2013年6月15日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その156



今いちばん乗りたいもの




ここに乗りたい




時をかける症状さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)治るとよいですね!


Q:思い出深い誕生日エピソードを聞かせてください。


これを人に言うと例外なく「さみしいことをいうな」と苦い顔をされるんだけど、僕は誕生日というものにまるで頓着しない男です。川を流れる笹舟のように、毎年その日はすうっと流れていきます。またひとつ年をとったぞ…としみじみ感慨にふけることはあっても、それ以上に心躍るようなことはあんまりありません。僕にとってそれは前日や翌日と同じ、本当にごくごくふつうの日なのです。なぜかつよがりとかひねくれてるとかおもわれるので、「もっと積極的になるべきなんだろうか…」と今もときどき苛まれます。

若いころはそれでも、「一応お祝いしとくか」みたいなかんじで、ケーキをホールで買って一人ぱくぱく食べていた時期がありました。冗談でも謙遜でも卑下でもなんでもなく、人付き合いが全然なかったものだから、アルバイトが終わったらビリヤード場ですこしだけ玉を突き、自転車でビデオ(ビデオでしたね)をレンタルしに行って、まだ店が開いていればケーキを買うというかんじです。たぶんコージーコーナーとかだったとおもう。玉を突いたりビデオを借りたりはいつものことだから、晩のおかずが一品ふえるようなものですね。

そんなのっぺりしたバースデー観を持っているせいなのかどうかわからないけれども、一度だけ、じぶんの誕生日を忘れたことがあります。「忘れられた」のではなくて、「じぶんが忘れた」のです。いくらふつうの日だとは言っても、今日の日付や曜日と同じでふだんなら忘れることはさすがにありません。でもその年は本当にすっぽり意識から抜け落ちてました。気づいたのは2日すぎてからです。とくに忙しかったわけでもなくて、ただ穴があいたみたいに抜け落ちていた。

ふつうは周りが指摘してくれたりするんだろうけど、何しろ先にも言ったような暮らしだったし、そもそも人に言うこともほとんどなかったから(みんなそれをどうして知るのかいまだに不思議です)、本当にさらさらと流れて行ってしまいました。その日を笹舟にたとえるなら、とくべつ何をするでもないにせよ、せめて川岸で「また来年なー」と声をかけるくらいの距離感ではありたかったんですよね。でもそれすらしなかったことに、なんとなく後生のわるさを感じたのです。なんかゴメンな…というかんじで。


A: じぶんの誕生日を忘れたことがあります。


たぶん、節分とか十五夜にちかい認識なんでしょうな。




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その157につづく!


2013年6月12日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その155



東京特許キョケキョキュさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 「100年の恋も冷める」とはどんな時なのでしょう?


恋というのは銀行の預金みたいなものです。最初に大きな額を預ける人もいれば、小額から初めてすこしずつ積み立てていく人もいます。どっちがいいとはもちろん一概には言えません。ただまあ、スタート時の額が大きければ大きいほど、その後は引き出す回数のほうが多くなるでしょうね。いずれにしても、残高がゼロになれば恋は終わります。それが冷めるということです。

程度のちがいはあるにせよ、冷めるのは「相手の思いもよらなかった側面を目の当たりにしたとき」と言ってまず差し支えはないでしょう。人目をはばかるような類いの趣味だったり、性格の表立って見えなかった部分だったり、あるいはちょっとした癖だったりと、その理由は人によってじつにさまざまです。しかもそれは相手のせいというより、むしろ往々にしてじぶんの観測がいささか希望的すぎる(=最初に預ける額が大きい)場合に起こります。彼、でなければ彼女はもともとそうした属性や因子をもっていたのであり、そこにあとから異議を唱えられる筋合いなど本来なら全然ありません。僕が原則として色恋の愚痴にあまり耳を貸さない最大の理由がここにあります。

とはいえ、慎重に慎重を期してもなお想定外の事態がおこり得るのもたしかです。僕だって恋人が30代も半ばになっていきなり「海賊王に、あたしなる!」と本気で宣言するばかりか苗字と名前の間にDのミドルネームをねじこむようになったらさすがに関係を見直さないわけにはいきません。白紙に戻すとまでは言わないにしても、何か重大な見誤りがあったのではないかと反省するには十分なインパクトです。いくら世の中にはいろんな人がいると頭では理解していても、あらかじめ想定しておける範囲には限度があります。

しかしこれが100年もキープされた恋心となれば話はべつです。いかに弱火でも焦げつくような長い長い年月を前にしては、何ひとつインパクトにはなり得ないようにおもえます。新たな側面を受け入れるというより、それくらいではもはや炭化した愛情をはがすことができなくなっている、と言ったほうが近いかもしれないけど、ことここにいたっては雨が降ろうと槍が降ろうと、デコピンひとつではじき飛ばしてしまう気がしてなりません。最終的に下した相手への評価が変態だろうと鬼畜だろうと、別人だろうと人外だろうと同じです。その心持ちを恋と呼んでいいかどうかはともかく、それまでの歩みをいきなり全否定するより、受け入れてしまったほうが手っ取り早いだろうとは容易に想像がつきます。裏を返せば100年とは、すべてのサーブをことごとくリターンエースにしてしまう年月でもあるのです。

にもかかわらずそこからサービスエースを穫るような、言い換えれば恋の残高をゼロにしてしまうような、要するに100年かけて積み立ててきたきもちが一気に吹き飛ぶような事態が果たしてあり得るんだろうか?

ない、と言わざるを得ますまい。それが100年という年月です。

という結論でしめくくるのも後生がわるいし、あまり現実的ではないけれどひとつこれはというのを挙げるなら、「恋人が際限なく分裂するようになったとき」はさすがにしおしおと心が萎えるんじゃないかなとおもいました。際限なく、というのは文字通り際限なくであり、30億とか40億とかにぷよぷよと分かれながら増えていき、やがて全人類のうち異性がその人のみに取って替わられるような場合です。もうどうでもいいや、寸分違わず同じのがどこにでもいるし、というかんじで、冷めるどころか恋そのものが何だかよくわからないものになるかもしれないですけど。


A: 恋人が際限なく分裂するようになったときです。


それともそこからさらにわずかな差異を見出して、また恋に落ちたりすることになるんだろうか?「この人だけ右足の親指にほくろがある」とか、たとえばそういう理由で?



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その156につづく!


2013年6月8日土曜日

晩のおかずを1品抜かれても仕方のない話



「取り締まりのための取り締まりになってはいけない」という主旨の話から流れで「状況によっては制限速度を20キロオーバーすることもありうる」という可能性にふれただけなのに、「20キロオーバー問題なし?」「スピード違反を許容か」と置き換えられてしまうことにちょっと戦慄しているのです。これ、そういう話じゃないよね?

そう受け取る人もいるだろうな、というのは僕にもわかります。実際そう解釈できる余地はあるし、立場からすれば言わなくてもいいことだったのもたしかです。でもだからといってその論点をずらしていいことには全然なりません。ずらしたって別にいいけど、さもそれが元から論点であるかのような体で話を進めてはいけない。

それでなくとも黒か白の二択オンリーみたいな話には日ごろからほとほとうんざりしているのです。全面オーケーでないものをすべからく徹底的にふんじばればそれで満足なのか?白以外はすべて黒と判定されるような窮屈な社会をみんな本当に心から望んでいるのか?

学校で「廊下を走ってはいけない」と言われるのはもちろんそれが危険だからだけど、第一義的にはむしろ「安全のため」です。先生が叱るのはそれをわからせるためであり、「やってはいけないことをやったから」ではありません。ですよね?ここが伝わらないと、「怒られるからやらない」という「ルールのための行動」になりかねません。ルールが意図の先に来る、これが本末転倒でなくて何だというのだ。

「理解した上でやらない」のと、「怒られるからやらない」のとでは、結果としてとる行動が同じでも意味がぜんぜんちがいます。何しろ後者は「怒られなければやってもいい」と都合よく反転してしまう可能性があるからです。

だからこそ、取り締まることの意味を今一度きちんと考えてみてもバチは当たるまい、という話をしているのではないのか。「ルールが破られがちなところ」ではなく、「より危険の多いところ」に重点を置くべきだ、という話をしているのではないのか。

だいたいこれはもともと、取り締まりについての話です。制限速度についての話ではありません。にもかかわらず速度オーバーが議論の対象になっているのは、誰かが論点をずらしたからです。いいかわるいかの二元論で言ったら、速度オーバーが一律でOKなんて話になるわけがないじゃないか?なぜそんな「誰も言っていない上にわかりきったこと」をわざわざ俎上に上げなくちゃならないのかさっぱりわからない。

すくなくとも僕は決められたルールに基づくイージーな判断を立派だとはぜんぜんおもいません。たとえ100%正しいことを言っているとしても、そんなのはくそくらえです。道徳の教本でも破ってムシャムシャ食ってろとおもう。

じぶんの子どもがしたり顔でこんなこと言い出したら問答無用で晩のおかず1品抜くぞ!

回答途中の質問箱を後回しにさせおって!


2013年6月4日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その154



カメラを持って出かけると、100枚のうち5枚くらいの割合で建物の解体現場が含まれていることについ最近気がつきました。3日分の写真を整理していたら、それぞれきっちり1カ所ずつで計3カ所のそんな風景が収められていたのです。

何かが壊される過程というのは実際それだけでひとつの美を形成し得るとおもうし、ごくごく小規模な例で言えば僕も単なるオブジェと化したテレビとかラジカセとかパソコンがあると、人目を避けながらこそこそと真夜中の公園とか河川敷に運び出したのち、完膚なきまでに叩き壊してきたものです。箒とちりとりでゴミ袋にざらざら流しこめるくらい跡形もなく砕くことができればまず言うことはありません。使う道具は何といっても掛矢がベストです。なければ玄翁でガマンするほかないけれど、掛矢が大きな弧を描きながら振り下ろされるそのモーション、そのあとにつづく衝撃と粉砕音のセットには腕も心もしびれます。

もともとそういう嗜好があって、その自覚もあるのです。でも考えなしにぱちぱち撮った同じようなスナップが証拠写真みたいにこうして一堂に会すると、じぶんの性癖をあらためてまざまざと見せつけられるようできまりがわるいったらありません。無意識だからよけいに恥ずかしい。





俺たちに茄子はないさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)そういえばこういうストーリー仕立ての質問は初めてかもしれません。


Q: 休日の昼下がり、自宅でスコーンを焼いて優雅なティーブレイクと洒落込んでいたダイゴさんのところに、数回の転生を経て女になった牝フィスト・フェレスがやってきて言います。
「あたしが気に入った奴は白ひげのとこにやらないことにしてるの。さぁ一緒に行くわよ。」
行くって言ったって一体どこへ?問いかけるより早く牝フィストはダイゴさんの手首をつかもうとします。
「ちょっと待ってくれ、せめて身支度ぐらいさせてくれたっていいじゃないか。」
「荷物はあたしのハンドバックに入るくらいじゃなきゃいやよ。そうね、本を三冊くらいなら入るかしら。」
行く先が天国にしろ地獄にしろ沙婆とはこれでお別れなのだと早々に観念したダイゴさんはうなだれながら書斎に向かいます。
「早くしてね。五分で選びなさい。あたしこのあとお買い物したいの。」
牝フィストを恨めしそうに睨むダイゴさん。

さて、何を持っていくことにしますか?(こうしている間にも牝フィストのイライラは鬼灯くらいの厚さしかない繊細な堪忍袋に溜まっていきます。)


A: 遺書でしょうね。




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その155につづく!


2013年6月1日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その153


先日とある町を一人でぷらぷら歩いていると(僕の人生は大半がこのぷらぷらで埋め尽くされています)、大きな看板に出くわしたのです。


目がくりぬかれているのでどこか腹に一物ありそうな、手っ取り早く言えばグレイみたいな感じがするけれども、しかしよくよく見ると愛らしい気もしてきます。いや、気がするというよりたしかに可愛い。見れば見るほど可愛く思えてくるようです。くそ、ナイスミドルなおっさんのしわしわした心を遠慮なく鷲掴みにしやがって、小悪魔め…!と、立ち去るころには本来の用向きも忘れ、すっかりうめりんのこと(もうすこし具体的に言うとたこ焼きっぽい胴体のこと)で頭がいっぱいになっておりました。

なぜ僕がそんな土地を一人うろついていたのかはともかく、越生は梅の町です。梅の町にあって名前を「うめりん」というのだから、これはもう町のマスコットキャラクターと考えてまずまちがいありますまい。

それでまあ後日ふとそのことを思い出して越生町のホームページをたずねると、たしかにそう紹介されています。そしてここで初めて瞳のある完全版を目にしたわけだけれど、やはりカワイイとおじちゃんはあらためておもうのです。



いや、カワイイでしょ、どう考えても!

第一、この完成度は頭の固い役所発信ならまず例外なく放りこまれる所謂「ゆるキャラカテゴリ」と明らかに一線を画しています。

ゆるキャラとはそもそも、高度に発達したキャラクター文化あってこその二次的な文化です。意図してそう仕向けたというより大半は結果としてそうなったものだし、正面よりはむしろななめからの鑑賞が求められます。単純な愛らしさよりもむしろ「応援したくなること」のほうに重点が置かれていると言ってもよろしい。

でもうめりんはちがいます。正面から見てもカワイイもの。パワーパフガールズよりカワイイもの!(注:文化的知識の更新がある時期でストップしているため、たとえが古すぎる可能性があります)

だって見てよこのバリエーション!越生町のうめりん紹介ページからこんなPDFがダウンロードできちゃうんだぞ!


ヤバい。防災袋を背負ったうめりんがヤバい。


ゆるキャラに異をとなえたいわけではもちろんありません。僕だって気づけば家でくまもん印のふりかけをご飯にふりかけています。ただ、うめりんは役所が広告宣伝をゆだねるキャラクターとしてはあまりに上手すぎると言いたいのです。そしてカワイイ。着ぐるみのチープな再現性にちょっと待てと一言申し立てたい件はひとまず先送りするとして、この魅力をみんなもっと知るべきだとおもう。相当イケてるぞコレ!


とまあ、こんな話を持ち出したのも、元はと言えばこんな質問が届いていたからです。



星の瞳のヘルメットさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)「すすき野原の男の子」からもらったヘルメットをいつも持ち歩く女の子のお話ですね。


Q: 小林大吾さんがゆるキャラを作ったら、どうなりますか?


ゆるキャラについての認識を上のように整理してしまった以上、僕にはもう意図せず描くことができません。いかに頭を空っぽにしたところで、どうしても作為がふくまれることになるでしょう。さいわい、こういう分野には僕よりもずっと長じている、うってつけの人物をひとり知っています。ミス・スパンコールです。以前彼女が描いたペンギンを(いいですか、ペンギンですよ)、代わりと言ってはなんですがここに載せましょう。



[名称] ぽこぺん
[出身地] 南極
[生年月日] 2004年3月5日(という記録が残っています)
[身長] 35メートル
[体重] 1万2千トン
[性別] 女の子
[特技] マッハ3で空をとぶこと、火をはくこと
[好きなもの] 平岩弓枝の御宿かわせみシリーズ
[座右の銘] 渡りに船


「なぜ耳があるのか」という素朴な疑問をぶつけたところ、「え?ないっけ?じゃペンギンて耳どこにあるの?」と逆に質問されました。


A: こんな具合です。


ちょっと図体が大きすぎるような気もしますが、じき慣れるとおもいます。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

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その154につづく!

2013年5月29日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その152、もしくは爬虫類界のMJ


ここしばらくこまかい話がつづいたので、もうすこしどうでもいいような話に戻りましょう。ある日ふと1本のヤマザクラを見上げると、そこに蛇がいたのです。



巻きつくというよりは這うような格好で、ぬるぬると上に登っていきます。ただのたくっているようにしか見えないのに、気がつくとどんどん遠ざかっているのだから、そりゃ誰だって目が釘付けになるというものです。なぜその動きで前進できるのかさっぱりわからない。見た目の動きと実際の動きに違和感があるという意味ではムーンウォークにも近いものがあります。僕も蛇のきもちを想像しながら実際に寝そべってはみたものの、木に登るどころか動く気にもなれず、そのまますやすやと寝入ってしまう始末です。

創世記によれば蛇は神に呪われてすべてを奪われたことになっているけれど、端から観察するかぎりではとてもそうは見えません。むしろ僕らの一歩先を行く生物のような印象さえあります。仮にすべてを奪われてなお爬虫類界のマイケルジャクソン的立ち位置を勝ち得たのだとすれば、これはもう涙なくして語れない驚異のサクセスストーリーと言わねばならないし、映画化権の奪い合いにならないのが不思議なくらいです。

タイトルは「日はまた昇る、ぬるぬると」でどうだろうか?




くるまにポピーさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: パンツとパンティの違いってなんでしょう?かつて同級生(クレヨンしんちゃんがそのまま成人したようなアホ男子)に訊かれた質問です。私は彼のおばかな質問には大方答えていたのですが、このときばかりは絶句してしまいました。そのとき私に言えたのは「女性は、“パンティ”という単語をほとんど使わない。」ということだけでした。


いい質問です。クレヨンしんちゃんがそのまま成人したようなアホ男子、というのがまたいいですよね。本来誰のものでもないはずの島が誰のものだとか、過ぎ去った日々を蒸し返してあったとかなかったとかで喧々諤々するより、どうせならこういうことを真剣に考えたいとつくづくおもいます。おい、みんなこっち来いよ!そんなことよりパンツについて考えようぜ!と拡声器で盛大に呼びかけたい。

それはまあそれとして、まず最初にひとつ言えそうなのは、男性もパンティという単語をほとんど使わない、ということです。というかそもそも、いかに男性と言えどパンツについて意見を交わし合う機会はそんなにありません。ネット上なら24時間365日その話でもちきりのハートウォーミングな集いもあるでしょうが、日常生活においてはやはりそれほど一般的なトピックでもないのです。

僕の場合はかつて身を粉にして働いていた職場に無類のパンツ好きがいたので、その手の話題はわりと頻繁に持ち出されました。目をキラキラさせながらさわやかな笑顔で「いいよな!」と言われると、こっちもつい笑顔で「いいっすよね!」と返したものです。10年もたてば他のもろもろより却ってそんな思い出ばかりが真っ先によみがえります。そういえば「パンツには夢がある」というような話をした記憶がある。マーティン・ルーサー・キングばりに言い換えるなら "Pants have a dream." ということになりましょう。

しかしそんな特殊な状況下に身を置いていた僕らでさえ、やはりパンティとは呼んでいなかった気がします。パンツの3文字が老若男女を問わず、それさえあれば事足りるマスターキーのような言葉であるのに比べると、パンティはそれほどのマジョリティを獲得してはいません。もちろんその意味するところがひどく限定的なせいもあります。ただそれを差し引いてもあまり発音されない単語であることは先の例からも明らかです。そりゃそうだろうの一言で済ませてしまいたい気もするけれど、しかしそうなると解せない点がひとつあります。誰に聞いてもその意味が通じる高い認知度です。ほとんど誰も口にしないような単語を、なぜ大多数の人が知っているのか?

考えられる理由はひとつしかありません。パンツが口語であるのに対し、パンティは文語だからです。なかには素材や意匠がちがうんだ!と言い張る向きもありそうだけど(そしてたぶんここにはかなり具体的なイメージがある)、昭和ならいざ知らず平成においてはまずこの点に尽きると言って差し支えありますまい。

またそれとは別に、なぜだかわからないけれども、パンティには何となくむずむずしていたたまれなくなるような、あるいはこう言ってよければギクリとさせられるような語感があります。下穿きという意味ではパンツとちっとも変わらないのに、語尾を変えたとたんイヤンでウフンなムードがそこはかとなく漂い始めるのです。セクシーというよりはエロスに傾きがあるように感じられるし、デリケートな領域を保護する本来の機能よりも「秘密を隠し持っている、あるいはそれ自体がひとつの秘密である」ことに重点が移されているようにも見受けられます。すくなくとも僕と同じ世代なら概ね頷いてもらえるんじゃないかとおもうけど、言葉の持つイメージがなんというか、全体に男性視点なんですよね。僕が女性でもやっぱり憚るだろうなとおもう。

しかしパンティって今も変わらずどの世代にも通じる単語なんだろうか?通じるとしたらいったい誰がどうやって語り継いでるんだ?


A: 口語と文語の違いです。


ちなみに英国ではパンティを "knickers" と言うそうですよ。なんかかっこいい!




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その153につづく!

2013年5月25日土曜日

さらにその先にあるレコードの話 後編


【前回までのあらすじ】
生まれて初めてSP針と真空管アンプでSP盤を聴かせてもらってじたばたしています。

目からウロコどころか、目玉がそのままポロンと転がり落ちるくらいちょっと衝撃的な体感がそこにありました。ブルースがどうとか曲がどうとか以前に、この音楽体験そのものに圧倒されたというべきかもしれません。この音はいったい何ごと!?SP盤て、こんな世界なの!?7インチとは世界が、というよりもうこれ惑星がちがうんじゃないの!?

「これは誰の曲ですか?」
「これ?これは Johnny Guitar Watson
「Johnny Guitar Watson!?」

ヒップホップを聴いてきた人ならすぐにピンと来るその名前にも驚いたけれど、僕が知っているのは70年代の Johnny Guitar Watson です。60年代に活動していたことも何となくは知っています。でもまさか50年代までさかのぼれるとは思いもよらなかった。昭和で言ったら「ALWAYS 三丁目の夕日」より前だし、東京タワーさえそのころはまだ建ってません。

そのころの新宿


でもこの日いちばんの驚きはそのあとにありました。「こんなのもあるよ」といって店主がかけてくれたのは、James Brown の "Try Me" 、そのSP盤だったのです。

JBは同じ曲を何度もレコーディングしているので、"Try Me" なら僕もわかります。前回挙げた "Revolution Of The Mind" でも演ってるし、一聴してかなり古いバラードだとわかってはいたけれど、50年代のSP盤に吹き込まれてたなんて僕の世代ではそんなのもう、レコード屋さんに足繁く通ってたって知りようがない話です。売ってないし。JBを好きな人はそれこそ数えきれないくらいいるとおもうけど、ファンクに目覚めるよりずっと以前のSP盤まで手にする人がどれくらいいるんだろう?

そんでこの "Try Me" がまた超イイの!耳から心臓を直接引っ掴まれてガンガン揺さぶられたと言うより他に表しようがありません。しかもこれJBがまだ25歳だったころの録音ですよ!こないだUNDER THE WILLOW kitchen@新宿タワレコの控え室で「ファンク以前のJBはべつにおもしろくない」みたいなことを臆面もなく話してたんだけど、五体投地なみの土下座で全面的に撤回したい。すくなくともSP盤で聴く1958年(←東京タワーができた年)の "Try Me" は掛け値なしに最高です!

要は前回、ライブに準ずるくらい体験としてのよろこびがある、と書いたけれども、それを言うならこの日の体験こそがまさしくそれだった、ということです。とにかくあまりにも圧倒的で、僕はレコードのことなんてなんにもわかっちゃいなかったと痛切に思い知らされました。時代を遡れば遡るほど衝撃が大きくなるって、いったいどういうことなんだ?他にもいくつか聴かせてもらったんだけど、とくに(本来の意味での) R&Bは好みにもぴったり沿うかんじで本当に良かった。

「SP盤だとあとシャンソンなんかもね、いいんだよね」
「シャンソン…良さそうですね」
エディット・ピアフとかね。今ないけど」

そんなに聴いてこなかった時代のブルースを聴いてもメチャ良いとおもえるんだから、そりゃシャンソンだってカントリーだってきっとすごく良いにちがいないのはもう実感としてわかります。エディット・ピアフならなおさらそうでしょうとも!SP盤で…超聴きたい…!


レコードに限ったことではないけれど、好きなものをずっと好きでいるとときどきこうして思いもかけない機会に巡り会います。それまで好きだった時間が長ければ長いほど、その良さがより深くしみわたって体中の細胞にびりびりと電流が走るのです。

しかしこうなるともう、ほとんど歴史の勉強ですわね…。