2007年11月13日火曜日

声のタギング、耳をすますグラフィティ


意気込んで出かけていったら次が最終号ですという(あれ?)TOKYO READING PRESS の企画で、山崎円城さんと対談させてもらいました。対談ていうか好き勝手しゃべくってただけですが、しかし正直なところ、僕も山崎さんもポエトリーシーンの動向をまるでわかっちゃいないので、意に沿うお話ができたかどうかはひじょうに疑わしい。あと、今思い返すと質問をずいぶん曲げて答えていた気がする。わざとじゃないんだけど。(Bygones!)

ところで山崎円城さんというのはF.I.B JOURNALというバンドで超ドープなジャズ/ブルースを下敷きにリーディングをする、独特のスタイルをお持ちの才人です。これはでもあくまでバンドのヴォーカルという位置づけであって、お話しするかぎりでは詩人というよりはたぶんミュージシャンと呼ぶほうがよりしっくりくるとおもう。てくてくと柵の内側で闊歩していたとおもったら次の瞬間には数キロ先の路上で昼寝しているような、音に対する言葉の置き方、ステップが緩急自在で惹きつけられるものがあります。押韻や反復という制約が魅力のひとつでもあるラップとも、制約と言える制約がほぼゼロに近いリーディングともちがう…というと僕だってまあその範疇に入りそうだし、どのみち異端である点は同じだけども、僕はまだあんなふうに言葉で自在なステップを踏むことはできないです。歌詞のほとんどすべてが英語、ということもあるかもしれない。それにじぶんの声を楽器と見なしているみたいなので、パンチラインとかフレーズみたいな言葉それ自体よりは、声のタギングとでもいうような「行為」に重きを置いている感があります。だから耳に残るのも線ではなく点です。じっさいタギングが原点と言っていたから、それがそのまま別の輪郭を伴っただけなのですね。そんな歩みかたもあるんだ!

それにしてもCDで聴くドスのきいた太い声とは真逆の、ホットミルクみたいにまろやかな物腰と人懐っこい笑顔が素敵で、ホントに同一人物かどうか未だに確信が持てないくらいのギャップにびっくりです。あんな大人になりたかったけれど、さすがにちょっともう無理だな。

対談が終わったその日のうちに丁寧なメールをいただいて、あわてました。僕はぼんやりしすぎていつも礼を失する。

TOKYO READING PRESSの村田さん、呼んでくれてどうもありがとう。たのしかった!

で、肝心の対談が掲載されるTOKYO READING PRESSの最新号がいつ発行されるかというと、僕も知らないのです。ききそびれた。

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