2009年4月8日水曜日

けむにまかれる人外の茶屋から


まるで温泉街にいるかのような錯覚をおぼえるそのひなびた茶屋は、住宅街の裏路地からふと迷いこんだ人だけが辿りつく人外境にあるのです。


19時には灯りが落とされてしまうので、日暮れから宵の口にかかるほんのわずかな間ばかりが、その気怠くドープな風情を味わうことができる唯一の時間帯です。かたちを変えた迷い家(まよいが)みたいなところだとおもう。

どいつもこいつも一筋縄ではいかなそうなおばあちゃんが4〜5人でせっせと立ち回るんだけれど、声をかけるとそのうち3人くらいが同時に喋り出すうえに正反対のことを言ったりするからどれが本当なのかよくわからない。

桜も満開だというのにいつまでたっても肌ざむいし、甘酒がのみたくなってたのんでみたら、なんだかほんのり色づいている。

あ、しょうゆだ。

15年も前から知っていたはずなのに、こんなのはじめて飲んだ。どこまでも素朴で、そりゃ和むわけだ。



日が暮れると人がいなくなるから生きものの気配がものすごくて、ボンヤリすればそのまま闇に取りこまれそうになります。取りこまれることそれ自体よりも、むしろ取りこまれてもいいと思わされることが怖い。

夜がきて間もないのに、そういえば水鳥が首をうずめてもう眠っていた。


そしてここには、心にのこる桜の個人的名木があるのです。


これだけなぜか全体に苔むしていて抱きつけばクマみたいにもさっとした肌ざわりだし、何よりかたちといいその枝ぶりといい、どことなくやくざな面持ちがいい。群れずにぽつんと立ち尽くす剣呑な佇まいもいい。狂い咲きの先にあるちょっとした無我の境地を見るような思いがする。


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東京23区裏名所案内、次回は「まっぷたつに割られた奇妙な家」の話です。また忘れたころにお会いしましょう。さようなら!

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