2025年12月20日土曜日

12年前の馬がとうとう年貢を納める話


そういえば昔、ジゴロという言葉があったのです。フランス語なのでべつに消え失せたわけではないけれど、今それを耳にしてすぐに理解できるのはたぶん中年以降、何なら初老以降の世代でしょう。正直、僕ですらリアルタイムではないというか、目にしたことはあっても耳にした記憶はありません。日本においてはもう完全に死語です。僕が生まれたころにはまだギリ生きていたくらいの言葉なんじゃないかとおもう。

なので12年前でも当たり前に死語だったはずですが、にもかかわらず深く考えずに臆面もなく年賀状キャンペーン応募時のキーワードとして採用していたことに今ごろ海より深く反省している次第です。


そんなおっさんの後悔はさておき、12年前の午年における年賀状図案はこんな感じでした。


実物が手元になく、ブログから引っ張り出してきたので画質は劣悪ですが、イメージが伝わればよいので概ねこんな感じです。当時はまだ印刷を外注せず、自らせっせと刷っていたことが懐かしく思い出されます。時代の流れで昔ほど簡単ではなくなってしまったので、感慨もひとしおです。ライト部分に2014と記されています。

別にこんなのすっかり忘れて新たな図案をひねりだしてもいいのだけれど、でももしこれをやるならさすがにこのタイミングしかないよな、ということで、2026年の図案はこうなりました。めでたい!


今年もまた言葉にならないヘビー級の感謝をこめて、この年賀状を若干名にお送りいたします。

ご希望のかたは件名に「年貢の納めドキッ」係と入れ、

1. 氏名
2. 住所
3. わりとどうでもいい質問をひとつ

上記の3点をもれなくお書き添えの上、dr.moulegmail.com(*を@に替えてね)までメールでご応募くださいませ。

そして今年も!わりとどうでもいい質問にNG項目を設けます「二択」は禁止です。そのせいなのか単純に需要がないだけなのか(かなり高い確率で後者)、応募数もだいぶ減少しているのでゲット率が明らかに上昇している事実も改めて明記しておきましょう。

締切は12月27日(土)です。

応募多数の場合は抽選となりますが、複数枚お持ちの方もわりといらっしゃるので、心配は無用です。これまでためらっていたり、初めての方ほどこぞってご応募くださいませ。こう言っちゃなんだけど、想像するほどの需要は20年前からありません。

励ましのお便りやアグロー通信へのメッセージなど、手ぐすね引いてお待ちしております。

今年もありがとうー!


2025年12月19日金曜日

細部をあれこれ補完するポッドキャスト「アグロー通信」のこと


日常的にSNSに触れていると、と言っても別にふと思いついた他愛のないことをぽつりとポストしてるだけで、活用もへったくれもないですけれども、なんとなくもう話した、伝えた、お知らせしたようなつもりでそれっきり、みたいなことがよくあります。実際にはみんながみんな流れ星よろしく飛び去る小さなポストをタイミングよくキャッチできるわけなどないし、そもそもSNSをやっていない人がたくさんいるのに、ついそれを忘れてしまうのです。

そんなこんなでまたうっかり機を逸した感がないでもないですが、おかげさまで今年もぶじ終えることができた「アグローと夜」をタケウチカズタケと共に取り留めなく振り返るポッドキャスト「アグロー通信」が配信されました。


なんと第1回は12月1日に配信されています。光陰矢の如しとはよく言ったものです。たまたま忘れ物があって慌てて取りに訪れた際、お茶などご馳走になったりしてそのついでに録ったとは思えないほど、きちんとおしゃべりしています。何も決めずにただふだんと同じように雑談しているだけとも言えるので、とても楽しそうです。途中から録ってることを忘れてたんじゃないかとおもう。僕らはいつもだいたいこんな感じです。

とにかく気楽な間柄でもあるし、考えてみたらライブのMCやSNS、ブログではまどろっこしいお伝えしきれないことをまるっとお伝えできるので、今後も折を見てぽちぽち更新される予定です。

せっかくの機会なので、もしよかったらメッセージなんかも送ってみてください。

・アグローと夜の感想
・あなたの町の山本和男
・見つけた!ひざつき製菓
・教えて!カズタケ先生
・あったらうれしいアグローCM

などなど、その他なんでもOKです。なんなら甘やかすほど励ましていただきたい。

このブログのコメントでも、メール(dr.moule※gmail.com)(※を@に換えてね)でも、SNSのリプライやDMでも、ありとあらゆるルートで手ぐすね引いてお待ちしております。

とくに反応がないことも全然ありそうなので、僕もアラブの富豪を装ったゴージャスなメッセージを用意しておく所存です。

2025年12月12日金曜日

アグロー案内 VOL.10解説「九番目の王子と怪力の姫君/how he became a pearl diver」②


九番目の王子と怪力の姫君」は、たぶんあまり類を見ない制作過程をへて完成した作品でもありました。

まず、この曲に関してはテキストが先に書かれています。カズタケさんがトラックの制作にとりかかったのは、彼がそれを読んだあとです。一読して浮かんだそのイメージでトラックを作ってもらった、ということですね。

紙芝居を安全に楽しむために」や「フィボナッチは鳳梨を食べたか?」も先にテキストが書かれていましたが、これはテキストというよりすでに録音してあった朗読を音楽と組み合わせてもらう趣向(むちゃ振り)だったので、僕からカズタケさんへの往路だけで作品が完成しています。

それにひきかえ、「九番目の王子〜」は後でリーディングをビートに嵌めることが前提でした。つまり、このテキストがビートにどう乗るのかさっぱりわからんけどとにかく書いてカズタケさんに読ませる、そしてこのテキストがビートにどう乗るのかさっぱりわからんけどとにかく浮かんだイメージでビートを組む、というお互いに五里霧中の状態で制作が進められたのです。

ビートを意識せずにテキストを書いてから乗せ方を考えること自体は、初めてではありません。以前からちょこちょこと試していて、たとえば「前日譚」とか「魚はスープで騎士の夢を見る」なんかもそうです。ただこれらは先にトラックがあったので、僕がテキストをその雰囲気に寄せて書いています。「九番目の王子〜」はここが逆です。これまではまずカズタケさんが球を投げる側にいたのが、今回は僕が投げる側に回った、と言えばわかるだろうか。

いずれにしても、ビートを意識せずに書かれたテキストでもビートに嵌めて読むことができる、という確信がなければ不可能なプロセスです。BPMが60だろうと100だろうと一向に差し支えない点で、これはリーディングというスタイルの真骨頂とも申せましょう。

僕の胸を瞬時に射抜くようなめちゃ素敵なビートが送られてきたので、あとはリーディングを乗せるだけです。適当に書き散らかしたテキストの細部を、ビートに合わせて整えていきます。ある程度のまとまり、具体的には8小節くらいのイメージでテキスト全体を区切っていくわけですね。8小節という単位は、それが曲の構成としてごく一般的な区切りのひとつだからです。その際、テキストの多かったり少なかったりする部分を削ったり補ったりもしていきます。

ところが、よし、大体こんなもんだな、と整え終えて、いざ乗せようとしたところで思いもよらない壁にぶち当たりました。

8小節分のリーディングを終えても、まだビートが一段落しないのです。テキストの区切りを間違えたと思って指折り数えても、やっぱりちゃんと8小節で区切っています。ということは…

このトラック、10小節でループしてる…!!!

そんな次第で、整えたテキストをまた一から区切り直すことになったのです。まさかこんなところで通常とは異なる構成が施されていたとは想像もしておらなんだ。

ちゃんと聴きながら区切らんといかんな、と改めて反省したものの、そもそもトラックに合わせて書いたものではないので、トラックの構成とテキストの構成には当然ズレが生じます。なのでやむなく便宜的に僕がトラックを組み替え、リーディングを乗せました。とにかくまずはリーディングを乗せることが肝要だったし、むしろ構成についてはまた調整をお願いすればいいと考えたからです。そして僕としても意外なことに、その組み替えがそのまま採用されています。

シンガーやラッパーが受け取ったトラックを自ら組み替えることなど、本来はまずありません。便宜上とはいえそれができるのは、どうあれ僕がトラックを自作してきた経験があるからです。したがってこの制作過程ひとつとっても、この2人でしか成し得ない、ひいてはめちゃアグロー案内的であるとも言えるわけですね。

でも実際に仕上がって聴いてみるとむしろ初めからこの着地を目指していた気がするくらい、しっくりきています。ふしぎなもんですね。もし8小節ループだったらどうなってたんだろう?

九番目の王子と怪力の姫君」はこんな作り方もあると実感できた点で、おそらく一生忘れ得ない作品のひとつです。

2025年12月5日金曜日

ライブのある会社説明会みたいな夜だったこと


せんべいはぶじ配り終えたとしか言いようがない、そんな夜だったと申せましょう。以前お伝えしたとおり、ひざつき製菓さんのご厚意で「アグローと夜2025」にご提供いただいた雷光(旨塩味)は、なんとダンボール6箱(!)です。それをうちの人がひざーるくんのコスプレで来場者のみなさまにせっせとお配りし、お客さんはそれをライブ中にぽりぽりと食べ、なんならちょっとお腹も満たされてお帰りになりました。


率直に言って、これほどごくごく私的かつ小規模なイベントに協賛がつくことなど、まずありません。一体何がどうなるとこういうことになるのか、あれから1週間が経とうとしている今でもさっぱりわからないのだけれど、とにかくあんなおもしろい夜はそうそうないよな、と得難い感謝をしみじみ噛み締めています。ひざつき製菓さん、本当にありがとうございました!

リハ中

そして今年も、ライブの合間にはトークだけでなく、さまざまなCMが流れました。

・DAPHNE「アポロニカ学習帳」NG集
・サンボ乳業「トラバター」
・阿具楼製薬「阿具楼漢方胃腸薬」
・バリモア石鹸「ピッカリンクイック」
・山本和男 THE MOVIE 鈍足の快速急行
ひざつき製菓「雷光(旨塩味)」ver.1
ひざつき製菓「雷光(旨塩味)」ver.2

アポロニカ学習帳」はもちろん、アグロー案内 VOL.9に収録のCMです。レコーディング時にいろいろまちがえたバージョンがテイク4まであります。僕も当日はこのノートを会場に持っていきましたが、何人かのお客さんもお持ちになってくださっていてうれしかったです。去年のアグローと夜で流したスチャラカCMを受けて、次はどこにもないはずの商品をちょっとだけ現実にする、というコンセプトだったはずなのに、まさか土壇場になって実在する商品(雷光)がそれを凌駕することになるとは、ほんとにね、生きてるといろんなことがあります。

しれっと雷光(旨塩味)のCMが紛れこんでいますが、これは違います。いえ違うというか全然違わないんだけど、えーと、雷光(旨塩味)が配布されることになってから慌てて作ったようにたぶん見えると思うんだけど、違います。そうではなくて、ひざつき製菓さんからご連絡をいただくその前から勝手に作ってあったのです。どうあれ会場では流すことが最初から決まっていた、と言い換えてもよいでしょう。実際、他のCMと同じタイミングで録音しています。「どのみち聴くのは会場のお客さんだけだし、好きに作って流しちゃおうぜ!キャッキャッ!」といういつものノリでレコーディングした後になってひざつき製菓さんからご連絡をいただいてしまい、むしろ狼狽えたくらいです。当の担当者さんがお聴きになるのと、そうでないのとでは、どう考えてもやらかし具合が変わってきます。

なので慎重に協議を重ねた結果、まあいっかということで、何ひとつ変更せずにそのまま流しました。どうあれ深い愛情なくしてこれほど完成度の高い着地にはなり得ないし、その思いは十分に伝わったはずです。と信じたい。なんなら公式でもそのまま使っていただきたい。


ライブのセットリストには、今年配信された4曲が追加されました。CMや山本和男を含めると7曲ですが、いずれにせよアグロー案内は気づいたらもう、一度に全曲やることはできない作品数になっています。ありがたいことです。

中でも「水茎と徒花/black & white」は、だいぶ以前から公開はしているのでリメイクといえばリメイクなんだけれど、実際にはこれが初の正規リリースとなっています。実際、こうしてカズタケさんに仕上げてもらってみると、以前のバージョンはオリジナルというよりデモ音源だったんじゃないかとおもう。

またこれに関してはリリース前から、もしライブでやるならここはこうしたいという明確なイメージがありました。言うまでもなく「食うなよ」の部分です。その一言に至るまでの言葉にならない複雑な胸中を、ライブなら思う存分、表現できます。へんな言い方だけど、要は好きなだけ絶句できるのです。そういう意味では基本的にライブ向きの作品でもあると申せましょう。本当に心の底から「あーもう!」というもどかしさを費やすことができたのでたいへん気持ちよかったです。


一生に一度、あるかないかの協賛はさておき、個人的には「アグローと夜」という催しの、あるべき形が見えてきたように感じています。少なくとも、人前でパフォーマンスすることを大の不得手とする僕が、また来年もできたらいいなと思うくらい楽しい催しになりつつあることは確かです。とりわけ今年は開催が週末だったこともあってか、初めてのお客さんが思いのほか多くいらしてしみじみと感慨深いものがあります。観てもらえて本当によかった!ありがとうありがとう。どうかまたお目にかかる機会が巡ってきますように。


また今年は、終演の数日後に収録したアフタートークもspotifyで配信しています。「アグローと夜」を振り返る、はずだったのだけれど、あまり振り返っていません。でもなんだろ、こういう体温の感じられる後日談があってもいいなと思ったので、よかったら聞いてみてください。ライブよりぜんぜん気楽に喋ってるのがいい…とじぶんで言うのもなんですけど。
 

2025年11月28日金曜日

アグロー案内 VOL.10解説「九番目の王子と怪力の姫君/how he became a pearl diver」①


この曲の制作におけるイレギュラーな過程についてはまた改めて書き残しておこうと思いますが、ぜんぶまとめると長くなるので今回はひとまず注釈だけ記しておきましょう。

というのも、この曲のテキストもまた、これまでにない書き方をしたからです。

何しろ通常はある程度テーマを抱いて向き合うところ、この曲に関してはテーマもへったくれもなくとにかく思いつくままに書き散らしてから考えようとめちゃめちゃアバウトに書き始めています。最初に思い浮かんだのは「理由がある。」という一言のみです。

ほほう…理由がある…それはどんな?ひとつだけ?と自問しながら深く考えずに書いていったら、なぜか龍に転じました。龍か…龍といえば…とここで曲亭馬琴の南総里見八犬伝が思い浮かびます。八犬伝にはちょいちょい龍が出てくるのだけれど、そういや龍の子についてあれこれ書いてあったな…と思い出したのが、つまり「龍生九子」です。いくつかバージョンがあるようですが、ここでは八犬伝の記述(元はおそらく「懐麓堂集」)に準じています。龍になれないならどうやって龍が育つんだ、とおもいますが、元々そのあたりを度外視した伝承なので、仕方ありません。曲の途中で唐突に解説が始まるあたり、リーディングならではという気もしますね。

龍になれないということはまあ落ちこぼれだよな、とここでそのうちの一人として気の毒な小悪党が登場します。落ちこぼれなので親である龍の期待に沿うことは当然できません。どうにかしてその目から逃れ、生き延びる必要があります。空から見下ろす龍の目から逃れるとしたら、うーん、海かな…あ、海の底にあるじゃん、真珠貝亭が、とここでかの酒場に連れていくことになったわけですね。なので続編になってしまったのは、100%成り行きです。

とはいえ真珠貝亭についてはもうすでに書いているので、再度そこに焦点を当てることはできません。なので、じゃあ店にいる客でも引っ張り出すか…どんな人がいいかな…とあれこれ想像しているうちに現れたのが今昔物語集に出てくる怪力の姫君、「大井光遠の妹」です。ここでそのあらすじを記すことはしませんが、大好きな話なので気になったら読んでみてください。まじで想像を絶する怪力っぷりです。

先の小悪党にも名前がなかったので、せめて姫には名前をつけとくか…どんなのがいいかな…と考えて思い出したのが、松尾芭蕉(とその同行者である曾良)が出会ったかさねという少女です。どこにでもいるような、ごくごくありふれた農村の子なのだけれど、なんて典雅な名前だろう、と感銘を受けたことがおくのほそ道に記されています。

と、ここまで考えてふと、あれ?かさねって…と連想したのが、着物の重なりに見る日本古来の配色美、襲(かさね)です。しかも漢字に龍がいる!なんておあつらえ向きなんだ、ということで、怪力の姫君の名がつけられました。

つまりこの作品は、南総里見八犬伝今昔物語集おくのほそ道という、日本における3つの古典から生まれたとも言えるわけですね。

とはいえ元より、こういうのを書くぞ!と意気込んだわけではなく、書いてるうちにそうなってしまっただけなので、まあそんなふうに生まれるテキストもあるよ、という話です。へ〜としか言いようがないと思いますけども。

でもなんというかこう、詩というには語りすぎだし、物語というにはアクロバティックすぎるこの感じ、このフォーマットでしか活かせないテキストとして、めちゃめちゃ気に入っているのです。

2025年11月21日金曜日

九番目の王子と怪力の姫君/how he became a pearl diver


 理由がある。とってつけるほどある。方方に売りつけてその売れ残りを、きれいに掃いて捨てるほどある。浮世は汲めども尽きぬ理由に溢れて、石油のようにいずれ枯れることもない。誰かが道に落とした理由をアリたちがせっせと運ぶこともあれば、道具箱のように引っかき回してやっと見つかることもある。折り目正しい執事がていねいに畳んで、主人にさりげなく手渡すこともある。あるいは機械の部品にも似ていて、いくつか組み合わせてやっと歯車が回ることもある。盗賊にとってのダイヤモンドにも似ていて、大きすぎても手に余るし、小さすぎても足りない。これだけ溢れ返っていても、よしとはならない理由がまた、ここにある。理由にさえこれを支える理由があって、理由の理由の理由にもまた、別の理由がある。

 それはまるで数珠のように連綿とつらなり、ねじれてはひねり、もつれてわだかまり、ほぐそうとしてのたうちを繰り返すうちに、やがてくるくると螺旋を描いて上昇し、雲を突き抜け、空を駆け巡り、大雨を呼ぶ。のどの下にあって逆鱗と呼び做す、逆さまの鱗にひとたびふれれば、雷鳴とどろき、大地を震わせ、その猛威は遠くどこまでも伝わり、小さな町の片隅、路地裏をうろつく、三下もどきの小悪党を慄かせる。ごらん、ここにいるのは、ろくに奪えず、ろくに欺けず、むしろたぶらかされて、一杯食わすはずが食わされることもしばしばで、けちな悪事ひとつやりおおせない、アル・カポネを夢見るにはあまりにもちょろい、龍でなくとも豆粒に見える青二才。

 龍は九つの子を生むという。これを龍生九子という。子はみな異なる性格を受け継ぎ、それぞれ、鳴くことを好み、呑むことを好み、高いところを好み、音楽を好み、文学を好み、裁きを好み、座すことを好み、背負うことを好み、殺戮を好む。そしてかなしいかな、どの子もみな、龍にはなれないという。

 路地裏の小悪党は龍の子のひとりで、龍どころか悪党にもなりきれない男。まだ目はあるのか、それともないのか、指で弾いて宙を舞うなけなしの硬貨はつかみそこねて転がり、排水溝に消える。草葉の陰、ビルの谷間、捨て置かれた空き家とあちこちに身を潜めながら、目指すのはとにかくここではないどこか、白と黒と色を問わずただいられるどこかを、あてもなく求め歩くその道の先々で探偵、死神、鰐の小娘、蟷螂やらその他がそれとなく指し示す方角をたよりに、おぼつかないまま吹き寄せられて、いつしか流れ着いたのは海に沈んだ浮かばれない酒場「The Pale Pearl Parlor(真珠貝亭)」。

 長すぎる夜を耐えたその床に散らばるのはラムの空き瓶、目の掠れた骰子、針のない時計、鈍器としての灰皿、怪力の姫君、いびきかくピアノ弾き、火だるまの酔いどれと去りそびれた老いぼれ。

 中でも怪力の姫君は(かさね)と呼ばれ、腕相撲で無双するうるわしい豪傑。覚えのある猛者たちの丸太みたいな腕を鉞よろしく端から薙ぎ倒す。くだんの小悪党も挑んで軽くあしらわれ、懲りずに挑んでまたあしらわれる。挑んでは敗れ、敗れては挑み、そのたびに容易く椅子から転げ落ちる。耳を貸せと言っては勝手に借りていく連中が、久しくなかった余興に笑い転げる。

 そんな賑わいを遠巻きに眺めるのもいて、そういや龍はまだ見たことがねえな、ん?いやあったか?あったかもな、前もいたよな?と不意に話をふるカウンターの内側で、昔マッチ売りだった女がどうとでも受け取れる曖昧な笑みを浮かべながら、グラスを拭いている。