あなたに会えてフォカッチャさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がなんとなくつけています)
Q: つい先日、人生で初めての恋人ができました(ありがとうございます)。毎日がとても楽しいのですが、反面いつ彼女に愛想をつかされるのか不安です。自分みたいなしょうもない人間と一緒にいて果たしてしあわせなのか、疑問に思ってしまうのです。彼女の気持ちを確かめるリトマス試験紙のような方法があれば教えてください。よろしくお願いします。
むむ、これは吉報ですね。シンプルな文面にもかかわらず、急激にふくらみつつあるよろこびと、これから大切にしたい人への思いがひしひしと伝わってきます。外野からは若干の舌打ちと悲壮な遠吠えも聞こえてくるようです。おめでとうございます!
愛想を尽かされる、いわゆるアイソレーション(isolation)のことですが、これは誰でもできれば直面したくない事態のひとつですよね。
僕も長年ホモサピエンスをやっていますが、いまだにO.ヘンリー言うところの「最後の一葉」を病室の窓から眺める絶望すれすれのきもちが拭えずにいます。恋人にかぎらず、ありとあらゆる関係においてです。具体的な例を挙げると、なぜ僕はいまだにプロデューサーから愛想を尽かされずに済んでいるのか、考えるだにふしぎでなりません。ひょっとするととっくに尽かされているのに気づいていないだけかもしれませんが、どう考えても気づかないほうが幸せなのでこのまま目をそらしておきましょう。
しかしまあそれはそれとして、まずはじぶんをしょうもない人間だとおもわないことです。手榴弾のピンを引き抜いて投げ渡すような物言いになるかもしれませんが、これは好意を持ってくれる相手への侮辱に当たります。
しょうもない部分を受け入れてもらいたいきもちはよくわかります。しかしそれは「受け入れているからいっしょにいるのだ」という最も基本的な合意部分をみずから足蹴にするのと同じであることに気がつかなくてはいけません。徹頭徹尾しょうもない人間である僕らとしてはまず、じぶんの価値を相手に補填してもらおうとしないことを心がける必要があるのです。じぶんで言っててとても耳が痛い。
それから、ひとつ考えてみてほしいのだけれど、仮にハートマークかドクロマークのどちらかを表してくれるリトマス的な試験紙があったとして、ドクロマークが色濃く浮かび上がったらどうするんだろう?何しろつねにハートマークが出る保証はどこにもありません。もちろんフォローすれば挽回できるかもしれないけれど、それなら初めからそうならないように努めていればいい話です。
そしてリトマス試験紙で相手のきもちを確かめようと確かめまいと、終わるときはそれはもう呆気なくあっさりと終わります。それが人生です。だとすれば確かめつづけることにいったい何の意味がありましょう。僕らにできるのは、大切な人の笑顔を増やそうと地道に努めることだけです。僕も呆気ない終わりをおもいだして胸が苦しい。
恋人ができて毎日がとても楽しいと僕に言えるなら、そのきもちは普段から花のように香っているはずだし、相手にもそれはまちがいなく100%伝わっています。楽しそうにしている人といっしょにいて、楽しくないわけがないじゃないですか?
言うのも馬鹿馬鹿しい気がしますけど、大事にしていれば大事にされるもんですよ。そうでもおもわないとやってられないよな、とたまに出るため息なんかも含めて。
A: それはぜんぶ当たりだとわかっているくじを、ハズレが出るまで引くようなものです。
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その252につづく!