2023年6月23日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その394


ちょっとGPTさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)GPTは牛乳パン玉子、もしくはごめんパンツ取っての略です。


Q. 最近ささくれが多くてよくちぎってしまいます。ささくれはちぎると血が出たりして痛いです。なのでちぎったことは絶対に後で後悔します。それでも何度も繰り返しちぎってしまいます。後悔するってわかっているのに何度も同じ過ちを繰り返す、それは人類が歩んできた歴史にとても似ていると思います。そこで僕は、全人類が指のささくれをちぎってしまうのを我慢出来れば争いが起こらない平和な世の中になるのではないか、と考えました。なので世界平和のためにささくれをちぎらない方法を教えて下さい。


ふむふむ、ささくれをむしりさえしなければ、争いも起こらず、世界が平和になるというわけですね。おっしゃる通りです。世の争いごとは元を辿ればすべて誰かのささくれに起因していると言っても過言ではありません。そして人の指先には例外なくささくれができます。何千年たっても問題が尽きないのも道理です。

しかしそれさえわかればこっちのもんだという気もするので、いくつか考えてみましょう。


1. 迷信をすりこむ

一般的にはどうなのかわからないけど、僕が子どものころは「ミミズにおしっこをかけるとちんちんが腫れる」という迷信がありました。これには超常的な驚きとインパクトがあって、かなりの抑止効果があったとおもいます。なんとなれば、そんな心配をしてまでやるほどのことでは全然ないからです。

これに倣って、たとえば「ささくれをむしるたびに終末時計の針が進むよ!もう残り1分半なんだからね!ひとむしり1秒だよ!となるべく幼いうちにすりこみましょう。そうはならないと思っていても、むしろうとするたびにいちいちそんなイメージが思い浮かべば誰だってイヤになります。平和との関連性という点からしても、ちょいちょい終わりかけの世界を憂えることになるわけだし、わりと理にかなっている気がしないでもありません。


2. 腕をサイボーグ化する

しかし子どもはともかく、大人になってからではそうそううまくいきません。ここは思い切って、腕をサイボーグ化しましょう。指先だけでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、その切り口にささくれができないともかぎらないし、指先だけでは機械化の甲斐もあまりありません。いっそ腕ごとチェンジが見た目もよくて最善です。

ただ平和との関連性で言うと攻撃力が意図せず大幅に上昇し、握手ひとつで相手の手を粉砕してしまう可能性も否定できないので、やや注意が必要です。でもささくれはなくなります。


3. 精神を鍛える

でなければ、精神を鍛えることです。むしらないだけの心の強さを持てればそれに越したことはないけれど、それができなくて苦労するわけだから、それよりむしっても動じない精神力に焦点を当てたい。

むしっても血が出てもその痛みをモノともしない強靭な心があれば、いずれささくれのほうが根負けします。ささくれからしたら痛みも血も感じない人を相手にすることほどつまらないことはありません。頼まなくても向こうから匙を投げてくるでしょう。

ただこれも平和との関連性で言うとほぼ根性論であり、またかつて日本が積極的に関与した戦争がこの非合理的な根性に依拠していたことを考えると、やはり注意が必要です。でもささくれはなくなります。


4. やさしくする

ささくれができるのは多くの場合、指先が乾燥しているからです。日々摂取する栄養や、新陳代謝のサイクルなんかも密接に関わってくるでしょう。だとすれば食生活や習慣を改めて見直し、ハンドケアに気を配ることがいちばんの近道ということになります。

いかにも訳知り顔の大人がドヤ顔で出してきそうな最悪の回答ですが、平和との関連性から言ってもおそらく最も理にかなっています。誰も気に留めない指先に心を注げる心の持ち主が平和的でないわけがありません。

僕自身はぜんぜんできていないししてもいないけれど、ふだんから爪を磨く習慣のある人の手はネイルやマニキュアをしなくても本当にきれいです。純粋な美と、それからやさしさがここにはあるとおもう。

そうは言っても自分さえ美しければ他人はどうでもいいという人も少なからずいるので、やはり注意は必要です。もたらす結果は他の例と大差ない可能性もある。でもささくれはなくなります。


5. 結論

現時点で僕がこれさえなくせればだいぶ状況が変わると考えているのはたとえば、呵責罵倒唾棄軽視です。一般的に正しいとされる側にいる人たちも、そうでない人たちと同じくらいこれを用いる印象があります。率直に言って、僕もそうです。だからこそなるべく胸に留めておきたい。

その上で、ささくれをむしるのは誰かを責めたり、罵ったり、見下すことと同じだ、と考えてみましょう。その誰かは他人かもしれないし、自分かもしれない。とりわけささくれにおいては、傷つけるのも傷つくのも自分です。自分を大切にすることなくして誰かを大切にすることなど絶対にできません。そのことに気づきさえすれば、いずれ自然とむしる頻度が減り、巡り巡って世界も平和になるんではないかとおもいます。


A. 個人的にはサイボーグ化がおすすめです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その395につづく!

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