のこもった祝福的なイラスト


時価アイドルさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 今日たった今うっかりミスにより悲しい現実とご対面してしまいました。こんな時はどういう風に気持ちを切り替えるのがおすすめですか?


奇遇なことに僕もたった今冒頭でうっかりミスをしでかしたばかりです。

それはさておきこれは、悲しい現実に直面したとき人はいかにして気持ちを切り替えるか、いわゆる「悲しい現実に直面したとき人はいかにして気持ちを切り替えるか」問題ですね。

浜辺の波打ち際を全力疾走したり、キャベツを一心不乱に刻んだり、空をふわふわ飛んでいくビニール袋を追跡したり、橋という橋に一休さんよろしく「このはし渡るべからず」と立て札を立てたり、1枚でいい写真を狂ったようにバーストしたり、月末のフライデーをプレミアムにしてみたり、コインランドリーで拾った紙くずから世界を巻きこむ恐るべき策略の片棒を担ぐ羽目に陥ったり、本人も半信半疑のまま大統領選に勝利してすったもんだのあげく弾劾裁判に突入したりとじつにさまざまな気持ちの切り替え方がありますが、大統領に当選からの弾劾裁判ルートはそれ自体に気持ちの切り替えが必要になってくるとおもうので、上書きという意味でもおそらくかなりの効果があるはずです。新たに切り替える必要が生じた気持ちについてはまた別の策を講じないといけませんが、すくなくともその時点で最初に切り替えたかった気持ちは忘却の彼方にあるとみて間違いありません。

あとはそうですね。ゴルフボールを垂直に3つ積み重ねるのもおすすめです。2つまではわりとすぐですが、3つとなると思いのほか強靭な集中力が求められます。僕自身が昔よくひまつぶしにやっていたので確かです。絶妙なバランスで3つ積み上がった瞬間の感動はちょっとしたものですよ。じーんとした静かなよろこびのあとにヌッと頭をもたげる虚無感も味わい深いものがあります。


A. 大統領になれる国の永住権を取得する、もしくはとりあえずゴルフショップに行きましょう。




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いよいよ大台です、大台ですがとくにどうなるわけでもない、その300につづく!



2020年1月31日金曜日

爛漫な色彩に満ちた、夜みたいに黒い絵本のこと

ここに一冊の黒い、そしてじつに美しい本があります。

「くろは おうさま」

文・メネナ・コティン
絵・ロサナ・ファリア
訳・うの かずみ
サウザンブックス社

黒い紙に特殊な黒で印刷された、徹頭徹尾、漆黒の本です。


と言いつつ表紙はふつうに銀色で描かれています。テキストも銀色です。でも言うなればこれらは、そのままでは読むことができない人のための気配りです。中面における本文は銀色のテキストの上部にあります。


本文が黒なら絵も黒く、目で見ただけではどこをめくっても黒一色です。黒についての絵本?とおもわれるのも無理はありません。もちろんそういう側面もあるのだけれど、実際のところこれは世界を彩る数多の色について描かれた、色彩の絵本なのです。


美しい本は数あれど、これほど教訓に富んだ美しい本にはそうそうお目にかかれない、と僕はおもいます。なんとなれば文字どおり世界の見え方が一変するし、その驚きたるや打ちのめされるほどです。

はっきりとはどこにも書いていませんが、主人公のトマスは視覚を持たずに生きる少年です。しかし彼は世界が多彩な色に溢れていることを全身で知っています。ここに描かれているのは彼がいる色の世界であり、僕たちもふくむ世界の色であり、そしてまた、漫然と見ているだけでは決してふれることのできない世界です。

トマスは言います。
「あかは イチゴみたいに すっぱくて、スイカみたいに あまい。
だけど すりむいた ひざこぞうから のぞいたときは いたい。」

五感で味わう色彩の話を、僕は以前にも目にしています。いつだったか忘れたけれど朝日新聞に寄せられた投書で、忘れがたく大好きな話です。まさかこんな形で引き合いに出す日がくるとはおもわなかったけど、ここにもまったく同じ、そして別の、それでいてすごくよくわかる「あか」があります。


40年も前の話です。絵本とは時代も国も言語もちがいます。にもかかわらず彼らの色が同じようにぴったり寄り添うものだとしたら、見ているだけではふれることのできない世界がたしかにある、と思わずにはいられません。そうして今一度、立ち止まって省みるに色彩とは、こんなにも活き活きと血の通うものだったろうか?


あらためて念を押しますが、美しい本です。なんかもうぜんぶひっくるめて、そうとしか言いようがないとおもう。絵を指先で感じる仕様になっているので、実際に触れてみないとその真価が伝わらないところもいい。

今まで見ていた色は何だったのか、そもそも色とは何なのか、美しいということの意味も含めて、考えもしなかった問いをドンと置かれて立ち尽くす人は僕と同じようにいっぱいいるはずです。

去年出たばかりの新刊ですが、アルスクモノイ(@arskumonoi)でも扱っているので、ぜひお店で手に取ってみてください。