2015年1月17日土曜日
もやっとするこのダック・イン・ザ・デイ(近日公開)
うちにはひとつだけ、ぬいぐるみがあります。手のひらサイズの白いアヒルで、おなかを押すと「アフラック……アフラック……アァフラァァァァァァァック!!!!!」と鳴くのです。この最後のシャウトがすごい好きで、折々におなかをギュッと押しては枕元で喚かせてたんだけど、ある日とうとううんともすんとも言わなくなりました。何度押しても沈黙したままです。
絶叫しないアヒルなんてただのアヒルじゃないか。
できることなら治したい。しかし企業の販促グッズだけに修理を求めるのはおそらく筋違いです。代わりに新しいのをひとつもらえる可能性もゼロではないかもしれないけれども、そうまでして欲しいかというと全然そんなことはない。たまたまうちにやってきて、おなかを押したらいい声でシャウトするからこれも縁だと迎え入れたのであって、みずから追い求めるほどふわふわした白いアヒルが僕の日々に不可欠なわけでもないのです。いないならいないで一向に問題はない。
しかし現実問題としてここにはアヒルが1羽鎮座しています。そして完全に沈黙してしまった以上は同居する理由もありません。この先あの爽快なシャウトを聞くことができないのなら、どうかしてこの同居を解消する必要があります。僕が無類のアヒル好きだったらよかったのに、なぜこんなことになってしまったんだろう?彼女がうちにやってきたとき、僕は受け入れるべきじゃなかったんだろうか?あるいは受け入れると決めた時点でその先何があろうとすべて受け止める覚悟をしておくべきだったんだろうか?
声を失ったくらいで見限るなんて冷たい、とは僕もおもいます。じっさい、彼女を丸ごと愛することができればこうも苛まれたりはしなかったはずです。彼女に罪はない。責めを負うとすればまずまちがいなく僕ということになりましょう。正当化するつもりはありません。シャウトしない彼女に価値はないと決めつけているも同然なのだから、冷血と罵られるのは承知の上です。そんなつもりはないと弁解したいのは山々だけれど、現に心が彼女から離れてしまっている以上、何の説得力もないことは僕がいちばんよくわかっています。
しかし一方で、みずから望んだわけでもないのになぜ苛まれなくてはいけないのかというきもちも拭うことができないのです。そもそも彼女は人として大事な部分が欠けているとしか言えない僕ではなく、一切合切をそれこそ羽毛のようにやさしく包み込んでくれるべつの誰かを選ぶべきだったのではないのか?果たして本当に僕である必要があったんだろうか?
そんなことはありますまい。僕でなくともよかったはずです。でも彼女はうちに来た。僕は彼女を受け入れた。単なる巡り合わせとしか言えない出会いがここにあり、その結末がハッピーエンドにならないことで苛まれる僕の心中こそ悲劇です。彼女がうちにさえ来なかったらとおもってしまうのは、そんなに身勝手なことだろうか……?
(ナレーション)せめぎあう良心と本音……たしかな充足と同じくらいたしかな喪失……葛藤しつづける男のそばで、彼女はただ沈黙を守る……。引き裂かれた愛と情の狭間で揺れ動く男の痛みと慟哭をリアルに描き、全世界が(欠伸で)涙した不毛のドキュメンタリー「ダック・イン・ザ・デイ」、すったもんだの挙げ句ついに上陸!
うつろな世界にこだまする、魂のシャウトを聴け!
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2 件のコメント:
このキュートな人形、私の実家にも住んで居た様な。。
というか、「女の子」だったんですね。
あの声、あの声量、男の子と早合点していました。
> とーさん
じぶんで書いといてなんですが
書き終えて僕もびっくりしました。
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