2008年6月30日月曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その60


日曜日はなぜかぶったおれて1日眠っておりました。最初に起きたのが午前9時。次に起きたのが午後3時。次に起きたのが午後8時です。この時点で1日がほぼ終わっています。どれくらい寝すぎると病気と認定されるのか、さいきんはそのボーダーラインを知っておきたいとおもうようになりました。うまく言えないけど、僕の場合は知っておいたほうがいいような気がする。

あと正体はわからないんだけれどなんだかひどく恐ろしいものに追いかけられる、こわい夢をみました。でもいい年こいて「こわい夢みた」と人に話すのもどうかと思うので、ひっそりと胸に秘めておくつもりです。



 *



禁じられたナスビさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。どうもありがとう!




Q: 前々から気になってはいたんですけど、僕が知らないだけなのかもしませんが、前から向かってくる人がいて、自分は前に歩いていて、ぶつかりそうになった瞬間、右に避けようとしたら、向こうが左に避けようとして。またその逆をやって、っていう一連の動作あるじゃないですか?

あの一連の動作って日本語にまだなってないんですか?




大人になるまでのあいだに誰もが一度は経験する、あの忌々しい瞬間のことですね。ぜったいにわかってもらえるはずだから、なんとかしてその状況を簡潔かつ的確に伝えたいんだけれど、いざ伝えるとなるとたしかにまどろっこしいです。どうせみんなわかってるなら、むしろ話さなくてもいいじゃないかという気もしてきますけど。

しかし、うーん。順当に考えるなら、これは「あいこ」でいいんじゃないかと僕はおもいます。同じ手をくりだす、という意味では「千日手(将棋の禁じ手)」という言葉も使えそうだけれど、これはわかりづらいし、どこか専門用語っぽくてインテリ臭が鼻につきます。言われても「ふーん」というかんじで同意もしづらい。

その点、「あいこ」はちびっこにもわかってもらえそうだし、語感にも親しみやすさがあってなかなか良い気がします。(「出会い頭」と「あいこ」をかけて「であいこ」という造語も思いついんたんだけど、あまりに野暮ったいうえに恥ずかしいので、くしゃくしゃに丸めて投げ捨てました)


あるいは…こんなふうにも考えられませんか?


あなたは道を歩いている。あなたのルートをふさぐようにして、前方からひとりこちらに向かってくる。あなたは彼を避けようとして、ルートをほんの少し右に逸らす。すると相手も同じことを考えて、自分のルートを左に逸らそうとする。ふたりがとった行動は互いに真逆で、ある意味正しい。あなたは右に逸れ、彼は左に逸れたのだから。しかし残念ながら、互いに真逆の行動をとったまさにそのことによって、ふたりのルートはばっちり交差してしまう。互いが互いの道を完全にふさぐ格好になるわけだ。当然、あなたはそれを反射的に回避しようとする。とっさに右から左へと舵をきる。しかしそれは相手も同じであって、避けたつもりが結局また道をふさぐ羽目になる。右へ動けば相手もそちらへ。左へ動けば、相手もそちらへ。まるで鏡だ。やれやれ、まいったな、というふうにこちらが笑えば、相手も笑うんじゃないだろうか?だとすれば、ひょっとしてこちらが右手を上げれば、向こうも左手を上げるかもしれない。その場でくるりとターンをすれば、相手もターンをするかもしれない。なるほど、となるとこれはやっぱり鏡だ。あなたはいつの間にか鏡の前に立っている。いつの間に?それはわからない。たしかにさっきまで道を歩いていたはずなのだけれど、気がつくとバスルームで鏡の前に立ち尽くしている。鏡に映っているのはあなた自身であり、あなたはそれがまるで自分ではないかのように、さまざまなポーズをとりながら本人確認をくり返している。しかしなぜ鏡の前に立たなければならないのか?そこに文字があるからだ。ふつうは鏡に文字なんて書かない。だからこそあなたはそれに目をとめて、読もうとしていたのだ。鏡の表面、よく見える位置に口紅で書いたと思われる深紅の文字が4つ。…「サ・ヨ・ナ・ラ」。

なんてこった、こりゃ「ルージュの伝言」じゃないか!



A: しかってもらうわ、ダーリン!(荒井由実)



あれ?何かがどこかですり替わってますね。おかしいな。どこで道を踏みはずしたんだろう?



 *



dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



その61につづく!

2008年6月28日土曜日

夏草や兵どもがピザの跡


今日はSUIKAのtotoさん宅に招かれて、てづくりピザをごちそうになってきました。とちゅう幾度となくよだれでいっぱいのモンスターに襲われながらもかろうじて勝利をおさめ、まるで我が家のようにふんぞり返ってくつろぐ、夢のような週末であります。totoさんどうもありがとう!しかしこういうときにカメラを持っていけばいいんだよな。

しかも、かのウチには21世紀における台所革命のひとつ、ヘルシオがあって、目を疑いました。主婦のあこがれ、ウォーターオーブンじゃないか!良妻にして賢母なる奥さまがたには今さら説明も不要でしょうが、僕が空き巣なら、現金よりもまずこれを抱えて帰ります。なんとなく出し抜かれたような、この気持ちはなんだろう?じつにうらやましい。


 *


あ、そうだ!(ポン)(とひざを叩く)

先週末の夏至フェスで、質問箱にもおたよりをくれたハイファイ弁当さんから自家製のズッキーニをいただいたのだけれど、これがまた唖然とするくらい大きかったので、そうだそれを写真に撮ったから載せようと思っていたのだった。





どれくらい大きいかわかりますか?ほとんど棍棒ですよ!

ふだんスーパーで見かけるズッキーニの、ゆうに5倍はあります。夢のようです。にんにくとオリーブ油でじゅうじゅうソテーにしたり、カレーをスパイスからつくって1本まるまるぶちこんだり、ラタトゥイユにしたり、テンションが上がって「そいや!そいや!」とかけ声がでるほどズッキーニ祭りです。どうもありがとう!それにしても、いったいどんなドーピングをするとこんなに巨大化するのですか。

僕も生まれ変わったらこれくらい立派なズッキーニになりたいものです。


 *


しかしヘルシオはいいなァ…(遠い目)

2008年6月26日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その59


日本の相場の1/4くらいで手に入りそうなときは、レコードをアメリカから取り寄せることもあるのだけれど(Chi-litesの"Give It Away"が9ドルとかね)、その際よく利用するUPS(国際貨物運送会社)の仕事があんまり早くて唖然とします。

何しろタイミングがうまく合えば、きのうの朝発送された荷物が今日の夕方に届くのです(本当に!)。アメリカがまるで隣町じゃないか。どんな魔法をつかうとこんなにスムーズな配送が可能になるのか、ちっともわからない。UPSすごい!

もちろん早ければいいというものではぜんぜんないし、町中をテケテケ走り回りながら届けてくれる、クロネコヤマトの文字どおり地に足のついた仕事ぶりも好きなのだけれど(とくにウチの区域を担当しているのはキュートなお姉さんなのです)、それにしても場合によっては国内よりも早く届くというのはさすがに絶句してしまう。ふしぎだ…。


 *


名古屋でとてもおいしいパンを毎日せっせと焼いているフラワーズのひとり、ベーキングパンダさんからふたつめの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。こないだ大阪へともだちの結婚を祝いに行ったときは名古屋に立ち寄って、新郎新婦のおみやげにパンを山ほど買いました。どうもありがとう!



Q: ダイゴさんの今後の予定を教えてください。



「それでですね、博士」
「うわッ、きもちわるいなダイゴくん、いつからいたんだ」
「きのうからですよ。ずっといたじゃないですか」
「てっきり帰ったものだとばかり思ってたよ」
「そのへんでごろごろしてました」
「社会的に言ったら君は本当に最低の部類だな」
「底辺だからあとは登っていく一方ですよ」
「物は言いようだ」
「こないだふと思い立ってブログを読み返してみたんですけど」
「ほう」
「日記もまともにつけたことないのに、がんばってるでしょ」
「読んでないから知らないよ」
「そしたらわりとおもしろかったんです」
「なんだ、自画自賛か」
「そうじゃなくて、前のほうがおもしろかったの」
「だから自画自賛だろ」
「そうじゃなくて、今があんまりおもしろくないんです」
「だいたい君をおもしろいとおもったことなんて一度もないぞ」
「それを言ったら元も子もないでしょう!」
「さっきじぶんで登っていく一方って言ってたじゃないか」
「すべり落ちました」
「まだ10行くらいしかたってないぞ」
「ホントだ!」
「いいじゃないかとりあえず日記でもつけておけば」
「でも基本的にごろごろしてるだけなんですよ」
「どうしようもないな」
「どうしようもないんです」
「しかし知らんよ、そんなの」
「僕も知らないです」
「何をだ?」
「何を…でしょうね?」
「今後の予定は?質問にもあったろう」
「ないなんてとても言えないですよ!(ひそひそ)」
「ないのか」
「ないです(ひそひそ)」
「小声で話してもあんまり意味ないぞ」
「いいんです気持ちの問題だから」
「おじゃまするよ博士。おや、来客かね」
「やあ、金目鯛のポワレじゃないか」
「ポワレ教授!あれ?甘鯛じゃありませんでしたか?」
「まあどっちでもいいよ」
「大らかな人だなあ」
「こみいった話ならまた日を改めよう」
「いや、かまわんよ、無駄話だ」
「ムダじゃないですよ!」
「相談でもしてたのかな」
「おもしろくないからやめたいらしい」
「人生を?」
「ハッハッハ!」
「ふたりして話を飛躍させないでよ!」
「まあでも、だいたいそんな感じの話だよ」
「それは気の毒に」
「ちがうってば」
「とりあえずアルバムつくってますとかライブありますとか言っておけ」
「そんなのすぐバレますよ!(ひそひそ)」
「わかりゃせんよ。どうせたいして読まれてないんだから」
「そういうことはもっと遠慮がちに言ってくださいよ」
「何の話?」
「ブログを書いてるらしいんだよ」
「いいじゃないか。つづけることがだいじだよ」
「なんか教授に言われるとすごい説得力があるな…」
「説得力なんかクソの役にも立たん」
「博士は一刀両断しかしないじゃないですか」
「まどろっこしいのはごめんだよ」
「そうだ博士これおみやげ。山脇製菓の『レーズン&かりんとう』」
「さすがポワレだ!ピス田!ピス田!」
「なんですか?あ、ポワレさん」
「やあピス田君」
「ご無沙汰してます」
「そういえばひさしぶりだね」
「お茶を入れてくれ」
「4人ぶんですね」
「うん」
「僕も数に入ってる…!」
「当たり前じゃないか」
「何を卑屈になってるんだこの男は」
「ずいぶん気弱だね。どうしたのダイゴ君」
「いや、なんか…なんとなく」

バリ、
ガサガサ
ぽりぽり

「とりあえずこれ開けようか。開けていいかな博士」
「開けるだけならまだしも食べてから言うなよ」
「かたいこと言いなさんな。ダイゴ君もどうだね」
「いただきます」

ぽりぽり

「それで、何の話だっけ?」
「ダイゴくんのおもしろくないブログの話だよ」
「ちょっと!そうかもしれないけどそれだとなんか…」
「いいじゃないか、つづけることがだいじだよ」
「2回目だぞ、ポワレ」
「100回だって言うとも。しかしつづければいいというものでもない」
「どっちなんだ」
「どっちだっていいじゃないか」
「大らかさが裏目に出た!」
「優柔不断なだけじゃないか?」
「そんなことはない。どちらかといえばわたしは…お茶はまだかな」
「もういいだろダイゴくん。ブログの話は終わりだ」
「たしかにどうだっていいような感じになってきました」



A: 予定、たしかにあればそれにこしたことはないんですけれど。



「何を泣いてるんだダイゴくん」
「泣きたくもなろうってものですよ」
「涙をおふき」
「見上げれば目をとじた月」
「ポワレ教授まで!」

 *



dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



その60につづく!(のか?)

2008年6月25日水曜日

ムール貝博士と米の研ぎ汁


ドコン


「うーむ」
「わりといい音しましたけど」
「響きがいまいちだな」
「あれ」
「どうしたピス田」
「あそこにだれか倒れてます」
「雑巾にしか見えん」
「あ、ダイゴくんだ」
「またあいつか!」
「巻きこまれたみたいですね」
「あいつはいつも実験の邪魔をするな」
「生きてるかな」
「死んでても困るが生きてても面倒だな」
「うーん」
「ああ、生きてた」
「そりゃまあ、そうだろう」
「お約束ですものね」
「いたた」
「こんなとこで何してるのダイゴくん」
「博士に話が…」
「こっちはべつに話すことなんてないぞ」
「だいじな話なんです」
「だいじなものは胸にそっとしまっておきなさい」
「さりげなく幕を引こうとしないでよ!」
「わりとぴんぴんしてるじゃないか」
「とりあえずお茶でも出してください」
「あつかましいやつだな」
「ケガはもういいの?」
「だいぶ改行したからもう平気です」
「ウチまだお茶あったかな、ピス田」
「高いのしかありません」
「しかたないな、じゃあ米の研ぎ汁」
「それ飲みものじゃないでしょう!」
「栄養満点なんだから文句を言うな」
「さっきお茶あるって言ってたじゃないですか」
「あれは客用なんだよ」
「ぼかぁ客ですよ」
「ちがうよ。君はまあ、家族みたいなものだ」
「なんてテクニカルな切り返しだ」
「遠慮はいらん。とっとと帰れ」
「ちょっと!」
「研ぎ汁持ってきましたよ」
「しかたない。ピス田のやさしさに免じてこれを飲め」
「さっきから微妙に言葉のつかいかたがズレてるな」
「われわれはアールグレイを」
「飲むならついでに入れてくれればいいのに!」
「アールグレイという名の研ぎ汁だよ」
「ものすごいイイ香りしてますけど」
「だからアールグレイなんだよ」
「それ紅茶でしょ」
「誰がコーちゃんだ」
「名前の話じゃないですよ」
「やれやれ。どうおもうピス田」
「そういう意見もあってしかるべきですよ」
「なるほど。民主的だ」
「ダイゴくん、ダイゴくん」
「なんですかピス田さん」
「飲んでみるといいよ、研ぎ汁」
「…」
「いいから。ひとくちだけ」
「なんだかかなしくなってきました」
「大丈夫だってば」

ゴクリ

「うわッ」
「どう?」
「これ…」
「おいしいでしょ」
「これ研ぎ汁ですか」
「研ぎ汁だよ」
「信じられない」
「すごく原始的な米の一種なんだ」
「原始的?」
「食べても美味くないし、まあほとんど野草だね」
「え、じゃあ食べないの?」
「食べないよ。研ぎ汁専用の米だもの」
「意味がさっぱりわからない」
「花を育てるのに使ってるんだよ」
「たしかに研ぎ汁は使えるって言うけど…」
「最初はだから、ふつうに食べる米の研ぎ汁を使ってたんだ」
「ああ、なるほど。なんとなくわかってきた」
「そのうち研ぎ汁の成分を博士が気にし出して」
「もっとも栄養価の高い研ぎ汁が得られる米を突き止めたわけだ」
「それがコレ。月白(つきしろ)」
「雑草にしか見えないですね」
「月白は食えないけど、研ぎ汁が美味いんだ」
「なんかちょっと甘酒みたい」
「濃厚で、甘味がつよいからね」
「ギャースカ騒いですみません」
「わかればいいんだ。で、話はどうした」
「なんか話が思いもよらぬ方向へ逸れていったから今日はいいです」
「何しに来たんだ結局?」
「また明日話します」
「いいから帰れ、もう」

2008年6月24日火曜日

結婚を祝う場にふさわしい装いとは


注:画像は本文と一切関係ありません。(デジカメを買ったからなんか撮らなくちゃとおもって)

 *

日曜日はともだちのウェディングパーティというのに呼ばれて、あんまり深く考えずに普段とたいして違いのない格好のまま行ったら、ゴージャスなホテルでとても立派な大人たちがみなじつに折り目正しい装いで談笑しており、案の定ひとりだけぷかぷか浮いて場にそぐわず、いたたまれないような気持ちになりました。


この日着ていた服:
1. "I Carry No Cash" と書かれたTシャツ
2. 腰のあたりにこっそり "Bullshit" と書かれたジャケット

考えてみればたしかに結婚を祝う場に着ていくような服ではない。


だから新郎のお母さまであるシェリーさん(国際結婚なのです)が、宴もたけなわというころになってツカツカとこちらへ歩み寄られたときには、心底肝を冷やしました。そりゃ焦るよ!どう考えてもひとりだけ一般常識を兼ね備えていないと丸わかりなんだから!たしなみその他について叱られるのもしかたないと覚悟して襟を正したら、そうではなくて

"Hey, where did you find it! It's cool."

とにこにこ笑ってジャケットの裾をつまむのです。「でもコレじつはここに"Bullshit"って書いてあるんです」と正直に話したら「見たわよ、だからいいんじゃないの!」と背中をたたかれました。

天使みたいなお母さまだ!

たとえ招待客すべてを敵に回しても、新郎の母君を味方につければこっちのもんだ!ホッとした!(←本音)

ものすごい皮肉のつもりだったのかもしれないし、「そうは言っても、ダメだよあんなの」とまともな大人には言われそうな気がするけど。

2008年6月21日土曜日

夏至フェスまで鍋を返しに


今日はイベントのある代々木公園まで…あれ、タイトルで用件が済んでしまっているな。タケウチカズタケ先生に借りていた鍋を返しにいくのです。開催しているのはべつに鍋を返したり返さなかったりするイベントではないのだけど、なんといっても大事なのは鍋であって、それ以外ではない。

カズタケ先生は公園で何をしているのかと言うと奇遇にもSUIKAのライブをしているようなので、ついでにそれも観てきます。鍋を返す場所でライブだなんて、おかしな巡り合わせもあるものだ。

えーと書きたかったのは鍋の話ではなくて、明日からまた野暮用で大阪に向かうので、帰ってくるのは火曜日です、ということです。いちいち断らなくたってよさそうなものだけど。

2008年6月20日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その58


北海道でのキズも癒えてきたし、入り用なこともあって、あたらしいデジカメを買いました。先週買っときゃライブのようすも撮れたんだけど、思いもしなかったな、そういえば。


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ジョンソンアンドジョンソンアンドジョンソンさんから2度目の質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。日本法人の正式な表記は「ジョンソン・エンド・ジョンソン」なんだそうですよ。



Q: 小林大吾さんは変わった渾名ってありますか?なんとなく、下のお名前で呼ばれてそうだなと思うのですが、もし何かあればぜひ教えてください。



たしかに、今は基本的に下の名前で呼ばれることが多いです。なんとなく音のおさまりもいいし、僕も呼ばれて安心するところがあります。

高校のころは「マイケル」と呼ばれてました。なぜマイケルなのかというと、入学してすぐの自己紹介のときに「マイケルです」と名乗ったから…だった気がするけど、どうだったかな。くわしい経緯があんまり思い出せないな。だいたいどうしてそんな嘘をつかなくてはいけないのか?

少なくとも、名前をきかれて「マイケルです」と答えるような少年だったということはたしかです。今もそんなに改善してなさそうだけど、付き合いづらいというか、とっつきにくいというか、いかに対人関係に問題のある少年だったかがこの例ひとつでじつによくわかります。タイムマシンで過去にもどることができるなら、まさにこの瞬間の教室にずかずかと入っていって、「あのな、お前そういうことはあんまりしないほうが身のためだぞ」と忠告してやりたい。

あと、大人になってから数年間「ブンゴ」と呼ばれている時期がありました。アルバイトをしていた測量会社で、経理のイトウさんが僕のゴム印をつくりまちがえたのが由来です。タイムカードか何かに押された僕の名前が「小林文吾」になっていたわけですね。どうでもいいけど、冴えない話だな。

ちなみにこのイトウさんは齢70を超えると思われる女性で、PCはおろかワープロでさえ新しすぎて追いつけず、和文タイプ(!)ばかり使っていたある種の猛者でした。好物はコーラです。

あと、フラインスピンの敏腕オーナーは僕らから「YMZ」と呼ばれていますが(JAY Zのパクリらしい)、よくよく考えるとかなり呼びづらいし、こないだ会ったらジェロみたいな格好をしていたので、これからは「ジェロ」と呼んであげてください。黒いほうが演歌歌手で、白いほうが古本屋の店主です。



A: マイケル…(ためいき)



 *


それから、ジョンソ(略)さんは以前の質問時に忘れていた1票を、「三角バミューダの大脱走」に投じてくれました。僕もそんなレースがあったことをすっかり失念していてびっくりです。どうもありがとう!


バミューダ 10
ボート 8
蝸牛 7
話咲く 7
アンジェリカ 4(とコロッケひとつ)
紙屑 4
ユリイカ 4
腐草為蛍 3



 *



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その59につづく!

2008年6月18日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その57


ipodが電話になった今でも僕はポータブルCDプレイヤーを愛用しているのだけれど、今日それがこわれました。くるくる回りもせずに「No Disc」と表示されるのです。そのやる気のなさは何ごとだ。寝言はくるくる回ってから言え!


 *


靴下がぜんぶ片方しかない…さんからふたつめの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)いったい何だってこんなペンネームをつけたんだ、博士は?



Q: 私は今年浪人してるんですが、あんまり勉強に必死になれません。どうしたら良いですか?



「どうにかしなくちゃとは思ってるんだけど、なかなかできない」という状況はもちろん僕にもよくわかります。ツラいですよね。うっかり人に相談しても、「まあ、でもやるしかないよな」と通り一遍のことを言われるくらいが関の山です。そんなこたぁこっちだって百も承知なんだよ!

…なんてとても言えない。「そうですよね。やるしかないですよね」と力ない笑顔をいったいこれまでにどれだけ返してきたことだろう?なんだか逆に僕が相談してるみたいになってきたな。

こういうことを人はあんまり言ってくれないけれど、「放棄」という、どんな選択にも必ず存在する究極の選択肢もあります。それを選ばないためにはどうしたらいいかと考えるのが人としてごく自然な流れであるならば、選択肢としてまず絶対にあるんだから、あえてそれに手を伸ばすのだって同じように自然な行為です。少なくともこれまでにあったいくつかの局面で、僕は「放棄」を選択しています。当然それは褒められたものでは全然ないし、大抵の場合は後悔の種にしかなりません。へたをすると自虐が芽を出して絶望の花さえ咲きかねない、100パーセント負の遺産です。

しかしまあそれでもこうして、どうにかこうにか生き存えているから、なるようにはなるみたいです、どうやら。僕がふだんから「後悔をしない」ことよりも「後悔を手なずける」ほうに比重を置いているのはたぶん、そのためだとおもいます。それがいいことなのかどうかはまた別の話ですけど。

だからあんまり気にしないで、いざとなったら全部捨て去ってオホーツクへ行こう、とかそういう話ではもちろんありません。「必死になったほうがいいのではないか?」という不安をうまいこと言いくるめて取り除こうとしているのです。必死になれば結果が出るというものでもないしね。なるようにしかならないし、ならなかったらならなかったでどうにかなります。受験なんて、今後の人生において立ちはだかる壁の厚さにくらべたら、ベニヤ板みたいなものですよ。

さて、不安の種を半ば強引に取り除いたところで、今度は勉強に対してなるべく前向きに取り組む方法を考えてみましょう。

勉強を実験の一環としてとらえる、というのが僕の提案です。たとえば綾小路きみまろを聴きながら勉強する場合と、牛スジを大鍋でぐつぐつ煮込みながらそのそばで参考書をめくる場合、あるいは1日パンツをはかずにせっせと問題を解く場合とでは、はかどり具合にどれくらいの差があるものなのか、その日ごとにこまかくノートに記録していくのです。ある程度まとまってきたら折れ線グラフにするのもいいですね。ジャグリングしながら暗記した日の数値が異常に跳ね上がってるとか、ハムスターを丸めながら計算式にとりくんでもあまり効果がないとか、結果に意外な差が出てくるとよりモチベーションアップにつながります。また反対に、結果にそれほど差が出ないのであれば、それまでの行為をさらにエスカレートさせてみればよいのです。数メートルあるフライパンでギネス級のパエリヤをつくるとか、全裸になるとか、そのへんのさじ加減はどうにでもなります。

荒唐無稽なことを言うようだけれど、記憶というのは何か別のものと結びついたときにこそ、より強く印象づけられます。数年後にどこかで牛スジのにおいを嗅いだら、ふとあのとき読んでいた参考書の何ページ目がフラッシュバックするとかね。そういう経験って、だれでもひとつは持っているはずです。なんとなく、「なるほどなあ」という気になってきたでしょう?



A: みずからモルモットになって実験をかさねる



栄光は目の前です。がんばってください。



 *



そういえばベニヤ板のベニヤってなんだ?



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その58につづく!

2008年6月17日火曜日

Bernerd Edwardsとテイ・トウワは似ているか?


鬱蒼と生い茂る緑に囲まれてヒヨヒヨと鳴く鳥の声を聴きながら、ベランダで放心しています。タバコの煙が揺れもせずまっすぐ上に伸びるので、つい息をひそめてしまう。気がついたら隣家の枇杷も熟しています。僕にとってはこれが春の終わりと夏の合図です。今年はずいぶん、のんびり来たな。

まるまる3日間におよぶ名古屋/大阪ツアーから、話の種をカバンにどっさりつめこんで、どたどたと転がるように帰ってきました。足をお運びいただいた皆々さま、本当にどうもありがとう!

とりわけ名古屋K.D JaponにおけるSUIKAライブの、常軌を逸した熱狂ぶりには圧倒されました。みんな興奮しすぎてライブ中にひとりずつ破裂していくんじゃないかと、端から見ていて心配になったくらいです。あの時間、あの空間をちいさな箱につめて持ち帰ろうとしても、たぶん真っ赤に灼けて持つことさえできないんじゃなかろうか。ユニークな個性でこれからがとてもたのしみなコトナはもちろん、1曲だけのセッションでありながら、キュートにして奇天烈な創作楽器とパフォーマンスでみんなの心をわしづかみにしたICHIさんには目をうばわれっぱなしでありました。僕はたしかちいさいころ、彼みたいな人になりたかったはずなんだけど、どうして今こんなことになってるんだろうな?

以前も質問箱でここに登場してくれたパン職人のベーキングパンダさんは、枕みたいに大きなカンパーニュを焼いてきてくれました。これ以上の贈りものはないです、本当に。ありがとう、ありがとう!みなさんで、ということでしたが、ゴメンほとんどぜんぶ僕が食べました。だってそりゃ、どう考えてもムリってものですよ!分けようとおもうそばから、指が勝手に僕の口へ放りこんでいくんだから。

ザ・フラワーズ御用達パン屋さん→Meister かきぬまs Backstube


そして余韻にひたる間もなく、その足で大阪へ。まっぴるまにもかかわらず多くのお客さんが来てくれてみんなニコニコでした。なぜかちびっこが10人くらいいて右へ左へと始終ピコピコ走り回る朗らかな雰囲気は、強風吹き荒れる嵐だろうと爽やかな五月晴れだろうと同じように味方につけることのできるSUIKAならではのものだとつくづくおもいます。スペシャルなゲストのウリョン君(cutman-booche)は包容力とカッコよさが同居するというか、その心やさしい人柄が随所ににじみでる、味わい深くもソリッドなライブでした。いい声してるなあ…。あの声が伸びたあとにのこるやわらかな余韻は、忘れがたいです。会えてよかった!

それでまた鰻谷sunsuiはサウンドの鳴りがびっくりするくらいファットで太いんですよね。何をどうするとあんな音になるんだ、いったい?じつを言うと100%クラブ寄りのサウンドは僕の耳にとってちょっと硬すぎることがあるんだけれど、ここの鳴りはめちゃくちゃ硬いのに弾むような反響がふくまれていて、じつに気持ちがよいのです。

そういえばMCで「大阪で演るのは2度目です」というようなことを話したら、あとで「KSWSと心斎橋タワレコのインストアを入れたら4回ですよね」と指摘された上に「愛がないです」と叱咤されました。忘れてた!返す言葉もございません。でもその4回を知っている人なんて僕をのぞけば、はなちゃん、君だけだとおもいます。前日の夜話ナゴヤ(!)はおろか、東京の夜話にも来てくれていたし、君の軽すぎるフットワークはいったいどうなっているのだ。ありがとう!そしてすみません。

その他とてもここには書ききれない、多くの人に支えてもらいました。またぜひ遊びに行きたいです。そのときはよろしくおねがいします。本当にありがとう!


 *


この旅いちばん意味不明だった会話


タケウチカズタケ:(とある曲の)プロデュースがBernerd Edwardsやねん。
タカツキ:え!テイ・トウワ!?まじで?


聞き間違いというレベルをはるかに超えた予想外のリアクションに、このあと車内を5秒ちかく硬直と沈黙が支配しました。というか、そのあと、どう二の句をつげばいいのか誰もわからなくなってしまったのです。あんなに絶句したカズタケさんを見たのははじめてだ。

念のため断っておきますが、これはアレサ・フランクリンをエドはるみと聞き間違えるくらいのディスコミュニケーションレベルです。

2008年6月12日木曜日

わすれてた!


6月14日って、副都心線開通日じゃないか!「用事はないけど、端から端まで」という内田百閒ばりの阿呆列車企画をひとりで立ててたのに!

始発、ちょっと見てみたかったなあ。


夢は肥後守で300円のえんぴつを削ることです


ふと鉛筆がけずりたくなって大きな画材屋さんまで買いに出かけたら、思いのほかたのしくて興奮しました。芯の硬度はもちろん、その太さ、軸の材質とかそれぞれちがうからとりあえず4種類買ってきたのです。300円くらいするえんぴつって、どんな書き心地なんだろう…(うっとり)。

ちびっこの頃は肥後守という折りたたみ式の小刀でしょりしょり削っていたのだけれど、僕と同じかそれよりも下の世代は意外とみんな肥後守のことを知らなくて、なんだかさみしい。えんぴつ削りに負けるか!というかんじで、如何に美しく仕上げるかがたのしみのひとつだったことを思い出して、感慨にふける6月です。

ボールペンはもう飽きました。なんだ、あんな無機物!だいたいアイツいつも同じ書き心地なんだもの。つまんないよ!

しかしこうなると肥後守を用意しないわけにはいかないな。買ってこようっと!


 *


さて、明日から数日のあいだ留守にして、名古屋と大阪をめぐります。

くどいようだけれど、小林大吾というのはそもそもライブ自体がひじょうに少ない男なので、この機会にぜひ足をお運びくださいませ。次回の予定は完全に白紙だし、そうなるとこのまま忘れられて行方不明になる可能性も否めないです。

もちろん、SUIKAとの生セッションもあります。こないだの夜話でもやらせてもらったけれど、これ僕ホントに好きです。しあわせ。

あと、SUIKA各自のソロも必見です。とりわけATOMソロはへたをすると小林大吾より貴重かもしれません。ちょっとした教訓トークから話のスケールをどんどん大きくしていって、すわ宇宙か、とおもいきや突如ラップに急降下するジェットコースター的パフォーマンスはちょっと他にないですよ。

きてね。


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6/13(金)名古屋 鶴舞KD Japon
スイカ夜話ナゴヤ 〜第1夜
OPEN: 18:30/ START: 19:00
ADV: 2,500/ DOOR: 3,000 (drink別)
ホスト:SUIKA
LIVE:小林大吾、ATOMソロ、タカツキソロ、タケウチカズタケソロ
GUEST LIVE:コトナ
TEL:(052)251-0324 / e-mail:kdjapon@gmail.com


6/14(土)大阪 心斎橋鰻谷Sunsui
スイカ(昼間っから)夜話オオサカ 〜第2夜
OPEN: 13:30/ START:14:00
ADV: 2,500/ DOOR:3,000 (drink別)
ホスト:SUIKA
LIVE:小林大吾、ATOMソロ、タカツキソロ、タケウチカズタケソロ
GUEST LIVE: 金佑龍(ex.金宮たすく/ from cutman-booche)
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2008年6月11日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その56


万年塀に飛び乗ろうとして一旦かがみ、一瞬ためらったのち、やっぱりやめてテクテク歩き出す猫をみかけました。思いとどまるまでの心の動きがとても気になる。彼女はなぜ飛ぶのをやめたのか?

あと、ヒゲが繁殖しすぎてちょっとした生態系を形成しかねない勢いなので、はさみで伐採しました。梅雨だし、きのことか生えると困る。


 *


丑三つドキッ!さんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。先日のスイカ夜話で手紙をくれた、桔梗ちゃんのママですね。ご本人はじつに洗練された器をつくる、すてきなアーティストでもあります。いただいたメールによると、ふたりで詩人の刻印のデザインについて語り合ってくれた(!)そうですが(たしかに桔梗ちゃんの手紙にもそうありました)、小学生にしてすでにデザインを語れるというのは相当ぶっとんだ話です。どうもありがとう!僕がデザインという概念を知ったのはハタチをすぎてからですよ。いや、もちろんそれは遅すぎるんだけれど。すごくうれしいし、将来がたのしみです。白州正子ばりの審美眼、みがいてください。



Q: 好きな芸術家(表現者)は誰ですか?



多くのなかからひとり、ないしは数人えらぶとなると、これはなかなかむずかしい質問です。そうだなあ、なぜかいまパッと思いついたのは、歌川国芳です(なぜだ?)。江戸末期の浮世絵師ですね。職人的色合いも濃いので芸術家と呼ぶにはいくらかはばかられるところもあるけれど、浮世絵の歴史でもかなりの異彩を放つアウトローだと個人的には感じています。何を描いても独自の世界を映し出して本領がどこにあるのかいっこうにわからない底知れなさが好きです。豪放にして磊落だし、大衆的なポップ感覚と鮮烈なデザイン感覚を持ち合わせ、下世話でありながら同時に気品をしのばせる、まさに不世出の絵師と言えましょう。いちおう歴史ものとか武者絵に持ち味が発揮されると一般的には評されているようだけれど、それでは彼の魅力の1/3も語れません。美人画と春画を同じレベルの傑作に仕上げるあたりに揺るぎない胆力が見えるというか、相反するものを兼ね備えて世間体なんかどこ吹く風というかんじに惹かれます。ソウルミュージックで言うとClarence Reidみたいな人です。このふたりの類似性についてはいずれじっくり腰を据えて考察してみたい。

絵描きでおもいだしたけど、アルフレッド・ウォリスも好きです。とくにそのわけを書かなくても、これはなんとなくわかってもらえるんじゃないかという気がします。そうでもない?

どっちも故人だな。うーん。表現者として嘘いつわりなく尊敬しているのはマドンナです。ミュージシャンとしてというより表現者として、とここはあえて言い添えたほうがいいのかもしれません。

初めての給料でフリーダ・カーロの自画像を買った、という彼女の微笑ましくも意味深なエピソードからうかがえるのは、表現それ自体に対する一貫して誠実な姿勢です。だって、Like A Virgin とか、そんな時代の話ですよ!アイドル的な扱いをされていたそもそもの始まりからすでにディープな審美眼を持ち合わせていたなんて、だれが知っていただろう?すごくしびれる。Like A Prayer のころにハーブ・リッツの撮ったマドンナが表紙のInterview誌は、なんだか年月を重ねるほどに奥行きが増すように見えて、ますます手放せなくなっています。でもだからといって、アルバムをぜんぶ持っているとか、そういうかんじでもないのです。そう考えると、この質問にいちばんしっくりくる回答のような気もしますね。たぶん、だれも想像しなかった答えだとおもうけど。



A: マドンナ



意外だなあ、と書いてる僕自身もおもいます。書くことであらためて深まる認識もあるのだ。



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その57につづく!

2008年6月10日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その55


モンマルトルの岡っ引きさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。どうもありがとう!



Q: ネーミングセンスを磨くにはどうしたらよいですか?



ネーミングセンスというのは魚の食べかたが上手というのにちょっと似ていて、とくべつ大きく役に立つわけでもないけど、持っているとなんとなく株が上がるような気がするスキルのひとつです。できることなら僕も身につけたいものだし、太平洋のとある島に行けば確実に手に入るとかそういう類いのものなら、こんなに苦労しなくてすむのにとおもいます。

ネーミングでもファッションでも料理とかでもたぶんそうなんじゃないかとおもうんだけど、センスを磨こうとするならとにかく数をこなさないことにはどうにもなりません。素敵なネーミングセンスを身につけている人をみつけたら、獲物を狙う鷹のまなざしでよく観察してみてください。そういう人はそもそも、何かにつけてしょっちゅう名前をつけているはずです。さらに注視すれば、百発百中のヒットメーカーではないことにも気がつくはずです。(←ここがたぶんポイントだとおもう)

とりあえず、ふつうならこんなものには名前をつけない、というようなものにかたっぱしから名前をつけていくのはどうでしょう。ドアノブに「信子さん」とか、おいしくできた煮豆に「アメリ」とか、寝ぐせに「月面宙返りをするカズヒロ」とか、あたらしい趣味みたいにして日々の愉しみにするのです。他人には言いづらい趣味って誰でもひとつくらいは持っているものだし、退屈な日々に彩りを増やすこともできてイイことだらけです。

きのうみた夢にタイトルをつけて記録していくのもたのしそうですね。「湯けむりの罠」とか、「パラダイス銀河」とか、「つばぜり合いからはじまる関係」とか、「つっけんどんと呼ばれて」とか、なんだかわからないけど、そういうのです。

そういえばずいぶん前の話ですがいぼ痔に「ジム」と名前をつけたことがあって、へんな親しみをおぼえたことがありました。薬を塗って徐々にちいさくなっていくジムが、ある朝僕の目の前から完全に姿を消したときは、さすがにちょっとしんみりしたものです。また会いたいとはまったくおもわないけど。あいつときどき、忘れたころに顔を出そうとするんだよな。帰れ帰れ!いぼ痔なんかと腐れ縁を築く気はないんだ!


話がまた横滑りしている気がするな。


しかし下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというのは、人生における揺るぎない真理のひとつだと僕はおもいます。ほんとうに。



A: 身の回りのものにかたっぱしから名前をつける



健闘をいのります。



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その56 につづく!

2008年6月8日日曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その54


もう6月も半ばに届くというのに隣家の枇杷がいまだに青くて、気をもんでいます。こんなに遅かったっけかな?実そのものはたわわに生っているのでもうすこしだとおもうんだけど、じらすなあ。



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こないだの古川耕特集でも質問をくれたひよこ豆さん、その際じつはもうひとつ質問をくれていたので、お答えします。



Q: ホンダさん家のアシモ君が もうちょっと魅力的になるためには なにをしたらよいのでしょうか?



彼はたぶん、じぶんがロボットであることをいささか自覚しすぎなんじゃないかと僕はおもいます。メカだからくしゃみをしちゃいけないとか、オフィスラブはご法度だとか、まあそういうことですね。べつにそういうことをしたからといってホンダ家を勘当させられるわけでもないだろうし、かえって株が上がるくらいのものだという気がするんだけれど、どうも生真面目なきらいがあるというか、じぶんを律しすぎるところがあるというか、面白みに欠けていけません。ユーモアを勉強するとなったら図書館で「世界のジョーク集」を借りてくるタイプです。いくら鉄でできているとはいえ、身も心も堅すぎる。

とりあえず、夏もちかいことだし、海にでも行くというのはどうでしょうね。ちょっと白すぎる気もするし、このさい皮がむけるくらい日に焼けてくればいいんです。うまくすればギャルにモテモテというようなこともあるかもしれません。おもってもみなかった自分の一面に気がついて、積極的にナンパしはじめるとかね。そうなればしめたものです。ホンダ家から勘当される可能性もなくはないけど、人生なんてドロップアウトしてなんぼですよ。



A: 真っ黒に日焼けしてみる



ここまで書いて気がついたけど、この質問ムール貝博士宛でした。勝手に答えてすみません。こないだマライアの新譜を買ってくるといって外出したまま、まだ帰ってこないのです。



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その55 につづく!

2008年6月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その53


気がついたらスイカ夜話ナゴヤ&オオサカまで、あと1週間です。床にこぼれた味噌汁をふいたり、区役所に行って「そこバイク止めちゃダメだよ!」と叱られたりしながらぼんやり日々をすごす僕とは正反対に、SUIKAの面々は壮絶なリハ(らしい)を毎夜のようにくりかえしながら、飽くことなき探究心を燃料に今日も未来へと進んでいるもようです。今さら走ったって追いつきゃしないのでアレですが、それでも貪欲な彼らの歩みを間近で観ることのできる幸運を、さいきんはしみじみ噛みしめています。あれ、前にもそんなこと言った気がしてきたな。

僕は、そうですね、みんなの前で声を披露するくらいしかまだ能がないのが心苦しいけれど、詩人の刻印から耳を傾けてくれた人たちに会えることをとてもたのしみにしています。と言いながら小林大吾を知ってる人なんてほとんどいなくて、きっとまた、「はじめまして」から始まるんだろうな。

この際、道ですれちがった知らない人の首根っこをつかんで連れてきてくれても全然かまいません。袖ふり合うも多生の縁です。どいつもこいつもうまいこと言いくるめてお誘い合わせの上、かろやかなステップで足をお運びくださいませ。


 *


テトペッテンソンさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。佐藤雅彦+井上順という奇跡のタッグによるみんなのうたクラシックですね。



Q: 伊達めがねの存在意義とは、一体何なのでしょうか?あのフォルム、とても“ファッション”という事だけに留まっているような佇まいとはとても思えません。


僕がおもうに伊達めがねの魅力とは、変化に富んで飽きさせないカラーリングや多様なフォルムもさることながら、何より全体からそこはかとなくただよう、凛として風雅なその気品にあります。あえて語らずとも家柄がうかがえるというか、手に取るその指先から育ちの良さを感じることはありませんか?僕もコンタクトをした上で伊達めがねをかけるという本末転倒な経験があるけれど、なんというか我ながらこう、普段よりキリリとしたきもちになったものです。単なるめがねには醸し得ないあの独特の雰囲気はいったいどこからくるものなのか?

そこにはやはり、初代仙台藩主・伊達政宗の血を継ぐものとして、ぬぐうこと能わぬ矜持というものがあるのでしょう。めがねの本分がレンズによる視力の矯正である以上、レンズのない伊達めがねは「めがね」ではなく、「伊達」の名にその本分がかかるというわけです。僕らがそうした格式の重みを知らず知らずのうちに嗅ぎとっているのだとすれば、伊達めがねによって男ぶりや女ぶりが数段上がると言われるのも、当然の帰結として筋がとおります。なるほどそりゃそうか、というかんじです。シンデレラのドレスみたいなものですね。

したがって、伊達の名を継ぎ、かつその血を未来永劫絶やさないというその一点にこそ、伊達めがねの存在意義があると僕は考えます。



A: 伊達家の繁栄と存続



こうなるとめがねであるかどうかは問題でなくなるというか、まあどっちでもいいんじゃないかとおもいます。



 *



ちなみにテトペッテンソンさんは「1/8,000,000」を聴きながらヘッドバングしています、というびっくりするようなメッセージをくれました。日本中どこ探したってそんな人他にいないですよ!誰か別の人の別のアルバムと間違えていませんか?うれしいです。どうもありがとう。




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その54 につづく!

2008年6月5日木曜日

その1杯はどこからやってきた?


なんとなく雑事と蟹工船で紛れてしまってました。以前もお世話になったWEBマガジン「VAGANCE」で、こんどは「おいしいコーヒーの真実」というドキュメンタリーについてレビュー…でもないな、ふたたび好きに書きちらかしています。

GUARDO - 「その1杯はどこからやってきた?〜『おいしいコーヒーの真実』


生産者がコーヒー豆の収穫によって得られる収入は、コーヒー1杯にかかる金額の1%にさえ満たない、という市場取引の異常な不均衡を打破するべく、世界中を駆け巡るひとりの男の物語です。彼らの貧困は、僕らと無関係ではぜんぜんない。

作品の根底に置かれた「アフリカの解決策はアフリカにある」という視点さえ忘れなければ、これはとても示唆に富んで得るところの多い映画だとおもいます。告発よりも希望に重きを置いた制作者の姿勢には深くうなずけるものがありました。そのほうがよほど襟を正される。

ちなみに、僕が書いたテキストのうち、最後に置いた一文だけが検閲によって削除されています。ふふふ。この事実じたいがすでに何ごとかを物語っているようです。目くじらをたてるほどのことではないし、なんとなく予想していたことではあるので、僕個人としてはしめしめという感じでひじょうに愉快なきもちでいるのだけれど。

コーヒーが好きな人にはぜひ観てもらいたい映画です。


それにしてもアフリカンてどうして造形的にあんなに美しいの?


 *


うわっ1日に2回も更新してる!

硬くなったゴム的サウンドの亡霊


Al Green が完全新録のアルバムを出すことにもおどろきだけれど、プロデュースがJames Poyser と Questlove というのにもおどろきです。個人的には願ってもない組み合わせとはいえ、The Roots 本体が提示したあの刺激的なサウンドと Al Green がどうしても結びつかないので、ドキドキしながら新譜に耳をかたむけてみたら、拍子抜けするくらいまったく別のサウンドに仕上がっていて、もう一度びっくりしました。また器用な仕事をするものだなあ。


あれ?しかしちょっと待てよ、この硬くなったゴムみたいに肉厚なドラムの質感、聴きおぼえがある…


コレまるっきり往年のハイ・サウンドだ!


感激をとおりこしてむしろ気持ちわるいくらい、徹底した再現ぶりです。懐古趣味にもほどがあるというか…完全にナードの世界だ…(にこにこ)。

こういうヴィンテージサウンドって後から加工できるものなんだろうか?それともわざわざ年代もののドラムを探し出してくるんだろうか?こんどカズタケさんに聞いてみようっと。

僕とおなじくらいヒマを持て余している方はためしに「Gets Next To You」あたりと聴き比べてみてください。そんな酔狂な人がいるとはとてもおもえないけど。



そういうわけで最近は新譜をちょこまかと手にしているのです。ルーツとマライアと、アルグリーンと、あとAZ。

2008年6月4日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その52


ここ数日、「手もみラーメン」て何だ、というちいさなギモンに苛まれています。どことなくこだわりの感じられる枕詞ではあるけれど、よくよく考えたらその意味するところをあんまり知らない。食感が変わりそうとかある程度想像はできるにしても、食べ比べたことないから判断もできない。比べてみたいとおもうほど魅力的な響きもない。

要は売り文句としてはコレすっからかんというか死に体(lame duck)なんじゃないの、ということなんだけど、べつに手もみラーメンにそれほど執心しているわけでもないので、明日には忘れていそうな気もします。

Bygones!


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じつに2週間ぶりの質問箱になります。アツアツの耳かきさんからの質問です(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)。耳がハフハフするような耳かきのことですね。



Q: もし宇宙人にへそがあったらどうすればいいのでしょうか?そしてそのへそが一つの例外もなくみんな「でべそ」だったら…人類に残された選択肢として、果して何があるのでしょうか?



宇宙人にへそがあっても別にいいとおもいますが、医学的にはヘルニア(体内の臓器などが、本来あるべき部位から脱出した状態)の一種であるでべそがデフォルトの仕様であるとなると、さすがにただごとではありません。地球人とは異なる機能や性質があると考えてしかるべきだし、そうなるとむしろもうへそというか似て非なるものです。

仮にそれがへそ以外の何ものでもなく、かつ持ち主の年齢が10歳をこえているならば、かかりつけの医者に相談することをおすすめします。宇宙人だろうとなんだろうと、治療は必要です。場合によっては手術の可能性も否定できません。うまくいけば深謝されるばかりか友好的関係を築くこともできて、地球の未来にとってもそれなりに有益であるとおもわれます。すくなくとも、むやみに攻撃されることはないはずです。

しかしそれがへそでなかった場合、その機能と用途を早急に調査する必要があります。たとえば彼らがこの肉体的特徴をもって敵と味方を区別していたとしたら、ごく少数の例外をのぞいて、地球人の大多数は無条件に駆逐の対象となってしまうのです。そんなの困る。

当座をしのぐひとつの方策としては、へそアタッチメントの開発が挙げられます。宇宙人のでべそを調査するといっても、そのためにはすくなくともひとりの宇宙人をとっつかまえなくてはならないし、とっつかまえたからといってすぐに結果がでるとはかぎりません。しかしすくなくともへそアタッチメントによって疑似でべそを演出していれば、仮に宇宙人のでべそがスズメバチの毒針と同じ機能を有していたとしても、まさしくその理由によって攻撃に二の足を踏ませることができるかもしれないのです。だってこっちにも同じのついてるんだから。

また逆に、愛情を示すための器官なのだとしたら、それはそれで好都合です。むしろ敬意とともに温かく迎え入れてもらえることでしょう。「驚いたな、まさか君もそうだったなんて!」という具合です。誰だって相手にじぶんとの共通点をみつければ、それだけで親近感が泉のごとく湧き出すものだし、友情と信頼が芽生えることだってありえます。そのまま肩をくんで歓楽街にくりだし、でべそに乾杯する夜があってもいい。

したがって、人類に残された選択肢はひとつです。NASAに地球外生物でべそ部門を創設すると同時に、疑似でべそアタッチメントを早急に開発すること。軟骨細胞を培養すればそれほどむずかしいことではないはずです。



A: 疑似でべそでやりすごす



しかし仮にも高度な文明を築いていると思われる地球外生物がでべそを出しっぱなしにしているなんて、そっちのほうがよほど解せない気もします。腹巻きくらいしてよとおもう。


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2週間ぶりに質問にこりこり答えていたら、途中でここってこんなブログだったっけ?と不安になり、あらためて過去の分を読み返すとやっぱりこんなブログで、なんていうかちょっとためいきが出ました。



dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)



その53 につづく!

2008年6月2日月曜日

蟹工船からの帰還


時速140kmで爆走する高速のぶらり旅ですが、思いがけず北海道をほぼ1周することとなり、いろいろありすぎて何から書いていいのかさっぱりわからないので、ここは何事もなかったかのごとくシレッと平穏な日々にもどります。

とりあえず、よりにもよって茫洋たるサロベツ原野のど真ん中でデジカメを失くした、とだけ書き添えておきましょう。話がおもしろく出来すぎている気もするけれど、本当だからしかたがない。それまでに撮りためた数百枚の思い出はすべて牛のエサに成り果てました。

砂浜で1粒の黒ゴマを探すようなものじゃないか!

そういうわけで写真は1枚もないのです。

やれやれ。

思い出すだけでぶっ倒れそうになる。