どうしてこんなに遠回りをする羽目になったのか僕にもさっぱりわからないけれど、話そうとしていたのはブラックスプロイテーションのことなのです。もったいぶるような話では全然ないからこうなるといささか切り出しづらい。まあよろしい。そんな自業自得の逡巡はこのさい煙草のようにもみ消してしまいましょう。
ブラックスプロイテーション(Blaxploitation)というのは平たく言えば「黒人による、黒人のためのザ・B級娯楽映画」です。名前だけなら多くの人が知っている「スーパーフライ(Superfly)」とか、「シャフト(Shaft)」とかがそれに当たります。筋立ての傾向としては、ステレオタイプなアウトローが理不尽な現実をご都合主義でノックアウトしてポロリもあるよ、的な理解でだいたい合ってるんじゃないかとおもう。意義だとか背景だとかいろいろのむずかしいことをおもえば定義がちょっと乱暴にすぎる気もするけれど、むしろこうしたジャンルにあっては「乱暴」もまた美徳のひとつであるとだけ、ここでは申し開きをしておきましょう。こまかい御託はお呼びでない。マクドナルドにナイフとフォークを持ちこんでも意味がないのと同じです。ひとつひとつの評価がどうであれ、それらがひとかたまりの文化としてのちに及ぼす影響をみるなら、今もって計り知れない価値があることに疑いの余地はありません。日活ロマンポルノみたいなものですね。
また、ブラックスプロイテーションはどういうわけかサウンドトラックに名作が多いことで知られています。欠くべからざる大きな特徴といってもいいくらいです。ある種のパターンに特化した映画のBGM、という性質から独特の緊張感や疾走感を伴った楽曲が多く、今ではそれだけでひとつの音楽ジャンルを成している感さえあります。ビデオやDVDとしての復刻がお粗末なまでに少なく、映画それ自体の鑑賞がかなり難しくなっているのに比べると、サントラだけは今もCDあるいはmp3として容易に手に入るのだから、思えば何だかふしぎなことです。Curtis Mayfield が手がけた "Superfly" や Isaac Hayes による "Shaft" はもちろん、Four Tops の "Are You Man Enough" や Edwin Starr の "Ain't It Hell Up In Harlem" (まさかYouTubeにインストしかないなんて…)等々、色褪せることのないソウル・クラシックがずらずら並んで数えればキリがありません。
Bobby Womack の "Across 110th Street" も、そうしたブラックスプロイテーション関連としてよく知られた名曲のひとつです。"Jackie Brown" や、もっと新しいところでは "American Gangster" にも引用されてましたね?
これは1972年に公開された同名の映画の主題歌ですが、この曲が収録されたサウンドトラックLPもまた、リリースが40年前である事実をものともせずに今なお中古市場で歓迎され、くるくると流通しつづけています。ヒップホップにおけるサンプリングソースやレアグルーヴといった新しい音楽的視点によって価値付けが変わったこともあるとおもうけど、いずれにしても時代に左右されない名盤と言い切ってどこからも異論は出ますまい。
ご多分にもれず、僕も映画を観たことはありません。でも、ドル紙幣が山と積まれたせまくるしい部屋に大の男が10人近くもひしめいているこのジャケット(最高)からしてもう、大雑把でチープな犯罪臭がぷんぷんしてむせ返るようだし、おおよその想像はつこうというものです。ふむふむなるほど…じゃまたそのうち、機会があればね!
と、
ついこないだまで内容については知らんぷりを決めこんでいたのです。映画よりも音楽が先という、いきさつがいきさつだけにムリもありません。Fresh Prince よりも Will Smith を先に知った人が Fresh Prince を見くびるようなものだとしたら、それはもう何と言うか、しょうがないよなと僕もおもう。今日出会った恋人の昨日を詮索して何になりますか。だいじなのはいつも未来であって、それはもう、そういうことでいいのです。
本題に入らないまま次回につづく。
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