2017年5月18日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その263〜284


日々の活動を記録しようにも元よりほとんど活動していないので、むしろどうにかこうにか生きながらえていることを示すだけの命綱的ブログとして存在するのがこのムール貝博士言行録なわけですが、ひと月も放置していったい何があったのかというととくに何もありません。開設してからかれこれ10年、そんなことはしょっちゅうありました。この先も多分しょっちゅうあるでしょう。みなさま、ご機嫌いかがですか。(タイミングよく立ち寄ってくれた通りすがりの数人に手を振っています)

今日はどうやっても回答を水増しできそうにないシンプルな質問にさくさくとお答えしていきましょう。


紅白フタ合戦さんからの質問です。赤組と白組に別れてフタの良し悪しを競う、年末の恒例イベントですね。

Q: ミニマリストになりたいですか。
A: ミニマリストになるとドングリひとつ拾うこともままならなくなりそうなので、できればなりたくありません。


ベルサイユの腹さんからの質問です。

Q: 9月から足底筋膜炎がなおりません。練習を休んだほうがいいでしょうか。
A: 半年たってから言うようなことでもないですが、休んだほうがいいでしょう。


急いては事をうどんの汁さんからの質問です。

Q: 海外で特に好きな国ってありますか?来年から彼女と世界旅行するので、参考にさせていただきたいです。
A: もうとっくに旅立たれているような気もしますが、マダガスカルが好きです。


サブリミナル校歌さんからの質問です。無意識下に働きかける洗脳的な校歌のことですね。

Q: 飼い猫が一緒に寝てくれなくて寂しいです。彼女と心地よい寝床をシェアするにはどうしたらよいでしょう。
A: 枕にまたたびを詰めましょう。


イレギュラー満タン現金でさんからの質問です。

Q: 眼鏡が曇った時の対処法はありますか?大吾さんなりの事前策などあれば知りたいのです。
A: 曇ったら外して拭いてますが、それでよくないですか?


昆布座席さんからの質問です。たぶんこう、ぬめっとしてるんでしょうね。

Q: コンビニのホットスナックは食べますか?食べるのであれば、おすすめはありますか?
A: ミニストップのXフライドポテトが大好物です。ただおすすめかと言われると単に僕が大好きなだけなので、どうでしょうね。ふむ。


チャタレイ夫人のルイ・ヴィトンさんからの質問です。

Q: 10世紀末~13世紀の中世における好きな女性のファッションは?
A: 壷装束なんかかわいいですね。


究極の洗濯さんからの質問です。完膚なきまでにまっ白です。

Q: 寒さを凌ぐコツを教えてください。わたしも寒がりなのですが、寒がりにもかかわらずこの時期にバイクにまたがる寒がり界のトップランナー大吾さんに、ぜひ処世術をお教えいただきたいです。ちなみに、わたしは「我慢」という人類の色々な進化をあざ笑うような技でやり過ごしています。
A: 何かこう秘訣みたいなものがあれば長々と書き連ねたいところですが、実際のところ僕もガマンしているだけです。


青年よ、タニシを抱けさんからの質問です。

Q: 丸山さんの階段を転がり降りるコツとはいかに?
A: コツというか、彼はむしろ「誰か止めて」とおもっているはずです。


パラダイス銀紙さんからの質問です。

Q: ズッキーニはナス科なのになぜキュウリのような見た目を選んだのでしょうか?教えてください。
A: 「西施の顰みに倣う」と言いますが、たぶんそういうことだとおもいます。


いい箱つくろうかまくら爆破さんからの質問です。昔は「いい国(1192)」だったけど、いまは「いい箱(1185)」なんですってね。

Q: 空港の手荷物検査は飲料水ですら怪しいと言って没収するのに、電源を入れただけで計器に不具合が出るかも知れない電子機器を持ち込めてしまうのはなぜなのでしょうか?
A: あんまり厳しくするといずれは「機内で暴れるかもしれない」という理由で人を乗せることができなくなってしまうからです。


食われかけのRadioさんからの質問です。

Q: なんか最近、洗濯物を干して出かければ、雨に降られたり。いつもの場所に自転車を停めていたら、撤去されたり。自宅の中で、あり得ない様な所に頭をぶつけたりとついていません。何か良い対処法はありますか?
A: お気持ちはよくわかります。わかりますが、よくわかるだけにこう申さねばなりません。人生とはそういうものである、と。


NYダウ平均かぼちゃさんからの質問です。

Q: なかなか東京まで簡単にいけなくなったのですが、地方でライブをやる予定はないですか?
A: そういえば先週、香川でやりました。


はれぼったいエレベーターさんからの質問です。

Q: 詩を書く際、『タイトル』と『本文』ではどちらが先行する割合が高いですか?
A: タイトルが先にくることはまずないですね。


ピピルマピピルマプリリンパさんからの質問です。

Q: 2016年に買ったもので一番のお気に入りはなんですか?
A: キリンです。骨董市で買いました。



パパレポパパレポドリミンパさんからの質問です。

Q: 小林大吾さんのCD、まずはどちらから聴いたら良いでしょうか?
A: どれも似たり寄ったりですが、しいて言えばいちばん新しいのが比較的手に入りやすいんじゃないかとおもいます。


マハーバーラ田さん、シッダール田さん、サンタフェデボゴ田さん、アトラン田さん、ジャカル田さん、プエルトバヤル田さんからの質問です。

Q: うどんと蕎麦、どちらが好きですか?
Q: こしあん派ですか?つぶあん派ですか?
Q: どん兵衛は赤と緑、どちらが好きですか?
Q: 硬水と軟水どちらが好きですか?
Q: インスタントラーメンは召し上がりますか。醤油と塩と味噌の中で、どれが一番好きですか。
Q: 大吾さんはとんかつとカツ丼どちらが好みですか?
A: どっちも好きです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



その285につづく!

2017年4月17日月曜日

桜っぽくないけどたしかに桜な桜の話

雨がふったりやんだりしながら、噴き出すように激しく咲いた染井吉野も葉桜におちついて、とおもったらまた薮から棒に初夏がきましたな。春の余韻もへったくれもない。今年の花見はみなさま抜かりなく済ませましたろうか。

染井吉野は葉桜でも、まだ八重桜があります。くっきりとして艶なその色は青い空にも映えて目を射るようです。桜にかぎらず色とりどりの花がほころぶこの季節なら、沈鬱な胸もすこしは軽くなりましょう。花が草や茎や葉と同じ緑色でなくてほんとうによかったとおもう。

花が緑色でないのはもちろん、植物ことごとくを緑色たらしめる葉緑体が、細胞の分化前に分解されているからです。ただ例外なくすべてというわけでもなくて、なかには葉緑体を保持したまま咲く花もあります。

惑星の地表を覆い尽くすほど多種にして多様な植物があるのだから例外の100や200に別段ふしぎもないけれど、じつは桜のなかにも花弁に葉緑体をもつ珍しい品種がふたつばかりあると聞いたら、それはさすがにちょっと意外で、新鮮な印象を持たれるのではありますまいか。

そのうちのひとつが「鬱金」と呼ばれる八重桜です。いわゆるサトザクラですね。



葉緑素まじりなので、ごくごく淡い黄色の花を咲かせます。かぎりなく白に近いとはいえ黄色い花をもつ桜は、数百種あると言われる桜の品種のなかで唯一、この鬱金だけです。

ググると日本に数十本しかないというような記述が出てきますが、どういうわけか近所のちいさな児童公園に1本あります。というか、僕が初めて鬱金を見たのはこの公園です。

もっと言うと、年がら年中クルマがばんばん往来する新宿あたりの都道(山手通り)沿いにも2本あります。バイクでブーンとしばらく行き過ぎてから「あれ?いまの鬱金じゃなかったか?」と気づいて前転しそうな急ブレーキをかけ、わざわざ確かめに戻ったのでまちがいありません。街路樹じゃねえか!

ただ、数十本しかないという話が本当かどうかはさておくとしても、あまりみかけないのはたしかだし、淡い黄色がすこしずつ薄紅色へと変化していくところとかもう、とにかくかわいいの一言に尽きます。

明治神宮のお隣、代々木公園にも2本あって今が満開です。どこにあると書いてあるわけではないので、お近くのかたはてくてく歩き回りながら探してみてね。

多くの桜が散るころほころびはじめる、八重にも粋があるよというお話。

これは代々木公園


なんだかすごく一般的なブログっぽいことを書いた気がするな。

いや、一般的なブログなんだけど。

2017年4月9日日曜日

ポンカンのポンとポン酢のポンとポンジュースのポンについての釈然としない話

これはデコポン

ひょんなことから、というかまあこの場合はポンなことからと申すのが妥当だとおもいますが、ポンとは何かという話になったのです。すっぽんのぽんやすっぽんぽんのぽん、お腹を表すぽんぽんのぽんではありません。ポンはポンでもポンカンとかポン酢とかポンジュースのポンのほうです。

ポンカンは柑橘の一種だし、ポン酢は柑橘をつかった調味料だし、ポンジュースはみかんのジュースなのだから、このポンが柑橘に関係していることはまず疑いありません。しかしなぜポンなのか?

ひと昔前であれば図書館で厖大な資料を調べたり愛媛の農家を訪ねたりえひめ飲料に問い合わせたりしなければならず、首をひねるだけひねった挙げ句その面倒くささにさじを投げて放ったらかすところですが、今はググれば世の中のたいていのことが誰か匿名の親切な人によって説明されています。インターネットは虚実の境目がきわめて曖昧である点をふまえても、やはりググらない手はありません。というか、こういうどうでもいい疑問はそっけない事実より虚実ないまぜのほうがよっぽど好ましいので、むしろおあつらえ向きと申せましょう。

まずはポンカンです。わりと自明の語源までこと細かに記されているので、ずっと読んでいると「だいじなのは語源であって単語ではない」とすらおもえてくる語源由来辞典というサイトには、この爽やかな果実についてこうあります。


のっけからいきなりこじつけみたいなことが書かれていておもわず眉間にしわが寄るようです。インドのプーナが中国にきてピェンになり、それが日本にくるとポンになる、ははあなるほど、と素直に頷ける気がまったくしないけれども、しかし話としてはこれくらいねじくれていたほうがぶつくさ言いやすいので、これはこれでなるほどと受け止めることにしておきましょう。ポンカンのポンはインド西部の地名、プーナの訛です。外国の土地と野菜が合わさる点ではジャガイモみたいなものですね。

次はポン酢です。ポンカンのポンがプーナならポン酢のポンもプーナであるほうが自然な気がしないでもないですが、早合点はいけません。何から何まで書いてあるので鵜呑みにはできないけれども薄めて飲むにはちょうどいい現代のジャイアント百科事典ウィキペディアには、ポン酢についてこう書いてあります。


驚いたことに、ここには先とは別のポンが持ち出されています。数えきれないほどの言葉が氾濫するなかで、おなじ柑橘系の単語にまったく関係のない別のポンが割り当てられる確率の低さを考えると、やはり眉間にしわが寄るようです。しかし古オランダ語の「pons」に、酸味があるから酢の字を当てるというのは、プーナよりもはるかに自然でスマートな気もします。説得力で言ったらこっちのほうが上です。個人的にはポンカンのぽんもこっちでいいとおもう。というか、告白すると僕はポン酢だとおもっていたものがじつは「ポン酢醤油」であったことにショックを受けています。

立ちくらみをこらえて先に進みましょう。最後はポンジュースのポンです。ここまでくると先に言及したポン酢のポン、すなわち古いオランダ語が元になっていると考えるのが順当におもえますが、やはり早合点はいけません。ポンジュースの製造元であるえひめ飲料のホームページにはその歴史が当時の写真とともに記されています。


茫然自失とはこのことです。匿名性が低いぶん情報の信頼度としてはもっとも高いだけに、なおのこと言葉を失わずにはいられません。

この理屈で言うと、仮にリンゴであってもポンジュースだったことになります。むしろリンゴとかブドウとかのほうがよっぽど素直に「へえーそうだったのか」と感心していたはずです。なぜ柑橘に奇妙な縁をもつポンの2文字をよりによってみかんジュースにつけてしまうんだ!

したがってにわかには信じ難いことですが、結論としては同じ柑橘系である3つの単語についた「ポン」はどれも互いに一切の関係がない、ということになります。

でも、そんなことってあるだろうか……?もしこれが本当に偶然なのだとしたら、それは別々に無人島へと流れ着いた3人の男の名がたまたま全員「よしお」だったというくらいの確率になるはずです。ぜんぜん違うような気もしますが、要は「そんな馬鹿な」と言いたいだけなので細かいことはあまり気にしないでよろしい。

こうなるとポンの2音には何か窺い知れない大きなひみつ、もしくは呪詛にも似た言霊のような意味が隠されているような気がしてなりません。切っても切っても縁の切れない柑橘類とポンの2音を、いったい何がこれほどまで強固に結びつけているのか?時空を超えた因縁、もしくは怨念がそこには秘められているのではないか?ええい、そうだったらいいのに!

と夢見る春の日曜日です。

なぜそろいもそろってポンなのか、すっきりしたいとおもって向き合ったのに根本的な謎が却って深まるとはまったく、異なことであると申さねばなりますまい。

2017年4月4日火曜日

帰ってきたのに出遅れたTRINCHセールのお知らせ

あまりに時間がないので去年のエントリをぬけぬけと丸ごとコピーしますけれども、ともあれ今年も帰ってまいりました。TRINCHの商品が月曜の正午(昨日じゃないか)から1週間、全品500円OFFになります。


TRINCH

対象期間:4月3日(月)12:00 〜 4月10日(月)23:59
割引額:1点につき500円OFF

いま気づきましたが、期間が去年の倍です。太っ腹!

また、近所で建築中だったよその人の一戸建てがぶじ完成したらしいことを記念して、去年期間限定のTRINCH別館でお目見えしたデザインとその他数点を追加しています。


うむ、そいつァお得で耳寄りだ、しかしTRINCHって何だっけ?と眉間にしわをお寄せになるのもムリはありません。小林大吾は周囲に人が見当たらないというたいへん切実な理由からグラフィックまで手がけざるを得なくなった詩人ですが、このグラフィックの側面のみをまるごと切り抜いて独立させたのがつまり、TRINCHです。基本的にはKBDGのことなどご存じなくとも楽しめるように配慮しつつ、アルバムをお持ちの方ならそのスピンオフとしてより一層お楽しみいただけます。せっかくなのでとりあえずズッキュン(商品画像の右上にあるハートマーク)だけでも100回くらい押しておいてください。


2017年3月18日土曜日

番号をお確かめの上もう一度おかけ直しください


全国に100人は下らない(当社比)とおもわれるKBDGファンのみなさま、こんにちは。(10年前からするとずいぶん増えました)

これだけ間が空いたあとの更新なのだから、前向きなお知らせにちがいない、というか十中八九オントローロのことだろうとおもいきやさにあらず、しかし「また来年!」と笑顔で手を振りながらその後しれっと8ヶ月も放置していた昨年の例もあることだし、そのへんはニコニコと笑顔で脇に寄せておきましょう。その代わりと言ってはなんですが、ふだんライブに対してあまり、というかまったく積極的でない、むしろ消極的な姿勢を積極的に維持しようとする僕にとってはそれこそ四葉のクローバーより珍しいお知らせがございます。

オファーをいただいたときは、何かのまちがいではありませんか、僕はサッカーも上手くないし北川景子も会ったことないし、ダイゴと言ってもそのへんに転がる小石と大差ないほうのダイゴですよ、番号をお確かめの上もう一度おかけ直しください的なかんじでずいぶん食い下がったのですが、いえまちがいではありません、なぜなら仲間のひとりが東京にいたころ、オントローロにお邪魔したことがあるからです、と案外なことを仰います。どう考えてみてもオントローロという6文字になじみのあるダイゴと言ったら世界広しといえども僕ひとりしかおりません。そんなわけで人違いですとも言い張れず、5月は香川の廃校に参ります。

土曜、日曜と2日にわたって行われる麗らかなフェスだそうです。高校生以下は無料ですって!


<廃校グルーヴ2017>

【日時】
2017年5月13日(土)11:00~18:00 、【夜の部】18:30~22:00
2017年5月14日(日)11:00~20:00

【場所】香川県高松市塩江町上西甲77番地 モモの広場
※高松駅から臨時のシャトルバスが出るそうです

【チケット】2日券11,000円、1日券各日6,000円、13日夜の部券3,000円
※13日夜の部は「2日券」、または「13日の1日券」、または「13日夜の部券」をお持ちの方のみ入場可能

【出演アーティスト】
13日:原田茶飯事、カネコアヤノ(NEW)、Saigenji、柴田聡子、樽木栄一郎
13日夜の部:小林大吾、成山剛(sleepy.ab)、13日出演アーティストによるスペシャルプログラム
14日:阿佐ヶ谷ロマンティクス(NEW)、OLDE WORLDE、ハシケントリオ、Lamp、ラッキーオールドサン(NEW)
出演日未定:エキサイト中條(NEW)

【主催】:香川廃校グルーヴ実行委員会
【公式サイト】:http://kagawa-groove.com
【お問い合わせ】:kagawagroove※gmail.com(※を@に替えてね)


僕はえーと、13日の土曜、夜の部ですね。すこし伺ったところでは豪華出演陣によるその夜かぎりのファンタスティックなセッションのあと、「えー、宴もたけなわではございますが……」というところでおもむろに登場することになるようです。「え……誰あのおっさん……」とみなさまの困惑する様子が今から目に浮かびます。先におわび申し上げておこうとおもいますが、盛り上がりのところ本当に申し訳ありません。

そういえば数ヶ月前、フェスに出たいと話すMother Terecoのふたりに「へえーフェスに出たいとか、考えたことないよ」と迷わず返したことをふとおもいだしました。人生何があるかわかったもんじゃないですね。ほんとに。


2017年2月25日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その262


ヨークシャー照れ屋さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)イングランド北部に住む照れ屋のことですね。


Q: 寂しがり癖を抑える方法があったら教えてください。さしてお酒が好きでも強くもないくせに、寂しいからという理由でついつい飲みに行ってしまい、このまま行くとお財布と体がすかすかになりそうで心配です。


なるほど、好きでも強くもないのに飲みにいってしまう、というのはこれはもう正真正銘、まじりっけなしの寂しがりですね。

しかし人付き合いがそれほど気楽に感じられない少数の人々からすると、それは社交性が高いことの裏返しでもあります。ひょっとするとお気づきでないかもしれませんが、立派な長所のひとつです。財布が空っぽになるくらいいいじゃないかとおもいます。僕なんか飲みもしないのにいつも空っぽですよ。

とはいえ、さして好きでも強くもないのに、というのはさすがにちょっと気の毒な気もします。体にも負担がかかるし、できればほどほどに楽しみたいですよね。お酒をほどほどに嗜める社交的な人というのはそのどちらも持ち合わせない僕にとっては憧れというか天敵というか、近くにいたら舌打ちせずにはいられないタイプのひとつですが、そのへんはまあむにゃむにゃとお茶を濁しておきましょう。

おもうに寂しさとは、静まり返ると聞こえてくる鼓動のひとつです。その鼓動が激しい人もいれば、かすかな人もいます。僕なんかは微弱すぎて心電図が直線のままぴくりとも反応しないレベルです。

鼓動はいつでも鳴っていますが、いつでも聞こえるわけではありません。ふだん聞こえないのは、あれをしたりこれをしたりする意識のノイズに紛れているからです。したがって、鼓動を遮断したかったらあれをしたりこれをしたりするのがいちばんということになります。没頭する趣味のある人が寂しさを口にすることはほとんどないはずです。

では趣味を持てという話かというと、そうでもありません。要は意識に隙を見せなければよいのです。常に誰かに追われたりとか、あとはPVを観ながらニッキー・ミナージュの "Super Bass" を完コピしたりするのもいいですね。



参考までに、イギリスの美少女がこの "Super Bass" を完コピして世界を熱狂の渦に巻きこんだ有名な動画がこちらです。



これと同じくらいのレベルに達するころには、かなりいろんなことがどうでもよくなっているはずです。すくなくとも寂しさの鼓動が鳴りをひそめているのはまちがいありません。


A: ニッキー・ミナージュの"Super Bass"をマスターしましょう。


ちなみに僕はソフィアよりも隣で踊っているロージーのほうが好きです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その263につづく!

2017年2月10日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その261


アンドロメダ成分さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)


Q: 相手の言い分も自分の言い分も間違ってはいない時、自分はお互い様だと思うのですが、相手は相手の言い分を押し通そうとしてきます。自分が折れるべきなのでしょうか?


どこにでも転がっているわりに、これは考え出すとなかなか奥の深い問題です。

が、ここはひとまず「折れる必要はまったくない」とさきに結論を申しておきましょう。折れるべきではない、という意味ではありません。あくまで、その必要はないというだけです。それじゃ答えになってないよ、結局どうすべきなのとお思いでしょうが、僕が考える奥の深さとはまさしくここにあります。なんとなればこの問題は、1本の糸ではなく何本かが同時に絡まり合っているからです。

完全に等価といえる、2つの意見がここにあったとしましょう。どちらも間違っていないということは、つまりどちらにも納得できる理があるということです。どちらにも同じくらいの理があるとすれば、当然どちらを選んでもいいことになります。どちらを選んでもいいのであれば、相手に譲ったところで何ひとつ問題はないはずです。

しかし現実はこう単純にはいきません。というのも多くの場合、じぶんの意見のほうがよりベターであると信じているか、もしくは単純に相手に譲りたくないという気持ちが働くからです。そしてここには早くも色の異なる2本の糸が混在しています。言うなれば理性とエゴの2本ですね。絡まり合っていると先に書いたのは、理性に見せかけた無自覚のエゴである場合もまた、往々にしてあるからです。じぶんでじぶんをひっぱたくようなことを書いているような気もしますが、湿布でも貼りながらつづけましょう。

ちかごろは正しさということについてよく考えます。2つの意見があってどちらも間違っていないとき、それは言い換えればどちらも正しいということです。ですよね?どちらも等しく正しいのだとしたら、その選択は最終的に正しさ以外の理由によって決まるということです。はて、そうすると正しさとはいったい何だろう?どちらかというとそれは対立を前提とした武器や防具のひとつにすぎないのではないか?これが3本目の糸です。

理屈っぽいと昔からさんざん舌打ちされてきた僕が言うのもなんですが、どんな対立でもだいじなのは互いの気が済むにはどうしたらいいかであって、どちらに理があるかではありません。数多の異なる意見が混在する世界にあって一面的な正しさなどクソの役にも立たないし、それが理性を装ったエゴならなおさらです。というより、互いに妥協点を探り合ってどうにかこうにか辿り着いた地点こそ、間違っていないと断言できる唯一の答えであり、正しさと呼ぶにやぶさかでない何かだと僕はおもいます。

こうすべき、という考え方は言うまでもなく「正しさ」が前提です。しかし先にも書いたように正しさなどネット上で見かける「あなたは18歳以上ですか?YES/NO」ボタンと同じ程度の力しか持ちません。折れるべきではないと書かなかったのはそのためです。

冒頭の結論をもうすこし敷衍すると、「あなたの言い分はわかる。一方でわたしはこうおもう。ふたりがしぶしぶ認められる妥協点があるとすればどこだろう?」ということになるとおもいますが、とはいえ現実的にそんなまどろっこしいことはそうそうできません。したがってまずは絶対に譲りたくない部分をじぶんのなかではっきりさせておきましょう。その上で、いくつかのパターンを状況に応じて組み合わせるのがよいとおもいます。

1. あっさり折れる
2. とことんまでやり合う
3. ムチで打つ

つねに言い分を押し通してくる人というのは、じぶんの意見が通って当たり前だと考えているようなところがあります。したがってつねに折れるのではなく、ときに相手を立て、ときに問答無用でしなやかな一撃を喰らわし、硬軟を織り交ぜるのが肝心です。鞭は9本の革ひもを束ねたいわゆる九尾鞭(Cat o'Nine Tails)なんかがよいでしょう。

少なくとも1回ムチで打っておけば、その後はある程度の抑止力になります。「あ、これ以上はムチが飛んでくるな」と相手に思わせられるようになったらしめたものです。うまくするとある種の性的嗜好に目覚めて、より従順になってくれるかもしれません。


A: 引いたり押したりぶったりしてみることです。




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その262につづく!

2017年2月1日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その260


すきやばしジローラモさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)


Q: 先日某回転寿司に行った時、半熟たまご軍艦と言うものがあり頼んでみたところたまご好きな自分からするととても美味しく、他にもハンバーグ寿司などバラエティ豊富な寿司が沢山ありました。そこで質問なのですが、シャリの上に何か乗っていれば寿司として成立するのでしょうか?また、成立と考えるとシャリ寿司というシャリONシャリも成り立ちますか?ご回答お願い致します。


回転寿司もすっかりファミレスの一形態として定着しましたね。僕がちいさいころは駐車場付きの独立した店舗みたいのはまだほとんどなかったし、ネタもそれほど多くの種類はなかった気がするから、隔世の感があります。

初めてハンバーグの乗った寿司を見たのはたぶん、20年くらい前のことです。よりファミレス化が進んで、4人がけの家族シートみたいのができて、寿司といっしょにケーキが流れてくるようになったころでしょうか。こうして文章に書き出してみるといったい何を言ってるんだお前はという気がしてきますね。回転寿司とはつくづく異にしてエキセントリックなカルチャーです。

シャリ+X=寿司という公式が成り立つとすれば、もちろんシャリONシャリも寿司ということになりましょう。80年代に一世を風靡したゆうきまさみによる不朽の名作「究極超人あ〜る」にはたしか炊きたてのご飯におかゆをかけた「おかゆライス」が描かれていましたが、言ってみればそれと同じようなことです。コメ党ここに極まれりというかんじですね。

問題はシャリ+X=寿司という公式がはたして本当に成り立つかどうかです。たとえばメロンの切れ端やこんにゃく、もしくは豆腐なんかをシャリに乗せてみたとしましょう。見た目は立派に寿司です。味には賛否がありそうですが、見た目と食感がだいたい寿司ならそれはもう寿司と呼んでいいような気がします。

ではメロンやこんにゃくよりもはるかに味覚的なハードルが低そうな、ふりかけはどうだろうか?シャリにふりかけをぱらぱらと撒いて、寿司と言い張ることはできるだろうか?

味付け海苔はどうだろう?くるりと巻けば海苔巻きや軍艦巻きとして寿司の王道を彩るのだし、四角く切った海苔を1枚、フタみたいにシャリに乗せてもやっぱりそれは寿司になるだろうか?

否定はできません。しかし諸手を挙げて賛同できるかといったら、それはそれでまたちょっと微妙です。すくなくとも今日はお寿司ですよと言われて、ふりかけのまぶされた酢飯のかたまりが出てきたら僕は戸惑います。寿司は寿司かもしれないけれど、しかしそうまでして寿司と言い張る理由はなんなんだと問いたい。

したがって、「成り立たない」というのが僕の結論です。いいから魚介を食わせてくれよとおもいます。ケチャップで味をつけたシャリに卵焼きを乗せたらオムライスっぽい寿司ができるなとか、もうかれこれ2時間以上は寿司の限界について考えていますが、正直もううんざりです。だいたい寿司を食いに来てハンバーグ巻きってどういうことなんだ、ハンバーグ食いにいけばいいじゃないか。


A: 成り立ちません。


懐が広いのも良し悪しですよ、まったく。




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その261につづく!

2017年1月28日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その259



飛んで火に入るナスの牛さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)


Q: 生まれつきなので全く長所と思っていない肌の白さを他人から言われたとき、なんて返せばいいのかいまだに分かりません。褒められても疎まれても生まれつきだから以外言いようがないのですが、なにか上手い返しはありませんでしょうか?


おそらく太古の昔から、人はわかりきっていることをなぜか言わずにはおれない奇妙な生き物です。この時期なら「さむい」がその筆頭に挙げられましょう。似たような例としては「背が高いね」「髪が伸びたね」「人がめっちゃ並んでる」「(道が遠くて)まだ着かないのか……」などがあります。感嘆符みたいなものだから意味があるかといったらないんだけど、考えてみればわざわざ口に出して言わなくても見ればわかるようなことばかりです。でもなぜか口をついて出ます。人にはそもそもそういう習性があるということをまず心に留めておきましょう。要するに言う側はそこまで深く考えていない、ということですね。

僕もはじめてパフォーマンスをご覧になった方から、声の良さをお誉めに与ることがありますが、これも言われた本人が何ひとつそれに寄与していないという点では「肌が白い」と同じです。個人的な印象で言えば「日本は湿度が高いですね」と言われた日本列島それ自体のきもちに近いものがあります。

単なる体質のひとつであってべつに努力の成果でも何でもないから、謙遜もできません。といって、いただいた好意に「はあ、どうもそのようで」と他人事みたいなお返事をするわけにもいきません。なので好意であれば答えは自然と「ありがとうございます」一択にしぼられます。何かが目減りするでなし、もらえる好意はどうあれ素直に頂戴しておくのがいちばんです。

もちろん、ご質問にもあるように疎まれるケースもあるでしょう。望んで得たものでもないんだから正直「知るかよ」の一言でばっさり片付けてしまいたいところですが、無用な遺恨を残してもいけません。ここはひとつ、相手のチャームポイントをひとつ挙げることで相殺することにしましょう。目が大きいでもいいし、足が長いでもいいし、それこそ背が高くてうらやましいとかちっちゃくてかわいいとか何でもよろしい。お中元とかお歳暮のやりとりみたいなものです。

あるいはもっと単純に、冒頭で挙げた感嘆符のひとつにすぎない場合もあります。この場合はひとまず「そうなんですよね」と返しておきましょう。日本列島も湿度の高さを指摘されたら、たぶん同じように言うはずです。

もっとこう破壊力のある一打はないのかという向きには、もうすこしテクニカルな返し方もあります。なんと返していいのかわからないことを言われるのだから、同じようになんと返したらいいのかわからなくなるような返し方をすればいいのです。肌が白いことを言われるなら、たとえば「豆腐みたいですよね」と返すのもよいでしょう。もしかしたらふつうに肯定されたあげく殴り合いのケンカに発展するかもしれませんが、それはもうしようがないといえばしようがないので、後遺症がのこらない程度に加減してあげてください。


A: 「豆腐みたいですよね。」




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その260につづく!

2017年1月19日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その258

無断使用をします。

軟骨精神さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)世の荒波にコリコリと立ち向かう心持ちのことですね。


Q: 2ndアルバムを確か高校生時代に確かヴィレヴァン本店で聞いて以来、あれは誰だったんだろうなぁと思いながら行動に起こさずそこそこの年月が経って、今年の夏にようやく小林大吾さんであることを突き止めました。YouTubeって偉大。小林大吾さんは曲名も作者も分からないけど好きな曲ってありますか?


うれしいご報告です。辿り着いてくれてありがとう!のみならず年賀状キャンペーンのおかげでこうして双方向にやりとりができるんだから、いい時代になったものですね。僕の脳内では今、「火を絶やさずにおいてよかった」「10年前の2ndアルバムから何も変わってない」の両者が熾烈な争いを繰り広げていますが、放っておいてもそのうち「やるじゃねえか」「へへ、おまえもな」的な友情に発展するとおもうので、このまま好きにさせておきましょう。

とまあこんな具合でしみじみ感慨に耽りつつ、質問にお答えしようとキーを叩きかけてふとあることに気づいたのです。

どうやって突き止めたんだろう……?

音楽にかぎらず、検索にはキーワードが必要です。しかしタイトルも作者もわからないとなるととっかかりが何もありません。テレビで使われていればその番組なりCMから辿ることもできます。町中で耳にしたなら今はShazamなり何なりアプリで音声検索もできましょう。しかし日常生活においてKBDGの作品をたまたま耳にする機会など、放送事故レベルのアクシデントでも起きないかぎりまず皆無です。メロディをおぼえていればそれを糸口にすることもできるかもしれませんが、そもそもKBDGにはそのメロディすらありません。

あるいは「なんかラップみたいな、ごにょごにょ喋ってる感じのやつ」と言ったら選択肢はそう多くなさそうに見えますが、豈図らんや今この時代にはなんかラップみたいな、ごにょごにょ喋ってる感じのやつがそれこそ掃いて捨てるほどあります。どちらかといえば僕もたぶん、掃いて捨てられるほうです。

個人的な経験で言えば、曲名もアーティストもわからないけどとにかく歌詞が幼いというか乳くさいというか(拙い、とはちがいます)、そのしょうもない、思い出すだけで血管が切れる、シュレッダーで切り刻むくらいでは飽き足らず、燃やして灰にしてフッと吹き飛ばしてもまだぬるい、保育園あたりから出直してこい的な歌詞の一部を検索して突き止めたことはあります。そんなことするから余計に血管が切れるんだけど、要は歌詞の一部でも手がかりになるということです。しかしKBDGの異常な言葉数からして、おそらくそれも望めますまい。左とん平のヘイ・ユウ・ブルースみたいに「人生はすりこぎなんだよ!」とかそういう一度聴いたら二度と忘れられない最高のパンチラインをひとつでも残しておけたらよかったですね。



本題に戻りましょう。僕は昔から気になった曲があると即アルバムを探しにいく堪え性のない男だったので、知らずになんとなくそのままにしておいたことはほとんどありません。いきなりアルバムを買ってしまうと全体的にはそれほど好みでもないケースも往々にしてあるし、小遣いの範囲だからハズレたときのショックといったらないんだけど、そうやってすこしずつ、じぶんのなかにある音楽の裾野を広げていったようなところがあります。いやでも血肉になっていくというかね。

ただ1曲だけ、たしか中目黒の古着屋だったとおもいますが、店内に流れていたコーラスグループ系のキュンとしたモダンソウルが誰の何という曲だったのか、とにかくむちゃくちゃすてきな曲だったという印象だけが心の奥底でカビみたいに残されています。先にも延々と書き連ねましたが、この先どうにも調べようがないのです。そのときははっきりと、サビでタイトルっぽいフレーズを連呼していたので「ぜったいこれタイトルだ、あとで調べよう」と目論んでいたのに、気づいたらそのフレーズ自体を忘れてしまってまったく、手のつけようがありません。あれから何年もたっているし、ひょっとしてすでにそのレコードを持っているんじゃないかという気もします。それすら確かめようがないのです。

したがって、お答えとしてはひどく素っ気ないようですが、どうしてもこうなってしまいます。


A. あります。


しかしホントに、どうやって辿り着いたんでしょうね?




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その259につづく!

2017年1月13日金曜日

エクスクルーシブかつラグジュアリーで洗練を極めた表現のこと


ご存じないのも無理はありませんが、僕は詩人です。詩人なので、世界のあちこちで無造作に転がる言葉の数々を心のホウキとちりとりで日々せっせと掃き集めています。詩人は言葉の移り変わりにも敏感でないといけません。ら抜き言葉とかカタカナ語の氾濫とか、かくあれかし的な美しい日本語とかそういうアカデミックなことはもっとえらい人に丸投げするとして、僕がいま好んで採集しているのはたとえばマンションの広告です。


こういうやつですね。電車の中吊りとか、新聞の折り込みでときどき見かける広告ですが、とにかく単なる住まいではないこと、今までになく新しいこと、エクスクルーシブかつラグジュアリーで都会にふさわしく洗練を極めていること、したがって人生を委ねる高い価値がここにはある、といった点を過剰なまでに強調しているせいか、他所ではあまりお目にかからない単語やフレーズの実験場みたいなことになっているのです。

今までになくこれが最初であることを、今までにない言葉で表現した結果、生まれたのがたとえばこれです。




「発表」だけでも初めての新しい知らせを意味しているはずなので、これはおそらくそれよりもっと初めてでそんじょそこらの新しさではないことを指しているとおもわれます。たしかに新しいと唸るほかありません。

住まいがあくまでも実用的なものである以上、利便性が備わっているのは大前提です。したがって新しい住まいをアピールする上ではさらにプラスα、付加価値が重要なポイントになります。しかし付加価値と言っても閑静であるとか、緑豊かであるとか、景色がいいとかでは他の多くの物件に埋もれてしまいかねません。たとえ同じことであってもせめて感性に訴えるような表現で、他と差別化を図りたい。肉を売るにしても、「焼くとおいしい」と言われるよりは「肉汁したたる」と言われたほうが食欲をそそります。まったくもって無理のない、こうした表現メソッドを住環境にも適用した結果がこれです。

傑作ではないらしい




















言いたいことはなんとなくわかるけれども冷静に考えたら何を言っているのかちょっとよくわからないとおもわれるかもしれませんが、大事なのは贅沢な雰囲気であって意味のあるなしは問題ではありません。なんとなくいいかんじであるからこそ受け入れられ、支持され、定着しつつあるのだし、むしろこうした若干アウトローな表現をまるっと許容する日本語の懐の広さにこそ、敬意を表するべきです。何よりここには想像の余地がたっぷりとあります。然るべき風景が誰にとって然るべきかといったらそれはもちろん住む人であって、実際のところそれがどんな風景であるかなど提供する側の知ったことではありません。羨望を纏うと言われたらそれはつまり「みんなうらやましがるよ」ということであり、多少噛み合わせがわるくともそれが大人びたムードで伝わりさえすればいいのです。潤いの最前席なんて、聞くだけでマイナスイオンを浴びているような気になるじゃないですか?

またこうしたメソッドは、ごくごく当たり前のことを唯一無二の特別な印象に甦らせてくれたりもします。たとえばこれです。



なかでも僕がとくに気に入っているのがこれです。


それは……ふつうのことではないのか……?

と言いたくなるきもちはよくわかります。一見すると建築に携わる人がするべき仕事をしただけのような気がするのはたしかです。しかしそうではありません。どこがどうそうでないのかは説明できませんが、とにかくそうでないことだけははっきりしています。そして最終的には、そうでないことだけが伝わればそれでよいのです。

正しいとか間違ってるというより、全体的に眼鏡の度が合わなくてクラクラと酔う感じに似てるんだけど、何なんだろうこれ……

2017年1月10日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その257


もつれても好きな糸さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)


Q: 外見と内面の差でがっかりされることが多いです。もう少しおしとやかだと思ってた、もっと喋らないタイプかと思ってたなど、比較的地味で薄い顔立ちのせいか、先入観でがっかりされてしまいます。恋愛においてもですが、仕事などの場面でも強く言えば引くだろうとたかをくくられることが多いです。どうすれば見た目と中身の差でがっかりされたり、軽く見られることを減らせるでしょうか?もしくは、それをプラスに転じさせることができるでしょうか?


身につまされる質問です。そのお気持ちは僕もじつによくわかります。あんまりよくわかりすぎて、「ダイゴさんもそうですよね!?」と暗に同意を求められているような気がしてしまうくらいです。僕の場合は音源の印象がつよいせいか、「おもってたイメージとちがいました」みたいなことをよく言われます。それはもうしょっちゅうです。すくなくとも「イメージどおりでした!」と言われることはまずありません。たまには「おもってたよりずっとステキでした!」とちやほやされても罰は当たらないとおもうんだけど、そういえばそれもありません。なぜでしょうね?

とかく人は先入観を持って日々を行く生き物です。そしてそれは100%、持つ側の問題であって、持たれる側の問題ではありません。「もっと喋らないタイプかと思ってた」と言われても(これは僕もよく言われる)、知るかよとおもいます。なんでこっちがあんたの勝手なイメージに付き合わなくちゃいけないんだ?ということですね。

ひょっとすると、見た目とのギャップで損をしていると感じておられるのかもしれません。が、それはちがいます。強く言えば引くと高を括る人は、どこへ行っても強く言えば引くと高を括っているはずです。

同じように、見た目とのギャップでがっかりしたり、軽く見たりする人は見た目にかぎらずありとあらゆる機会をみつけてがっかりします。仮にこちらがイメージとのギャップを埋めてみても、またべつのタイミングで抜け目なくがっかりしてくるのです。問題は「軽く見られるじぶん」にあるのではなく、「軽く見る彼ら」にある、という点に注意しましょう。恋愛においてもとありますが、どうあれ先入観から相手を軽んじるような人であることがはっきりするなら、むしろギャップの大きい今のほうがよほど有益だと僕はおもいます。

それはまた、そのギャップをひっくるめて受け入れてくれる人ならまちがいない、ということでもあります。これがプラスでなくて何でしょう。落差を減らせば、却って軽んじる人かそうでないかの判断が難しくなるにちがいありません。それでもなお、落差を軽減するだけの甲斐はあるだろうか?

個人的なことを言えば、僕はギャップを好む男です。それも落差が大きければ大きいほど胸を射抜かれます。そこには大きな滝にも似た美しさがあると申し上げてもよいでしょう。ギアナ高地にあって世界一の高さを誇るエンジェルフォール(Angel Fall)という滝は、落差が大きすぎて水が地上まで届かず途中で霧になるそうですが、たとえるならそんな美しさです。いちいち軽んじてくるような奴らなど、そのてっぺんから「霧になれ」と尻を蹴飛ばしてやればよろしい。



とまあそんなようなことを一言でざっくりまとめると、「ほっとけ」になります。英語で言うと "Fuck 'em" です。それはじぶんの問題ではない、ということをどうかお忘れなく。


A: Fuck 'em.




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その258につづく!

2017年1月7日土曜日

何もないことをさもあるかのように語る手品かもしくは詐欺みたいな話


年末年始を溺愛する僕にとって、大晦日と元旦はそれ自体が神様であり、また一年待ちこがれた刹那の恋人でもあります。できれば新年を迎えるその晩は、右腕に大晦日、左腕に元旦を抱きながらピロートークなかんじで一晩中イチャついていたいのです。ときどき目が合って互いに微笑みながら「こいつぅ」とか言っておでこをコツンとやりたいし、くすぐったりくすぐられたりしてキャッキャとたわむれたい。念を押しておきますが、大晦日と元旦を恋人に見立てての話です。

ところがここ数年、たしか2010年あたりが境だったとおもいますが、まったくその余裕がありません。元旦どころか三が日、なんなら松の内までの正月というか蜜月が、射抜かれた矢のごとく飛び去っていきます。昔はひとりでコタツに潜りながらテレビにかぶりつき、ゆく年くる年まで静止画のように身じろぎひとつせず新年を迎えて、腹が鳴ったらモチのひとつでも焼き、気が向けば静まり返った往来でシャボン玉を吹いたりしていたのに、いったいどこで何がどうしてしまったというのだろう?今ではひと息つくのはちょうど今ごろ、それこそ松の内が明けるころです。

失われた青春は、そもそも青春なんかありゃしなかったので、もうないと言われても痛くも痒くもないけれど、失われた年末年始には今も未練を断ち切れずにいます。率直に言って、あれ、ひょっとしてこれもう人生の折り返し地点過ぎてんじゃねえの、と気づいてハッとするようなお年頃の大人がのたまうことではありません。でも言いたい。何もかもが無に等しかったあのころの大晦日と元旦が恋しい。

大晦日に早稲田で見かけたオナガ

というような話をそういえば毎年しているような気もしますが、あけましておめでとうございます。世間一般的にはここらで今年の抱負とか、控えている今後の予定とかで景気よく年頭のエントリを飾ったりするんでしょうが、ここにそんなものはありません。しいて言えば向こう一年、カレンダーが「未定」の2文字でみっちり埋められて、どこにもオフの日が見当たらないくらいです。

そういえばどうにかこうにか乗り越えた恒例の年賀状キャンペーンはありがたいことに前の年の倍近い、そして過去10年で最も多い(!)応募がありました。1年前のブログを読み返すと「トラックで次から次へとどしどし運ばれてきて、これ以上はもう部屋に入らないよ!と悲鳴を上げるくらい多数(当社比)のご応募」とあったので、その倍となるとこれはもう相当な数になります。ここだけの話、キャンペーンも10年目なので当選枚数をこっそり倍くらいに増やしていたのだけれど、結果として倍率がいつもと同じなのだからご応募くださったみなさまには面目次第もありません。どうかこれにこりず、またお付き合いくださいますように……!

というかろくに活動もしていないのになぜここにきて最多数なのか、出ないはずのアルバムが出た年より多いじゃねえか、と頭に湧き出る大量のクエスチョンマークを足で脇によけつつ、本年もまたやってんだかやってないんだかなかんじでゆるっとお付き合いいただければ幸いです。

ここまで書き散らかして思い出しましたが、1月15日(日)銀座煉瓦画廊にて、言葉を生業とする人とそうでない人がそれぞれ言葉を持ち寄ってシンプルに詠み上げる「BOOKWORM」というリーディングイベントがあります。主宰である山崎円城さんとはたしか10年以上前にフリーペーパーで対談させてもらったのが最初……だった……ような気がする……んだけれど、その後も折々にご挨拶しつつ、イベントでご一緒するのはこれが初めてです。僕もひとつふたつ、アカペラで詠みます。入場はフリーだそうなので、どいつもこいつも至近距離にいる大事な人の首根っこ引っつかんで銀座に押し寄せるといいよ!


その後の予定は未定が隙間なく目いっぱいつめこまれて大忙しです。