2023年12月31日日曜日

あるいは腐れ縁としての冷え性のように


シーラとプリンセス戦士(She-Ra and the Princesses of Power)」という、ベタにもほどがあってなんならちょっと萎えるタイトルのアニメがあります。主要なキャラクターに明確な男子が一人二人しかいないので、男児よりは女児向けです。それでいてある星を舞台にした戦争を描いています。バランス感覚が妙な気もするけど、それはそれでまあよろしい。


作画がチープでどうも感情移入しづらいという唯一にして致命的な点を除けば、これはまちがいなく価値ある作品です。とにかくストーリーとキャラクター造形と関係性がめちゃめちゃいい。まさか終盤で号泣することになるとは思わなかったし、回を重ねるごとに敵と味方が入れ替わったり、区別が曖昧になっていくところもいい。ヒーローの一人だったキャラがいつの間にか敵の参謀になってるのなんか最高です。

物語は主人公であるアドーラが、敵の侵攻を防ぐべく母国の兵士として初陣に臨むところから始まります。正義感がつよく、幼いころから訓練に勤しんできたのでやる気満々です。しかし悪だと信じていた敵がどうもそうではないらしいこと、善だと信じていた自分たちの立場がどうもそうではなかったらしいことに、わりと早々で気づくことになります。そしてアドーラはかつての敵側に寝返り、葛藤を抱えながらも戦士としてかつての味方たちと戦う、全体としてはそういう流れです。

何と言ってもこの作品の肝は敵対することになる大親友との関係性にあり、その他キャラも魅力的でその動向にいちいち目が離せないのですが、それはひとまず傍に置いておきましょう。僕が今も考えさせられるのは、それぞれがその立場にあるのにはそれぞれ理由がある、という点です。

よくよく考えたらそりゃそうだし当たり前なんだけれど、そもそも「自分が間違っている」という認識はわりとストレートにアイデンティティの崩壊につながります。誰もがそれを克服して乗り越えられるわけではない。だとすれば否定に抵抗するのはごく自然なことだし、自らを守るためにこそ争いは続きます。そしてその際に拠り所となるのは間違っていないという認識、つまり正しさです。おまけに正しさは対立するものをただ打ちのめすだけで、浄化してくれるわけでは全然ない

ひょっとしてことの大小を問わず平和を阻害しているのは他ならぬ「正義」なんじゃないのか…?

ごくごく個人的な、理不尽としか感じられない現在進行形の困った事態も考え合わせながら、川面に石を投げる年の瀬です。


それはまあさておくとして、今年もまたアグロー案内シリーズをVOL.4VOL.6までぶじリリースすることができました。それもこれもご愛顧くださるみなさまと御大タケウチカズタケのおかげです。音源にしてもライブにしてもあまりにおんぶに抱っこすぎて、僕の役割が一体なんだったのかいまいち思い出せないくらいです。しかし自分の名前が連なっているのはたしかだし、何かしらの寄与はしたと信じたい。


そしてライブです。今年はさらに珍しく愛知、大阪、兵庫を巡るツアーもありました。最後の東京と合わせて4回、これがどれも掛け値なく楽しかった。僕がというよりその場にいたみんなで楽しんだという印象がいつになく大きくて、いまだにふとした折に思い出しては頭のなかでもぐもぐと反芻しています。


遠方からとか、数年ぶりとか、1度ならず何度も足を運んでもらったりと、これほど冥利に尽きることはありません。本当に本当にありがとう。

そういえば今年のライブでは、スタンドを使わずにハンドマイクでのパフォーマンスになりました。

そもそもはやむを得ない事情からで、まともに使ったことないしぜったいムリだと駄々をこねていたのだけれど、何しろやむを得ない事情なのでどうにもならず、それならこの機会に思いきって慣れてしまおうと切り替えた結果、4つのライブすべてがハンドマイクになりました。細々とはいえ20年やってきてやっとマイクを手に握るなんて、われながらちょっとすごい話です。何かこう、生物として進化したような趣さえあります。個人的には今年のかなり大きな変化のひとつです。マイクって意外と重いんだなあとかそういう微レ存レベルの発見を人生の転換点として自分史に刻む人はそうそういないのではありますまいか。

変化で思い出したけど、リーディングのフェーズが変わったのも、たしか今年です。一貫して変わらなかった言葉の乗せ方が、新たなフェーズでは最終的にどう乗るのか自分でも予測不能になった点で、僕としては目からウロコどころか目ん玉が転がり落ちるほど革命的なことだったとおもいます。歩いてきた道の先にまさかこんな開けた草原があるなんて、想像もしてなかった。そのきっかけが新しい「ジョシュア2023/fishing ghost revamped」で、その結実が「前日譚/no news is good news」と「ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!」です。

そして改めて、タケウチカズタケなくしてこれらの劇的な変化は訪れなかった、と声を大にして申しましょう。僕にできるのは、他所ではできない音楽的な実験を存分にしていただくべく、アグロー案内を捧げることだけです。こんなことくらいしかできなくてほんとすみません。

そう考えると今年のライブで感じたあの全体的な雰囲気の良さには、こういうちょっとした僕自身の変化も影響していたのかもしれません。何がどこでどうつながるか、わからないもんですね。

といってライブをすることにならないのがKBDGなわけですけれども、それはまあいつものことだし、またないとも限りません。仮に来年はなくとも、再来年があります。再来年がなくともやっぱり年は明けるし、季節も巡ります。それが人生というものです。ひきつづき、冷え性のようにお付き合いいただけたらとおもいます。

今年もありがとう!良いお年を!

2023年12月26日火曜日

2024年末における安田タイル工業の現状について


さて、実際のところ僕にも全然わかっていないのですけれども、社内でいざこざがあったように思われてもいけないので、お話ししておかなくてはなりますまい。例年ならこの時期、必ず何かしらの動きがあった安田タイル工業ですが、今年はありません。

なぜないのかというと、専務が不在だからです。そしてなぜ専務が不在なのかというと、これが僕にもよくわかりません。何しろ専務からの消息が今年の2月末からパタリと途絶えたままだからです。


このやりとりを最後に、専務からの連絡は今に至るまで一切ありません。

彼の身に何か起きたのは確かです。そしてかなり逼迫したのっぴきならない状況であったことも、間違いありません。なぜそれがわかるかというと、最後の連絡から数日後に大川隆法が亡くなったにもかかわらず完全に無反応だったからです。

これはあまり公にはしていなかったかもしれませんが、専務は彼の大ファンです。というとあまりに語弊がありすぎるので釘を差しておくと、信者ではもちろん全然なく、ある種のタレントとして時々その動向を気にするくらいには心を寄せていた、というのが正しい。町でポスターなり関係する印刷物を見かければそれを撮って一方的に送りつけてくる、そういうスタンスです。この例にかぎらず専務はアウトローであればそれが誰であれふらふらと吸い寄せられる習性があります

したがって、その逝去に対して何ひとつ反応がないとすればこれは明らかに尋常ならざる事態であると申せましょう。それでなくとも専務は根っからの根無草なのでいつものようにしばらく放置していたものの、ここに至ってさすがに僕も専務に何かが起きていることを明確に認識した次第です。

その後の回りくどい調査によって、生存は確認されています。おそらくそうだろうと考えていたことのひとつが実際にそうであったこともはっきりしたし、その上でどうにかこうにかやっているらしいこともわかっています。しかし直接的なコンタクトは今もってありません。

また、とくに仲違いをしたわけでもありません。もちろん僕がそう思っているだけの可能性もないではないけれども、消息を絶つ直前までふつうにやりとりがあったことを考えると、想定外の何かが起き、その影響でそれまでの日々をリセットしようとしている可能性のほうが高いと個人的には感じられます。

そしてそれ以外のことは、主任である僕にも何ひとつわかりません。僕の手元にあるのは間接的に得た情報とそこからのささやかな推測にすぎないのです。

僕にできるのは専務の席を空けたまま、今までと同じように保ち、待つことだけです。しれっと帰ってくるかもしれないし、あるいは二度と帰ってこないかもしれない。神のみぞ知ると言うほかありません。

心配は無用です。少なくとも僕はもう心配していません。いずれまた何ごともなかったようにかつての日々がのそのそと動き出すときをぼんやりと夢想するばかりです。時が止まったと受け止めるのが一番いいかもしれない。

これが現状であり、現時点での結論とその報告になります。読みかけの本に栞を挟んで閉じるように、パタンと胸にしまってもらえたらうれしい。

まさか年末まで完全に無沙汰とは思ってなかったですけど。




2023年12月23日土曜日

マサキ香油より龍涎香の供給再開のご案内


平素は格別のご愛顧を賜り誠にありがとうございます。

長らくお待たせしております弊店の龍涎香について、このたび数十年ぶりに龍1体との第3種接近遭遇および唾液の採取に成功、精製に一定の目処が立ちましたのでご案内いたします。

龍涎香とは龍の唾液が自然に凝固した、きわめて特殊な神秘の結晶です。龍ほどではないにせよやはり希少なマッコウクジラの腸内結石を意味するようになった現在でも、弊店では元来の成分と無二の香りを未来へと引き継ぐべく意固地に伝統を守り続けております。

その香気には心身にかかる重力を緩和する作用があり、ひとたび身にまとえばふわりと浮き立ち、物理的にも地に足がつかないこと請け合いです。また今季遭遇した龍は健康状態も良好で、いつになく格別の香水に仕上がりました。古代の東洋を代表する極上の香りを、この機会にぜひお楽しみください。


マサキ香油の創業は、扇谷上杉家の忠臣であった河鯉佐太郎孝嗣がいろいろあって一から出直すためにその名を政木大全と改めた文明15年(1483)に遡ります。政木とは孝嗣を育てた乳母の名であり(一説には九尾の狐であったとも言われています)、紆余曲折の生を送った彼女が最晩年に宿願叶って美しい白龍と化した際、こぼれ落ちたひと掬いの唾液(龍涎)を孝嗣が形見として身にふりかけ、日々のおしゃれに活用したことが始まりです。またその類まれにして芳潤たる香気は世間にも広く知れ渡り、中でも当時人気絶頂だった8人組ボーイズグループのメンバー犬江親兵衛と犬坂毛野がこれを生涯愛用したと伝えられています。



今回は龍涎香のかつてない上出来を記念いたしまして、わずかではございますが若干名にこの逸品をお贈りすべくご用意しております。

ご希望のかたは件名に「マサキ香油の龍涎香」係と入れ、

1. 氏名
2. 住所
3. わりとどうでもいい質問をひとつ

上記の3点をもれなくお書き添えの上、dr.moulegmail.com(*を@に替えてね)までメールでご応募くださいませ。

ただし今年は!わりとどうでもいい質問にNG項目を設けます「二択」は禁止です。それくらいの希望は許されるとわれながら思います。

締切は12月29日金曜です。(仮に抽選となった場合でも、いただいたメールには必ず返信しています)

応募多数の場合は抽選となりますが、そう言っておかないと立つ瀬がない認知度とささやかな虚栄心をお汲みいただければ幸いです。

今年もありがとうー! 

2023年12月15日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その410


鼻もげたさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)

Q. 今までやってこなかったことにもスッとチャレンジできるような行動力ある人間になりたいものですが、なぜ人は新しいことを始めるのにあれほどエネルギーを使うのでしょうか?


なぜ人は新しいことを始めるのにあれほどエネルギーを必要とするのか…それはヒトにかぎらずおよそすべての生物がそれまで経験していないことにエネルギーを費やすようにはできていないからです。得られるエネルギーはもっぱら生存戦略と生殖に消費されます。美味しいと評判の店で並んだり街中でフラッシュモブを始めたりすることはそこに含まれていません。

個体の役割が高度に分化された超社会性生物として知られるアリでさえ、M-1の勝者を予測したりはしません。なんとなれば生存と繁栄に何ひとつ寄与するものではないからです。仮に予測どころかM-1に参加する強気なアリがいたとしても、これが例外中の例外であることに異論の余地はないでしょう。

また中には桃から生まれた少年の供をして鬼退治に参加する危篤な動物もいますが、それは生存を脅かす極めて高いリスクと美味しい団子が釣り合うと考えるちょっとバカな例外であって、ふつうはやはり付き合いません。僕がサルなら群れにおけるボスとしての地位を見返りとして要求します。

そう考えると、むしろ桃から生まれた少年の依頼を断るほうが生存戦略的に高リスクであると判断した可能性のほうがよほど高いと言わざるを得ません。団子をもらえるだけましだというわけですね。

ただヒトの場合は他の生物とちがってとにかくいろいろ複雑なので、純粋に生物としての戦略も多岐にわたります。とりわけ自身の価値を高めることは、生存と生殖に大きく寄与すると言ってよいでしょう。学歴を高めたり、容姿を磨いたり、社会的地位を獲得したり、スキルを身につけたり、ジムに通うことなんかはもちろん、推しに誰よりも課金することさえ究極的には生存戦略の一部であると見做せます。考え始めると切なくなってきますが、しかたがありません。

生物としての天敵が存在せず、生命の維持が他の生物に比べて圧倒的に保証されている以上、本来であれば危険回避のために消費されるはずのエネルギーは当然、他の生物ならエネルギーを振り分けるはずのない行動に回されます。そこで初めて、「今までやってこなかったことにチャレンジする」という姿勢が意味をもってくるのです。

しかし実際のところ、これは魅力を高めることにはなっても、生命の維持に直結するわけではありません。チャレンジしなくても生きることそのものに支障はないという状況においては、必要性がそこまで高くないのです。

新しいことにチャレンジするよりもすでに経験済みのことを強化する、具体的には例えば推しにさらなる課金をすることと比較できてしまうくらいには、必要性が低い。腰が重くなるのも無理はありません。

何でもそうですが、個人的にはまずごく小さなことからチャレンジするのがよいと思います。具体的にはうな重を並から特上へランクアップするようなことです。何にもならないと言えば何にもなりませんが、今までしたことがないなら条件はクリアしているし、経験値も上がります。そしてその経験値がいずれ、エアギター選手権に出場することにつながっていかないとも限りません。千里の道も一歩からです。まずはうな重あたりから始めてみてください。

もしすでに特上がデフォルトだったらすみません。


A. ヒトにかぎらずおよそすべての生物がそれまで経験していない新しいことにエネルギーを費やすようにはできていないからです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その411につづく! 

2023年12月8日金曜日

小さなネジの職場放棄は何を意味していたのか


そのとき、ぽろりと眼鏡が落ちたのです。

目がいい人にはわかりづらいかもしれませんが、眼鏡はふつう、ぽろりと落ちることはありません。足首をつかまれてブンブン振り回されたとしても、頭に血がのぼるだけで眼鏡が飛んでいくことはおそらくないでしょう。ましてやただ立っているだけでぽろりと落ちることはまずありません。

それが落ちたのです。拾い上げて見るとレンズとつるが別々のパーツに分離してしまっています。そしてその両者をつなぐはずのネジがない。なぜいきなりネジが消失するのかさっぱりわかりませんが、とにかくない。損傷しているわけではないけれど、ネジがなければどのみち使えません。

そしてこれまた目がいい人にはわかりづらいと思いますが、このネジは異様にサイズが小さく、全長5ミリもありません。指でつまむにも苦労するほどの小ささです。ピンセットの方が圧倒的につまみやすい。日常生活で使われるネジとしてこれが最小なんじゃないだろうか。


それが今、床のどこかに転がっている…これはもう…見つけ出すのはムリだ…とあきらめかけたとき、タケウチカズタケが「あった」と指に乗せたネジを差し出すのです。その場にいた人々の尽力と奇跡にも似た幸運によって、眼鏡はすぐに修復されました。見つけてもまたすぐ落として失くしそうなほど小さなネジですよ!

なぜタケウチカズタケがいるかというと、そこが晴れたら空に豆まいてのステージ上であり、もう目前に迫るライブのリハ真っ最中だったからです。

なぜ貴重なリハの時間を極小のネジのために数人がかりで浪費しなくてはならないのか、見つかったからいいものの見つからなかったら十数分後にオープンが迫るライブをどうしのぐつもりだったのか、というかそもそも一体なぜこのタイミングで自然に分解などするはずもない眼鏡がいきなりぽろりと分解するのか、近々によくないことが起きる前ぶれとしか考えられません。まさかライブ中に何か…

相変わらず写真がリハのしかない

と、じつは人知れず戦々恐々としていた アグローと夜 2023@代官山 晴れたら空に豆まいてびっくりするほど何ごともなく、大盛況のうちにぶじ幕を下ろすことができました。ありがとうありがとう。

平日のわりと早い時間スタートにもかかわらず、思いのほか多くのみなさまにご来場いただいたばかりか、近年稀に見る雰囲気の良さで、終演後はまるで披露宴のようでした。ライスシャワーが降り注いでいたような気がするくらいです。

今回も一人一人お話させてもらったけど(お待たせして申し訳ない…)、いつになく初めましての人が多かったのもうれしい驚きです。思いきってやることにして本当によかった。

印象的だったのは、キッチンがてんてこまいになるほど、フードの注文がたくさんあったことです。この事実ひとつとっても、イベントそのものを丸ごと楽しんでもらえたことがすごく良くわかります。終演後に食べたいとお願いしていた僕の分が危うくなくなるところだったそうなので、尋常ではない。スタッフのみなさんもよろこんでくれて、僕とタケウチカズタケが何かこう善行を施したかのような、終始温かい空気に包まれておりました。


それもこれもすべて、本当に何もかも常に低体温のわたくしを支えてくれるみなさまと、御大タケウチカズタケのおかげです。この夜の温かさは、カズタケさんと晴れ豆スタッフが古くからの付き合いで言わずとも通じるものがあったこととも大いに関係があります。そりゃごはんも食べたくなるし、美味しいわけだし、楽しくなるというものです。とにかく大団円だったと拡声器で叫びたい。

本当にありがとう。そしておつかれKBDG。またお目にかかる機会が巡ってきますように。

唯一気になるとすれば開演直前にぽろりと落ちたあの小さなネジのことです。あいつの突然の職務放棄は何を意味していたんだろう?

2023年12月1日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その409


はいからさんが盗塁さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 新しいノートの1ページ目で失敗したとき、自暴自棄にならないために、気持ちのザワつきをやり過す良い方法はありますか?


これまた深みのある質問ですね。人生とちがってやり直そうと思えば数百円でやり直せてしまうあたり、人としての本質的な何かを試されているようです。

目を閉じれば堆く積まれて聳え立つノートの山がありありと脳裏に浮かびます。これまでにいったい何冊分の1ページ目を失敗してきたのか、今さら数えてみる気にもなれません。実際にノートがあろうとなかろうと、僕らの日々には常に「新しいノートの1ページ目」がついて回るのです。

何しろ1ページ目というのは、ページだけでなくそもそもノート全体が無垢です。それは言ってみれば白く光り輝いている天使に初めての刺青を彫るみたいなことでもあります。全身が刺青まみれの天使なら僕だって気にせずひとつ彫ってやろうと腕まくりをするでしょうが、最初となるとさすがに二の足を踏まざるを得ません。1ページ目を失敗するというのはつまり、これまで一度も刺青を入れたことのない天使の腕に PEACE と彫るつもりがまちがえて PIECE と彫ってしまうようなことなのです。これがいったいどれほど重い罪になるのか、想像してみていただきたい。ちょっと手を加えて ONE PIECE にしてしまえば単なる欠片からひとつなぎの大秘宝にランクアップできるので多少は緩和される気がしないでもないですが、いずれにしても何でだよという誹りを免れることはできません。というか天使って怒るんだろうか…。

幸いノートは天使ではないので、仮に失敗しても地獄の懲役3兆年みたいなことにはなりません。がっかりするだけです。こうなると天使の腕に初めての刺青を彫ってミスるよりましだと考えるだけでもかなり有効な気がしてきます。

本当は人生の教訓になりそうとかしゃらくさいことをあれこれ考えてたはずだったんだけれど、気づいたらこんな結論になっていたので、これはもうこれでいいということにしましょう。温めた他のアイデアがどうでもよくなるくらいだし、ひょっとするとこれが最適解なのかもしれません。


A. 天使の腕に初めての刺青を彫ってミスるよりましだと考えてください。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その410につづく!

2023年11月24日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その408


銀河鉄道モニョるさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 唐揚げのムネ肉を許せる人間になるにはどうしたらいいでしょうか?


思えば鶏のムネ肉はじつに不遇な部位です。こうするとパサつかない!とか、こうするともっと美味しくなる!と加工後を持ち上げられることはあっても、加工前のすっぴんでちやほやされることはまずありません。生まれながらにして将来のスターダムが約束されているモモ肉に比べると、著しく不均衡な扱いです。磨けば光るのは確かだし、それはそれで身につまされてグッとくるけれども、不断の努力を積み上げてもまだモモ肉の圧倒的スター性に匹敵するとまでは言い切れないあたり、ぶさいく村の住人である僕としては落涙を禁じ得ないものがあります。鶏肉の話とはいえ、他人事ではない。

モモ肉がイケてる、というのはわかります。実際、モモ肉はイケている。それはもう、悲しいほど厳然たる事実だし、ぶっちゃけ僕も大好きです。イケメンには見るだけで得られる滋養があります。その点に異存はありません。

しかしムネ肉が許せない、というのは100%とばっちりです。自身の肉、というか身に置き換えてみるとわかりますが、その理屈でいくと吉沢亮とか平野紫耀がモモ肉だった場合、ムネ肉である僕らはただムネ肉であるというだけで存在を全否定されることになります。モモ肉が好きなら素直にモモ肉の話をすればいいのに、なぜわざわざ無関係の僕らムネ肉を引き合いに出して全否定されなくてはならんのか、これがとばっちりでなくて一体何なのだと断固たる態度で強く抗議せざるを得ません。こうなるともはや我々の明日を賭けたレゾンデートルの問題であって、唐揚げどころの話ではない。

それでもなお許せない、あくまで堅固な向きもあるでしょう。それならそれで仕方がありません。許さなくてもいい。ただ、せめてその代わりに、好きなモモ肉の話をしてほしい。モモ肉とムネ肉が並んでいたらムネ肉に舌打ちをするのではなく、モモ肉を殊更に讃えてほしい。それだけで僕らムネ肉は救われるものがあるのです。

ここにはおそらく、鶏肉だけにとどまらない、重要な教訓があります。なんとなれば何かを讃えるために、別の何かを否定する必要などないからです。

好きなものが尊いのは、そうではない比較対象があるからだろうか?いいえ、そうではないはずです。愛する人が愛おしいのは、嫌いな人がいるからでは絶対にない。ですよね?

だとすれば必要なのはひたすらモモ肉を讃えること、ただそれだけです。食べてみたらムネ肉でガッカリするかもしれないけれども、そこでムネ肉を叩くのではなく、改めてモモ肉の偉大さを文字どおり五臓六腑で実感すること。世界がハッピーであるために求められるのはまさしくこういう姿勢であると、ムネ肉の代理人たる僕は声を大にして訴える所存です。


A. むしろモモ肉の偉大さを讃えましょう。




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その409につづく!

2023年11月17日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その407

ディズニー食堂


ププッピドゥー・センターさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 最近いろんなものが欲しくなってしまって、どんどん買って物が増えてまた欲しくなって、きりがなくて困っています。物欲とはどのように付き合っていけばよいのでしょうか…?


物欲はホントに厄介ですよね。喉から手が出るほど欲しかったのに、いざ手に入れたら安心しきってそのまま放置したりして、だったら何故あんなに欲しがっていたのかと自分でも首を傾げながらまた別の何かをポチる始末です。物欲のあまりない人がめちゃめちゃ大人に見えて、ちょっとコンプレックスを抱いていたところあります。

しかしそんなこんなでそれなりに歳を重ね、以前に比べると物欲も落ち着いてきた僕も今では印象がだいぶ変わりました。物欲の低下は却ってマズいかもと考えているくらいです。

これは実際に多くの先輩方を観察して得た個人的な結論ですが、何が欲しい、何をやりたい、何を食べたいといったさまざまな欲求は、度を越さないかぎりすべて心身の健康に直結します。ぶっちゃけ食べ物に気を配るよりはるかに大きく寄与しているとおもうし、その確信は年々深まるばかりです。溌剌としている人は幾つになっても何らかの欲求を常にアイドリングさせています。この違いは本当に大きい。

若くありたいとかそういう話ではもちろんありません。そりゃそのほうがいいわいなとは思うけど、歳をとること自体に抵抗は全然ない。そうではなくて、あくまで現在に視座を置いて心身のハリを保つ紳士淑女でありたいと考えたときに、もろもろの欲求が大きな意味を持ってくるのです。どちらかといえば凛としていたいという感じですね。

こうした観点からすると、物欲もまた正義であり、百薬の長であり、風船にとっての空気です。適度であれば浮きもするし弾みもしますが、抜けると萎んであっという間にしわしわになります。大事にしなくてはいけません。

ただし、日々のストレスを物欲に置き換えたり、執着しすぎている場合には注意が必要です。これも風船の空気と同じで、ふくらみすぎると当然、破裂します。大事にするというのはつまり、萎んだり割れたりしないようにという意味です。

きりがなくて困るくらいであれば、それはむしろアドバンテージだと僕は思います。ぜひそのペースで無理なく最後まで駆け抜けてください。栄光のゴールまではまだ50年以上あるかもですが、いずれにしても先は長いです。


A. 物欲は百薬の長です。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その408につづく!

2023年11月10日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その406


先日ふと気づいて戦慄したのだけれど、今を去ること4年前、2019年はこのブログを10回しか更新していません。10回というと、ひと月に一度もなかったことになります。

思い返してみればこの年はうちの人が店をオープンした年であり、またその当人が一時的とはいえ車椅子生活に突入したこともあってわりとしっちゃかめっちゃかではありました。しかしそれを差し引いても何かしらの表現活動をしている人の更新頻度ではない。いちばん驚いたのはよりによってツアーの開催が事後報告だったことです。そんなことある…?

それでなくとも活動体温の異常に低い僕にとって考えうるかぎり最大のニュースがこんな体たらくなので、質問箱に至ってはなんと1回しか更新されていない有様です。前年末には例のキャンペーンできっちり質問を徴収していたので、つまりこの年にあった質問はほとんど手付かずである、ということになります。

とうに愛想を尽かしてすでにここには来られないみなさまも多くおられるとおもいますが、せっかくなので在りし日を偲ぶようにしんみりと、あのころいただいた質問にもお答えしていきたいとおもいます。ほんとすみません。


おしゃれドロンボーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. ダイゴさんは、幼い頃の不思議な記憶はございませんか?自分は自我が芽生えた瞬間?を覚えています。PCのブルースクリーンの様な背景に親兄弟含むいろんな人の静止画がブラクラの様に流れ、一瞬のブラックアウトのあと、自宅に飾っていたクリスマスツリーを目にしたのを覚えています。その瞬間に自分が自分であると認識しました。同じ様な経験の人がいないか友人に聞いてみましたがゼロでした。


そういえば以前にも前世と思しき記憶のある方から質問をいただいたことがありましたけれども、そんなのも含めた「不思議な記憶」シリーズはいいですね。説明できない不可解な記憶を持っている人、じつは意外といるんじゃないだろうか。機会があれば人に尋ねてみたいことのリストにこれも加えておきましょう。

おしゃれドロンボーさんの「自我が芽生えた記憶」も相当ユニークというか、どちらかというとシェアしづらいイメージでありながら妙にリアルな質感があって、確かにこれは自我の芽生えとしか言いようがなさそうです。タグを閉じ忘れてそのまま表示されてしまったHTMLみたいなエラー感あります。こういう記憶は僕もないです。

不思議な記憶はあります。いちばん古いのは、以前にも書いたような気がしますが虹の上を滑り落ちる魔女を見た記憶です。6歳とか7歳くらいのことだったと思う。夢でのイメージが強烈に残っていたとかそういうかんじではなく、雨上がりの夕暮れに自宅の玄関を出たら大きな虹がかかっていて、その上をスイーッと魔女が滑り落ちていくのをはっきりと見た、そういう記憶です。びっくりしすぎて腰が抜けたのを今でもよく覚えています。

いくらなんでもファンシーすぎるから魔女なんかではもちろんなかったろうし、何か黒っぽいもの、たとえばカラスがちょうど虹の弧に沿って移動した可能性なんかの方がよっぽど高い。ただ当時の僕はそれを完全に魔女と認識してしまったので、どうあれ今も記憶は鮮やかに魔女のままです。そして実際のところ、魔女ではないにしろ虹を滑り落ちたやつがいた可能性を今も捨てていません。なんとなればたとえ錯覚であってもそれを証明することは誰にもできないからです。不思議、と言える所以ですね。

同じように、すごく大きな宇宙船のような楕円形の光を見た記憶もあります。これも雲と光の按配で一蹴できそうな話ですが、僕の記憶ではそうなっていません。一面に薄く敷き詰められていた雲の裏で巨大な光が鯨のようにゆっくりと移動していました。知識もへったくれもないころなので、待てよ、あれまじでなんだったんだ、と首を傾げたのはもうすこし後、物心がついてからになります。

あとこれは一人暮らしを始めたあとなのでかなり大人になってからですが、それゆえに却って上記の二つよりもはるかに不可解だと今でも考えているのは、その時間その場にいるはずのない妹の姿を見かけて追いかけた記憶です。いわゆるドッペルゲンガーですね。説明すればするほど見間違いであっさり片付けられるので詳細は省きますが、正直あれほど鮮明に、ないはずのものを見た記憶は人生でほかにありません。とにかく今に至るまでありとあらゆる確信に満ちて揺るがないので、気味が悪いとしか言いようがない。妹の身に何か起きるのではないかと長いこと心配していましたが、今では立派な3児の母です。何事もないにも程がある。本人には今も話していません。

とはいえいずれにしても心的な体験という感じではないから、厳密には記憶のレイヤーがちょっと違うかもしれません。不思議にもいろいろあるものだ。

そういえばうちの父は子どものころ、病気で死にかけたときに奇妙な川(流れているのは銀色の何かで水ではなかったらしい)を渡りかけて引き返したことがあるそうですが、そもそもオカルト的なものを1ミリも相手にしない人なので、これなんかは同じレイヤーに属する記憶と言えそうですよね。ちょっとうらやましい。


A. あるっちゃあるけど厳密にはなさそうです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その407につづく!

 

2023年11月3日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その405

張り合う2枚

メトロノーム注意報さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 幼少期や若い頃の苦い経験や後悔を思い出す度に、反射的にこれを振り切るべく「ハッ!」と小さく声が出てしまいます。ザゼンボーイズの向井秀徳の演奏前の掛け声が最も近しいです。いつかは治るだろうと放置していましたが、歳を重ねた40歳でもなかなか治る気配がありません。人生の先輩であるムール貝博士も、この様な現象はありますでしょうか。また、この発作的な反射行動を治すにはどうしたら良いでしょうか。


ムール貝博士の、と銘打っておいてなんですが、博士は他人に対して微塵も興味がなく、また彼の辞書には苦い経験も後悔も一切存在しないので、助手である僕が代わりにお答えしましょう。

思い出したくないこと、僕も山ほどあります。いずれ減るものだとばかり思っていたのに、今では量産体制がすっかり整っていて、ベルトコンベアで等間隔にせっせと運ばれてくるイメージです。

それでいて未だに僕はこいつの対処法を知りません。人生の折り返し地点も過ぎたんだし、いいかげんどうにかできたらいいのに、全然できません。今日も先週と同じように、1年前と同じように、5年前と同じように、10年前と同じように、わああと塞ぎこむだけです。われながらかわいそうなことだとおもう。

なので反射的とはいえ、この手の心理的トラブルに対処すべく自然と身についたある種のルーティンは、むしろ効果的で何なら推奨されてもよいのではという印象があります。少なくとも僕は治す必要性をまったく感じません。それは自らの経験が培った立派な盾であり甲冑であり、財産のひとつであると言うべきでしょう。

向井秀徳の掛け声にしても、バド・パウエルの悪評高い唸り声にしても、それらはたぶん跳躍する前の助走みたいなものであって、比類ないパフォーマンスもそこから引き出されているのかもしれません。同じようにハッ!と小さく声を出すことで苦い記憶をどうにかこうにか飛び越えられているのだとしたら、それもやっぱり助走だし、明らかに有用な反応である、と後方で飛び越えられずに転倒して砂まみれの僕は考えます。

もちろん、不意に反応が出てしまって忸怩するきもちはよくわかります。でもそれはしゃっくりやくしゃみも同じです。すっかり忘れていた用事を思い出して思わず声が出ることもあります。大事なのはあくまで目の前に横たわる苦い記憶を飛び越えることであって、それに伴う望まぬ反応をなくすことではないはずです。それよりもサッと飛び越えて、またもや後方で砂まみれの僕に手を貸してください。


A. それはむしろ立派な防具です。




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その406につづく!

2023年10月27日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その404


スタンドバインミーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 遠距離恋愛をしていますが毎回自分が行ってる事に疲れてしまいました。私が実家暮らしなので泊まれないのがこうなった原因ではありますがどうしたら良いのでしょうか。


単純に考えれば家を出るなり結婚するなりしたらいいじゃないかで扉をピシャリと閉めても良さそうな話ですが、ここはひとつそうもいかない何らかの事情があるという前提で考えてみましょう。

疲れてしまった、と言えるのはパートナーの存在が日常かつ当たり前になっているからです。週一にしろ月一にしろ、そんなにしょっちゅう会わなくても絆は失われないという無意識かつ一方的な信頼がここにはあります。少なくとも良い関係を築いているからこその正直で率直な印象ではあるでしょう。

疲れてしまうのはすごくよくわかるし、そりゃそうだよなと僕もおもうんだけど、とはいえここはどうしても、パートナーさんの側に立って考えてしまいます。なんとなればこの状況では、たとえこの先いっしょに暮らすことになったとしても、やっぱり同じ理由で一方的な信頼を持ち出されかねないからです。こうなると逆にパートナーさんにとっても見つめ直すいい機会かもしれません。どうしていきたいのか早急に二人で向き合うべき話であって、こんなところに相談している場合ではない。

一方でこれがもし週末だけ通う別荘の話だったらこんなこと考えないだろうな、とも思います。そして実際のところ機能的にはほぼ別荘と同じです。何なら通うのに疲れることさえリッチマンの特権という気がしてきます。おまけに愛する人がそこで待っているとなったら幸福以外の何物でもありません。だとすれば疲れようと疲れまいと定期的に通うことになっているラグジュアリーな別荘として向き合うのが最適解ということになりましょう。

生まれも育ちも大いに異なる赤の他人と同じ道を歩き続けるというのは、どうあれ生半可なことではありません。僕はうちの人と20年以上連れ添った今でもそれを肝に銘じています。最後まで常にアップデートし続けていく必要があるのです。まだいっしょになってもいないのだから長い目で見たら片腹痛いにもほどがある、と言うほかありません。

この先の道をいっしょに歩いていきたいと思える人がいることと、それがいかに幸運で当たり前では全然ないことか、もう一度よく考えてみてください。いっしょにいたいけど疲れるのもなあ、と考える先に待つ未来など自明すぎます。今ならまだ間に合うはずです。たぶん。


A. ラグジュアリーな別荘に通っていることにしましょう。




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その445につづく!

2023年10月20日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その403


エルム街のアコムさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 私にとって「詩を書く」という行為は、自分の核を表現することです。それゆえ、自分が消費されてしまうかもしれないのが怖く、書いた詩を人に見せることにまだかなり抵抗があります。でもこのまま自分のなかだけで抱え込んで死んでいくのも、なんだかなあという感じです。やはり作品を世に送り出すのは、消費される覚悟ができてからのほうがよいのでしょうか?


ふむふむ。これはいつの時代にもあって尽きない悩みのひとつかもしれないですね。詩にかぎらず絵を描いたり歌ったりコスプレをしたりといった多くの表現でも当てはまるんじゃないだろうか?

ただ昔からあれこれ発信しているわりにこれといって甲斐がない点では人後に落ちない僕からすると、消費されることを発信前に考えるのはやや勇み足、という印象です。なんとなれば消費されるためにはまず①人に届く必要があります。そしてよほどの天才でないかぎり、②そう簡単には人に届きません。さらに届いたとしても、③是非なく素通りされることのほうが圧倒的に多い。仮に何かしらの結果を得ようとするならその行程はヒッチハイクそのものです。運よく乗せてもらってもわりとすぐ降ろされてしまうこともあるだろうし、なんなら思いもよらない目に遭う可能性だってあります。そう考えるとハードルは高い…というか、絶対に目的地に辿り着くという強い意志がないかぎりむりだし、及び腰になるのは当然です。

しかし一方で、段ボールの切れ端に詩を書いて路傍で掲げ、千差万別なドライバーたちの気を引くことだけが作品を世に送り出す唯一の方法なわけでもありません。道端に花を植えたり種を蒔いたりするようなやり方もあります。

かくいう僕もnoteに物語をインスタに詩を載せているけれども、これはまさしく花を植えるような感覚です。何とも思わない人もいれば、気づかずに踏んづけていく人もいるし、目に留めて愛でてくれる人もいるでしょう。それが花というものだし、一輪の花に過剰な期待をすることもありません。元気に咲いて、誰かの目を楽しませておくれと願うばかりです。ですよね?

結局のところ消費される不安というのは、見返り(たとえば共感です)を求めることの裏返しでもあります。それ自体はぜんぜん悪いことではないし、なんなら多くの場合がそうかもしれないけれども、望んだだけの見返りが得られることなどまずないので、それが心をすり減らす原因のひとつになり得ることは確かです。

なので僕としてはここで改めてなぜ作品を公開するのか、その理由を見つめ直してもよいとおもいます。もちろん自分のためでもあるし、見知らぬ誰かのためでもあってほしいけど、そのどこに重きを置くのか、ということですね。たとえば100人中1人が好意を持って受け入れてくれたとき、99人に否定されたと感じるだろうか、それとも1人に届いたと感じるだろうか?

少なくとも僕は、まだ踏み出していない今この時点なら、考え方というか視点をそのまま反転させてもいいのではないかな、と考えます。つまり消費されてしまうかもしれないではなく誰かの糧になるかもしれないというふうに。


A. 花を植えることから始めましょう。




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その444につづく!

2023年10月13日金曜日

アグローと夜(Agloe and Night) 2023のお知らせ、再び

そんなこんなで何やかんやあってどうにかこうにかツアーを終えてすっかりほとぼりも冷めた今もまだ屍のまま新たにお知らせするのはいささか憚られるものがありますけれども、「アグローと夜(Agloe and Night) 2023」最後にもう一度だけ開催いたします。場所は東京、代官山です。


タケウチカズタケ小林大吾
「アグローと夜(Agloe and Night) 2023」

12/7(木) 代官山 晴れたら空に豆まいて
OPEN 17:30 START 18:30
前売3,000 / 当日3,500(別途ドリンク)

お問合せとご予約:晴れたら空に豆まいて http://haremame.com/howto/


元から予定していたわけではありません。決めたのはツアーを終えたその帰路です。圧倒的多数の需要があったわけでもありません。ありませんが、やるとなったらやるのです。正直、数ヶ月とか数年のブランクがあるのに比べて3日連続でライブを終えた直後では僕としても決意のハードルが著しく下がっていたという身もふたもない理由もないではないですが、やろうという話になるうちが華です。平日ど真ん中の木曜、しかも18:30スタートの時点で相当な高さのハードルであることは本当に重々承知しております。心から笑顔になってもらえるように精一杯がんばるのでどうかどうか、万象お繰り合わせの上、御御足をお運びくださいませ……!

ツアー限定アイテムも増産されるらしい

2023年10月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その402


カントリー道路さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. タコさんウィンナーに敬称をつけるならタコさんウィンナーさんでしょうか?それともすでにタコさんが付いているので不要でしょうか?または、タコさんは間違いでタコウィンナーさんが正解なのでしょうか?


これは考え出すとなかなか奥の深い問題です。

そもそもがウィンナーであってタコではないことを考えると、主体となるのはウィンナーです。敬意を払われるべきはウィンナーなのだから、本来はタコウィンナーさんが正しいように思われます。

一方で弁当にこれが入っているとき、わたしたちは「ウィンナーさんだ!」とは言いません。おそらくそれを見た全員が「タコさんだ!」と言うはずです。そうなるとウィンナーが主体であるという大前提からして疑わしくなってきます。仮にタコのほうが主体なのだとすれば、こちらに敬称がつくのは当然のことです。おかしいのは敬称の位置ではなく対象の語順であって、この場合の正しい呼び方はウィンナータコさんになる、と僕は考えます。

これはタコさんウィンナーの「さん」が敬称だった場合の話ですが、そうではなく、これが固有名詞の一部だとした場合、話はまた変わってきます。さかなクンサンプラザ中野くんでもお馴染みの問題であり、ご両人とも敬称が追加されることを望んではいないようですが、とはいえこれは明らかに僕らの名前と同じ固有名です。本人の意志がどうあれ、客観的に考えれば敬称をつけなくていいことにはなりません。この視点に立つとタコさんウィンナーもまた固有名であって、呼び方はタコさんウィンナーさんということになります。

ところがこれで終わりではありません。固有名であればその終わりに敬称をつける、それはそのとおりですが、敬称としての「さん」がつくのは原則として固有名をもつ生き物として認識されている場合だけです(フィクションを含む)。親しみをこめてブタさん、ペンギンさんといった一般名詞につくケースはむしろ例外と言っていいでしょう。

タコさんウィンナーはタコですらありません。生前はブタさんであったと強弁することもできますが、ウィンナーが転がっていたら誰だってこれをウィンナーと言うはずだし元ブタさんとは認識しないはずなので、ウィンナーと呼ぶならその時点でそれは食品です。

食品にかぎらず生き物として認識されていないものに対して敬意を払う場合に相応しいのは、むしろ接頭語の「御」です。ごはんとかお風呂とか、少なくとも接尾語の「さん」ではない。ですよね?

したがって、タコさんウィンナーが固有名であり、かつ加工食品であることを踏まえて敬意を払うとするならば、最も理にかなっているのはおタコさんウィンナーである、ということになります。


A. おタコさんウィンナーです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その403につづく!

2023年9月29日金曜日

秘密基地と真珠貝亭と大草原の小さな家


またそんな日が来るとは思ってもみませんでしたが、じつに9ヶ月ぶりのライブ、遠征としては5年ぶりとなるツアーがぶじ終了いたしました。まるで長い活動休止を経た待望の復帰みたいなことになっていますが、全然そういうわけではないことを除けば似たり寄ったりの結果ではあるのでそれでもよろしい。お集まりいただいたみなさまには感謝の言葉もありません。ありがとうありがとう。

今回も僕の知るかぎり北は北海道から、長野、神奈川、静岡、三重、そして南は沖縄まで各地から来ていただいたそうで本当になんとお礼を申し上げてよいやら、その甲斐あったことを願うばかりです。

また僕にとってもこれまでにない2つの大きなインパクトがあり、忘れることのできない3日間になりました。

1つ目は会場の印象が3箇所ともまったく違っていたことです。

そりゃ店が違うんだからそれぞれの印象があって当たり前じゃないか、と自分でも思いますが、それにしてもライブの世界観が変わるくらいのレベルで違っていたので、めちゃめちゃ新鮮なものがありました。仮にこの3日間すべてに参加していたら心に残る曲がそれぞれのお店で変わってくるんじゃないかと思うくらいです。




愛知は1Fで高架下の秘密基地、大阪はB1Fで深海というかまさに真珠貝亭、兵庫は2Fで草原に浮かぶ小さな家のようなイメージ…と言えば伝わるだろうか…。それでいてどこも等価にすごくすごく良かった…。こんな驚きを味わえたのも、毎回すてきなお店をチョイスしてくれるカズタケさんのおかげです。できることならこの3日間を丸ごとシェアしたかった。

2つ目はやむにやまれぬ事情から、いつものスタンドではなくハンドマイクでのパフォーマンスになったことです。


こう見えて僕はマイクを手にリーディングをしたことがこれまでにほとんどありません。あったかもしれないけど全然おぼえていないくらいにはない。なぜと問われると困るけど、たぶんうまく扱える自信がなかったんだとおもう。気づいたときにはステージにマイクスタンドが1本立っている、というのがスタイルとして定着していたわけですね。

どうあれマイクを手にパフォーマンスをするとなったら、これはもうそういうタイミングだと腹を括るほかありません。そして結果的に3日間ともハンドマイクになりました。正直これは下戸が酒を呑むようになるほどの衝撃です。日常的にカラオケに行く人のほうがよっぽど扱いに慣れてるんじゃなかろうか。

だからそこにいる人みんなで作るかけがえのない空間で観てもらえてよかった。会えてうれしかったし、たくさんお話ができてよかった。来てくれたあなたにも、そう思ってもらえていますように。

アグロー案内はまだ続きます!

ちなみにいつもなら胸を張って堂々と今年のライブ納めであることを宣言しているはずなのになぜか今もって言えずにおります…なぜだ…。

3日しかやってないのに納めもへったくれもないですけど…。

2023年9月21日木曜日

「ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!」というタイトルについて


さて、先週のリリースからすでに世界を席巻しまくって各国のチャートを圏外からくすぐり、何億万回も聴き尽くされた挙句もう飽きたというところまで来ているともっぱら噂の「アグロー案内 VOL.6」、お楽しみいただけていますでしょうか。

そういうお問い合わせが山のように届いているどころか別に誰も気にしていなさそうな気もしますけれども、それはまあいつものことでもあるし、山のように届いていることにしてお話ししておきましょう。「ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!」というタイトルについてです。


実際のところ、ジェットコースターに乗った誰かが理屈っぽく絶叫しているというだけのことなのになぜ不可解かつ意味深に見えなくもないタイトルがついているのか?そこには何かこう、余人には窺い知れない深いメッセージが込められているのか?

もちろん、そんなことはありません。あってもいいし、もしあるなら積極的にそういうことにしていきたい所存ではあるけれども、元を正せば録音時の仮タイトルが「rollercoaster」だったからです。

Rollercoaster→ローラーコースター→ローラーコースター上の罠→

_人人人人人人人人人人人人_
> ローラ・コスタ嬢の罠 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

要はバンデットとか高飛車とかサンダードルフィンとかと同じジェットコースターの名前みたいなことだったわけですね。

ちなみに「aaugh!」はスヌーピーでおなじみPEANUTSにおける決まり文句のひとつです。


「んも〜!!!!」みたいなニュアンスだと思ってください。

では、明日から始まるツアーでお会いしましょう。チャオ!

2023年9月15日金曜日

ローラ・コスタ嬢の罠/aaugh!


落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。

坂の上が見える…目と鼻の先に。終演を知らせる緞帳のように、青く澄んだ空がゆっくりと降りてくる。この先はもうない。ピークだとわかる。1人乗りのトロッコで上り坂のレールを揺られながら運ばれている。交錯する思いに身を委ねながら坂の上に着いたその瞬間、真っ逆さまに

落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。

乱高下と急旋回、垂直ループにコークスクリュー、重力と無重力、緩急自在で縦横無尽に目まぐるしく駆け巡る軌道はうねり蟠る大蛇のように予測不能、問答無用で翻弄されて至る心境は諸行無常…と思いきやまた3、2、1

落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。

気づけばすこしゆるやかな速度で、風が頬を撫でる。そんなときとそうでないときが、条理と不条理が淀みに浮かぶ泡沫のように、くるくると回って輪舞のように消えては結ぶ、今もこの途上に。あの日辿り着いた坂の上で何を見たのか…と省みる刹那にまた

落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で見るものすべてが溶けて流れる。目をとめたときにはもうとうに後ろ……落下する音色、加速する鼓動にふとよぎる冥土、息を呑む速度で移ろううちにやがて知る、この千変万化の風景を美しいと。


2023年9月8日金曜日

安らかな成仏のためのプルクワパ霊苑


そういえば以前すこしだけ書き溜めたきり、そのままうちで野晒しになっている短い物語がいくつかあることにふと気づいたのです。放置したところでバナナのように甘く熟すわけでなし、と言って誰かに買ってもらえるほどの値打ちがあるわけでなし、それならせめて懇ろに弔ってやりたいと、部屋のあちこちに転がる骸をかき集めてささやかな墓地をnoteにつくりました。どこかに置いておければそれだけでもう悔いもないし、ちょっと早めの終活みたいなものかもしれません。

プルクワパ霊苑」です。








殺し屋の華麗なるレッスン(予定)

勿忘草(予定)

あわてて開墾したのでアイコンやらヘッダーやら見出し画像まで思いが至らず、わりと適当なことになっていますが、これから追々ゆっくり整地されるはずです。画像なんかわざわざ手をかけなくても自分で撮った写真とかでいいや、と思っていたけれど、試しに自作のデザインを投入してみたら墓碑としても圧倒的に見栄えがよかった…。

まだ全部ではないけれど、すでに予定の半分くらいは埋葬されています。ちょっとした空き時間の慰みになりますように! 

ちょうどいいアイコン


2023年9月1日金曜日

そして来る「アグロー案内 VOL.6」のこと


5人か10人か、少なくとも3人くらいの人はどうにかこうにか目を留めてくれたはず、と願うほかありませんがともあれ昨日は数年に一度もない稀有すぎるツアーが3週間後にございますのお話をいたしました。

そしてなぜ2日連続でこうもどたばた更新しているのかというと、図らずも完成した新作をシェアするならツアー前の今をおいて他にないと急遽、かれこれ5ヶ月ぶりに「アグロー案内 VOL.6」のリリースが決定したからです。配信の醍醐味ここにあり、というかんじですね。


配信スタートはなんと2週間後、9月15日(金)の午前0時です。

本来であればアグロー案内のメインコンテンツである「名探偵山本和男」関連の楽曲が前面に押し出されているはずですが、今回に限っては本当にこの新作のための配信と言っても過言ではありません。


曲の印象はいつになくポップです。ポップと言ったってKBDGのことだしよく見たらプッピかもしれないですけど、アグロー案内にはこういうのもほしい、と個人的には常々おもっていたタイプの楽曲になっています。深夜に一人でしっとりと聴くような作品ではたぶんない。

VOL.4の「ジョシュア」で得た新たな方法論の最初の結実がVOL.5の「前日譚」だったとすれば、それをさらに確かなものへと推し進めたのが、過去最速のBPMに乗せたVOL.6の「ローラ・コスタ嬢の罠」です。もちろん今回のツアーが初めてのお披露目となります。なるはずです。なるのか…?

楽しんでもらえますように!

2023年8月31日木曜日

アグローと夜(Agloe and Night) 2023のお知らせ


いよいよ8月も終わるという今朝になって、ふと気づいたのです。そういえばツアーに出ることをここでお知らせしていなかったと。

そんなわけで9月は御大タケウチカズタケとともに(と言うにはあまりに何から何まですべてを取り仕切ってもらって厚意に甘えまくりなので胸を張れる立場では全然ないのですが)「アグローと夜(Agloe and Night)2023」と題して愛知大阪、そして兵庫に参ります。


タケウチカズタケ+小林大吾
「アグローと夜(Agloe and Night) 2023」

9/22(金) 名古屋 KD Japon
OPEN 19:00 START 20:00
前売 3,000 / 当日 3,500(別途ドリンク)

お問合せとご予約:KD Japon kdjapon@gmail.com

***

9/23(土祝) 本町 マザーポップコーン
OPEN 19:00 START 20:00
前売 3,000 / 当日 3,500(別途ドリンク)

お問合せとご予約:マザーポップコーン Hiyotuki@gmail.com
日程、イベント名、ご予約名、人数を明記の上ご連絡ください

***

9/24(日) 加古川 花茶茶花
〜花茶茶花 16th anniversary ×「アグローと夜(Agloe and Night) 2023」〜
OPEN 17:00 START 18:00
前売 3,000 / 当日 3,500(別途ドリンク)

お問合せとご予約:花茶茶花 079-437-7774


たしか以前にもツアーに出ることを事前にここでお知らせし忘れて事後報告になった記憶があります。告知に慣れていないとはいえ、知らせもせずに一体誰に来てもらおうというのか、情けないにもほどがある。申し訳ありません。

とはいえまだギリ8月です。開催まであと3週間あります。

そしてつい先日も「実物を初めて見ました」と言われたくらいなので、ライブはさらに稀有です。と言ってもそもそも需要がないから稀有なんだけど、笑顔になってもらえるように精一杯がんばるのでどうかどうか、万障繰り合わせて足をお運びくださいませ…!

ツアー限定アイテムもあるらしい