2012年5月30日水曜日

ピス田助手の手記 23: ムール貝博士との交渉







こちらの飛び道具は当たらなかった。というより向こうの飛び道具によって撃ち落とされた。しかしイゴールの目論見はちいさなハンマーをぶつけることではなく、その一瞬だけ相手の注意を逸らすことにあったらしい。イゴールはそのわずかな隙を見て取ると、ふたたび賢いハンス号のハンドルをきりきりと捌いてブレーキを踏み、怯んだスピーディ・ゴンザレスに車体の側面を遠慮なくぶち当てた。向こうは当然、エンジンを積んだ自転車ごと派手に転倒した。わたしたちは改めて体勢を整え直すと、猛スピードでその場をはなれた。

「やるなあ!」
「おそれいります」
「派手にすっ転ばしたけど大丈夫かしら」
「ご心配には及びません」とイゴールは涼しい顔をして言った。「頑丈さだけが取り柄のような輩ですから」
「友だちみたいな口ぶりだけど、友だちなわけ?」
いえ、とイゴールは短く否定すると、それ以上はつづけようとしなかった。深く考えずにたずねたものだから、気のないそぶりが却って意外なようにもおもわれた。
「用心棒だか唐変木だか知りませんが」とブッチはみふゆをアイスノンごと抱きかかえながら悲鳴をあげた。「何だかもう、気が気じゃありませんよ、わっしは」

賢いハンス号の賢い立ち回り(とイゴールの巧みな手綱さばき)のおかげでひとまず足止めはしたものの、これでめでたしめでたしとはいかないことくらい、わたしもよくわかっていた。理由がどうあれ、シュガーヒル・ギャングに売られたケンカを安く買いたたいたようなものだ。売れるとなったらまた売りにくる。

このままスタコラ逃げるのもいいが、肝心のアンジェリカからはまちがいなく遠ざかるのにこのまま追われつづけるのは、どう考えても平仄が合わない。圧倒的な不人気を理由にここで手記を打ち切り、ピス田先生の次回作にご期待くださいという手もあるにはあるが、それではわたしの立つ瀬がない。一銭ももらっていないのに打ち切りだなんてあるものか。

一方で、スピーディ・ゴンザレスは何かを知っている。いいかげんちょっとはスッキリしたいわたしたちにとってこれは、ものすごく大きな手がかりだ。みすみす手放す法はない。欲を言えばとっつかまえてけちょんけちょんにしてあんなことやこんなことでねちねち苛んだりしながら最終的にはサービス料10%をとられるようなりっぱな店で晩ごはんをおごらせてみんなで乾杯的なところまで持っていけるのがベストだろうが、個人的にはピザでもいい。

要するに、迎え討つより他にない、ということだ。

ただ、いくらべらぼうな強さとはいえ、みふゆひとりにそれを背負わせるのはいささか荷が重い。大人としての立場もない。やはりどうにかして手を打つ必要があった。幸いにして、というかむしろ不幸にしてわたしは史上最強の戦力にツテがある。想定外のタイミングではあるけれど、こうなってしまえば四の五の言ってもいられまい。わたしは携帯電話を取り出して、しぶしぶ博士の番号を押した。

「もしもし」
「ピス田か。生きてて何よりだ」
「あれ」とわたしは博士の物腰に意外なやわらかさを感じて驚いた。「ご機嫌ですね、博士」
「ぴかぴかのミサイルを9本ばかり手に入れたからな」
「手に入れたって、どこでです」
「知らん。飛んできたんだ」
「飛んできたって……」
「詫びのしるしに贈ってきたんじゃないのか」
「誰がです?」
「お前の他に誰が詫びるんだ!」
「そうです、そうでした。面目ありません」わたしは通話口を押さえてイゴールに残念な事実を通達した。「ホワイトデー・モードはとっくに発動してたらしいぞ」
「何の用だ、それで?」
「何の用って…博士がかけてきたんじゃありませんか」
「む?ああ、そうだった。あのな……」
「あ、そうだスミマセン、その前にちょっと」
「何なんだお前は!」
「助けてほしいんです」
「やなこった」
「助けてほしいんです」
「2回言うな」
「一刻を争う事態なんです、後生ですから」
「後生も金曜ロードショーもあるか」
「お土産に博士の好きな赤い実をどっさり買って帰りますから」
「赤い実?」
「クコですよ」
「あのな」とムール貝博士の呆れるようなため息が電波を伝ってわたしの耳に吹きかけられた。「そうやってそれを持ち出しさえすればいつでも話が楽に済むとおもってるんだろうがな、そりゃ大きな間違いだってことを、ここではっきりさせておくぞ。人をハムスターか何かだとおもってるのかお前は?何kgだ
「何です?」
「何kg持って帰るかと聞いとるんだ」
「あ、じゃあ、そうですね、3kgくらい」
「5kgだ」とムール貝博士はおごそかに宣言した。「それで手を打ってやる。そっちの要求は何だ」





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2012年5月27日日曜日

ピス田助手の手記 22: 甘く乱暴なシュガーヒル・ギャング







極楽鳥の名で呼ばれるこのあたりの土地から東に向かってなだらかに傾斜していくエリアを、わたしたちはシュガーヒルと呼んでいる。シュガーヒル・ギャングというのはだから、文字どおりシュガーヒルの一帯を根城にする荒くれ集団の通り名だ。

犯罪と甘いものが同じくらい大好きなことで全国に名を知られるこの連中は、表向きは構成員総出で行列のできる洋菓子店「Sweet Stuff」をせっせと切り盛りしているが、その一方で一旦しょっぱい目に遭うと途端に手がつけられなくなることでもよく知られている。数年前、となり町であるサレの住民が逆上した彼らの手によってことごとく深爪の憂き目にあったニュースは記憶に新しい。

どこから命令が下されているのか誰の目にも明らかでありながら未だ組織ごと一網打尽にされる気配がないのは、構成員が多すぎる上にファミリーとしての結束が固く、末端の三下連中が狼藉をはたらいてもなかなかその指示系統を辿ることができないからだ。またいかに身勝手な荒くれであろうと、目に見えないムニャムニャした脅威に対する実質的な抑止力として機能していないとは必ずしも言い切れないかもしれないし、単なる犯罪集団よりは甘い分だけまだマシだという非常にざっくりした政治的な思惑も透けて見える。

それに「Sweet Stuff」のケーキはとてもおいしく、食べれば舌鼓がドラムロールを叩くともっぱらの評判なので、たたきつぶすにはちょっぴり惜しいと治安当局者たちが考えていてもまったくおかしくはない。ケーキ屋をたたきつぶして子供に泣かれるくらいなら、うまいこと折り合いをつけながらいたちごっこをつづけるのが大人のやりかたというものだ。恋と同じように。

「その用心棒が何で出てくるんだ?」
「わかりません」とイゴールは猛スピードのためにがたがた揺れる賢いハンス号をなだめながら言った。「ただお嬢さまがシュガーヒルの連中と何らかのトラブルを抱えていることはまちがいないでしょう」
「旦那!追ってきますよ!」
「まさかのカーチェイスだ」わたしはジャイアン・リサイタルよりひどい排気音をまきちらしながら距離をちぢめてくる後方の追っ手に目をやった。「しかしあれは車というより……」
「自転車ですな」
「うん……いやちがうな、あれはピープルだ」
「ペイパル?」
「ピープルだよ。ホンダの古い原付だ。昔どこかの畑の脇に乗り捨ててあったのを失敬したことがあるからまちがいない」
「わっしには自転車に見えますがね」
「自転車にエンジンが付いてるんだよ」
「ははァ、あの暴走族みたいな音がそれですか」
「あれがチャームポイントなんだ」
「あッまた何か飛んできましたよ!」
それを見てみふゆがまた矢面に立とうとするのを、わたしは制した。「立たなくていいよ、みふゆ。それよりアイスノンを抱いてたほうがいい」
「しかしこのまんまだとお陀仏ですよ、旦那」
「矢くらいなら避ければそれで済みそうじゃないか」
「あれは矢ではありません」とイゴールが訂正した。「あれはSIMONです」
「サイモン?」
「ドア破壊専門のライフルグレネードです」




「兵器じゃないか!」
「そういえば嬢ちゃんがまっぷたつにしたあと、ボンと火を噴いてましたな」
「しかし何でドア専用なんだ」
「籠城した場合に使用するつもりだったのでしょう」
「ああ、なるほど……」
「しかしこのまんまだとお陀仏ですよ、旦那」
「さっきも聞いたよ!賢いハンス号だって賢いんだからみふゆと同じくらい頼りになるさ。よろしく、イゴール」
「かしこまりました。では少々猛ります」と答えたそばから、イゴールはハンドルを左に目いっぱい回し、同時にブレーキを思いきり踏みつけた。あまりに急だったので、さしもの賢いハンス号も車体を軋ませながらヒヒンと一声いなないたような気がしたくらいだ。くるりと水平に一回転したハンス号は目の前に迫ってきたグレネード弾を鼻先でかわし、今度はスピーディ・ゴンザレスに向かってまっすぐ突進していった。
「おいおい、べつにやり合わなくたっていいよ!」
「ピス田さま、座席の真下に工具箱がございます」
「工具箱?あ、あった」
「ちいさな玄能が入っておりますから、それを」
「玄能ってこのハンマーのこと?」
「そうです」
「ははあ、これを……じゃあブッチに渡そう」
「なるほど、じゃわっしはこれをポイと」そう言うとブッチは同じようにこちらへ直進してくる追っ手に向かって玄能を放り投げた。





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2012年5月24日木曜日

ピス田助手の手記 21: スピーディ・ゴンザレス登場







イゴールのハンドル捌きはちょっとした見物だった。どこで身につけたのか、その華麗なドライビングテクニックのおかげでわたしたちは、ブレーキが単なるアクセサリーにしか見えなくなるくらいぶっとばして道を急ぎながら、それでいて至極快適なピクニックを心から満喫することができたと言っていいだろう。ブッチとみふゆにいたっては後部座席で「オブラディ・オブラダ」を気持ちよさそうに合唱していたほどだ。ランチボックスを用意せずに来たのは失敗だった。

そして賢いハンス号だ。あとでイゴールから聞いたところによれば、この名前は19世紀に実在した馬にあやかったものらしい。言語を解するばかりか、あまつさえ簡単な数の計算までこなすことでかつて世間の耳目をあつめたこの馬は、実際には周囲の空気を敏感に察知することに長けていただけだったという解釈で、今では決着がついている。

「数の計算ができること」と「空気を読むこと」、現代社会においてどちらがより賢いかは推して知るべしという感じがするが、いずれにしても特筆すべき能力をもっていたことはまちがいない。1頭の馬が飲み会で空いたグラスをみつけてさりげなくビールを注いだり、何となく全員賛成っぽいという理由で反対を差し控えたりすることができるのだとしたら、それはやはり驚くべきことだとわたしもおもう。

利口な馬ハンスは空気を読むことができた。この車がその名を冠しているのは、つまりハンスとまったく同じ能力を有しているからだ。

具体的に言うと、たとえば賢いハンス号はみずからウィンカーを出すことができた。必ずしも自動というわけではない。ちょっと出すのが遅いなと感じられたときだけ、素知らぬふりで点滅を始めるのだ。オートマチックというよりは気配りにちかい。

ついでに言うと、バナナの皮や犬のフンを避けて走ることもできた。歩道ならともかくなぜ車道にバナナの皮や犬のフンが落ちているのかという点については議論の余地がありそうな気もするが、しかしまあこれは純粋に気分的なものだろう。踏むとわかりきっているものをみすみす踏むのはわたしだって馬鹿馬鹿しい。

とはいえまさか、その特性がここで存分に発揮されるとはわたしも予想していなかった。というのも15分ばかりの愉快なピクニックもそろそろ終わりというあたりで、お目当ての肉屋が見えたとおもうが早いか、矢のような飛行物体がこちらに向けて迷いなくまっすぐ飛んできたからだ。

当然、賢いハンス号はその危険を敏感に嗅ぎ取って、あわや射抜かれるとおもわれた直前に車体の鼻先を如才なく逸らした。イゴールもそれに合わせてハンドルを切り、片輪走行でバランスをとりながらもすぐに体勢を立て直してくるりと方向転換した。
「おいおいおい」
「旦那、嬢ちゃんが!」
振り返ると、みふゆが脇差しをもってブッチの膝から往来に飛び出し、放たれた矢を軌道上でまっぷたつにしていた。
「まるで石川五ェ門だ」
「さすがにみふゆさまです」
「しかしあれじゃまた嬢ちゃんが標的にされちまいますよ!」
イゴールと賢いハンス号のコンビはふたたび進行方向を元に戻した。肉屋からはすでに2本目が放たれて、こちらに向かっているのが見える。ブッチは手を伸ばしてみふゆの襟首をつかむと、あっという間に座席へと引き上げた。

ぴゅんぴゅん飛んでくる何だかよくわからないものをかいくぐりながら、それでもなお肉屋へ突進するか、それともとっとと予定を変更してフォーエバー21に向かうか、ここでの選択肢は2つに1つしかない。しかしそもそもなぜわたしたちは命を賭してまで肉屋の門戸を叩かなくてはならないのか、そのあたりがどうも全体的にボンヤリしていた。行く理由はある。ただ服を着替えるのに遺書を用意しなくてはいけない理由が全然ないのだ。

たとえばこのまま家に帰ってパックの刺身をつつきつつ、楽しみにしていたドラマの思わぬ展開にがっかりする一日の終わりを想像してみよう。どこにも問題はなさそうじゃないか?それどころか、ハードな日々をストレスなく送るためにはむしろ積極的にそうすべきだという気さえしてくる。これまでの流れをぜんぶチャラにしたところで、自分を中心とした半径15メートルくらいの範囲なら、世界はおおむね平和なままなのだ。という論理的な思考の流れを一言で要約すると、わたしはもう帰りたかった。

したがって言葉は交わさずとも、めんどくさいのはどう考えてもご免だという点において、わたしたち4人と1羽は意見の一致をみた。賢いハンス号はさらにもう一度くるりと方向を変えてゴール(だったはずの肉屋)から背を向けた。話の通じそうにない直情的な飛行物体については、ブッチに抱えられながら後ろ向きに立ったみふゆが今度も難なく縦ふたつに割って退けた。

「おみごとすぎて言葉もない」尻尾を巻いて逃げる賢いハンス号の上で、わたしは背もたれにしがみつきながらイゴールに言った。「お友だちは待ちくたびれて早くもご立腹らしいぞ」
「わたくしにもすこし状況がのみこめてきました」とイゴールはハンドルを握る手に力をこめて言った。「あれはスピーディ・ゴンザレスです」
「スピーディ・ゴンザレス?」
「たしかにせっかちそうな名前ではありますな」
「ちらっと見たところじゃセーラー服を着たアヒルって感じだったけどね」
「関わり合いにならずにすむならそれにこしたことはないのですが……」
「挨拶代わりに攻撃してくるような奴とは誰だって関わり合いになりたくないだろうな」とわたしはムール貝博士のことを棚に上げながら言った。「誰なんだ一体?」
「スピーディ・ゴンザレスは」とイゴールはためらいがちにつづけた。「シュガーヒル・ギャングの用心棒です」





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2012年5月21日月曜日

ピス田助手の手記 20: 誰が誰を待っているのか?







ついさっきまで行き先も決めていなかったのに、決めたそばからもう向こうでお待ちかねとはまた、ずいぶん気の回るお友達だ。誰だか知らないがろくな用件じゃないことくらい、わたしにもわかる。知り合いならこんなやりかたをしなくても直接訪ねてくればいい。よく晴れたうららかな午後のドライブを決めこんだ悠長な一行にはもちろん突拍子もない話で、「やァ、それはそれは!」と手放しでよろこべるはずもない。とっぷり暮れた夜の帳みたいな沈黙の後で、しかたなくわたしが口火を切った。

「えーと」とわたしは言った。「約束なんかしてたかな、イゴール?」
「おそれながら」とイゴールはハンドルを握りながら答えた。「わたくしも記憶にございません」
「約束はしてないそうです」とブッチは説明した。「そりゃまァそうだろうとわっしもおもいますがね。そいつは確かです。ただ、これこれこういう御仁が来るようだったら知らせるようにとせがれに伝言したそうで」
「誰が?」
「さァ、そこがわっしにも胡乱です」
「誰を?」
それには答えず、ブッチは目線を該当する人物に向けた。
「イゴール?」
「はっきり聞いたわけじゃありませんが、察するにどうもそうらしいですな」
「イゴールって言ってるけど」
「はて……」とイゴールは心当たりの引き出しをあちこち探るような顔で言った。「わたくしにも見当がつきかねます」
「胡乱だとおもうなら知らせなきゃいいじゃないか」
「せがれにとっちゃ顔見知りのようで」
「店の常連てわけではない?」
「それならわっしの領分です。お買い上げがラスコー壁画に描かれたオーロックスのステーキ肉だろうとポークビッツを1個っきりだろうと、お客となったらせいぜい忘れないように脳みそができてます」
「そりゃそうか。で、何て伝えたんだ?」
「そういうことなら、くれぐれもよろしくと」
「のんきな奴だな!」
「何がです?」
「全体的に風向きがおもわしくないような口ぶりだったじゃないか」
「そうは仰いますがね、せがれの友だちとなったらそりゃ無碍にもできませんや」
「じゃあその謎めいた人物にはイゴールの来訪が伝わったと考えたほうがいいわけだ」
「そうでしょうな」とブッチは頷いた。「元来気の利かない奴ですから」
「気が利かないのは親父だよ、どう考えても」
「おっと。こいつは手厳しい」とブッチが大きな体をぐらぐら揺すりながら腹を抱えると、骨董的自動車もガタガタと上下に揺さぶられた。
「いずれにせよ息子にも帰ってこないほうがよさそうに見えたってことは、ものすごく楽しい話というわけじゃなさそうだ」とわたしは言った。「とちゅうでこの車、分解したりしないだろうな」
「心配ございません」とイゴールは言った。「賢いハンス号の頑丈さは折り紙つきです」
「いっそリボンはどうですね?」とブッチがすてきな思いつきを披露してみせた。「折り紙よりはぐっと魅力が引き立つってもんですよ」
「リボン!」とみふゆがまた顔を上げた。
「面倒を避けるだけなら話は簡単だ」わたしはぐるぐると考えを巡らせながら話をつづけた。「行かなければいいんだから。でもこのタイミングでイゴールに用があるってのはさすがにちょっと気になる」
ふと考えこむような様子をみせてから、イゴールが口をひらいた。「用向きはわかりませんが、わたくしがひとりで参るというのはいかがでしょう」
「用向きならはっきりしてるさ」とわたしは言った。「このタイミングなんだ。アンジェリカに関係してるとおもってまずまちがいないとおもう」
「でしたらなおさらそうすべきなのでは?」
「どうだろうな……。ただ、何が何だかこっちにはいまだにちっともわかってない以上、向こうだっていろいろ曖昧なことがあるはずなんだ」
「そうでしょうか」
「『来たら知らせを』ってことは、来るかどうか確信がなかったってことじゃないか」
「たしかに、仰るとおりです」
「それに、そうだ肉屋を張ってたってことは、確信とまではいかないまでもある程度可能性を読んでたってことになる」
「と言いますと?」
「スナークにアンジェリカの留守を教えたのはそいつかもしれない」
「冴えてますな!」とブッチは感心するように言った。「まるで捕り物じゃありませんか」
実際のとこ何も起きてないんだけどね
「その待ち人がスナークなのではありませんか?」
「さっきまで屋敷にいたんだぜ」
「なにか事情があるとか……」
「ハムを返せとかね。それならそれで話が早くて助かるけど、でもどうかな。息子のくれた忠告からしても考えづらい気がする」
「では、いかがいたしましょう?」
「むむ」
「やはりわたくしが参りましょうか」
「いや」とわたしは腹を決めた。「みんなで行こう。こっちには剣客もいるんだ。何があろうと、心丈夫さ」
「かしこまりました。ではまっすぐに」

4人と1羽の奇妙な道連れを乗せた賢いハンス号は肉屋に向けて、唸りを上げながら猛スピードで駆け出した。





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2012年5月18日金曜日

ピス田助手の手記 19: 肉屋の息子からの奇妙な伝言







「何をです」
「あの生ハムを注文したのは誰なんだ?」
「誰って」とブッチは意外そうな顔をして答えた。「旦那でしょうが?わっしがお屋敷に伺ったのはそれでですよ」
「いや、言い方がわるかった。屋敷でわたしがハムを買うって言ったのをおぼえてるだろう?」
「はァ」とブッチは釈然としないような顔をした。「仰いましたな、たしかに。しかしあれはすでにお支払いが済んでるもんですから、実際のところそれ以上いただくわけにはまいりませんですよ」
「それを訊きたかったんだ。支払ったのは誰なのか?」
「だから旦那が、いやちがった、こちらのお屋敷ですよ」
「それが屋敷じゃないんだよ。誰か別の人物なんだ」
「何だか判然としませんな」ブッチは相変わらず要領を得ない様子だった。「注文を受けるのはせがれの仕事ですから、その点わっしには何とも言えません。それをお尋ねってことなら、聞いてみてもようがすがね」
「詩人の息子か!」
「なるほど」とイゴールは納得したようにうなずいた。「スナークの居所がわかるかもしれないということですね」
「スナークってのはどちらさんです?」
「そうか、ブッチは知らないんだな。ハムを注文したのは十中八九そいつなんだ。居所がわかれば、アンジェリカのことが何かわかるかもしれない」
「アンジェリカというのは?」
「屋敷の主人だよ!アイスノンのことで交渉したがってたのはどこの誰だ」
「やァ、そうでしたな!わっしにとっちゃそれが大事です。すっかり失念してました」と言ってブッチはどこからか携帯電話を取り出した。「そういうことなら今電話してみましょう」
「パンツ一丁なのにどこから出したんだ?」とわたしはびっくりして言った。
「図体がデカいと収納に融通がきくもんです」とブッチは事も無げに言った。「もしもし」
「わたしも博士に連絡しないとマズいだろうな」
「スナークですが」とイゴールは言った。「本当に捕獲できるとお考えですか」
「捕獲どころか」とわたしはためいきまじりに答えた。「会えるかどうかもあやしいとおもうよ。でも今のところ手がかりといったらそれくらいしかないし、それにコンキスタドーレス夫人の言ったことを考えてて、ちょっと気がついたこともある」
「と言いますと?」
「もしスナークがアンジェリカの留守を知っていたのだとしたら、それを教えたやつがいるはずなんだ。新聞の三行広告に載ってたりネットに晒されたりしてたわけじゃないとすればね」
「なるほど」
「ブッチの息子がそこまで訳知りとはおもわないけど、次につながる糸口はもってるかもしれない。たとえ糸くずだとしても今はそれを手繰ってみる他ないさ」
「仰るとおりです」
「そしてもし教えたやつがいるのだとしたら」と言ってわたしはここで言葉を切った。「うーん」
「何でございましょう?」
「少なくともアンジェリカの向こうに誰かがいる」
「誰か……」
「おまけにそれはロマンチックな夜を過ごすのにぴったりの相手とは、お世辞にも言えない人物だとおもう」
「なぜです?」
「デートに鎌は必要ないもの」
「これは失礼」
「それにイゴール以上にアンジェリカの行動を把握する誰かがいるとしたら、それはもうそれだけで十分に詮議ものじゃないか」
「お嬢さまに危害が及ぶかもしれないと?」
「いや、さっきも話したけど武器を手にしたアンジェリカにかぎって、それは絶対ない……」ここまで考えて、わたしは絶句した。すでにわかっていた事実をただ並べ直していただけなのに、急にそれまでとはちがった景色が見えたようにおもえたからだった。
「どうかなさいましたか」
「いや、何でもない。これ以上はやめとこう」とわたしは言った。「ただ、やっぱり博士には早いとこ電話をしたほうがよさそうな気がするな」
「これからどちらへ向かわれますか」
「せがれの話がどうあれ、どのみちブッチの服は取りに帰らないといけないんだ。肉屋に行こう」
「承知いたしました」
「場所は?」
「存じております。たしか極楽町駅にほど近い商店街にあったかと」

ブッチはみっちりと詰め込まれた後部座席で首をかしげたり眉間にしわを寄せたりしながら、電話の向こうにいるらしい息子と話をつづけていた。みふゆがその膝にちょこんと乗って、アイスノンをやさしく撫でている。不可解にして違法スレスレの光景ではあったが、ふしぎとそれなりに絵になるようなところもあった。わたしは通話の切れ目を見計らってブッチに声をかけた。

「どうだって?」
「帰って来ないほうがよさそうだって言ってますがね」ブッチは電話を切ると言った。「どうします」
「じぶんの家なのに、ぞんざいだな。注文のほうは?」
「いや、それも訊きましたがね、どうも……」
「親子の情はあんまりこじらせないほうがいいぜ」
「ごにょごにょ言っててわっしにもよくわからんのです。何だか客人が待ってるそうで」
わたしはブッチがときどき客と諍いを起こす話を思い出した。「気の合わない客が来てるってこと?」
「いや、わっしじゃありません」とブッチは首を振った。「用があるのはどうも旦那方のようですよ」





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2012年5月15日火曜日

ピス田助手の手記 18: 「賢いハンス」号に乗って







考えてみれば、これまで3万字ちかく筆を費やしてはきたものの、現時点ではっきりしたのはアンジェリカが自分の意志で出ていったということだけだ。わたしとしてももうすこし進展するかと他人事みたいに期待していたのだが、こうなるとぐうの音もでない。とっとと帰ってしまえばよかったのに、うっかり長居をしたせいで余計な引き金を引いてしまった。何がいけなかったのかといえばわたしが博士の電話を無視したからであり、なぜ無視したかといえばそれはこの世のものともおもえない神秘的な生ハムのせいであり、なぜ火急の事態にのんびり生ハムをつまんでいたかといえばそれはスナークが身代わりとして置いていったからだ。したがってわたしたち4人と1羽が屋敷を後にしなくてはならなくなった責任のすべては、スナークにある。ハムの殺人的なおいしさを差し引いても、ぜんぶスナークがわるい。ひょっとするとちがうかもしれないが、非難の的をひとつに絞ると団結がしやすいし考えもまとまりやすいので、そういうことにしておきたい。

コンキスタドーレス夫人が去り際にのこしていったせりふを思い出していただこう。「考えてみる必要があるのは、なぜスナークがイゴールも知らないアンジェリカの留守を知っていたのか、という点です」と夫人は言っていた。このことはたしかに、向き合い直す価値がある。留守かどうかもわからないままアンジェリカの部屋に忍び込むとしたらそれは死を覚悟する必要があるだろうし、実際ちょっと考えづらい。やはり知っていたと考えるほうが自然だとわたしもおもう。

とすれば問題はここからだ。アンジェリカにさえ手に負えないスナークをつかまえて問いただすなんてことが、果たして物理的に可能なんだろうか?




「しかし馬なし馬車とは恐れ入る」わたしは屋敷の上空でつづくドンパチを遠目に振り返りながら言った。「Googleの無人自動車にナンバープレートが発行される時代だぞ」
「『賢いハンス』号です」とイゴールはかろやかな手つきでハンドルを捌きながら言った。「慣れればそれなりに快適でございますよ」
「ブッチが乗るには小さすぎるんじゃないかな」
「2人乗りを改良したものですが、うまく乗りこめたのは幸いでした」
「屋根を取っぱらって後部座席にねじこむのが精一杯だ」
「みふゆさまには却って安全なのでは?」
わたしはみふゆに顔を向けた。「ブッチの膝の乗り心地はどう?」
「たのしいです」
「そりゃ何よりだ。頑丈な車でよかったよ」
「わっしとしては服を所望したいところですな」とブッチがおそるおそる申告した。「何しろ世間体ってものがありますからね」
「たしかにパンツ一丁の男が少女をひざに乗せている構図は、問答無用で法的にアウトな気がするな」
「いや、べつにわっしはかまわないんですよ」とブッチは言った。「さむくもないしね。ただ、嬢ちゃんが何だか気の毒におもわれるじゃありませんか」
「むむ。そりゃたしかにそうだ。お巡りさんに咎められてもつまらないし、服か。困ったな」
そこでふと、みふゆが思いついたように提案した。「フォーエバー21はどうですか」
「フォーエバー21?」
「テレビでみたのです。安くてかわいいのがいっぱいあります」
「呉服屋なの?」
「アメリカのファストファッションチェーンです」とイゴールが助け舟をだしてくれたが、日本語が助詞と助動詞だけだったのであまり助けにはならなかった。
「みふゆの服もそれってこと?」
「これはちがいます。みふゆも行ったことはないのです」
「ふむ。行ってみてもいいけど、サイズがあるかな」
「アメリカってのはいちいちスケールのデカい国だと、わっしも聞いたことがありますよ」
するとイゴールが戸惑いの表情で進言した。「サイズ以前の問題かもしれません」
「ブッチの家に寄ればそれで済むような気もするけど……あ、そうだ」
「それがまァ、いちばん手っ取り早いかもしれませんな」
「おもいだした。ブッチに訊こうとおもってたんだ」





<ピス田助手の手記 19: 肉屋の息子からの奇妙な伝言>につづく!

2012年5月12日土曜日

ピス田助手の手記 17: ホワイトデー・モード







ムール貝博士についての記述を読み、わかったような、わからないような、煮え切らない気持ちに見舞われたとしても心配する必要はない。それは不可知に対する正常な心理的炎症反応であって、健全な証拠だ。とっとと話を戻そう。




相手がムール貝博士であるにもかかわらず、イゴールは攻撃について問題ないと断言した。しかしわたしの知るかぎり、博士がその手で粉々に破壊できないものなどこの世には存在しない。イゴールがそのことを知らないはずはないし、かといって博士に真っ向から対抗できる人物が別に存在するともおもえない。もしいるなら、今ごろ地球は顆粒状になって跡形もなく宇宙に溶けているはずだ。とすればこの矛盾を解消する答えは自ずとひとつに絞られることになる。
「そうか、屋敷の迎撃システムを構築したのも……」
「ムール貝博士です」
「ときどきアンジェリカの器のでかさを思い知らされるよ」とわたしはため息をついた。「どんな弱みをにぎれば博士にそんなことを頼めるんだ?」
「よほど古いお付き合いでいらっしゃいますから」
「まあいいや、そういうことなら放っておこう。このままでも屋敷の上空で派手な花火が鳴ってるってだけだし、博士もそのうち飽きるだろう」
「電話して止めてもらえば良いのでは?」
「ふつうに考えればそうなんだろうけどね」とわたしは肩をすくめた。「こうなったらしばらくはおさまりもつくまいよ。火に油をそそぐだけだ。用事もありそうだからどのみち電話はするにしても、もうすこしほとぼりがさめてからじゃないとわたしの身が危うい」
「そうなりますと、しかし」とイゴールはあごに手をやって思案の表情をみせた。「ひとつ問題がございます」
「問題?」
「ではここでCMです」
「シ……え?CM?手記にCM入るの?」
「つづきはCMのあとです」




TBSラジオ

川村亜未 午前1時のシンデレラ
http://www.tbs.co.jp/radio/am1/

毎月第2日曜 25:00~25:30


昨年、TBSラジオ開局60周年を記念して行われた「ラジオパーソナリティ公募プロジェクト」で並み居る芸人やプロの喋り手、ラジオ経験者を押しのけグランプリを獲得した完全な素人、川村亜未がお送りする30分の問わず語り。シンデレラストーリーのはずなのに何だかいまいち冴えなくて、王子様と会えたのかどうかすら定かではないまま、馬車だったはずのカボチャを抱えながらタクシーで帰ります。果たして深夜料金は払えるのか?

<番組の魅力>

1. はさみで風景をチョキチョキ切り抜くような話しぶりが可愛い
2. しとやかな雰囲気とくだらない話の落差がナイアガラのように激しい
3. 舌足らずなようでなにげに滑舌がくっきりしている
4. ダメな人ほどシンパシー率が高い
5. 靴ずれが治る
6. HPが小林大吾デザイン(重要)(少なくともここでは)





次回の放送は明日、5月13日(日)の25:00です!ゆめゆめお聞き逃し召されるな!

ポッドキャスト配信の予定は今のところないそうなので、せめて録音を…!




「そうなりますと、しかし」とイゴールはあごに手をやって思案の表情をみせた。「ひとつ問題がございます」
「なんで2回言うんだ?」
「CM明けとはそういうものだと聞いております」
「そういやそうだ。それで、問題というのは?」
「迎撃システムには改良が加えられているのです」
「改良ってまさか、アンジェリカが?」
「こちらに向けられたものをバッティングセンターよろしくひとつひとつ撃ち落とす分にはよいのですが、交戦があまり長引くようですといけません」
「というと?」
「あきらめのわるさに迎撃システムが業を煮やして、ホワイトデー・モードに切り替わります」
「いやな予感しかしないモードだな。それはつまり……」
「迎撃だけでなく、ひとつの攻撃を3倍にして返すモードです」
「火に油をそそいで弾薬庫に放りこむようなものじゃないか!」
「お嬢さまとしてはちょっとしたいたずら心のおつもりだったかと……」
「言われてみればさもありなんて気もするけど、しかしそりゃマズい。当人たちにとっちゃ諍いどころか手紙のやりとりみたいなもんだろうから、なおさらだ。ちなみにそのモードを発動前に解除するとしたら……」
「暗証用のコードが必要になります」
「そりゃそうだ。そしてそれを知っているのは」
「お嬢さまおひとりです」
「頃合いだという気がするな」わたしはまたひとつため息をついた。「結局こうなるんだ。アンジェリカを捜しに行こう」
「ねえさまのところへいくのですか」
「どこにいるのかわからないけどね」
「みふゆも行きます」
「そうしてもらえると助かるよ。用心棒になるし」
「しかし、どちらへ?」とイゴールは言った。
「とりあえず屋敷を出てから考えよう。ホワイトデー・モードの発動までどれくらいの猶予がある?」
「それは迎撃システムの気分次第です」
「ぜんぜん間に合う気がしないな」
「その部分だけはお嬢さまの設計ですから」
「博士が設計したってそうなるよ、たぶん」
「アイスノンもいっしょですか」
わたしはみふゆの心配をイゴールにパスして確かめるように言った。「いっしょのほうがいいとおもうな。屋敷がこのまま無事って保証もないんだ。ただ体質が体質だし、外に出ても平気なのかどうか」
「基本的には冷気を好むだけですから、問題ございません」とイゴールは請け合った。「快適なピクニックのために特注したクーラーボックスもございます」
「じゃ決まりだ。ブッチはここでお別れかな」
「何を言うんです。わっしも行きますよ」とブッチは鼻息を荒くして言った。「せっかくのお宝をよその肉屋に横取りされちゃかないませんや。それに……」
「それに?」
「外出中に冷たいお宝をポンとひとつ、ひねり出さんともかぎらんでしょうが?」





<ピス田助手の手記 18: 「賢いハンス」号に乗って>につづく!

2012年5月9日水曜日

ピス田助手の手記 16: ムール貝博士とは何か







・ムール貝博士はその昔、ホームメイドの爆弾を使って地球の1/3を派手に吹き飛ばしたことのある史上最悪の犯罪者であり、またこの大規模な破壊行為から推察されるように、何かを爆破して(クッキーみたいに)粉々にすることにかけては右に出る者のない権威中の権威でもあり、ついでにいうと水虫持ちでもあるのだが、誰よりもいけすかない人物であることをのぞけば、おおむね気さくな科学者である。

・なぜそんな危険人物が野放しになっているのかという疑問については、ゴルゴ13が暗殺依頼を断ったらしいという噂ひとつで事足りるだろう。真相がどうあれ噂が世界各国の要人に伝わった時点で博士は事実上の "Untouchable" になった。したがって、細心の注意を要する外交上デリケートな案件に関してはゴルゴ13を、細かいことはいいからパーッとやろうぜ的な案件にはムール貝博士を、というのが今では世界の不文律になっている。

・ムール貝博士は「愛」という概念を火薬にしか使わない。道ばたの花を愛でることもあるにはあるが、それは季節の変わり目に風邪を引いたときだけである。

・生物学的にひどく老いてはいるが、ある時点で細胞という細胞が一致団結してリストラを拒否したため、一時的に老化が差し止められている。争いの舞台はほどなくして法廷へと移されたものの、雇用者と非雇用者が同一人物ということもあり、裁判は遅々として進んでいない。結果としてたいへんな長生きである。

・また、善意と悪意をすだちとかぼすくらいのちがいにしかおもわない、徹底した平等主義者である。

・ちなみに感謝と憎悪も夏みかんと伊予柑くらいのちがいにしかおもっていないが、これは博士の破壊行為に対する一般的な反応として、どちらも仲良く同じように贈られてくるからである。

・ムール貝博士は孤独である。ただし本人がその意味を理解したことはかつて一度もないし、この先も金輪際ないだろう。ピス田がいるじゃないかとおもわれるかもしれないが、「いるから何だ」というのが助手たるわたしの見解である。

・博士の爆発に対する執着は信仰にとてもよく似ている。「宇宙だってきもち大きめの爆発から始まったじゃないか」というのは博士の有名なせりふのひとつである。

・ムール貝博士はただそう呼ばれているというだけのことであって、べつにムール貝の専門家ではない。「ムール貝」で検索して辿り着く人があまりに多いのでそろそろはっきりさせておかなくてはいけないとおもうが、ヨーロッパに生息する食用の二枚貝について書かれたページはここに1枚もない。ムール貝の語源を知って次の合コンに役立てたいのなら、図書館か水族館に行くべきである。

・助手をつとめるわたしもこのブログで初めて知ったが、ムール貝博士の視力は10.0である。





<ピス田助手の手記 17: ホワイトデー・モード>につづく!

2012年5月6日日曜日

ピス田助手の手記 15: アンジェリカ邸の対空ミサイル







「うそはつきませんか」とみふゆは半裸の肉屋を見据えてぴしりと言った。
「あのね、お嬢ちゃん」ブッチは心外だと言わんばかりに身を乗り出した。切っ先がぷすりと肉にめりこんだ。「みくびってもらっちゃ困ります。わっしはね、でくのぼうに見えるし実際そうかもしれませんが、嘘だけは生まれてこのかたついたことがないんですよ!嘘と礼儀は仲良しだってのがウチの婆さんの持論でね、礼儀を知って嘘をおぼえるくらいなら無礼でいいから正直であれとさんざっぱら叩きこまれたんです。信じる信じないはおまかせしますがね、そりゃもう絶対なんですよ、婆さんの忌々しい面と世界中の肉に誓ってね!」
「ひっこめて平気だとおもうよ」とわたしはみふゆを諭した。「ブッチが正直なのはわたしも保証できるとおもう。どれだけ大袈裟にみえてもやっぱり本当なんだってのは身をもって体験したからね」
「その代わりと言っちゃあなんですが……」
わたしは前言を撤回した。「斬ってよし」
「痛い。早合点をしちゃいけません。急いてはことをウドンの汁と言うでしょうが?わっしが言うのは、卵のほうです」
「卵?」とわたしは言った。「卵もうむのか!」
「こいつは雌鳥ですからね」
「言われてみれば雌鳥だ。イゴール、卵は?」
「毎日ではありませんが、生む日もたしかにございますね」
「冷たい卵を?」
「もちろんです」
「とするとそれは……」
「お嬢さまの朝食にお出ししております」
「どうしたって無精卵なんですから、そりゃ食うよりほかにしようがありませんや」とブッチは言った。「そこにわっしのお邪魔する余地があるわけですな」
「なるほどね」とわたしは感心した。「たしかにそれは交渉次第だろうな」
「卵は卵でまた稀なる美味だそうで、いや残念ながらわっしはこれもまだそのご縁に恵まれてませんが、親鳥が美食家の天竺ってな具合ですから、そりゃもう推して知るべしというか、そういうもっぱらの噂です」
「どうなのイゴール?」
「わたくしも口にしたことはございませんが」とイゴールは答えた。「お嬢さまの好物であることはわたくしが保証いたします」
「そんな宝石みたいな卵をアンジェリカが知らずに食ってるのかとおもうと気が遠くなるな」
「そこでです、どうですね旦那、わっしの店にたとえば週に一度、ふたつばかり卸してもらうってわけにはいきませんか」
「言ってなかったかもしれないけど、わたしはこの屋敷の主人じゃないんだよ」
「おやそうですか!わっしはてっきり……とするとこちらの旦那が?」
「いや、彼は執事だ。主人は別にいる」
「ご主人はどちらに?」
「さあ」とわたしは言った。「それが問題なんだ」
「留守ってことですか」
「ちょっと待ってくれ、そのへんの話はもうさんざんしたはずだぞ」
「わっしは初耳ですよ」
「うん、聞いてないだろうとはおもってた。でもしたんだよ。アンジェリカはここにいない。ブッチがここに呼ばれたのも、元を正せばそこに端を発してるんだ」
「なんだかよくわかりませんが」とブッチは眉間にしわを寄せながら言った。「ではいつお帰りになられるんで?」
「さあ」とわたしは言った。「帰るとしたら用が済んだときだろうね」
「ちっとも要領を得ませんな!」
「そのとおり。要領を得ないんだ」
「埒も明かない」
「埒も明かないね」
「ようやくお鉢が回ってきたとおもったらこれだ!」とブッチは途方に暮れたような顔をして言った。「千載一遇の機会とキスする権利が目と鼻の先にあるってのに、そりゃあんまりですよ。どうすりゃいいんです、一体?」


ドゴンと何か大きなものの衝突したような音があたりに轟いたのは、ちょうどこのときだった。衝撃で屋敷中の窓がびりびりと震えた。何ごとかと顔を見合わせるわたしたちをよそに、イゴールだけがひとり涼しい顔をしていた。
「まさかとはおもうけど」とわたしは言った。「例の呼び鈴じゃないだろうね」
「迎撃システムが作動したようです」
「迎撃?迎撃って何だ」
「屋敷が攻撃されたということです」
「攻撃っていったい誰が……あ、そうかしまった」とわたしはじぶんのたいへんなあやまちに今さら気がついて身震いした。「博士を怒らせたらしい」
「問題ありません」とイゴールはあいかわらず涼しい顔のまま言った。「屋敷の対空ミサイルは世界最高水準の性能を誇ります」
「この家に当たったわけではないってこと?」
「屋敷は疑いなく無傷です」
「それを言うなら博士の手になる爆発物だって宇宙最高水準の破壊力を誇るんだぜ」とわたしは苦々しいきもちで反論した。「助手のわたしが言うんだからまちがいない」


ところで、わたしにも言及したくないことはある。都合がわるいというよりは、気が滅入るという理由でだ。しかし一方で「親切なのね、ピス田さん。好き」とご婦人方に褒めそやされたい野心では、人後に落ちない自負もある。したがってあまり気の進まないことではあるし、この段階で説明を要するかどうか甚だ疑わしいともおもうのだけれど、わたしの唯一にしてひどく残念なボスであるムール貝博士とは誰なのか、というよりもむしろ何なのか、ここであらためてしぶしぶ紹介しておこう。






<ピス田助手の手記 16: ムール貝博士とは何か>につづく!

2012年5月3日木曜日

ピス田助手の手記 14.5: 反復横跳び並みの派手な脱線、あるいはムカデみたいに多すぎる蛇足に関する補足







何かについて語るときに、どこまで語るか、というのはなかなかむずかしい問題だ。たとえば出がけに靴下の片方が見当たらなくて10分ロスしたとか、出そうで出ないくしゃみを相手にじっとしていたら2分ロスしたとか、床に貼り付いたひとすじの髪がなかなか拾えなくて5分ロスしたとか、どこまで話をすれば丁寧で、どこからが蛇足になるのかはケースバイケースでいつも悩ましい。一見どうでも良さそうに見える計17分のロスによって仮に猫1匹が命を救われたとしたら、なぜその日にかぎってくしゃみを相手に2分もじっとしていたのか、やはり説明しないわけにはいくまいという気がする。

もちろんカエサルばりに要約すれば「いない。捜した。みつけた。終わり」の4語で済む。場合によっては名言として歴史にのこる可能性もなくはないかもしれないが、しかしカエサルのそれと同じくこれでは背景がちっともわからない。誰が、何を、誰に、そしてなぜ、という4つの補足がないかぎり、そこにあるのはせいぜいきもちのよいリズムだけだ。「何だと。それのどこがいけないんだ」と息巻く向きには、とりあえず一杯きこしめしてからもう一度よく考えてみることをおすすめしたい。そのころにはどこがいけなくて、どこがいけなくないのか、そもそもどことはどこなのか、その前にまず考える必要があるのか、必要なのはもう1杯のおかわりではないのか、うむきっとそうだ、ヤッホー!という気になっているだろう。

明らかに本筋とは関係がなさそうにおもわれる極上のハムとそのおいしさについて、わたしは多くを語りすぎたんだろうか?

しかしもしハムのことがなかったら、わたしはムール貝博士との通話を拒否するなどという暴挙には出なかっただろう。すくなくともその結果は火を見るより明らかなのだから、もうすこしうまくやりすごすことができたはずだ。そしてもしわたしが電話を一方的に切らなかったら博士が火のついた癇癪玉をこの屋敷に向けて撃ちこむこともおそらくなかっただろうし、したがってアンジェリカ邸の対空ミサイルがこれをみごとに迎撃するような事態にも、当然ならなかったとおもわれる。わたしだってできることなら今すぐにでも「THE END」と書いて長い旅に出てしまいたい。何もかもがひどく遠回りに見えるのはただ、順を追って説明するのに省略できる部分がどこにもないというだけのことなのだ。

反復横跳び並みの派手な脱線とムカデみたいに多すぎる蛇足についてはこれでおわかりいただけたとおもう。うっかり書いたがまだ話していなかったことについては、これから話そう。


応接室では、肉屋が下着姿で滝のように流した冷や汗をせっせと拭いていた。なぜパンツ一丁なのかといえば、みふゆの脇差しが目にも留まらぬ早業でブッチの服をばらばらに斬ってしまったからであり、なぜみふゆが攻撃したかといえば、ブッチが我を忘れてアイスノンに飛びかかったからだった。
「いや、わっしとしたことがつい取り乱しました」
「テレビなら放送事故になってるところだ」
「何しろわっしも本物ははじめてお目にかかったもんですから、どうか勘弁してください」
「肉屋が目の色を変える鳥なんだということはよくわかったよ」
「そりゃ、見かけるだけで肉屋冥利に尽きるって鳥ですからね」とブッチはためいきをついた。「それが手の届く距離にいるんです。気もそぞろになるってもんですよ」
「いくら珍しいからってそれで死んだら元も子もなさそうだけど」
「珍しいどころか!この天竺鶏って世にも稀なる鳥はですよ、ちょっとありそうにない偶然が冗談みたいにいくつも重なったときにだけウッカリ生まれて、不幸な身の上に絶望したあげく早死にしちまうってかわいそうな突然変異なんです。たとえ話をしましょうか?」
「いや、遠慮しておくよ」
「たとえば競馬です。ゲートに並んだ馬のうち、1頭がかなしくなるくらい足ののろい馬だったとしますね。配当で言ったら地球がそこにすっぽり入るくらいの大穴です。何があろうと勝つ見込みはまずありません。勝つ日が来るとすれば、それはレースに1頭しか出馬していないときだけです。どんな馬でももう1頭いたらそれだけで2着は確実って馬ですよ。そんなあわれな馬がです、ライバルの落馬とか落鉄とか病気とか八百長とか寝坊とか、その他もろもろの信じがたいアクシデントの大バーゲンで全頭脱落、気がつけばまわりにじぶんしかいなくてそのまま奇跡的に1着となったらそれが旦那、どれだけの暴動を巻き起こすことになるか、たいてい想像もつきましょうが?」
「何を言ってるんだかさっぱりわからない」
「遺伝子の話ですよ!劣性遺伝子の話です。DNAらせんの奥の奥にある頑丈な独房に幽閉してあって、本当なら永劫釈放なんかされないはずの劣性遺伝子が、何かの手ちがいから塀の外にヒョイと出ちまったときだけ、伏し目がちにオギャアとまろびでる、それがこの天竺鶏なんです」
「なるほど」とわたしは欠伸をかみ殺しながらこたえた。「なるほど」
「しかしそれだけなら、動物園の飼育員が世界中からおいしいエサと網をもって弾丸のように飛び出していくだけの話です。なのに養鶏業者や肉屋がいっしょになって飛び出すってことはですよ、つまりその肉が…」
「待った、わかった、そういうわけか」
「生まれながらのコールドチキンてわけです……おっと!」とブッチは首をひっこめながら降参するように両手を上げた。みふゆがふたたび脇差しの切っ先を向けたのだった。「そんな物騒なものはおしまいなさい、お嬢ちゃん。わっしだって無慈悲じゃあありません。このヒンヤリした鳥さんがどれだけこのお屋敷で大事にされているかってのは、パンツ一丁になってよくよく理解したつもりです。この期に及んで売ってくれとは口が裂けても言えますまいよ。第一、これから長いお付き合いになるかもしれないってのにそんなドジをやってどうなります。それにね、切り刻まれてミンチになるならそれだって肉屋の本懐なんですから、刃物なんてどのみちムダです。とすればそいつをおしまいなさるがよろしいと、やはりわっしはおもいますよ。心配なんてこれっぽっちもいりません」








<ピス田助手の手記 15: アンジェリカ邸の対空ミサイル>に今度こそつづく!