Tシャツ着たおばちゃんに見える大仏
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骨董市をぷらぷら歩いていてふと、木彫りの大きな鉢のなかでじゃらりとわだかまる、いかにも古そうな鎖が目に入ったのです。太くて、ゴツくて、もちろん赤黒く錆びていて、一抱えほどもあります。骨董なんだから何が置かれていたってふしぎはないし、僕も長い年月をへた古民具には理解があるほうだとおもうけど、だからといって古けりゃ何でもウェルカムということにはあまりなりません。その魅力がいったいどこにあるのかちっともわからないこともしょっちゅうです。
醸し出す雰囲気からして、その鎖がいいものであるらしいということは経験的にわかります。同じようにそれが4ケタで買えるものではないこともなんとなく察せられます。だとすればそれに見合うだけの意味や魅力がそこにあるはずです。でもそれがわからない。どんな人が手に取って、その鎖のどこに目を留めるんだろう?
とあれこれ思いを巡らしていたら折よくひとりの男性がやってきて木鉢に目をやり、鎖に手を伸ばしたのです。同時に奥で控えていた店の主人も腰を上げて男性に声をかけます。
「どうですか?」
「うん、いいね」
「良い鎖ですよね」
「いつの?」
「江戸中期くらいですね」
「ふーん」
「仕事ぶりもいいし」
「そうだね」
「継ぎ目なんかもね」
……継ぎ目?継ぎ目がなんだっていうんだ?
結局その男性は鎖を木鉢に戻して立ち去ったのだけれど、気になって仕方がないからおそるおそる主人に声をかけて尋ねました。
「あの、さっきの」
「はい?」
「継ぎ目ってなんですか」
「ああ、鉄を輪にすると切れ目ができるでしょ」
「それがどうかしたんですか」
「それがないってこと」
「ない?」
「ていうか、継ぎ目を丁寧につぶしてあるんだね。ほら」
「うわっホントだ。継ぎ目がない!」
「ちゃんとした鎖はみんなそうだよ」
「そうなんだ……」
「鍛冶屋の仕事ぶりがわかるよね」
図解しましょう。
鎖の原型はこう。鎖が鎖として体を成す、これが最低限の仕事です。
そして強度を保つために継ぎ目を溶接するとこうなります。言われてみればよく見る鎖はこのタイプのような気がする。
しかしきちんと鉄を打って継ぎ目をつぶすと、仕上がりはこうなります。
美しさのちがいは一目瞭然です。同時にそれがルーチンでさくさくできるシンプルな仕事では全然ないこともよくわかります。何しろ真っ赤に熱した鉄の輪ひとつでも繊細な作業なのに、つらなる輪っかすべてに対して同じように神経を注がなくてはいけないのです。時間もかかるし、技術も要る。しかもそれが何のためって用よりは美のためなんだから、くらくらしてきます。
もちろん知る人にとっては些細なポイントなんだろうけど、裏を返せば知らないと気づかないような部分に職人の技量と美意識が注がれているわけだから、やはり目を瞠らずにはいられません。扉の外からでは部屋の奥行きを窺うことはできない、というごくごく当たり前のことをあらためて思い知らされます。おもいきってノックしてみてよかった。
瞠った目からウロコがぽろぽろ落ちて、うっかり「これください」と言いそうになりました。さすがに言わなかったですけど。
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