2013年5月22日水曜日
さらにその先にあるレコードの話 前編
前回、レコードについて「何はなくとも7インチ」みたいなことをしたり顔でしたためたそばからこんな話をするのもアレですけれども、といってなかったことにするのもアレなのでおそるおそるお話しすると、週明けに渋谷のちいさなレコード屋さんを訪れたのです。
マンションの一室ということもあって、営業日や営業時間に決まりがありません。事前に連絡をして、店主が在室のときだけ入れてもらいます。基本的には少数の決まったお客さんを相手に直接やりとりしているそうだから、店舗というよりむしろ事務所としての機能に重きが置かれているようなところです。他とくらべて敷居は高い気もするけれど、代わりに良いものだけを選りすぐって置いているかんじ。
そんなお店でさのみ多くもないレコードストックのなかから気になった7インチを1枚ひっぱりだし、カウンターに置かれたターンテーブルで試聴させてもらっていると、店主がふいに「あ、これモノラルか。じゃ針替えよう。あとせっかくだから真空管アンプで聴かせてあげるよ」とおっしゃるので、とたんに血圧が上がりました。
真空管アンプとは文字通り真空管を使った前時代の増幅器です。数十年前なら格別、今はレコードを聴くのにわざわざこれを用意する必要はぜんぜんありません。ただ真空管ならではと言われる音質を愛好する人もいて、その文化は今もほそぼそと息づいています。とはいえ僕も具体的に何がどうちがうのかを語れるほどオーディオ機器に親しんでいるわけではないし、ここではただ、そんな機会に恵まれただけでも望外のよろこびだったと記しておくにとどめましょう。すくなくともその音を耳にして「うわッ」とのけぞったことはたしかです。ふだんがホントに最低限の機器で間に合わせているせいもあるとおもうけど、風景の見え方ががらりと変わったような印象がありました。
「時間あるならコーヒー飲んでく?」
「わ、いただきます」
「ソウルは7インチを聴いちゃうとホント抜け出せなくなるよね」
「ですよね…って言うほど僕も持ってないんですけど…」
「ブルースなんかだとSP盤もいいよ」
「SP盤?SP盤て聴いたことないです。というか聴く環境もなくて」
「このターンテーブル、78回転もいけるんだよ」
「え、あ、ホントだ!」
「なんかかけてみようか」
SP盤、というのは7インチよりもさらに一世代さかのぼった時代のレコードです。材質もちがえば回転数もちがい、7インチが45回転なのに対してSP盤は78回転とずいぶんな速さでくるくる回ります。前回、回転数による情報量のちがいについてちょっとふれた気がするけれど、それで言うとSP盤は7インチの1.5倍以上、LPと比べるとじつに2倍以上の差があるわけですね。何しろ1950年代までのメディアなので、ふつうにソウルミュージックを聴いていてもそこに辿り着くことはまずありません。どこに行けば買えるのかもそういえば知らないし、そもそも今のターンテーブルでは78回転に対応していないものの方が多いのです。ブルースもどちらかといえば60年代以降でソウル寄り、わけてもファンク寄りのものしか聴いてこなかったから、50年代のブルース(このジャンルの年代としては古くない)、しかもSP盤てどんな感じなんだろうと知らない文化の入り口をのぞくようなきもちでかけてもらったらこれがあなた
うっすら思い描いていた音のイメージとはまったく違っていたのです。デカい隕石が落ちてくるレベルの衝撃は覚悟していたのに、実際に落ちてきたのは月だった、というくらいの別次元ぶり。
もちろん時代を問わず語り継がれるような名曲を選んでかけてもらったからなんだけど、それにしても超イイんです…!
長くなりそうなので、さらにのけぞることになった後編につづく!
2013年5月19日日曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その151
戦場にかける八ツ橋さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q: 最近レコードプレーヤーを購入しました。まだレコードが3枚くらいしかないのですが、「コレは持っとけ!!」というレコードがあったら教えてください。
レコード、いいですよね。物心ついたときにはすでにカセットテープが主流だったから、僕もレコード世代では全然ないんだけど、そういうわりと新しい価値観で触れているせいもあってか、よいなあとしみじみおもいます。音の奥行きや心地よさといった耳に対するよろこびはもちろん、音楽と正面から向き合うちょっとした形式美みたいなものも、そこにはありそうです。豆をごりごり挽いて飲むコーヒーにも似ているかもしれません。
僕の場合はソウルミュージック一辺倒なので、そういう偏った嗜好を踏まえた上で挙げるなら、いわゆる「ニューソウル」と呼ばれる時代のレコードはいま聴いても違和感がないばかりか、むしろ時代やジャンルを問わず受け入れられる普遍性があるようにおもわれます。未だにソウルの入り口としてはいちばんよく取り上げられる時代です。
Stevie Wonder なら "Innervisions"を中心とした三部作、
Curtis Mayfield なら "There's No Place Like Amerika Today"(これは異論ありそう)、
Donny Hathaway なら "Live"、
…あたりは押さえておいてまずまちがいはない、というかまあ、ソウル好きの誰にたずねても「持っとけ」という話になりますよね、これはおそらく。あ、あとニューソウルとは呼ばない気がするけど、James Brown の "Revolution Of The Mind" も足しておこう。
ただこれらはどれもYouTubeにアルバムの全曲がアップされていてもおかしくないくらいの名盤なので、当然これまでにも何度となくCD化されています。iTunesにもあるでしょう。だからといってレコードで持っていていけない理由はないし、むしろだからこそレコードで持ちたいという考え方もあるとおもうけど、どうせならレコードでしか得られないよろこびに焦点を当てたいというか、そういうのに触れたいですよね。
その視点で言うと、ぜったいに1枚は持っていてほしいのが、7インチのシングル盤です。LPとちがって、7インチはまず音圧がまるっきりちがいます。大げさでも何でもなく、針を置いたらドカンとぶっ放される大砲みたいな音の迫力に圧倒されるはずです。この衝撃のためだけでも7インチは持っておく価値があると言っても言い過ぎではありません。33回転のLPとちがって7インチは45回転仕様なので、同じ曲でも針の進む距離が1.5倍くらい長くなります。つまり、それだけ情報量が多いわけですね。MP3や、音質という概念がほとんどなきに等しいYouTubeに慣れているとピンとこないかもしれないけれど、レコードで聴き比べればその差は歴然です。「こんなにちがうの!?」と僕もひっくり返った記憶があります。ライブパフォーマンスに準ずるくらい、ここには体験としてのよろこびがあるとおもう。
また、7インチのシングル盤というのはもともとLPがなかった時代のメディアなので、そもそも1枚1枚が入魂の勝負曲であり、くらくらと目眩がするような素晴らしい曲が驚くほどたくさん存在します。よほど知られているアーティストや曲ならコンピレーションの一部としてCDに収録されることもあるけれど、シングルを1枚しかリリースしていないシンガーも多くあって、この場合はネットをのぞけばそれこそ7インチでしか聴くことができないのです。
音がめちゃ良くて、レコードでしか聴けなくて、しかもめちゃ良い曲って、考えただけでもどきどきするでしょ!
何しろ全盛期が50年前という古めかしいメディアでもあるから、入手の難易度もピンキリ(ebayを見てるとときどき7インチ1枚に1000ドルを超える入札があったりする)なんだけど、うまく巡り会えれば数百円で手に入る、しかも針を落とすことでしか聴けないすてきな1枚というのは、たとえばこれです。
Ebony Rhythm Funk Campaign "How's Your Wife (And My Child)"
LPも2枚リリースしているグループですが、そのどちらにも収録されていない上に、おそらくこれが彼らのベストです。単に僕が好きなだけという可能性もある。しかもこれ、ダブルサイダー(=両面良い)なんだよ!タイトルというか、曲の内容はちょっとディープな気もしますけど。
あとそうそう、シングル盤のラベルには、他ではちょっと得にくいような情報がいろいろと含まれてたりするんですよね。たとえばDonny Hathawayはアルバムで言うと数枚しかリリースしていないけれど、シングルではライターとかアレンジャーといった裏方の役回りでそれこそ数えきれないくらい多くの曲に参加しているのです。知らずに手にしたら「あっこれアレンジ、ダニーだ!」ということがホントよくあるし、「June & Donny」とかそれだけ見たらスルーしてしまいそうなデュオ名義でぽろっと1枚リリースしていたりするから、まったく油断なりません。このあたりまで気にするようになったら、もはや塩化ビニルの泥沼に腰まで浸かっていると考えていいでしょう。
他にもたとえばこんな1枚があります。
どうやらお蔵入りになったアルバムからの1曲らしいのだけど、真偽のほどはわかりません。たぶんそのためにシングルのみのリリース。曲だけ聴くとマーヴィンというよりカーティスみたいです。しかしなぜカラーヴァイナルなんだ?
*
とまあ、あれこれ好き勝手に書いてきたけれど、重箱の隅をつつくようなこれまでのこまかな話はぜんぶ押し入れにぶちこんで、何はさておき手にしてほしいレコードがじつは別にあります。「これは持っとけ」と差し出す1枚があるとすればこれです。7インチで、しかもYouTubeにもその音源はありません。でももうこれはホントかっこいいし(かっこいいんです)、涙ちょちょ切れる逸品中の逸品であるとわたくしは声を大にして言いたい。
大野進 "ニャロメのうた"
収録時間が2分22秒(ニャンニャンニャン)という芸のこまかさも見逃せません。
そしてこれもまた、裏の「ケムンパスでやんす」と合わせてまごうかたなきダブルサイダーだと僕はおもいます。レコードプレイヤーを導入した以上は、何としてでもこの1枚を手に入れてください。その価値はあります。ぜったいに。
A: 大野進 "ニャロメのうた"
なんとなくもう1枚くらいとおもって今むりやり棚から引っぱり出した1枚
Cliff Nobles & Co. の "The Horse" 。これもすっごい好き!
*
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その152につづく!
2013年5月15日水曜日
もう5月だしたまにはそれっぽい話でもすこしの巻
フラインスピンオーナーと古川プロデューサー
チーム・オーディオビジュアルでは月に一度、ミーティングと称した食事会をひらく決まりになっています。称して、というのは実際のところ打ち合わせることがそんなにないからです。しかし僕のペースに合わせているとそれこそ来世になってしまうし、とりあえず定期的に会って近況を報告する(というか言い訳をずらずら並べる)ことにしています。ただそれでは僕以外誰のモチベーションも上がらないので(当たり前だ)、どうせ会うならふだん行かないような町に足を伸ばしてぶらついたりしちゃう?と微妙に重点のずれた趣旨を、本来のそれとは別に用意しているわけですね。不甲斐ない僕のためにホントもうしわけないことをしているとおもう。
今日はこんな店(ほぼ木の中)
とはいえ、いい年をしたおっさんたちが平日の昼日中から目的なく町をぶらつくことなど、そうそうできることではありません。とくにフラインスピンオーナーや古川さんはふたりとも多忙きわまりない立場なので、なおさらです。これを贅沢と言わずに何と言おう。
「いま何曲できてるんだっけ?」
「3…4曲ですね」
「もうすこしほしいな…」
「ですよね…」
(ミーティング終わり)
その後、この町のアイデンティティでもある駅前のラブホテル街をするどい目つきでうろつきます。2人じゃなくてよかったとおもう。
単なるホテルの看板なのだけどもよくみると
「SINCE」じゃなかった
そう言われても困る意見広告
「なんで買ってこないの!」とあとでミス・スパンコールに怒られました
今日はなんかCDを出してる人のブログっぽくなるかも!とおもったけどよくよく読んだらそうでもなかったな…
2013年5月11日土曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その150、と肉を巡るちょっとした茶番劇
「聞いたぞダイゴくん」
「うわあ!」
「なんだ?」
「いきなり現れた博士に肩を抱かれたら嫌な予感しかしないですよ!」
「ご挨拶だな」
「フレンドリーな博士ほどおそろしいものはありません」
「おやおや」
「いつもより態度が大らかなのも気になる」
「そうおむずかりにならんでもいいじゃないか。祝福しにきたんだよ」
「祝福?」
「祝福だよ」
「着服のまちがいじゃないですか」
「着服するほど困っとらん」
「祝福なんて単語が博士の辞書に載ってることが驚きです」
「改訂したからな」
「何を?」
「辞書をだよ」
「あ、じゃやっぱり前の版にはなかったんですね」
「噂によると…」
「何です?僕何かしましたか?」
「決闘罪でしょっぴかれたそうじゃないか」
「決闘罪?」
「見直したぞ」
「決闘?」
「相手をぼこぼこに叩きのめして、さくさく切り刻んだばかりか、ぞりぞり剥いで、ぽきぽき折って、粉々に砕いたあげく、ぐちゃぐちゃにつぶしたってもっぱらの噂だよ」
「ギャー!」
「うるさいな」
「いったい何の話をしてるんですか」
「君が起こした決闘事件の顛末だよ」
「血みどろすぎます!」
「だから感心してるんだ。立派なもんだぞ」
「だいたい、いつの時代の話をしてるんですか。いまはコンピュータの時代ですよ!」
「言い草が微妙に古くて癇に障るな」
「決闘のほうがよっぽど古いです」
「古くないよ。現行法だもの」
「何がです?」
「決闘罪」
「誰のために?」
「そりゃ君みたいな男のためにだよ」
「そもそも決闘なんてしてないんですから」
「ただ生皮をぞりぞり剥いだだけってこと?」
「僕は蚊も殺せないような男です!」
「それは嘘だな」
「言い過ぎました」
「しかしたしかにそう聞いたぞ」
「いったい誰から?」
「君のことをよく知る親しい友人から」
「その言い方がすでに三文ゴシップくさいけど、根も葉もないデマです」
「火のないところに煙は立たないって言うぜ」
「放火の可能性は考えないんですか?」
「む」
「あっ」
「するどいな」
「やっぱり!やめてくださいよ悪質なデマ流すの!」
「それもこれもみんな君のためなんだぞ」
「親が子に使うようなレトリックは通用しません」
「君野菜ばっかり食ってるだろ」
「そりゃ好きですから」
「男たるもの肉食であれということだ」
「さっきの描写、食事の場面だったの!?」
「血もしたたるいい男って言うじゃないか」
「水!水!」
「水がしたたったから何だと言うんだ」
「たしかにそれを言われると僕もよくわからないですけど」
「濡れてるだけだろ」
「濡れてるだけですね」
「血でも垂らさんと上がらんぞ株なんて。とくに君の場合」
「そういうことなら献血を選びます」
「まったく、ああ言えばこう言う」
「言いますよ!当たり前じゃないですか」
「まあいい。こうなりゃオブラートも不要だ。取引といこう」
「取引?」
「言いふらされたくなかったら肉をおごれ」
「まさかそのためにこんな回りくどいことを!?」
「わたしは黒毛和牛が食べたい」
「さっきの猟奇的な描写で僕はとてもそんな気分じゃないですけど」
「食欲をそそると言え」
「さっき着服するほど困ってないって言ってたのに…」
「困ってないよ。代わりに払ってもらうんだから」
「だいたい、僕にお金があるとでもおもってるんですか?」
「そんなのわたしの知ったことか」
「だからムリってことです」
「ムリじゃない」
「ムリです」
「ムリじゃない。いいか、店に入るだろ」
「財布は?」
「いいから聞け。席に着いたら極上の肉を注文する」
「……」
「そして舌鼓を打つ。心配するな、ちゃんと分けてやる」
「なんでおごられる側がそんな偉そうなんです?」
「さんざん食って箸を置いたら…」
「置いたら?」
「何食わぬ顔で店を出る」
「食い逃げじゃないですか!」
「何を言う。わたしは逃げたりなぞせん」
「つかまりますよ」
「だから君が払うんだ」
「わかりました」
「わかればいい」
「博士に決闘を申し込みます」
「ん?」
「ぼこぼこに叩きのめして、さくさく切り刻んだばかりか、ぞりぞり剥いで、ぽきぽき折って、粉々に砕いたあげく、ぐちゃぐちゃにつぶすのも、それはそれで悪くないって気になってきました」
「肉を食ってからでもいいんじゃないか?」
「その肉を今から用意するんです」
「あまり芳しくない状況だな」
「くたばれ」
「ギャー!」
*
ニジンスキーは鰊好きさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q: ダイゴさんはDAIGOさんとDaiGoさんと千鳥大悟さんとゴダイゴさんと小林大吾さんではどのダイゴが一番ダイゴらしいと思いますか?
ふつうに考えればこれはサッカー選手の小林大悟さんなんじゃないかとおもいますが、個人的にはウルトラマン・ティガの主人公マドカ・ダイゴあたりがいちばんダイゴらしいというか、ダイゴを演じたV6の長野くんがすごい好きだったので彼に一票入れたいです。「ダイゴ」も以前はほとんど見かけなかったのに、ここ10年くらいで急激に、それこそ雨後の筍みたいに増加したような印象があります。いったいダイゴ界に何が起きたのか?DAIGOさんとDaiGoさんには何か決定的な違いがあるのか?
ぜんぜん関係ないけど、かつて僕が暮らしていた町には(町田ではありません)、長野くんの実家と言われるお店があって、そのそばをよく感慨深げに通り過ぎたものです。
A: マドカ・ダイゴ隊員/ウルトラマンティガ
いちおう念を押しときますけど、「ダイゴって他にもいないかな」とか検索しなくていいですからね!めちゃいるんだから!
*
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その151につづく!
2013年5月8日水曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その149、またはかなしみの330グラム
量り売りのお店に行って「これ300グラムください」と声をかけたら、あらかじめ取り分けておいたとおもわれるパックを店員さんが手に取ってこう言うのです。「420グラムですけど、これでいいですか?」
え?
いや、あの
300…
そりゃいくら何でもどんぶり勘定すぎやしませんか、と突っ込みたいきもちが湧き上がる一方で、さも余裕で許容範囲内のように言うから、却ってじぶんがひどくけちな注文をしているようにもおもわれてきて、何だかいたたまれなくなりました。
ひょっとしてここはやっぱり「いいとも!300でも400でもいっしょだからな!派手に盛ってくれ!」と気前のいいところを見せるべきだったんだろうか?
けっきょく330グラム買ってとぼとぼと帰るわたくし。好きなものを欲しい分だけ手にしているのになぜしょんぼりと家路につくことになるのかさっぱりわからない。
*
馬の耳にエンピツさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)東京近郊だと府中とか品川とか船橋あたりでよく使われることわざのひとつですね。
Q: 町田にここ!という思い出の場所はありませんか?
なぜ町田なのかというと、僕の実家があるからです。よくご存知ですね、しかし。
ご存じない方に説明すると、町田市とは東京都のすみっこに位置する、イタリア半島みたいな形をした市です。隣接する駅が上りも下りも神奈川県内にあるので、かつては東京の一部と言っても信じてもらえないようなところがありました。実際120年くらい前までは神奈川県に属していたそうなので、もしかすると厄介払いされたのかもしれません。
小田急線
横浜線
僕が暮らしていたのはかれこれ20年くらい前のことなので、そのころに比べると町田もずいぶん様変わりしています。とくに駅前の変わりぶりと言ったら目を疑うくらいです。現在は町田駅の真正面にどーんと大きな通りが街道まで突き抜けているのですが、これが昔はありませんでした。
この道ができる前はちいさな商店がこまごまと並んでいて、昼も薄暗く、決して洗練されていたとは言えないけれども、暮らしと結びついたディープな活気がありました。僕が好きだったのはプラモデルやホビー系のツールも充実している文房具屋とか、そこらのコンビニよりよっぽど広い駄菓子屋(これは町田の名物のひとつでした)とか、そもそもご飯が大盛りなのにさらにラーメンがまるまるひとつ付いてくる焼肉定食(焼肉定食です)を700円かそこらで食べさせてくれるくたびれた定食屋とか、そんなのです。残念ながらどれも今はありません。年配の人に聞くと僕が通っていたころでさえずいぶん変わったと言っていたから、さかのぼればさらにディープな町だったんでしょうね。
当時ときどき足を運んで、今も変わらずある店といえば、カフェ・グレという喫茶店です。水出しコーヒーをお店で初めて目にしたのはたしかここだったとおもいますが、それよりもむしろコーヒーのおかわりが半額になるという理由で通ってました。すごく雰囲気のよいお店です。今考えるとよく十代のころにひとりでこんな店入ったな、と首をかしげないでもありません。たぶん背伸びをしてたんだとおもう。
他にもバイト代のほとんどをつぎこんでいたパチンコ屋とか、夜中に床掃除をした東急ハンズとか、セールになると朝6時半(!)に開店してた20年前のユニクロとか、保険証をムニャムニャしてまでAVを借りに行ったレンタルビデオ店とか、十数年の長きに渡る争いにとうとう終止符が打たれた今川焼戦争の跡地とか、初めてネルドリップのコーヒーを飲んだマリポーザという喫茶店(今はレストランです)とか、月に一度コーヒー豆が半額になる日があってそのために学校を早退していた卸のお店とか(100グラム150円以下になるのでお小遣いでも買えたのです)、てっきりあやしい化学薬品の工場か何かだとおもっていた会社の意外な正体とか、挙げていけばキリがありません。
あとはえーと、そうですね。すこしエリアを拡大すると、鶴間公園がものすごく好きな場所でした。今で言うと、グランベリーモールのすぐそばです。昔から行くたびに「ここ好き!」と心から感じていて、そういう刷り込みがあるものだから大人になって行ってみたけど、記憶よりもずっとちいさな公園だったことにびっくりしたくらいで、尋常ならざる贔屓目が何によるものなのかはちっとも思い出せませんでした。よい公園なのはたしかです。「ものすごく好きだったときのきもち」だけが、今はふわっと胸をよぎります。
A: (あえてひとつに絞るなら)鶴間公園です。
甘酸っぱいようなほろ苦いようなこのきもち、何かに似てるな…なんだっけな…としばらく考えてふと気づきました。
初恋だ…。
公園なのに…
*
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その150につづく!
2013年5月5日日曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その148
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明日は明日のハゼがフグさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q: 閑古鳥を黙らせる方法を教えてください。
「閑古鳥が鳴く」とは、客の入りがわるくてガランとしているようなときに使われる慣用句です。とくに商売について言われることが多いですが、たとえばブログにアクセスが全然ないような場合にも当てはまります。要は人気がなくて物寂しい様を表しているわけですね。いえ、もちろんこのブログの話ではありません。ありませんが、できれば「にんき」ではなく「ひとけ」と読んでもらえると助かります。僕としてもナイーブな心に直接ダメージを受けるのは避けたい。
商売の上で閑古鳥を黙らせるとなったら、それはもう繁盛するより他にありません。この鳥が鳴く時点ですでにあとがないわけだから、なりふりかまわずサクラを使い、クーポンをばらまき、ステマを仕掛け、座右の銘には「寄らば大樹の陰」をバーンと大文字で掲げつつ、詐欺すれすれであっても意に介さない鋼の心臓が求められます。何か問題が起きたら責任をとって辞めればよろしい。職を辞するとなぜ責任をとったことになるのかよくわからないけれども、多くの場合それで済むことになっているらしいので、とりあえずその顰みに倣っておけばまちがいはないはずです。
また、ひとけの少ないこのブログの例で言うと、かつてアクセスがいきなりピョンと跳ね上がったのはこの記事でした。
→公共性を保つ自主規制としての消しゴム
つまり、少なくとも「うんこ」と書いてありさえすればアクセスは増える、ということです。いささか率直すぎるきらいがなくもないけど、この日にかぎってアクセスがふえたのはたしかだし、内容といえば実際うんこのことしか書いてないのだから他に解釈のしようがありません。しかしそりゃ閑古鳥じゃなくたって閉口するよな、とおもう。
結論: このブログで語られていることの多くは概ねうんこ以下である。
なんだとこのやろう!
ガシャーン!
(ちゃぶ台をひっくり返しています)
かちゃかちゃ
(他に誰もいないので片付けています)
(そういう話ではなかったはずなのにどうしていつもこうなるんだ?)
もうひとつ、べつの視点から考えてみましょう。辞書を引くとわかりますが「閑古鳥」とは、じつはカッコウの別名です。いくつか前の投稿で言及したとおり、彼らは子育てをまったく知りません。べつの鳥の巣に卵をほうりこみ、生んだら生みっぱなしであとは完全に知らんぷりをきめこみます。習性の一言でなんとなく済まされているようなところがありますが、しかしこれは明らかにネグレクト(育児放棄)であり、倫理的な観点からするとじつにけしからん行為です。見過ごすわけにはいきません。では具体的にどうすればそんな奴らを黙らせることができるのかというと
A: 児童相談所に通報すればよいのです。
*
質問はいまも24時間無責任に受け付けています。
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その149につづく!
2013年5月2日木曜日
ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その147、あるいは神の血を引く子どもの話
たなぼたアンテナさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)契約してないのになぜか受信するふしぎなアンテナのことですね。
Q: 爆破されるならどんなシチュエーションがよいですか?
たとえば僕が山奥のちいさな村でひっそりと暮らしていたとしましょう。木々に囲まれてそこに至る道も定かではない僻地の、閉鎖的な村です。そこに集落があることなど、誰も知りません。ここで生まれたものは皆ここで育ち、ここで暮らし、そしてここに骨を埋めます。外部に通じる道は村の西側、切り立つ崖にかけられた1本の吊り橋だけです。
村にはひとりの不幸な娘がおりました。彼女は働き者で、器量もよく、かつては村の誰からも愛されていましたが、あるとき道に迷って村に辿り着いた旅人と恋に落ち、身ごもったことから、一転して村八分の憂き目に遭っていたのです。他所者と交わるだけでも詮議ものなのに、あまつさえ子を孕むとはとんだ罰当たりだ、というのが村人の一致した考えでした。
はからずして父となった旅人はここを旅の終着点と決め、ともに村で生きていく心づもりでいましたが、村人たちの態度が急によそよそしくなったこともあって、なんとなく穏やかではありません。自分に原因があるらしいことは察せられるものの、村の人々はみな肝心なところで口を濁すため、いまいち判然としないままです。
やがて玉のような男の子が生まれても、状況は一向に良くなる気配がありませんでした。村人はどこまでもつれなく、必要最低限をのぞいて誰も一家に関わろうとしません。さんざん思い悩んだすえ、旅人であった男は3人で村を出ることを娘に提案しました。この村でなくとも心安らかに暮らせる土地がきっとどこかにある。何よりここにいてはこの子のために良くない。村を出て安住の地を探したほうが良くはないだろうか?
しかし娘は首を縦には振りませんでした。村で生まれた者は村を出てはいけない決まりになっていたのです。村人たちはじぶんたちを山の神の末裔であると信じており、その血脈をみだりに外へ持ち出すことまかりならぬと村の掟は定めていました。混血の忌み嫌われる理由が今になってようやく飲みこめた男は開いた口がふさがりません。
「でもあなたはちがいます」と娘は男に言いました。「あなたはここを出ていくことができる。この子に自由を与えて、世界の広さを教えることができます。ですから…」
その先をさえぎって男は声を荒げました。「おまえを置いていけというのか」
「この子は村に災いをもたらす、と村長は以前わたしに言いました」と娘はいきり立つ男を見据えたまま凛とした調子で話します。「手荒なことはしないとおもうけれど、いずれはそれもどうだかわかりません。追放しようにも半分は村の血が入っているし、ここで生きるにしたって嫁いでくれる人はないでしょう。それに、村に何か問題がおきれば真っ先にスケープゴートにされるのはこの子です。そうなれば是非もありません。後生ですから、どうか…」
「おまえを置いていく気はない。わたしもこの地に骨を埋めよう」
「この子の未来はどうなります」
「わたしがいるかぎり、妙な真似はさせない」
「いいえ」と娘はきっぱりと言いました。「あなたは行かなくてはなりません」
「おまえとならどこへでも行こう」
「それはできません」
「ならばわたしもできない」
「そのきもちがわたしには重荷になるのです」
「むむ…」
ついに男は折れました。子を連れて村を出ることにしたのです。月のない闇夜にすやすやと眠る赤子を抱いて、男は暗澹たる面持ちのまま外界へとつながる吊り橋までやってきました。ふたりを見送る娘は対照的に晴れやかな顔をしています。
「いずれ生きるべき土地がみつかったら」と男は娘に言いました。「お前をさらいにくる。迎えにきてもお前はうんと言わないだろう。だからさらいにくる」
「まあ」と娘はおもわず顔をほころばせました。「こわい人」
「そうとも」男は大真面目につづけました。「兢々として待つがいい」
名残惜しそうに幾度も振り返りつつ、男はゆっくりと橋を渡っていきます。役目を果たしたと胸を撫で下ろしたかどうか、やがて男の姿が見えなくなると、娘は祈るような思いで天を仰ぎました。
*
それから十数年後のことです。
村人たる僕が吊り橋のあたりをぶらぶらしていると、馬に跨がった物々しい集団がやってくるのが目に入りました。その首領とおぼしき男が橋の向こうから声をはりあげてこちらに問いかけます。「ここにかつて旅人だった男が来なかったか」
「あなたは誰です」と僕も負けじと声を張りました。
「おれは息子だ」と男は答えました。「父と母を迎えにきた」
「彼らの…」
「数年前、父が母を迎えに出た。今もってふたりが戻らない理由を知りたい」
「彼らならいません」
「いないはずはない。たしかにここに来たはずだ」
「たしかに来ました。でももういません」
「いないとはどういうことだ」
「身投げしたんです。ふたりとも」
「馬鹿馬鹿しい。ちっとは考えてものを言え」
「でも、本当なんですから」
「家族を迎えにきて身を投げる理由がどこにある」
「あなたの父君が迎えに来たとき、母君はすでに身を投げていたのです」
「なんだと」
「あなたたちが村を去ったあの晩、この崖から」
「嘘を言うな」
「ここに来てそれを知った父君もあとを追うように…」
「そんな戯れ言を信じるとおもうのか」
「本当なんです」
「嘘だ」
「本当です」
「むむむむ」と男はぎりぎりと歯を食いしばるようにして、ふと天を仰ぎました。「じつのところを言えばそんなことがあるかもしれないとは思っていた。一人ではなく、屈強な仲間たちを連れてきたのはそのためだ」
ギョッとして、僕は尋ねました。「何をするつもりです」
「村を焼き討ちにする」と男は言いました。「他に何ができる?」
「馬鹿な真似はおやめなさい!そんなことをしてどうなります」
「どうにもならない」と男はかなしげに笑いました。「ただおれの気が済むだけだ」
「いけません」
「誰とも知らんおまえに留め立てされる筋合いはない」
「あなたはこの村に災いをもたらすと言われていた」
「災いを生んだのはその一言だろう」
「母君があなたを村から送り出したのは、あなたが災いではなかったと証明するためだったはずです」
「追いつめた側が訳知り顔で母を語るな」
「これではあなたが本当に災いをもたらすことになってしまう」
「聞く耳もたん。行くぞ」
「お待ちなさい。そんなことではご両親も浮か」
ドカン
「うわあ」
「なんだなんだ!」
「村の男が爆発したぞ!」
「あッ橋が落ちる!」
「ちくしょう、やられた!」
「村に通じる唯一の道を断ち切りやがった!」
「これじゃ渡れない!」
A: …というかんじがいいですね。
*
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