2011年10月24日月曜日
何だかねばねばしたそのハンモックの上で(前編)
かねてから懸案のひとつであったビフテキ問題について考えなくてはなりますまい、とランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人は言うのです。
ビフテキとは言うまでもなくビーフステーキのことを指していますが、それ以前にそもそもこの「ビーフステーキ」ということば自体が曲者なのだと彼女はつよく主張します。今日は「110番街交差点」についてお話しするつもりだったんですけど、とおそるおそる異議を唱えてはみたものの、ちっとも聞く耳を持ってはくれません。いささか酔ってもいるようです。れろれろとしてろれつもあやしい。
忌憚なく言わせてもらうならば、ビフテキのことなんて僕にはゴマひと粒ほども知ったこっちゃないのです。昭和の遺語とも言うべき4文字を今さらほじくり返して何になるというのだ。だいたい牛肉なんて年に数回も食卓にのぼらない我が家の経済事情も多少は考慮に入れていただきたい。
しかしここで無碍にすればさらなる深酒と酩酊の口実を与えてしまいます。話を適当に切り上げようとすれば、却ってそのために長引きかねません。ランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人はそういう人だし、僕もそれについてはこれまでの付き合いからイヤというほど学んでいます。となればあとはしかたなく「うん、うん」と生返事でうまくしのぎながら好きにさせておく他はないのです。それが如何に理不尽であっても、というのは社会に出た多くの人が大いに頷くところでもありましょう。
たしかにシャッターの降りた深夜の薬局前でサトちゃんにくだを巻きたい夜のひとつやふたつ、誰にだって覚えがございます。ましてやその標的がビフテキくらいのものであるなら、せいぜい好きにわめき散らさせてやりたいとおもうのが人情というものです。いいえ、あるいはこう言い換えてもよろしい。世のしがらみが蜘蛛の巣のようなものであるならば、われわれは何だかねばねばしたそのハンモックの上で、ごろりとくつろぐ術を身につけなくてはならないのであると!
取り返しがつかなくなる前に、話を戻しましょう。
「ビフテキはビーフステーキの略語ではない。」というのが彼女の言い分です。すくなくとも、ぜんぶがぜんぶ断片的なうえに飛躍ばかりしていっこうに着地しようとしないランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人の話をざっくりまとめるなら、こうなります。彼女はそれがフランス語の "bifteck" から来ているのだと言って譲らないのです。
明確な根拠はありません。ウィキペディアにも要出典と但し書きがついています。
しかし出典がないばかりか、実際のところ「ビーフステーキの略」としても問題なく通用してしまう(!)以上、これはもう、水掛け論にしかなりません。水をかけ合うと言っても夏の海で少女たちが太陽を背にぱちゃぱちゃと戯れるのとはわけがちがいます。互いが互いに放水車で鎮圧を図ろうとするようなものです。場合によっては死人が出ます。
さて各々がた、よろしいか、ここで、ランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ夫人の口から冒頭の、「そもそもこのビーフステーキということば自体が曲者なのだ」というセリフが出てくるのです。
後編につづく。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
後編が気になりますね。そして、110番外交差点も気になります。
> Yham!さん
どうもありがとう。110番街交差点については近日中に書く…予定ですが、でもそんな大した話でもないので、あんまり気にしないでください。
コメントを投稿