2012年3月16日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その106


バウハウス(犬小屋)さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)白くて四角い豆腐みたいな小屋ですね、たぶん。


Q: 紅しょうがの活用法を教えてください。


大葉といっしょにこまかく刻んだものをジャコと和えて炊きたてのごはんへホカホカとまぜこんだり、魚のすり身にねりこんで丸くととのえた団子をあっさりした汁に仕立てたり、あるいはそのまま天ぷらにしてみたり、彩りや味わいを添える客演としては引く手数多だけれど、毎日付き合うとなるといささかアクのつよい食材です。いちどに使う量と言ったらたかが知れているし、ましてやどっさりあったりすると始末に困ります。客演のはずが、どうかすると「紅しょうがのための献立」になりかねません。かといっていつまでも冷蔵庫の隅で寝かせておくのも後生がわるい。ごはんをおかずに紅しょうがをかきこむ、という非常なる事態も場合によっては覚悟せねばなりますまい。

ふつうの一般家庭ならまだよろしい。これがたとえば中元や歳暮に紅しょうがをどっさり贈られたサンタクロース宅の話だとしてご覧なさい。いかに温厚なサンタクロースといえども、居間にそびえ立つピンクの山には閉口するにちがいありません。ひとまずせっせと消化につとめようとはしても、一向に減る気配がないとなれば思い余って乱心することもありましょう。おもちゃを詰め込んで12月24日の夜にかつぐあの大きな白い袋が、はちきれんばかりの紅しょうがでピンクに染まるクリスマスも来ないとはかぎらないのです。クリスマスの朝、枕元に置かれたひとつかみの紅しょうがに絶望するこどもたちの、青ざめた顔がありありと目に浮かびます。

無償の贈り物である以上、クーリングオフのような法的救済措置に期待することはできません。こどもたちにできるのはただ、枕元に置かれたひとつかみの紅しょうがをサンタクロースの顔めがけて投げつけることだけです。紅しょうがを夢のひとつとして数えるには、こどもたちはあまりに幼すぎます。当然、親としてもその姿勢を支持することになるでしょう。だいたい、贈り物のはずがなぜ逆に代償を払うような羽目になっているのか?

しかしサンタクロースにも言い分があります。「紅しょうがの何がいけないっていうんだ?」と真っ向から反論してくるのは必定です。「クリスマスプレゼントに紅しょうがを贈ってはいけないという法がどこにある?」

こどもたちは何も言いません。無言のまま紅しょうがを投げつけ、中指を立て、おもむろに踵を返します。一夜にして夢からさめたばかりか、いっしょに愛想も尽きたのです。紅しょうがひとつで長年の功績と愛情をなかったことにしてしまうのはいささか勇み足にすぎる気もしますが、裏を返せばそれだけ絶望が深かったとも言えるし、その深さといったらじっさい底なしです。

手痛いしっぺ返しを食らって悲しみに沈んでいたサンタクロースは、顔にはりついた紅しょうがを一本一本はがしながら、世界中にちらばる仲間たちに一斉メールを送り、交渉の決裂を知らせます。この上はもはや是非もありません。決起のときが来たのです。サンタクロース対こどもたちの仁義なき争い…のちに「薄紅色の戦い」として歴史に刻まれることになる戦争がここに勃発します。

ミサイルの代わりに紅しょうがを撃ちこみ、手榴弾の代わりに紅しょうがを投げつけ、枯れ葉剤の代わりに紅しょうがをばら撒き、地雷の代わりに紅しょうがを敷き詰めます。最後のひとりに至るまで必ずプレゼントを送り届けるサンタの徹底した仕事ぶりが、これほど裏目に出た事例は他にないと言ってよいでしょう。

こどもたちも負けじと応戦です。飛んできた紅しょうがを長めの菜箸でつかめるだけつかんで投げ返します。つかみそこねたぶんをパクパクと口で受け止めるのは「ブラックホール」の二つ名をもつ大飯食らいの太田兄弟です。彼らが後方で援護する以上、一本たりともムダにはしません。

つかんでは投げ、くわえては食べ、めまぐるしく飛び交う紅しょうがの応酬はやがて、消耗戦の様相を呈してきます。何しろ紅しょうがです。おいしくいただくにも限度があります。どうにかして味に変化をつけないといけません。このままでは参ってしまうと誰かが鉄板と専用の器材を持ち出して、その場でお好み焼きとたこ焼きをこしらえ始めました。

じゅうじゅう焼ける気持ちのよい音とともに、えもいわれぬ香りとほかほかした湯気が戦場にたちこめます。おなかが空いているのはサンタクロース軍もいっしょです。誰ともなく鉄板をもちだして、同じように調理を始めたのも当然と言えましょう。いまだ間断なく飛び交う紅しょうがの乱舞に、いつしかお好み焼きの切れ端が混ざります。どうやら関西風のようです。それならこっちは広島風だと焼きそばが加わります。一方がたこ焼きを撃てば、片方からは明石焼が飛んできます。「くたばれ!」という怒号が「うまい!」という賞賛に変わり、「やっちまえ!」という発破が「ごちそうさま!」という感謝に変わり、気づけば戦場が響宴に様変わりです。

白いひげを青のりまみれにしたサンタクロースがやってきて、「なかなかやるじゃないか」と敬意を表せば、こどもたちも口のまわりをソースでべたべたにして「あんたらもな」と屈託がありません。長きにわたる戦いは、双方痛み分けのかたちでとうとうここに終結したのです。



A: …という具合に武器としての平和利用はいかがですか。






ダイゴくん不在のいまも質問は24時間受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その107につづく!

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