2013年7月8日月曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その160



ジャン黒糖さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: ふと時計を見ると、どうも一秒以上秒針が動いていない気がすることがあるのですが、あれはどういうことですか。


僕は科学に絶大なる信頼を寄せる者ですが、何でもかんでも科学的説明で片付けられるときゅうに鼻白む者でもあります。それは21世紀に至る今になってもなお、「現時点でいちばん確かだと思われることの集まり」にすぎません。何しろ飛行機が空を飛ぶ究極の理由は実のところよくわかっていない(!)というし、ほうれん草には鉄分がたっぷり含まれていると同時に、その吸収を妨げる物質も含まれている(!)というじゃありませんか。その是非はともかく、科学において確かなのはそれが鵜呑みにするほど揺るぎないものではない、ということだけです。

だからというか何というか、進化論に対して相当の敬意と関心を払う僕でも、アメリカ人のじつに半数近くが今も信じて疑わないと言われるキリスト教的創造論を、頭ごなしに否定する気には全然なれません。どう考えても太刀打ちなんか到底できそうもないのに、インテリジェント・デザイン(腕時計よりもずっと複雑なたとえば眼球のような構造が、何者かの意図と操作なくして自然に生まれると考えるのは馬鹿げている、とする考え方)というパワフルな論理をもちだして堂々と渡り合っていることにむしろ感動をおぼえるくらいです。できれば進化論と創造論、それに付け加えてよければ空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の3つは三竦みの状態でいつまでもにらみ合っていてほしいとおもう。

それから、たとえば宵の口に赤くて巨大な月をみることがあります。ことによるとそれはもう、夕日とまちがえるくらいデカい。ふだんの月がうずらの卵なら、空の低い位置に出た赤い月はにわとりの卵です。

でもそれを人に言うと、「ああ、それね、錯覚なんだよ」と訳知り顔で返されたりします。ここでもし彼が「だっておれ定規当ててみたもん」とつづけてくれたら全面的に受け入れる準備もあるんだけど、えてしてそういうことにはなりません。大抵はどこかで仕入れた「リーズナブルな知識」をそのまま鵜呑みにしているだけです。もちろん、錯覚なのかもしれない。その説明はたしかによくわかります。しかしじぶんで検証もしていない話が事実として通るなら、「まじでデカい」という言い分にも同じくらいの確かさが認められてしかるべきなのではないか?だって明らかにデカいもの。

とまあ、まるで関係のなさそうな話を長々としてきましたが、ここで質問に戻り(というか我に返り)ましょう。ときどき秒針が一秒以上動かずにいるように見えるあれはいったいどういうことなのか。

愛すべき科学に対する向き合いかたと、赤く巨大な月について述べた僕としてはやはりこう言わねばなりません。そのとき、時計はたしかに止まっていたのだと。

ではなぜ止まっていたのか。ここで注意したいのは、ふと目が合ったように感じる秒針と目撃者の間には、ある種の緊張感が漂っている、ということです。「マズいところを見られた」、あるいは「マズいところを見てしまった」気まずさがここにはあります。より具体的に言うなればそれは、子どもが内緒でつまみ食いをしているところに母親がひょいと顔を出すようなばつの悪さです。

でも相手は秒針だぜ、とおもわれるかもしれません。つまみ食いったって何を食うのか?おっしゃるとおりです。でも考えてみてください。もし秒針が時間をつまみ食いしていたとしたら?というのはつまり、これから来るはずの時間を待ちきれずに先取りしていたとしたら?本当ならまだ12秒のはずなのについ出来心で13秒目にまで手を出していたとしたら?

仮に14秒目まで手を伸ばしたところで、ジャン黒糖さんに見つかったとしましょう。秒針としてはそれ以上下手な動きをすることができません。そればかりか、見とがめられた以上は先取りしてしまった2秒を返す必要があります。時間を前借りしたぶん、同じだけの時間を稼いでいると言い換えてもいいけれど、いずれにしても秒針の、硬直してわずかに動きを止めた理由とそのきもちがこれでわかろうというものじゃないですか!


A: 秒針が時間のつまみ食いをしている場面に出くわしたのです。




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その161につづく!


2013年7月5日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その159b



愛という名のモツ煮さんからの質問のつづきです。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 聞き方が失礼かも知れませんが、ダイゴさんは褒められて伸びるタイプですか?ぼくは褒められると、これでいいんだ、と手を抜いてしまいます。


いかにも、僕はほめられて伸びるたちです。でも手を抜く云々というのはまたちょっとべつの話ですね。手を抜いている自覚があるのだとすれば、それはまだ先があるとわかっているにもかかわらず手を止めるということだし、はっきり言ってしまえばそこには主体性がないようにも見受けられます。与えられた課題を望まれるかたちで事務的にこなすような印象です。厳しく叱咤されたほうが伸びる、とは書いてありませんがもしそういうことなのだとしたらそれも、ひょっとしたらただ相手が納得しないから手を止めないだけのことなのかもしれません。そうなるとこれはもうほめられたらとか叩かれたらという話ではなくて、100%じぶんの問題になってきますよね。「彼は絶賛した。で、君自身はどうなんだ?ということです。

くりかえしになりますが、僕はほめられて伸びるたちです。またそれゆえに、ほめられて伸びない人なんてどこにもいない、と固く信じる男でもあります。

でもおだてられてのぼせることはあんまりありません。おだてるというのはこの場合「高純度の肯定」を意味していますが、これは実際のところ本心とは切り離して使うことのできるジョーカーみたいなカードだからです。ほめることが不得手な人はここをごっちゃにしていることが多くて、しかも本人はほめてるつもりだから、時として妙なすれちがいを生むことがあります。「いいね」とか「すごいね」というのは対象を問わない点からして、むしろ「承認」に近い。好意的な、と付け加えてもいいけれど、いずれにせよ似て非なるものです。

また、ほめる、というのはそれ自体が報酬ではありません。たとえて言うならそれは、マラソンにおける給水所のドリンクみたいなものです。さらに先へ進むためのブースター的な意味を持っている必要があります。したがって、もし相手のモチベーションがぴくりとも反応しなかったり、「これでいいのか」とペースダウンするような結果を招くとしたら、それはそもそもほめたことにはならないのです。

そしてそうならないためにはまず大前提として、どちらも信頼に応えようとする姿勢がなくてはいけません。あるいは面識のない人同士なら、信頼されていると仮定してそれに応える姿勢です。それは「応える」ものであって、「与える」ものではない。「承認」と大きく異なる点があるとすればここです。与えられたらそれで終わってしまうかもしれないけれど、応えてもらえたらまたそれに応えたくなるでしょう?なりませんか?ほめられて伸びない人なんてどこにもいない、と僕が信じる所以もここにあります。剃れば濃くなる体毛みたいな例も否定できないですけど。

要は応えたいとおもえるかどうかだとおもうんですよね。見返してやりたい、とかではなくて。ネガティブよりはポジティブのほうが、どうしたってよい結果を生むとおもうし、すくなくとも前を向いて歩く以上はそうおもいたい、というのが僕のスタンスです。自戒もこめて。


A: とはいえ実際のところ僕が伸びてるかどうかは僕も自信がありません。




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その160につづく!


2013年7月2日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その159b、ではなくて


そういえば、と思い出したように言うのはこれがひと月くらい前の話だからですが、うっかり掃除機で靴下をズコーと吸いこんでしまったのです。

靴下はウチにあるなかでもいちばんの古株で、ちり紙交換で言うところの「ボロ切れ」に相当するようなくたびれようだったから、そこに未練はありません。実際よれよれだししょぼしょぼだし、来るべきときが意外なかたちで唐突に来たというだけの話です。もし掃除機に口があったら「てっきりゴミだとおもいました」と悪びれずに言うでしょう。たしかにその見解には同意せざるを得ないだけの説得力がある。僕自身、「いいよいいよ気にすんなよ」くらいのきもちでおりました。あとはただその、かつて靴下と呼ばれていた袋状の布をひっぱり出してねんごろに弔うだけです。

そうおもいながら鼻歌まじりで掃除機の吸込口をはずし、延長管をはずし、ホースを本体からはずしたのだけれど、くだんの(元)靴下がどこにもない。すくなくとも本体まではまだ辿り着いていなかったらしい。はずした延長管を望遠鏡のようにのぞいてみれば向こうの景色が丸く見えます。となるとこの伸縮自在のホース部分のどこかに丸まっているわけだな、と見当をつけて再度本体につないで手元のスイッチを入れると、ホースが喉を詰まらせたように苦しそうな音を立ててギュウと縮むのです。このままスイッチを入れっぱなしにしておけばいずれ耐えきれずにスポンと本体へ引きずりこまれそうにおもわれます。よし、それを待とう。

ところが一向にそうなる気配がありません。ホースがますます縮むばかりで、事態(というか詰まった異物)が動いているようにはぜんぜん感じられない。空気の通り道がふさがれたことによる聞き慣れない稼働音が、だんだん断末魔の叫びにおもえてきます。ちょうど押すことも引くこともできないような絶妙の位置で、よほど頑固に丸まっているらしい。

こうなったら直接押し出してみようとスイッチを切り、長い棒を持ち出してホースにつっこんだそのとき、たいへんなことに気がつきました。手元に当たるホースの先には短いパイプが取り付けてあって、ここにスイッチがあります。そしてもともとこの部分は、くの字に成形してあるのです。


くの字に曲がっているということはつまり棒が貫通できないということであり、棒が貫通できないということはつまり異物を押し出すことができないということであり、異物を押し出せないということはつまりそれを取り出せないということであり、取り出せないということはつまり、のびきった靴下のためにこの掃除機まで粗大ゴミになるということです。

わーそれは困る!ときゅうに半ベソになって棒をホースにむやみやたらと突っ込みます。ちょうどビンに入れた玄米を棒で搗いて精白するような塩梅です(わかりにくいたとえだな)。待てよ、これもし棒の先が靴下に当たってるとしたらそれが刺激になってすこしは動きやすくなっているのではないか。というのはつまりこれで電源を入れれば案外スポンと本体に吸いこまれるのではないか。ありうるありうる。まちがいない!そうひとりで合点してさっそく本体につなぎ、スイッチを入れてみたところ

とてもしずかです。もういちどスイッチを切って、ふたたび入れてみても変わりません。しんとして、夜のしじまがひときわ染み入るようにおもわれます。なにかのまちがいだろうとおもって30分おきに何度かスイッチを入れたり切ったりしてみたけれど、動くものといったら風にそよそよとゆれる窓際のカーテンくらいで、あとは柱時計の振り子がコチコチと無機質にひびくばかりです。

米を搗くように棒を出し入れしたせいで、どうやら内部の配線を断ち切ってしまったらしい。


(ショックのあまり床に寝そべっています)


20年ちかく一度も故障せずにもくもくとゴミを吸いつづけた我が家における家電の最長老を、まさか「棒の出し入れ」という字面からして不適切なやりかたで手討ちにしてしまうとは、あまりの無念に言葉もありません。こんなの拷問で死に至らしめたようなものじゃないか!掃除機なしにこれからどうやって掃除をしたらいいんだ!あのパワフルな吸引力あってこそ掃除のしがいもあったのに、もう部屋を片づける気になんてならない!このままじゃ積もりに積もったふわふわのほこりでピッグペンみたいになってしまう!


(寝そべった床から立ち直れずにいます)


それでまあ、しばらく絶望してたんだけれど、いい機会だからためしに掃除機なしで暮らしてみようと思い立って、クイックルワイパーと雑巾(とバケツ!)で掃除をすることにしたら、別段なんの支障もないのです。前よりすこし手間がかかってるはずなのに、どういうわけかあんまり気にならない。あと、雑巾がけしたあとの達成感がすごい。

そうか、べつに困りはしないのか…じゃあ買い替えなくてもいいか。掃除機を替えるくらいならいっそ棕櫚の箒にしてしまうか。という結論にさいきんようやく至りました。なくても困らない家電を当たり前のように使いつづけて、それなしではいられないような暮らしになっていたというのも、おもえば奇妙なことです。ふーむ。さすがに冷蔵庫とか洗濯機はあるとすごい助かるけど、まさか掃除機まで暮らしに不要とは思いもよらなんだ。

なくても困らないものって思っていた以上にいろいろとあるものだなあ…とこれが質問箱の前置きのつもりで書き始めた話だったことなどすっかり忘れてうっちゃったまま、文化鍋でコトコト米を炊くすずしい夜であった。


(今度こそ)159bにつづく!

2013年6月29日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その159a



チーム・オーディオビジュアルでは月に一度、ミーティングと称した食事会をひらく決まりになっています。称して、というのは(以下略)

「いま何曲できてるんだっけ?」
「(ごにょごにょ)」
1曲ふえとる!


千里の道も一歩からです。千里あることは正直考えないでおきたい。




愛という名のモツ煮さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)3ついただいているのでいっぺんにお答えしましょう。


Q: ダイゴさんのやる気スイッチは何ですか?ぼくは焦りです。


のっけからしなしなと萎えることを言うようで何ですが、僕にはやる気スイッチがありません。というか、そもそもやる気がありません。あれば今ごろスマホにテザリングでツイッターどころかLINEやフェイスブックも片手間にちょちょいのちょいでアルバムも10枚くらいリリース(うち5枚はベスト盤)、一躍スターダムにのし上がりはしないかもしれないけどちょっとくらいはモテちゃったりして、いやーまいった人生バラ色だな!ていうか桃色だな!

と左うちわで天狗になっているにちがいありません。かたわらには美女を300人くらいはべらせておこう。

あるいはフレッシュ・プリンス(ウィル・スミス)のようにスターダムを駆け上がったあげく足をすべらせて真っ逆さまに転落、とおもいきや名前を変えて不死鳥のようによみがえる、劇的なシナリオもいいですね。ギャラが高すぎて続編のオファーが来ないなんて、考えただけでもゴハンがすすむじゃないですか。おかわりおねがいします!

えーと…

(話を思い出そうとしています)

ああ…

(現実に引き戻されています)

そうですね、しいて言えば「何もない空白の時間」がやる気を起こすことにつながっているとおもいます。頭がまっ白であればあるほど、「よし、やるか」というきもちに自然となりやすいのです。もちろんタイムリミットによる強制終了が間近にせまって焦ることはあるし、というかそんなのはしょっちゅうでむしろ今まで焦らずにすんだためしがないような気もするし、じつを言えば今も焦っています。ただこの焦りをやる気と結びつけて考えてしまうと常にやっつけ仕事の危険性がつきまとうので、できるだけ結びつけないようにしているのです。デッド・オア・アライブ感に思わぬ力を引き出される人もいるとおもいますが、僕の場合はこれだとまずデッドになることがこれまでの経験からはっきりしています。今やほとんどゾンビです。

しかし「何もない空白の時間」と言えば聞こえはいいけど、周りからしたらこれ、単なる「暇」にしか見えないでしょうな…


A: 「暇」です。


そして暇と言ったとたんに今度は聞こえがわるくなる。




Q: 世界の終わりが来るとして、何をしますか?


これについては明確な姿勢があります。5年前にもここに記した、ある母娘の会話を再録しましょう。

「今日で世界もおわりだね、お母さん」
「そうらしいね」
「もう明日はないんだよ」
「そうなのかね」
「だってもう決まったことなんだよ!」
「そう、じゃしかたないね」
「悠長に朝ゴハンなんか食べてる場合じゃないでしょう!」
「いいから食べなさい」

これはもともと朝食がいかに大切かということを示すために持ち出した一幕ですが、それ以上に僕が日々をすごすうえでひとつの基礎となる重要な哲学を如実にあらわしています。つまり「キープレフト」です。

さじを投げているわけではありません。悟りや諦観ともちがいます。前にも書いたように、「無用な混乱に陥らないよう、あらかじめ設けられた最低限のルールにしたが」っているだけです。内心ではぷるぷるふるえているかもしれない。どこへかはわからないけれども今すぐ逃げ出したい、と思っているかもしれない。それでもなお、じぶんがじぶんであるためにこうと決めた日々の手順をとばさず保とうと努力すること、その心がまえは相手が世界の終わりだろうと変わりません。だからすくなくとも朝ゴハンはちゃんと食べます。

しかしまあそういう観念的な話はともかくとして、何かひとつその日のためにとくべつことをしようということなら、大好きなレコードをかけるだろうな、とおもいます。人生のおわりにかけたいレコード、というのは最後の晩餐とおなじく僕がときどき考えることのひとつです。そういう曲が、いくつかあります。いろんな感情がいっぺんに押し寄せてきて、いまこの時点で涙目です。ありがとう、さようなら!そして愛してる!

あともうすこし荒唐無稽なことをいうと、ブルドーザーとか大きめの重機で高速道路に直接のりこんでみたいですね。

ポータブルプレイヤーと7インチを何枚かもって重機で首都高か…最高だな。最後の日くらいは雲ひとつない快晴であってほしい。


A: 青空の下、プレイヤーと7インチをもってブルドーザーで首都高です。



長くなりそうなので、のこりのひとつはまた次回にいたしましょう。その前に世界の終わりが来ませんように。




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その159bにつづく!


2013年6月26日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 あらためてその158


オレたち重金属さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: その昔、漱石先生は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳しましたが、ムール貝博士なら「I hate you」はどう解釈されるんでしょうか?


妙訳、と言わねばなりますまい。ここで言う「妙」とは相反するふたつの意味を含んでいますが、仮に現代の英語教師を100人つれてきても、この翻訳にマルをくれる人はおそらく一人もいないでしょう。懐の広い先生でも、「まちがいではないかもしれないけれど、それにしたって恣意的で意訳にすぎる」と考えるにちがいありません。せいぜい大きなバツのとなりに小さな文字で「でも、ステキね!」と個人的な好印象を書き入れるくらいが関の山です。文豪たる漱石自身が英語教師だったことを考えると、このエピソードはじつに教訓的だとおもう。

しかし多分に詩的で抒情的であるとおもわれる点をそっくり取り除いたとしても、この訳は正確です。すくなくとも明治・大正期では100%正しかったと僕はおもいます。何となれば、そもそも「愛」とは「love」の訳語であって、明治以降に輸入された新しい概念だからです。これを動詞にした「愛する」も、今で言えば「シェアする」とか「バズる」といった言葉と同じ使い方だったわけですね。おまけに「愛」は漢語です。西洋のブイヨンを日本の出汁に置き換えるのが翻訳だとしたら、鶏ガラスープで代用するようなものですよ!こうなると「I love you」を「愛してる」と置き換えるのも、翻訳しているようでじつは何も訳していないような気さえしてきます。

また「love」は本来、ものすごく意味の広い言葉です。老若男女を問わず、距離の近さとか気持ちの濃さを表すときに使われます。でも日本ではそう理解して使う人はあまりいません。ラブと言われて思い浮かべるのはつねに恋慕の情です。ひょっとするとじぶんの子どもくらいには使う人もあるかもしれないけど、それでもかなり限定的です。そしてこのことこそが、舶来の概念であることをはっきりと示しています。赤子を慈しむことや、彼や彼女のそばにいたいと希うこと、性を伴わないかたちで誰かを敬い慕うことにかぎらず、対象が無機物であっても並々ならぬ思い入れがそこにあればそれはおおむね「love」の範疇です。「好き」で表せる程度の軽さならまだしも、これとぴったり置き換えられるような総合的な意味での単語は日本語にありません。人に対する深いきもちとモノに対する深いきもちを同じようには認識しづらい。だからこそ、いちばんわかりやすい「恋愛」に意味が集中するのです。それでなくとも婉曲を好む僕らがおいそれと口にしない理由も、たぶんここらにあるのではありますまいか。

さて、それを踏まえた上で、もういちど漱石訳に戻ってみましょう。意訳どころか、日本人としてはなんかもうこれしかないようにおもえてきませんか。文化を伴った言語の置き換えという意味でこれほど的確な翻訳は他にないと言ってしまいたいくらいです。「好きです」という直接表現よりも「あの、今日、たのしかったですね」(これも状況によっては「I love you」の訳になるとおもう)とかちょっと遠回りなくらいがよりふかくキュンと突き刺さって相通じる、それがこの国の風土じゃありませんか!


なんの話だっけ?


「というわけなんです」
「知らんよ」
「何がですか?」
「それはこっちのセリフだ」
「『I love you』と『I hate you』の話ですよ」
「どうちがうんだ?」
「どうって、え?」
「どうちがうのかと聞いとるんだ」
「ちがうどころか、真逆ですよね、これ」
どっちも人を殺すことにつながりかねないセリフだろ
「その認識は偏りすぎです」
「ぞっこんなのに『大っ嫌い』って言ったりするじゃないか」
「ぞっこん…」
「イヤよイヤよも好きのうちなんだろ」
「その言い回しは使い方をまちがえると大惨事になりますよ」
「つまりだいたい同じというのがわたしの結論だ」
「えーと、じゃ質問を変えます」
「取り下げりゃいいのに」
「博士がもし『火花が綺麗ですね』って言われたらどうですか」
「当たり前すぎてよくわからない」
「うれしくないですか」
「うれしい…?」
「まあいいや、じゃ『しけた火薬ですね』って言われたらどうですか」
なんだとこの青二才が!
「もののたとえですよ!僕が言うんじゃありませんてば!」
「今言ったろうが!」
「ちがいます!仮の話です!」
「仮だろうが何だろうが言ったことに変わりはない」
「いいですよ、じゃあ爆破でも何でもすればいいでしょう
「なんだと」
「どうせまたすぐ生き返るんだからおんなじことですよ」
「忌々しいヤツだ」
「こっちだってもういちいちびくびくするのに飽きてるんです!」
「望みどおり木っ端みじんにしてやる。そこになおれ」
「なるべく即死でおねがいします」
「うるさい!」


ドカン


A: 「しけた火薬ですね。」




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その159につづく!


2013年6月22日土曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その158、の取り消し、あるいは小麦でできたモノリスについて


乗ってみたいものシリーズ その2


ひよこ豆




食パンを1枚、放置していたのです。

賞味期限を過ぎているかどうかは知らないけれども、賞味なんてべつにかまったことないから食べられない理由にはなりません。といっておいしくいただけるはずの期間はまずまちがいなく過ぎています。忌憚なく言ってしまえばぜんぜん食べる気にならない。白くて弾力のある板きれにしか見えない。

捨ててしまうのは簡単です。誰も見ていないし、そのためにパンから呪われるわけでもない。それに8枚切りだから、9割はおいしく消化しています。でもできない。何となれば、誰も見ていないかもしれない代わりに、お天道さまが見ているからです。こういうときにかぎってじっと凝視されているような気がするから忌々しい。

後ろめたいわけではありません。苛まれるような罪の意識もべつにないし、じっさいのところ、捨てたってかまうもんかというきもちのほうがつよい。ただ、お天道さまに「むりすんなよ、いい子ぶってないで捨てちまえ」とニヤニヤされるのが癪なのです。僕は昔からこうしたいささか腹黒いお天道さま信仰をもっていて、今なおことあるごとに対立しています。こっちが困った事態に直面すればするほど、向こうは腹を抱えて愉快そうに転げ回るので、なるべく向こうの思うつぼにならないような行動を心がけなくてはいけません。あの野郎をニヤつかせるのは、他の何より業腹です。

そうなると選択肢はもはや「食う」の一択しかないことになります。上等じゃないか?むしろ初めからそのつもりだったというか、ちょっと風味が落ち着くのを待ってただけなんだから。肉だって腐りかけがいちばんうまいって言うでしょうが?パンだって同じことですよ!古くなってカビがなければそのときこそまさに食べごろというわけです。ああ、なんだもう1枚しかないって?こんなに食う気満々なのに、残念だな!いかにも残念だ!

と聞こえよがしに独り言ちながらグリルにパンを放りこんで焼き始めます。雲の上から舌打ちが聞こえてくるようです。空の覇者をドヤ顔で見下すことほど胸のすくことはありません。そうそう思い通りになってたまるかバカヤロウとおもう。

ところが調子にのりすぎたせいか、気がつくとグリルの中でパンがまっ黒になっていたのです。

せっかくその気になったのに、今度は物理的に食べられなくなってしまった。

迂闊というほかありません。まさかちょっと脳内で祝賀パーティをひらいているすきにパンが炭化してモノリスになるとは、思いもよらぬお天道さまのあざやかな一手に地団駄を踏んでも後の祭りです。「ほら、もうむりだろ。捨てるしかないよな。よかったじゃないか、正当な理由ができて!」と笑い転げている様子がありありと目に浮かびます。ここで癇癪を起こせばなおのこと相手にポイントが入るのだから、痛恨の極みです。いや、まだだ!この危機的局面をひっくり返す手はまだある!食えばいいんだ!食えばいいんだろ!そうそう思い通りになってたまるかバカヤロウ!

そういうわけで最終的に勝利を奪い返したからいいものの、口の中はまっくろだし、どう考えても摂取するよりはるかに大きなカロリーを消費するから、パンはもう放置するまいとおもう。




十二人の怒れるヒョットコさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q: 先日世界一美味しいと評判のビルズのパンケーキを食しました。確かに美味しかったです。


ふむふむ……あっこれ質問じゃない!近況報告だ!


しかしこういうハッピーなことがありました的お便りはときどきもらうことがあるし、それはまあよろしい。問題はその感想です。世界一おいしいものを食べたというのに、そんな(文字通り)味も素っ気もない感想がありますか!


バーン!

(ちゃぶ台をひっくり返しています)


もっとこう他に、とろけるような表現とか、身ぶり手ぶりとか、奇声とか、そういうのはないのか?だいじなのは舌がいかにしてエクスタシーに導かれたかであって、イエスかノーかではありません。おいしいと言われているものをただおいしいとおうむ返しにうなずいていったい何を伝えようと言うんだ?それはどきどきしながら女の子の家に電話をかけて「ナースチャさんはいらっしゃいますか」とおそるおそる尋ねたら「いますけど」とピッチャーライナー的な答えが返ってきただけでそのまま気まずい沈黙に突入するのとだいたい同じことなんだぞ!無慈悲な強制終了でシャイなハートがブロークンです。ワーン!


ちがう気もするな。


A: 資生堂のパーフェクトホイップで顔をふわふわ洗って出直しましょう。




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その159につづく!


2013年6月19日水曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その157、に便乗した誇大広告



ロボコッペさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)コッペパンの普及に尽力するロボットですね。


Q:真面目な話ミュージシャン大吾さんの息災が気になって仕方ありません。そろそろニューアルバムの話題などをでっち上げてください。もう嘘でも構わないので。


僕をミュージシャンと呼んでよいかは一考の余地があるとおもいますが、「ニューアルバム」ということであれば折よく今日はタケウチカズタケの "UNDER THE WILLOW -RAIN-" の発売日です。またぜんぜん関係ない話をしてお茶を濁すつもりだな、などと早合点してはいけません。関係ならオオアリクイです(こういう物言いに年齢を感じる)。あとついでに言っておくと、飲めば大抵の人が「うええ」となるセンブリ(漢方です)をごくごく飲み干せるほど渋みと苦みに親しみのある僕が発信者であるかぎり、お茶は濁されるものと決まっています。


ご存じない方のために説明すると、タケウチカズタケはキーボード・プレイヤーです。クラブミュージック界隈では A Hundred Birds という30人編成(!)の大所帯ハウス・オーケストラにおける中心人物として知られています。

しかしそのソロ活動においてはむしろヒップホップへの愛着が色濃く、ラッパーたちとの交流も数えあげればきりがありません。「ライムするやつとはだいたい友だち」と言い切ってしまっていいくらいです。自身の演奏についても本人が以前「鍵盤でラップしてるつもり」と話していたから、その傾倒ぶりは推して知るべしと言えましょう。じっさいその発言は彼の何たるかを端的に表しています。あえて言うまでもないかもしれない個人的なつながりで言うと、「処方箋/sounds like a lovesong」でキーボードを弾いているのが彼です。

また、そうした嗜好の当然の帰結として、タケウチカズタケはビートメイカーでもあります。サンプリングを駆使し、自らビートを組み、その上で鍵盤を叩きまくる、それが彼のスタイルです。そしてここがすごく重要なところだけど、その方法論はライブにもそのまま持ち込まれます。つまりサンプラーでビートをリアルタイムに組みつつ、エフェクターで千変万化のサウンドを繰り出しながら、同時にキーボードを演奏する、という人間離れしたアクションを全部ひとりでこなしているのです。そんな人はどこを探しても他にいません。初めて彼のライブを目にする人はその超絶技巧に例外なく目が点になります。


"UNDER THE WILLOW -RAIN-" はそんな男が手間ひまかけてこしらえた、ざっくり言ってしまえばヒップホップとソウルをベースにしたインストゥルメンタル・アルバムです。それがどんなものであるかは下に全曲試聴用のYouTubeを貼っておくとして、掛け値なしにすてきな1枚であることは僕も請け負います。このブログではむしろピンとこない人のほうが多いかもしれないけど、この機会にあたらしい世界への扉をひらいてもらえたら、こんなにうれしいことはありません。



Kaztake-42-music (アルバム特設ページ)


このアルバムにおける僕の役割とは言うまでもなく、デザイン、イラスト、タイポグラフィ、キャッチコピーからブックレットの中身をどうするかといった企画みたいなことまで、製品のパッケージに関わるあれこれを一身に背負うことです。あれこれというかまあ、ほぼ全部です。このアルバムの半分は小林大吾でできています。何年か前にもまったく同じことを言った気がするけれど、しかしこういうだいじなことは重ねたってべつにかさばるわけではないのだから何度でも言っておきたい。

あ、あとそうだ、もうひとつあった。


いずれにしても詩人の「し」の字もないことについてはまたべつの機会に考えましょう。



ブックレットにはタケウチカズタケ本人による曲解説がたっぷりつめこまれています。ほしいと頼んだのは僕です。インスト作品だからすこしでも本人の肉声的なものを載せたい、くらいの気持ちだったんだけど、フタを開けてみたら想像以上におもしろくて作品の奥行きがぐんと深まりました。

たとえば僕がビートを渡した8曲目の "Barrymore" というタイトルは、ある小説に出てくるちょっと意外な人物の名前からきています。僕はたまたまその小説を読んでいたけれど、「え、まじで?ってかあの人そんな名前だったっけ!?」とぜんぜん思い出せないくらいマニアックなチョイスです。もちろん知らなくてもぜんぜん問題ありません。でも知って聴くとまたちがった味わいがあるし、イメージもふくらみます。補足が必要だとおもわれるものについては僕が勝手に注釈をねじこみました。

それから、このアルバムはほとんどの購入先で特典として4thアルバム "-SUN-"がついてきます何を言っているのかよくわからないかもしれませんが、本当に4枚目のアルバムがついてくるのです。そして不可解なことに、主役である3rdアルバム "-RAIN-" は初めから2枚組用のケースに収められています。つまり、特典のCDをひとつのケースに収めて事実上の2枚組にしてしまうことが可能なつくりになっているのです。それは特典と言うのか?


さらに、特典である(←強調しています) "-SUN-" のジャケット、ブックレット、バックインレイは先に記したタケウチカズタケの公式サイトにある特設ページからPDFとしてダウンロードすることができます。そのブックレットにももちろんがっつりと曲解説が。




また、ディスクユニオンでは、Tシャツ付きの限定セットがあるそうです。実物まだみてないけど、あるというからにはあるんだろうし、僕としてもデザインしたんだからないと困ります。


オラめちゃ働いた。

すてきなデザインですね!とかもうすこし具体的に可愛いタイポですね!とか音源そっちのけでほめそやしてくれてもいいのよ!



A: タケウチカズタケの "UNDER THE WILLOW -RAIN-" は本日発売です。


ミュージシャン的なとこもホラ、一部だけどあったでしょ。




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その158につづく!