2015年7月31日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その221


ライ麦畑でくだまいてさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 戦争を始めるのは誰ですか?


タイムリーすぎて冷や汗が背中を流れるようです。とはいえうっちゃるわけにもいかない話だとおもうのですこし考えてみましょう。

ひょっとしたら意識されていないかもしれませんが、この質問からはできればそうあってほしいというひとつの希望がにじみ出ています。なんとなればここには、「じぶんではなく『彼ら』である」というニュアンスが含まれているからです。

もちろん僕らには戦争を起こす気なんてさらさらありません。ですよね?みんな戦争なんかしたくないし、手を貸すのだってイヤだとおもっている。にもかかわらずひょっとしたら僕らもその日を迎えるかもしれないという不安が現実にあるとしたら、そこには僕らではない誰かの意志が働いているはずだ、と考えるのもムリはありません。そいつはいったい誰なんだ、という話ですね。

単純に考えればこれは国の指導者です。彼を支える政治家たちをそこに加えてもいいでしょう。

しかし忘れてはいけない点がひとつあります。すくなくとも民主主義国家においては、彼らが「僕ら」に選ばれてそこにいる、ということです。彼らが戦争を是とする判断を下すなら、その判断を下せる状況を整えたのは他ならぬ僕らであるとやはり言わねばなりません。

念のため言い添えておきますけれども、彼らに責任がないという意味ではまったくありません。国民を代表してそこにいる以上、彼らにはもちろんメガトン級の責任が伴います。

しかし僕がここで考えたいのは、戦争があくまで「僕ら」の問題である、という点です。それは「彼ら」の問題ではありません。

戦争が起きたとき、矢面に立つのは誰だろう?矢面に立つ人が決して自ら望んでいるわけではない行動に参加するのはなぜだろう?みんながみんな、拒否したらいいじゃないか?なぜ拒否できないんだろう?そして拒否するとしたら、今度はその結果どうなるんだろう?もう一度言いますが、これらはすべて、「僕ら」が直面する問題です。

愚かなのは愚かな判断を下す彼らであって僕らではない、とおもいたいきもちはすごくよくわかります。ではなぜ彼らはそれができる立場にいるのか?意図していたかどうかにかかわらず、結果として「僕ら」の選択がそのベクトルを決定している、というガッカリ極まりない事実をまず直視することから始めなくてはなりません。誰かを槍玉に挙げるより先に、まずじぶんたちの問題として向き合うこと。話はそれからです。

NOと書かれたトイレットペーパーは、彼らの尻ではなく、僕らが僕らの尻を拭くためにあります。投げつけるなら、そのあとです。


A: 「僕ら」をふくむ、全員です。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その222につづく!

2015年7月28日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その220

うどん……


乳母らしき哉、人生!さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 別にラッパーになりたいとかはないのですが、なにげなく喋ってるなかで韻がふめたりしたらかっこいいなーってたまーに思います。なのでどうやったら普段から韻が踏めるようになるでしょうか?


僕もべつにラッパーというわけではないのでそんなこと言われてもどうお答えしていいのかよくわかりませんが、はっきりしているのは、なにげなく喋ってるなかでばしばし韻を踏まれても大多数の人は困る、ということです。日常会話においてなるべく避けたほうがよいものがあるとすれば、押韻はそのひとつに数えてよいでしょう。すくなくとも僕は戸惑います。

なぜかというと、日本語はそもそも脚韻を踏むような構造にはなっていないからです。韻を踏もうとすると、どうしても体言で止めることが多くなってしまいます。あくまで詞のかたちをとるラップであればまったく問題ないですが、日常会話でムリなく体言止めを駆使するのは至難の業と言わねばなりません。

もちろん、可否で言えば可です。言葉には無限の可能性があります。極めれば流れるように用言で韻を踏むこともおそらくできましょう。なんなら脚韻ではなく頭韻でそろえる手もあります。しかしそうまでして韻を踏むだけの甲斐が果たして本当にあるかどうか、そうまでして韻を踏むだけの甲斐が果たして本当にあるのかどうか、大事なことなので二度書きましたけれども、もう一度よく考えてみてからでも遅くはないと僕なんかはおもいます。

うちのレーベルオーナーもわりと隙あらば会話の合間に韻を踏もうとするタイプの男ですが、それが全体としてプラスの方向に働いているかと訊かれれば、むむむと口ごもらざるを得ません。というか先に申し上げた高水準のスキルが伴わないかぎり、率直に申し上げて場末のスナックあたりで耳にする中年男性のトラディショナル(と言っていいとおもう)なユーモアと区別がつかないのです。相手がご同輩であればむしろ上等な潤滑油になる場合もあるし、それはそれで大いに結構なことだとおもいますけれども、しかし今ここで求められているのがそういうことなのかというと、やはり疑問がのこります。ラップにおけるライミングを愛する者にとって「駄洒落」の一言であしらわれる事態だけはできれば避けたいところです。

そしてもし「え、いや全然そんなかんじでいいんだけど」ということであれば、これはもう、場末のスナックでくだを巻くその道のプロフェッショナルから教えを賜るに越したことはありません。こうなると今度は目的が韻を踏むことから遠ざかっていくような気がしないでもないですが、それはまあ知ったこっちゃないし、この際うっちゃっておきましょう。

あと、なにげなく韻を踏めることより、ストレートにラッパーになりたいというほうがスタンスとしてははるかにカッコいいような気がするんだけど、どうでしょうね?


A: 踏めなくていいです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その221につづく!

2015年7月25日土曜日

コンキスタドール/ogres island attack



やってきた男は美しかった
目を奪い、心を奪い、
やがて力づくで
何もかも奪っていった

3人の手下を連れて
片っ端から、それこそ
エルナン・コルテスみたいに
何もかもだ、容赦なかった

男は美しかった
着物はきらびやかで
見目はうるわしく
仕草も雅びていた

神の使いだと
信じたのも無理はない
ほどなくして村は
彼らの手に落ちた

立ち向かった者は
残らず葬られた
見たことはすべて
忘れろと言われた

おそろしくつよくて
マジで一騎当千
そんなのが4人だ
跡形もなくなった

生き延びたのは
わずかな女と子どもたちだけ
そのときのひとりがおれだ
今もときどき夢にみる

美しい男の
きらびやかな着物と
うるわしい見目と
雅びた仕草

長生きしたいなら
見かけても逆らうな
恨んではいない
あいつらはヤバい

桃から生まれた
男だって話だ
とても草食系には
見えなかったよ

2015年7月22日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その219

そういえばここに貼るのをすっかり忘れていましたが、ツアーグッズにつづき、クリープハイプの夏フェスTシャツをデザインしています。彼らが出演するあちこちのフェスで手に入るもようです。


冬にいただいた質問ですが、ちょうど夏がきたのでお答えしましょう。

ポイする惑星さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 炎天下の真夏と極寒の真冬ではどちらがすごしやすいですか?


僕の場合これはもう、圧倒的に炎天下のほうが楽です。猛暑、酷暑ときて、そろそろ暴暑とか蛮暑あたりが定着しそうな暑さであっても、わりと平気な顔をしています。「冬は服を着ればいいけど、夏は脱いでも暑いからイヤだ」とたしかそんなことをぶつくさ言っていたのび太からしたら、正気を疑われるかもしれません。

エアコンもあるにはあるんだけど、全然つかわないので今では単なる壁の出っ張りみたいになっています。冷やされるほうがむしろ外との温度差に消耗してしんどいです。ただ、暑くないわけではもちろんないから、霧吹きと団扇でパタパタしのいでいます。とくに霧吹きは汗と同じで肌から直接熱を奪ってくれるし、夏の必須アイテムのひとつです。日焼け止めとか塗ってるとむずかしいかな。でも気化熱の威力、ホントちょっとすごいですよ。さらにハッカ油を数滴垂らしてシュッとやったら、あまりの気持ちよさに青く澄んだ海の幻が見えます。


一見するとタフな体質におもえるかもしれませんが、そうじゃありません。というのも、僕は寒さにめっぽう弱いからです。気温が10℃を下回ると、途端にすべての身体機能が著しく低下し始めます。周囲のだれもそんなことは言っていないのに、ひとりだけ「さむいさむい」とちぢこまっている男がいたら、それが僕です。

なんだか知らないけれど、ひとりだけ寒がってるとすごいひ弱に見えるんですよね。40℃で平気な顔してても誰もほめてくれないどころか頑固な人だと受け取られるし、10℃で寒がってるとヘタレを見るような顔をされるし、踏んだり蹴ったりです。ヘタレならヘタレで別にいいけど、それなら暑いときに涼しい顔をしていたらほめてくれよとおもう。活動可能な気温の範囲が人と10℃ズレるだけでこのみそっかす感、人の業とはよくよく深いと言わねばなりますまい。

しかしまあ、暑いかと言ったら暑いに決まってるし、僕も35℃の炎天下を歩いているとさすがに体のほうから「おい、そろそろヤバい」と声をかけてきます。

「そう?まだ平気じゃない?」
「いや、もうヤバい」
「じゃ木陰でも探そう」
「あと水飲め」
「まだのど乾いてないけど」
おまえは脳だろ。こっちは体だぞ

という具合です。とりあえず言うことを聞いておけば間違いはないので、基本まかせっきりにしています。


A: 真夏のほうが過ごしやすいです、断然。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その220につづく!


2015年7月19日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その218

バニーズ極楽鳥店


火事・オブ・ザ・対岸さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 得意な料理は何ですか?


ライブやアルバムリリースの有無と同じく、これもかなりの頻度でいただく質問のひとつです。

以前にもちょろりと申し上げたように得意と言えそうな料理はとくにないのですよね。その代わりと言っては何ですが、人が答えるのを聞いて「それだけはおやめなさい!」と全力で止めたい料理ならあります。

肉じゃがです。

肉じゃがと言えば材料もレシピもシンプルで、ストレートに庶民的だし、好感度も上がりこそすれ下がることはまずありません。じっさい日本の家庭料理を代表するような一品です。この種の回答としてはこれ以上ないくらい模範的と言ってよいでしょう。

しかし得意料理には「人にふるまう自信のある料理」という側面もあって、これが剣呑です。人にふるまう可能性を踏まえたとたん、肉じゃがという回答はむしろギャンブルの様相を呈してきます。日本人ならみんな大好き正統派のひと皿がなぜ賭けになるのか、順を追ってご説明しましょう。

レシピがシンプルと先に申し上げましたけれども、僕が食費を抑えるためにせっせと料理をするようになって気づき、そして面食らったのは、世間一般における肉じゃがのレシピがおもったよりも統一されていない、という意外な事実です。たとえば僕は肉じゃがをつくるときに「肉を炒めない」んだけど、これひとつとっても「あれっ炒めないの?」とおもう人がいるのではありますまいか。

また煮物でじゃがいもといったら煮崩れしにくいメークインが先に挙がるとおもいますが、崩して食うのが美味いんじゃないか!という理由で男爵を選ぶ人もいます。

僕がこれまでの人生でいちばんおいしかった肉じゃがは、20年くらい前に知人の奥さんがつくってくれたものですが、いまだにこれを超えるひと皿には出会えていません。つゆがコンソメみたいに澄んでいたからたぶん別々に煮た炊き合わせに近かったんじゃないかという気がするんだけど、離婚してしまったので真相は謎のままです。仕方がないからあれこれ試してはみたものの、ちっとも近づける気がしないので最近ではもうあきらめました。

シンプルなのにというべきか、あるいはまたそれゆえにと言うべきか、要は肉じゃがひとつとってもつくる人によってはチワワとゴールデンレトリバーほどの開きがあるのです。そしてそれはつまり、家庭ごとにまったく異なる味が存在するということでもあります。「すこしずつ異なる」ではなく「まったく異なる場合がある」というのがポイントです。

誰でも一度は食べたことのある一般的な家庭料理である以上、その基準は生まれ育った家庭です。そしてそれがごくごくありふれたひと皿であると広く認知されている以上、みな「他の家もだいたい似たようなものだろう」と無意識に思いこんでいるようなところがあります。じっさいの仕上がりがびっくりするくらい多様であるにもかかわらず、肉じゃがも他の料理と同じく実家を基準に「これが普通」だと知らぬ間に刷り込まれているのです。

つくる人が「普通」だとおもっていて、食べる人にもその人の「普通」があるなら、じぶんが知っている「普通」とのギャップに戸惑ったとしてもムリはありません。そして肉じゃがの場合、おそらくそのギャップはなんとなくイメージするよりもずっと大きい。何より、食べ慣れていれば食べ慣れているほど、おいしいおいしくないとはまた別に、「我が家の味」として無条件の愛着を抱いていたりするものです。どう考えても、気軽にふるまうにはリスクが高すぎます。

要は他のどの料理よりもガッカリされる可能性が高いのです。

もちろん「うわっ何これむちゃくちゃウマい!」となるかもしれないし、「家庭的」という理由で高ポイントを稼ぐのはまちがいありません。でもまったく同じ理由でのちのち獲得したポイントをまるまる失うどころかマイナスになる可能性まであるのだとしたら、これをギャンブルと言わずに何と言いましょう。

「得意料理に肉じゃがを挙げてはいけない」というのはつまり、そういう意味です。

僕なら味噌汁とかハンバーグみたいな出来上がりにそれほど大きな差のなさそうなものか、でなければムームーとかブイヤベースとかドネルケバブとかあまり家庭的でないものをすすめます。ドネルケバブはまた別の意味でちょっとアレかもしれないけど、肉じゃがも同じくらい避けたほうが無難です。婚活とか街コンでアピールする際にはくれぐれもお気をつけあそばせ!


A: すくなくとも肉じゃがではありません。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その219につづく!


2015年7月16日木曜日

いつかみたあの万年塀のちいさな落書きを分かち合うこと


オントローロの演目をぽつぽつと並べ始めております。今のところ音源になる予定のない曲("fishing ghost revised")や御大タケウチカズタケのリミックス(のうちのひとつ)といった飛び道具を用意して、ここでしか聴けないことをさも大事件であるかのようにあらんかぎりの声でアピールしまくるつもりでいたけれど、考えてみたらほとんどライブをしてこなかったんだから、そりゃ何をやっても珍しいよなとおもわないでもありません。だいたい当の本人であるこの僕からして、詩人の刻印やオーディオビジュアルを聴き直すのが5年以上ぶりという体たらくです。おもった以上に声が若くて冷や汗が出ます。あのころの僕に今の話をしたら「気でもちがったの?」と笑われそうです。

もともと僕はじぶんがこしらえたものに対して「大勢で共有する類いのものではない」というおもいがあります。ライブに積極的でない理由のひとつがこれです。必要とする人が何かの拍子に手に取ってくれればそれでよかったし、じっさい今もそうおもっています。ひとりでいる人に、ひとりでもまあ何とかなるもんだよとほんとに何とかなりそうなゆるさで言えればそれでよかった。いつだったか「DON'T WORRY」と書かれた万年塀の話をしたことがあるけれど、理想と言えばあれがまさしく理想です。誰も知らないような塀の落書きが、他のどんな言葉より大きな慰めになることもある。

でもふと思い立ってなんとなく始めたオントローロで、そればかりではないことがよくわかりました。万年塀の例でいうなら、「あの落書きみた?」「みた!」と言い合えるささやかなよろこびをしみじみ痛感させられています。僕のつくるものを手に取る人もまた、僕と同じ役割を担ってくれるというごくごく当たり前の事実を、今ごろ理解するなんてまったく面目ないことです。

だからこそ、これまでずっと音沙汰もなかったのに来たいと手を挙げてくれる人がいることを、心からありがたくおもいます。「万年塀、おれもみたよ!」と僕の代わりに言ってくれる人がいるなら、これほど心強いことはありません。そしてこれほど冥利に尽きることもちょっとありません。あとはよろしくたのみます、と他力本願な一言も添えておきたいくらいです。本当に本当にありがとう。

それにしてもまさか15分で売り切れてしまうとはさすがに思いませなんだ。ほら、ひとりじゃなかったでしょ、ってこれなら言ってもいいよね?

もちろん、とこんなに早くから宣言することになるなんておもってもみなかったけど、03と04も予定しています。なにか重大な物理的、心理的アクシデントが起きないかぎりはその後もほそぼそとつづいていくはずです。またちいさなボートで迎えにあがりますので、今しばらくお待ちくださいませ。

あとここだけの話、システム上の都合から金曜の朝あたりに若干のキャンセルが出るんじゃないかと踏んでいます。よかったらチェックしてみてね!

2015年7月13日月曜日

「オントローロ 02」受付開始のお知らせ

いきなりトップギアの真夏日です。こっちだって毛穴を開いとくとかいろいろ準備があるんだから、来るなら来るで夏も電話の一本くらいよこしてから来りゃいいのにまったく、と水風呂のなかからぶつくさ、もしくはちゃぷちゃぷとお送りしています。


オントローロ 01&02 @渋谷 Flying Books
01:2015/8/9(日) SOLD OUT
02:2015/8/23(日) 
open: 19:00 start: 19:30
fee: ¥2,500(1ドリンク付) 各40名



※「01」と「02」の内容は100パーセント同じです。

※仮に完売となっても、何らかの事情で撤回される場合があります。その際はPeatixの表示が「販売終了」から「チケットを申し込む」に戻りますので、ときどきチェックしてみてください。

※ちょっと保留にしたい人はログインして「ウォッチリストに追加」がオススメ!

※調子に乗って完売と撤回のコールアンドレスポンスをむやみにくり返した前回の反省を踏まえ、今回はなるべくアナウンスを控える所存です。


「オントローロ」とは「よむ(読/詠)」ことに主眼を置いた僕個人の、そしてほぼ個人的なことに終始するライブプロジェクトです(もうちょっと補足した説明はこちら)。古今東西の書物に囲まれながら、何なら一杯きこしめしつつ、まろやかなひとときをお楽しみください。すこしでも多くのみなさまとここでお目にかかれることを願って。

2015年7月12日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その217

これだけは刈り取る気になれなかったらしい


いつもは当たりさわりのない質問を当たりさわりなくいなして云々と前回申し上げたばかりですが、切実な質問がまたひとつピコンと届いたので、今日も優先してお答えしようとおもいます。


ひょっとこはつらいよさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 私はつね日頃より、今までの恥ずかしい失敗を思い出してそわそわして、何も手につかなくなってしまうことがあります。それも好きな人の前で緊張して話せなかったことや、学生の時にマラソンが遅くて泣いてしまったことなど、取るに足らないことだと自分でも分かっていることばかりなのですがそれでも、思い出すと緊張が走ってしばらく身体がこわばってしまい苦しいです。恥ずかしい過去とうまく付き合う方法があれば教えてください…!


むむ、ご同輩ですね。かく言う僕も人におすそわけしてもまだ余るくらい、会社なら在庫過多でとっくにつぶれているくらい、太宰の「人間失格」で言うと冒頭の一文ではやくも致命傷を負うくらいには恥の多い人生を送ってきたほうなので、それなりにキャリア(と恥)を積んでいると申し上げてよいでしょう。積んだところで本みたいに崩れ落ちるのが関の山だし、実際これまでに何度崩れ落ちたか知れません。僕の場合せめてその下敷きにならないようにと書いたのがつまり「ジャグリング/jugglin'」なわけですが、考えてみたら聴いたところでほぼ放置プレイみたいな話です。気休めにならなかったとしてもムリはない、と今になってしみじみおもいます。まったく面目ありません……積んできた山のうえにまたひとつポイと投げ足しておくのでどうか大目に見てください。

しかしまあ、それはそれとして、もうすこし正面から向き合ってみましょう。

あくまで僕自身の例なので参考になるかどうかわかりませんが、僕は同じ痛みや苦しみをもつじぶんのちいさな分身を心のなかに1人置いています。「なんでいつもこうなっちゃうんだろう」としくしく泣く脆弱な分身です。こんなのが現実にいたらじぶんでもはり倒したくなりそうですが、何しろ分身だけにはり倒しても吹き飛ぶのはじぶんなのであまり意味はありません。そんなことで泣き止むくらいなら初めから泣いたりしないということも、誰よりじぶんがよくわかっています。

一方で、分身との面会が行われるのはつねに自分のほか誰も立ち入ること能わぬ胸中です。僕が何をどうしようと、ここでの秘密は100パーセント確実に守られます。たとえ分身を目いっぱい甘やかしたとしても誰にも咎められることはありません。恥ずかしい過去とうまく付き合う、というのはつまりこの分身とよい関係を築く、ということです。

さて、こうした状況をセッティングしたうえで、しょげ返る分身に僕が何かできることはあるだろうか?

答えはノーです。

甘やかしてみてもいいけれど、甘やかすのが他ならぬじぶんであることを考えるとほとんど何の慰めにもなりません。と言って分身相手の叱咤激励も小芝居じみて効き目がないことはすでにはっきりしています。要は何ひとつ、してやれることがないのです。

しかし何もできないからといって意味がないかというと、そんなことはありません。声に耳をかたむけて、否定せずにただそばにいるだけでも十分に意味はあると僕はおもいます。そこにいることを受け止めて、そこにいてもいいと受け入れること。僕にとってこれは、じぶん以外にも適用できるはずと考える基本姿勢のひとつです。

残念ながら恥ずかしい過去は消え去ることがありません。折にふれては亡霊のように舞い戻ってちくちくと心を苛みます。僕にできるのは、その亡霊に好きなだけちくちくさせておくことだけです。痛いことは痛いし、じっさいいつまでたっても生傷が絶えないかんじだけど、でも大人になるってたぶんこういうことだよな、というのが気づいたら大人になっていた僕の考えです。

これで答えになっていますか?


A: ちいさな分身を心に1人置いて、そこにいてもいいと言ってやりましょう。


ちなみに「ジャグリング」は次回のオントローロで数年ぶりに披露する予定です。「02」の受付は週明け月曜のお昼ごろから!




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その218につづく!


2015年7月9日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その216


おかげさまで「オントローロ 01」はポンと飛び出した目玉が地面に転がったところを通りがかったネコに踏まれてぺちゃんこなほどあっという間に完売と相成りました。ありがとうありがとう。まだ何らかの事情で席が空く可能性もゼロではないので、よかったらときどきチラ見してやってください。「02」の受付は週明け、13日から!


いつもは当たりさわりのない質問を当りさわりなくいなして終わるパンドラ的質問箱ですが、めずらしく喫緊とおもわれるご相談が届いたので今日はこちらを優先してお答えしようとおもいます。


冷や奴クラブさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)絹ごし豆腐を買ってきてはつつき、つついては買ってくるソフトな部活動のことですね。



Q: 私は今年で大学三年になりますが、好きな女性がいます。半年かけたアプローチは失敗に終わり、それから彼女は留学してしまいました。しかし彼女が戻ってきた今も忘れることができず、片思いもかれこれ一年半になります。未だに背丈の似た黒髪の女性を見る度に彼女を思い浮かべ、手先の血の気が引いて心拍が上がります。(中略)未練はありますが、相手の迷惑になりたくないと考えてしまい連絡も半年ほど取らなくなりました。好きという気持ちの反対に連絡はしない、会っても話せないという気持ちがあります。どうしたら解放されるでしょうか。


恋心の遣り場にお困りということですね。まるで「処方箋」を地で行くようなお話です。恋慕において「人の話が役に立ったためしなんてない」ときっぱり読み上げている僕に尋ねるのはお門違いのようですが、恋の成就ではなくきもちに整理をつけたいということであればもちろん話は変わってきます。弱っている人のSOSを見過ごすわけにはいきません。

と言ってはみたものの、では何か打てそうな手があるかというと、とくにありません。何となれば、人によって程度の差こそあれ、恋心とはそういうものだからです。苦しいし、食欲はおちるし、それでいて出口は見えないしでまったくイヤになります。好きなんだからイヤってこともないけど、のめりこむ度合いに比例して消耗するのはたしかです。つらいですね。

しかしそうしたどうにもならない原則を踏まえた上であえて申し上げるなら、「迷惑になりたくないから連絡を断つ」という考え方をまず捨てましょう。僕がおもうに、これが未練をアンプのように増幅させている最大の理由です。そもそも迷惑かどうかを判断するのは相手であって、こちら側ではありません。相手にとって最もありがたいのは「恋の話などなかったかのように普段どおり接すること」です。一見相手のことを気遣っているようで、実際には自らの独り相撲にすぎない、というやるせなくも厳然たる事実は自覚しておいてもよいとおもいます。向こうはこちらが考えるほど大層な話として受け止めてなんかいないのです。

(゚Д゚)……………。


(じぶんで一刀両断しておきながらあまりの切れ味に打ちのめされています)


しかし本当は声を聞きたいし話もしたいのにそれをムリにぎゅうっと抑えこんでいるわけだから、そりゃ未練もつのるのが当たり前です。それなら好きなときに好きなだけコンタクトをとればよろしい。ひょっとしたら今度こそ本当に迷惑がられるかもしれないけど、傷心から立ち直るためのいちばんの近道はむしろ完膚なきまでに叩きのめされることだと僕は考えます。いちばんマズいのは、「相手に迷惑をかけずに、かつ自分のダメージを最小限に抑え」ようとすることです。そんな都合のいい処方箋などどこにもありはしません。いや、あるかもしれないし、じつは最初はその方向で考えてみたのだけれど、そこまで本気ならむしろ最後まで本気のまま突っ走らないでどうする、と途中で僕の気が変わりました。

残された道は3つあります。

1. 迷惑だろうが何だろうが玉砕覚悟で最後の戦いに挑む
2. 強靭な意志で自ら断ち切る
3. 誰も知り合いのいない土地まで長い放浪の旅に出る

結果はさておき、アクションとしてだけ見れば最も難易度が高いのは 2 です。しかしどうもムリっぽい、ということで今こうなっているわけだから、これはまず除外していいでしょう。3 は物理的な距離や環境の変化が胸のざわつきを和らげてくれることもあるだろうと考えての選択肢ですが、ボロ雑巾のように打ち捨てられてからでもぜんぜん遅くないので、優先度としては高くありません。ゆえに除外です。

したがって、実質的に残されている道は1つだけ、ということになります。

ムリムリムリムリ!と首を横に高速でお振りになるかもしれませんが、僕としてはムリじゃねえよとお答えするほかありません。何かにケリをつけたかったら、ケリがつくだけのことをしなくてはならないのです。仮に暴走しすぎて死にたくなるような心境にまで達してしまったら、今度は電話番号つきで連絡をください。「死ぬようなことでは全然ない」という当たり前すぎてクソおもしろくもなんともない事実を5時間くらいかけて、なんなら豆腐の角に頭をぶつけて死んだ男の話なんかも交えつつ、懇々と言い含めようとおもいます。

最後に、恋愛においては大きな希望であり、慰めでもあるひとつの真理を記しておきましょう。それは「人の気は変わる」ということです。まず断言していいとおもいますが、彼女か、冷や奴クラブさんか、いずれにせよ最終的には必ずどちらかの気が変わります。そしてそれが、この恋の目的地です。どっちに転んでも悩まずに済むのだから、ハッピーエンドしかないと僕は信じます。ゴール目指してがんばってください。


A: 冥福ご武運を祈ります。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その217につづく!

2015年7月6日月曜日

「オントローロ 01」受付開始のお知らせ


オントローロ 01&02 @渋谷 Flying Books
01:2015/8/9(日)SOLD OUT
02:2015/8/23(日) (7/13より受付)
open: 19:00 start: 19:30
fee: ¥2,500(1ドリンク付) 各40名


※「02」の受付は7月13日(月)からになります。

※「01」と「02」の内容は同じです。

※仮に完売となっても、何らかの事情で撤回される場合があります。その際はPeatixの表示が「販売終了」から「チケットを申し込む」に戻りますので、ときどきチェックしてみてください。

※ちょっと保留にしたい人はログインして「ウォッチリストに追加」がオススメ!

※調子に乗って完売と撤回のコールアンドレスポンスをむやみにくり返した前回の反省を踏まえ、今回はなるべくアナウンスを控える所存です。


「オントローロ」とは「よむ(読/詠)」ことに主眼を置いた僕個人の、そしてほぼ個人的なことに終始するライブプロジェクトです(もうちょっと補足した説明はこちら)。古今東西の書物に囲まれながら、何なら一杯きこしめしつつ、まろやかなひとときをお楽しみください。すこしでも多くのみなさまとここでお目にかかれることを願って。

2015年7月5日日曜日

耳たぶはいかにして指先の信頼を勝ち得たか

ミス・スパンコールから鉛筆削りをもらいました


台所で何か熱いものにふれて指先がアチッとなったとき、人類史上初めて耳たぶをつまんだ人物のことを考えているのです。

台所で、というのは指を火傷するような状況が他に思い当たらないからですが、これはおそらく今よりもはるかに火を扱う機会の多かった昔でも頻度で言ったら同じことでしょう。竃や囲炉裏、システムキッチンなんかのちがいはあっても、指先がアチッとなるのは大抵調理場です。

ウチには使い込まれた古い文化鍋があって、米は昔からずっとこれで炊いています。昔というのはそれこそ小さいころからで、一人暮らしを始めるときにも実家からアパートに持ち込んで毎日せっせと使っていたから、ざっと数えても40年ちかく経っている計算です。(前もここで書いたような話なのでこのあと10行くらいカット)

何しろ40年経っているものだから、把っ手とかフタのつまみを保護していたプラスチック部品が跡形もありません。残っているのは金属だけなので、熱の回った鍋を火から下ろすときやフタを開けるときが難儀です。いちいち鍋掴みを引っぱり出すのもめんどくさいし、熱いとわかりつつも毎回素手ですばやく持ち上げることになります。

指先がアチッとなるのはこのときです。おもえばほぼ1年365日、こりずにこのアチッを繰り返しています。そしてそのたびに、ふたつの耳たぶをつまんでいるのです。

しかし考えてみれば耳たぶだってべつにキンキンに冷えているわけではありません。他の部位とくらべて若干温度が低いというだけです。すぐそばに流しがあるんだから水で冷やしたらいいのに、なぜそうしないのか我ながらちっともわからない。だいたい耳たぶには指先を癒すに足るだけの効果なんかありゃしないんじゃないのか?つまんだからどうだっていうんだ?たいした効き目があるわけでもないのになぜだかある種の文化として定着している奇妙な現実もさることながら、指先を冷やすために耳たぶをつまもうとした最初の理由、それがまず解せません。耳たぶをつまめと言い出したのはいったいどこのどいつなんだ?

気を紛らすために身体のあちこちをさわったのだとしたら、それはまあわかります。しかしそれにしたって顔や頭に指を持ってくるのは妙です。そんな熱々の指を持ってこられたって顔のほうも困ります。それなら手をぶんぶん振るほうがよっぽど早く冷えそうです。それともそのイヤなかんじを無理に押していちいち試していったんだろうか?「鼻は……つまみやすいけどダメだな、まぶたは……まあまあか」とかそういうふうに?

あるいは100歩ゆずって仮に「あっ耳たぶ!耳たぶいける!つまみやすいし、ひんやりしてる!ユリイカ!とアルキメデスばりに風呂場から素っ裸で飛び出したとして、周りがそれを白い目で見ずに受け入れてくれるものだろうか?

もちろん、受け入れたんだろうとおもう。いえ、もちろん往来における素っ裸ではなく、発見のほうですけども、でなければこれほどまでに広まるわけはありません。しかしどうもこう、腑に落ちない。じぶんでも毎日のように耳たぶをつまんでおきながら他人事のように異を唱えることのほうがよほど腑に落ちない気もするけれど、落ちないものは落ちないんだからしかたがありません。じぶんがこの動作をいつから日常的に取り入れるようになったのかをまったく思い出せないのも据わりが悪いし、これがたとえば生物としてごくごく自然な動作であることを科学的に証明してもらえたりすると明日からゆっくり眠れてすごく助かるんだけど、そんな話も聞きません。証明できずとも研究だけでイグノーベル賞クラスの栄誉はまちがいないのに、まったく惜しい。


とまあそんなわけで週明け月曜はオントローロ 01 の受付開始日です。お昼ごろに更新する予定ですので、どうぞお忘れなく!


ちなみにウチにはもうひとつ、未使用の文化鍋があります。祖母が亡くなったときに遺品を整理していたら真新しいのが出てきたのです。親戚のうちで今もこんな鍋を使っているのは僕だけだし、自動的にもらい受けることになったんだけど、そもそも壊れるようなものでは全然ないから交換する機会もありません。けっきょくこれも未使用のまま、僕の遺品になりそうな気がする今日このごろです。

2015年7月2日木曜日

KBDGプレゼンツ「オントローロ 01 & 02」のお知らせ


あっという間にほとぼりも冷め、冷めたら冷めたでますます冷えこみ、あわや凍結とおもいきやすんでのところで息を吹き返し、あやうく消し炭になりかけたきもちを焚き付けて、各地で話題沸騰中!とステマよろしく湯を沸かそうとしたそばからつれない梅雨入り、話題沸騰どころか薪が湿気って火もつかず、気づけばそぼ降る雨のなかせっせと擦りつづけたマッチも最後の1本まで使い切り、しかたなくマッチ売りの少女を捜しに渋谷をうろつけば出くわすのは別の火遊びへのお誘いばかり、耳元で「お兄さん、どう……?」とささやかれてまったくどうもこうもありゃしないし、いいやもう沸騰なんかしなくたって水でいいよ水飲もう、あー水うまい甘露甘露と自暴自棄の体たらく、おもえば次は8月ですと申し上げたきり沙汰もなく、ここにきて「あれっ待てよ8月って……何年後の8月だ?と普通なら考慮する必要のない可能性まで浮上しつつあった泡沫独演会、オントローロが帰って参りました。

※そもオントローロとはなんぞやな御仁はこちらのエントリをご覧ください。


オントローロ 01 & 02
@渋谷 Flying Books

01 2015/8/9(日)
02 2015/8/23(日)
以下、両日とも同じ
open:19:00 start:19:30
料金:2,500円(1ドリンク付) 各40名

受付開始は「01」 7月6日(月)の正午から、「02」が翌週 7月13日(月)の正午からです。こちらに専用のリンクを貼りますので、今日のところはひとまず日程と「へー、あるんだ」ということだけ心に留め置いてもらえればとおもいます。

僕も近所のノラ猫や砂浴びするスズメに声をかけたり、空席を埋めるための人形を夜なべでちくちく縫ったり、想像以上に大盛況で地鳴りのごとく響くスタンディングオベーションを浴びながらブラボー!ブラボー!なかんじの合成写真をあらかじめこしらえておいたり、いざというときすべてをなかったことにするための焙烙玉をムール貝博士に融通してもらったり、最終的にはエロイムエッサイムと何かに求め訴えることも視野に入れつつ意地でも世間体を死守する予定です。

どいつもこいつも首根っこ引っ掴んでお誘い合わせの上、アマゾン川を力任せに逆流するポロロッカのようにあれこれなぎ倒しながら押し寄せてくださいますように。