2025年9月19日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その462


通勤海賊さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 穴が空いた靴下を私の地元ではおはよう靴下と呼びますが、夜でもおはようでいいのでしょうか。


ほどよい塩梅の質問です。本気で知りたいとまで考えているわけではないけれど、気になると言えば昔から気になってはいる、とはいえ有識者に相談する話でもないし、仮に解決してもへーということににしかならない、そういうただ転がしたり手で弄んだりするだけの、小石みたいな「へんだねえ」をいつもポケットに数個は忍ばせておきたい、と近ごろはよくおもいます。

それにしてもいろんな慣習があるものです。たぶん肌とか指が顔を出している、ということですよね。

そしてこれはおそらくたった一人の、幼稚園とか小学校低学年の先生が言い始めたものではないだろうか、と僕なんかは想像します。ひょっとしたら穴が空いていると言わないための、ちょっとした気遣いとして始まったものかもしれません。つまり、「あれ、ガツ男くん今日はおはよう靴下だね」という具合に。

ちいさな子どもは靴下に穴が空いていようと気にしないだろうけれど、指摘されれば気にするようになります。でもおはよう靴下ならそんな心配は無用です。なんなら靴下に穴の空いていない子のほうが「ぼくのくつしたにはおはようがない」としょんぼりする可能性すらあります。価値の反転という意味で、じつに見事なネーミングです。

そしてそれ以降、靴下に穴が空くたびにおはよう靴下を思い浮かべることになるでしょう。やがて忘れて大人になっても、親になれば今度はじぶんが子にそれを言うようになります。かくしてあるエリアの子どもたちはみんなおはよう靴下を知っている、ということになるわけですね。なんなら最初に提唱した人もまだご健在なのではないだろうか。

何から何までぜんぶまちがってたらすみません。その可能性はふつうに高い。


肝心の「おはよう」については、僕も昔からおもうところがあります。

というのも、たとえば職場とかバイト先とかイベント前とか、そういう現場入りのときは大抵、朝と昼と夜を問わず「おはようございます」なんですよね。こんにちはとこんばんははまず聞かないし、これらはどちらかというと輪の外から第三者としてお邪魔する印象のほうが大きい。「おつかれさまです」は聞く気もするけれど、ここには敬意や労いのニュアンスが含まれているので、挨拶というよりは気配りの一種と見るべきでしょう。

ではなぜ朝の挨拶が、本来ならそぐわない朝以外にも使われているのか。今の僕はむしろ、朝の挨拶という古くからの定義を見直す必要があると考えます。そして再定義するなら次のようなことになるでしょう。すなわちおはようとは、時間帯にかぎらず「(その場においてじぶんの登場が想定されている状況での)最初の挨拶」なのです。最初の挨拶なのだから当然、朝の挨拶も含まれます。少なくとも新明解国語辞典くらいはこの再定義を受け入れていいとおもいますね。


A. 夜でも問題ありません。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その463につづく!

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