2022年1月7日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その356


あけましておめでとうございます。

それでも日々はつづく、ということを改めて実感させられる2022年です。雨が降ろうと槍が降ろうと、それでも明日はやってくるし、実際にこうして来ています。おもえば僕が子どものころから、ということはおそらくそれよりもずっとずっと前から、近ごろ世界が何だかおかしいと言われつづけてきたけれど、今ならそういうことじゃなかったんだなとわかります。いつの時代もおかしいと感じるすべては世代の交代と時代の進行に伴う変化であって、おかしいことなど何もない。天変地異は別として、パンデミックにしても社会の分断にしても、考えてみりゃそうだよな、と頷けることばかりです。

とりあえずまた来る明日のために、ごはんの支度をしよう。


ステップ輪ゴムさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 大吾さんが奥様を「うちのひと」と呼ぶようになった経緯があれば教えていただきたいです。以前はまた違う呼び方をされていたのでしょうか?


多くの人に認知される有名人ならともかく、僕がそんな話をしたところで誰の関心も呼ばないとおもいますが、お答えしましょう。

経緯は特にありません。しいて言えば「妻が」とか「夫が」という言い方には立場とか性差が意図せず滲む印象があるので、なんかめんどくせえなと避けているところがあります。いちばん近くにいる大事な存在を指すだけなのに、夫とか妻とか立場によって使い分ける意味あんのかな、ない気がするな、ということですね。結婚していようといまいと、また性自認が何であろうと、共に歩んでいるならいつでも使えるのでとても楽ちんです。なので「連れ合い」もよく使います。世代もあってか「相方」はまず使わないですね。

その昔、たしか柳瀬尚紀翁だったとおもうけど、随筆か何かで「至近距離の人」という表現があったんですよね。それがスマートですごくカッコよく見えて、オシャレなこと言いやがる!とひとりでジタバタした記憶があります。実際、真似していたような気もする。そんなことまで意識して呼び方を決めたわけでもないけど、今にしておもえばそのニュートラル感からは確実に影響を受けています。ただやっぱり文語的な表現で「至近距離の人がさあ」とは日常的に言えるわけもないので、現実にはまず使いません。重要なのはあくまでそのスタンスです。

一応念を押しておくと、誰もがそうあるべきとは全然おもいません。人が夫や妻と呼ぶのを聞くのはむしろ好きなほうです(なぜだろう…?)。うちの人が僕のことを外で話すときは「夫」で、それも気になりません。なのでこれはまあ、性分みたいなものですね。これが良いともべつにおもってないし、あくまで僕自身がしっくりくるというだけのことです。そういう人もいれば、そうでない人もいる、ルマンドが好きだからと言ってホワイトロリータをわざわざ否定する人はいないのと同じように、ただそれを選択するだけの多様性が保たれるなら、やっぱりそれがベストですよね。


A. 柳瀬尚紀(のはず…)の影響を受けているようです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その357につづく! 

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