2015年3月4日水曜日

大輪の徒花、もしくはヘビの靴とその職人の話

天下の明治神宮プライス

(差額の50円は神様の懐に入るのか?)


考えてみれば僕はCDをリリースしているのにろくすっぽ音楽の話をせず、詩人を名乗っているのにろくすっぽ書物の話もせず、書き散らすことといったらジゴロとヒモのちがいとかきゃりーぱみゅぱみゅの発音についてとか人生において何の足しにもならないような話ばかりです。

足しにならないというのは言いすぎかもしれません。書いていて僕も僕に異議を唱えたくなりました。むろん、足そうとおもえば何だって足しにはなります。量だけならよそに負けないくらいいつもどっさりという自負もあります。ただそれが一から十まで蛇足というか、でなければせいぜい蛇の足に履かせる靴を編むような話でしかないというだけです。

蛇の靴ならそれだけでちょっとした店をかまえられるくらい、山と積み上げてきています。草鞋からハイヒールまで何でもござれです。難があるとすれば当の蛇がそもそも客になり得ないとおもわれる点ですが、その程度のことをいちいち気にしていたら蛇の靴屋なんてやってられません。やるとなったらひたすら蛇の靴を編みつづけるほかないのです。脇目も振らずに邁進していればいずれは名だたる蛇の靴職人として世界に羽ばたく日も訪れましょう。

さっきまで暗澹としていた胸中がじわじわと温かな光で満たされていくのがわかります。そうだ、これでいいんだ。蛇の御々足にぴったりのキュートな靴の数々がここ以外の一体どこでお目にかかれましょう?巷にあふれるのはとかく人と共有しやすくてためになる耳寄りな情報ばかりです。そりゃどうしたってそっちのほうがいいに決まっているし、僕だってそっちがいいし、僕としてもなぜ僕が耳寄りではなく足寄りなのか首をひねるばかりですが、だからといって世界にたったひとつしかない、ひいては共有しづらい、というかそれ以前に履く足がない、そういう靴をこしらえてはいけない法がどこにあるというのか?否、どこにもありません。情報の大海原にぽつねんと浮かぶちいさな島で蛇の靴屋をつつましく営む僕としては、蛇の靴こそ投げられたサイコロを蹴飛ばすのにうってつけの履物である、とやはり申し上げておかねばなりますまい。

という話をしたかったわけではもちろん全然ないのですが、いい具合にまたひとつ蛇の靴が増えたようなので、今日のところはこれにてお開きといたしましょう。何をしに出てきたんだこいつはとか率直な印象を口にしてはいけません。季節を問わず咲き誇る徒花のなんと可憐なことか!

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