2008年3月4日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その30


とうとう30回目です!おめでとう。ありがとう。


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さかさまつげの哀しみさんからのしつもんです。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)



Q: 淡々とした日々にはどんな刺激を与えるのがいいでしょうか?



デザインの勉強をされてるんですね。「学期末(約1ヶ月半)はひたすら作業に打ち込まなければなりません。追われながらやる作品作りは拷問です。しかも毎日同じような作業の繰り返し。(徹夜→作品提出→徹夜→作品提出→・・・・∞)」という無限のループからどうにかしてエスケイプしたいということですけれど、残念ながら僕がおもうに、いずれデザインを生業とした場合、おそらく学期末どころか年がら年中こんな感じだとおもいます。

なんとなれば、SUIKAのデザインすべてを丸投げされている僕が今まさに、こういう状況に陥っているからです。

だから、さかさまつげの哀しみさんの苦しみ(ややこしいな)は他の誰よりもよくわかります。いつまでたっても終わる気がしない!ということですよね?僕もそうです。もうホント、まったくもってそのとおりです。コンマ何ミリの微調整を延々とくりかえす不毛さといったら、ひっくり返すちゃぶ台がいくつあっても足りやしません。ほとんど賽の河原みたいなものですね。その結果が目に見える形でドーンと表れてくれればいいけれど、そうでないことのほうが断然多いし、完成して真っ先に浮かぶのはいつも、「終わった!」という清々しいきもちではなくてむしろ、「これでいいよな?」という奇妙な疑問形です。これが拷問でなくていったい何なんだ!

というようなことを、そういえばずいぶん昔からくり返してきている気がするな…。おかしい。そんなはずはないのに。

しかしよく考えてみたら、「拷問」という言い回しはそれ自体がすでに大きな刺激であることを示唆している気がします。何事もなくおだやかで静かな日々を、決してそうは呼びません。あらためてこれまでの歩みを顧みるにひょっとするとモノづくりというのは、拷問の先にあるあくまでマゾヒスティックな快楽によって突き動かされるものなんじゃないだろうか?だとすれば女王様にムチ打たれ、低温ローソクにのたうつ日々を「淡々」と表現するばかりか、さらなる刺激を欲するのだからこれは僕も含めてかなりの末期症状であると言えましょう。我ながら知りたくない事実を知ってしまったようでショックです。

こうなると果たしてどれくらい破壊的であればそれを刺激と呼びうるのか、同じ穴の狢である僕には皆目見当もつきません。おそろしくて想像もできないし、部屋のすみっこでぶるぶるうち震えながら、この先天寿をまっとうできることをただひたすら天に祈るばかりです。いつの間にか電気椅子がマッサージチェアくらいにしか意味をなさないカラダになってしまっていたなんて!



A: これ以上の刺激は命にかかわります。



とりあえず、AVでも観て忘れましょう。忘却はいつだって次への扉を開いてくれるものです。


それにしてもパンドラ的質問箱とはよく言ったものだ。


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そんなさかさまつげの哀しみさんの1曲は、「蝸牛の憂鬱」です。「群を抜いて」と一筆添えてありました。どうもありがとう!首位争いが激化してきました。


バミューダ 6
ボート 6
蝸牛 6
話咲く 5
紙屑 3
ユリイカ 3
アンジェリカ 2
腐草為蛍 1


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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



その31につづく!

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