2015年10月1日木曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その227

こないだのスーパームーン


阿闍梨じゃないのよ阿弥陀はさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 飼い猫にちょっかい出したくてたまりません。猫の腹毛に顔を埋めたい衝動を抑えるいい案ありませんか?


猫の腹毛はふわふわした凶器です。一度そのおそろしさを体験してしまったら最後、何人たりとも抗うことはできません。わかっているのにやめられないという点では、薬物にちかいものがあると言ってよいでしょう。近所をうろつくノラ猫にすら気をそそられるのだから、至近距離にいて注ぐ愛情が大きければ大きいほど、禁断症状が比例して激しくなるのも道理です。つらいですね。

ではすこし視点を変えて、質問の一部をべつの言葉に置き換えてみましょう。

Q: 好きな人にちょっかい出したくてたまりません。厚い胸板(もしくはふくよかなおっぱい)に顔を埋めたい衝動を抑えるいい案ありませんか?

思っていても口に出すのは憚られるような印象に変わりましたね。やや極端ではあるけれど、しかしまあ、仰っているのはだいたいこういうことです。荒ぶる衝動もしおしおと萎えて「すみませんでした」とおとなしく引き下がるくらいのインパクトがここにはあります。すくなくともそんな赤裸々すぎる衝動を抱えたまま、通常の社会生活を送るわけにはいきません。

いや、そのたとえはまちがっている、と反論される向きもありましょう。何となれば飼い猫は家族であって、一線を画すべき他者ではないとの解釈も成り立つからです。亭主、もしくは女房の胸に顔を埋めて何がわるい、というわけですね。たしかにそれも一理あります。じっさい、生涯寄り添うパートナーとして敬意を払いつつの同居であれば、一向に憚ることはありません。腹毛に顔を埋めるくらい存分にしたらいいじゃないのとおもいます。そういう状況なら僕だってときどきはおしりくらいさわらせていただきたい。

一方で世の亭主や女房と同じく、猫にも自由意志というものがあります。生涯を誓い合った伴侶でさえ、四六時中ぺたぺたとナイーブな部分をさわりまくっていたらそりゃ三行半を結びつけたナイフが頬をかすめて壁にカッと突き刺さろうというものです。共通言語を持たないからといって、拒否反応を「いやよいやよも好きのうち」と身勝手に解釈するわけにはいきません。

そして共通言語をもたないことが、この愛猫ハラスメント問題を全体的に暈していると僕はおもいます。同じ「NO」でもひょっとしたら「生ぬるい手でさわるんじゃねえよこのゲス野郎( ゚д゚)、ペッ」くらい峻烈かもしれないのに、言葉が通じないだけで「やーだ、んもう!」程度の印象として受け止めてしまっている可能性があるのです。

僕らが人であるかぎり窺い知ることのできないこの温度差をカバーする手立ては、2つしかありません。生ぬるい手でさわるんじゃねえよこのゲス野郎( ゚д゚)、ペッ」と吐き捨てられるイメージを脳裏にぺたっと貼付けておくか、もしくは……


A: 何かふわふわしたものをじぶんの顔に巻きつけて暮らしましょう。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その228につづく!

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