2022年6月24日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その380


レオナルド大ピンチさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. ついついYahooを開いて知りたくもないニュースを見てもう見ないと思いつつまた開いてしまいます。開くのを思いとどまる方法を教えてください。


これは世界各地でちらほら報告されている、「ついついYahooを開いて知りたくもないニュースを見てもう見ないと思いつつまた開いてしまう症候群」ですね。実直な人ほど罹患しやすい傾向があると言われていますが、自覚があることからまだ軽度であると見てよいでしょう。

身近な例で言うと、僕の老父がまさにこれです。あまつさえ「最近はYahooニュースを楽しんでます☺️」とポジティブな印象を絵文字つきで伝えてきます。よかったねと返すほかありません。どちらかというとスマホに慣れてもらうことのほうが優先だったので放置していますが、このままいくと取り返しがつかないところまで突き進むことになるでしょう。

重度になると当然、Yahooなしではいられなくなります。ニュースはもちろん、天気、クーポン、ショッピングから占いやBEAUTYまで高速で網羅してはページの再読み込みを分刻みで繰り返すようになります。日常における支払いはすべてPayPayになり、山のてっぺんで叫ぶのもヤッホーではなくヤフー!になります。日本を代表する超絶奇書のひとつである沼正三の「家畜人ヤプー」も、ヤフーと誤認したまま読了するはずです。

そうした事態を避けるための対処法は、2つあります。ひとつは、閲覧するポータルサイトを分散することです。Yahooだけでなく、excite、livedoor、goo、BIGLOBE、Infoseek、niftyといった国内の主要なポータルを一通りブックマークしておき、曜日によって開くサイトを決めるのです。つまり、月曜がYahooなら火曜はexcite、といった具合にですね。

ただ難点はこれによってついついYahooを開いて知りたくもないニュースを見てもう見ないと思いつつまた開いてしまう症候群が寛解に近づいたとしても、代わりについついexciteを開いて知りたくもないニュースを見てもう見ないと思いつつまた開いてしまう症候群に罹患してしまう可能性があります。もちろんそうならないために分散するわけですが、最悪の場合ついついYahooとexciteとlivedoorとgooとBIGLOBEとinfoseekとniftyを開いて知りたくもないニュースを見てもう見ないと思いつつまた開いてしまうぜんぶ盛り症候群を発症してしまう特大のリスクは否めません。そこまでいくと逆に何かしらの専門家になれそうな気もしますが、そうなったらそうなったで一生完治は見込めなくなるので、悩ましいものがあります。

もうひとつはシンプルに、PCもしくはスマホをYahooごと一思いに叩き壊すことです。叩き壊したところでYahooには痛くも痒くもないですが、閲覧は強制的かつ物理的にできなくなります。叩き壊すのが会社のPCだったりして業務に著しい支障が出る、もしくはYahoo以上の何かを片っ端から失う可能性も大いにあるものの、Yahooどころではないという点で効果は覿面かつ絶大です。

気がつくと目の前には広大な荒野が広がっています。もはや行く手を遮るものはありません。何もかもがリセットされた今、この世のどこかに存在するとまことしやかに語り継がれる伝説のYahoo本社を探して旅に出るのもよいでしょう。そして長い長い放浪を続けながらふと、こうも思うのです。Yahoo!ニュースくらい好きに見ててもよかったのではないか、と。


A. 端末を破壊することです。




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その381につづく! 

2022年6月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その379


鳴かぬならわたしが鳴こうほととぎすさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 健康に気を付けて取り組んでいることはありますか?


そうですね、健康のためにと考えることはあまりないですが、そのかわり肉体の変化をなるべく些細なことでも自覚するようにはしています。姿勢とか、筋力とか、注意力、あとは歯とかですね。特に手や足を動かすときの軌道は日々、ミリ単位のごくわずかなレベルで少しずつズレていく実感があります。どのみち衰えていくんだから無理してそれに抗うつもりはないけど、そのペースが緩やかになるならそれに越したことはないし、その結果として健康の維持にもつながるなら御の字という感じです。

どちらかというと現時点の健康よりもずっと先の未来、気づいたときにはもうどうにもならないような肉体のカタストロフィに向けてすこしずつ心の準備を始めている、と言ったほうが近いかもしれません。

食についても同様です。

たとえば毎朝ヨーグルトを欠かさないとか、食品添加物なんかを避ける習慣があったとして、健康なのはあくまでこれのおかげであって他の要因によるものではないと言い切れる確かな根拠は実のところありません。どれだけ心血を注いでも、たぶんそうだろうというだけです。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だとすればそこにこだわる甲斐はあまりありません。健康云々とはぜんぜん関係なく好きでポリポリ食べていた落花生のおかげかもしれないじゃないか?そんな不確実なことよりも単純に、美味しいという喜びを大事にしたい。

また僕の曾祖母は、晩年に暮らしていた病室でも酒と煙草を欠かさない豪胆な女性でしたが、確か92まで生きています。そもそも入院している時点でどう考えても体にガタがきていたわけだから、不摂生の権化です。しかしそれにしても40年前で92歳というのは立派な長生きだし、一体どういうことなんだと今でも首をかしげるものがあります。単なる超人だったのかもしれないですけど。

これらのことを考え合わせると、「なるべく体を動かすようにして、なるべく明るい気持ちを保ちつつ、美味しいという気持ちを忘れず、なるべく無茶はしないでおこう」という、当たり前すぎてわざわざ口にする意味もないような結論になるわけですね。

というか、体にいいモノ、コトってけっきょくバランスよく、ほどほどにみたいな話になりませんか、昔も今も。そしてたぶん、この先も。


A. 肉体の変化を意識するようにしています。




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その380につづく! 
 

2022年6月10日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その378


信長の野暮さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 何か買おうとしてどれを買うか悩んだ場合、どうやって最終的な決断をしますか?腰痛に良いマットレスを先日買ったのですが、通販サイト・検索サイトでオススメや順位が全然違い、非常に迷いました。(最終的には同一価格帯のもので通常より安く売られてるっぽいものを選びましたが迷いは残ります)


一般的にはやっぱり予算内で最高の効果が期待できそうなコストパフォーマンスじゃないかしら、と誰でも考えそうなことを考えつつ、せっかくなので僕も腰痛にやさしいマットレスが必要であると仮定して鼻歌まじりでググってみたところ、数分で「あ、これはむりだ」と匙を投げる羽目になりました。どうにかこうにか選んでもまだ迷いが残るというそのお気持ち、今なら僕もすごくよくわかります。ググらなかったら知り得なかった深淵すぎるマットレスの世界で、たったひとつの正解をつかみ取ることなど、とてもできそうにありません。

何しろ価格や性能どころかマットレスの構造からしてバリエーションが豊富すぎるのです。コイルなのかウレタンなのかポリエチレン樹脂なのか、ウレタンを選べば今度は低反発なのか高反発なのかで分岐があるし、これらの素材や構造が体にどう作用するのかもそれぞれ違うときています。いろいろと細かく親切に教えてもらえるのはもちろんありがたいんだけれども、「自然な姿勢で眠りたい人にオススメ」とか言われても、不自然な姿勢で眠りたい人がいるのかよ!とやはりディスプレイ目がけて全力で匙を投げつけざるを得ません。

ひと昔前と違ってランキングや性能の比較がいくらでもできる時代の、そのいくらでもできることが完全に裏目に出たケースと言ってよいでしょう。正直なところ、いま僕は「もういい、おれ床で寝る」と全部うっちゃってしまいたい気持ちでいっぱいです。

ひとつに半年くらいかけて数十種類を検証しつづければそれなりの方向性とか機能のあり方なんかも見えてくると思うけど、一生かけてそんなことをしている人が現実には一人も存在しません。また仮に存在したとしても検証している間にもどんどん新製品が湧いて出てきます。賽の河原で石を積むのと大差ないじゃないですか?

これはもはや、何かを買うときの決め手の問題ではありません。無限に増殖してこちらを翻弄しまくるマットレス族の問題であり、彼らとの戦いです。群雄割拠すぎる彼らをまとめるには国際マットレス標準会議といった機関を設立し、構造と仕様と寝心地と腰へのやさしさなんかをUSB-Cのように全世界で統一するほかありません。そしてそれが望めないのならば、あくまでほどほどの基準で決めてしまっていい、というかそれしかなくない?というのが僕の結論です。

もっといいのがあるかもしれない、と思うから迷ってしまうわけですが、はっきりと申し上げて、もっといいのは確実にあります。しかしそれよりももっといいのもまた、同じくらい確実に存在します。そしてそれを延々と繰り返した結果、辿り着くマットレスはおそらく最初に目にしたマットレスです。

したがって、「同一価格帯のもので通常より安く売られてるっぽいもの」こそが実は僕らの追い求めた決め手の中の決め手であり、言うなれば青い鳥だったのだと僕はおもいます。


A. 同一価格帯のもので通常より安く売られてるっぽいものを選びます。




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その379につづく! 

2022年6月3日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その377


人生万事最高な歌さんからの質問です。(ペンネームはご本人によるものです、というか本来それが普通ですが)


Q.私も物事には様々な側面があると常々思っていて、アインシュタインの「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションにすぎない」という格言を愛してやまないのですが、大吾さんにとって、これだけは確かな事だ。といったものはありますでしょうか。


アインシュタインのこれはもう、本当にぐうの音も出ないほど、いい言葉ですね。僕もたとえば新婚家庭の食卓で味噌汁に入れる玉子について「かき玉って珍しいね、普通は落とし玉子でしょ」「は?落とし玉子の方が珍しくない?普通はかき玉だよ」みたいなやりとりがあって云々と聞いたときなんかにこの格言を思い出します。人が常識と思い込んでいるものの正体を端的に教えてくれる例のひとつです。

僕の胸に刻まれているキングオブ格言というか座右の銘は昔から、なのでたぶんこのブログでもちょいちょい言及している気がしますが、不朽のコミック「Peanuts」における、スヌーピーの一言ですね。

“You play with the cards you’re dealt..”(配られた手札で勝負するんだ)

僕がこの一言を心底から最高だと考えるのは、ある限られた局面において力になるからでは全然なく、生涯を通じてこれがすべてと言い切れるほどの揺るぎない真理をこれ以上ないほど簡潔に表しているように見えるからです。世間的にもいい言葉として認識されてはいるけれど、僕に言わせれば過小評価もいいところであって、エレガントという意味ではそれこそアインシュタインのE = mc2に匹敵するレベルだと個人的には思います。

そして何と言っても重要なのは、これが誰かに対するアドバイスではなく、スヌーピー自身への問いかけに対する返答もしくは見解である、という点です。スヌーピーはルーシーにこう言われます。

“Sometimes I wonder how you can stand being just a dog..”(ときどき思うの、よく犬なんかでいられるなって)

ルーシーだからまだ無邪気と受け止めることもできるけど、人が人に対してだったらまず絶対にありえない暴言中の暴言と言ってよいでしょう。何しろその存在からして全否定です。

にもかかわらずスヌーピーは腹を立てることもなく、「ふむ…そう言われてもね」とでも言いたげにふわりと受け流してしまいます。その優雅な受け流し方たるや、合気道の達人もびっくりと言うほかありません。

相手を責めるでもなく、自身を守るでもなく、ただ世界がそうあるがままにあるということを知っていて微塵も揺るがない立ち位置、これが完璧でなくて何だろう?

また、これが肯定ではないことに注意してください。「君は君のままでいい」といった、根拠のない単純な肯定とははっきり言って次元が違います。

引き合いに出しているのがトランプであることも大きなポイントのひとつです。たとえばポーカーなら、たとえ手札が最低のワンペアであっても、向き合い方次第で勝てる可能性があります。したがってここには「そりゃそうでなければよかったけど」というような、妥協のニュアンスも含まれていません(ここ重要)。ただフラットかつニュートラルに「手札はこれだ、その上でどう出る?」と言っているだけなのです。自分で書いててしみじみ感じ入ってしまう……ほんとにこれが完璧でなくて何だろう?

薄っぺらい処世訓みたいに扱われることも多いけど、他人に対するアドバイスとして持ち出した時点ですでにその本質を損ねているし、そもそもスヌーピーが人を羨んでいるわけでは全然ない点を完全に見落としている、といちいち腹を立ててしまうくらいには僕にとって大きな意味を持つ一言です。ほんとに。


A. スヌーピーの在りようこそ、この世界で信じられる確かなことのひとつです。




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その378につづく!