2015年10月16日金曜日

いつからかポエトリーリーディングと呼ばなくなったこと


ふと気づけばもうだいぶ前から、じぶんのしていることを「ポエトリーリーディング」ではなく「リーディング」と呼ぶようになっているのです。

オントローロを始めてから、そのおもいは日に日に大きくなっています。

僕にとって詩はすべての中心にある不可欠な表現だし、当然すごくだいじなんだけれど、サンプラーを駆使したり音やリズム重視のものを詠んだり、果てはコントみたいな話を混ぜこんだりと、ポエトリーリーディングで括るには全体にいささか逸脱しすぎているからかもしれません。だいたい詩を書くと言ってその要素にストーリーテリングが当たり前のように含まれているのも、なんだか妙な話です。それは詩ではなく物語ではないのか?短歌はまだ声に出して詠んだことがないけれど、詠んでもぜんぜんおかしくない。でもそれをポエトリーリーディングと呼んでいいものだろうか?

イエス、と言うことはもちろんできます。詩はふところが広い。だとすればたぶん、じぶんのなかで詩といったらもうすこしシンプルなもの、もっと言えば「削ぎ落としたもの」という線引きがあるんだとおもう。(似て非なる短歌は「抽出」のイメージ)

その基準で言うと、小数点花手鑑に詩は3つしかありません。「なれそめ」「水蜜桃」「より良い転落のためのロール・モデル」です。「注射器とカセットテープと公魚釣り」も入りそうだけどちょっとはみ出ている気もする。削ぎ落としてはいるけれど、整えた部分も大きい。

オーディオビジュアルに収めた「椅子の下の召使い」は「ライオンを手なずける調教師みたいに、去りがたいきもちをやさしく撫でている」という最後の2行のための一編です。どこが詩なのと訊かれたらここだと僕は答えます。

500部だけ刷って今はもうない詩集(「2/8,000,000」)に収められていたのは、アルバムの詩をのぞけばそのすべてが「削ぎ落されたもの」です。だからあれは誰が何と言おうと僕にとってはまごうかたなき詩集であると言い切れます。でもアルバムのほうはどうだろう?あれは詩を声に乗せたものだろうか?

その点「リーディング」はそのへんのあれこれをぱくりと丸呑みしてくれます。オントローロでやっていることは楽曲であれコントであれ「リーディング」です。「朗読」でもいいけど、それなら「吟詠」もほしいよなとおもうし、じゃあいいややっぱ曖昧に「リーディング」で、というかんじ。

ちなみにオントローロは「音吐朗々」からきています。という話は前にしましたっけ?

2 件のコメント:

ふくらはぎ さんのコメント...

小林大吾さんの作った詩の中で最も削ぎ落とされた作品はなんでしょうか?もしくは最も短い作品はなんですか?
教えていただけたら幸いです。

ピス田助手 さんのコメント...

> ふくらはぎさん

こんにちは。
せっかくなので次回のパンドラ的質問箱でお答えしましょう!