2022年5月6日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その373


未確認飛行仏陀さんから5年前にいただいた質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. まわりの人をもっと信じたいのですが、仲良くなってもどこか距離をおいてしまって心をゆるせません。ひとと深い関係になるための心構えをおしえてください…!


これは完全に僕ですね。何しろ5年前の話なのでひょっとするととっくにお答えしているかもしれませんが、そうだとすればうっかり2度お答えしてしまうくらいには完全に僕だし、それどころかもし3度目だったらどうしようと不安になるくらいには完全に僕です。僕である以上、3回とも互いに矛盾する全然ちがう話をしかねません。これが初めてであることを願うばかりです。

それはまあそれとして完全に僕のことであると仮定してお話しすると、たぶんこれ「人を信じられない」「距離を置いてしまう」「心をゆるせない」というより、むしろ「過剰に怯んで身構えてしまう」なんですよね。なんとなれば本人はみんなみたいにもっとナチュラルに距離を縮められたらいいのにと望んでいるし、そうしたいのにどうもうまくできない不随意な性質に思い悩んでいるからです。外からは意識的な拒絶に見えても、内実はかなり違います。ですよね?

また怯む気持ちもひとつではなくて、たとえば傷つくのが怖いとか、相手の重荷になってしまうんじゃないかとか、ガードや気遣いが複雑に絡まり合った結果、無意識に安全とおもえるだけの距離を確保してしまう傾向があります。とにかく難を避けようとする小動物の本能に近い。

さて、その上でひとつ胸に刻んでおきたいのは「人と深い関係になるための心構え」など存在しない、ということです。そもそも多くの人はそこまでいちいち考えません。なるようにしかならない中で自然と相対的に距離が縮まったりいつまでも縮まらなかったりします。自分の身に置き換えてみるとわかりますが、ただでさえ身構えて距離を置いてしまうのに、その状態から深い関係になりたいと望む人を受け入れることなどできるものだろうか?

むりですよね?

だとすればまず自らがその考えを捨てなくてはいけません。

人との関係は、意識してどうなるものでもありません。それは距離下手な僕らに限らず、誰でも同じです。僕らから見てうまくやっているように見える人々というのは、実際のところうまくいったりいかなかったりを僕らよりもはるかに多く繰り返しています。そしておそらく、それがすべてです。特に人と違った向き合い方をしているのではなく、ただ幾度となく繰り返すうちにその一部が残るべくして残っただけなのです。単に回数の差でしかないと言い換えてもよいでしょう。

いつもたどり着く結論のひとつではあるけれど、大事なのはどうあれ自分を良し悪しまるごと、そういうものとして受け入れることです。自らを否定すれば、それは当然、他者の否定にもつながります。裏を返せば、自分を肯定するだけで他者との親和性が高まるとも言えるのです。それを踏まえた上で、深呼吸をして、体と心の力を抜き、もうすこし長い目で見つめるように努めましょう。

信じきれなくても、距離を置かずにいられなくても、否定さえしなければ、最終的に残るものはいやでも残ります。今でこそ僕と分かち難く結びついているように見える安田タイル工業の専務だって、10年前は本当に全然、そんな感じじゃなかったですよ。むしろあいつら仲いいなあと遠巻きに眺めていたくらいだし、なんでこんなことになってんだと今でもときどき首を傾げているくらいです。


A. 自身をまるごと受け止められるように、少しずつでも努めましょう。




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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その374につづく! 

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