2025年8月29日金曜日

アグローと夜(Agloe and Night) 2025のお知らせ



いうわけでまるまる1年ぶりに帰ってまいります。アグロー案内シリーズの実演版、「アグローと夜(Agloe and Night)2025」のお知らせです。

いまだになんというかこういう慣習に疎い僕にとって、3ヶ月前の告知は気が早いようにもおもわれて内心ハラハラしているところがあります。何しろそれだけの時間があれば人生はかなり変動するからです。「3ヶ月後はちょっとわからないな、遠い国の王女に見初められて王子になってるかもしれないし、漬けた梅酒も飲みごろだもん」というわけですね。

ところがフタを開けてみれば、というのはもちろん梅酒の瓶のことではなくて、忘却の奥底に沈澱していた去年を振り返ってみたらということですけれども、去年もやっぱりちょうど今くらいのタイミングで告知を開始していたのです。しかもとくにその点に言及することなくにこにこと手を振るようにお知らせしています。去年の僕は本当に僕だったんだろうか?それとも今の僕が去年までの僕ではないんだろうか…?

と同時に当日はすごく盛況で楽しかったこと、バースをまるまる忘れてやり直したこと、とてもおいしいせんべいで大騒ぎの記憶がありありと蘇ってきて、じわじわと実感が湧きつつあります。

何より今年はせんべいの代わりにアップデートされた「饗宴/eureka」があり、新しい一編も追加されています。どう考えても、ますます楽しい一夜です。どうかどうか、万障お繰り合わせの上、お越しくださいませ…!


「アグローと夜(Agloe and Night) 2025」
11月29日(土) @恵比寿TimeOut Café & Diner

出演:小林大吾、タケウチカズタケ
Open 17:30  Start 18:30
Charge ¥3,900(入場時に1ドリンク ¥600)

チケット URL

TimeOut Café & Diner
東京都渋谷区東3丁目16−6 リキッドルーム 2F

詩人/ポエトリーリーディング・アーティスト/グラフィック・デザイナーである小林大吾とキーボーディスト・音楽プロデューサーのタケウチカズタケが言葉と音楽の可能性を広げ続けている作品「アグロー案内」シリーズ。その実演ライブ&トークイベント「アグローと夜」、今年も恵比寿TimeOut Café & Dinerで開催です!


2025年8月22日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その459

過剰な気遣い


アメリカン土偶さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. することもなく部屋の中でピラミッドのように正方形の物を積み重ねていたとき、レコード→焼き海苔→EP盤→シングルCD→付箋→サイコロ まではいい感じに重なったのですが、最上段にピッタリくるものがが見つかりません。僕のピラミッドのキャップストーンには何が最適なのでしょうか。


かれこれ15年以上、途切れ途切れに450回以上もやらかしてきた質問箱ですが、これほど後悔したことはありません。なんとなれば「退屈で困っている」という前々回に取り上げた質問の、まさしく最適解が別の質問として寄せられていたことに、いま気づいたからです。こんなことってあるだろうか?もし僕がマッチングアプリだったら、この奇異なる巡り合わせを見逃したことによって、2度と起動できないくらいのダメージを負っていたにちがいありません。

かつてゴルフボールを3つ重ねることに苦心していたことのある僕に言わせれば、退屈こそが人生である、みたいなことを前々回に書いたような気がしますが、ここは改めて、出し得るかぎりの大きな声で念を押しておくべきでしょう。

退屈こそが人生です。

することがないなら正方形のものをピラミッド状に積み重ねたらいいじゃないか?むしろ正方形のものをピラミッド状に積み上げることを時間の使い方として否定するだけの正当な理由が果たしてあるだろうか?

断じてありません。

とかく人は日々に意味や価値を見出そうとしがちです。そして行動にもまた、いちいち理由を求めがちです。そして意味や価値や理由がこれといってない場合、自身には関係のない不要な情報として、ばっさり切り捨てがちです。

イギリスの著名な登山家ジョージ・マロリーが「なぜエベレストに?(Why did you want to climb Mount Everest?)」と問われて「そこにあるからです(Because it's there.)」と答えた逸話は広く知られています。彼の端的な答えは、なぜ意味や理由が暗黙の前提になっているのかという根源的な問いでもあると言えるでしょう。

にもかかわらず、人は今もやはり問うのです。「なぜ正方形のものをピラミッド状に積むのか?」と。

そこに正方形のものがあるからというほかありません。

意味があって生産的な時間を楽しく過ごすことは、誰にとっても豊かです。この点に異存はありません。しかしこの点に基準を置くと、意味がなくて非生産的な時間は当然、マイナスになります。

一方、意味がなくて非生産的な時間を楽しく過ごせるならば、意味があって生産的な時間を楽しく過ごすことはより豊かになります。ここにはマイナスどころか、プラスしかありません。

実際のところどちらが豊かな日々であると言えるか、考えるまでもないはずです。

前々回はめんどくさくて省いてしまったけれど、退屈こそ味わう甲斐があるという、その理由がここにあります。

それはまあそれとして今回の回答ですが、僕はミックスベジタブルのにんじんを推したいとおもいます。なんとなればサイコロの大きさがどうあれ、にんじんなら削ってより小さくすることが可能だからです。もちろん、加工せずにそのままちょこんと乗せるのもよいでしょう。

より厳密に、ピラミッドのキャップストーンのように四角錐にしたいという場合でも、ミックスベジタブルのにんじんは自由にカットできる点でその要求に十分応えられる逸材です。

せっかく正方形しばりで来たのだから、個人的にはできれば加工せずにそのままちょこんと乗せたいですね。サイコロがそれを下回るサイズでないことを願うばかりです。


A. ミックスベジタブルのにんじんがオススメです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その460につづく!

2025年8月15日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その458


たけのこの佐藤さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 身体を起こすエネルギーはないけど、眠れもしないとき、スマホをダラダラ見るのをやめたいです。代わりにできることやオススメの考え事があれば教えてください!


僕はわりと日ごろから床に寝っ転がる男なのだけれど、そんなに多くの人が日常的にコロコロと床に寝っ転がっているともおもえないので、ここでは仮にベッドでの話としておきましょう。

気が向くとすぐ床に寝っ転がる人の割合に比べれば、寝床にスマホを持ちこむ人の割合はおそらくめちゃめちゃ多そうな印象です。したがって、同じような悩みを抱く人もまためちゃめちゃ多いだろうな、と想像できます。

そしてこれを他人事のように書かざるを得ないのは、僕が寝床にスマホを置かない男だからです。

なぜと問われると、ちょっと困ります。何しろ意識的にそうしているわけでもありません。別にいいか、くらいにしか思っていないというか、なぜだろう。しいて言えば寝ることしか考えてないんじゃないだろうか。

枕元にはいつも何かしらの本があって、寝つきのわるいときは眠たくなるまで、すでに眠たいときはもっと眠たくなるまでぺらぺらとめくっています。ただ日常的にそれほど本に対する欲求が強くない場合、あまり甲斐がないのもよくわかる。それならまだスマホのほうが、となるのも無理はありません。

おもうに、おそらくスマホは僕らが自覚する以上に、安心と結びついている印象があります。

僕なんかはたまにスマホを忘れて外出してもそれほど緊迫しないというか、別に困りもしない気の毒な生き様なので、あらまあ程度で済みますが、大多数の人はそうならないでしょう。今や連絡、支払い、指定の時間や地図なんかにしても、これなくしては立ち行かない社会です。なくてよいときなどほとんどありません。

そして手元にあるのが当たり前ということは、手元にないと当然、不安に直結します。現代人にとってスマホは、特に明確なわけでもない茫漠とした不安を抑制してくれる、お守りみたいなものでもあるのです。そもそもスマホが存在しなければ抱きようのない不安でもある、という身も蓋もない話はこの際脇に寄せておきましょう。

そうなるとたとえば、本を読むといいよ、とかこんなことを考えるといいよ、というアドバイスはたぶん役にたちません。とにかくまず至近距離にスマホがないと落ち着かないし、スマホがあったらあったでそっちに気を取られて読書も考え事もへったくれもないからです。

以上を踏まえた上で、というのはつまり、スマホを至近距離に置いた上で触れずに済む、最もシンプルな解決のひとつはラジオとかポッドキャスト、もしくはオーディオブックだと僕はおもいます。

日常のお供からアカデミックなものまで、選択肢は無数にあるし、誰かの話や朗読は聞いているうちにそのままじぶんの考えごとに発展することもあるでしょう。

とりわけ僕が強調したいのは、です。耳に心地よく感じられる声というのは聞いているだけで癒され、脳汁が溢れ出すところがあります。他では聞けないような特別な話をしているわけでもないし、何なら話の印象が残らなかったりするのに、話し方とか、声の高低とか、ペースとか、ただ耳を傾けているだけで満たされることが実際あるんですよね。

なのでここはひとつ、じぶんにしっくりくる番組やパーソナリティ、もしくは朗読を探してみましょう。有用かどうかは問題ではありません。ただただ、リラックスできるかどうかです。

もしぴったりのものに出会うことができたら、自然と寝床でスマホに触れることも減るんじゃないかとおもいます。好きなアーティストのポッドキャストなんかあったら、入り口としては最高ですね。


A. じぶんに心地よい声を探してみましょう。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

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その459につづく!


2025年8月8日金曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その457


カリオストロ四郎さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q. 現在ニュージーランドで過ごしている23歳・オスです。なんとか仕事が見つかり生活が落ち着きましたが、この国は日本と比べて娯楽が少なく、日本のぬるま湯に浸りまくっていた私にとって、この環境が非常に退屈だと感じ始めています。おまけに友達も少なく、もちろん恋人もいないため、毎日ひもじい思いをするばかりです。ムール貝博士が娯楽の少ない外国で生活をするなら、余暇時間は何をして過ごしますか?


ニュージーランド、いいですね。と言っても僕が知っているのはキウイ(鳥)とオールブラックスくらいなのでほとんど何も知りませんが、とりわけカカポというずんぐりした鳥が暮らす世界で唯一の土地である、という点で個人的に心を寄せています。


カカポはオウムの仲間で、キウイと同じく夜行性の飛ばない鳥です。ただし、キウイと違ってカカポの生息域には古くから捕食者が存在しなかったため、防衛反応や警戒心というものがほとんどありません。実際、人が近づいても「?」という顔をするだけです。したがって、人間の入植に伴ってネズミなんかの捕食者が生息域に侵入してからも、彼らが捕食者であるという認識をもつことができず、完全に無防備のまま、あっという間にその数が減ってしまいました。近年の手厚い保護によってだいぶ数を増やしたものの、それでもまだ300匹に満たない、まごうかたなき絶滅危惧種です。

しかし僕が心を寄せているのは絶滅危惧種だからではありません。長年の環境によるところが大きいとはいえ、カカポが敵意の欠片も持たない鳥だからです。

徹頭徹尾弱肉強食が貫かれるこの世界において、カカポほどやさしく、平和で、尊い生物は他にありません。

敵がいなかったんだから当然といえば当然だけれど、敵意を持ち合わせないということは、極端に言い切ってしまえば愛しかないということです。そんなファンタジー丸出しの生物が現実に存在するなんて、とカカポのことを考えるたびに心がふるえます。だって愛しか知らない種族ですよ!フィクションだったら陳腐と一蹴されそうだけど、現実だからこそその事実は重い。

キウイも含めて、カカポにかぎらず総じて捕食圧が著しく低かった、ニュージーランドとは世界的にも極めて特異な土地のひとつです。


さて、そういう話ではないことを思い出したところで、質問に戻りましょう。若いうちに海外に出ることはともかく、そこで職を得る、というのは僕からするととんでもない偉業です。それはこの先、英語が通じる国ならどこでも生きていけるということでもあるし、なんなら他のどんな国でも、その胆力があれば生きていけます。誰にでもできるわけでは全然ないし、それをすでに成し遂げてなんならちょっと落ち着いているとすれば、それだけで心から尊敬の念を抱かずにはいられません。

一方、僕にとってちょっと不思議なのは、はて娯楽とはなんぞや、という点です。

僕が20代前半だったころを思い出してみると、そうですね、毎晩のようにビリヤードに通っていました。誰かと競うゲームのように思われるかもしれないけど、ボウラードというボウリングを模したプレイ方法があるので、1人でもぜんぜん問題なかったのです。バイト先の先輩と打つこともあったけど、缶コーヒーと煙草を手にひとりコツコツ打ってた記憶があります。それ以外はどうかというと、本を買いまくったり、美術館に通ったり、CDを買いまくったり、レンタルビデオ店で映画を借りまくったり、パンを焼いてみたり、ヤマハのXJRをあてもなく乗り回しては派手に事故って宙を舞ったりとか、その程度です。とくにCDはひと月に30枚以上買ってたとおもう。

しかるにマンガや音楽や映画は、現代においてネット環境があれば事足ります。また知りたいとか学びたいことがあれば、図書館や博物館に行かずともある程度まではカバーできるでしょう。

退屈ってどういうことやねん、と僕なんかは訝ります。

つまり僕からすると、これまでが娯楽に溢れすぎていた、という印象です。あまりに暇すぎてすることがなかった若かりしころの僕はゴルフボールを3個重ねることに多大な時間を費やしていたことがありますが(一度だけ成功したことがあります)、どう考えてもネット回線があればそんなことはしていません。退屈とはそういうことです。なぜゴルフをしない僕がゴルフボールを3個持っていたのかは、思い出そうとしてみてもさっぱりわからない。

したがって、今感じている退屈こそむしろ極めて貴重な経験である、と断言してよいでしょう。それはまちがいなく同世代が感じることのないもののひとつであり、僕からすると今のうちに全身で堪能しておくべき経験のひとつです。確実にこの先の大きな糧にもなるでしょう。

どうしても耐えられなくなった場合は、カカポに思いを馳せてみてください。


A. 退屈、それは現代では得難い経験のひとつです。




質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その458につづく!

2025年8月1日金曜日

アグロー案内 VOL.9解説 その他の不毛かつ不可欠なギミックについて


さて、VOL.9についてはお話しできることもだいぶ少なくなってまいりました。(だだっ広い講堂で2、3人がポツンポツンと離れて席についているイメージ)

あってもなくても楽曲には何の影響もないというか、なくても別に困らないけれども、これまでのシリーズにはなくて今回にだけあるもの、それがジャケット画像に含まれたタイアップステッカーです。


今となっては見かけることもない過去の遺物みたいなツールなので、念のためご説明しましょう。タイアップステッカーとはその昔、CDのケースとかフィルムの外側に貼られていた販促ツールです。アルバムに収録された曲がドラマとかアニメの主題歌や挿入歌、CMソングなどに採用されていることを、このステッカーでアピールしていたわけですね。

極端な例では全曲タイアップ(!)を掲げたアルバムなんかもあって、ステッカーの面積がジャケットの1/3を占めていたほどです。あの曲入ってますというアピールのためのステッカーなのに、ジャケットの全体像がわからないばかりかお目当ての曲が入っているかどうかもパッと見ではわからないという本末転倒ぶりに、なんともいえない趣がありました。それもこれも、このステッカーが文化として定着していたからこそです。

VOL.9のジャケット右下にあるステッカーは、こうした文化へのオマージュとして描かれています。

こう書くとこのためにタイアップが企画されたように思われるかもしれませんが、そうではありません。実際には世間一般の流れと同じく、タイアップの企画がまず先にあり、驚異的なクオリティで世間を震撼させた例のCMが放流されたのち、ふとステッカーが貼れることに気づいたという次第です。ジャケットも自前のアグロー案内だからこそできた、画期的なアプローチだったと申せましょう。


ただ、ステッカーを含めたジャケットが配信の審査に通るかどうかもちょっとした賭けでした。というのも、配信にはフィジカルの時代にはなかったいろいろと細かなルールがあって、そのルールに抵触する場合は受理してもらえないからです。「紙芝居を安全に楽しむために」もそうだけど、考えてみたらアグロー案内にはそういう、ちょっと待ちなさいと言われかねない異物的な何かがあちこちにあります。異物どころかこちらとしてはむしろその正当性を主張するスタンスです。言ってみれば始まりから今に至るまで常に道を切り開いているのだ、と改めて強調してもよいでしょう。

一方、こうした水面下のハードルゆえに、できなかったこともあります。アポロニカ学習帳のCMには山本和男がしれっと出演しているので、できれば「feat.山本和男」と表記したかったのだけれど、これは叶いませんでした。

というのも、フィーチャリングを表記する場合、その人物を楽曲とは別にアーティストとして登録する必要があるからです。探偵としてならともかく、アーティストとして登録することにはさすがに僕らもちょっと抵抗があります。山本和男自身は諸手を挙げて歓迎する気もしますが、どちらかというとだからこそイヤです。ない謎を解く本分に集中してほしい。


とまあ、ひと月に渡って語り散らしてきましたが、ともあれ肝心の音楽的側面がすっぽ抜けていることを除けば、これがアグロー案内 VOL.9の全貌である、ということになります。辛抱づよくお付き合いいただいたみなさまには本当に感謝しかありません。

(だだっ広い講堂で2、3人がポツンポツンと離れて席についているイメージ)

(まばらな拍手)

ではまた、アグロー案内 VOL.10でお会いしましょう!


2025年7月25日金曜日

アグロー案内 VOL.9解説「名探偵、都会へ行く/the adventure of a wandering man」


リリースから3週間が経過した今でもトレンドの上位を独占し続け、一向に話題の尽きる気配がないほどの一大ムーブメントを巻き起こしているとアポロニカ学習帳に書いてあるアグロー案内 VOL.9、今回は当プロジェクトのメインコンテンツにいよいよ昇格した感のある山本和男シリーズの新たな局面についてです。

前回のVOL.8では、足を滑らせて滝壺に落下したはずの山本和男が、どういうわけかセスナの機体外側に仁王立ちで颯爽と現れ、奇跡の大復活を果たしています。そしてこれは、新たに幕を開けたシーズン2のスケールアップを暗示していた、と言ってよいでしょう。アグローという町がホームだとすれば、次の舞台は世界である、そんな壮大なビジョンがあるように思われます。

ニューヨークのハーレムを舞台にしていた映画「黒いジャガー(Shaft)」が3作目の「黒いジャガー/アフリカ作戦(Shaft in Africa)」でエチオピアに行ってしまうようなことですね。

基本的な活動範囲が自転車で回れるところに限られている山本和男からすれば、大都市を闊歩するだけでなんだか国際的な名声を得たような気になるのも無理はありません。そして実際、彼はそう考えているでしょう。彼が海外の名だたる都市にいるのか、あるいは関東なら大宮とか町田あたりにいるのか、それはさすがに僕もわかりませんが、個人的にはなんとなく後者の印象です。

ちなみに副題の「the adventure of a wandering man」は、「シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes)」に収録されている「踊る人形(The Adventure of the Dancing Men)」を元にしています。ホームズが滝壺に落ちたあとの短編集であるあたり、じつに抜かりありません。

あと、そうだこの曲における会話の通話先、つまり加藤くん視点がリリース前にSNSで示されていたので、これも参考にしてみてください。


それにしても山本和男は大宮、じゃなかった大都会で何をしているのか、そしてこれまでに提示されたような気がしなくもない謎には一体どんな関連があるのか、それとも全然ないのか、すべてはアグロー案内シリーズの再生回数にかかっていると言ってもそれこそ過言ではありません。積極的にどんどん再生していきましょう。

なんかこう、展開の仕方が昭和のゲーセンにあった脱衣マージャンみたいな気がしないでもないですが、脱ぐ必要性と需要が1ミリもないぶん、はるかに健全で好ましいと僕なんかはおもいます。