ミスター端っ子さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)
Q. お楽しみ会がそんなに楽しくないときはどうしたらいいでしょうか。
そうですね、たしかにこれは決してゆるがせにできない由々しき問題のひとつです。何しろお楽しみ会には、そもそもいったい誰にとってのお楽しみなのかという根本からしてひどくぼんやりしているところがあります。
一般的には享受する側のお楽しみであるということでおおむね合意が成立している印象ですが、実際のところそんな但し書きはどこにもないし、甲による乙へのといった法的な書面を取り交わすこともなければ、お互いにどうなのと口頭で確かめることすらありません。とにかく少なくとも誰かにとってのお楽しみなのは確かだろうからそれでいいじゃないのというだけです。
しかし問題はここにあります。誰かにとっての、ということは必ずしも享受する側とはかぎらないことを意味するからです。つまり、供与する側にとっての一方的なお楽しみであるかもしれないわけですね。
この時点でもかなりぼんやりしていますが、さらにお楽しみそれ自体が何を指しているのか、これまた判然としていない点にも注意が必要です。たとえばイベントそのものがお楽しみなわけではなく、心の重石になっているような何かがイベントの開催によって免除されることをお楽しみと解釈できるケースもあります。具体的には授業とか業務ですね。この場合、イベントの内容がどうあれ、したくないことをしないでいい時間ではあるのだから、それがお楽しみ会であることに異を唱える人はまずいないはずです。ただ、授業も業務もない休日を費やしてまで断行されるお楽しみ会もあるので、もちろん一概には言えません。くそおもしろくもない上に貴重な時間まで奪われる最悪のケースですね。
こうしたもろもろを考え合わせてみるとひとつはっきりしてくるのは、享受するわれわれのお楽しみである可能性が思いのほか低いということです。僕らにとって楽しいことを事前にリサーチした上で催されるならともかく、そんなことはまずないのだからむしろ本当に楽しいほうがよほどレアケースなんじゃないだろうか?
したがって、楽しくないのがデフォルトかつ当たり前であり、何かのまちがいで万が一めちゃめちゃ楽しかったときは滅多にない僥倖として心の底からしみじみとありがたく味わいたい、というのが僕の結論です。周囲に悟られないくらいの高速で鼻毛でも抜きながら能面みたいな笑顔でやり過ごしましょう。
長所を見つけて自ら積極的に楽しもうと努めるポジティブな結論もあったのだけど、お楽しみ会ごときにそこまでしてやるほどの価値はないと思い直しました。
A. 鼻毛でも抜いてやり過ごしましょう。
*
質問はいつでも24時間無責任に受け付けています。
dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)
その364につづく!
0 件のコメント:
コメントを投稿