2026年1月23日金曜日

全身の細胞たちがスタバでリモートワークに勤しんでいること


僕は極度の寒がりで、気温が10度を下回れば途端に身体機能が低下して、人というよりはむしろ路傍の枝に近くなる男ですが、しかしよくよく考えたら昔のほうが今よりもずっと寒かったはずだ、とふと思うのです。

何しろ防寒着というものがありません。あるとしても素材は毛皮、真綿、木綿くらいのはずです。そのどれもユニクロで買えるような手軽さではないし、当然ヒートテックほどの保温力もありません。

火に関して言えば昔も今も最強だし、木炭という至高の知恵も含めて今よりもよっぽど人々の暮らしに寄り添っていたと思いますが、ライターやマッチほどイージーな着火もできないばかりか、そもそも日本は家屋の風通しが必要以上に良すぎたので、空間として温まることもあまりなかったでしょう。風呂だってまず水を汲んでくることから始まる大昔では当たり前には望めますまい。

今を生きる僕でさえ、子どものころ祖父母の家に泊まった時の布団の冷たさを覚えています。寝たくない理由のひとつにその冷たさがあったくらいです。

つまり総じて、ずーっと寒い。少なくとも肌が外気にふれる割合は、どう考えても今よりもずっと大きい。僕なんかはそれを想像するだけで気を失います。

ただ体感としては、寒がりのプロフェッショナルである今の僕と同じように感じることもなかったでしょう。机の前に座ってただ手を動かすだけなんてことはほとんどなかったし、何をするにも常にせっせと全身を動かしていたはずだからです。代謝は今よりもずっと活発だったとおもう。

つまり僕らがこんなに寒いのは、大昔に比べて体を動かすことが圧倒的に少ないから、ということになります。現代における運動不足は誰でも痛感するところだとおもいますが、それ以前の問題です。指一本で部屋を温めたり風呂を沸かすことができてしまう時代である以上、移動や家事以外に体を動かすことがあまりないとさえ言えるでしょう。極論すればそれでもなお常に温かくいられるから、ということです。

加えて、防寒着は防寒着でとんでもない進化を遂げています。これを着ていれば寒くないという選択肢が無数にある時代です。

体をあまり動かす必要がなく、かつ防寒着がいくらでもある環境であれば当然、寒さを感じる閾値はめちゃめちゃ低くなります。かつては奴隷のようにせっせと働かされていた非力な細胞たちがスタバでコーヒーを啜りながらリモートでデスクワークをしているようなものです。寒いわけだよ、と言うほかありません。

したがってこの寒さ、具体的にはその体感を最小に留めようとするならば、まず防寒という要素を片っ端から脱ぎ捨てる必要があります。暖房器具やもちろん、衣服さえパンツ以外は問答無用で焼却です。最後に暖を取るのはこれを燃やす火ということになるでしょう。僕は独裁者として、配下である全細胞に働けと命じます。なんとしても凍死する前に代謝をフル稼働させなくてはなりません。やがて寒さを感じなくなるのは十中八九まちがいないですが、それが温まったからなのか死にかけているだけなのか、それは神のみぞ知るです。

池袋近辺で打ち捨てられている素っ裸の亡骸を見かけたら、ねんごろに弔ってやってください。たぶん僕です。
 

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