2016年6月30日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その251


あなたに会えてフォカッチャさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)


Q: つい先日、人生で初めての恋人ができました(ありがとうございます)。毎日がとても楽しいのですが、反面いつ彼女に愛想をつかされるのか不安です。自分みたいなしょうもない人間と一緒にいて果たしてしあわせなのか、疑問に思ってしまうのです。彼女の気持ちを確かめるリトマス試験紙のような方法があれば教えてください。よろしくお願いします。


むむ、これは吉報ですね。シンプルな文面にもかかわらず、急激にふくらみつつあるよろこびと、これから大切にしたい人への思いがひしひしと伝わってきます。外野からは若干の舌打ちと悲壮な遠吠えも聞こえてくるようです。おめでとうございます!

愛想を尽かされる、いわゆるアイソレーション(isolation)のことですが、これは誰でもできれば直面したくない事態のひとつですよね。

僕も長年ホモサピエンスをやっていますが、いまだにO.ヘンリー言うところの「最後の一葉」を病室の窓から眺める絶望すれすれのきもちが拭えずにいます。恋人にかぎらず、ありとあらゆる関係においてです。具体的な例を挙げると、なぜ僕はいまだにプロデューサーから愛想を尽かされずに済んでいるのか、考えるだにふしぎでなりません。ひょっとするととっくに尽かされているのに気づいていないだけかもしれませんが、どう考えても気づかないほうが幸せなのでこのまま目をそらしておきましょう。

しかしまあそれはそれとして、まずはじぶんをしょうもない人間だとおもわないことです。手榴弾のピンを引き抜いて投げ渡すような物言いになるかもしれませんが、これは好意を持ってくれる相手への侮辱に当たります。

しょうもない部分を受け入れてもらいたいきもちはよくわかります。しかしそれは「受け入れているからいっしょにいるのだ」という最も基本的な合意部分をみずから足蹴にするのと同じであることに気がつかなくてはいけません。徹頭徹尾しょうもない人間である僕らとしてはまず、じぶんの価値を相手に補填してもらおうとしないことを心がける必要があるのです。じぶんで言っててとても耳が痛い。

それから、ひとつ考えてみてほしいのだけれど、仮にハートマークかドクロマークのどちらかを表してくれるリトマス的な試験紙があったとして、ドクロマークが色濃く浮かび上がったらどうするんだろう?何しろつねにハートマークが出る保証はどこにもありません。もちろんフォローすれば挽回できるかもしれないけれど、それなら初めからそうならないように努めていればいい話です。

そしてリトマス試験紙で相手のきもちを確かめようと確かめまいと、終わるときはそれはもう呆気なくあっさりと終わります。それが人生です。だとすれば確かめつづけることにいったい何の意味がありましょう。僕らにできるのは、大切な人の笑顔を増やそうと地道に努めることだけです。僕も呆気ない終わりをおもいだして胸が苦しい。

恋人ができて毎日がとても楽しいと僕に言えるなら、そのきもちは普段から花のように香っているはずだし、相手にもそれはまちがいなく100%伝わっています。楽しそうにしている人といっしょにいて、楽しくないわけがないじゃないですか?

言うのも馬鹿馬鹿しい気がしますけど、大事にしていれば大事にされるもんですよ。そうでもおもわないとやってられないよな、とたまに出るため息なんかも含めて。


A: それはぜんぶ当たりだとわかっているくじを、ハズレが出るまで引くようなものです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その252につづく!

2016年6月27日月曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その250

ミス・スパンコール画

記念すべき250回目です。せっかくの節目なんだから景気よく特別企画を打ち出したり、椿山荘あたりで盛大な酒池肉林を催したりしたらいいのになぜしないのかといえば、今さっき250と数字を打って初めて気づいたからです。

これもひとえにみなさまの、というか毎年毎年年賀状キャンペーンで質問よこせ、さもなくば死を、とばかりに恫喝しつづけてきたおかげと申せましょう。ありがとう!ありがとう!

それにしてもこの質問箱だけで、半ズボンをはいていた少年が成人してオカマになるくらいの年月が過ぎているわけだから、おもえば感慨深いものがあります。もともとはとくにお知らせすることもない平坦な日々の穴埋め企画だったわけですが、まさか8年たってもまだせっせと穴埋めをしているなんて、墓掘り人夫みたいな生き方もすっかり板についたものです。

継続は力なりというけれど、これがけっきょく何の足しになったというのか、それこそ誰かに僕が訊きたい、そんなきもちにバンとふたをして足で蹴っ飛ばしつつ、これからもよろしくおねがいします。

しかしぜんぶ読んでる人っているんだろうか……?いちおうここに第1回から全部つっこんであるので、よろしければまとめてお楽しみあそばせ。

そして記念すべき250回目の質問はこちら!


たんこぶラクダさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)これはたぶん、殴られたラマのことだとおもいますね。


Q: 大人と子供の線引きってどこですか。


A: 子どもと言われて腹が立たなくなったら大人です。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その251につづく!

2016年6月19日日曜日

トマトに砂糖をかけて異端審問にかけられる話


常識とはいつ、どの時点で常識になるのか、具体的には何人で共有したら常識になるのか、考えているのです。

ここで言う常識とは、厳密にどうこうと規定されるものではなく、「ふつうならこうする、あるいはしない」とか「みんな知ってる」とかそれくらいのふわっとした認識のことです。

たとえば僕はちいさいころ、トマトに砂糖をかけて食べるのが大好きだったけれども、これはあまり一般的ではないばかりか、下手をすると正気を疑われる、もしくは異端審問で魔女として糾弾されるレベルの食べ方であるらしいことを、かなり大きくなってから知りました。

今は砂糖をかけません。非常識だからではなく、とくに食べたいとおもわないからです。でも今でもおいしく食べることはできます。ぜんぜん抵抗はありません。ただ、言われてみれば胡瓜とかレタスに砂糖をかけて食べたりはしないから、みんなが眉をひそめるきもちもわかる。

「ははあ、それはたしかに珍しい」とおもいましたか?よろしい、では「ふつうはトマトに砂糖をかけて食べたりしない」を一般的な認識だとしましょう。もちろん僕も今では、どうやらそうらしいという認識で異存ありません。

しかし待てよ、と僕が立ち止まるのはここです。厳密に検証したわけでもないのに、なぜ僕はそれを「ふつう」だと考えてるんだろう?そしてなぜみんなそれを「珍しい」と考えるんだろう?

僕がじぶんの嗜好を異端であるらしいと考えるようになったのはたぶん、何かの折に「えー、変わってるね」と指摘されたからです。ぜんぜんおぼえてないけど、ひょっとしたらその場に数人がいて、満場一致で「それはない」と認定されたのかもしれない。そういう状況であれば「あ、変だったのか」と認識を改めたとしてもふしぎではない。

でも、考えてみればたかだか数人での話です。さらにその根拠と言ったら、「我が家ではやらない」という程度のことにすぎません。一般的な家庭の人数と言ったらそれもまた数人が関の山です。

だとすればここで言う「ふつう」とか「常識」は個々の家庭における習慣とかあり方が基準になっていることになります。それはまあ、そうだろうなと僕もおもう。しかし大抵の人がそんな、統計的に有意とはとても言えない少人数での共通認識を根拠にふつうとか常識とか言い切っているのだとしたら、これほど乱暴で雑な話はないんじゃないのかという気がしてきます。そして(ここがいちばん声を大にして言いたいところですが)、なぜみんな我が家のほうがふつうであると盲目的に考えてしまうのか?

僕が言いたいのは、ふつうとか常識が、僕らが何となく考えるよりもはるかに当てにならない根拠に基づいている、ということです。それはただ、「じぶんの属するごくごく小規模なコミュニティで問題になったことはない」というだけのことにすぎません。ある事柄をなぜふつうと捉えるのか具体的に突っ込んで考えたとき、「え、だってそうでしょ」とか「絶対みんなそう言うよ」とか、まったく理由になっていない理由で済まさずにきちんと考えている人が果たしているだろうか?

ビジネスとかテーブルマナーなんかにしても同じです。こういう場合はこうすべきというひとつの指針があるとき、それが常識であることを「そう教わったから」とか「昔からそう決まってる」といったぜんぜん頼りにならない印象を抜きに万人が納得できるかたちで、だからこうしなくてはいけないと説明できる人がどれくらいいるだろう?

礼を失することがないように気を配る姿勢は、どうあれ全力で支持したいし、仮にちょっとおかしなところがあったとしても基本的にはそれがすべてです。でもそこに「こうあるべきであって、そうでないのは非常識」という強いバイアスがかかると、途端にちょっと待てと言いたくなります。なんとなれば、実際に相手がどう受け止めるかよりも、杓子定規の理屈が先にくることになるからです。常識とはみんながきもちよく過ごすための、こう言ってよければ輪郭のぼんやりした、ひとつの大らかな目安でしかないのに、それが本末転倒でなくて何だというのか?

要は「そのふつうは、じっさいに何人の同意を得たわけ?」ということですね。

常識なんてくそくらえだと目の敵にしていた時期もあるけれど、実のところそんな意気軒昂に吠え立てる甲斐もないというか、人にたとえたらむしろ好々爺に近いことに気づいて、今さらながらに「あら〜」と脱力しつつ、せんべいをぱりぱりかじる日曜の夜です。

なんでもそうだけど、「果たしてそうかな……?(ニヤリ)」とするくらいの余裕と視点は持っていたいとおもう。

2016年6月16日木曜日

たった数ミリの空間に隠された小粋な金属片の話


「はー、よっこいしょういち」と今や多くの人にとって何がおもしろいのかさっぱりわからない昭和のギャグがしみじみと五臓六腑にしみわたるお年頃のわたくしがどこをどう切っても所帯じみたお話をしますけれども、洗濯ネットのファスナーがこわれたのです。

洗濯ネットってあんた、行き交う車にさんざん轢かれた路上のボロ切れみたいな服しか持ってないじゃないのとお思いかもしれませんが、まあとにかくあるのです。老境に向かって坂道を転げ落ちる中年がネットに入れてだいじに洗う、抱きしめてTONIGHT的なキラッキラの勝負下着を持ってたってべつにいいじゃないですか?持ってないですけど。

話を戻してもうすこし正確に言うと、ファスナーを上げ下げするときのつまみ部分がどこかに消え失せています。折れたのか、吹っ飛んだのか、授業を早退してゲーセンにしけこんだのかそれはわかりませんが、とにかくない。

ただ、つまみといっても構造的にはしっぽみたいなものです。ちょっとやりにくいだけでファスナー本体の上げ下げはできるようになっています。人に見られるものでなし、とりあえずそのまま使おうと本体をつまんで動かそうとしたら豈図らんや、がっちり噛んで動こうとしません。

ネットにかぎらず、服でもファスナーが噛むことはよくあります。男性諸君なら巻き込んではいけないものを巻き込んで「○@%☆&π#ー!」と声にならない叫びをあげた経験が一度くらいはありましょう。そんなときはただただひたすら心を落ち着けて、そろそろと解いてやるほかありません。

それでまあ、しかたなくおちついてそろそろやってたんだけど、ファスナーときたら「お前なんかに動かされてたまるか」とでも言いたげな様子でうんともすんとも言わず、一向に動く気配がないのです。さすがに15分くらい指先でちまちまやりつづけて埒が明かないと、力任せに引きちぎって窓から放り出したあげく、ぜんぶ忘れてYouTubeでも観るかという気になってきます。なんで動かないんだ?

とおもってなんとなく本体に目をこらすと、つまみとの連結部分、せいぜい3ミリくらいしかない空間に一片の金具が見えるのです。


穴さえあればつまみは連結できるわけだし、ふつうに考えたらこんなのは必要ないはずです。それでなくともミリ単位のちいさな部品に、もっとちいさな部品らしきものがあるように見えるなら、そこにはやはり意味があると考えなくてはなりません。

もしやこれは……と針金を持ち出して穴に通し、間に合わせのつまみをこしらえて引いてみると、これがもう、呆気にとられるほど簡単に、するするっと動きます。なんてことだ!

要は動かなかったのではなく、逆に洗濯で振り回されても動かないようロックがかかっていたのです。穴の内側にある金具を持ち上げるとロックがはずれる仕組みになっていたわけですね。

金具を持ち上げると言っても、つまみを引けば自動的にそうなります。そして何がすごいって、自然な動作でロックと解除を繰り返しているのに、言われなければ気づかないところです。しかも直径数ミリの空間に収められたたった一片の金具で!こんな粋な構造が他にあるだろうか?

どうやら洗濯ネットのファスナーにおけるロック構造はそんなに珍しいものでもなくて、つまみを倒すことでロックされるとかいろんなパターンがあるようなのだけれど、でも言われなければ気づかないほどさりげないという点で、いま僕の手にあるこのファスナーは群を抜いている気がする。

どうもこう、発想が日本ぽい気がするのだけど、世界的にはわりと標準的な仕様なんだろうか?

粋だ。じつに粋だ。

たぶんパッケージにはちゃんと書いてあったんだとおもいますけど。

2016年6月10日金曜日

椎名純平+タケウチカズタケ Solo Solo TOURのお知らせ

※去年の様子をサンプリングしています

どこをどうクリックしてみてもイベント詳細に行き着かないのでおそるおそる小声で申し上げますけれども、明日6月11日(土)の夜は、KBDGがやむを得ず好きなソウルのレコードをかけ散らかして裸足で逃げる、年に1、2度のたいへん珍しい夜となっております。というのはもちろんちょっとしたお通しとか突き出しみたいなもので、主菜は椎名純平+タケウチカズタケという鍵盤弾きのおふたりによるsolo solo TOUR、1年ぶりの東京編です。

6/11(土)『椎名純平 + タケウチカズタケ Solo Solo TOUR 2016』
@新宿カブキラウンジ
open19:00
LIVE START 20:00
¥3,000(1d)
LIVE: 椎名純平、タケウチカズタケ
DJ: 小林大吾、ROCK-Tee、そうるまんきち

カズタケさんにソウル川柳を一句詠んでもらったり、椎名純平さんが先ごろリリースしてすでに不朽の名盤と囁かれるニューアルバム「…and the SOUL remains」を入手できる絶好の機会のひとつですが、なんと言っても本当に、ぜひ一度、とくとその目でご覧じろと声を大にしておすすめしたいのは、おふたりのライブパフォーマンスです。

何しろこのおふたり、鍵盤弾きでありながら「ビートがなけりゃ意味がない…… It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got The Beat)と言い切る根っからのヒップホップ的特異体質の持ち主なので、キーボードはもちろん、同時にありとあらゆる手練手管でビートを生み出し、イヤでも腰にクる漆黒のグルーヴを紡ぎ上げてくださいます。

そのうえで、見逃せないのはおふたりのスタンスの違いです。カズタケさんは鍵盤でラップする型破りな「プレイヤー」ですが、純平さんは歌にその魂を捧げる生粋の「シンガー」であり、その基本的な立ち位置がまず大きく異なります。にもかかわらず、ご自身の世界観をフルに表現しようと突き詰めた結果、おふたりとも相通じるスタイルに辿り着いているのです。生物学的にはある種の収斂進化と言っていいとおもいますが、これがミラクルでなくてなんでしょう?次に何をするのかひとときたりとも目が離せない、めくるめく音のソロサーカスをこの夜は贅沢にも2種、ご堪能いただけます。solo solo TOURの他所では味わえない醍醐味、ここに極まれりというわけです。

ふと思い出して去年のsolo solo TOURのことを書いたエントリを読み返してみましたが、これだけでもちょっとそそられるものがあります。

→【ムール貝博士言行録】謎めく失恋ソング「Hot Water Pressure Washer」のこと

そしてもちろん、「ダイヤモンド鉱」から始まってとうとう本人がいなくなるところまで行き着いたKBDGスピンオフ、「Hot Water Pressure Washer」も聴けるとおもってまずまちがいありません。



うーん、そうかー、行きたいけど、でも歌舞伎町はちょっと勇気がいるなあ……と尻込みされる方もあるいはいらっしゃるとおもいますが、心配は無用です。初めてスポークンワードを披露したのも歌舞伎町の地下でしたが、僕もいまだに尻込みします。レコードをかけているとき以外は隅っこでトガリネズミのようにちぢこまっているはずなので、「そうびくびくすんなよ」とやさしく肩を抱きにきてください。あ、そうだ歌舞伎町、ゴジラもいるよ!


ちなみについ先日届いたメールによると、僕は19:00のオープンからライブスタートまでの1時間、レコードを回すことになっているようです。おいでませ!

2016年6月7日火曜日

ハイレゾと水素水、もしくは王様の新しい服のこと


ハイレゾリューション・オーディオ(ハイレゾ音源)についての説明を読んでいたら、データの圧縮によるロスがないこと、したがってこれまでになく高音質であることが、比較サンプル音源まで並べて、さらに何分何秒のクラップ音がリアルであるとかリムショットがシャープであるとか、それはもうこと細かに記してあるのです。

おお、なるほど……と頷きかけて、ふと何かに似ているような気がして首をかしげたあと、ポンと膝を打ちます。

あ、水素水だ。

水素水については僕もはっきりこうだと言えるほどの知識を持ち合わせているわけではないけれど、通常の水よりも水素が多くふくまれていて、ほにゃららがほにゃららでほにゃららなことから健康とか老化防止にたいへん効果がありますと謳われている水のことです。

いくらなんでもそれはちょっと乱暴なんじゃないの、というか全然ちがうよ!とびっくりされる向きもあるかもしれません。たしかに健康に寄与する耳慣れない科学的根拠はそれだけで鼻白むものがあったりするけれど、それはまあそれとして、僕も両者を否定したいわけではありません。ある点においてとても似たところがある、とひとまず言いたいのです。

明らかに異なる最も大きな点は、その場で比較検証ができるかどうかです。もちろんハイレゾ音源にはそれができます。実際に比較してみたわけではないけれど、サンプルでリムショットがシャープだと言うのならたぶんそうなのでしょう。裏を返せば、わざわざ検証しなくとも似ていると言い切れる点があるということです。

乱暴ついでにいろいろはしょってざっくりまとめると、相似点はこういうことになります。

ハイレゾ「☆☆が△△で**、だから音が良いんです」
水素水「☆☆が△△で**、だから体に良いんです」

前者には「ぜひその耳で確かめてみてください」と胸を張って(←ここ大事)付け加えることができる点で圧倒的に大きなアドバンテージがあるとおもいますが、問題はそこではありません。僕のひっかかりはむしろ「☆☆が△△で**」の部分にあります。いわゆる科学的根拠のことですね。

誰にとっても明らかに良いと判断できるはずのものなら、なぜ科学的根拠が必要なんだろう?

要は、実際にどうかよりも、説得力の強さが結果を大きく左右する点でこのふたつはとても似ていると言いたいのです。

水素水の肯定派に至っては、「パッキングの過程で水素が失われる可能性はたしかにあります(=水素水自体に効果がないわけではない)」と否定派の意見をある程度汲みながらさらにひっくり返す念の入れようです。ちいさな疑いなら軽く吹き飛ばしてくれそうなもっともらしさと言えましょう。

一方、ハイレゾの科学的根拠は客観的に見ても頑健で1ミリたりとも揺らぎません。なんとなれば、圧縮によって間引かれることのない情報量の多さが要なので、情報量が少ないものと比べて絶対に劣りようがないからです。すごく意地悪な言い方をすれば、情報量が多いと初めからわかっているなら、そのちがいを実感できないまま「すばらしい」と断言しても一向に差し支えがないことになります。多くのミュージシャンたちが絶賛したとしても、だから全然驚くにはあたらない。否定されてもぐらつかない強固な説得力が、ここにはあります。しかし、だからというかやはりというか、説得力の問題のような気がしてならないのです。

おまえまじでふざけんな、よく聴けよ!ぜんぜんちがうだろ!ほら!と目いっぱい叱られそうなのでもう一度念を押しておきますが、否定したいわけではありません。あくまで論理的に考えてそうなるというだけです。しかし能書きを知った上で正座しながらハンドクラップの部分に耳を傾けてようやくわかるその「良さ」に意味はあるのか?

うまい米はうまい理由を説明されなくても、食えばわかります。でももしそこにうまい理由を懇々と説いた能書きが付属していたら「ふーん、どれどれ」と身構えてしまう気がするから、ひょっとすると能書きそれ自体が却って攪乱の要因になっているのかもしれません。親切な人がババ抜きで「あの人のババは右から3枚目です。見てきましたから」と教えてくれるようなものですね。

ハイレゾも水素水も、果たして「能書きの説得力」なしに支持されるだろうか?

裸の王様とまでは言わないけれど、仕立て屋のみごとな口上あってのものなら、それはすくなくとも「王様の新しい服」ではある、と僕はおもうのです。

2016年6月4日土曜日

続・雑誌とは色とりどりの未知に通じる扉の集合体である


たぶん地球上で3億人にひとりくらいの割合でご記憶だとおもいますが、「MOUTAKUSANDA!!!magazine」というこの時世においてはまったく気概溢れると感嘆するほかないポロロッカライクな雑誌があって、僕もその創刊号に書評を寄せたことを以前、ここでお知らせしています。ここをきっかけにご注文くださったみなさま、どうもありがとう!

【ムール貝博士言行録】雑誌とは色とりどりの未知に通じる扉の集合体である

先日そのエディターである山若さんとお会いした際、企画と取材と編集のほとんどをおひとりでをこなしていたと伺って耳を疑いました。耳を疑うというのはつまり、取調室でカツ丼をもくもくとかきこむ耳に対して「ウソをつくんじゃない!」と迫る新米刑事役、もしくはそのそばで「おいおい、初手からそんなんじゃ話にならねえよ、わるいね耳さん、血の気の多い野郎で」と執り成す志村喬みたいなベテラン刑事役を僕が演じたということです。ちがうような気もしますがそれはまあどうでもよろしい。

あれから9ヶ月……そんな「MOUTAKUSANDA!!!magazine」の最新号がこのたびめでたく刊行の運びと相成りました。クラウドファンディングで資金を募って達成率300%(!)というのだから、山若さん率いるクルーのみなさんの人徳、ひいてはこの雑誌によせる期待のほどが伺えましょう。300%ってすげえな。




ありがたいことにふたたびお声がけいただいて、僕もテキストを寄稿しています。今回は短編小説です。「時間の旅」をテーマに4000字以内であれば何を書いてもよいというたいへん懐の広いオファーをいただいたのだけれど、何を書いたらいいのかさっぱりわからないままとりあえずお引き受けして、もんどり打ったあげく、こういうことになりました。


参考までに、むりやり送りつけてむりやり奪い取った感想を載せておきましょう。

・Sさん「(眉間にしわを寄せながら最後まで読んで)わああー!」
・Kさん「ブラッドベリの短編みたい!とため息がでました」
・Mさん「本や映画などでウルっと来ない方なんですが、涙腺にグイっときて自分でもびっくりしました」

そりゃまあどうって聞かれたら人情的によかったよと答えるほかないだろうと僕もおもいますが、すくなくとも写真の冒頭部分からはちょっと想像しづらい結末が待っているはずです。実際にこう言ってもらえる価値のあるお話かどうか、WEBではすでに予約受付を開始しているそうなのでぜひともその目でおたしかめあそばせ!

store.moutakusanda.com

発売日は6月17日です。東京近郊ではわりとあちこちの書店に置かれるようなので、よかったら探してみてね。

2016年6月3日金曜日

マッチ棒パズルの答え


写真のマッチ棒を2本動かして四角を4つにする、というのが問題でした。動かす2本を赤くしてみましょう。



……というわけです。なんて鮮やかで美しいの……!

僕としては、うちに赤いマッチ棒があったことにびっくりです。こんなの、どこで手に入れたんだ一体?

2016年6月1日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その249


出る杭はブーたれるさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: フラれないようにするにはどうしたらいいですか?


明らかにその思考回路が不要な危機を招いているとおもいますが、心配はいりません。現時点でまだフラれていないのであれば、フラれずにすむ確実な方法がひとつだけあります。


A: 先にフレばよいのです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その250につづく!