2015年2月26日木曜日

霊験あらたかな「TRINCH」という一語について


フランス史上最も偉大にして頭のねじが1本どころかダース単位ではずれているド級の顕学、もしくは他に類を見ないほど洗練された変態であるフランソワ・ラブレーの大著「パンタグリュエル物語」は一言で要約するとバーリ・トゥードな航海記です。あっちへ行ったりこっちへ行ったりして一向に埒があかず、長いというより冗長な、とにかく非効率にもほどがある旅路の果てにようやく最終目的地に辿り着くのだけれど、そこで主人公であるパンタグリュエル一行はさる偉大な存在から長らく求めていた待望の御託宣を得ることになります。

それが「TRINCH(トリンク)」という一語です。正確にはこれがどこの言語で何を意味するのかはっきりしないものの、少なくともその場にいた人々はそんなふうに聞こえたし、知識と経験ととりわけ状況に鑑みてこれはおそらく「お呑みあれ」、ざっくり換言すれば「まあ呑め」との仰せに相違あるまい、ということで旅はろくすっぽ得るものもないまま大団円を迎えます。

さんざんどうでもいいことに時間を費やしまくってやっと手にした神託がそれかよ!とおもわず声を出さずにはおれないこの見事な尻切れ(幕切れではない)が大好きで、いつか何かに使いたい、何ならアルバムタイトルでもいい、しかしアルバムタイトルだとカッコよさげに響くばかりでこのハンパないNo Way感がまるで活かせない、なんかないかな、ブランドみたいに使えたらいいんだけどな、ブランドな、ロゴとかな、うむロゴか、お神酒徳利みたいのがいいよな、と出がらしの茶をすすりながらすらすら殴り描きしたメモからロゴを起こしてみたところ

下戸なのに「お吞みあれ」とはこれ如何に

お茶をのんでぼんやりしている間にロゴができてしまったので、できたとなったら使わずにうっちゃっておくわけにもいきません。

そんなわけで霊験灼かなこの一語がこういう形になりました。

TRINCH


すこしずつ増殖していくはずなので、よかったらときどきのぞいてズッキュン(という名の「いいね!」的なアレ)してやってください。これまでにこつこつと積み上げてきたささやかな世界の拡張をまたちがった形でお楽しみいただけますように!そして早くもご注文くださったみなさまにはプールいっぱいのゼリーみたいに大きくてぷるぷるした愛を!

注:お忘れかもしれませんが、小林大吾は詩を書き、ビートを組み、そこにのせて読み、グラフィックをこしらえ、それらをぜんぶひっくるめた結果アルバムを4枚もリリースしている詩人の一種です。


2015年2月23日月曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その203



あとは仕上げをごろ次郎さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: ムール貝博士的略語とも言うべき自分略語はありますか?ちなみに我が家ではお腹がゴロゴロ下った時は、「女神が降臨した」と言います。「うんこ」→「こーうん」→「幸運」→「幸運の女神」と変化し、今は「女神が降臨」になりました。


わかる人にだけわかる共通語、つまり隠語とか符丁のことですね。うんこから女神への鮮やかすぎる反転はまったくお見事というほかありません。文字通りくさいものにふたをするようなロジックとはいえ、女神にまで昇格されたらうんことしても冥利に尽きるというものです。できればその名にふさわしい装いでしゃなりしゃなりと慎ましやかにおいで願いたいものですが、ゴロピカドンときているからにはなかなかそうもいきますまいな。

符丁か……。

そういえば最近、「BK!BK!」と言われててっきりバカの略だとおもい、「何だとこのやろう!」とあやうく血で血を洗う取っ組み合いのケンカに発展しそうになりましたが、よくよく聞いたらこれは「部長を消すよ」の略であり、「なんだ早とちりしちゃった(*´∀`*)」と朗らかに落着したことがありました。

しかし「部長を消す」という暗殺者めいた発言と、それを聞いて「なーんだ」と破顔一笑するこの耳を疑うようなやりとりには、肝をつぶす方もおられましょう。ちょっとおだやかでないというか、率直に言ってあまり家庭的に見えない、もしくは家庭にカウンセリングを要する類いの問題を抱えているのではないかと?

我が家が暗殺を生業とするゾルディック家のような一族であるかどうかについてはあえて否定するまでもないことだとおもいますが、というのはもちろん肯定したところで鵜呑みにする人もなかろうからですが、他のことはいざ知らず少なくともこの件に関してはカウンセリングを要するような話ではありません。何となればウチで「部長を消す」と言えばそれはまっすぐに「ストーブの火を消す」ことを意味しているからです。

ではなぜストーブを消すことを符丁のような物言いで表しているのか(暗殺稼業的にはむしろ「ストーブを消す」のほうが符丁に当たるとおもいますが)というと、これはストーブを日ごろから「部長」と呼び慣らわしていることに端を発しています。いつだったか質問箱でも言及したことがあったような気がしないでもありません。正式名称は「須藤部長」です。「須藤」ではなく「部長」のほうが残ったのは、おそらく彼なしではとても乗り切れない極寒期のパワフルな働きぶりに敬意を表した結果、自然とそうなったようにおもわれます。呼び捨てなんかしたらバチが当たってたんこぶです。そのわりに毎晩判で押したように暗殺されているような気もしますが、翌朝になれば何ごともなかったかのように生き返っているのだし、まああまり深く考える必要もないでしょう。

あとそうそう、いま思い出したけど、うちでは湯たんぽのことを「ぽんた」と呼んでいます。とくに理由はありません。しいて言えば湯たんぽより言いやすいし、可愛いからです。僕らの日々において「可愛い」は神にも似た概念のひとつであり、これに勝る理由なんか何ひとつありはしない、と良い機会だからここで声を大にして申し上げておこうとおもいます。


A: BK→部長を消す→ストーブの火を止める




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その204につづく!


2015年2月20日金曜日

じゆうについて/especially about expression



表現のじゆうには

最大限の敬意を払おう

じゆうの引き金から

指を離してくれるなら


2015年2月17日火曜日

芋を搾取していいのはスイートポテトのときだけだと知れ


灯油の巡回販売で量を1リットルばかりごまかし、浮いた数十円をポッケに入れて小遣いにしてしまうふらちな輩がいるらしいですな。たしかに17リットルなのか18リットルなのかなんて入れてもらう側からしたらわかりっこありません。まったく世の中にはわるい奴がいるものです。

これと同じ不正を、僕はグラム売りの焼き芋屋にやられたことがあります。ちょっと遠い目をしてしまうくらい昔のこと、週末の夕暮れ時で腹がグーと鳴ったところにたまたま例の軽トラが近所を通りがかったから、慌てて部屋を飛び出して声をかけたのです。

「1本ください!」
「グラム売りだけどいい?」
「グラムだとよくわからないです……」
「500gで中くらいの1本くらいだね」
「じゃあ750gで!」
「750だと……こんなもんかな」(と1本選んで計る)
「わくわく」
「よし、おまけしとくよ」
「ありがとう!太っ腹!」

とまあ、うろおぼえだけれどたしかこんなかんじのやりとりで、熱々のイモを手にいそいそとアパートに帰ったのです。靴を脱ぎながらもう食っちまおうとイモを割りかけたところで、冷蔵庫の上に置いてあるプラスチックの秤が目に入りました。その瞬間までとくに気にもしていなかったけれど、手におまけしてもらったイモがあって目の前に秤があるとなれば、とるべき行動はひとつしかありません。

(イモをのせる)

ガシャーン!

600gしかねえじゃねえかぁああああ!

おまけって何だよ!足りてもいないよ!「リップサービスもおまけのうちだよ(・ω<)☆」くらいなら「こいつは一本とられた!(焼き芋だけに)で済みもするけどまさか代金分さえクリアしてないなんて、それとも何か?おまけってのは、いつもならたっぷりピンハネするところを今日は特別にあんまりしないでおいてあげるよとかそういう意味だったのか?

もう一度計ってみよう……

(イモをのせる)

ガシャーン!

せっかく焼きイモでぽかぽかになろうとおもってたのに、頭から湯気が立ちのぼって食う前からぽかぽかです。こんな形で果たされるはずではなかったことさえ目をつぶれば、イモはたしかにその目的を果たしたと言っていいでしょう。こんなことなら何も知らずに小躍りしながら食ってたほうがよほどハッピーだったと悔やんだところで後の祭りです。

それ以来、みずから焼きイモを買ったことはありません。僕はなぜだか昔からしっかりしているように見られがちですが、そう見えるだけで実際にそうだったためしはかつて一度もなく、言いたかないけどドジっ子レベルでわりとちょいちょい痛い目にあっています。

それにしても「おまけしとく」とか言いさえしなければこっちだってそのままほくほくおいしくいただいて秤なんかにのせることもなかったのに、じぶんから進んで馬脚を露わしやがってまったく、バカな野郎だ。そのうちイモに訴えられるぞ!

2015年2月14日土曜日

脱落者/formerly known as the super brother



椎茸を踏みつけ
亀を蹴り飛ばし
花に火をつける
気は晴れない

壁を殴り
小銭を稼ぐも
着の身着のままで
替えの服もない

地下はきらいだ
暗くてさむい
誰かいないのか?
また椎茸を踏む

穴にも落ちた
棘にも刺さった
やることなすこと
命にかかわる

そうして何度
死んだか知れない
おまえのほうが
向いてるよ、ルイージ

全部くれてやる
おれはもう降りた
休ませてくれ
女はもういい


2015年2月11日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その202


なんて素敵にハバロフスクさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 「昔好きだったんだよ」って言う話をした女性に、まだ未練があるんですが、どうすればいいですか。 追伸:12/30のクラス会でその娘にあったんですが、何事も無く終わったので、何とも言えなくなりました、そんなきもちです


切ないですね。コタツに入って放心しながらゆく年くる年を見るともなく見る、なんて素敵にハバロフスクさんの様子が目に浮かびます。年なんか明けなけりゃいいのにとため息をつきたくもなりましょう。ため息といっしょに霊魂までがよれよれと煙のように口から漏れ出てしまうのもむべなるかなです。

しかし現実問題としてどうしたらいいかというと、ここはやはりコタツに入って放心しながらゆく年くる年を見るともなく見るほかない、と言わねばなりますまい。そんなヌルっとした了見で事態が好転すると考えるのは大間違いというものです。

僕の従兄弟の伯母の義弟の奥さんの連れ子の友だちであるジョニやす君は、同じように同窓会で好きな女の子の隣に座り、拭いがたい未練からじぶんの財布を彼女の足下にポトリと落とし、会の解散後に彼女が足早に駈けてきて

「ジョニやす君、お財布!」
「おや!なぜ君が僕の財布を?」
「わたしの足下に落ちてたの」
「やあ、それはどうもありがとう」
「どういたしまして」
「ひとつ借りができちゃったな」
「大げさね」
「大げさなんかじゃないさ!」
「大金でも入れてた?」
「そんなものよりずっと大事なものを入れてたんだ」
「大事なもの?」
「僕にとってはね。知りたい?」
「そうね……聞いてあげてもいいけど」
「どうしてもっていうなら教えるよ」
「そっちこそ、どうしてもっていうなら聞いてあげる」
「しかたないな……じつは写真なんだ」
「写真?……ははあ、なるほどね」
「何?」
「わかっちゃった」
「何が?」
「カノジョのでしょ」
「カノジョか。そうだったらいいんだけど」
「ちがうの?」
「でも世界でいちばん好きのはたしかだね」
「猫とか?」
「ちがうよ」
「ハムスター?」
「なんでハムスター?」
「わたしが好きなの」
「それならハムスターの写真も入れときゃよかったな。でもちがう」
「まさかお母さんとかじゃないでしょうね?」
「まさか!そんなわけないだろ」
「どうだか」
「本当だって」
「恥ずかしがることないのに」
「わかった、そこまで言うなら見せるよ」
「ごめんごめん、冗談だってば」
「見せるけど、でも笑うなよ」
「いいよいいよ、しまっておいて」
「ほら」
「えっ……」
「笑うなよ」
「これって……」
「どうかした?」
「わたしが写ってる」
「たしかに。写ってるのは君だ」
「なんで?」
「なんでってそりゃ……」
「…………」
「話すと長くなるから、お茶でもどう?」
「え?」
「拾ってくれたお礼もかねて。君さえよければ、だけど」
「ははあ……」
「何?」
「計画通りってわけ?」
「ちがうよ、まさか!」
「顔赤いよ」
「勘弁してくれ」
「ま、いいけど。奢られる理由はたしかにありそう」

とまあそんなかんじのシナリオを脳内に描き、淡い期待に胸をふくらませていたものの、気がついたら彼女は別の友だちと連れ立ってどこかへ消えており、そのまま財布もどこかへ消え失せて踏んだり蹴ったりのたいへん気の毒な男ですが、財布の使い方がどう考えても間違っている点はさておき、不用なワンクッションをはさめばどうしたってこうなるのは目に見えています。お茶に誘いたければ初めからそう言えばいいし、未練があるなら過去の話として水を向けたりせずに今もそうだとはっきり申し出ればよいのです。

もちろん、それができれば苦労はありません。ですよね?正直に言えば、僕もたぶんできないとおもう。でもだからといって相手の出方をうかがうようなやりかたが誠実かと言えば、それはやはりちがうと僕はおもいます。できれば傷を負わずに済みたいのはよくわかるし、あわよくばというきもちもよくわかるけれども、だとすれば二の足を踏むことによって得た結果は甘んじて受けなければならないし、もっと言えばしょんぼりする資格もないのです。

ただし、朗報もあります。つかもうとさえしていないのだから、実のところまだ何も失っていない、というか失いようがありません。失ったように感じるとしたらそれは単なるシミュレーションの結果です。必要にして十分なこの事実を踏まえた上で、あらためて自らの胸の内と向き合いましょう。伝えるもよし、伝えぬもよしです。僕としても夜更けの屋台で肩を並べておでんをつつきながらしょんぼり一献傾ける準備はできています。振られる前提じゃねえかとお思いかもしれませんが、振られずにすむ人生ほどいけすかないものはありません。存分に砕け散ってきてください。両手を広げてお待ちしています。


A: 顔を洗って出直しましょう。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その203につづく!

2015年2月8日日曜日

打たれて火花散らす鉄の輪っかの美について

Tシャツ着たおばちゃんに見える大仏


骨董市をぷらぷら歩いていてふと、木彫りの大きな鉢のなかでじゃらりとわだかまる、いかにも古そうな鎖が目に入ったのです。太くて、ゴツくて、もちろん赤黒く錆びていて、一抱えほどもあります。骨董なんだから何が置かれていたってふしぎはないし、僕も長い年月をへた古民具には理解があるほうだとおもうけど、だからといって古けりゃ何でもウェルカムということにはあまりなりません。その魅力がいったいどこにあるのかちっともわからないこともしょっちゅうです。

醸し出す雰囲気からして、その鎖がいいものであるらしいということは経験的にわかります。同じようにそれが4ケタで買えるものではないこともなんとなく察せられます。だとすればそれに見合うだけの意味や魅力がそこにあるはずです。でもそれがわからない。どんな人が手に取って、その鎖のどこに目を留めるんだろう?

とあれこれ思いを巡らしていたら折よくひとりの男性がやってきて木鉢に目をやり、鎖に手を伸ばしたのです。同時に奥で控えていた店の主人も腰を上げて男性に声をかけます。

「どうですか?」
「うん、いいね」
「良い鎖ですよね」
「いつの?」
「江戸中期くらいですね」
「ふーん」
「仕事ぶりもいいし」
「そうだね」
継ぎ目なんかもね」

……継ぎ目?継ぎ目がなんだっていうんだ?

結局その男性は鎖を木鉢に戻して立ち去ったのだけれど、気になって仕方がないからおそるおそる主人に声をかけて尋ねました。

「あの、さっきの」
「はい?」
「継ぎ目ってなんですか」
「ああ、鉄を輪にすると切れ目ができるでしょ」
「それがどうかしたんですか」
「それがないってこと」
「ない?」
「ていうか、継ぎ目を丁寧につぶしてあるんだね。ほら」
「うわっホントだ。継ぎ目がない!
「ちゃんとした鎖はみんなそうだよ」
「そうなんだ……」
「鍛冶屋の仕事ぶりがわかるよね」

図解しましょう。

鎖の原型はこう。鎖が鎖として体を成す、これが最低限の仕事です。


そして強度を保つために継ぎ目を溶接するとこうなります。言われてみればよく見る鎖はこのタイプのような気がする。


しかしきちんと鉄を打って継ぎ目をつぶすと、仕上がりはこうなります。


美しさのちがいは一目瞭然です。同時にそれがルーチンでさくさくできるシンプルな仕事では全然ないこともよくわかります。何しろ真っ赤に熱した鉄の輪ひとつでも繊細な作業なのに、つらなる輪っかすべてに対して同じように神経を注がなくてはいけないのです。時間もかかるし、技術も要る。しかもそれが何のためって用よりは美のためなんだから、くらくらしてきます。

もちろん知る人にとっては些細なポイントなんだろうけど、裏を返せば知らないと気づかないような部分に職人の技量と美意識が注がれているわけだから、やはり目を瞠らずにはいられません。扉の外からでは部屋の奥行きを窺うことはできない、というごくごく当たり前のことをあらためて思い知らされます。おもいきってノックしてみてよかった。

瞠った目からウロコがぽろぽろ落ちて、うっかり「これください」と言いそうになりました。さすがに言わなかったですけど。

2015年2月5日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その201



傘だ!


骨折りゾンビのくたびれ儲けオブザデッドさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 読書の際の栞は何を使いますか。


そうですね、ページの間に何かがはさまっていればよいので、あまりこだわりはありません。山ごもりのついでに拾ってきた葉っぱとかでも個人的にはオーケーです。枯れ葉はぱりぱり砕けてしまうので、できればしっとりと手になじむ新鮮な葉っぱがよいとおもいます。イチ押しはクヌギですね。形といい、薄さといい、とくに青葉は日に透かしたときの色合いがきれいで、しおりにはうってつけです。ドングリごとはさんでおけばちょっとしたアクセントにもなるし、読書に飽きたらドングリに爪楊枝を刺してやじろべえにしたり独楽遊びもできます。アク抜きをすれば食料として保存も可能です。読みながらナッツのようにぽりぽり食べたいという人はクヌギよりもアクの少ないスダジイを選びましょう。

徹底したインドア派で、葉っぱなんて拾いに行ってられないよ、という人にはバランもいいですね。バランとは寿司とか弁当によく入っている、緑色のぴらぴらした仕切りというかムードメーカーというか、あるとそれっぽく見えるけどなくてもそんなに困らない、ビニール製のアレのことを言います。本来は「ハラン(葉欄)」という植物を模したものだそうです。画像を検索するかぎり共通するのは緑色をしていることくらいなので、どこをどう模すとこうなるのかさっぱりわかりませんが、とにかく社会通念上はそういうことになっています。本にはさむときは一度洗って、乾かしてから使ってください。またバランにも「山型」「関所型」「三本杉1号〜3号」「豆バラン」といろいろ種類があります。スーパーやコンビニの弁当コーナーでしおりのための品定めをする際には注意が必要です。

ドングリに戻って、いえもちろんしおりの話のつづきですが、小腹が空いてもへっちゃらなスナックしおりとしては、ビーフジャーキーがその威力を遺憾なく発揮してくれます。何しろ肉です。実際のところ何の肉だかよくわかっていなかったり、もぐもぐやりながらふとパッケージを見たらオーストラリア産のカンガルーでびっくりしたこともありますが、肉にはちがいありません。これとナッツ類と水さえあれば多少の遭難も恐るるに足らずです。そして本も読める。鼻歌まじりの充実した遭難が期待できます。

他にもためした例を挙げると、干しイモはカビやすく、するめはにおいがあり、韓国海苔は油っぽく湿気に弱いため、しおりにはあまり向かないようです。菜食主義にはかんぴょうあたりがいいでしょう。

お金が湯水のようにあって使い切れないよ、というときはしおりに紙幣を使います。気っ風の良さでは一万円札ですが、デザイン的にはやはり二千円札がすてきです。また海外には美しい紙幣がいろいろとあるので、外国文学ならその国に合わせたコーディネートも楽しめます。僕が好きなのはフランス領ポリネシアの紙幣です。

いえ、断じて空しくなんかありません。どのみち果敢ない人生です。夢くらいみたって罰は当たりますまい。


A: ビーフジャーキーです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その202につづく!

2015年2月1日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その200


とくにこれと言って焚き付ける薪もないけれど、かと言ってそのままうっちゃればそれでなくとも弱々しい火があっという間に絶えてしまう、というかまあ絶えたところでどこかに累が及ぶでもなし、浜辺の砂がひと粒失せるくらいのことだから別にかまわないようなものだけれど、とはいえどうにかこうにかこうしてやってきたのだからここで絶やしてしまうのはいかにも惜しい、という非積極的(消極的ではない)なモチベーションによってギリギリ保たれてきた当ブログのもはや命綱とも言うべき優良穴埋めコンテンツ、「ムール貝博士のパンドラ的質問箱」もめでたく200回を迎えることとなりました。今や年賀状キャンペーン以外で質問が届くことなどほとんど皆無であり、したがって実際のところどこからも求められていないという些末な点をのぞけば、概ねいいかんじであると言っていいでしょう。それもこれもみなさまによる温情のおかげです。ありがとうありがとう!

そんな質問箱の200回到達を記念して、今回は厳選に厳選を重ねた、誰にとっても読み応えのない無益な質問の数々をこの上なく今さらなタイミングでお送りします。心ゆくまでおたのしみあそばせ!


モッチもにさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)「モチっとLOVE」でデビューしたアイドルユニットですね。


Q: お雑煮にはお餅を何個いれますか?

A: 1コです。



あの日焼いたモチの名前を僕達はまだ知らない。さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: お雑煮の餅は何個入れますか?とかいってまたあとから食べるんでしょ?この食いしん坊め!というビッグなお世話により餅を半ば無理やり追加されそうな時の対処方というか角の立たない言い回しはあるのでしょうか

この質問自体が半ばむりやり追加されたお餅のようですね。

A: 「お気モチだけで十分です。」


世界中のモチよりきっとさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: お正月のお雑煮にお餅は何個入れますか?

数分前にお答えした気もしますが、減るもんでもないし、よろこんでお答えしましょう。

A: 1コです。





空とモチの間にさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: なぜお雑煮は正月にしか食べないのでしょう?おいしいのに正月以外にはまったく食べたくなりません。

A: それはお雑煮がクリスマスケーキみたいなものだからです。


空とモチの間にさんから2つめの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: あ、あと大吾さんの好きなお雑煮の具を教えてください。

A: ちぢみほうれん草です。


モチといつまでもさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: 家が寺なので年中餅ばかり食べてます。雑煮には飽きました。美味しい餅料理を教えてください。

切迫した状況がみしみしと伝わってくる、力強い一文が印象的です。「このままでは雑煮になってしまいます」と言われているようで、なんとなく急き立てられます。どれだけ雑煮を食おうと人が雑煮になることはない、という点だけは請け負っていいとおもいますが、生半なお答えでは舌打ちされるのではないかと気が気ではありません。

僕のオススメはこうです。餅を1、2センチの賽の目に切り、油で揚げます。中火で3分くらい油の中をコロコロと転がし、キツネ色になったら油を切ります。熱いうちにパラパラと塩をふって出来上がりです。

要はおかきですが、経験から言って同じ量でもおかきのほうがポイポイ口に入ります。お好みで胡椒、青のり、もみのり、七味なんかと合わせたりしてバリエーションを増やしましょう。もはや餅ではありません。色白の学級委員が髪を染めてクラブに繰り出すようなものです。新たな一歩を踏み出した餅に祝電の1本でも打ってあげてください。

A: おかきにしましょう。


その男、モチにつきさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: とっておきのお餅の食べ方があれば教えてください。

箸を手にしたままのバンジージャンプで地上の皿に置かれた餅をやさしくつまみ、反動で空中に戻りながらぱくりと食べるのなんか、ちょっとオツだとおもいます。できるだけ先延ばしにしたいという意味ではまさしくとっておきであり、そのまましまいこんで忘れるにこしたことはない、そんな食べ方です。

ひょっとしてレシピのことだったかな、という気がしないでもないですが、まあ誤差の範囲内でしょう。

A: ポイントはゴムの長さです。



そしてモチになるさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: お餅の好きな食べ方あるいは、好きなつき方について

A: 大根おろしで食べる辛みもちが好きです。


ちょろ木ちょろ彦さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)チョロギというのはおせちなんかに入ってるチョロッとしたイモ虫、もしくはさなぎのような形の、路上だったら真っ先に職務質問の標的にされそうな球根のことです。花言葉は「驚き、楽しい人生」だそうですが、球根を見たらそりゃそういうことになるでしょうねと言うほかありません。

さらに一歩踏みこむ勇気をお持ちの方は、めくるめくチョロギの世界へと半ば強引にいざなってくれる日本チョロギ愛好会への入会をお勧めします。

日本チョロギ愛好会

チョロギ好きのチョロギ好きによるチョロギ好きのための充実っぷり甚だしいコンテンツの数々にチョロギ酔い必至です。

Q: おせちの具は何がお好きですか

A: 黒豆です。


ハッピーニューギニアさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: なぜ年が明けると、めでたいのでしょうか?

A: そうでもおもわないことにはやってられないからです。


一富士二ジャック・サマースビーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: 新年の正しい過ごし方を教えて下さい。

タオル地のバスローブを羽織り、ふかふかのソファに腰を沈めながら、指先でワイングラスを揺らし、日付変更線の向こうで地団駄を踏む去年に電話をかけ、じぶんの身柄が今や治外法権に置かれていること、追ってきても無駄だということ、君ともいろいろあったがすべて水に流すと言って一方的に関係の終わりを告げ、喚き散らす去年にもかまわず通話を切り、着信拒否の設定をしたのち、これから始まる新年との爛れた愛欲ライフに目尻を下げるのがおそらく正しい過ごしかただとおもいます。

A: 歯ぎしりする去年を尻目にワイングラスを傾けましょう。


枯れ木も山のジャミロクワイさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q: お正月の楽しみはなんですか?

A: ひとり暮らしの伯母の家に行って毒を吐くことです。


200回にふさわしい質問の数々をありがとう!

質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その201につづく!