過剰な気遣い
アメリカン土偶さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. することもなく部屋の中でピラミッドのように正方形の物を積み重ねていたとき、レコード→焼き海苔→EP盤→シングルCD→付箋→サイコロ まではいい感じに重なったのですが、最上段にピッタリくるものがが見つかりません。僕のピラミッドのキャップストーンには何が最適なのでしょうか。
かれこれ15年以上、途切れ途切れに450回以上もやらかしてきた質問箱ですが、これほど後悔したことはありません。なんとなれば「退屈で困っている」という前々回に取り上げた質問の、まさしく最適解が別の質問として寄せられていたことに、いま気づいたからです。こんなことってあるだろうか?もし僕がマッチングアプリだったら、この奇異なる巡り合わせを見逃したことによって、2度と起動できないくらいのダメージを負っていたにちがいありません。
かつてゴルフボールを3つ重ねることに苦心していたことのある僕に言わせれば、退屈こそが人生である、みたいなことを前々回に書いたような気がしますが、ここは改めて、出し得るかぎりの大きな声で念を押しておくべきでしょう。
退屈こそが人生です。
することがないなら正方形のものをピラミッド状に積み重ねたらいいじゃないか?むしろ正方形のものをピラミッド状に積み上げることを時間の使い方として否定するだけの正当な理由が果たしてあるだろうか?
断じてありません。
とかく人は日々に意味や価値を見出そうとしがちです。そして行動にもまた、いちいち理由を求めがちです。そして意味や価値や理由がこれといってない場合、自身には関係のない不要な情報として、ばっさり切り捨てがちです。
イギリスの著名な登山家ジョージ・マロリーが「なぜエベレストに?(Why did you want to climb Mount Everest?)」と問われて「そこにあるからです(Because it's there.)」と答えた逸話は広く知られています。彼の端的な答えは、なぜ意味や理由が暗黙の前提になっているのかという根源的な問いでもあると言えるでしょう。
にもかかわらず、人は今もやはり問うのです。「なぜ正方形のものをピラミッド状に積むのか?」と。
そこに正方形のものがあるからというほかありません。
意味があって生産的な時間を楽しく過ごすことは、誰にとっても豊かです。この点に異存はありません。しかしこの点に基準を置くと、意味がなくて非生産的な時間は当然、マイナスになります。
一方、意味がなくて非生産的な時間を楽しく過ごせるならば、意味があって生産的な時間を楽しく過ごすことはより豊かになります。ここにはマイナスどころか、プラスしかありません。
実際のところどちらが豊かな日々であると言えるか、考えるまでもないはずです。
前々回はめんどくさくて省いてしまったけれど、退屈こそ味わう甲斐があるという、その理由がここにあります。
それはまあそれとして今回の回答ですが、僕はミックスベジタブルのにんじんを推したいとおもいます。なんとなればサイコロの大きさがどうあれ、にんじんなら削ってより小さくすることが可能だからです。もちろん、加工せずにそのままちょこんと乗せるのもよいでしょう。
より厳密に、ピラミッドのキャップストーンのように四角錐にしたいという場合でも、ミックスベジタブルのにんじんは自由にカットできる点でその要求に十分応えられる逸材です。
せっかく正方形しばりで来たのだから、個人的にはできれば加工せずにそのままちょこんと乗せたいですね。サイコロがそれを下回るサイズでないことを願うばかりです。
A. ミックスベジタブルのにんじんがオススメです。
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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その460につづく!
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