2024年2月16日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その416


てぶくろを解任さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. めんどうな用事はもちろんのこと楽しいであろう用事さえも行くまでが憂鬱で億劫なことが多いです。人間はなぜそのようにできているのでしょうか?


これはですね、まずヒトがいかに特殊で不遜な生物であるかということから始めなくてはなりません。

僕ら人間をのぞいて、およそすべての生物は常に死と隣合わせの日々を送ります。なんとなれば自身を食料とする上位の生物がいるからです。ライオンくらい上位になると捕食される危険性はあまりないですが、その代わりに食料調達のハードルがやたらと高く、ふつうに餓死と隣り合わせです。したがって、生物が生きるためにかかるコストは例外なく死を遠ざけるために費やされます。

このヒリついた環境では、いつもと違うちょっとした行動が命取りになりかねません。ヒトにとっては美点ともされる好奇心も、多くの生物にとってはハイリスクかつ場合によってはリターンどころか即死です。好奇心がないとは言わないし、ものすごく低い確率で莫大なリターンを得ることもあるんだけど、いずれにしてもギャンブルに近い衝動であることは間違いありません。生存に不可欠でない行為はしないに越したことはない、が生物としての不文律であると断言してもよいでしょう。今まさに死に瀕していないかぎり、生物においては事なかれ主義こそが生き延びる上で最上の戦略です。

ではこの視点から「楽しいお出かけ」について考えてみましょう。ヒト以外の生物が予定を組むことはまずないのでこれだけでも十分に異常きわまりないわけですが、これをダンゴムシにもわかる共通の意味に置き換えると「不可欠ではないイレギュラーな行動」になります。先にも述べたように生存戦略的には当然ハイリスクであって、全生物から総スカンを食らう愚行ということになるでしょう。この死にたがりめ!と罵られること請け合いです。

もちろん楽しいお出かけくらいでヒトが死の危険に晒されることはありません。ダンゴムシからどれだけブーイングを浴びようと、楽しく遊んでハッピーに帰ることが高確率で保証されています。それでなくとも本来なら全生物でシェアするはずの資源も浪費し放題だし、特権階級ここに極まれりと言うほかない。

とはいえ何から何まで異端尽くしでわがまますぎる存在であるヒトもまた、元を辿れば原材料はダンゴムシと同じです。ごはんは食べるし、うんこもするし、生殖もします。であれば今もその辺をころころ転がる多くのダンゴムシたちと同じように、先に挙げた生物としての不文律を本能的に保っていても不思議ではありません。生存に直結しない行動に躊躇いを感じるのは至極まっとうなことであると申せましょう。

極論すれば億劫とは、ヒトにかぎらずすべての生物において生存戦略的にきわめて妥当な感覚でもあるのです。だって別に、それをしないからと言って死にはしないんだもの。

七面倒くさい回り道をしながらごちゃごちゃと申してきましたが、ここではっきりと明確に結論づけておきましょう。

億劫とはひとつの真実であり、またある種の正義でもあると。

なので僕も貴重なエネルギーを温存するためにもうすこし寝ます。


A. 生存に不可欠な用事ではないからです。




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dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その417につづく!

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