2011年10月31日月曜日

ドル紙幣が山と積まれたせまくるしい部屋の謎



どうしてこんなに遠回りをする羽目になったのか僕にもさっぱりわからないけれど、話そうとしていたのはブラックスプロイテーションのことなのです。もったいぶるような話では全然ないからこうなるといささか切り出しづらい。まあよろしい。そんな自業自得の逡巡はこのさい煙草のようにもみ消してしまいましょう。

ブラックスプロイテーション(Blaxploitation)というのは平たく言えば「黒人による、黒人のためのザ・B級娯楽映画」です。名前だけなら多くの人が知っている「スーパーフライ(Superfly)」とか、「シャフト(Shaft)」とかがそれに当たります。筋立ての傾向としては、ステレオタイプなアウトローが理不尽な現実をご都合主義でノックアウトしてポロリもあるよ、的な理解でだいたい合ってるんじゃないかとおもう。意義だとか背景だとかいろいろのむずかしいことをおもえば定義がちょっと乱暴にすぎる気もするけれど、むしろこうしたジャンルにあっては「乱暴」もまた美徳のひとつであるとだけ、ここでは申し開きをしておきましょう。こまかい御託はお呼びでない。マクドナルドにナイフとフォークを持ちこんでも意味がないのと同じです。ひとつひとつの評価がどうであれ、それらがひとかたまりの文化としてのちに及ぼす影響をみるなら、今もって計り知れない価値があることに疑いの余地はありません。日活ロマンポルノみたいなものですね。

また、ブラックスプロイテーションはどういうわけかサウンドトラックに名作が多いことで知られています。欠くべからざる大きな特徴といってもいいくらいです。ある種のパターンに特化した映画のBGM、という性質から独特の緊張感や疾走感を伴った楽曲が多く、今ではそれだけでひとつの音楽ジャンルを成している感さえあります。ビデオやDVDとしての復刻がお粗末なまでに少なく、映画それ自体の鑑賞がかなり難しくなっているのに比べると、サントラだけは今もCDあるいはmp3として容易に手に入るのだから、思えば何だかふしぎなことです。Curtis Mayfield が手がけた "Superfly" や Isaac Hayes による "Shaft" はもちろん、Four Tops の "Are You Man Enough" や Edwin Starr の "Ain't It Hell Up In Harlem" (まさかYouTubeにインストしかないなんて…)等々、色褪せることのないソウル・クラシックがずらずら並んで数えればキリがありません。

Bobby Womack の "Across 110th Street" も、そうしたブラックスプロイテーション関連としてよく知られた名曲のひとつです。"Jackie Brown" や、もっと新しいところでは "American Gangster" にも引用されてましたね?




これは1972年に公開された同名の映画の主題歌ですが、この曲が収録されたサウンドトラックLPもまた、リリースが40年前である事実をものともせずに今なお中古市場で歓迎され、くるくると流通しつづけています。ヒップホップにおけるサンプリングソースやレアグルーヴといった新しい音楽的視点によって価値付けが変わったこともあるとおもうけど、いずれにしても時代に左右されない名盤と言い切ってどこからも異論は出ますまい。




ご多分にもれず、僕も映画を観たことはありません。でも、ドル紙幣が山と積まれたせまくるしい部屋に大の男が10人近くもひしめいているこのジャケット(最高)からしてもう、大雑把でチープな犯罪臭がぷんぷんしてむせ返るようだし、おおよその想像はつこうというものです。ふむふむなるほど…じゃまたそのうち、機会があればね!

と、

ついこないだまで内容については知らんぷりを決めこんでいたのです。映画よりも音楽が先という、いきさつがいきさつだけにムリもありません。Fresh Prince よりも Will Smith を先に知った人が Fresh Prince を見くびるようなものだとしたら、それはもう何と言うか、しょうがないよなと僕もおもう。今日出会った恋人の昨日を詮索して何になりますか。だいじなのはいつも未来であって、それはもう、そういうことでいいのです。


本題に入らないまま次回につづく。


2011年10月29日土曜日

甲州街道から1700万歩のインタールード



「あの、もし」
「模試?」
「いえ、そうではなくて…」
「虫?」
「いえ、あの…」
「ぐゎし?」
「道に迷ってしまったものですから…」
「はあ、人生のですか」
「あるいはそうかもしれませんが…」
「それはお気の毒に」
「ちがうんです」
「ちがいましたか」
「じつは道に迷ってしまって…」
「ああ!よくあることですよ…人生にはね」
「はあ…」
「まあ、くよくよしないことですな、何ごとも」
「ちがうんです」
「冗談ですよ」
「よかった!」
「どちらへ行かれます」
「110番街交差点に…」
「ひゃく…そりゃアンタ、マンハッタンでしょうが」
「遠いですか」
「遠いも何も…ここは甲州街道ですよ
「まだけっこうありますか?」
「距離ですか?」
「ええ」
「ありますとも!距離ばかりか、聞けば気も遠くなります」
「どれくらい…?」
「あなたの歩幅が60センチくらいだとしたら…」
「ええ」
「1700万歩くらいです」
「せんなな…え?」
「水の上を歩ければの話ですが」
「水?」
「何しろ海の向こうですからね」
「そんな!」
「太平洋です。それから大陸をひとつ横断しないと」
「ああ…」
「ひとまず、成田に向かうんですな」
「どうも方向音痴がひどくて…」
何をどうするとそんな迷い方をするんです?
「ええと…」
「迷うどころかほとんど神隠しじゃないですか」
「ネコ耳の女性が…」
「ねこ…何ですって?」
「ネコ耳の女性に気を取られたんです」
「はあ…ネコ耳の…」
「そうなんです」
「…それが理由?」
「あと雑司ヶ谷でピンクの象に見とれて…」
「ピンクの象ね…」
「何だか可愛らしくて」
「わかります、と言っといたほうがいいのかなこれは」
「それからランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人につかまってくだを巻かれて…」
「ラン…誰ですって?
「ランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人です」
「それは人の名前ですか」
「?そうです」
「長すぎませんか」
「長い…そうですね、言われてみれば」
「言いにくいでしょう」
「そんなことないですよ」
「そうですか?」
「コピペですから。痛い!」
「おや…」
「頭に何か当たった!」
「和太鼓のばち(撥)ですな…」
「いたたた」
「暗黙のルールを破ろうとするからですよ」
「というのは、コp…」
「しッ!それ以上はお控えなさい」
「それにしたってこんな、すりこぎみたいな…」
「たんこぶひとつで済むならむしろ儲けものですよ」





それでなくとも僕らは、つくづく最短距離の時代に生きていると思わざるを得ないのです。遠回りというだけでとかく二の足を踏みがちだし、ショートカットがすべてに優ると思われているふしさえあります。今や小笠原の父島でタクシーを拾って「南島まで」と堂々のたまう御仁までおられるというのだから、始末におえません。辿り着けるかどうかわからないということが出発を断念する正当な理由になるのなら、その2本の足に何の意味がありましょう。彼女がいると知っただけで踏みとどまる程度のきもちを恋と呼ぶとは、片腹痛いわ小童どもめ!


ということを言いたかったわけでは別にないのですが、こうしたもろもろのきもちを最短距離で表すと


「110番街は遠いなァ…」


ということになります。遠いですね。


それはそうと今年に入ってからこのブログ、多い月でも4回しか更新してなかったことに今ごろ気がつきました。週に1度しか開かない上にコマーシャルなものしか置かない怠惰な個人商店が閑古鳥を嘆くとは、呆れてものが言えません。顔から火が出て炎上し、そのままキャンプファイヤーが始まるくらいの勢いです。肉でも炙って食うほかない。いや、肉はもういい。

それならもういっそのこと、閑古鳥を飼ったらいいじゃないかとおもう。ツーと言ったらカーと返してくれるような気のいい1羽を!

2011年10月26日水曜日

何だかねばねばしたそのハンモックの上で(後編)



そもそもこのビーフステーキということば自体が曲者なのだ」とランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人は言うのです。

「ステーキと言ったらふつうはビーフです。ちがいますか?英語版のウィキペディアにも "usually beef" とハッキリ書いてあるじゃありませんか。ハンバーグにビーフやポークといった枕詞が付きますか?つきませんよ!ふつうはね。おわかりでしょう?ステーキの一言で済むことを考えたら、その重複表現は不自然と言うべきです!

「それに、略語が略語として定着するには、それが広く一般的であるか、でなければ少なくともひとつのコミュニティにおける認知度が高くなくてはいけません。何しろ通じなければその時点で伝播が途切れてしまうんですから。小田急相模原というローカルな駅名がそのエリアに属する人々によって「オダサガ」と略されているのは良い例です。よく考えてみましょう。ビーフステーキという7文字の名称は一般的ですか?その名が略されるほどに?と踏み込まれたらどうです?立ち止まって考える気になりませんか?第一、なぜステーキの4文字ではいけなかったのでしょう?ビフテキと同じ4文字であるばかりか、発音もはるかに容易だというのに!

ある種のコミュニティから一般に伝わって広く定着する例もありますね、と僕は答えるともなく返してみます。今じゃ人によっては恋人を「相方」と呼んで、そこにふくまれる特定の感情をうやむやにする始末です。

「そのとおり。わたしもビフテキに関してはそう考えています。それはある種のコミュニティから一般に伝わって広く定着したのです。ビーフステーキという言葉のほうではありませんよ!この奇妙な重複表現が定着する特定のコミュニティなんて、想像しづらくてしかたありません。そこから一般に広まるとなると、さらにむずかしい。わたしが言うのは同じステーキ(あるいはそのための肉)を意味するフランス語の "bifteck" のほうです」

フランスの言葉が日常的に使われるようなコミュニティを想像するほうがむずかしそうにおもえたのでそう反駁すると、夫人はこともなげにこう言うのです。

「料理人ですよ!それも古い、洋食のね」

そう言われるとたしかに、かつての料理人が洋食を学ぶとすればまずヨーロッパです。ひいてはフランスと言っても良さそうだし、少なくともアメリカでは絶対ない。でも、だからといって料理人がフランス語を日常に取り入れていることがすなわちビフテキ = "bifteck" を意味することにはやっぱりなりません。それが有力と映るのは、あくまでランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人の視点から語るときだけです。となるとそれは結局のところ、ビーフステーキよりは説得力があるように見える、ということでしかありますまい。

「そうね。だからわたしの話は事実に近づけるための補強でしかない、というべきかもしれません。でもねえ、10の補強がひとつの根拠に勝らないと、いったい誰に言えましょう?お望みなら補強ついでに、フランス語で発音を聴いてみることもできますよ。ババール!ババール!ちょっとこっちに来てこの単語を音読してちょうだい。これってどう読むんだったかしら?」


※forvoで発音を聞いてみよう!→ビフテキ


うわァ!「ビフテキ」ってハッキリ言ってる!


「根拠なんてこの際どうでもいいんです。わたしはね、どちらが正しいかということよりも、どちらにムリがあるかということをハッキリさせたいだけなんですよ!」


そうランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人は絶叫してぐうぐう眠ってしまったのだけれど、一方で僕は "beef steak" が "bifteck" の元になっている可能性についてぼんやりと思いを巡らせていたのです。ヨーロッパにおける "beef steak" という言葉のありようは日本におけるカタカナのそれよりも、何となく自然におもえるのは気のせいだろうか?

……

沈むようにして、夜はふけていきます。夫人には言い出すタイミングを逸してしまったけれど、日本を代表する堅物の権化として絶大な権威と影響力を誇る天下の広辞苑に「ビフテキ」の項目が存在すること、あまつさえそこには「ビーフ・ステーキの訛」と記されていることをいったいどう判断したものか、僕は今も考えあぐねているのです。その説明はいかなる根拠に由るものなのか?



広辞苑と言えども疑義をさしこむ余地がまったくないわけではない、ということを示すひとつの例にはなりましょう。しかしそれにしても…

「ビフテキ」を辞書に追加するや否やが編纂者の間で多少なりとも議論されたものだとしたら、またひょっとすると編纂者の思い込みがそのまま事実として認定されているかもしれないことを考えるなら、それは僕らが想像する以上になかなか楽しい仕事であるらしい、とやはり言わねばならんでしょうな!



2011年10月24日月曜日

何だかねばねばしたそのハンモックの上で(前編)


かねてから懸案のひとつであったビフテキ問題について考えなくてはなりますまい、とランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人は言うのです。

ビフテキとは言うまでもなくビーフステーキのことを指していますが、それ以前にそもそもこの「ビーフステーキ」ということば自体が曲者なのだと彼女はつよく主張します。今日は「110番街交差点」についてお話しするつもりだったんですけど、とおそるおそる異議を唱えてはみたものの、ちっとも聞く耳を持ってはくれません。いささか酔ってもいるようです。れろれろとしてろれつもあやしい。

忌憚なく言わせてもらうならば、ビフテキのことなんて僕にはゴマひと粒ほども知ったこっちゃないのです。昭和の遺語とも言うべき4文字を今さらほじくり返して何になるというのだ。だいたい牛肉なんて年に数回も食卓にのぼらない我が家の経済事情も多少は考慮に入れていただきたい。

しかしここで無碍にすればさらなる深酒と酩酊の口実を与えてしまいます。話を適当に切り上げようとすれば、却ってそのために長引きかねません。ランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人はそういう人だし、僕もそれについてはこれまでの付き合いからイヤというほど学んでいます。となればあとはしかたなく「うん、うん」と生返事でうまくしのぎながら好きにさせておく他はないのです。それが如何に理不尽であっても、というのは社会に出た多くの人が大いに頷くところでもありましょう。

たしかにシャッターの降りた深夜の薬局前でサトちゃんにくだを巻きたい夜のひとつやふたつ、誰にだって覚えがございます。ましてやその標的がビフテキくらいのものであるなら、せいぜい好きにわめき散らさせてやりたいとおもうのが人情というものです。いいえ、あるいはこう言い換えてもよろしい。世のしがらみが蜘蛛の巣のようなものであるならば、われわれは何だかねばねばしたそのハンモックの上で、ごろりとくつろぐ術を身につけなくてはならないのであると!


取り返しがつかなくなる前に、話を戻しましょう。


ビフテキはビーフステーキの略語ではない。」というのが彼女の言い分です。すくなくとも、ぜんぶがぜんぶ断片的なうえに飛躍ばかりしていっこうに着地しようとしないランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人の話をざっくりまとめるなら、こうなります。彼女はそれがフランス語の "bifteck" から来ているのだと言って譲らないのです。

明確な根拠はありません。ウィキペディアにも要出典と但し書きがついています。

しかし出典がないばかりか、実際のところ「ビーフステーキの略」としても問題なく通用してしまう(!)以上、これはもう、水掛け論にしかなりません。水をかけ合うと言っても夏の海で少女たちが太陽を背にぱちゃぱちゃと戯れるのとはわけがちがいます。互いが互いに放水車で鎮圧を図ろうとするようなものです。場合によっては死人が出ます。

さて各々がた、よろしいか、ここで、ランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人の口から冒頭の、「そもそもこのビーフステーキということば自体が曲者なのだ」というセリフが出てくるのです。


後編につづく。

2011年10月21日金曜日

外来語におけるパーフェクトな当て字と桃色のゾウ


本日は「110番街交差点」についてお話しする心づもりでしたが、持病の気まぐれがしくしく疼いておさまりそうもないので、泣く泣く予定を変更し、さいきん社会人デビューした雑司ヶ谷のイケダ君にスポットを当ててみましょう。



まさか就職早々こんな部署に配属されるなんて!

じょうろ、という言葉が外来語だろうと別にふしぎはないんだけれど、「如雨露」という漢字が当て字だったことにはさすがに驚きを禁じ得ません。だって「雨露の如し」ですよ!言い得て妙にもほどがある。



じょうろの王に、オレはなる!!

2011年10月17日月曜日

少なくとも不幸ではないと断言できる希有な一例



夜中にチャリで家路をいそぐ、会社帰りと思われる妙齢の女性とすれちがったって何のふしぎもないけれど、その女性がしれっと頭にネコ耳を装着しているとなると話はべつです。一見そういう雰囲気にはとても見えなかったから、ふと視線を上に向けてびっくりしてしまった。萌えの欠片も見当たらない、あんな殺風景なネコ耳は初めてみた。

 そうかと言って、だれかに聞かせて花が咲くほどの話でもないし、話せないとなると却って忘れがたいし、何だかゴロッとしたささいな異物感だけが心の奥でいつまでも転がっているのです。すれちがいざまに足を止めて振り返り、しばし背中を目で追ったあの数秒感を、何と表現したらよいのだろう?新宿タイガーくらい針が振り切れていたら、むしろ気にせずにいられたのにとおもう。 

でもこんなふうに、「少なくとも彼女は不幸ではない」と断言できるシチュエーションもそうそうないし、そういう意味ではいいものをみたと言わないわけにはいきません。彼女が明日もネコ耳をつけていられるなら、その人生にはほんのり赤みがさしている。





今日は「110番街交差点」の話をしようとおもっていたのだけれど、例のアレについてちょっとだけ新しい情報が追加されたので、急遽予定を変更してそちらをお伝えいたしましょう。

HAPPY SAD」がタワレコ新宿店と手をつなぎ、8F洋楽フロアで展開している「甘酸ジュークボックス」ですが、オススメCDのラインナップが早くも更新されつつあるもようです。番組と連動していることもあって回転が早いので、お気をつけあそばせ。

単にオススメというだけでなく、フィーリングの近いアーティストや聴くのにぴったりなシチュエーションも併記されているので、試聴だけでもお楽しみいただけること請け合いです。いたれりつくせり。コメントの文字数がどれもほぼ同じ、というさりげない事実からもヨシアキさんのプロフェッショナル魂を窺い知ることができます。

到着が待たれていたフライヤーも、ぶじ設置完了です。



そういえばデザインだけでなくキャッチコピーも採用されているのです。忘れてた。ロゴから図案、あまつさえコピーまで、ぜんぶひとりでやる人はあんまりいないです、たぶん。


設置されたラックの様子はこちらでも!


タワレコはもちろん、新宿紀伊国屋本店5Fにある 「タマフルブックフェア」の特設コーナーにもさりげなくフライヤーが置かれているそうなので、僕もぶらぶら偵察に行ったり行かなかったりする予定です。


2011年10月13日木曜日

ある種の期待にそむくAVの生産工場から



謙遜でも冗談でもなく、訪問客が気づけばひいふうと数えることができるくらいにまで減り、閑古鳥のカッコーという鳴き声がむなしく響きわたるのです。今となっては「AV、工場」で検索してうっかり辿り着いた若人の足跡さえ、何だかなつかしくおもわれます。オーディオビジュアルというアルバムの制作現場である以上、直ちにまちがいとは言い切れないものの、その期待に応えることができなかったのは僕としても残念なことです。

しかしDVDや配信が主流となった今でもそれは「AV」なんだろうか?


思えば、かつてはよく郵便受けに「AVビデオ」と何かをかんちがいしたチラシが投函されていたものです。この場合、2文字目の「V」はいったいぜんたい何を意味していたのか、これもまた今となっては知る由もありません。


アダルトなVの話はどうでもよろしい。


閑古鳥のこのうつろな鳴き声からして、どこかで地雷を踏んだのかもわからない。それはまあ大いにあり得ることでもあるし、くよくよしても詮無いことです。踏んでも気づかなかったなんてわれながらずいぶん迂闊なことだとおもうけれど、ひとまず煤にまみれてぷすぷすと煙を立ちのぼらせながら、黒焦げのアフロでお送りしています。


もしもし、そちらはどうですか?





さて、過日お伝えした新宿タワレコの「甘酸ジュークボックス」ですけれども、じつはあれからほんの少しだけ、バージョンアップしているのです。




試聴機が追加されました。



コメントカードが、より甘酸仕様になりました。



こうしてちょっとずついろんなものが加わって、リアルタイムで改良を重ねていくうちに、手がつき、足がつき、やがて巨大なロボになって店員とささやかなロマンスを育みつつ悪の組織とえっちらおっちら戦ったりするのです。めざせ甘酸ロボ!


ともあれ、今週末あたりには試聴機のとなり付近にフライヤーが追加されそうな気配です。タワレコにお立ち寄りの際には「うーん、ヨシアキさんステキだなァ…あとダイゴくんも」的な独り言を積極的につぶやくとよいでしょう。


 *


それにしても…(とまた蒸し返さずにはいられないのだけれど)


果たして中学生に「ダビング」という単語は通じるのか?



2011年10月8日土曜日

「だいじょうぶ」と万年塀は小声で請け合う



見つからない、と嘆きたくなるのも無理はありません。じっさい探せば見つからない。焦ればそのぶん、視界がせばまる。


何しろ希望というのはいつも…



こういうところにひっそりとあるのです。



ともすれば見落としてしまうくらいさりげなく、そしてとても小さいけれど、でもそれはたしかにそこにある。


こうあってほしいし、こうありたいし、できればこんなふうにして残したいと心からおもう、僕にとってはこれこそが世界のかたちです。それはもう、ずっと前から本当にぜんぜん変わらない。


「万年塀」ってのも気が利いてるじゃないか!僕もいつかどこかの万年塀に、同じことを書き残して去りたい。


2011年10月6日木曜日

工業製品のポエジーはJISに通用するか?



む-よう-の-ちょう-ぶつ【無用の長物】あってもかえって邪魔になるもの。あって益のないもの。


 その一例


何のための何なのか、という根本的な点からしてもうわからない。

つくるほうもつくるほうなら、使うほうも使うほうだし、これほど虚ろな共犯関係もそうそうありません。


よろしい。世界とはかくも謎に満ち満ちています。科学では説明のつかない事象なんて世の中にはいくらでもあるし、これがそうでないと誰に言えましょう。「ん」から始まる分類があってもいい。目くじらをたてる理由もない。僕にだってそれくらいの度量はある。とはいえ、誰かエヘンとひとつ咳払いをして、「これ、いらなくね?」とやさしく指摘してあげたってばちは当たらないともおもうのです。

もしそこで店員が首をふりながら


「何を言うんです!あるでしょう、ここには…詩情が


と言うのなら、それはまったくもってそのとおりであると認めないわけにはいきますまい。グウの音もでないし、じっさい僕もそうおもう。ここには、まごうかたなきポエジーがたしかにある。 

あるから何だ、と跳ね返して然るべきではありますけど。



それにしても、ぐうぐうと気持ち良さげに眠っていた先入観を平手で叩き起こされるような光景です。何度見ても。

2011年10月4日火曜日

いつにもまして本人不在の印象がのこるブログ



またタワレコに行ってきました。何だかそんな話ばかりしている気がする。

というのも、TBSラジオにて日曜夜18:30から20:00まで生放送でお送りしている甘酸っぱい洋楽プログラム(説明的な枕詞)、 "高橋芳朗 HAPPY SAD" の出張版が、このたび専用ラック「甘酸ジュークボックス」として、タワーレコード新宿店8F洋楽フロアにめでたく設置の運びと相成ったのです。


要約→「タワレコ新宿に番組の専用ラックができたよ




bounceの連載にひきつづき、番組の外部委託先としてあつかましくもご相伴にあずかりました。先日の "UNDER THE WILLOW -kitchen-" といい、相変わらず詩人としての肩書きにぜんぜん関係ないのもどうかとおもいますがそれはさておき


レジ前の超イイ場所!




感慨深げにラックを見つめるHAPPY SADクルー。肝心のメインパーソナリティが写っていないのは



遅れてきたからです。



しかも自分のラックを目にしたとたん、きゅうに照れくさくなってうろたえだすMr. ジュークボックス



しまいには所在無さげに辺りをうろつきだすMr. ジュークボックス



いないとおもったら、この日の番組冒頭で紹介するCDをその場で調達していたMr. ジュークボックス。(仕事熱心)



ようやく落ち着きを取り戻し、お客さまの通行を妨げまくりながら番組用に撮影を始めるHAPPY SADクルー。



それを満足げに眺める影の首領



うれしそう!


そしてそれを満足げに眺める影の首領



川瀬さんとからむときは腹立たしいくらい穏やかな表情に変わるMr. ジュークボックス



キャッキャッという効果音がこだましています



そしてそれを満足げに(以下略)






ラックに並んだCDにはすべて、ヨシアキさんによるきもちのこもったコメントが添えられています。この時点ではまだありませんが、一両日中には試聴機も設置されて、文字通りラックがそのままジュークボックスとなる予定です。番組で紹介したCDもあるよ!

また、これも制作中ではあるけれど、この機会にこしらえたフライヤーも用意しています。新宿タワレコにお立ち寄りの際は、ぜひとも併せてお手に取りくださいませ。



今回いちばん素敵に撮れた1枚



そしてこの秋TBSラジオが満を持して送る、新感覚 “残業支援系” ランキング・トークバラエティ「ザ・トップ5(火曜から木曜の18:00〜22:00)も本日スタート!ヨシアキさんも今週木曜日のゲストとして登場予定です。


TBSラジオの回し者的なブログおしまい。おせわになってます。





(それにしてもこのところ場末の路地で雨ざらしになっている詩人としての看板がふたたび磨かれるときは来るんだろうか?)

ズズー

(お茶をのんでいます)

フー。

さむくなってきたなァ…