2012年2月29日水曜日

ソウルの女帝とその一族に打ちのめされてきた話




あまり仕事熱心でない死神のおじさんと雲の上でオセロをしていると、万事OK(という名の鳥)といっしょにミス・スパンコールが空の向こうからパタパタやってきて、下界に行こうと無体を言うのです。

「いや、ムリだよ!」
「なんで?」
「なんでって…もうこっち来ちゃったし
「こっちって何?」
「そっちとこっちに分けたときのこっちだよ」
「よくわかんないけど、どうせ成仏してないんでしょ」
「これからするんだよ」
「オセロしてるように見えますけど…」
「未練があったら成仏できないだろ」
「これが未練なの?オセロが?」
「そうじゃないけど、途中でやめたら未練になる」
「ヒマなんでしょ?」
「ヒマどころか!今まさに佳境だよ」
「ヒマのでしょ?」
「オセロのです!」
「また明日やれば?」
「ダメだってば」
「何がダメなの」
「今ちょうど角をとって逆転するとこなんだ」
「また勝てば?」
「宝くじだって買えば当たるってもんじゃないだろ」
「宝くじ並みの勝率なんだね、つまり」
「とにかく今はダメだ」
「でも、もうチケット買っちゃったよ」
「ようやく一矢報いるときが…何だって?
「チケット」
「何の?」
Betty Wright の
「ベティライト…」
「行きたいでしょ」
「…というとあの…?」
「そうそう」
「60年代から今なお現役でフロアを揺らす…」
「そうそう」
「"Clean Up Woman" の?」
「そうそう」
「Joss Stone の発掘とプロデュースを手がけた?」
「そうそう」
「マイアミ・ソウルの女帝…?」
「そうそう」
「えー!それはうらやましい」
「だから誘いにきたってわけ」
「そりゃすごくうれしいけど…」
「何?」
「体がない」
「いいよ別に、なくても」
「でも透けてるよ」
「透けてるけど…別によくない?」
「それに一世一代の大勝負が…」
「オセロでしょ」
「でも、絶好の好機なんだ」
「うっちゃっておいたら?」
「そういうわけにはいかないよ!」
「どうして?」
「沽券にかかわる」
「こけんて何?」

そういうわけで首根っこをひっつかまれて、ずるずると引きずられながら Betty Wright@Billboard Tokyo に行ってきた(!)のですが、いざそのライブを目のあたりにしたらこれがもう、全身の毛穴がいっせいにひらいて「キャー」と叫びだすくらいの鳥肌モノで、あまりのすばらしさにうっかり甦りそうになりました。


フロアを震わすやさしくも骨太な歌声(からマライアばりのファルセット!)といい、ヒールで踊りまくる機関車なみのバイタリティといい、またそこから放たれる迫力と貫禄に満ちた圧巻のパフォーマンスといったら、円熟期どころか今が絶頂期とおもわれるほどです。ファンキーにもほどがあるし、46年(!)というキャリアの長さから想像されるような落ち着きは微塵もないのだから、呆気にとられるのもムリはありません。われながら魂を奪われすぎだとおもうけど、すくなくとも僕にはそれくらいすばらしかった。もう御年60に届こうという女帝のオールドスクールなラップ(!)を聴かされて、失神せずにいられるほうがおかしい。かっこよすぎて業腹です。

The Roots を従えた最新アルバム "The Movie" のなかでいちばん好きだった "In The Middle Of The Game" を生で聴けただけでも感涙なのに、Whitney Houston トリビュートとして披露された "Greatest Love Of All" はジャンルレスな曲のうつくしさを再認識させられてふつうに泣いてしまいました。ワーン!

この曲にかぎってはベティではなく、コーラスの女性3人がメインで歌っていたのだけれど、それはたぶんベティよりもはるかに若い彼女たちのほうが、直接ホイットニーに影響を受けているからです。とおもえばこそ気持ちがひしひしと伝わってきてよけいに泣けてしまう…ワーン!

また去りし日の "Shoorah Shoorah"、78年のライブ盤でも歌っていた "Tonight Is The Night" (どちらも1974年の "Danger High Voltage" というアルバムに収録されています)といったクラシックはもちろん、クライマックスでの "Clean Up Woman" にいたっては終盤からまさかのJBメドレー(!)に突入して度肝を抜かれる始末です。Betty Wright のシャウトが乗るJB'sの "Pass The Peas" …!

何しろキャリアがキャリアだからオーディエンスの年齢層もすごく高いんだけど(ちかくの席で初老の男性が「いやもう、さいきんトイレが近くてさ…」とかなしげに首を振っておりました)、ヒップホップ世代も間違いなく血圧ガン上がりです。おれ生まれ変わったらベティライトになりたい。

コーラスを娘(!)が担当していたり、ギターを弟(!)が担当していたり、まったくどこまで音楽びたりの一家なんだ!と感心しながらふと、そういえばボストンの地方裁判所で判事をしている(!)もうひとりの兄弟 Milton Wright はどうしてるんだろうとおもったら、



ちゃんと新譜のエグゼクティブプロデューサーにクレジットされてました。さすがにWrightファミリーは如才がない。

とにかく威厳がありすぎて、Betty Wright がアフロの巨人にみえました。それに…真っ赤な衣装がすごく可愛かった!



じゃ、オセロのつづきをしに常世へ帰ります。アデュー!


2012年2月26日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その102


バケットホイールエクスカベータさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)名にし負う、世界最大の自走掘削機ですね。


Q: 整数同士の計算で好きな式はありますか?自分はベタですが "8+7=15" が言葉では説明できないのですが美しいと思います。


こんな問題について考える機会がはたしてこの先の人生に何度あるのか、かなりユニークな質問です。以前ミス・スパンコールに「アルバム制作中に消費したシェービングクリームの量」を訊かれたときもだいぶ面食らったけれど、負けず劣らず鳩に豆鉄砲的なものがあります。それに「美」とは何か、すこし考えさせられるようなところもある。なかなか向き合い甲斐のある問題と言えましょう。いろいろな物の見方があるものですね、しかし。

とりあえず僕がいちばん気になっているのは、質問それ自体よりもむしろその直後にある「ベタですが」という但し書きです。これはつまり、この整数式が「ベタである」と認知されるような、下手をするとありきたりで取り合ってもらえないような、そんな世界がどこかにあるということですよね?すくなくとも僕には未知の世界であり価値観なので、根掘り葉掘り聞き出したくてしかたがありません。興味津々です。ベタではない数式とは例えばどんなものなのか?そしてその価値基準と美しさはどこにあるのか?言葉にしづらいならなおのこと、おいそれとは伺い知れない美の深淵が、ここにはありそうです。数式に対する審美眼をもうすこし磨いておけばよかったとおもう。

言葉では説明できないとありますが、しかしむしろそもそも、それゆえにこそ美しいのではありますまいか。どう受け止められようと揺るがない確信があるのなら、それで十分、胸を張る理由になるはずです。

いささか飛躍した話をすると、たとえば3枚目のアルバムに収めた「火焔鳥451」はエロ本を捨てた男のペーソスが前面に立っていて、格別それで支障もないんだけれど、実際のところ僕自身の焦点としてはそれこそ「美」そのものにありました。何となれば、卑俗なモチーフほど美を匿いやすい場所はないからです。それを解き放つとしたらそれはやっぱりどうしようもない俗物でなくてはならないし、しょぼくれた幻想であればあるほど、圧倒的な美に反転したときのカタルシスはきっと大きい。

でも、(それが成功しているかどうかはともかく)そうして意図したところの美しさとその理由を具体的に説明するとなると、これはすごく難しい。僕にできるのはただ、どうしようもない俗物が美に対して絶句する様子を描くことだけです。美しさとはそういうものだし、かくあるべきだし、したがってかくもたよりないものと言うほかありません。あれだけ言葉を尽くしていても、せいぜい対比からその偉大さをうかがわせるくらいが関の山なのです。



風呂敷広げすぎた。



整数同士の計算と言えるのかちょっと心許ないですが、"3²+4²=5²" という式だけは昔から座右の銘のひとつと言ってもいいくらい好きです。要はピタゴラスの定理が好きなんだけど、なぜこれが座右の銘になるのかは話すとまたものすごく長くなりそうなので、また今度にいたしましょう。僕にとっては、何かものをつくる際の基本原理なのですね。

他に好きなのあるかな、とおもって数字をぜんぶ書き出しながらあれこれ組み合わせてみたところ、えーと、"1+8=9" がいちばんしっくりくるようにおもわれました。ただこれをみて「美しい…」と熱っぽいためいきをつけるかどうかは、いまいち自信がありません。"7-2=5" もわるくない気がする。うむ、いや、どうかな…。いずれにしても「つまんない」とガッカリされないことを祈るばかりです。

バケットホイールエクスカベータさんがうっとりするのも、あくまで "8+7=15" であって "7+8=15" ではない、んでしょうね、やっぱり?



A: "1+8=9" が気に入りました。



しかしこういうことを真剣に考えているとカリキュラマシーンが頭をぐるぐる回りだして他のことが手につきません。



ダイゴくん不在のいまも質問は24時間受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その103につづく!


2012年2月23日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その101


ハナラビ法典さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)歯並びについて書かれた世界最古の法典のことでしょう、たぶん。


Q: 今年よく聞いたソウル系アーティストのCDなどがあれば教えて下さい。


というのはつまり、2011年によく聴いた、ということですね。であればこれはもう、まちがいなく Booker T. Jones の "The Road From Memphis" になるとおもいます。リリースが2011年の5月だということがにわかには信じられないくらいです。ホントについこないだ出たばかりのような気がする。言わずと知れた60年代のスーパー楽隊 Booker T & The MG's のリーダーですが、その名を知らなくとも彼らの手がけたインストルメンタル・クラシックは誰もがどこかで一度は耳にしているのではありますまいか。


60年代


70年代(ソロ)



そのBooker T. Jones が(例によって) The Roots の Questlove と組んでリリースした最新のアルバムが、"The Road To Memphis" です。

10年代(!)


一聴してすぐに耳から脳天をぶち抜いた野趣あふれる音の鳴り、胸をふるわすバックインザデイズの空気感、それでいてアップトゥデートな旋律に鼻血がブーと吹き出ました。Memphisという土地の名には個人的にいくらか郷愁を誘う響きがあって、単なる良し悪しではもう、全然量れません。とにかく大好きなアルバムです。年をとるにつれて、「10年後も聴きたいとおもえるかどうか」が耳をかたむけるひとつの目安になっているふしがあるのだけれど(全部が全部ではないです、もちろん)、これはその目安にぴたりと当てはまるような気がしています。とにかくアルバム全体でどしんと据わりが良いのです。しかしなぜ MG's というより Meters 寄りのグルーヴなんだろう…?


A. 1枚挙げるなら、Booker T. Jones の "The Road From Memphis" です。


あとは、えーと、Sharon Jones & The Dap-Kings の "Soul Time!" もよく聴きました。7インチのみでリリースされたシングル音源の、これは編集盤ですね。こちらは Booker T. とちがってストレートに懐古万歳な現行ファンクバンドだけれど、御託を並べながらも好きなものだけつまんでいるということです、要は。でもカッコいいですよ。





ダイゴくん不在のいまも質問は24時間受け付けています。
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その102につづく!

2012年2月20日月曜日

死神と彼の行方、またはブンガーの告知ふたたび


さすがに抜け目がない、と感心したそばから「まちがえました」という鼻白む訂正メールが届いたのであらためて告知いたします。


古川耕による新連載「文房具でモテるための100の方法」、月刊「GetNavi」にてスタートです。


ええい、このブンガーめ!


それはそうと古川さんが前回の回答で、最高峰と思われるアニメをいくつか挙げる際に、映画や全体としての作品ではなくTVシリーズのうちの1話(「NARUTO−ナルト−」133話)を選んでいるのをみて、僕が以前「ウルトラマンティガ」の37話を取り上げたことを思い出しました。

記憶にのこる仕事はいつも、深い森の奥で根を張る一輪の花のように、ひっそりと咲いているものです。



私信:グァテマラさんへ

何度返信してもどういうわけかペイッとメールが跳ね返されてしまうので、ここでお返事させてください。

国家試験合格おめでとうございます。おたよりの端々からはちきれんばかりによろこびが伝わってきて、読んでいる僕も同じくらいうれしくなりました。こんなグッドニュースはいつでも大歓迎です。報告ありがとう。そして本当におめでとう!

えろえろナースになれちゃうみたいなんです!」とありましたが、そんなこと言われたら入院したくなってくるじゃないですか。あんまりいろんな人にえろくしちゃイヤですよ。

あたらしい世界への大きな一歩、がんばってください。
応援しています、心から!




さて質問箱の記念すべき100回に、胸を撃ち抜かれてぽろりと命を落としたダイゴくんの詮議とまいりましょう。 ちりんちりんと自転車で迎えにきたおじいちゃん的な死神と2人乗りでどこかへ消えたところまでは、足取りがつかめています。最後に目撃されたのは内堀通り、ちょうど大手門のあたりです。そんなところで何をしていたのかは相変わらず判然としません。撃たれた場所がそこだったのか、それとも別の場所で撃たれて死神に運ばれる道の途中だったのか、とにかくそのへんをうろうろしていたことだけはたしかだとおもわれます。ちなみにこの日の空はよく晴れわたり、身罷るにもうってつけの日和だったようです。

また、プロデューサーである古川さんと最後に交わした短い会話も判明しています。以下の通りです。


古川「そろそろまた次のアルバムの話をしたいですな」
ダイゴ「ははは」(気乗り薄なご様子)


こんなことになるならもっと大事にしてあげればよかった!(自分を)


さらに、生前投函していたらしい質問箱への回答を記した手紙が、ピス田助手宛に届いていることもわかりました。まるでこうなることを前もって把握していたかのような周到さです。こうなればダイゴくんの在不在はそれほど問題になりません。当人はひとまずこのままどこへと好きに泳がせておくとして、パンドラ的質問箱はしれっと続行いたしましょう。


パンドラ的質問箱 その101につづく!


2012年2月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 古川耕編


週に5日は赤坂にかよい、業界用語の習得にも余念がないため、今ではなかなか気軽にお会いすることもむずかしくなってしまった多忙な古川さんから、たいへん貴重な回答を賜りました。ムール貝博士のパンドラ的質問箱100回おめでとう記念、当のムール貝博士をねぎらうこともなく、絶命したダイゴくんもほったらかしたまま、古川耕編と題して派手にお送りいたします!心して読むがいいよ!


では小(ピー)吾から、あらゆる局面で黒幕を演じる古川耕さんに質問です。


Q1: 古川さんにとって「モテる」とは具体的にどういうことですか?

重めのモテはただの迷惑(一方的かつ理由不明の好意には不信感を抱くタイプ)だが、軽めのモテ(顔を出したらチヤホヤされる飲み会のイメージ)は大歓迎、というスタンス。いずれにせよ、漠然と「モテ」と言っても完全に相反する要素を内包しているので軽々しく使うべき言葉ではない。自戒の念を込めてそう思います。
そんなわけで月刊「GetNavi」の新連載「文房具でモテるための100の方法」。よろしく!


Q2: 今後、デビューの予定はありますか?

娘が幼稚園、もしくは小学校に入ったとき。それに伴う公式行事に父親として参加したとき、何らかのデビュー感を覚えるのではと予想しています。


Q3: 追跡と逃亡、どちらをえらびますか?

追跡の方が気楽そうでいいな。と、そんな悠長なことを言っている追跡者は一生逃亡者を捉えられまい。そう思ってちょっと切なくなりました。


Q4: この先よんどころない事情で古川さんを退治しなければいけなくなったときのために、弱点を教えてください。

服装をほめられる。


Q5: 出会ってから10年ちかくたつのに、いまだ古川さんの毛髪をみたことがありません。今後のばす予定はありますか?

帽子+坊主という組み合わせには実のところ飽き飽きしていて、というよりそもそもそんなに似合っているとも思ってないんですが、違う髪型に挑戦するにはすでに毛根が。


Q6: 今でこそTBSラジオの構成作家兼ド腐れ文具野郎として名を馳せる古川さんですが、僕が出会ったころはむしろ日本語ラップのオーソリティであり、またシビアな視点を貫く孤高のアニメライターでもありました。そんな古川さんが最高峰に挙げるアニメは何ですか?(複数可)

・『ミトン』(1967年/ロマン・カチャーノフ監督)
・『デジモンアドベンチャー 僕らのウォーゲーム!』(2000年/細田守監督)
・『NARUTO ─ナルト─』133話
・『デイ&ナイト』(2010年/テディ・ニュートン監督)

もっとあるような気がするけど、パッと思いつくのはこんな感じ。


Q7: 日本語ラップにかぎらず、ヒップホップで「この1枚」を挙げるとしたら?

「オールタイムベストはこの一枚」と挙げられないのが、僕の思うヒップホップの魅力です。


Q8: 2児の父となっていちばん変わったことは何ですか?

健康増進のため、寝る前にスクワットをするようになりました。


Q9: 奥さんの魅力をおしえてください。

キレ。


Q10: やめられない悪癖はありますか?

カラムーチョ。


Q11: 「オーディオビジュアル」のなかで印象にのこる1編を挙げてください。またその理由も。

「いまはまだねむるこどもに」

理由? 言わせんなよ!




さらっと新連載の宣伝も紛れこませるあたり、さすがに抜け目がありません。古川さんどうもありがとう!カラムーチョの件も知らなかったけど、こういう些細な部分に古川さんの本質と核心が隠されているとおもえば、それなりに意味もありそうです。知ったところでどうにもならない話ですね、しかし。

質問はもともと18個あって、じつはそこから適当にチョイスしてもらっています。取り除かれたのは次の7つです。


・もし世界の頂点に君臨したら、手始めにまず何をしますか?
・好きな超能力は何ですか?
・玄関にオリジナルの呼び鈴をつけることになりました。どんな音にしますか?
・じぶんを野菜に例えてください。
・背中に乗ってみたい動物は?
・ちょくせつ体験してみたい歴史をひとつ挙げてください。
・今まで生きてきた中で「これはごほうびだ」と感じた瞬間はありますか?


数年前に「好きなんだ、野菜の話が」と言っていたから訊いてみたらなぜかあっさり除外されました。どうもそういう話がしたいわけではないらしい。個人的には呼び鈴の音を知りたかったです。どんな音がするんだろう?




さて、改めてここでご説明申し上げなくてはなりますまいが、古川耕さんはこのブログの管理者でもある小林大吾という詩人がこれまでにリリースしたアルバム3枚を、すべてプロデュースしています。どういう関係かと問われれば、つまりそういう関係です。「古川耕」でダイレクトに検索して来られた方には、以後どうかお見知り置きくださいますよう、よろしくおねがいいたします。(Check me out if you don't know me by now.)



そして絶命したダイゴくんは果たして甦ることができるのか?

2012年2月14日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 予告編



迎えにきた死神(前回のつづき)


ポックリ逝った前回の更新からすこしさかのぼって、まだ生きていたころに下書きを済ませていたテキストでお送りしますけれども、このブログ、去年あたりから「古川耕」で検索して訪れる人が増えているのです。

何しろウィキペディアに記載されるほどその筋ではあまねく知られた著名人であるわりに、彼についてネットで得られる情報と言ったらろくすっぽないのだから、ムリもありません。かといってかくべつ累が及ぶわけでなし、ほどほどにうっちゃっておいたのだけれど、ちかごろはだんだん頻度も上がってさすがに知らんぷりもしづらくなってきました。このままいくと検索キーワードのトップに躍り出る日もそう遠くないようにおもわれます。

あんパンの人気が高まれば、そのぶん多くこしらえるのがパン屋のつとめです。今後の投稿も自ずとそうした流れにおもねる形で発信されていくことになりましょう。ラジオやインタビューといった方々での発言を一言一句てきぱきと文字に起こしてリアルタイム更新に至るのも時間の問題です。そうなるとブログのタイトルもたとえば「FULL♂CAN・ザ・ハスラー」とかに変えたほうが、この際いろいろの方面にとっても良かろうとおもう。時勢をつかみ損なうようではどのみちやってはいかれません。僕としてもそれで一向に差し支えはないのだから、万事まるくおさまって大いばりです。



古川さんを慕う人々にとって、ここでキーを打つ僕が何者でいかなる関係にあるかは問題ではありません。とはいえ、「そもさん」と問えば「せっぱ」と応じてもらえるくらいの近しい間柄であることはまずたしかです。彼らがここを訪れるのは正しい。何となれば僕は過去にも、微に入り細を穿つ個人的な質問を古川さんに投げかけているからです。そんなページは他のどこを探したって見つかりはしません。


ムール貝博士のパンドラ的質問箱 特別編


すでに幾度かお伝えしたように、「ムール貝博士のパンドラ的質問箱」は2008年から今なお細々とつづく、当ブログきっての長命にして優良穴埋め企画です。古川さんへの質問とその回答を掲載した特別編は、パンドラ的質問箱の50回突破を記念したものでした。

しかしいかんせん4年(!)も前の話です。ニーズだって今のほうがよほど高まっていると言わねばなりません。いくら御大の貴重な素顔を垣間見ることができるとは言っても、やはりアップデートが必要です。であれば、足掛け4年というちょっとした歳月の果てに辿り着いた100回を記念して、再度ご登場願おうと思い立つのもごくごく自然な成り行きと言えるのではありますまいか。


というわけで、管理者不在のまま更新される次回のパンドラ的質問箱はみなさまお待ちかねの特別編、小(ピー)吾が生前投げかけた11の質問に御大・古川耕が答えます!刮目して待て!


こちとらとうとう放送禁止用語扱いですよ。

2012年2月11日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その100


どうかして折々に質問をもぎとろうとする強請めいたやりくちはともかく、当初は「期間限定」と銘打っていたはずのパンドラ的質問箱が、とうとう100回を数えることになりました。これもひとえにみなさまの寛大にしてあたたかなご厚情のおかげです。これまでの気まぐれでおぼつかない足取りを考えれば、ほとんど奇跡に近いものがあります。どうもありがとう!

さて、ひとつのおおきな節目ではあるし、こりゃ何かあるに相違ないぞとにおわせておいて豈図らんや、「わたくしひとりが盛り上がってどうなりましょう、しおしお」と土壇場で肝が冷えたため、通常どおりの質問箱です。Bygones!


トロイの黒板さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)白いチョークで「木馬がきた」と書いてある黒板のことですね。


Q: 好きです。(わりとどうでもいい質問、でもなく、全然どうでもよくなくない、好きです、という告白ですいません。)



バターン!



(3日後)


「おや」
「どうしたピス田」
「あれ見てください博士」
「あれって何だ」
「あそこに倒れてるの、ダイゴくんじゃないですか」
「んん?」
「ダイゴくんでしょ」
「ねじった紙クズにしか見えん」
「うまいこと言いますね」
「変わったところで寝るやつだな」
「寝てるんですかね?」
「どっちでもかまわんさ」
「ほっとくんですか?」
「ほっとくとも!起こしてどうする」
「どうするってこともないですけど」
「安らかに眠ってるんだ、そっとしといてやれ」
「レスト・イン・ピースですか」
「レスト・イン・ピースだ」


(7日後)


「おや」
「どうしたピス田」
「まだ寝てますよ」
「よく寝るやつだな!」
「寝てるんですかね?」
「どっちでもかまわんさ」
「ほっとくんですか?」
「ほっとくとも!起こしてどうする」
「起きなかったらどうします?」
「ふむ。そりゃ新しい見解だ」
「何にしろ、往来の妨げですよ」
「たしかに邪魔だ」
「どかしたほうがみんなのためです」
「跨げばいいじゃないか」
「誰かつまづいても気の毒ですよ」
「やなこった」
「そりゃわたしだってイヤです」
「満場一致で可決だ。先を急ごう」
「情けは人のためならずっていうじゃないですか」
「だいたい、あいつにかかわるとろくな目に遭わん」
「神様に貸しをつくるってのはどうです?」
「貸し?」
「このままいけば博士、まずまちがいなく地獄行きですよ」
「それならこないだ行ってきた」
「そこで取引する材料があれば事が有利にはこぶでしょ」
「行ってきたというのに」
「じゃ天国は?」
「行ったことはある」
「入れてくれましたか?」
「いや、門前払いだった」
「そうでしょうね」
「なんだその物言いたげな顔は!」
「でも、次はどうかわかりませんよ」
「これを持って行けと?」
「取引の材料にはなるでしょ」
「なるほど」
「動機がどうあれ、アクションとして見れば善行ですよ」
「ふむ。たしかに神様に貸しをつくるのはわるくない」
「でしょ。ダイゴくんを道の端に寄せるだけなんですから」
「やれやれ!どこまでも面倒をかけるやつだ」
「おや」
「どうしたピス田」
「案の定というか何と言うか…」
「事切れてたか」
「事切れてます」
「人生の早退けだな」
「行き倒れで息を引き取るとはまたダイゴくんらしい…」
「とっとと端に寄せちまえ」
「あれ?」
「どうしたピス田」
「胸を撃ち抜かれてますよ」
「どれどれ」
「ほら」
「ふむ…こりゃ即死だな」
「かわいそうに」
「バカ言え!顔をよく見ろ」
「うれしそうな顔してますね…」
「色恋沙汰だよ、バカバカしい」
「まさか!」
「うっかり告白でもされたんだろうさ」
「うっかり…そうかもしれないですね」
「大往生ってわけだ」
「そうですか?」
「稀少な告白に胸を撃ち抜かれたんだぞ」
「そうですけど…」
「男子冥利に尽きるだろうが」
「まあ、そうとも言えますね」
「不細工には本懐だろう」
「何だか泣けてきましたよ」
「泣くな!」
「バレンタインもまだなのに…」
「だからこそ僥倖なんだ」
「あれ?」
「どうしたピス田」
「ダイゴくんの手に紙が」
「ダイイング・メッセージか」
「せめて遺言と言ってあげてくださいよ」
「同じことだろうが!」
「きもちがちがうんです」
「きもちでメシが食えるか」
「どれどれ…あ、ダイゴくんの字だ」


A: 天にも昇るきもちです。どうもありがとう!


「ふむ、それで天に昇ったと」
「ホントに昇らなくてもよさそうなものですけど」
「一片の悔いもない見事な身罷りようだ」
「あの、ひょっとして…」
「何だ」
「自作自演じゃないですよね?」
「知らん。悔いがないならそれでいいじゃないか」






100回にしてまさかの大往生を遂げたダイゴくんですが、質問はいまも24時間受け付けています。


dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その101につづく…のか?

2012年2月8日水曜日

彼らはなぜそのタイトルを変更したのか?


パンドラ的質問箱100回記念云々はさておき、たまには音楽の話でもいたしましょう。ときどきふっと、ブログの横っちょに2010年のアルバムリリース情報が目に入り、じぶんがそういう人だったことを思い出してびっくりしてしまう。自分自身についてお知らせできることがあればよいけれど、残念ながら多くの人と同じようにそんなのは別にないのです。

2010年…といえば、John Legend & The Roots によるコラボレーション・アルバム "Wake Up!" が黒い音楽好きをざわめかせた年でもあります。90年代初頭から今なおヒップホップの前線にあり、一方では Al Green、Booker T、Betty Wright といった伝説的なソウル・シンガーたちの現役をサポートする The Rootsの、これは面目躍如たる1枚とも言えましょう。わけても「ヒップホップ世代の視点による往年のソウル・クラシックカバー」という温故知新コンセプトに悶絶したものです。オリジナルに忠実なアレンジからも、聴き継がれてきた名曲への愛がひしひしと伝わってきます。

ここに収録された "Hard Times" という曲が、今日のお話の中心です。



この曲のオリジナルは、Baby Huey という夭折した巨漢シンガーの "Hard Times" です。Curtis Mayfield のプロデュースで、1971年にリリースされています。ソウル・クラシックというよりも、レアグルーヴ文脈による再評価の印象がつよいので、むしろサンプリング・クラシックと呼んだほうが当たっているかもしれません。じっさい両手では足りないくらいあちこちでサンプリングされまくっているみたいだし、僕もこれを聴いておもいだすのは Ghostface Killah です。


使用前
 



使用後


ヒップホップ世代にとってはだから、相当になじみのある1曲といえましょう。"Hard Times" を知っている人は当然 Baby Huey の名前を出すだろうし、彼をオリジナルだとおもっている人がほとんどのはずです。John Legend と Roots がカバーしたのも、実際このバージョンでまちがいありません。

ところが驚いたことにこの曲、じつはもともと別のタイトルで、かつ別のシンガーによるバージョンが先にリリースされているのです。意外にもBaby Huey が最初ではない。…という事実はひょっとしてみんなもう先刻ご承知なんだろうか?

「知ってる」という門前払いの一言にもあえて耳を貸さず、ここは知らんぷりで鼻息を荒くせねば却って立つ瀬がなくなります。ではオリジナルはどんなタイトルで、いったい誰が歌っていたのか、その目でとくとご覧じろ!


Gene Chandler  "In My Body's House"




まさかの Gene Chandler…!ソウル・レジェンドにその名を連ねる、言わずと知れたシカゴのスーパー・スターです。

Baby Huey が歌うよりも2年前の1969年にリリースされています。

お聴きくらべあそばせ!



Cold, cold eyes on me they stare
People all around me and they're all in fear
They don't seem to want me but they won't admit
Thinkin' Black on Black
Strange creature out here havin' fits

From my body house I'm afraid to come outside
Although I'm filled with love
I'm afraid they'll hurt my pride
So I play the part I feel they want of me
And I'II pull the shades so I won't see them seein' me

Havin' Hard Times in this crazy town
Havin' Hard Times there's no love to be found

From my body house I see like me another
Familiar face of creed and race a brother
But to my surprise I found another man corrupt
Although he be my brother he wants to hold me up


多くの人に伝えるという意味で "Hard Times" というタイトルは直球かつ即物的です。社会的なニュアンスもあるし、それだけでメッセージ性の強さがうかがえます。でも「詩」という観点から言ったらむしろ "In My Body's House" という控えめな表現のほうが奥行きもあって意味深です。声高でない冷静なふるまいは言葉に重みと説得力を加え、抑圧された感情を的確に描き出してもくれましょう。いっぽうタイトルから内容を窺い知ることができないのなら、それだけでこの一遍が多くの人のアンテナに引っかかりづらくなるだろうことも否定できません。ひょっとしたらジュークボックスの時代だし、今ほどタイトルは重要でなかった可能性もあるけれど、だとすればなおのこと変更する理由はありますまい。

いずれにせよ、彼らがなぜそれを変更したのか、うっかりすれば見過ごしてしまいがちなこういう細部にこそ、語られるべき物語が隠されていると僕はおもうのです。



…というようなことをHAPPY SADで話せたらいいなーとずいぶん前から目論んでたんだけど、どう考えても時間内におさまらないので、こっちに書きました。


ちなみに、作者である Curtis Mayfield も1975年にリリースした自身のアルバム "There's No Place Like America Today" でセルフカバーしています。ぜんぜん関係ないしどうでもよいことではあるけれど、カーティスのなかでいちばん好きなアルバムです。初めから終わりまで削ぎ落とされたアレンジの行間に緊張感がピンとはりつめていて、聴くたび耳を強奪されます。全体的にストイックというかデトックスというか、精進料理みたいなおもむきです。内蔵がつるつるになるような気がする。



2012年2月5日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その99



たてがみがしっとりしたライオンさんからの質問です。(ペンネームはミス・スパンコールがてきとうにつけています)


Q: はやおきが、にがてです。どうしたらできるようになりますか?


この質問は以前にもお答えしていますね。しかしこれは、この問題がいかに多くの人を悩ませてきたか、ということの証でもありましょう。通りすぎたはずの過去が亡霊のように甦るというのなら、そのたびに立ち向かわなくてはいけません。何となれば向き合う回数を重ねるうちに、思いもよらない解決法が発見されて、ちょっとした論文になり、研究者たちに衝撃を与え、ワールドワイドに発信されたのち、歴史的発見として新聞の大見出しを独占、Yahooニュースにも見出しがおどり、Twitterでまたたく間に拡散され、テレビは連日その話題で持ちきり、映画化権をめぐって争奪戦がいよいよ激化し、満を持して公開された映画「二度寝の消滅」の興行収入は異例のスピードで100億を突破、またそのタイトルは流行語ともなり、雨後の筍のごとく出版される関連書籍も片っ端からベストセラー入り、世界のあり方を根底からくつがえしたとして、やがてはこのブログがノーベル早起き賞を受賞する日がいずれ来ないともかぎらないのです。

来ないけども。

そのへんの皮算用はともかく、以前とおなじ答えをくりかえしてもしかたがありません。また実際のところ、これ以上はないとおもわれるほど革命的かつ決定的な答えが今ここにあることを隠すわけにはまいりますまい。以前には気がつかなかった、その答えとはこれだ!


A: ずっと起きてればよいのです。


よろしい…痛い!缶を投げてはいけない。言いたいことはよく…痛い!石を投げてはいけない。言いたいことはよくわかります。迫害はよくない。投げるならパンツくらいのフワッとしたものに限定していただきたい。

言いたいことはよくわかります。僕だって眠りを奪おうとする者があれば相手がたとえリュパンだろうと容赦はしません。しかしこの際だからもうちょっとじっくり向き合ってみましょう。

就寝が早まれば早まるほど起きる時間が前倒しになるということはわかりきっているのだから、早起きしたい、ということはつまり、早く寝たい、ということでもあります。「起きたい」と「寝たい」が同時に持ち上がるのはどうも平仄が合わない気がするけれど、この点にはとりあえず立ち入りますまい。

早く寝ることができれば、早起きの確率は飛躍的に高まる…それはたしかです。個人的なことを言うと早寝の如何にかかわらず時間のゆるすかぎり眠ることに決まっているからそこに因果関係を認めるのは困難ですが、これは例外としておきましょう。とにかく早く寝たらよろしい。これはおそらく万人の認めるところです。

しかしそばにはいつもテレビがあって、ネットがあって、スマホがあって、DVDがあって、マンガがあって、ことによるとお菓子もあったりするのです。これらに抵抗できる堅物が世界にどれだけいるというのでしょう?娯楽で済めば良いけれど、たいてい堕落に成り果てます。ひとり暮らしならなおさらです。真夜中ほどたのしい自由はない。早く寝たいとおもっているのに、これではどうにも困ります。ではどうすれば早く寝ることができるのか?

娯堕楽の自由を決して侵すことなく、それでもなお早く寝るやりかたを求めるとすれば、やはり割り当てられたすべての時間を前倒しにするほかありません。つまり…


A: 早起きをすればよいのです。


「早起きをするにはどうしたら良いか」という質問からめぐりめぐって辿り着いた答えが「早起きをすれば良い」とは、まるで狐につままれたかのようです。何が起きたのか僕にも全然わからない。

痛い!缶を投げてはいけない。投げるならパンツくらいのフワッとした…






質問はいまも24時間受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その100につづく!


とうとう100回だ!

2012年2月2日木曜日

軽食の千年クラシックとカップオブエクセレンス


ひさしぶりにその喫茶店をおとずれたある日、僕から通路をはさんだ窓際の席には、4人のおばあちゃんが昼ごはんを食べておりました。4人がけとは言うものの、皿を4枚並べればテーブルからはみ出るくらいの、ちいさな席です。そこでめいめいがくっつき合って、オムライス、ミートソース、ナポリタン、ハヤシライスといった軽食の千年クラシックを脇目もふらずにパクパクと消化しています。そのまま箱に詰めて持ち帰れそうな窮屈さをのぞけば、たいへん微笑ましい光景であって、何しろ和やかです。もうすこし広い席に案内してあげたらいいのにとおもう。


僕がはじめてここに来たのは、かれこれ10年くらい前のことです。家屋調査の仕事を手伝っていて、帰りしなに先輩が「お茶していこう」と言うから、とりあえず地下鉄の駅から徒歩1秒(!)のここをえらびました。とくに希望もないけれど、むさくるしい野郎2人づれにあんまりお洒落なのも困ります。しいて言うなら仕事中に作業着でも立ち寄れるお店が気楽です。その点ここはあつらえ向きでした。昔ながらのつくりで佇まいも昭和そのものだし、思いのほか広い。あちこちの談笑が耳をくすぐるくらいには賑わっているけれど、そのざわめきに会話が消されることもない。とにかくほどよい距離感で、居心地が良いのです。しまいにはねむたくなってきます。


要はそういうお店です。一見するとどの町にもありそうなごくごくふつうの喫茶店にも思えます。誰にでも好まれそうな反面、強烈な印象に欠けるのかもしれません。そのつつましさたるや、次に町をおとずれるまで忘れているくらいです。今まで何度となく好きな喫茶店を聞かれた気がするけれど、そういえば思い出して答えたためしがない。わかっていたはずなのに、行くたびにハッとして首をかしげてしまう。


なつかしいピンクの電話もあるよ!



どうしてもっと早くここのことを吹聴しなかったんだろうと悔やまれるのは、その気取りのなさ、居心地の良さ、つつましさのためばかりではありません。というのもここはコーヒー、とくに豆に関して他の追随をゆるさない信条と哲学をもった店でもあるからです。押しつけがましさの欠片もないせいか、店の印象からしてついメニューもひらかずに「ブレンド」と注文してしまいそうになるけれど、よくよく見るとよそではお目にかかったことがないようなコーヒーがメニューにずらずらと並んでいます。どれを飲んでもワンコインでお釣りがくるし、2杯目からはほぼ半額です。上質の豆なんかべつに求めてない僕でさえ飲み比べてみたいとおもうし、実際どれもこれも味わいがはっきり異なっています。シンプルに楽しい。


大げさでもなんでもなく、選び抜かれたコーヒーに対してこれくらい敷居の低い店を、僕は他に知りません。大らかすぎて喫煙席まである。しかしそれだけ間口が広いからこそ、親しみやすいのです。もちろん豆そのものも売ってるから、なんとなく毎回、買って帰ることになります。こないだはエル・サルバドルの「エル・オプティミズモ」という種類を買ってきました。そんなの聞いたことない。


もう二度と忘れないように、きちんと明記しておきましょう。この先どんな店に出会おうと、僕にとってのベストオブベストはこの喫茶店です。門前仲町にあります。地下鉄3番出口から徒歩1秒の階段をのぼって2階です。わざわざそのためにというよりは、何かのついでに立ち寄ってください。なぜか階段がふたつあって、そのつくりもいいのです。