2023年6月2日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その391


あこぎのアンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. うまれたてのひよこがすぐ歩けるのはなぜなのでしょうか?私は生まれてから歩けるようになるまで結構苦労した覚えがありますが。


日々の糧を狩猟でまかなっていた大昔ならいざ知らず、天下一品でこってりラーメンなんかを啜る現代の人類はどうしてもこのことを忘れてしまいがちですが、基本的にこの世は食うか食われるかです。そしておよそすべての動物は、この世に生を受けたその瞬間から、捕食の対象となります。例外はありません。

動物たちにとって、生とは一貫して試練と至難の連続です。「あら〜笑ったわ〜」「ハイハイができた〜」「いないいないばあ〜」とかのんき極まりない子育てをしている動物はヒト以外にありません。普通はそんなことをしている間に他の動物に食われます。

成獣よりも幼獣のほうが圧倒的に狙われやすいことを考えれば、生まれてすぐ歩けるというのはその後を生き抜く上で最低限の必要条件である、と言ってもいいでしょう。したがってひよこがすぐ歩けるのは至極当然かつ真っ当なことであり、僕に言わせればむしろ生まれてから半年以上たってもろくすっぽ歩けないヒトだけが例外かつ異常、ということになります。もしヒトに天敵となる捕食者がいたら、こんなちょろい獲物も他にないはずです。

しかし今でこそ野獣に食われる心配のないヒトもまた、かつては他の動物たちと同じように弱肉強食の食物連鎖に組み込まれていたわけだから、ひょっとするとそのころのヒトは今とちがって生まれてすぐにヒョイヒョイ歩けたんじゃないかと個人的には思います。なんなら2、3ヶ月で喋りだして自ら身を守る術を学び、天敵との体格差を知恵で補い、ブービートラップを設置して闘わずとも勝利を収めるようになり、1歳になるころにはいっぱしのハンターになっていたかもしれません。

今ではちょっと想像しづらいかもしれないけど、数百年前の大人は今よりずっと若い14、5歳だったわけだし、そこからさらに数万年遡るとしたら、あながち荒唐無稽とも言い切れないですよ。より切実に、生き抜く必要のある時代ですからね。


A. 歩かないとすぐ食われるからです。




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その392につづく!

2023年5月26日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その390


春はばけものさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)かの清少納言がしたためたのちすぐ思い直して消したという、幻の冒頭文ですね。


Q. 大吾さんって大きい声だすイメージないのですが、今までで1番大きな声が出た時はどんな時ですか?


たしかに大声を出すことってないなあ、とひとしきり考えてふと気づいたんだけど、そもそも誰であれ大人になると大きな声を出す機会ってほとんどないですよね。それとも僕が知らないだけで、みんなわりと日常的に大声を出してたりするんだろうか。

いずれにしてもこれは僕もいろんな人に訊いてみたい質問です。「人生で一番大きな声が出た時!」

僕が今でもあれは大声だったとはっきり記憶しているのは、夜中に路上で未確認飛行生物が襲いかかってきた時です。

手に乗るくらいの大きさで、先の尖った脚がいっぱいあり、牙の並んだ大きな口から粘液を垂らすサソリみたいなエイリアンがいきなりうなじに飛びかかってきた、と当時の僕と同じように想像してみてください。夜更けの路上でチクチクゾワゾワしたかなり大きめの何かが首から背中にかけて蠢いている(けど姿は見えない)、その恐怖たるやまじで筆舌に尽くしがたいものがあります。

こういう時にAIを使えばいいんだ

夜半とはいえわりと人が行き来するエリアだったので、思わず奇声を上げてしゃがみ込んでしまったときの周囲の視線は忘れられません。挙動の理由が傍目からは全然わからないのだから、不審そのものです。でも往来でエイリアンに襲われたら誰だってああなるとおもう。なのでこれは同時にB級ホラー体験であり、すごく恥ずかしかった思い出のひとつでもあります。路上で奇声を上げてしゃがみ込むこと自体、人生ではそうそうないですからね。

恐る恐る手を伸ばしてその正体がわかったときの安堵感と言ったらなかったけれども、もし正体がわからないままあのエイリアンが姿を消していたら、とおもうとさらに震えるものがあります。姿を消してしまったらどれだけ推測を重ねてもそれを確かめる術はもうありません。なるほど…こういう不可解な体験が妖怪に置き換えられてきたんだな…と変に納得してしまったものです。

たしか以前も別の文脈でこのことを書いた気もするので、正体はこのブログを遡れば見つかります。でもわからないほうが怖いでしょう?


A. 路上で未確認飛行生物に襲われた時です。




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その391につづく!

2023年5月19日金曜日

アグロー案内シリーズにおける合体ロボのこと


今や十万億土にあまねく浸透し、巷ではアグローあるところに案内ありと囁かれるほど爆発的な好評を博するアグロー案内シリーズ、その主人公にして毎回八面六臂の活躍を見せる名探偵が山本和男です。謎がなくとも解決してしまうその恐るべき慧眼と明察については今さら説明するまでもありますまい。

そんな山本和男も回を重ねに重ねていよいよ盛り上がりが頂点に達するVOL.5ではなんと


突然の死です。

峻険として轟々たる大瀑布で積年の宿敵である森脇(もりわーきー)教授に背後をとられたら、いかに山本和男といえどもんどり打って滝壺に転落するのはわかりきっています。

いえ、早まってはいけません。状況的にどう考えても死んだなこれというだけです。日本ではたとえ原型を留めていなくとも医師の確認がなければ死亡と言わずに心肺停止とするくらいなので、実際のところこりゃダメだな程度では厳密に死と認定するにはぜんぜん足りないのです。

そうは言っても絶望的だなと僕もおもうし、あきらめて早くも冥福を祈っていますが、過去にはシャーロック・ホームズの例もあります。かの有名な「最後の事件(The Final Problem)」では、これ以上ホームズについて書くことにほとほと嫌気がさしていた著者コナン・ドイルが、それまで一度も出てこなかったモリアーティ教授という最大にして最強のチートキャラ難敵を唐突に引っ張り出し、すったもんだしたあげく2人とも滝壺に落としてすべてを強制終了してしまいます。偶然の一致というか、山本和男と通じるものがありますね。

とはいえ、ホームズの冒険譚はこれで終わらず、死んでいなかったことにしてこの後もしぶしぶ描かれています。ドイルの元に嘆願よりもむしろ中傷と罵詈雑言の手紙が山のように届いたからです。スティーヴン・キングのホラー小説「ミザリー」も結末に納得できず著者を監禁してむりやり書き直させる狂信的なファンが描かれていましたが、ほぼこれと同じ力学であると言えましょう。

ただ昔とちがって現代では訴訟と損害賠償のリスクが大きすぎるので、このやり方は正直おすすめできません。むしろいかに愛しているかという熱い思いに満ちた嘆願こそ効果的です。山本和男の一挙手一投足に我を忘れて没入してしまうといった推しへの無尽蔵の愛こそ、彼が息を吹き返す最良にして万能の薬となります。山本和男復活のためにも、そんな熱烈なファンレターを心からお待ち申し上げる次第です。3通くらいは来てもバチは当たらないとおもう。


そんな与太はさておくとして、アグロー案内のVOL.2からVOL.5に収録されている関連作のみを抜き出して並べ、今こそ連続で聴いてほしいのがこの山本和男シリーズです。

それぞれ単独ではインタールードのような印象かもしれませんが、連続で聴くとびっくりするほど饒舌でドラマチックな物語が浮かび上がります。音楽による壮大なストーリーテリングと言っても過言ではありません。後から並び替えることで作品の奥行きがより深まる…これは従来のフォーマットでは表現できなかった、配信ならではの趣向であると申せましょう。

僕も初めからこれをずっと楽しみにしていて、遠からず来るはずのエンディングまでガマンするつもりができなかったのでVOL.5が完成した時点で並べ直してみましたけれども、何かが始まって何かが起きて何かが終わって何も観てないのに何かを観終わって放心するような何らかの充実感が尋常ではありません。

「名探偵山本和男THE MOVIE(予告編)」から「名探偵の死」までの4篇は、並べて聴いてこそその本領がわかります。何体ものメカが合体して巨大なロボになるようなことですね。 

そしてその完成度を劇的に高めているのが、タケウチカズタケによる超絶ミックスです。とりわけ「名探偵の死」では、滝の轟音と助手である加藤くんの叫び声、それを包みこむ超イルなビートが互いに邪魔をすることなく渾然一体となって耳に迫ります。どれも主張の強い要素なのに、どれも音響として等価で味わえるのだから超絶ミックスというほかありません。

リリースから2週間…とりあえずぜんぶ聴いたな、と落ち着いた今こそ改めて趣向を変えて聴き返してみていただきたい。今や巨大ロボとなった山本和男の姿がより立体的に、実感を伴って目の前に現れるはずです。まだすべてのパーツが揃ってないので勇み足な気もしますけど。

2023年5月12日金曜日

扉を開いた先に広がる未知の景色とは

サクッと作ったわりに良いロゴ

かの名探偵、山本和男が人知れず第四の壁を突き破って現実世界で暗躍していた話はまた改めてするとして、アグロー案内 VOL.5に収録された新作、「前日譚/no news is good news」についてすこし書き留めておきましょう。

これは僕にとってリーディングのフェーズが明確に変わった最初の一編です。

そのきっかけとなった「ジョシュア/fishing ghost revamped」アグロー案内 VOL.4に収録)で、何がどう変わったのかをここでかなり興奮気味に書き散らしましたけれども、いま読み返したら微に入り細を穿ちすぎてちんぷんかんぷんな気がしないでもないので、あれはひとまず忘れましょう。

要は言葉の乗せ方がそれまでの小節単位からフレーズ単位に変わったことで、リーディングの自由度が大きく変わったのです。音読のステップ、もしくはラップで言うところのフロウがより自在かつ緻密になっています。

その結果、何をどう書いてもあとから好きに乗せられるようになり、それまで良くも悪くリーディングに特化していたテキストも、その制約がなくなりました。大リーグボール養成ギプスを外したかのような清々しさです。

本当に思い浮かぶまま書けるので、テキスト上で韻を踏んでいてもビートのどこで踏むことになるのかさっぱりわからない。ちまちまと根気よくワンフレーズずつ乗せていった結果、「あ、これここに来るんだ」と書いた本人が驚く始末です。ラップと異なる言葉の乗せ方としてはある種のブレークスルーになっていると個人的には感じます。本来はリーディングに当てはめるような概念ではないかもだけど、どなたかが仰っていた「譜割り」はまさに言い得て妙だとおもう。こんなことができるならもっと早く気づきたかった…。

徹頭徹尾スポークンでありながらステップも多彩なので、深く考えずとも聴き流せて楽しい(はず)。これまで自らをそれほど喧伝してこなかった僕が、初めての人に聴いてほしいと望む所以です。

だからもしこれから辿り着いてくれる人がもしいるならまず「前日譚」「棘2023」「新ジョシュア」あたりをワンセットで強くおすすめしたい。実際のところそんな人が今もまだいるかどうかはちょっと微妙な気もしますけど。


内容的には太宰治「走れメロス」とサミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」のごった煮です。そこにむりやりRUN DMC feat. Aerosmith「Walk This Way」へのオマージュをぶちこんでいます。


それ以上にどうということはありません。来ない何かをそわそわと妄想しながら待っているだけです。とくにメッセージ性はない…とツイッターでも言いつつ、作中に出てくる白い鳩には淡い希望を込めています。それが言いたかったわけでもないので気づかれなくても全然いいんだけど、ここにピントを合わせると全体の意味合いが違って聴こえるかもしれません。

彼は何を待っているのか?

2023年5月5日金曜日

前日譚/no news is good news



いい知らせが来ることになってる。そろそろ来る、確信に近い、そういう予感がしてる。心の準備も全部できてる…いや、考えもしなかったよ、なんていうか…で感極まって言葉に詰まって、涙が溢れる…これだな。メモしとこう。こないだへし折ったペン、どこやった…?

千里の月はゆうべと同じでモナリザみたいな顔をしている。更闌けてなおあまねく照らしながら見て見ぬふりをしてくれる。千切れたようで覚束ないここだけ浮世のうすいひとひら。落ちると見る間にめくれてひらつく当て所もなくどこへともなく。

ここまで長かった。何もかも苔むした。蔓延る木々や蔦に埋もれる端末が光を放つのを待つ。過ぎ去ったいくつもの夏…。罰ではないにしても遠からぬ顛末。とはいえぜんぶ多めの水に流してこそ、白い鳩がオリーブの葉を咥えてくると言い伝えで学んだ。

燕尾服も誂えておきたい。こんな未開の地でどうしたらいい?「申し訳ありません」と答える合成の音声…まあいい。いずれ開墾されたら鉄筋とコンクリートで密林に摩天楼が聳える。焚かれるフラッシュ、絨毯は赤く、矢継ぎ早の質問を屈強なSPが遮る。

いい知らせが来ることになってる。遠くからはるばる、艱難を退け、辛苦を乗り越え、息も絶え絶えに、待たせたこと、疑ったこと、それをお互いに詫び、涙ながらに一発ずつ殴り合って交わす抱擁とその熱い友情に涙する観衆、万雷の拍手、そんなクライマックス。

薄い壁の向こうから隣人が怒鳴る。あんたこそうるさいと怒鳴り返す前に壁が派手にぶち抜かれてスティーヴン・タイラーに瓜二つのやつがわめき散らす。毒づいて罵り合い、馬乗りで殴り合ったあげく「やるな」「お前も」と交わす固い握手に涙する観衆、万雷の拍手、そんなクライマックス。

千里の月はゆうべと同じでモナリザみたいな顔をしている。更闌けてなおあまねく照らしながら見て見ぬふりをしてくれる。千切れたようで覚束ないここだけ浮世のうすいひとひら。落ちると見る間にめくれてひらつく当て所もなくどこへともなく。

いい知らせが来ることになってる。どこから来る?東か西か。南か北か。もちろん全方位で抜かりはない。今日は来なくても、まだ明日があるってのがA.K.A. ポケットにいつも入れてある定型句。これはありふれた何らかのミステイクと大らかに受け止めて夜は更けていく。

気づいたらこのあたりにはもう誰もいない…と知ってるのかどうかはさておき、なおも繰り返される予行演習…思えば年中、一日千秋の思いで念じるその先で転じると愚直に信じる。背後の窓辺で羽を休める白い鳩にも気づかず。

千里の月はゆうべと同じでモナリザみたいな顔をしている。更闌けてなおあまねく照らしながら見て見ぬふりをしてくれる。千切れたようで覚束ないここだけ浮世のうすいひとひら。落ちると見る間にめくれてひらつく当て所もなくどこへともなく。

2023年4月28日金曜日

悔いなく成仏させてもらった古い生き霊の話

そんなわけで早くも来週にリリースを控えたアグロー案内 VOL.5、そのトラックリストがこちらです。


言いたいことがいっぱいあって、僕としても端から端まで全部まとめて語り尽くしてしまいたいのですけれども、まずは古色蒼然の「棘/tweezers」からお話しましょう。普通に考えたら1つあればいいはずのリメイクがなぜ2つあるのか?


昔も今も、僕は一定のビートに合わせてリーディングをするスタイルです。ビートで現在地を確認しながら言葉を紡いでいくので、これがないと途端にタイム感をキープできなくなってしまいます(裏を返すとビートがあれば多少言葉を踏み外しても数秒以内に立て直せるということでもある)。要はピアノとかギターとかだけになるとリズムを失ってまともにリーディングができないボンクラだったわけですね。

実際、何かの機会にカズタケさんの演奏で初めてビートのないバージョンにトライしたときは帰路で首を括りたくなるほど惨憺たる有様で、半ベソになりながらもう二度とやるもんかと固く誓ったものです。

ところがそこからさらに数年たって悍ましい記憶も薄れてきたころ、改めてトライしてみたらビート無しでも思いのほか上手くやれることに気がつきました。その結実が「the 3」に収録された「処方箋(rebuilt)」です。


これに味を占めて、じゃあ次は「棘」をやりましょうという流れになります。そしてその結果、カズタケさんとステージに立つときは、というかそもそもライブ自体カズタケさんとしかしてないんだけど、ピアノだけの「棘」をときどき披露するようになりました。あれだけ忌避していたのに、われながら気が大きくなったものだと思う。

ビート無しではリーディングもままならなかった僕にとって、ビートがなくてもタイム感をキープできるというのはまさしくひとつの転換点だったので、できればこのリーディングを形として残しておきたかった。「処方箋」は残せたけれど、「棘」にはそのタイミングがなかなかなくて、ようやく巡ってきた機会がこの「アグロー案内」だったのです。今回のトラックリストで言うと、4曲目「棘 2018/tweezers (gently with) 」がこれに当たります。


一方でカズタケさんはオリジナルと同じビートのあるバージョンで、オリジナル以上のリメイクに仕上げることに挑んでくれていました。どっちが良いとか悪いとかそういうことでは全然なく、ただ古くからあって「これはこういうもの」と根付いている印象を上書きできるかどうか、ということですね。

僕自身の優先順位における最上位は最初から一貫して、ピアノだけのバージョンです。ところがオリジナルと同じバージョンの最終形は掛け値なく想像を絶する仕上がりで、それまでまったく揺るがなかった優先度がひっくり返りそうになります。

何しろオリジナルの印象そのままに、サウンドすべてがことごとく完璧に塗り替えられているのです。

僕に関係する他のどの曲よりも圧倒的に多くのミックスがあって、ひと昔前のPCならこの1曲だけでハードディスクがぱんぱんになりそうなほどだったけれど、最終的な到達点は本当にすごかった。十全十美と銘打つに相応しい、それが今作の2曲目に当たる「棘 2023/tweezers (as it was)」です。

御大タケウチカズタケが一体どんな魔術を施したのか、そして一体どれほどの労力を費やしたのか、想像もつきません。VOL.4から数ヶ月しか経っていないのでその間のプロセスのように思われるかもしれませんがさにあらず、こと「棘」のミックスに関してだけは、僕の記憶が確かならアグロー案内が始まるよりもずっと前、2021年の夏あたりから始まり、つい先月までずっと断続的に更新されていたのです。その驚異の工程については改めてカズタケさん自身が語り尽くしてくれるでしょう。

かれこれ20年もの昔、僕が世に残したかったのはこれだったと今では確信しています。嘘偽りなく、これこそが完全無欠の最終版です。個人的には油性ペンで金字塔と書いておきたい。

そしてもちろん「2023」「2018」は同じ曲でありながらミックスがかなり異なります。ぜひ聴き比べてみてください。

この一編に関する言及はたぶんこれが最後になるでしょう。思い遺したことは何ひとつありません。20年前の僕はきれいさっぱり跡形もなく成仏しました。安らかに眠ってほしい。