2009年4月30日木曜日
ブランフォード・キリギリスのサバイバル論
われながらボンヤリにもほどがあって、気がつくと危機はもうすぐ目と鼻の先に迫っているのであった。警戒度5なんてとうにすぎてひょっとするともう30くらいに引き上げられているのではなかろうか。
インフルエンザではなくて、ごくごくパーソナルな暮らしぶりの話なんだけど、これがまた逼迫どころの話ではない。バイオリンをギコギコと弾きながら悦に入っていたキリギリスのように、畑に作物をみつけると立ち止まって思案するくらいの瀬戸際まで状況は悪化しているのです。危機感というものをまるで持たない、脳天気なキリギリスに生まれたばっかりに!バカバカバカ。
昨夜はとうとう米が底をつき、しかたなく祖母の形見である古い買い物カートをガラガラと引きながら、なけなしのお金をポッケに入れてちかくのドラッグストアに米を求めに向かったのだけれど、こういうときにかぎって余計なセールなんかをやっていて、米が店頭にひと粒も残っていない。
買い物カートを引いて夜の山手通り沿いを歩く30代男性なんて、それでなくともきょうびめったに見かけないのに、お目当てのものが売り切れてドラッグストア前で呆然と立ち尽くす彼の、みじめな姿をちょっと想像してごらんなさい。
彼ははたして明日を生き抜くことができるのか?
いや、まだ池袋駅ちかくのお店は閉店前のはずだ。ここからだと20分くらい歩くけど、背に腹は代えられないし、空っぽの買い物カートをガラガラと引きながら、意を決してべつの店に向かうことにしたのです。
道すがら、おなじようにカートを引くおばあちゃんとすれちがい、そうかいま僕はこんな感じなのだな、と奇妙な共感を抱いて夜更けのネオン街に向かううつろな面持ちといったら、まるで断頭台に向かう罪人のようじゃないか。
いや、まだ希望はある!米はきっとまだ売れ残っているし、暮らしぶりだって今より悪くなろうはずもないのだ。買い物カートは空っぽだけれど、その軽さこそ、そしてそれゆえの軽快な足取りこそが今の僕にとっては唯一の身上ではないか。失うものなんてはなからありはしないのだ。すすめすすめ!
そういさましくのしのしと向かっていったら、どうも思いちがいをしていたらしくて、辿り着いたお店には無情にも冷たいシャッターが下ろされているのです。電気も落とされて、ひっそりと闇につつまれている。
絶望した!
この虚脱感を言い表すことなんて、いったい誰にできるだろう?米をもとめて、買い物カートを引きながら、欲望と権謀術数うずまく夜の池袋をさまよい歩いたあげくの果てがこのていたらくだ!
さいごの希望もしずかについえて、とぼとぼと家路につくわたくし。
*
それでまあ、結局どうしたかというと、流しの下に忘れていたわずかなモチ米をみつけておいしい中華ちまきをこしらえることができ、どうにか今日も生き長らえているのです。草木もねむる丑三つ時に、ふかふかとして食欲を刺激するいいにおいの湯気がたちこめたものだ。生きてるってすばらしい!
少年少女諸君、声を大にして言っておくけれど、基本的な料理スキルはぜったいに身につけておいたほうがいいぞ!
好むと好まざるにかかわらず、そしてまた男女の区別なく、ただ生き抜くためだけに。いやホントに。
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