2011年3月16日水曜日
僕らはこのバス停で、明かりを灯す
さきにこれを記すのはちょっと心苦しいのですが、お知らせがふたつほどございます。
ひとつめ。最後の1冊となった例の詩集ですが、投稿した数時間後にぶじ完売と相成りました。品切れです。増刷の予定はありません。お求めいただいた方々にはほんとうにありがとうございました。Flying Booksでその背表紙を見ることがないというのはさみしい気もするけれど、ぜんぶお届けできて本望です。ありがとう。ありがとう。
ふたつめ。前々回の味噌汁爆弾についてのコメントですが、驚いたことにそのすべてがスパムボックスに放り込まれておりました。bloggerのやつ、何てことをするんだ!もちろん意図したわけではありません。なんだかよくわからないけど、そういうことになっていたのです。心をこめてコメントを投じてくれた人にはたいへんもうしわけありません。うれしかったです。どうもありがとう!コメント、お返ししています。
みっつめ。あれ?ふたつじゃなかった!
FLY N' SPINからリリースする待望のソロアルバムに先駆けて、totoさんが"windy" という曲のビデオクリップを公開しました。ズルい!と口をとがらせてブーブー唸りたくなるくらい素敵なアニメーションです。こんなときだからこそ届けたい、という彼女の思いがこめられています。だいじな人に、見せてあげてください。とくに子どもたちに届けたい。しかしFLY N' SPIN のなかで誰よりもアーティスト然としているなァ…
*
世界丸ごとと言っても過言ではないくらい多くの人が、あの日からひたすら祈りをささげつづけています。「団結した一丸」とはこれほど大きくなるものかと見上げて目をみはるばかりです。頑強なことといったらダイヤモンドをかるく超えている。みんなのきもちは脇目もふらず直進しています。みんながみんな、みんなのことを気にかけている。
こう切り出してためらいがないわけではないのだけれど、心あるすべての人の思いがそこへ向けられているならば、そこからちょっと抜け出して、視線を他へ移してもゆるされるでしょうか。
かの土地から遠く離れ、身体的には無傷でありながら、絶え間なく注ぎこまれる膨大な情報にせき立てられて、心の奥にひっそりと闇の渦をつくってしまった人のことを心配しているのです。
全員が迷いもなく同じベクトルに駆け出していると、もたもたして乗り遅れた人はそれだけで拭いがたい罪悪感を背負いこむことになります。苦もなく行動に移せる人は「こうすればいいじゃないか」と簡単に言うけれど、それができない人もいるのです。どうしてできないのかは自分でもよくわからない。わからないけれど、ただ、うまくいかない。後から来て追い抜いていく人からも冷たい視線を浴びせられているように感じて縮こまり、ますます動き出せなくなる。
でも大丈夫だと僕は言いたいのです。ついていけなくてもいい。力になりたいというきもちは、行動によって優劣を決められるものではありません。自分を追いこむようなことをする必要はない。「乗り遅れる人」のきもちは、「乗り遅れる人」がいちばんよくわかっています。そういう人は、きっとまた来る。そのために、ここでじっと待っていればよいのです。
「自分にできることをする」というのはそういうことです。またかつて書いた「キープレフト」という考えかたは、こういうときのためにあります。僕の発想ではありません。先人の背中をみて学んだ、揺るぎない哲学のひとつです。
こんなときにもたついたことを言いやがって、と言われるかもしれないけれど、人生の大半を同世代のはるか後方でもたもた過ごしてきたんだから、今さらそんなこと言われたってどうしようもないよな。
大丈夫、バス停はここにある。多くの人がとっくに目的地にたどり着いていたとしても、僕らが乗りこむべきバスはいずれ必ずやって来る。何度だって言うけれど、みんなのあとにうまく続くことができないからといって、恥じることはないのです。ただひたすら、愚直に日常を維持する勇気のかたちもある。
あなたがひとり願うだけで、そこに明かりは灯ります。その明かりにこそ意味があると僕はおもう。
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3 件のコメント:
こんばんわ。
ツイッターで「たとえ罵られようと」
みたいな呟きを見たので、久々に来ました。
恥じるような事ではないです。
祈りがあればいい。
こんな状況で、「本日○○店オープン!」というお風呂屋さんのメルマガや、「緊急速報」という件名で送られてくる迷惑メールを見たときの、あの脱力感と言ったらない。
それとは反対に祈りは、空間を清く支配しますよ。きっと力になります。
私は子供たちと日々の生活を続けています。
祈る対象は、風潮に合わせる必要もない。命や生活が尊いものだと知っていれば、きっとそれで。
ほんのわずかな時間で、「当たり前」が当たり前ではなくなりました。命があるという奇跡に感謝して、誰に従うでもなく、大吾さんの言うとおり、自分が乗り込むべきバスに乗って、どんなに小さなことでも自分ができることをやればいいと思います。たとえ祈るだけでも。
僕は基本的に乗り遅れる人間なので、すごく励みになりました。逆に、早まって別方面のバスに乗ってしまうこともあるので、自戒を込めて、今はコツコツとできることをできるだけ…。
追伸、僕に子どもが生まれたら、一緒にお墓に入れるようにお願いしときます。我が家の墓はなぜか雑司ヶ谷にあるので、僕が先立ったら確認しに来て下さい(笑)間違って棺に入れて燃えちゃったらごめんなさい。
私は幸いにも直接的な被害はありませんでした。それでもいろいろな事が変わってしまって、不安に駆られる時があります。そんな時『キープレフト』とつぶやくと、ほんとうに心が静まります。
さりげない日常に感謝しながら、子供たちのためにも『キープレフト』でいられるようにしたいです。
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