美少女仮面ポワトリンさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)
Q1: 安田タイル工業の専務さんは鉄道マニアなんですか?
専務は鉄道マニアではありません。それほどアレコレに通じているわけではないし、あんまり長く乗っていると退屈する(!)と以前はっきり言っていたくらいです。ただ単線に乗ってガタゴト揺られたり廃線跡を練り歩いたりすることには積極的なので、鉄道文化が持つ独特のムードに傍惚れしている、とは言えるとおもいます。そしてそれは部下たる僕もおなじです。僕はどちらかというと無意味にいつまでも乗っていられるタイプなんですけど。
乗ったことのない電車だと、どこに向かって走ってるのかいまいちよくわからないのがいいんですよね。
A1: じつはそんなでもないんです。
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Q2: 私は会社で「小林大吾のCD」を勧めまくっていた時期がありますが、同僚の彼氏が聞き覚えのある曲を聴いていると思ったら「小林大吾」だったらしいのです。そんな二人も結婚して赤ちゃんが産まれるのですが、どう思われますか?(リポーター風に)
それはまた…ちょっとした確率ですね。どう考えてもそう多くの人がふれているものとはおもわれないのに、世の中にはふしぎな縁もあるものです。手頃な山に駈け登ってヤッホーとひと叫びしてきたくなるうれしいエピソードをどうもありがとう!そんな彼氏ならきっとちいさなことにもよろこびを見出す朗らかな家庭を築いてくれるにちがいありません。そうならなくても僕のせいじゃないとおもいますが、いずれにしても心からおめでとうを言わせてください。そしていただいた質問の時期からしてとっくに産まれているとおもわれる赤ちゃんがすくすくと元気に育ちますように!機を逸してばかりでホント面目ありません。
Q2: どうか末永くお幸せに!
ポワトリンさんも勧めてくれてありがとう!僕がサンタクロースなら、10人分くらいのプレゼントを枕元にそっと置いていきたいです。
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Q3: 「これだけは自分の信念としてやめられない」と言っていて、その「やめられないこと」を簡単に手放してしまったことはありますか?またそうすることもアリでしょうか?
むむ。「信念」と「やめられない」ではだいぶ印象がちがいますね…。
信念というのは「保ち続けると特に固く決めた心」のことです。こうありたい、という希望よりもさらに一段上の強い意志を表しています。その決定を下したのは他ならぬ自分である、という点に注意してください。
一方、「やめられない」はときほぐせば「やめることができない」状態です。「やめる」というアクションの主体が自分であるにもかかわらずそれができないということは、「意に反して」というニュアンスがここに含まれていることを示しています。
「信念」がみずから律する能動的な状態だとすれば、「やめられない」は制限される受動的な状態ということですね。
ある種の束縛という意味ではたしかにどちらも同じです。この束縛を手錠に置き換えるなら、さしずめ前者は「みずから手錠をかけてカギを捨てた状態」、後者は「手錠をかけられてカギの所在を知らない状態」ということになりましょう。
しかし簡単に手放せる=カギがなくてもはずせる手錠を束縛とは呼べません。はずせるとすれば、あるいはないはずのカギを持っているとすれば、それはそもそも信念ではないし、またやめられないことでもないのです。
だとするとこの質問はちょっとスケールダウンして「できるかぎり持ちつづけると考えていたことをあっさり手放すのはアリやナシや?」くらいの意味合いがちょうどいいのかもしれません。束縛の度合いで言うと「カギを持ちながら手錠をかけた状態」であり、問われるのはそのカギを使うことの是非です。緊張がちょっとゆるみましたね。
そしてそういうことならそれこそ話は簡単である、と鼻息荒く申せましょう。手に入れた本を売ったりなんかするもんか、というスタンスをそれなりに長く貫いてきた僕も、あるときふと「べつにいいか」というきもちになってじつにあっさり売り払ったものです。今もあんまり売らないことに変わりはないけど、そう拘泥してもな、というところまでは心の規制も緩和されています。したがって答えは
A3: あります。そうすることもめちゃめちゃアリです。でないと僕も立つ瀬がありません。
ちなみに僕がよく引き合いに出す「キープレフト」は手錠というより手をつなぐかんじです。合わせて参考にしてみてください。
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質問はいまも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その130につづく!
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