2022年3月11日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その365

百貨店が進化したスーパー百貨店

レオナルド大ピンチさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 私は2年ほど前に結婚したのですが、その際苗字が「石崎」から「中﨑」になりました。仕事上でも苗字変更したので、暫くは周囲にこのマイナーチェンジ?を説明したものの、未だにしょっちゅう「崎」と「﨑」を間違えられます。(「石」から「中」の変化に気をとられて、些細な違いまで覚えてもらえないんですかね?)まあ間違えられたからと言ってほとんど支障はないのですが、この「一部の違いかと思ったら全部微妙に違った」みたいなややこしい話を1発で相手に記憶してもらえるような素敵な言い回しがあれば教えてください。


ふむふむなるほど、お気持ち、お察しします。名前の間違い、切ないですよね。しかし生まれてこのかた何ひとつ変更などしていないにもかかわらず判で押したように「大悟」と表記を間違えられる僕からすると、こんなのは片腹痛いと一蹴するほかありません。なんとなれば僕のほうには「変更したから仕方ない」とじぶんを慰める理由すら持ち合わせていないからです。改名したほうが早いなこれ、と思ったのも一度や二度ではありません。世間的には「だいご」といえば「大悟」だろうという認識でほぼ一致しており、別の表記があるとはまったく、想定もされていないのです。

しかしそんな僕も気づけばそこそこいい年になり、どちらかといえば過去に属する世代となりつつある今では、わりとどうでもいいような気持ちになっています。身元を証明する書類関係なら格別、日常における致命的なロスがあるわけでなし、向こうもこっちが誰であるかを認識した上で間違っているだけなのだから、とくに支障がないならそれでよしと今ではすっかりそう考えます。

アイデンティティの問題と言えばそれは確かにそのとおりだけれども、一方でそれは他人を変える考え方です。そして今の僕はこのことに限らず、他人を変えるよりまずじぶんが変わるように努めています。これは是非がどうあれ相手に合わせるとか間違いを指摘しないという意味ではもちろんなく、「じぶんが正しいのだから相手が変わるべき」という認識にブレーキをかける、という意味です。

なんであれそこに間違いがあれば、是正は必要です。必要ですけれども、「間違ってはいけない」と「正しくはこうである」は似て非なる認識であり、そこには地味ではあっても深い溝があります。少なくとも前者は非難につながりやすい認識です。そしてその認識に立つと、相手も好きで間違えてるわけではないという当たり前の事実すら忘れがちになります。そうまでしてノーと言い張る甲斐がいったいどれほどあるのか、気づけば過去に追いやられるお年頃になっていろんなことがどうでもよくなってきた僕としてはいささか疑問です。

相手を変えることよりもまず相手に寄り添うこと、これはおそらく対一般だけでなく夫婦間や国家間を含むありとあらゆるケースにおいて少なくともある程度は確実に有効な姿勢だと僕はおもいます。

とまあ、そんな大それた話を求めていたわけでは全然ないとおもいますが、要はいいじゃないか別にということです。確かに名前の表記はアイデンティティの一部ではあるけど、アイデンティティそのものでは全然ありません。「吾」と「悟」、「崎」と「﨑」、「高」と「髙」、「斎」と「齋」、「邊」と「邉」あたりにはなかんずくそうおもわれます。わかる人にわかってもらえていることが却って嬉しく感じられたりもするじゃないですか?


A. 水に流すためのせせらぎを心に備えましょう。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その366につづく! 

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