2013年6月29日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その159a



チーム・オーディオビジュアルでは月に一度、ミーティングと称した食事会をひらく決まりになっています。称して、というのは(以下略)

「いま何曲できてるんだっけ?」
「(ごにょごにょ)」
1曲ふえとる!


千里の道も一歩からです。千里あることは正直考えないでおきたい。




愛という名のモツ煮さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)3ついただいているのでいっぺんにお答えしましょう。


Q: ダイゴさんのやる気スイッチは何ですか?ぼくは焦りです。


のっけからしなしなと萎えることを言うようで何ですが、僕にはやる気スイッチがありません。というか、そもそもやる気がありません。あれば今ごろスマホにテザリングでツイッターどころかLINEやフェイスブックも片手間にちょちょいのちょいでアルバムも10枚くらいリリース(うち5枚はベスト盤)、一躍スターダムにのし上がりはしないかもしれないけどちょっとくらいはモテちゃったりして、いやーまいった人生バラ色だな!ていうか桃色だな!

と左うちわで天狗になっているにちがいありません。かたわらには美女を300人くらいはべらせておこう。

あるいはフレッシュ・プリンス(ウィル・スミス)のようにスターダムを駆け上がったあげく足をすべらせて真っ逆さまに転落、とおもいきや名前を変えて不死鳥のようによみがえる、劇的なシナリオもいいですね。ギャラが高すぎて続編のオファーが来ないなんて、考えただけでもゴハンがすすむじゃないですか。おかわりおねがいします!

えーと…

(話を思い出そうとしています)

ああ…

(現実に引き戻されています)

そうですね、しいて言えば「何もない空白の時間」がやる気を起こすことにつながっているとおもいます。頭がまっ白であればあるほど、「よし、やるか」というきもちに自然となりやすいのです。もちろんタイムリミットによる強制終了が間近にせまって焦ることはあるし、というかそんなのはしょっちゅうでむしろ今まで焦らずにすんだためしがないような気もするし、じつを言えば今も焦っています。ただこの焦りをやる気と結びつけて考えてしまうと常にやっつけ仕事の危険性がつきまとうので、できるだけ結びつけないようにしているのです。デッド・オア・アライブ感に思わぬ力を引き出される人もいるとおもいますが、僕の場合はこれだとまずデッドになることがこれまでの経験からはっきりしています。今やほとんどゾンビです。

しかし「何もない空白の時間」と言えば聞こえはいいけど、周りからしたらこれ、単なる「暇」にしか見えないでしょうな…


A: 「暇」です。


そして暇と言ったとたんに今度は聞こえがわるくなる。




Q: 世界の終わりが来るとして、何をしますか?


これについては明確な姿勢があります。5年前にもここに記した、ある母娘の会話を再録しましょう。

「今日で世界もおわりだね、お母さん」
「そうらしいね」
「もう明日はないんだよ」
「そうなのかね」
「だってもう決まったことなんだよ!」
「そう、じゃしかたないね」
「悠長に朝ゴハンなんか食べてる場合じゃないでしょう!」
「いいから食べなさい」

これはもともと朝食がいかに大切かということを示すために持ち出した一幕ですが、それ以上に僕が日々をすごすうえでひとつの基礎となる重要な哲学を如実にあらわしています。つまり「キープレフト」です。

さじを投げているわけではありません。悟りや諦観ともちがいます。前にも書いたように、「無用な混乱に陥らないよう、あらかじめ設けられた最低限のルールにしたが」っているだけです。内心ではぷるぷるふるえているかもしれない。どこへかはわからないけれども今すぐ逃げ出したい、と思っているかもしれない。それでもなお、じぶんがじぶんであるためにこうと決めた日々の手順をとばさず保とうと努力すること、その心がまえは相手が世界の終わりだろうと変わりません。だからすくなくとも朝ゴハンはちゃんと食べます。

しかしまあそういう観念的な話はともかくとして、何かひとつその日のためにとくべつことをしようということなら、大好きなレコードをかけるだろうな、とおもいます。人生のおわりにかけたいレコード、というのは最後の晩餐とおなじく僕がときどき考えることのひとつです。そういう曲が、いくつかあります。いろんな感情がいっぺんに押し寄せてきて、いまこの時点で涙目です。ありがとう、さようなら!そして愛してる!

あともうすこし荒唐無稽なことをいうと、ブルドーザーとか大きめの重機で高速道路に直接のりこんでみたいですね。

ポータブルプレイヤーと7インチを何枚かもって重機で首都高か…最高だな。最後の日くらいは雲ひとつない快晴であってほしい。


A: 青空の下、プレイヤーと7インチをもってブルドーザーで首都高です。



長くなりそうなので、のこりのひとつはまた次回にいたしましょう。その前に世界の終わりが来ませんように。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その159bにつづく!


2013年6月26日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 あらためてその158


オレたち重金属さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: その昔、漱石先生は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳しましたが、ムール貝博士なら「I hate you」はどう解釈されるんでしょうか?


妙訳、と言わねばなりますまい。ここで言う「妙」とは相反するふたつの意味を含んでいますが、仮に現代の英語教師を100人つれてきても、この翻訳にマルをくれる人はおそらく一人もいないでしょう。懐の広い先生でも、「まちがいではないかもしれないけれど、それにしたって恣意的で意訳にすぎる」と考えるにちがいありません。せいぜい大きなバツのとなりに小さな文字で「でも、ステキね!」と個人的な好印象を書き入れるくらいが関の山です。文豪たる漱石自身が英語教師だったことを考えると、このエピソードはじつに教訓的だとおもう。

しかし多分に詩的で抒情的であるとおもわれる点をそっくり取り除いたとしても、この訳は正確です。すくなくとも明治・大正期では100%正しかったと僕はおもいます。何となれば、そもそも「愛」とは「love」の訳語であって、明治以降に輸入された新しい概念だからです。これを動詞にした「愛する」も、今で言えば「シェアする」とか「バズる」といった言葉と同じ使い方だったわけですね。おまけに「愛」は漢語です。西洋のブイヨンを日本の出汁に置き換えるのが翻訳だとしたら、鶏ガラスープで代用するようなものですよ!こうなると「I love you」を「愛してる」と置き換えるのも、翻訳しているようでじつは何も訳していないような気さえしてきます。

また「love」は本来、ものすごく意味の広い言葉です。老若男女を問わず、距離の近さとか気持ちの濃さを表すときに使われます。でも日本ではそう理解して使う人はあまりいません。ラブと言われて思い浮かべるのはつねに恋慕の情です。ひょっとするとじぶんの子どもくらいには使う人もあるかもしれないけど、それでもかなり限定的です。そしてこのことこそが、舶来の概念であることをはっきりと示しています。赤子を慈しむことや、彼や彼女のそばにいたいと希うこと、性を伴わないかたちで誰かを敬い慕うことにかぎらず、対象が無機物であっても並々ならぬ思い入れがそこにあればそれはおおむね「love」の範疇です。「好き」で表せる程度の軽さならまだしも、これとぴったり置き換えられるような総合的な意味での単語は日本語にありません。人に対する深いきもちとモノに対する深いきもちを同じようには認識しづらい。だからこそ、いちばんわかりやすい「恋愛」に意味が集中するのです。それでなくとも婉曲を好む僕らがおいそれと口にしない理由も、たぶんここらにあるのではありますまいか。

さて、それを踏まえた上で、もういちど漱石訳に戻ってみましょう。意訳どころか、日本人としてはなんかもうこれしかないようにおもえてきませんか。文化を伴った言語の置き換えという意味でこれほど的確な翻訳は他にないと言ってしまいたいくらいです。「好きです」という直接表現よりも「あの、今日、たのしかったですね」(これも状況によっては「I love you」の訳になるとおもう)とかちょっと遠回りなくらいがよりふかくキュンと突き刺さって相通じる、それがこの国の風土じゃありませんか!


なんの話だっけ?


「というわけなんです」
「知らんよ」
「何がですか?」
「それはこっちのセリフだ」
「『I love you』と『I hate you』の話ですよ」
「どうちがうんだ?」
「どうって、え?」
「どうちがうのかと聞いとるんだ」
「ちがうどころか、真逆ですよね、これ」
どっちも人を殺すことにつながりかねないセリフだろ
「その認識は偏りすぎです」
「ぞっこんなのに『大っ嫌い』って言ったりするじゃないか」
「ぞっこん…」
「イヤよイヤよも好きのうちなんだろ」
「その言い回しは使い方をまちがえると大惨事になりますよ」
「つまりだいたい同じというのがわたしの結論だ」
「えーと、じゃ質問を変えます」
「取り下げりゃいいのに」
「博士がもし『火花が綺麗ですね』って言われたらどうですか」
「当たり前すぎてよくわからない」
「うれしくないですか」
「うれしい…?」
「まあいいや、じゃ『しけた火薬ですね』って言われたらどうですか」
なんだとこの青二才が!
「もののたとえですよ!僕が言うんじゃありませんてば!」
「今言ったろうが!」
「ちがいます!仮の話です!」
「仮だろうが何だろうが言ったことに変わりはない」
「いいですよ、じゃあ爆破でも何でもすればいいでしょう
「なんだと」
「どうせまたすぐ生き返るんだからおんなじことですよ」
「忌々しいヤツだ」
「こっちだってもういちいちびくびくするのに飽きてるんです!」
「望みどおり木っ端みじんにしてやる。そこになおれ」
「なるべく即死でおねがいします」
「うるさい!」


ドカン


A: 「しけた火薬ですね。」




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その159につづく!


2013年6月22日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その158、の取り消し、あるいは小麦でできたモノリスについて


乗ってみたいものシリーズ その2


ひよこ豆




食パンを1枚、放置していたのです。

賞味期限を過ぎているかどうかは知らないけれども、賞味なんてべつにかまったことないから食べられない理由にはなりません。といっておいしくいただけるはずの期間はまずまちがいなく過ぎています。忌憚なく言ってしまえばぜんぜん食べる気にならない。白くて弾力のある板きれにしか見えない。

捨ててしまうのは簡単です。誰も見ていないし、そのためにパンから呪われるわけでもない。それに8枚切りだから、9割はおいしく消化しています。でもできない。何となれば、誰も見ていないかもしれない代わりに、お天道さまが見ているからです。こういうときにかぎってじっと凝視されているような気がするから忌々しい。

後ろめたいわけではありません。苛まれるような罪の意識もべつにないし、じっさいのところ、捨てたってかまうもんかというきもちのほうがつよい。ただ、お天道さまに「むりすんなよ、いい子ぶってないで捨てちまえ」とニヤニヤされるのが癪なのです。僕は昔からこうしたいささか腹黒いお天道さま信仰をもっていて、今なおことあるごとに対立しています。こっちが困った事態に直面すればするほど、向こうは腹を抱えて愉快そうに転げ回るので、なるべく向こうの思うつぼにならないような行動を心がけなくてはいけません。あの野郎をニヤつかせるのは、他の何より業腹です。

そうなると選択肢はもはや「食う」の一択しかないことになります。上等じゃないか?むしろ初めからそのつもりだったというか、ちょっと風味が落ち着くのを待ってただけなんだから。肉だって腐りかけがいちばんうまいって言うでしょうが?パンだって同じことですよ!古くなってカビがなければそのときこそまさに食べごろというわけです。ああ、なんだもう1枚しかないって?こんなに食う気満々なのに、残念だな!いかにも残念だ!

と聞こえよがしに独り言ちながらグリルにパンを放りこんで焼き始めます。雲の上から舌打ちが聞こえてくるようです。空の覇者をドヤ顔で見下すことほど胸のすくことはありません。そうそう思い通りになってたまるかバカヤロウとおもう。

ところが調子にのりすぎたせいか、気がつくとグリルの中でパンがまっ黒になっていたのです。

せっかくその気になったのに、今度は物理的に食べられなくなってしまった。

迂闊というほかありません。まさかちょっと脳内で祝賀パーティをひらいているすきにパンが炭化してモノリスになるとは、思いもよらぬお天道さまのあざやかな一手に地団駄を踏んでも後の祭りです。「ほら、もうむりだろ。捨てるしかないよな。よかったじゃないか、正当な理由ができて!」と笑い転げている様子がありありと目に浮かびます。ここで癇癪を起こせばなおのこと相手にポイントが入るのだから、痛恨の極みです。いや、まだだ!この危機的局面をひっくり返す手はまだある!食えばいいんだ!食えばいいんだろ!そうそう思い通りになってたまるかバカヤロウ!

そういうわけで最終的に勝利を奪い返したからいいものの、口の中はまっくろだし、どう考えても摂取するよりはるかに大きなカロリーを消費するから、パンはもう放置するまいとおもう。




十二人の怒れるヒョットコさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 先日世界一美味しいと評判のビルズのパンケーキを食しました。確かに美味しかったです。


ふむふむ……あっこれ質問じゃない!近況報告だ!


しかしこういうハッピーなことがありました的お便りはときどきもらうことがあるし、それはまあよろしい。問題はその感想です。世界一おいしいものを食べたというのに、そんな(文字通り)味も素っ気もない感想がありますか!


バーン!

(ちゃぶ台をひっくり返しています)


もっとこう他に、とろけるような表現とか、身ぶり手ぶりとか、奇声とか、そういうのはないのか?だいじなのは舌がいかにしてエクスタシーに導かれたかであって、イエスかノーかではありません。おいしいと言われているものをただおいしいとおうむ返しにうなずいていったい何を伝えようと言うんだ?それはどきどきしながら女の子の家に電話をかけて「ナースチャさんはいらっしゃいますか」とおそるおそる尋ねたら「いますけど」とピッチャーライナー的な答えが返ってきただけでそのまま気まずい沈黙に突入するのとだいたい同じことなんだぞ!無慈悲な強制終了でシャイなハートがブロークンです。ワーン!


ちがう気もするな。


A: 資生堂のパーフェクトホイップで顔をふわふわ洗って出直しましょう。




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その159につづく!


2013年6月19日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その157、に便乗した誇大広告



ロボコッペさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)コッペパンの普及に尽力するロボットですね。


Q:真面目な話ミュージシャン大吾さんの息災が気になって仕方ありません。そろそろニューアルバムの話題などをでっち上げてください。もう嘘でも構わないので。


僕をミュージシャンと呼んでよいかは一考の余地があるとおもいますが、「ニューアルバム」ということであれば折よく今日はタケウチカズタケの "UNDER THE WILLOW -RAIN-" の発売日です。またぜんぜん関係ない話をしてお茶を濁すつもりだな、などと早合点してはいけません。関係ならオオアリクイです(こういう物言いに年齢を感じる)。あとついでに言っておくと、飲めば大抵の人が「うええ」となるセンブリ(漢方です)をごくごく飲み干せるほど渋みと苦みに親しみのある僕が発信者であるかぎり、お茶は濁されるものと決まっています。


ご存じない方のために説明すると、タケウチカズタケはキーボード・プレイヤーです。クラブミュージック界隈では A Hundred Birds という30人編成(!)の大所帯ハウス・オーケストラにおける中心人物として知られています。

しかしそのソロ活動においてはむしろヒップホップへの愛着が色濃く、ラッパーたちとの交流も数えあげればきりがありません。「ライムするやつとはだいたい友だち」と言い切ってしまっていいくらいです。自身の演奏についても本人が以前「鍵盤でラップしてるつもり」と話していたから、その傾倒ぶりは推して知るべしと言えましょう。じっさいその発言は彼の何たるかを端的に表しています。あえて言うまでもないかもしれない個人的なつながりで言うと、「処方箋/sounds like a lovesong」でキーボードを弾いているのが彼です。

また、そうした嗜好の当然の帰結として、タケウチカズタケはビートメイカーでもあります。サンプリングを駆使し、自らビートを組み、その上で鍵盤を叩きまくる、それが彼のスタイルです。そしてここがすごく重要なところだけど、その方法論はライブにもそのまま持ち込まれます。つまりサンプラーでビートをリアルタイムに組みつつ、エフェクターで千変万化のサウンドを繰り出しながら、同時にキーボードを演奏する、という人間離れしたアクションを全部ひとりでこなしているのです。そんな人はどこを探しても他にいません。初めて彼のライブを目にする人はその超絶技巧に例外なく目が点になります。


"UNDER THE WILLOW -RAIN-" はそんな男が手間ひまかけてこしらえた、ざっくり言ってしまえばヒップホップとソウルをベースにしたインストゥルメンタル・アルバムです。それがどんなものであるかは下に全曲試聴用のYouTubeを貼っておくとして、掛け値なしにすてきな1枚であることは僕も請け負います。このブログではむしろピンとこない人のほうが多いかもしれないけど、この機会にあたらしい世界への扉をひらいてもらえたら、こんなにうれしいことはありません。



Kaztake-42-music (アルバム特設ページ)


このアルバムにおける僕の役割とは言うまでもなく、デザイン、イラスト、タイポグラフィ、キャッチコピーからブックレットの中身をどうするかといった企画みたいなことまで、製品のパッケージに関わるあれこれを一身に背負うことです。あれこれというかまあ、ほぼ全部です。このアルバムの半分は小林大吾でできています。何年か前にもまったく同じことを言った気がするけれど、しかしこういうだいじなことは重ねたってべつにかさばるわけではないのだから何度でも言っておきたい。

あ、あとそうだ、もうひとつあった。


いずれにしても詩人の「し」の字もないことについてはまたべつの機会に考えましょう。



ブックレットにはタケウチカズタケ本人による曲解説がたっぷりつめこまれています。ほしいと頼んだのは僕です。インスト作品だからすこしでも本人の肉声的なものを載せたい、くらいの気持ちだったんだけど、フタを開けてみたら想像以上におもしろくて作品の奥行きがぐんと深まりました。

たとえば僕がビートを渡した8曲目の "Barrymore" というタイトルは、ある小説に出てくるちょっと意外な人物の名前からきています。僕はたまたまその小説を読んでいたけれど、「え、まじで?ってかあの人そんな名前だったっけ!?」とぜんぜん思い出せないくらいマニアックなチョイスです。もちろん知らなくてもぜんぜん問題ありません。でも知って聴くとまたちがった味わいがあるし、イメージもふくらみます。補足が必要だとおもわれるものについては僕が勝手に注釈をねじこみました。

それから、このアルバムはほとんどの購入先で特典として4thアルバム "-SUN-"がついてきます何を言っているのかよくわからないかもしれませんが、本当に4枚目のアルバムがついてくるのです。そして不可解なことに、主役である3rdアルバム "-RAIN-" は初めから2枚組用のケースに収められています。つまり、特典のCDをひとつのケースに収めて事実上の2枚組にしてしまうことが可能なつくりになっているのです。それは特典と言うのか?


さらに、特典である(←強調しています) "-SUN-" のジャケット、ブックレット、バックインレイは先に記したタケウチカズタケの公式サイトにある特設ページからPDFとしてダウンロードすることができます。そのブックレットにももちろんがっつりと曲解説が。




また、ディスクユニオンでは、Tシャツ付きの限定セットがあるそうです。実物まだみてないけど、あるというからにはあるんだろうし、僕としてもデザインしたんだからないと困ります。


オラめちゃ働いた。

すてきなデザインですね!とかもうすこし具体的に可愛いタイポですね!とか音源そっちのけでほめそやしてくれてもいいのよ!



A: タケウチカズタケの "UNDER THE WILLOW -RAIN-" は本日発売です。


ミュージシャン的なとこもホラ、一部だけどあったでしょ。




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その158につづく!


2013年6月15日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その156



今いちばん乗りたいもの




ここに乗りたい




時をかける症状さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)治るとよいですね!


Q:思い出深い誕生日エピソードを聞かせてください。


これを人に言うと例外なく「さみしいことをいうな」と苦い顔をされるんだけど、僕は誕生日というものにまるで頓着しない男です。川を流れる笹舟のように、毎年その日はすうっと流れていきます。またひとつ年をとったぞ…としみじみ感慨にふけることはあっても、それ以上に心躍るようなことはあんまりありません。僕にとってそれは前日や翌日と同じ、本当にごくごくふつうの日なのです。なぜかつよがりとかひねくれてるとかおもわれるので、「もっと積極的になるべきなんだろうか…」と今もときどき苛まれます。

若いころはそれでも、「一応お祝いしとくか」みたいなかんじで、ケーキをホールで買って一人ぱくぱく食べていた時期がありました。冗談でも謙遜でも卑下でもなんでもなく、人付き合いが全然なかったものだから、アルバイトが終わったらビリヤード場ですこしだけ玉を突き、自転車でビデオ(ビデオでしたね)をレンタルしに行って、まだ店が開いていればケーキを買うというかんじです。たぶんコージーコーナーとかだったとおもう。玉を突いたりビデオを借りたりはいつものことだから、晩のおかずが一品ふえるようなものですね。

そんなのっぺりしたバースデー観を持っているせいなのかどうかわからないけれども、一度だけ、じぶんの誕生日を忘れたことがあります。「忘れられた」のではなくて、「じぶんが忘れた」のです。いくらふつうの日だとは言っても、今日の日付や曜日と同じでふだんなら忘れることはさすがにありません。でもその年は本当にすっぽり意識から抜け落ちてました。気づいたのは2日すぎてからです。とくに忙しかったわけでもなくて、ただ穴があいたみたいに抜け落ちていた。

ふつうは周りが指摘してくれたりするんだろうけど、何しろ先にも言ったような暮らしだったし、そもそも人に言うこともほとんどなかったから(みんなそれをどうして知るのかいまだに不思議です)、本当にさらさらと流れて行ってしまいました。その日を笹舟にたとえるなら、とくべつ何をするでもないにせよ、せめて川岸で「また来年なー」と声をかけるくらいの距離感ではありたかったんですよね。でもそれすらしなかったことに、なんとなく後生のわるさを感じたのです。なんかゴメンな…というかんじで。


A: じぶんの誕生日を忘れたことがあります。


たぶん、節分とか十五夜にちかい認識なんでしょうな。




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その157につづく!


2013年6月12日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その155



東京特許キョケキョキュさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 「100年の恋も冷める」とはどんな時なのでしょう?


恋というのは銀行の預金みたいなものです。最初に大きな額を預ける人もいれば、小額から初めてすこしずつ積み立てていく人もいます。どっちがいいとはもちろん一概には言えません。ただまあ、スタート時の額が大きければ大きいほど、その後は引き出す回数のほうが多くなるでしょうね。いずれにしても、残高がゼロになれば恋は終わります。それが冷めるということです。

程度のちがいはあるにせよ、冷めるのは「相手の思いもよらなかった側面を目の当たりにしたとき」と言ってまず差し支えはないでしょう。人目をはばかるような類いの趣味だったり、性格の表立って見えなかった部分だったり、あるいはちょっとした癖だったりと、その理由は人によってじつにさまざまです。しかもそれは相手のせいというより、むしろ往々にしてじぶんの観測がいささか希望的すぎる(=最初に預ける額が大きい)場合に起こります。彼、でなければ彼女はもともとそうした属性や因子をもっていたのであり、そこにあとから異議を唱えられる筋合いなど本来なら全然ありません。僕が原則として色恋の愚痴にあまり耳を貸さない最大の理由がここにあります。

とはいえ、慎重に慎重を期してもなお想定外の事態がおこり得るのもたしかです。僕だって恋人が30代も半ばになっていきなり「海賊王に、あたしなる!」と本気で宣言するばかりか苗字と名前の間にDのミドルネームをねじこむようになったらさすがに関係を見直さないわけにはいきません。白紙に戻すとまでは言わないにしても、何か重大な見誤りがあったのではないかと反省するには十分なインパクトです。いくら世の中にはいろんな人がいると頭では理解していても、あらかじめ想定しておける範囲には限度があります。

しかしこれが100年もキープされた恋心となれば話はべつです。いかに弱火でも焦げつくような長い長い年月を前にしては、何ひとつインパクトにはなり得ないようにおもえます。新たな側面を受け入れるというより、それくらいではもはや炭化した愛情をはがすことができなくなっている、と言ったほうが近いかもしれないけど、ことここにいたっては雨が降ろうと槍が降ろうと、デコピンひとつではじき飛ばしてしまう気がしてなりません。最終的に下した相手への評価が変態だろうと鬼畜だろうと、別人だろうと人外だろうと同じです。その心持ちを恋と呼んでいいかどうかはともかく、それまでの歩みをいきなり全否定するより、受け入れてしまったほうが手っ取り早いだろうとは容易に想像がつきます。裏を返せば100年とは、すべてのサーブをことごとくリターンエースにしてしまう年月でもあるのです。

にもかかわらずそこからサービスエースを穫るような、言い換えれば恋の残高をゼロにしてしまうような、要するに100年かけて積み立ててきたきもちが一気に吹き飛ぶような事態が果たしてあり得るんだろうか?

ない、と言わざるを得ますまい。それが100年という年月です。

という結論でしめくくるのも後生がわるいし、あまり現実的ではないけれどひとつこれはというのを挙げるなら、「恋人が際限なく分裂するようになったとき」はさすがにしおしおと心が萎えるんじゃないかなとおもいました。際限なく、というのは文字通り際限なくであり、30億とか40億とかにぷよぷよと分かれながら増えていき、やがて全人類のうち異性がその人のみに取って替わられるような場合です。もうどうでもいいや、寸分違わず同じのがどこにでもいるし、というかんじで、冷めるどころか恋そのものが何だかよくわからないものになるかもしれないですけど。


A: 恋人が際限なく分裂するようになったときです。


それともそこからさらにわずかな差異を見出して、また恋に落ちたりすることになるんだろうか?「この人だけ右足の親指にほくろがある」とか、たとえばそういう理由で?



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その156につづく!


2013年6月8日土曜日

晩のおかずを1品抜かれても仕方のない話



「取り締まりのための取り締まりになってはいけない」という主旨の話から流れで「状況によっては制限速度を20キロオーバーすることもありうる」という可能性にふれただけなのに、「20キロオーバー問題なし?」「スピード違反を許容か」と置き換えられてしまうことにちょっと戦慄しているのです。これ、そういう話じゃないよね?

そう受け取る人もいるだろうな、というのは僕にもわかります。実際そう解釈できる余地はあるし、立場からすれば言わなくてもいいことだったのもたしかです。でもだからといってその論点をずらしていいことには全然なりません。ずらしたって別にいいけど、さもそれが元から論点であるかのような体で話を進めてはいけない。

それでなくとも黒か白の二択オンリーみたいな話には日ごろからほとほとうんざりしているのです。全面オーケーでないものをすべからく徹底的にふんじばればそれで満足なのか?白以外はすべて黒と判定されるような窮屈な社会をみんな本当に心から望んでいるのか?

学校で「廊下を走ってはいけない」と言われるのはもちろんそれが危険だからだけど、第一義的にはむしろ「安全のため」です。先生が叱るのはそれをわからせるためであり、「やってはいけないことをやったから」ではありません。ですよね?ここが伝わらないと、「怒られるからやらない」という「ルールのための行動」になりかねません。ルールが意図の先に来る、これが本末転倒でなくて何だというのだ。

「理解した上でやらない」のと、「怒られるからやらない」のとでは、結果としてとる行動が同じでも意味がぜんぜんちがいます。何しろ後者は「怒られなければやってもいい」と都合よく反転してしまう可能性があるからです。

だからこそ、取り締まることの意味を今一度きちんと考えてみてもバチは当たるまい、という話をしているのではないのか。「ルールが破られがちなところ」ではなく、「より危険の多いところ」に重点を置くべきだ、という話をしているのではないのか。

だいたいこれはもともと、取り締まりについての話です。制限速度についての話ではありません。にもかかわらず速度オーバーが議論の対象になっているのは、誰かが論点をずらしたからです。いいかわるいかの二元論で言ったら、速度オーバーが一律でOKなんて話になるわけがないじゃないか?なぜそんな「誰も言っていない上にわかりきったこと」をわざわざ俎上に上げなくちゃならないのかさっぱりわからない。

すくなくとも僕は決められたルールに基づくイージーな判断を立派だとはぜんぜんおもいません。たとえ100%正しいことを言っているとしても、そんなのはくそくらえです。道徳の教本でも破ってムシャムシャ食ってろとおもう。

じぶんの子どもがしたり顔でこんなこと言い出したら問答無用で晩のおかず1品抜くぞ!

回答途中の質問箱を後回しにさせおって!


2013年6月4日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その154



カメラを持って出かけると、100枚のうち5枚くらいの割合で建物の解体現場が含まれていることについ最近気がつきました。3日分の写真を整理していたら、それぞれきっちり1カ所ずつで計3カ所のそんな風景が収められていたのです。

何かが壊される過程というのは実際それだけでひとつの美を形成し得るとおもうし、ごくごく小規模な例で言えば僕も単なるオブジェと化したテレビとかラジカセとかパソコンがあると、人目を避けながらこそこそと真夜中の公園とか河川敷に運び出したのち、完膚なきまでに叩き壊してきたものです。箒とちりとりでゴミ袋にざらざら流しこめるくらい跡形もなく砕くことができればまず言うことはありません。使う道具は何といっても掛矢がベストです。なければ玄翁でガマンするほかないけれど、掛矢が大きな弧を描きながら振り下ろされるそのモーション、そのあとにつづく衝撃と粉砕音のセットには腕も心もしびれます。

もともとそういう嗜好があって、その自覚もあるのです。でも考えなしにぱちぱち撮った同じようなスナップが証拠写真みたいにこうして一堂に会すると、じぶんの性癖をあらためてまざまざと見せつけられるようできまりがわるいったらありません。無意識だからよけいに恥ずかしい。





俺たちに茄子はないさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)そういえばこういうストーリー仕立ての質問は初めてかもしれません。


Q: 休日の昼下がり、自宅でスコーンを焼いて優雅なティーブレイクと洒落込んでいたダイゴさんのところに、数回の転生を経て女になった牝フィスト・フェレスがやってきて言います。
「あたしが気に入った奴は白ひげのとこにやらないことにしてるの。さぁ一緒に行くわよ。」
行くって言ったって一体どこへ?問いかけるより早く牝フィストはダイゴさんの手首をつかもうとします。
「ちょっと待ってくれ、せめて身支度ぐらいさせてくれたっていいじゃないか。」
「荷物はあたしのハンドバックに入るくらいじゃなきゃいやよ。そうね、本を三冊くらいなら入るかしら。」
行く先が天国にしろ地獄にしろ沙婆とはこれでお別れなのだと早々に観念したダイゴさんはうなだれながら書斎に向かいます。
「早くしてね。五分で選びなさい。あたしこのあとお買い物したいの。」
牝フィストを恨めしそうに睨むダイゴさん。

さて、何を持っていくことにしますか?(こうしている間にも牝フィストのイライラは鬼灯くらいの厚さしかない繊細な堪忍袋に溜まっていきます。)


A: 遺書でしょうね。




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その155につづく!


2013年6月1日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その153


先日とある町を一人でぷらぷら歩いていると(僕の人生は大半がこのぷらぷらで埋め尽くされています)、大きな看板に出くわしたのです。


目がくりぬかれているのでどこか腹に一物ありそうな、手っ取り早く言えばグレイみたいな感じがするけれども、しかしよくよく見ると愛らしい気もしてきます。いや、気がするというよりたしかに可愛い。見れば見るほど可愛く思えてくるようです。くそ、ナイスミドルなおっさんのしわしわした心を遠慮なく鷲掴みにしやがって、小悪魔め…!と、立ち去るころには本来の用向きも忘れ、すっかりうめりんのこと(もうすこし具体的に言うとたこ焼きっぽい胴体のこと)で頭がいっぱいになっておりました。

なぜ僕がそんな土地を一人うろついていたのかはともかく、越生は梅の町です。梅の町にあって名前を「うめりん」というのだから、これはもう町のマスコットキャラクターと考えてまずまちがいありますまい。

それでまあ後日ふとそのことを思い出して越生町のホームページをたずねると、たしかにそう紹介されています。そしてここで初めて瞳のある完全版を目にしたわけだけれど、やはりカワイイとおじちゃんはあらためておもうのです。



いや、カワイイでしょ、どう考えても!

第一、この完成度は頭の固い役所発信ならまず例外なく放りこまれる所謂「ゆるキャラカテゴリ」と明らかに一線を画しています。

ゆるキャラとはそもそも、高度に発達したキャラクター文化あってこその二次的な文化です。意図してそう仕向けたというより大半は結果としてそうなったものだし、正面よりはむしろななめからの鑑賞が求められます。単純な愛らしさよりもむしろ「応援したくなること」のほうに重点が置かれていると言ってもよろしい。

でもうめりんはちがいます。正面から見てもカワイイもの。パワーパフガールズよりカワイイもの!(注:文化的知識の更新がある時期でストップしているため、たとえが古すぎる可能性があります)

だって見てよこのバリエーション!越生町のうめりん紹介ページからこんなPDFがダウンロードできちゃうんだぞ!


ヤバい。防災袋を背負ったうめりんがヤバい。


ゆるキャラに異をとなえたいわけではもちろんありません。僕だって気づけば家でくまもん印のふりかけをご飯にふりかけています。ただ、うめりんは役所が広告宣伝をゆだねるキャラクターとしてはあまりに上手すぎると言いたいのです。そしてカワイイ。着ぐるみのチープな再現性にちょっと待てと一言申し立てたい件はひとまず先送りするとして、この魅力をみんなもっと知るべきだとおもう。相当イケてるぞコレ!


とまあ、こんな話を持ち出したのも、元はと言えばこんな質問が届いていたからです。



星の瞳のヘルメットさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)「すすき野原の男の子」からもらったヘルメットをいつも持ち歩く女の子のお話ですね。


Q: 小林大吾さんがゆるキャラを作ったら、どうなりますか?


ゆるキャラについての認識を上のように整理してしまった以上、僕にはもう意図せず描くことができません。いかに頭を空っぽにしたところで、どうしても作為がふくまれることになるでしょう。さいわい、こういう分野には僕よりもずっと長じている、うってつけの人物をひとり知っています。ミス・スパンコールです。以前彼女が描いたペンギンを(いいですか、ペンギンですよ)、代わりと言ってはなんですがここに載せましょう。



[名称] ぽこぺん
[出身地] 南極
[生年月日] 2004年3月5日(という記録が残っています)
[身長] 35メートル
[体重] 1万2千トン
[性別] 女の子
[特技] マッハ3で空をとぶこと、火をはくこと
[好きなもの] 平岩弓枝の御宿かわせみシリーズ
[座右の銘] 渡りに船


「なぜ耳があるのか」という素朴な疑問をぶつけたところ、「え?ないっけ?じゃペンギンて耳どこにあるの?」と逆に質問されました。


A: こんな具合です。


ちょっと図体が大きすぎるような気もしますが、じき慣れるとおもいます。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その154につづく!