僕のスタイルは昔から今に至るまで一貫して、一定量の言葉をビートに乗せて朗読する、というものですけれども、朗読にムードとしてのBGMを添えるのとは違って、かなり厳密に言葉の位置が決まっています。方法論としては単なる朗読よりもやっぱりラップに近くて、リズムのほうに言葉を寄せていくイメージです。
その事実と想定外の形で向き合うことになった、おそらく最初で最後の一編が、アグロー案内 VOL.2に収録された「間奏者たち/interluders」でした。
この一編はもともと、タケウチカズタケ、椎名純平、そしてなぜか小林大吾という風変わりな組み合わせで巡った僕にとっては尊いこと極まりないツアー ”SoloSoloSoloTOUR 2019” のために書き下ろしたものです。完全に忘れていたけれど、ブログを遡ったらそう書いてあったので間違いありません。
僕が覚えているのはこれを音源にするつもりが毛頭なかったこと、その代わりにライブを重ねるごとに言葉を少しずつ入れ替えていく、何なら時間をかけて育てるような心算であったことくらいです。ライブなんかしないくせによくもまあ抜け抜けとそんな厚かましいことを考えたものだと僕もおもいます。
音源にするつもりがなかったのは、そもそもそういう積極性に欠けるところがある性分のせいでもあるけれど、最大の理由はトラックがレコードからサンプリングした大好きなフレーズを単純にただループしただけのものだったからです。”Rapper’s Delight”の時代じゃあるまいし、そんなものを今オリジナル作品として公にリリースするわけにはいきません。
それはまあそれとして僕の手元には、サンプリングをループしただけのそのトラックに、タイトルもまだ決まっていない詩のリーディングを乗せて録音したものがありました。つまりこの録音を元に、同じBPMで、カズタケさんが新たなトラックに作り換えてくれたわけですね。
完成した至高のトラックにはもちろん、先に僕が録音したリーディングが乗っていました。しかしそこに思わぬ落とし穴があったのです。
サンプリングをループしただけのトラックは、その元が生演奏であり、さらにそれを落とし込んだメディアがレコードであるという2つの特性上、BPMが厳密には一定になり得ません。サンプリングしたひとつのフレーズにおけるリズムの揺らぎが微小で感知できなくても、ループを繰り返せば繰り返すほど正しいBPMとのズレが大きくなっていきます。
要はサンプリングから抽出したBPMでトラックを作ったにもかかわらず、そのトラックとリーディングがきちんと合致していなかったのです。
言い換えるなら、基準となるBPMが同一であるにもかかわらず、もしこのトラックに合わせてリーディングをするとしたらこの言葉はこの位置に来ないという奇妙な状況が発生してしまったわけですね。
言うまでもなくこれは、新たなトラックに合わせてリーディングを新規に録り直せばそれで済む話です。
しかしそれ以上に、「このリーディングをちょきちょき編集して、じぶんが思う正しい位置に置き直したらどうなるだろう」という、本来ならまず生じ得ない工程への好奇心がむくむくと頭をもたげました。
最低限不可欠な部分はかっちり合わせるので全体としては当然、違和感なく収まります。とはいえ1音ずつ配置するわけにはいかないのでそれ以外の数秒における揺らぎは保持されたままになる……裏を返せばそれは真っ当にリーディングをしたら決してそうはならない形に着地するということであり、自らの意志で再現することはできない仕上がりになるのです。
(ちょきちょき)
(ペタッ)
(ちょきちょき)
(ペタッ)
そうして自ら音声の編集をし、それをカズタケさんに再度パスして完成したのが、件の「間奏者たち/interluders」です。いま述べたような理由によって、もはやライブで忠実に再現することはできない小さな揺らぎが、ここにはそのままパッケージされています。
かれこれ20年以上、音楽家として第一線で活躍してきたタケウチカズタケでさえ経験したことのない(!)、稀有な道筋で完成に至った作品です。
一聴して特に違和感のないリーディングの一体どこがどう再現不能なのか、気が向いたら詮索してみてください。
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