キテレツ大爆破さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. 無性に走りたくなる時ありますか?何かどうしようもない焦燥感に駆られて、街を駆け巡る事が増えました。もう10代が終わるというのに感情任せに行動を起こしてしまいます。大吾さんもそんな時ありましたか?今でもありますか?
質問をいただいたのが年末なので、ひょっとしたらもう20代に突入されているかもしれませんね。
焦燥感に駆られて街を駆け巡ること、感情任せに行動を起こしてしまうこと、どちらもすごく大切なことです。そうじゃないほうが大人に見えるかもしれないけれど、いざ年を重ねてみると、かつて持っていたものを永遠に失うことでもあるよな、ともしみじみ感じます。
言ってみればその衝動はライオンみたいなものであり、それをコントロールすることはライオンを手懐けるようなことです。予期せぬ事態を避ける意味では有効だとおもうし、人生を円滑に歩むためにはそうあっていい気もするけれど、それはあくまで社会的な要請に基づいた向き合い方であって、ライオンが幸せかどうかはまたぜんぜん別の話である、とも言えるでしょう。
胸の内にライオンを飼う人はそう多くありません。金魚の人もいれば、パンダの人もいます。僕は昔からとにかく人より燃費が悪いので、そうだなあ、しいていえばアボカドとかパイナップル、どちらかといえばパイナップルでしょうか。
パイナップルは生育にやたらと時間がかかる(たしか2年くらい)上に1株に1果実しか取れません。その代わり痩せた土地や害虫に強い上に収穫後の日持ちも良いので、1株では甲斐がないけれど大量に生産するだけのリターンは確実にある、そんな植物です。それを1株だけ、胸の内で育てています。これまでの活動履歴を振り返ってみても、1株のパイナップルはなかなか的を射ているとおもう。
もちろんこれはどれが良いとかそういう話ではありません。身長や髪質と同じように、ただ人それぞれである、というだけです。
ライオンはどうでしょうね。猫みたいにゴロゴロ手懐けるのもかわいいけれど、どちらかというと世間的にはそのほうが大人と見做される傾向があるので(実際、びっくりするほどみんなあっさり飼い慣らしてしまう)、個人的にはせっかくライオンがいるのだからその背にまたがっていっしょに町を疾走しつづける日々であってほしいな、と願わずにはいられません。パイナップルはいっしょに走ってくれないですからね。10代とか20代とか関係なく、ずっと大事にしてください。
そんなわけでお答えとしては、パイナップルとして走ってみたくなることはある、ということになります。実際のところこれだけ長く生きていると、走らないにしても目を離したすきにちょっとは歩いたりしてんじゃないのかと思わないでもないですけど。
A. パイナップルとして走ってみたくなることは今でもあります。
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その461につづく!
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