2025年11月21日金曜日

九番目の王子と怪力の姫君/how he became a pearl diver


 理由がある。とってつけるほどある。方方に売りつけてその売れ残りを、きれいに掃いて捨てるほどある。浮世は汲めども尽きぬ理由に溢れて、石油のようにいずれ枯れることもない。誰かが道に落とした理由をアリたちがせっせと運ぶこともあれば、道具箱のように引っかき回してやっと見つかることもある。折り目正しい執事がていねいに畳んで、主人にさりげなく手渡すこともある。あるいは機械の部品にも似ていて、いくつか組み合わせてやっと歯車が回ることもある。盗賊にとってのダイヤモンドにも似ていて、大きすぎても手に余るし、小さすぎても足りない。これだけ溢れ返っていても、よしとはならない理由がまた、ここにある。理由にさえこれを支える理由があって、理由の理由の理由にもまた、別の理由がある。

 それはまるで数珠のように連綿とつらなり、ねじれてはひねり、もつれてわだかまり、ほぐそうとしてのたうちを繰り返すうちに、やがてくるくると螺旋を描いて上昇し、雲を突き抜け、空を駆け巡り、大雨を呼ぶ。のどの下にあって逆鱗と呼び做す、逆さまの鱗にひとたびふれれば、雷鳴とどろき、大地を震わせ、その猛威は遠くどこまでも伝わり、小さな町の片隅、路地裏をうろつく、三下もどきの小悪党を慄かせる。ごらん、ここにいるのは、ろくに奪えず、ろくに欺けず、むしろたぶらかされて、一杯食わすはずが食わされることもしばしばで、けちな悪事ひとつやりおおせない、アル・カポネを夢見るにはあまりにもちょろい、龍でなくとも豆粒に見える青二才。

 龍は九つの子を生むという。これを龍生九子という。子はみな異なる性格を受け継ぎ、それぞれ、鳴くことを好み、呑むことを好み、高いところを好み、音楽を好み、文学を好み、裁きを好み、座すことを好み、背負うことを好み、殺戮を好む。そしてかなしいかな、どの子もみな、龍にはなれないという。

 路地裏の小悪党は龍の子のひとりで、龍どころか悪党にもなりきれない男。まだ目はあるのか、それともないのか、指で弾いて宙を舞うなけなしの硬貨はつかみそこねて転がり、排水溝に消える。草葉の陰、ビルの谷間、捨て置かれた空き家とあちこちに身を潜めながら、目指すのはとにかくここではないどこか、白と黒と色を問わずただいられるどこかを、あてもなく求め歩くその道の先々で探偵、死神、鰐の小娘、蟷螂やらその他がそれとなく指し示す方角をたよりに、おぼつかないまま吹き寄せられて、いつしか流れ着いたのは海に沈んだ浮かばれない酒場「The Pale Pearl Parlor(真珠貝亭)」。

 長すぎる夜を耐えたその床に散らばるのはラムの空き瓶、目の掠れた骰子、針のない時計、鈍器としての灰皿、怪力の姫君、いびきかくピアノ弾き、火だるまの酔いどれと去りそびれた老いぼれ。

 中でも怪力の姫君は(かさね)と呼ばれ、腕相撲で無双するうるわしい豪傑。覚えのある猛者たちの丸太みたいな腕を鉞よろしく端から薙ぎ倒す。くだんの小悪党も挑んで軽くあしらわれ、懲りずに挑んでまたあしらわれる。挑んでは敗れ、敗れては挑み、そのたびに容易く椅子から転げ落ちる。耳を貸せと言っては勝手に借りていく連中が、久しくなかった余興に笑い転げる。

 そんな賑わいを遠巻きに眺めるのもいて、そういや龍はまだ見たことがねえな、ん?いやあったか?あったかもな、前もいたよな?と不意に話をふるカウンターの内側で、昔マッチ売りだった女がどうとでも受け取れる曖昧な笑みを浮かべながら、グラスを拭いている。 

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