2014年8月30日土曜日

人生の折り返し地点におけるロスト&ファウンド

ヒップホップ黄金期を背負ってきた男の背中


部屋のなかで見失った何かを探す時間ほど不毛な浪費はない、といつもおもうのです。最後まで見つからないときの喪失感と徒労感は言うに及ばず、仮に見つかったとしてもマイナスがゼロになるだけなのだから、どっちに転んでもやはりあとにはがらんとした空白がのこります。

おまけにこれはここ最近とみに感じることでもあるのだけれど、年齢を重ねるほど探し物に費やす時間が以前よりも長く引き延ばされていくのです。頭が固くなっていたり、視野が狭くなっていたり、感覚的に時間の流れが速くなっていたり、それから注意力の低下なんかもありましょう。同じような場所を何度も何度も行き来してはため息をつき、さっき持ち上げてみた椅子をまた持ち上げ、さっき開けた引き出しをまた開け、さっきひっくり返したゴミ箱をまたひっくり返し、気がつくと平気で小一時間が過ぎ去っています。それでいて実際には目と鼻の先にポンと投げ出してあったりするから、がらりと窓を開けてきらめく星空に「冗談じゃないぞこの野郎、ずっとここにいましたけどみたいな顔しやがって」と怒鳴りたくなったのも一度や二度ではありません。

だいたい注意力が低下するということは、当然それに伴って物を見失う頻度自体が増えていくということでもあります。したがってこの先ますますこのロスト&ファウンドに日々が削られることになるだろうとすこし以前からうすうす気づいてはいたのです。気づいていて、気をつけているつもりなのに、気がつくともう見当たらない。そんなのいったいどうしたらいいんだ?

さらにまた話を極めてややこしくするのが、ときどきどう考えても納得がいかないような場所から探し物がポロリと転がり出てきたりすることです。極端な例で言うと、たった一度ではあるけれど、洗濯した靴下が冷蔵庫から出てきたことがあります。冷やしていたわけではありません。開けたらそこにあったのです。何が困ると言って一度でもそういう経験があると、どこをどう差し引いても絶対にあるはずのない「冷蔵庫の中」という探し場所の選択肢を、この先ずっと除外できなくなってしまうじゃないですか?

このまま捜索に投入される時間が日に1時間、2時間、3時間と増えていくとしたら、妄想でも何でもなく、人生の後半はすべてロスト&ファウンドに埋め尽くされなくてはなりません。

予想される晩年の日記はおそらくこうです。


8月28日(木) 今日も見つからなかった。
8月29日(金) 今日も見つからなかった。それとは別に靴下が片方ない。
8月30日(土) 今日も見つからなかった。爪切りは出てきた。
8月31日(日) カメラが見つかった!しかしSDカードが入っていない。
9月1日(月) 靴下を発見。代わりにあったはずのもう片方が消えた。
9月2日(火) 何を探していたのだったか…しかしあきらめたら終わりだ。


しかしまあそんなことを今から嘆いたところで前回失われた本題がひょっこり顔を出してくれるわけでなし、せっかくだからライブアクトがめずらしく人目にふれたこのタイミングで、それに類するような、あるいはそうでもないような質問にお答えしましょう。

とおもったけどなんかもうそういう感じでもないですね。よろしい、これまた次回に先送りということで今宵はこのままお別れです。みなさま、よい週末を!

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